広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

’23.11.20五城目線減便

2023-10-31 23:02:18 | 秋田のいろいろ
2023年10月1日に、恒例の秋田中央交通の路線バスダイヤ改正が、恒例の乗務員不足を理由とする減便をメインとした内容で実施されたばかり。
ところが、10月31日に、公式サイトに「五城目線 ダイヤ改正(減便)のお知らせ(2023年11月20日改正)」がアップされた。「バス乗務員不足のため」としている。
全国的に同様の理由で、定例のダイヤ改正以外の時期に、突発的に減便や路線廃止が行われているとは聞いていたが、秋田でも。
【11月1日画像追加】五城目営業所担当の五城目行き
対象となるのは、新国道・土崎・飯島・追分を経由して、秋田駅西口と五城目バスターミナルを結ぶ路線(系統番号100)。
2023年10月では、時刻の移動だけで減便はなかった。平日10往復、土日祝日6往復の運行。
11月20日からは、平日4往復、土日祝日2往復となる、大幅減便。

現行の五城目線は、平日の1往復を秋田市の臨海営業所が担当し、それ以外は五城目営業所が担当。臨海担当便は減便されないので、五城目側の人員不足が原因と考えられる。
秋田中央交通五城目営業所は、子会社の秋田中央トランスポート(の五城目営業所)が、業務を受託する形。親会社の五城目営業所は、五城目線のみを担当し、子会社の五城目営業所は、周辺市町村のコミュニティーバスやスクールバスを受託運行している。
おそらく、五城目の乗務員は親会社と子会社を掛け持ちしていて、欠員が生じたのだろう。スクールバスなどを運休するわけにはいかないし、五城目線は拘束時間が長い(往復4時間)ので、減便しやすく、減便の“効果”も高いということなのだろう。
【11月3日補足】減便後の五城目側の車両・乗務員の運用としては、土日は1台・1人で回せそう(途中の待機・総拘束時間は長いが)。平日は夕方2便の時間が重なっているため、2台・2人は必要になろう。

減便後は、平日はほぼ毎時1本あったのが、朝1往復、昼1往復(臨海便)、夕方~夜2往復に。土日祝日は朝夕1往復ずつだけになり、昼間はなくなる。
これにより、追分より先の区間で利用する人たちはもちろん不便になるが、新国道経由他系統と重なる秋田市内区間でも、運行間隔が不均一になる。一部の廃止便前後のダイヤを抜き出してみる。
平日下り(秋田駅西口発)
10:35セリオン、11:00五城目、11:20追分
14:00セリオン、14:25五城目、14:55追分
15:20セリオン、15:40五城目、16:05土崎駅
16:50土崎駅、17:15五城目、17:30土崎駅

土日祝下り(秋田駅西口発)
10:20セリオン、11:20五城目、11:50セリオン
12:50セリオン、13:20五城目、13:55飯島

土日祝日上り(秋田駅西口着)
10:03飯島、10:40五城目、11:26セリオン、12:06追分、12:40五城目、13:26セリオン、14:10五城目、14:41追分

と、平日でも1時間近く、土日は1時間半、間隔が空くところが生じる。これから冬にかけ、夕方の帰宅時間帯などが心配になる。せめて秋田市内の営業所担当で、セリオンや土崎駅止まりの代替便を出せばいいのだろうが、その余裕もないということかもしれない。
五城目線の前後に短距離のセリオン線が設定されているところも多いので、土崎の旧道区間以遠ではさらに間隔が空く。

ちなみに、新国道経由の総本数(秋田駅西口~港中央二丁目【8日補足・他経由と重複しないのは、山王二丁目~港中央二丁目】、新港線は除く)は、平日下り39・上り46、土日祝上下とも24。11月20日からは32・40、20となる。


五城目線に限らず、日本各地の減便された路線やバス会社で乗務員が確保でき、元の便数に戻る時は来るのだろうか。そして、他の路線でさらなる減便や廃止が、いつ起きてもおかしくない状態なのだろう。
貨物輸送の維持も大切だけれど、路線バスについても、国全体の問題として真剣に取り組んでもらわないといけない。
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未来を創る最高顧問の問題発言

2023-10-28 22:27:48 | 秋田のいろいろ
10月23日の佐竹敬久秋田県知事による、四国(特に愛媛県と高知県)の食べ物をけなす発言が全国的に問題になって、翌日に謝罪をすることになった。
秋田県民のひとりとして、発言内容には同意できないし、そういう発言をしてしまう人が秋田県知事であることが、情けなく恥ずかしい。四国と四国に関係する皆様に、県民としてお詫びします。
報道やネットでは、「(愛媛の)じゃこ天が貧乏くさい」部分だけが取り沙汰されている感じがするので、もう少し広い視点で雑感。24、25、26日付の秋田魁新報の紙面と電子版も参考にしました。

発言の場は、23日に秋田キャッスルホテルで開かれた、「秋田の未来を創る協議会」なる組織の設立会議。
協議会は、各界の代表者が一丸となって、秋田の活性化を目指す。秋田県商工会連合会会長(注・商工会議所ではなく商工会)が呼びかけ人、その他、県議会議員連盟会長、秋田大学学長、秋田商工会議所会頭(=辻氏)らが共同代表を務める。佐竹知事は最高顧問。
設立会議では、協議会へ期待することをテーマに、佐竹知事の講演が行われた。出席者(聴講者)は、県議会議員や県内の市町村長など、160人ほどいた模様。

四国をこき下ろす前後には、「秋田ほどうまいものあるところはない。」「さまざまな自然、あとは風、水、美人(男女問わず)」も秋田にあると発言。それらの価値を見極めて、伸ばしていかれるよう、秋田県人の思考を変えていくことが、協議会の最終目的である、みたいな内容。

「四国なんかね、もう大変ですよ。」と発言しているが、具体的に挙げたのは、愛媛のじゃこ天と酒のほか、高知県の「どろめ(※知らなかったが、イワシの稚魚)」のみ。【11月1日補足・酒については、あいまい。四国全体について言っているようにも取れるが、「知事会」とつなげているので、じゃこ天と同一の愛媛県の酒とも取れる言い方。】
香川県は「なんとね、普通のね、どこでも食えるようなね。」とあいまい。徳島県には言及はなし。
愛媛と高知に失礼なのは変わらないが、2県だけで「四国」とひとくくりにするのは乱暴。「東北」に置き換えてみれば分かるように。
そして、秋田では「自然、あとは風、水、美人」まで挙げているのに、四国では食べ物にしか触れていないのは、不公平だ。
佐竹知事は謝罪時に、四国には大きな企業があって、売り込みも積極的なので、うらやましさと、強気で来るという思いがあって、今回の発言に至ったと釈明した(食べ物とつながらないじゃないか)。食べ物以外では勝ち目がないから、食べ物だけ槍玉に挙げたととらえていいのでしょうね。

それら以前の話として、複数の報道によれば、10年前に愛媛県で行われた全国知事会では、食事にじゃこ天は出なかったという。じゃあ、自分で飲食店に入って注文したのかもしれないが、だったら、ステーキとじゃこ天を勘違いすることはないだろう。あと、出されたじゃこ天が「300円」とも発言しているが、どうして分かったのか?
この人は何を言ってるんだ? 作り話は「漫談」なら許されるかもしれないが、これは講演。

今回の講演は、食べ物をテーマにしたものではない中、個人の好き嫌いが大きい食べ物のみをネタとするのは、上手な構成ではないと思う。
そして、マスコミが取り上げるとは思わなかったのかもしれないが、だとしても、会場の160人の中に、四国出身者、身内や知人恩人が四国にいる人、四国が大切な土地である人もいるかもしれない。それを【11月1日補足・自分の発言で、聴講者が不快な思いをするかもしれないことを】思えば、うかつに四国をけなすことはできない(けなさないでおくほうが無難な)のは、75年も生きているのに、想像できなかったのだろうか。
【11月1日追記・2022年に問題となった「比内地鶏は硬い」発言は、大雨被害の支援を求める生産者団体との面会の場での発言。柔らかければ被害が生じなかったわけでもなく、ダメージを受けている人たちに対して急いで伝えることではない。相手の気持ちを考えない発言として、今回にも通じると思う。
なお、比内地鶏の硬さをなんとかするということは、新たな需要や販路の拡大としてあってもいいと思う。そうだとしても、農林部、畜産試験場、総合食品研究センター、県立大学など、秋田県側も率先して取り組むことができる課題であって、県知事が一方的に「硬い」と文句をつける立場ではない。】

そもそも、「秋田の未来を創る」時に、「他県をけなす」ことが必要だろうか。
そんなことをする人が、「最高顧問」を務める協議会に期待できるのか。辞するか、もしくは「最低顧問」に役職を替えてもらってはどうでしょう。
騒動で始まった「秋田の未来を創る協議会」が、良い成果を出してくれることを祈ります。


さて、言うまでもなく、四国4県にはいいものがたくさんある。3度しか訪れたことがないが、佐竹知事よりはたくさん挙げられそうだ。
温暖な気候、瀬戸内海の島々、雄大な太平洋、松山市を始めとする各県庁所在地のにぎわい、【29日追記・高知県などの南国情緒あふれる町や自然、】山間部の風景や文化、地域独特の農産物、お遍路さんの接待に由来するもてなしの心。
ちなみに、訪問中にイヤな思いをしたのは、高松市で、おそらく生まれて初めて35℃越えの気温を経験して参ったのと、JR予讃線に宇多津(うたづ)駅と多度津(たどつ)駅が近くにあってまぎらわしく、行ったり来たりしていたら高松と松山もこんがらがってしまったことくらい。

日本人ならたいていは知っているであろう「ポンジュース」も、JA系列「えひめ飲料」のブランド。秋田でもスーパーで見かけるが、ほかにJR東日本クロスステーション「acure made」ブランド限定販売のうんしゅうみかん100%ジュース「愛媛みかん」が、2021年から毎年秋冬に発売されている。※acureとPOMのダブルブランド商品。【29日補足・よく見かける「ポンジュース」はオレンジも使われているが、本品はミカンのみ。】
280ml180円、じゃこ天に比べると高いかな。でもおいしい
秋田駅を含むJR東日本の駅などの飲料自動販売機で「POM 愛媛みかん」が買える。
では、JR四国の駅で「秋田」の商品が何か買えるだろうか。

青森にはリンゴジュースなどを作る「JAアオレン」がある。ポンジュースの青森リンゴ版と言えよう。【29日補足・正式名称「青森県農村工業農業協同組合連合会」。】
25年前、弘前大学農学部の農業経済学分野の先生が「愛媛のポンジュースは誰でも知っている。でも(青森県外において)アオレンは… その違いは?」という話をされていた。佐竹知事が釈明した「四国は売り込みが積極的で強気」とかいうのは、間違いではないのかもしれない。
【29日補足・acureのリンゴジュースで、アオレンが製造する商品もあるが、acureのみのブランドになっている。リンゴジュースの加工量・販売量とも、国内トップ級だそうだが、ポンジュースより知名度は低いのが現状。「四国」のように、秋田の枠にこだわらず「東北」全体で未来を創ることも必要では?】

2024年1月には、東北のイオングループ店舗で、愛媛県フェアが開催された
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昭和63年度 教科書一覧

2023-10-16 19:46:55 | 昔のこと
教科書採択に関連して、物持ち良く保存していたものから。
おそらく1988(昭和63)年春、小学校6年生になった時、学校で配られた紙。B5判より小さい紙で、(校内の印刷機などでなく)ちゃんと印刷されたもの。
「教科書のお知らせとご注意事項」
新学期のほか、上下巻に分かれた国語のような秋(今でいう後期開始時)に配本がある場合はその時にも、教科書とともに渡されていた。他の年度版は行方不明だが、少なくとも小学校時代はこのスタイルだった記憶があるが、中学校ではどうだったか。

メインは中ほどの「教科書照合一覧表」。自分の学年に応じた教科書を、もれなくもらったかチェックする用途。記された数字は、その「定価」。※当時は消費税導入前。導入後も、教科書は非課税。
無償配布なのに定価を教えるのがおもしろい(紛失時等は有償販売になるので、定価設定は必要)。これだけ費用がかかって、税金が使われているということを分からせる意図があったのかもしれない。「あなた(お子さま)がお使いになる教科書は、国から無償で給与されます。」の文もあり、当時の僕はそう感じた。今は、市の広報紙などで単価を表示することがある(広報あきた10月6日号は1部25.245円)が、それと同じように。

本文は、きれいな活字で印刷されている。
しかし、「秋田市・河辺郡内公立(小学校)」や、教科書の出版社名と価格は、今では懐かしい、ドットの粗いコンピューターの文字。
だから、県内他地域や県外と文面や枠は共通で、採択に応じて照合一覧表だけ差し替えているのかもと思ったが、いちばん下の「教科書取扱店」は秋田市内の店だけが、きれいな文字で印刷されている。右下には「秋9051」という秋田を意味しそうな記号も。広告部分も、また別の印字なのかもしれないけれど。

「教科書取扱店」。本文において、紛失や汚損時に「下記の教科書取扱店(教科用図書取次供給所)でお求めください。」とある。
「秋田協同書籍」は電話番号なしで名称のみやや大きく記され、その下に「参考書の取り扱いは」として、秋田市内4つの書店。4書店でも教科書本体も購入できたはずだが、分かりにくい書きかた。
「かねこ書店」は土崎港中央一丁目。2010年前後まで営業していたようで、Googleマップストリートビューでは2012~2015年時点では、売物件で看板は残っていた。2018年以降は、宅配寿司が入居。
「三光堂書店」は、大昔は大町にあって、山王大通り(竿燈大通り)建設時に、中央通りの中通一丁目へ移転。今のエリアなかいち住居棟付近にあったそうだが、なかいち着工のだいぶ前にやめているはず。
「三浦書店」は、広小路はじめ秋田市内に複数店舗があったが、2000年頃に廃業(関連記事)。
4書店中、2023年時点で残るのは、加賀谷書店のみ。その電話番号は、2012年で閉店した広小路の本店を掲載。閉店してまだ11年しか経っていないのか。
後に、保戸野の文具店「のてや」も教科用図書取次供給所になったようだが、閉店したため、現在は協同書籍と加賀谷書店。


教科書照合一覧表。

「外国語(英語)」や当時は教科ではなかった「道徳」は、見る影もない。「生活」もまだ始まっていないが、1年生の欄を見ると、理科は配られているものの、社会がない。生活科導入を踏まえて、カリキュラムを多少変えていたのだろうか。あと「保健」は、検定教科書がなかったのか。

採択された出版社。
2024年度の秋田市の採択と異なるのは、社会(中教出版→東京書籍)、理科(大日本図書→東京書籍)、図工(開隆堂→日本文教出版)と、意外に少ない。【16日注記・ここでは1988年度と2024年度の単純な比較です。その途中のどこかで、一度変更されて再度戻るなど、採択が変更された可能性はあります。】
大日本図書の「たのしい理科」は楽しかったけどな。一覧表を見ると、1冊当たりのコストはいちばん高い。※国語などは上下巻に分かれているので、通年ではそちらが高いことになる。

中教出版は現存しない。1993年に、社会と生活の版権を日本文教出版に譲渡して、後に解散。
当時の社会科教科書は、太い横縞(色は学年で異なる)を背景にイラストをちりばめた表紙で、「国民生活と生産 5上」「国土と人間 5下」のようなタイトルが付いていた。タイトルは光村図書の国語もそう(一上 かざぐるま、四上 かがやき等)だけど、こちらのほうが直接的。
なお、小学校の社会科の教科書は、現在は左綴じ・横書きだが、当時は右綴じ・縦書きだった。中学校は当時から横書き。


「教科書のお知らせとご注意事項」は、裏面もある。
いかにも昭和テイスト
「よい本を選びましょう!」とあり、課題図書でも載っているのかと思いきや、問題集・ドリルや教科書ガイドの宣伝。「定価一らん表」まで出ている。
商売っ気があると言えばそうだけど、無償配布の教科書一覧の裏で、“虎の巻”の告知までするとは。


ところで、全国的に小学校3年生には、その市町村のことに限定した教科書に準ずる本が配られ、社会科で使われることが多い。「地域副読本」などと呼ばれるもの(自治体によって有償無償は違うようだ)で、検定教科書ではないので、この紙には出ていない。
秋田市では「わたしたちの秋田市」という書名なのだが、それについてまた後日
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音楽教科書 採択理由?

2023-10-12 20:55:05 | 秋田のいろいろ
勇気一つを友にして」で、音楽の教科書の話が出てきたので、思い出して調べたこと。

日本では、教科書は複数の出版社が作成し、国の検定を受ける。検定に合格した中から、各地域もしくは各学校ごとに、それぞれが使う出版社を選んで決める「採択」をして、児童生徒に配られる。
採択は、公立小中学校は市町村ごと、国立大学附属や私立の小中学校と、公私とも高等学校では、各学校ごとに(ただし公立高校では、名目上はその設置者)採択を行う。

小中学校では、市町村ごとではなく、周辺の市と郡などで同じ採択をする「共同採択」が行われたり、都道府県教育委員会が「教科用図書選定審議会」を設置して、各市町村に採択の助言をする制度があるため、同一県内なら教科書のラインナップは似たものになる傾向はあるようだ。

秋田市の国語の光村図書や地図帳の帝国書院のように、永年、採択が不変の教科書もある。全国的なシェアを踏まえれば、その選択に一理あるのだろうなというものもあるし、地域ごとの実情で選んだ結果(後述)というものもあるようだ。
一方で、変更されることもある。秋田市では1990年度に中学校英語の採択が変わった。それに巻き込まれて、いい迷惑だった
採択変更は、県や市の教育委員会が教科書の改訂内容を吟味した結果ということなのだろうけれど。また、近年は、出版社の廃業や(学校種や教科など部分的な縮小も含めて)教科書事業からの撤退もあり、変えざるを得ないこともあろう。
ただ、検定に関する不祥事も報道される昨今、裏で何かやった結果なのではと、勘ぐりたくもなる。


小中の音楽の教科書(中学校「器楽」も含む)。
1990年代半ばまでは音楽之友社も出版していたが、現在は高校用のみに縮小。教育出版と教育芸術社の2社になった。2000年代頃まで東京書籍も出していたような情報がある。
教育出版は、多くの教科の教科書を出す総合出版社。秋田市では算数・数学が永年同社(秋田県内他地区は東京書籍が多い)。対して教育芸術社は、音楽専門出版社。全国的なシェアは小中では不明だが、高校では3社中、教育芸術社がおよそ半分を占めるとのこと。

Wikipediaによれば北海道では、教育芸術社のシェアが低いという。
その理由は、教育出版の小学校教科書に「札幌の空」という合唱曲(これもみんなのうた作品とのこと)が掲載されているためらしい。

秋田県。※採択結果は秋田県教育庁がホームページで公開している。最新版のコンテンツ番号は小学校44384、中学校59748。
小学校では、由利本荘にかほ、湯沢雄勝と秋田大学教育文化学部附属小が教育出版。秋田市などその他8地域は教育芸術社。(私立小学校は存在しない)

中学校では、9地域すべてと秋大附中が教育芸術社。
私立中学校はない(聖霊中は休止)が、県立中高一貫校3校の中学部は、高校と同じように各学校ごとに採択することになっていた。県立秋田南高等学校中等部(市立秋田南中とは異なります)と県立横手清陵学院中学校も、教育芸術社。
そして、県立大館国際情報学院中学校だけが、教育出版だった。
秋田県教育庁「令和4年度使用中学校教科用図書 県内採択地区等採択結果」より抜粋・加工
秋田で教育芸術社のシェアが高いのは、単純に内容がふさわしいのかもしれないが、うがった見方をすれば、多少の忖度というか、郷土愛的な視点も入っているのかもと、前から思っていた。
何度か取り上げているように、合唱曲の作曲・編曲を多数手がけ、教育芸術社の役員でもある、橋本祥路(はしもと しょうじ)氏が、秋田県出身だから。

ところで、橋本祥路氏は大館市出身(出典:県立大館桂桜高等学校校歌資料)、県立大館鳳鳴高等学校卒。
全国各地の校歌の作詞作曲もしている。作詞は「花岡恵(はなおかけい)」の名義で行うのだが、大館市花岡町と関係があるのかもと思っていた。それが筆名の由来かは分からないが、秋田県北秋田市ホームページ「第2回浜辺の歌音楽祭(コンテンツ番号9602)」に「大館市花岡町出身の作曲家・橋本祥路(しょうじ)氏による講評」とあるので、花岡とゆかりはある人だ。
秋田県内では、秋田市立飯島中学校、秋田市立雄和小学校(作詞も)、横手市立横手北小学校、県立大館桂桜高等学校、県立大館国際情報学院を作っている(他にもあるかも)。
大館国際情報学院の校歌も。
それなのに、同校の教科書は教育芸術社ではない。
その町出身者が、その町にある学校の校歌を作ったからといって、その人の勤務先の商品を買わなければいけないわけはないし、教科書の場合、その理由で買ったとなれば問題になりかねない。
だけど、もし、橋本氏と学校長などが会う機会があったら、なんか気まずくなりそうだし、教育芸術社の営業社員が「弊社の橋本がよろしく申しておりました」とひと押しすれば…などと妄想してしまう。
大館国際情報学院は、忖度なしで、純粋に教育出版を選んだのだろう。かなりのこだわりがあったのか。
他の県立一貫校2校を見ても、秋田南高中の数学が啓林館(※)など、ピンポイントで珍しい(周辺市郡や秋大附中が採択しない)会社を選んでいる教科はあるから、各校の教育方針により合致したものを選んで、独自性を示したのだろうか【12日追記・高等部で採択した教科書と出版社を統一して、連続性を持たせる狙いがある場合もありそうだが、各高校の採択結果はネットではなかなか分からない。】。教わる側よりも、教えるほう、他校から異動してくる先生にしてみれば、使ったことがない教科書なわけで、戸惑うこともあるのかもしれない。
※啓林館(けいりんかん)は、中学校の数学と理科では、全国ではトップシェアのようだが、秋田県では秋田南高中の数学以外は採択なし、小学校も皆無。こういう地域差はどこから来るのか興味深い。


ホームページでの教科書紹介は、教育出版より教育芸術社のほうが圧倒的に情報が多く、素人が眺めてもおもしろい。昔の内容も紹介してくれる光村図書には及ばないけれど。
掲載曲一覧もあり、特に小学校では、30年以上前と変わらないものもあれば、前回の「明日という大空」のように掲載学年が移動した作品もある。「アマリリス(昭和末では4年生)」「ジャマイカンルンバ(同5年生)」などは消えてしまった。中学部は、昔の記憶がほとんどないが、J-POPがかなり増えている。器楽では「笑点のテーマ」なんてのも。

昭和63年度の秋田市の教科書採択について
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勇気一つを友にして

2023-10-09 22:42:21 | 昔のこと
NHK「みんなのうた」の2023年10月・11月の再放送曲。
明るく楽しい「メゲメゲルンバ」とセットで放送されるのが、「勇気一つを友にして」。
おそらく昭和40~60年代(平成初期も?)生まれの人はご存知の歌だと思うが、好きではない人も多いと思う。僕は大嫌いである。暗いし、言っていることがおかしいし。

作詞:片岡輝、作曲:越部信義、歌:山田美也子、アニメーション:毛利厚。
作詞者は「未来少年コナン」の主題歌や「グリーングリーン」も手がけた詩人、作曲者は「おかあさんといっしょ」や「サザエさん」のBGMでおなじみ。越部作品としては断トツに暗い曲だろう。
歌い出し部分に、「キハーダ」もしくは「ヴィブラスラップ(ビブラスラップ)」という打楽器による「カーッ」の音が入るのが、ちょっとおもしろい。「与作(1978年)」の「ヘイヘイホー」の合いの手や、ハンバーグ師匠が持っているが、当時はまだどちらもなかった。当時の越部先生なりのお考えがあったのだろうけど、今となってはなんか場違い。
あと、アニメーションも、色と動きが少なくてなんだか怖い。

みんなのうたでの初回放送は1975年10・11月。
みんなのうた向けの書き下ろし作品なのか、先に発表済みの作品を起用したのか(今は書き下ろしが原則だが、当時のみんなのうたで両パターンあったようだ)は不明。Wikipediaによれば、1979年には教育芸術社の小学校6年生の音楽の教科書に掲載されていたとのこと。みんなのうた放送により、広く知られるようになったのかもしれない。

歌詞の内容は、昔、ギリシャのイカロス(イーカロス、イカルス)が、鳥の羽根をロウで固めた翼を着けて空を飛んだ。すると、太陽の熱でロウが溶けて翼が壊れ、イカロスは墜ちて命を失った。だけど、僕らはそんなイカロスの鉄の勇気を受け継いで、強く生きていく。というもの。

歌詞だけでは、イカロスがどういう理由で空を飛ぼうとしたのかが分からない。鳥人間コンテストのように、純粋に飛びたくて飛んだのだと思っていた。それを「鉄の勇気」と褒め称えるべきか…
出典となったギリシャ神話を紐解く(Wikipediaですが)と、少し状況が変わる。
イカロスは、父・ダイダロスとともに、迷宮(塔)に幽閉されていたのだった。自由を求めて飛び立ち、落命してしまったのなら、「勇気」とも言えなくはないか…
いや、そうでもなかった。
翼は父と共同で作ったもので、事前に父から「ロウが溶けるから太陽に近づくな」と注意を受けていたのに、飛び立った後、いわゆる“調子こいて”太陽へ向かっていったのだった(父のほうは翼で脱出に成功したらしい)。
ということは、制限速度をオーバーして自動車事故を起こしたり、閉山中の富士山のゲートをくぐって登山して救助を求めたりする人たちみたいなもんじゃないか。それを「勇気」とし、それを受け継いで生きたくない。

慣用句的な「イカロスの翼」としては、人間が生み出した技術への過信を戒める意味合い。
でも、上記を知れば、技術とか過信以前に、人から言われた重要なことを守れない、バカでしかない。


僕がみんなのうたで初めて本作を見たのは、1980年代半ば頃の再放送。しかしそれ以前に、歌は知っていて、すでに嫌いになっていた。
秋田市立学校(当時は+河辺郡2町立)の音楽の教科書は、教育芸術社を採択していて(現在も)、上記の通り当時はこの曲が6年生用に載っていた。
毎年秋には、学年ごとに学習の成果を発表する学校行事がある。母校の場合、1984年度までは「学芸発表会(学芸会)」、1985年度から「学習発表会」の名称。
その6年生の出し物では、最後に「勇気一つを友にして」を合唱するのが恒例になっていて、毎年聞かされていたから。みんなのうた版を初めて見た時は、アレンジとアニメでさらに嫌いになった。

毎年聞かされて嫌になった上、自分が6年生になったら歌わされるのだとさらに嫌になっていた。
しかし、我々が6年になった時は歌わなかった。
学年主任でもあった学級担任の先生が、これまでのマンネリを打ち破り、新しい歌を歌うことにしたような話をされたのを覚えている。比較的若い先生が多かった学年で、音楽専攻の先生がいたこともあっただろう。
代わりに教育芸術社の中学校の教科書掲載の「明日という大空(作詞:平野祐香里、作曲:橋本祥路=秋田県出身、教育芸術社役員)」を歌った。平常の授業も含めて、「勇気一つを友にして」はほぼ歌わなかったのではないだろうか。※関連して音楽の教科書の話題


教育芸術社ホームページによれば、現行の教科書には「勇気一つを友にして」はどの学年でも掲載されていない。その他ネットを見ると、2000年代半ばくらいではまだ掲載されていたような感じ。
また、現在の6年生の教科書には、「明日という大空」が中学校から移動していた。昭和末の我が母校の先生たちは、先見性があったようだ。
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メゲメゲルンバ

2023-10-08 20:12:59 | 昔のこと
NHK「みんなのうた」の2023年10月・11月の再放送曲。※昨年時点では、NHKプラスでの見逃し配信はされていなかったはずだが、現在はされるようになった。
「メゲメゲルンバ(メゲメゲ・ルンバ)」がついに放送。

初回放送は1981年10・11月。
Wikipediaでは、今回のテレビでの再放送は、1982年以来35年ぶりとか書いてあるけれど、違うと思う。1980年代後半にも再放送されているはず。僕は初回放送とその翌年の記憶はなく、1980年代後半の再放送枠でこの歌を知って、好きになったから。
また、ステレオ音声に聞き覚えもあったので、21世紀に入ってからも、1回限りなどで放送されているかもしれない。※みんなのうたは1981年度新作からステレオ音声。

作詞:藤田詩織、作曲:古田喜昭、編曲:松井忠重、歌:詩織、アニメーション:倉橋達治。
作詞者が歌っているのかな。
作曲者は、1980年代に、みんなのうたのほか、アイドルやアニメの歌を多く作っている。作詞もしたり、テレビ朝日「パーマン」のエンディング「パーマンはそこにいる」は歌唱も。

歌詞も、曲も、歌い方も、アニメーションも、どれも楽しい。
テンポよく、ちょっとスリリングな展開でもあり、いちおうハッピーエンド。子どもの(大人でも?)歌はこうでなくちゃ。ただ、後述のように、今、歌詞をかみしめてみると、考えさせられるものもなくはない。
再放送の少なさのせいか、明るすぎる曲調のせい(トラウマ曲として記憶に残る人などいまい)か、当時子どもだった世代でも知らない・覚えていない人が多いと思われるが、みんなのうたの名曲の1つとしていい。
なお、ヒット曲「コーヒールンバ」にどことなく通じる点もあるけれど、約20年の時差があり、曲調などはだいぶ違うと思う。

久々に見たアニメーションは、全体にくっきりしていて、色鮮やかに感じた。
この年代の再放送曲では、基本的に保存映像をそのまま放送しているのか、フイルムの質感やノイズがあるのに、本作はそれが少ないように見えた。デジタルリマスターしたのか?【8日追記・でもノイズも残っていて、一般的なデジタルリマスター後の映像ともまた違う感じがする。】

名曲メゲメゲルンバには、“汚点”があった。
歌詞の字幕に間違いが3か所もあったのだ。
みんなのうたに限らず、昔のテレビの字幕は現在ほど容易に訂正はできなかったはずで、手書きで修正される場合もあった。本作は間違いに気付けなかったのか、気付いたけれど、もう手直しできない状態だったのか。1980年代の再放送では未修正で、うち1つは、子どもの頃に気付いていた。

今回の再放送。
「事件を次々解決してたよ」は、
「次々 解決」

「シェイアップした」は、
「シェイプアップした」

「昔ばなしする」は、
「昔ばなしする」
すべて修正されていた。

1983年の「オナカの大きな王子さま(岸部シロー版)」では、「(空飛ぶ)じゅうたん」が「じゅたん」と誤植されていたが、2000年代以降の再放送では修正されていた。
そちらは、元の字幕にボカシのようなものをかけ、異なるフォント(名称不明)で「じゅうたん」を上書きしていた。背景のアニメが白っぽいので目立たなかった。

ところが本作では、修正後も、オリジナルのモリサワ「テレビ太ゴシック体BT1」のまま。BT1はデジタルフォント化はされていない。
「シェイプアップ~」のフレーズは、字幕全体が若干傾いている(昔はたまにあった)のだが、傾いたまま修正されている。
ボカシなどなく、背景のアニメは色も動きもあるのに、ボカシ、にじみ、ゆがみのような不自然さはない。間違いがなかったかのよう。

リマスターついでに【8日追記・リマスターではなく、誤字部分に限定した】誤植修正を行って、これが現在のデジタル画像処理技術の威力ということなのだろうか。
「次々 解決」は、他の箇所には見られない、全角1文字分の空白ができているので、「に」を消したのか?
「プ」は、後の「プ」から切り貼りしたのか?
「昔ばなし」は、「を」を消して、右へ移動したのか?(文字の大きさや線の太さが若干違う気もする)

初回放送の雰囲気そのままに、汚点がなくなって良かった。


ところで、「メゲメゲ」って?
曲中では、歌詞には出てこず、「メゲメゲメゲルンバ」の合いの手が入るのみ。
主人公は、2度、ピンチに陥り、どちらもいちおう立ち直る。メゲないということだろうか。

主人公は、誰にも乗れない空飛ぶじゅうたんを乗りこなすスーパーヒーローだったのが、空飛ぶじゅうたんが一般に普及したことで「ただの人」になり、それを受け入れる。
空飛ぶじゅうたんを、ワープロ、パソコン、インターネットに置き換えて、我々世代に当てはめてみれば、なんだか身につまされるものがある。【11月2日追記・新美南吉「おぢいさんのランプ」とちょっと通ずる点がある。】

今回気付いたが、アニメーションでは、一般人が乗る空飛ぶじゅうたんには、自動車と同じハンドルが付いてるのに対し、(元)スーパーヒーローとおまわりさんが乗る空飛ぶじゅうたんには、それがない。
したがって、スーパーヒーローは、標準以上の空飛ぶじゅうたん操縦能力を持っていると考えられる。それを活かす道もあるかもしれないが、「ただの人」を選んだというのも…


ところで、今回の再放送でセットになる曲は「勇気一つを友にして」(勇気一つを→メゲメゲの順)。1975年10・11月初回放送。
メゲメゲルンバとは、初回放送月が一致するのと、歌い出しが「昔ギリシャの」「昔ペルシャに」であることくらい【9日追記・それに「主人公が空を飛ぶ」こと】が共通点。こちらは嫌いな曲である。続く
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2023年 秋田の猛暑

2023-10-04 20:45:04 | 秋田の季節・風景
2023年の秋田市の夏は、大雨被害とともに、暑さが激しかった。観測データからも明らかだが、誰が何と言おうと、暑い夏、暑すぎる夏であった。

猛暑日が続く中では、部屋に布団を置いただけなのに、布団乾燥機をかけたかのようにふかふかになったのに驚いた。お盆の墓参りは、ご先祖様に容赦してもらった。
熱帯夜かどうかギリギリの日が続くのは、近年珍しくないが、今年は真の熱帯夜が続いた。寝苦しいというより、エアコンなしでは寝ているだけで汗だくというのも、これまであまりなかった経験。
セミ(秋田市街地では主にアブラゼミ)の声がほとんど聞かれない夏でもあった。暑すぎて羽化できなかったのでは【5日追記・雨が少なく土が硬いことも理由になっていたはず】と、魁に専門家の見立てが出ていた。【5日追記・コメントいただいた通り、蚊も少なかった。】秋の虫の声は、平年並みか。
真夏日は9月になっても続いたが、18日が最後。21日以降は最低気温は20℃を下回り、やっと秋らしくなった。先日までの暑い日々がウソのようだけど、秋バテなのか体調がいまいち。

おととし2021年に、夏の暑さをグラフにしていた。2021年は猛暑だったと、当時は思っていた。8月上旬の暑さが厳しく、9月には涼しくなっていたようで、今年を思えばどうってことないと、今は思うけれど。
間の2022年も含めて、6月から9月までの、秋田地方気象台観測の最低気温(オレンジ色折れ線)、最高気温(青色折れ線)、日照時間(棒)をグラフにした。
2023年

夏日96、真夏日54、猛暑日13、熱帯夜27 ※夏日には真夏日と猛暑日、真夏日には猛暑日をそれぞれ含む。ここでの熱帯夜とは、日最低気温が25.0℃以上の日の数。

2022年

夏日94、真夏日31、猛暑日0、熱帯夜2

2021年

夏日97、真夏日34、猛暑日3、熱帯夜7

数字が小さくて申し訳ないですが、グラフの目盛りは3年とも同じ。気温は、2023年が過去より1目盛り・5℃分、上にスライドした状態。2023年は日照時間が連日多いのも目立つ。30℃以上の日は、過去2年より1.5倍以上、熱帯夜の多さも異常。

15年ほど前、夏~初秋に西日本方面へ何度か旅行した。高松や熊本で35℃越えを経験して参ったが、夏は旅行シーズンだととらえていた。
それが今は、夏の旅行はするべきではないと考えるようになった。自分が歳取ったせいもあるけれど、どこに行っても連日猛暑では、体が持たないよ。
コメント (3)
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さくら 表札に学校名?

2023-10-03 19:32:07 | 昔のこと
2002年度前半のNHK連続テレビ小説「さくら」
主人公・さくらが、岐阜県飛騨高山の中学校に英語指導助手として赴任する。それに関していろいろと。【2024年2月19日補足・物語の設定年代は2002年1月から2003年3月だそうで、放送期間をまたいで少し前~半年後となる。】

まず、「英語指導助手」。
現在は、ALT・外国語指導助手と呼ぶのが一般的なようだが、昔はAET・英語指導助手と言っていた。いつの間にか変わったという感じ。
Wikipediaには、外国語青年招致事業(JETプログラム)において、ALTの呼称を用いているからとある。しかし、JETプログラムは1987年に始まったそうだが、それ以降もしばらくはAETの呼称が主流だったのだから、ズレがある。EからLにかわったきっかけは、ほかにあるのではないか。
そもそも作中では、学校独自の求人で採用されたので、JETプログラムではないと思われ、だったらどうでもいいのかも。


外国人を指して「外人(がいじん)」と呼ぶことがある。
現在では、差別用語に近い扱いになっていて、テレビ番組で一般人が「外人」と発言しても、字幕では「外国人」に置き換えられる場合がある。
昔は、外国人ではなく外人と呼ぶのが当たり前だった。横浜や函館などの「外国人墓地」も、かつては「外人墓地」だった。「外人」を、差別的な意味合いで用いることはなくはなかったと思われるが、その意図がないことも多かったはずで、「外人さん」など親しみをこめた呼びかたでもあった。
2002年当時では、外国人のほうが主流になっていた頃か。作中のセリフでもそうだが、たまに「外人」も出てくる。文字放送字幕でもそのまま表示。


そのほか、職場のお茶くみや飲み会でのお酌、上司より先に帰宅してはならないなど、2020年代ではなくなったとまではいかないが、前時代的な慣習ととらえられているものが、描写される。ただ、当時でも、好ましくはないものとされていたから、ドラマに採用されたわけで、20年経っても、完全にはなくなっていないということでもある。


舞台となる学校は、高山市内にある「高山あけぼの中学校」。私立男子校。実際には、飛騨地方には私立中学校は存在しないとのこと。
作中で、あけぼの中の教員たちの「うちは受験校(または進学校)」というセリフがよく出てくる。高校進学率がほぼ100%になって久しく、中学校はどこでも受験校なんじゃないのかと思うが、要はより上位の高校合格を目指す中学校ということだろう。【19日追記・第30回には、教員による「我が校は 県下でも名だたる優秀校です。」のセリフあり。】
【20日追記】高山あけぼの中学校の校舎は、高台にある比較的新しい建物。岐阜県立高山高等学校(2005年から飛騨高山高等学校岡本校舎)でロケしたとのこと。

東京に、同経営の中学校と高校(校名が分かるシーンがあったが名前は忘れた。男女共学だったかも)があり、理事長はそちらにいる。
【4日追記・高山の校門には「学校法人 高山あけぼの中学校」と表示されていた(普通は法人名に「中学校」まで入れないと思うが)。でも、それだと同経営ではなく、東京とは別法人扱いの可能性を感じさせる。その場合、理事長は、東京と高山の両法人を兼務していることになろう。こちらも男子校らしい。】
【11月29日追記・45、47回の東京の校門には「学校法人 東京あけぼの中学校(改行)    東京あけぼの高等学校」の表示。高山とは法人が異なり、東京は長ったらしい法人名ということになる。】
【11月30日追記・48回での曙大作理事長の話によれば、自身は高山出身で、出征し復員後、東京で財をなし、それを元手に東京で学校創設。そして「15年前 高山に分校を作りました」】
家庭訪問(後述)のシーンで「(高校進学時に)東京の本校に移るには 偏差値が65以上なんでしょ」のセリフがあったことから、内部進学のような制度が存在するようだ。偏差値65は保護者から教員への問いかけであって、それに対して否定も肯定もしていないものの、偏差値65以上は上位7%以内に相当し、かなり狭き門。上記の通り高山側も進学校だそうだし、系列校ならばもう少し緩くても良さそうだけど。

さらに野暮なツッコミだけど、寮母が勤務(住み込みでなく通い)し食事も出る教職員寮【3日補足・「あけぼの寮」】がありながら、その入居者は1人しかいないのは非効率。だったら、後述の通り通学範囲が広いのだから生徒寮を作ったほうがいいのでは。
こういうことは私立学校ならば経営者の方針次第でなんとでもなるから、なくはないとも言えないでしょうけれど。
【11月22日追記】高山校では、夏休み中に希望者を東京校へ連れて行って、「夏期講習」もしくは「補習」を行っている。
第44回では、東京での宿泊先のシーンがあった。3階にだけ明かりが灯った、4階建ての校舎のような建物。門の表示は「東京あけぼの 中学校 高等学校 あけぼの寮」、字幕は「東京あけぼの寮」。内部は畳敷きの大広間、修学旅行の旅館のような部屋。

【2024年2月19日追記】142回で教室の掲示物が映るシーンがあり、「給食委員」や「給食」「配膳」当番の存在が判明。学校給食が行われていることになる。また、時間割表には土曜日3時限分の教科(英語、国語、数学)が記されている。公立学校では、本作が放送された2002年度から完全週5日制になっているが、私学かつ進学校だけに未実施だったようだ。


そろそろ本題。
高山あけぼの中学校には「家庭訪問」がある。学級担任の教員が、児童生徒の自宅へ来るヤツ。
時代や地域・学校によっても違いはあるはずだが、ここは私立学校。学区が限られた公立学校とは違って、広範囲から生徒が通うわけで、家庭訪問も広範囲。「いかに効率的に回るかが大事」といったセリフも出てくる。
これも経営者の方針次第だろうけれど、実際の私立学校では、家庭訪問はないのが一般的ではないだろうか。
ちなみに、平成初めの秋田市立中学校では家庭訪問に相当する行事は、「学区巡視」という名称だった。同様の呼称の学校は、現在でも全国的にちらほら存在するようだ。
生徒の通学路や家庭周辺の環境を確認する目的であって、保護者が仕事を休んでまで応対しなくていいとされていた。保護者が在宅なら、玄関先であいさつする程度。

さくらは、列車に乗って古川町(現・飛騨市)の生徒宅まで行くことになる(第16回)。駅名は飛騨古川。僕は15年ほど前、途中下車でちょっとだけ訪れたが、風情ある町だった。【5日補足・さくらはAETながら学級の副担任を任されている。効率を重視する担任によって、家庭訪問を2人で分担することになり、単身で訪問させられる。】
道に迷ったさくらは、たどり着いた和ろうそく屋の作業とたたずまいに見とれてしまう(第17回)。そこへ、家庭訪問するべき生徒がやって来て、店の若女将と家庭訪問がどうこうと話し始める。
「…ってことは ここ もしかして…」
「俺んち」と言いながら、生徒は玄関の上、鴨居を指差す。この次の画面に謎のアイテムが一瞬映る。

表札?
なお、住所は「古川町五之町」とされているが、実際の当地には三之町までしかないようだ。また、郵便番号の一部が「09-4341」と判読でき、実際の周辺の番号と合わせると「509-4341」だと思われるが、実在しない番号。

画面中央左の白いのが、世帯全員の名を記した表札。ここが彼の家である、何よりの証になる。
おかしいのは、その右。
上の画面を拡大
釘にぶら下がった、2枚の木札。
姉とともに、通学する高校/中学校名と氏名が記されている。札のサイズも、筆跡も同じ。
これは何だ?

見た目が似たものとして、出退表示(で通じるかな)を思い出した。片面に黒、裏面に赤で名前を書いて、その人の在不在を示すもの。道場とか、あとは一部の企業とか下宿屋(食事したかどうか)などにはあるような。国会や地方議員が登院しているかの表示は、今は電気・電子式だけど、昔は木札だったのだろうか【4日補足・今は企業団体でも電子式が多数派か】。
それが一般家庭にあるのはまだいいとしても、学校名まで示すのはおかしい。


ネットで調べると、岡山県の情報が見つかった。多くはないがChakuwiki「岡山の学業」など。実物の写真がないのが惜しいが、読む限りでは作中の木札と矛盾はほぼない。それによれば、
・別名「カマボコ板」。かまぼこ板より少し大きいとの声も。
・高校入学時に、記名済みの板を学校がくれる。
・最近はもらっても玄関には付けない人が多い。一方、卒業後も撤去しない人も。

・岡山市内(? 県内どこでもではない)の一部県立高校などで行われる。2008年時点でまだ配っていた学校もあるが、すでに配らなくなった学校も多い。

・建前上は、成績表郵送時に必要との理由。
・ホンネでは、ステータスが高い高校に通う子がいることを示すため。

岡山県の一部で見られる(見られた)、風習ということになろう。
岡山に限らず、昔は地方では高等学校が最高学府同然だったことはあるだろうから、ひょっとしたら他地域でもかつては存在した風習なのかもしれない。そして、岐阜県、あるいは飛騨でも実は残っていたのか。【3日補足・岡山と比べて、作中のものはサイズが小さく、各家庭で記名したという相違があることになろう。】
シーンとしては、通常の表札だけでも通用するのに、全国的に認知されていないものをあえて採用したのだから、まるっきり無縁というわけではない気がする。実際はどうなのか、知りたい。
コメント (4)
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「さくら」も見てしまう

2023-10-01 22:26:57 | 昔のこと
NHK総合テレビで平日午後に再放送している、昔の連続テレビ小説。「ひらり」は、勢いで最終回(2023年9月1日)まで見てしまった。
9月4日からは「さくら」が始まった。ひらりのおよそ10年後、2002年度前半の作品。当時ちらちらと若干、見ていて、音楽や登場人物に多少おぼえがあったが、思い入れはなく、再放送を見るつもりはなかった。のだが、どんなもんかと少し見てしまったのがいけなかった。また、見続けてしまっている(というかひらりより朝ドラらしくていいかも)。以下、敬称略。
【1日補足・今考えてみれば、主人公は僕と同世代であり、時代設定が2002年当時のリアルタイムなので、親近感を抱いたり、感情移入したりしやすいドラマと言えるかもしれない。】

「さくら」は、ハイビジョン制作となった初の連続テレビ小説作品だそうで、音声もステレオ(どの作品が最初かは不明【1日補足・アナログ放送では、副音声とステレオは両立できなかった。ということは、初のハイビジョン制作となった本作が、初のステレオ作品かもしれない(憶測です)】)。オープニング映像は、実写と絵をCGで重ねたようなもの。そんなわけで、一見、今のドラマと違いは少なく、21年前とは思えないかもしれない。
一方、オープニングの表示はナールなど写研製の文字(下記の通り例外あり)で、これは時代を感じさせる。

いちばん最初に出る「連続テレビ小説」が、ポップ書体系。なんか場違いな気がするし、POP体にしては下手にも見える。縦に文字を並べても一直線に見えないし、「ビ」の濁点が小さすぎる。用途によっては、かわいらしい感じで悪くないかもしれないが。
ニィス製「JTCじゃんけんU」というデジタルフォント。
ニィスフォントシリーズは、2000年代によく使われていたようで、当時はテレビの字幕で多用され、秋田中央交通のバス停表示板でも見られた。「さくら」では、他は写研書体なのに、ここだけあえて使っているのだから、こだわって選んだのだろうが、意図はよく分からない。

連続テレビ小説では、1996年度前期「ひまわり」以降、週(または2週)をセットにしてサブタイトルを付けるようになった。「さくら」では1週単位でことわざが付けられている。その表示。

「クレヨンしんちゃん」のタイトル(=アニメの各話ごとのサブタイトルではなく、作品名そのもの)でも使われる、写研の「ゴカール」。ゴカールは、当初は漢字がないかな文字のみの書体だったが、1997年に漢字も登場。
(再掲)
その他、出演者・スタッフの表示はすべてナール。
ストーリー上、英語のセリフもあり、和訳の字幕がナールで表示。


副音声解説は、初代・関根信昭に代わって、本作から江原正士。えはらでなく「えばら」さんなのを初めて知った。
副音声では、英語のセリフ部分に重ねて、江原さんが和訳を読み上げる。主人公の「もう! 日本人の考えが分からないわ!」みたいなのをけっこう感情を込めていて、ちょっとおもしろい。2021年後期「カムカムエヴリバディ」では、女性のセリフは別の人が担当していたそうだ。


主人公はハワイで生まれ育った日系人・さくら(高野志穂)。岐阜県飛騨高山の中学校に英語指導助手として赴任して、奮闘する日々を描く。
その他出演者は錚々たる面々。ひらりより豪華であり、タイムリーだったり意外な人選も目立つ。
ユニークなところでは小林亜星、ラモス瑠偉、ケント・デリカット。後でKONISHIKIも出るらしい。
鍵本景子は「ひらり」以来、鈴木砂羽は「あぐり(1997年度前半)」以来の出演か。後で「マー姉ちゃん(1979年前半)」主人公の熊谷真実も出てくる。
TBS「さんまのSUPERからくりTV」で活躍したセイン・カミュ、その回答者であった浅田美代子も。浅田さんは歌は下手と言われたけど、演技は上手。
歌手としては、さくらの母役に太田裕美。当時、お名前は知っていたけれど過去の人だと認識していた。一時活動を休止し、再開間もない頃だったようだ。演技としては、まあ…
そして、さくらとともに授業する英語教諭役の野口五郎。クセのある人物を好演している。カラオケで森昌子の「せんせい」を熱唱するシーンがあって、「なかなか歌も上手いな(あ、歌手か)」と思ってしまうほど、しっかりと俳優をしている。なお、野口五郎は岐阜県出身だが飛騨ではなく、由来となった野口五郎岳は飛騨山脈だが、長野県・富山県に位置する。
中曽根正晴校長は江守徹、竹下徹教頭は笹野高史と納得の配役。この2役が、内閣総理大臣経験者と同姓なのは、何か意図があるのか。
そして、さくらの教え子であり下宿先の子には、えなりかずきの弟・江成正元、その姉に、駆け出しの長澤まさみ。

やっぱり最後まで見てしまうのだろうか。
ところで、作中の家庭訪問のシーンで、意味が分からないアイテムが出てきたので、別記事にて
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