広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

祝! 90周年?

2012-04-23 23:45:19 | 秋田のいろいろ
秋田市中心部にある秋田キャッスルホテルの前に、こんな看板が出ていた。
「秋田中央交通株式会社 開業90周年記念祝賀会」
1日おきに3回も行う、盛大な祝賀会!

最初、てっきり「創業」とか「創立」90周年かと思っていたが、今年はたしか創業91周年のはずであり、計算が合わない。
よく見ると「開業」90周年となっている。

現在はバス会社である秋田中央交通は、もともとは鉄道会社が起源。
南秋田郡五城目町で1921(大正10)年1月15日に「五城目軌道」という会社を創業し(=創立日)、翌1922年4月21日に鉄道が開業している。最終的には、五城目町と現在の八郎潟町のJR八郎潟駅の間を結んでいた。
その後、1943年に「秋田中央交通」に改称、1953年に本社を秋田市へ移転し、1969年に鉄道を廃止している。


中央交通にとって「創業日」ではなく「開業日」とは、3回もパーティーをするほど重要な記念日なのだろうか?
「三平バス」は11年前の「“創業”80周年」を記念して導入されたことになっているし、今はやっていない鉄道事業の開業日なのに…
まあ、列車かバスかを問わず、中央交通が最初の一歩を記した日ではあるわけだから、その日を大事にしているのだということにしておきましょう。

それにしても、1日おきに3回も祝賀会をやるというのがすごい。
キャッスルホテルの「放光の間」は着席で1000人を収容できるが、まさか計3000人も来るのだろうか。取引先を招くにしてもそんなにはいないだろう。
交代で勤務している社員を対象にした祝賀会ということだろうか。中央交通の従業員数は400人ほどとのこと。


お祝いごとだし、民間企業が祝賀会を何回やっても構わないが、お客には何もしてくれないのだろうか。
例えば、回数券を買った人にポケットティッシュの1つでも配るとか、車内やバス停に「おかげさまで90周年」というシールでも貼るとか、そのくらいのことはしてもいいんじゃないでしょうか。そうすれば、親しみがわくってものです。


10年後は100周年。
その時の中央交通はどうなっていて(三平バスはボロボロになってまだ走っていそう…)、秋田の公共交通はどうなっているのだろうか。



では、中央交通さんの開業90周年を勝手に記念して、「蔵出し画像」などを紹介します。
先日もちょっと紹介した、側面に社紋が付いた先代の塗装の路線バス。Wikipediaには、1990年から1993年に採用された塗色だそうで、意外に短い期間だったことになる。
秋田市内の営業所にも、まだ3台くらいは残っているようだ。
※以前のコメントへの返信で臨海営業所に「300」というナンバーの車両があるとしていましたが、300は以前から秋田営業所所属のようです。臨海にいる(いた?)のは別のナンバーでした。
ほとんどが日野製の車両だが、少なくとも1台はいすゞ製がある。
行き先表示がLEDに交換されている
新国道方面を走っているのをよく見る。
新旧
旧塗装のほうが品がある感じがして好き。
※その後の旧塗装についてはこの記事

旧塗装の記事でも触れたように、新国道経由五城目線では、五城目営業所所属の行き先表示が幕式の車両が走ることがある。
 (再掲)
多くは上の写真のように、横一列に「新国道・土崎 五城目」という表示なのだが、たまに、
上下に分けた表示の車両も
上段に小さく経由地、下段に行き先を表示し、どちらも文字が扁平。
そういえば中央交通の車両って、昔はみんなこんな配置じゃなかったっけ?
経由地も行き先も、文字が小さくなってしまい、見づらい。(LEDはもっと経由地が小さいけど)

上の写真はだいぶ前の撮影で、フロントガラス右下に黄色い紙に「新国道経由」というのが掲出されている。なんだかよく分からないが、親切といえば親切。
つい先日も、おそらくこれと同じ車両を見たが、扁平の行き先表示や黄色い紙は健在。さらに「系統番号100」の紙も出していた。

※上の写真の車両294などについてはこちらの記事後半でも紹介しています


東北観光博のホームページの記事でちょっとだけ触れたけれど、昔の一部の車両の新国道経由天王グリーンランド行きの表示は、
2008年撮影。表示を声に出して読んでみてください
「天王グリーンランド」なのに。
現在は、LED化と担当営業所の変更に伴い、解消されています。


中央交通にはバスの「特急かもしか」が2009年9月まで存在した。
その1年前までは、「急行」バスも存在した。
「急行男鹿温泉線」で、秋田駅西口-新国道-追分-羽立(はだち)-男鹿温泉-入道崎(にゅうどうざき)という経路を2時間で結んでいた。
末期は、平日1往復(土日運休)だけで、上りが秋田駅着が9時過ぎ、下りは秋田駅発15時半だった。
 
「急行 羽立・男鹿温泉 入道崎」「急行 羽立 秋田駅前」
ちなみに、
 (再掲)特急かもしかの表示
急行バスも新国道を通るのにひとこともないし、特急かもしかの表示と統一感がないのが、いかにも…
記憶にないが、以前は特急かもしか同様、元貸切車両が使われていたようだ。末期は、写真の通り、上りは小田急の中古の大型車、下りは中型車(いずれも男鹿営業所所属)がよく使われており、片道は普通便の新国道経由船川線で男鹿営業所と行き来していたはず。
通しで乗る客はきわめて少なかったと思われるが、この車両で2時間はつらそう。


そして、このバス。
竿燈大通りを疾走する貸切塗装の車両(2006年撮影)
「秋田200」ナンバーで、新しい塗装だけど、正面に大きな旧ロゴの「ISUZU」エンブレムが付いているし、妙に古臭い。
このバス、元は秋田大学の自家用バスだったらしい。秋大ではどういう目的で使っていたのか知らないが、弘前大学では農学生命科学部の農場実習用の学生輸送バスとして、やはりかなり年代物のバスを所有している(たぶん現在も現役であり、イベントで展示されたりもしているらしい)。→この記事参照

おそらく2000年代に入ってから中央交通へ譲渡されたようだ。
撮影時は、子会社の秋田中央トランスポート所属で、たしか五城目に常駐していて、秋田駅と男鹿市船越の場外車券売場「サテライト男鹿」の間の無料送迎バスとして使われていた。
撮影後まもなく、廃車になったと記憶している。

【24日追記】上の写真を見ると車体側面は「AKITA CHUO」表記で、その後に不自然な空白がある。
これはおそらく、当初は「AKITA CHUO KOTSU」表記だったのを、子会社への転属時に「KOTSU」を消したためだろう。
なお、現在の子会社所属の貸切車両は「AKITA CHUO KANKO」表記。※新車の写真はこちら

また、ドア横に「一般乗合」と表示があるので、横手・湯沢方面の高速バスに使われたことがあったかもしれない。

【2014年8月20日追記】型式は「CJA500」だったようだ。

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4 コメント

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Unknown (元秋大生)
2012-04-25 18:07:50
いつも懐かしく拝見させていただいております。

そのバス何回か乗りました!
主に鉱山学部の地質巡検で使っていたと思います。
恐ろしく燃費が悪いと運転手の方が話していた記憶があります。
返信する
そういう使い道ですか (taic02)
2012-04-25 23:03:52
いつもご覧いただきありがとうございます。
そして、貴重な情報提供もありがとうございます。

学外授業の移動用というわけですか。
弘前大学の農場実習用バスは、週に1~3日、いつも同じ場所(附属農場)への往復で稼働しているはずですが、秋大では稼働率はそんなに多くもないのでしょうか。
燃費が悪いとのことですし、維持費の点からも、秋大としては手放したかったのでしょうね。

なお、塗装のほか、たしか座席なども、中央交通譲渡時に交換しているはずです。
返信する
Unknown (曲げ輪っぱ)
2015-04-11 22:37:39
日野のモノコックバスを検索していたらこちらを見つけました

秋田中央トランスポートで使われていたのモノコックバスですが、
廃車後は一個人が引き取って自家用車として健在しています
返信する
CJA500 (taic02)
2015-04-12 00:13:06
そうですか。
スクラップになったかと少々惜しく思っていましたが、それは何よりです。

日野は弘前大学のですね。
そちらは弘南バスが引き取って運行するとのことで、見たり乗ったりできる機会が出てくるかもしれません。
返信する

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