秋田市中央部、千秋公園の丘の西側のふもと、千秋矢留町(せんしゅう やどめまち)のほぼ北端。
千秋トンネル通りと、トンネル~鷹匠橋の間で交わる、小さな道。
奥が千秋トンネル通り、その向こうにマンション群=その辺りが矢留町の南端
かつては台所町(だいどころまち)と呼ばれ、侍屋敷があったという。今もその名残りか、庭がある広めの敷地のお宅も少なくないが、アパートや新しい家もある。
そんな場所に、昨冬から今春の間に、新しい建物がまた1つできた。

民家のようにも見えるが、学童保育施設。
トンネルの反対側にあったものが、ここへ移転したようだ。
反対側から
この場所には、以前はアパートがあった。
2024年5月Googleマップストリートビューより
2024年5月ストリートビュー
道路に面した壁は水色で、大きく「★ family ESPERO」とアパート名が記されていた。「ファミリーエスペーロ」と読むようで、エスペーロには、希望とか西とかいくつかの意味があるそうだが、★があることを踏まえれば「宵の明星、金星」?
「いい部屋ネット」によれば「1978年12月に完工し、建物の構造は木造です。」。もうちょっと古いような気もしたが、昭和50年代前半のアパートってこんなものか。1978年12月といえば、千秋トンネルの開通と同年同月。
なお、遅くとも2020年までは、水色の壁を覆うように、壁際に常緑針葉樹(カイヅカイブキ?)が植えられていた。
ところで、上のストリートビューの画像右側のエアコン室外機の左に、黒っぽい物体がある。
2020年8月ストリートビューより
石の台座に、銅製の厚みがある箱状のものが載って、「秋田が生んだ永遠の歌手 東海林太郎 生誕の地」と表示。
表示板・案内板のようにも見えるが、東海林太郎音楽館ホームページでは「生誕地記念碑」としている。
ここで生まれ育ったのが、昭和の大歌手・東海林太郎(1898年~1972年)。
だと思っていたら、ちょっとだけ違うのだった。
「二〇世紀ひみつ基地」の2007年11月4日アップ「東海林太郎・台所町の生家(https://20century.blog.fc2.com/blog-entry-363.html)」によれば、生家は碑が立つ場所の隣地で、今は駐車場。上の写真で、黒いフェンスで囲まれ、「無断駐車お断り」の表示がある所。
1991年に「生家は取り壊され駐車場となり、隣地のアパート敷地内に道路に面して銅板の記念碑が建てられている。」のだそう。
ファミリーエスペーロができた後、平成の初めまで、生家は残っていたのだった。行動範囲内だったのに、当時は通ることもない道だったのが惜しい。
そして、記念碑は正しくは“生誕隣接地記念碑”ということになる。もしかしたら、もともとは隣接地も東海林家の敷地だったのかもしれないが。
そんな記念碑だが、現時点では見当たらなくなってしまった。
日本の歴史に残る大歌手が、生まれてから中学校(現・高等学校)までを過ごした秋田市だが、その功績を残すものはかなり少ない。民営の記念館「東海林太郎音楽館」があったり、銅像があったりする程度。以前は東海林太郎のサブレがあったが、今もあるかな?
一般の市民では東海林太郎が秋田市出身なことばかりか、その名さえ知らない人が増えているのではないだろうか。没後50年の今ならまだしも、没後20年に満たない、昭和末期でも似たようなものだった。恥ずかしながら、僕は大人になるまでは名前くらいしか知らなかった。
近くに特に見るものもない場所に、記念碑だけがある生誕地をわざわざ訪れるのは、相当なファンかもの好きだろうから、存在意義は小さい記念碑だったかもしれない。でも、記念碑がなくなれば、生誕地と東海林太郎を、誰もが分かる形で結び付けるものが何もなくなってしまうことになり、惜しいことでもある。
記念碑のデザインからして、市など行政が立てたのではなく、有志のような民間が設置したのではないだろうか。土地所有者が代わるなどして、その管理があいまいになって、撤去ということになってしまったのか。
いや。学童保育施設の外構工事はまだのように見えるので、完成の暁には、どこかに再設置されるかもしれないと期待する。
千秋トンネル通りと、トンネル~鷹匠橋の間で交わる、小さな道。

かつては台所町(だいどころまち)と呼ばれ、侍屋敷があったという。今もその名残りか、庭がある広めの敷地のお宅も少なくないが、アパートや新しい家もある。
そんな場所に、昨冬から今春の間に、新しい建物がまた1つできた。

民家のようにも見えるが、学童保育施設。
トンネルの反対側にあったものが、ここへ移転したようだ。

この場所には、以前はアパートがあった。


道路に面した壁は水色で、大きく「★ family ESPERO」とアパート名が記されていた。「ファミリーエスペーロ」と読むようで、エスペーロには、希望とか西とかいくつかの意味があるそうだが、★があることを踏まえれば「宵の明星、金星」?
「いい部屋ネット」によれば「1978年12月に完工し、建物の構造は木造です。」。もうちょっと古いような気もしたが、昭和50年代前半のアパートってこんなものか。1978年12月といえば、千秋トンネルの開通と同年同月。
なお、遅くとも2020年までは、水色の壁を覆うように、壁際に常緑針葉樹(カイヅカイブキ?)が植えられていた。
ところで、上のストリートビューの画像右側のエアコン室外機の左に、黒っぽい物体がある。

石の台座に、銅製の厚みがある箱状のものが載って、「秋田が生んだ永遠の歌手 東海林太郎 生誕の地」と表示。
表示板・案内板のようにも見えるが、東海林太郎音楽館ホームページでは「生誕地記念碑」としている。
ここで生まれ育ったのが、昭和の大歌手・東海林太郎(1898年~1972年)。
だと思っていたら、ちょっとだけ違うのだった。
「二〇世紀ひみつ基地」の2007年11月4日アップ「東海林太郎・台所町の生家(https://20century.blog.fc2.com/blog-entry-363.html)」によれば、生家は碑が立つ場所の隣地で、今は駐車場。上の写真で、黒いフェンスで囲まれ、「無断駐車お断り」の表示がある所。
1991年に「生家は取り壊され駐車場となり、隣地のアパート敷地内に道路に面して銅板の記念碑が建てられている。」のだそう。
ファミリーエスペーロができた後、平成の初めまで、生家は残っていたのだった。行動範囲内だったのに、当時は通ることもない道だったのが惜しい。
そして、記念碑は正しくは“生誕隣接地記念碑”ということになる。もしかしたら、もともとは隣接地も東海林家の敷地だったのかもしれないが。
そんな記念碑だが、現時点では見当たらなくなってしまった。
日本の歴史に残る大歌手が、生まれてから中学校(現・高等学校)までを過ごした秋田市だが、その功績を残すものはかなり少ない。民営の記念館「東海林太郎音楽館」があったり、銅像があったりする程度。以前は東海林太郎のサブレがあったが、今もあるかな?
一般の市民では東海林太郎が秋田市出身なことばかりか、その名さえ知らない人が増えているのではないだろうか。没後50年の今ならまだしも、没後20年に満たない、昭和末期でも似たようなものだった。恥ずかしながら、僕は大人になるまでは名前くらいしか知らなかった。
近くに特に見るものもない場所に、記念碑だけがある生誕地をわざわざ訪れるのは、相当なファンかもの好きだろうから、存在意義は小さい記念碑だったかもしれない。でも、記念碑がなくなれば、生誕地と東海林太郎を、誰もが分かる形で結び付けるものが何もなくなってしまうことになり、惜しいことでもある。
記念碑のデザインからして、市など行政が立てたのではなく、有志のような民間が設置したのではないだろうか。土地所有者が代わるなどして、その管理があいまいになって、撤去ということになってしまったのか。
いや。学童保育施設の外構工事はまだのように見えるので、完成の暁には、どこかに再設置されるかもしれないと期待する。