広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

中央弘前駅前激変・教会のバラ

2023-06-29 22:22:18 | 津軽のいろいろ
ベジチェックに続く、2023年6月中旬の雨の弘前の話題。
中心市街地・土手町の1本裏に位置する、弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅。土淵川と並行する線路の行き止まり、雑然とした街並みの中に、古い駅舎が建っていた。
駅前の狭くて坂とカーブがある道路は、拡張されて都市計画道路「山道町樋の口線」が造られ、2022年3月28日に開通していた。※前回は工事中の2021年12月

雨が激しく、全体は見られなかったので、中央弘前駅周辺のみ。
架け替わった境橋(という名前らしい)の上から。左が土手町方向
中央弘前駅前だとは信じがたい光景。
左に少し見えているのがルネスアリー(旧・ルネス街。休館中)、右の平べったいのが駅。中央奥の白いのは弘前パークホテル。
以前は、狭いわりに車の通行が多く、信号機のない横断歩道を渡るのは注意を要した。新しくなって広くなると、通行量と速度が上がって、それが増長されるかと危惧したが、訪問時に限れば、写真の通り、車はさほど通らなかった。ラッシュ時や夜間は分からない。
また、弘前市立病院と統合した、国立病院機構弘前総合医療センター(旧・国立弘前病院)へ向かう、郊外各方面からの路線バスが、朝だけ駅前を通るようになり、「中央弘前駅」バス停が新設された。その場所は、駅と橋をはさんだ対岸側・鍛冶町寄り(上の写真撮影位置の後方)にあった。
※弘前駅前からの路線バスは通らない。従来どおり、土手町循環100円バスで、中土手町または蓬莱橋が最寄り。

横断して駅に近づく。
橋のたもと付近
たしかに駅舎は変わらない。でもその前が激変。見覚えはありながら、初めて見るような眺め。
前はこんなに広々としていなかったのは確実だが、どんなだったっけ?

再掲)工事途中2018年夏

再掲)反対側から2013年秋
そうそう。駅舎の目と鼻の先を、車が行き交っていた。
今は、かつての道路跡が、自転車置き場とロータリー(タクシーや送迎車)となったことになる。新しい道路は、それよりも高い位置に造られて、坂が解消されたようだ。そのため、上の写真のように、駅は少し見下ろす感じで、高低差の斜面には緑のシートが張られた。

当初は、駅舎を建て替えるだとか、もっと大々的な駅前広場を整備するだとかの話も聞いたおぼえがあるが、この程度が、妥当なところだろうか。ただ、中央弘前駅の風情が薄れてしまった(駅舎はかたくななまでに変わっていないのに)のが少々惜しいのと、大鰐線の利用実態や市街地活性化を踏まえると、駅周辺の使いかたに工夫が必要だと思う。

駅を通り越して振り返って、弘前昇天教会から吉野町へ入る小路との交差点から。
左側3軒目が駅
上の写真左側は、旧道路そのままで、ロータリーや駅へのアクセス路に転用されたようだ。
フレーム外左・吉野町方面へは一歩通行出口で進入できないので、ロータリーに入る地点までが対面通行。

再び戻って、
中央弘前駅と弘前昇天教会
教会の正面も、拡張された道路に面しているが、建物・敷地とも拡張前と変化はないようだ。
教会の外周が白い。近づくと、
石垣の上にツルバラ
忘れていたけれど、在住時に偶然通りかかって見たのを思い出した(たぶん)。市内だと文化幼稚園のバラが知られるが、ここはそれほどでもないと思うが、見事。
淡いピンクの花弁と香りに包まれる
花は終わりかけだったけれど、思いがけずいい光景に出会えた。
弘前の話題は続く
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手形の風景2003

2023-06-27 23:29:42 | 昔のこと
菊谷小路2004に続く、昔と今の風景の対比。2003年7月25日早朝に撮影した、秋田市内のとある場所。
どこだかお分かりでしょうか?

現在の同じ場所
秋田市手形地区、JR奥羽本線「第一手形谷地町踏切」の東側から東方向の風景。
背後が第一~踏切、道路右側が手形新栄町、左手前側が手形休下町、左奥側が手形住吉町。秋田大学手形キャンパスが左前方。秋田駅西口から来る路線バス・秋田温泉線と仁別線は、先方(東)から来て、この交差点を右折して北へ進む。【30日補足・交差点右・南方向が第二手形谷地町踏切。】

20年の間で、変わったものが多い。
ほとんど写っていないが、交差点の右奥の角は「あべとん」で親しまれた食堂「とんかつあべ」。2022年9月で閉店した(関連記事)。
右手前角は、赤いタキシード(?)とシルクハットで自転車に乗って「月々わずかな費用で自転車をお手元に!」と言う、鼻の大きい男のイラスト看板を角に掲げる、自転車店。いつの間にか、営業はやめてしまったようだ。Googleマップストリートビューによれば、2015年8月時点では営業中らしいが、2017年7月にはやっていない感じ。※近くの別の自転車店の話
以上、右(南)側は、建物はあまり変わっていないが、寂しくなってしまった。
【28日画像追加】現在の交差点南方向。2店とも看板は残っている


そして左(北)側は、外見からがらりと変わってしまっていた。
奥のほう、ピンク色の建物は集合住宅。これは外壁が黒く変わっただけ。

その手前、交差点角。今は高齢者向け住宅やクリニックからなる「三愛会ビル」。2009年10月にオープンしたようだ。
そこの2003年。素っ気ないフェンスで囲まれ、そんなに古くなさそうな民家風の平屋。桜などの木もある。フェンスの感じからすれば、民家ではないだろう。何があったんだっけ?
【30日追記・たぶん判明】所在地は手形住吉町1番9号。それとかすかな記憶で調べると、以前は「秋田中央道路建設事務所」があったことになる。2007年に開通した、地下トンネルを含む秋田中央道路の建設工事を担当していた、秋田県庁の出先機関。工事は2001年から本格化したようなので、撮影時点では、事務所が機能していた可能性が高い。ちなみに、この工事で掘られた千秋公園・大手門の堀に生えていたハスが、バックアップのためここで(水槽か何かの容器で)栽培されていたはず。(以上追記)


2003年の写真では画角から外れてしまっている、左手前角。
現在は、タカヤナギが運営するスーパーマーケット「グランマート手形店」。交差点角は、建物の裏側に当たり、塀が立っている。2003年当時は、開店したかどうかの頃のはず。そして、それ以前は何があったんだっけ?

調べると、グランマート手形店は、2004年7月30日オープン。撮影時は着工前か。
ちなみに、秋田市内のグランマートは、泉店が1997年、短期間で閉店した勝平店(新屋豊町)が2000年5月、外旭川店が2001年に、それぞれ開店しているそうなので、手形店がいちばん新しい。

ではそれ以前。
過去の地形図を見ると、「官公署」の地図記号が付されているようだが、表示位置が微妙でもあり、よく分からない。
過去の航空写真を見ると、今のグランマートの建物の位置に、高さがありそうなビルっぽいものがある。北側の今、駐車場の部分は、低層の大きい建物がありそう。
いろいろ調べたら、ここにあったのは「秋田電気通信部」→「NTT秋田支社」のようだ。
所在地は、グランマートは手形休下町2番1号、秋田電気通信部は2番32号と違うようだが。


電気通信部とか、NTTの支店でなく支社など、その存在からして知らなかった。
電電公社時代は「東北電気通信局」の出先機関のような形で地方電気通信部が置かれていた。各電報電話局を指導管理する機関。
電電公社もお役所だから、今、国の省庁で 運輸局>運輸支局、森林管理局>森林管理署があるようなものなのだろう。

手形休下町には1971年6月28日に新築移転。
1985年の民営化後は、NTT秋田支社となったが、1990年4月で廃止・NTT秋田支店などに機能を移行。その後、いつか分からないが建物がなくなって、グランマートが建ったのだった。

以前触れたように、ここの近所には、1991年まで旧郵政省系の「秋田電波観測所」もあった。


2003年にここを撮影した理由は、信号機。
当時は多かった、横型・電球式の樹脂(ポリカーボネート)製の車両用信号機だが、特徴がある小糸工業(現・コイト電工)製。他社と比べて、点灯するレンズ面の色合いと模様が独特。弘前大学前の信号機(交換済み)は、小さなドットが並ぶレンズ。ここは、
格子が入るレンズ。カメラと光線のため色合いは不正確です

【28日画像追加】
いちばん古いストリートビューの2012年10月時点で、縦型に交換済み。


ひんぱんには通らず、なじみが薄いとはいえ、大きな変化はないと思っていた場所も、20年で、道路の形以外すべてと言っていいほど、変わっていた。
例えば、秋田大学の卒業生が、何十年ぶりにここを訪れたとしたら、懐かしいと感じるだろうか、違う場所になってしまったと感じるだろうか。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベジチェック

2023-06-25 18:04:40 | 津軽のいろいろ
千畳敷の花に続いて、弘前市内。
今回は同行者がいて、雨降りで、思うように回れなかったものの、2021年12月以来の弘前。
日頃から書き足している、“弘前で見てみたい・やってみたいことリスト”の中から、天候に関係なくできる「ベジチェック」を体験した。

「ベジチェック(R)」とは、カゴメ株式会社が開発した【8月28日補足・ドイツ「バイオズーム サービス」社との共同開発】、各人の野菜の(推定)摂取量を測定できる装置。カゴメが、全国各地の企業・団体やイベント向けに貸し出している。
それが、2023年2月28日から、弘前市の「健康とまちのにぎわい創出事業」の一環で、弘前市中心部5か所に一定の長期間設置されたことを報道で知った。
※3月1日アップ陸奥新報サイトによれば、設置箇所は「中三弘前店、ヒロロ3階の健康広場、医カフェ、HLS弘前、市役所内のレストランPomme」(注・時間や休業日等の扱いは不明)。現時点で、市の公式サイトにはほぼ情報がなく、カゴメ・ベジチェック公式サイトの設置場所リストにも未掲載。
【7月29日追記・設置場所について別の情報】7月に弘前市が作成した「弘前中心市街地 ENJOY WALKING MAP」の中では、ヒロロ、中三、市役所とイトーヨーカドー弘前店の4か所に設置されていることになっている。

1日の野菜摂取量の目標が350グラムとされるが、多くの日本人が不足している(2019年の厚生労働省調査の平均値280.5グラム)。僕は野菜好きで、けっこう食べているつもりなので、ベジチェックで実証したかった。


ベジチェックは、てのひらの親指の付け根付近を、センサーに30秒【28日・ネット回線の接続状況に左右されるとのこと】当てて測定する。そんなんで野菜摂取量が分かるのかと思いかけたが、カゴメのサイトに仕組みが説明されていた。
簡単にまとめると、皮膚のカロテノイド量を光センサーで測定し、その値から、野菜摂取量を算出する。

カロテノイド(カロチノイド)は、βカロテンなど緑黄色野菜に多く含まれる色素の総称。水に溶けない脂溶性なので、摂取すると体内に一定期間蓄積する。ミカンを食べ過ぎると肌が黄色くなるというヤツ。
【25日補足・カロテノイドは、ヒトの体内でビタミンAに変換される。レバーなど動物性食品やサプリメントからビタミンAを摂りすぎると、過剰症になるおそれがある。カロテノイドは摂りすぎても、それ自体がビタミンAでなく、体内で必要に応じて変換されるため、害はないとされている。変換されなかったものが皮膚を通して見え、それをベジチェックが測定するわけだが、長期的には排出や変換によって少しずつなくなっていくので、継続的に緑黄色野菜を食べましょうということになるのでしょう。】
色素ごとに特有の色があって、色はその色の光を反射するからその色に見える。植物に含まれる色素量は、分光光度計という計器で、特定の波長の光をどのくらい吸収するかを測定して求めたりする(昔ちょっとやった)。
その理屈で、皮膚の色を調べて、そこに蓄積されたカロテノイド量を測定できるというのは、筋が通っていると思う。てのひらなら、日焼けや人種による影響も少なそうだし。

でも、カロテノイドの量を測ったところで、それから野菜の摂取量を導くことができるのだろうか。
カロテノイドは緑黄色野菜に多く含まれる。一方、目標1日350グラムは、緑黄色野菜でない淡色(たんしょく)野菜も含めた摂取量。カロテノイド量だけでは、総摂取量は分からないのでは。
また、極端な話だが、野菜をまったく食べないが、果物であるミカンを大量に食べるような人は、野菜を大量摂取していると判定されるだろう。

この点について調べると、断片的な情報ながらいくらか分かった。
ベジチェックの測定値と、その人の実際の野菜摂取量を調べて、両者に相関関係があったらしい。そうだと言うのなら、そうなんでしょう。摂取量はあくまで推定値であって、淡色野菜ばかり食べるとか、ミカンを大量に食べるというのは、例外なのだろうし。
また、弘前大学医学部とカゴメが共同研究講座を設置し、弘前市岩木地区で行っている大規模な住民健診のビッグデータも関係しているのかもしれない。

【28日追記】野菜摂取後、カロテノイドが血液を経て皮膚に移行するまで2~4週間かかることをカゴメが研究しており、ベジチェックで分かるのは2~4週間前の野菜摂取状況を反映していることになるらしい。いただいたコメントでは、「2週間前」の状態を示すと説明されたとのこと。ネット上で、ベジチェックを借りた団体のサイトを見ると「1、2週間」や「2~3週間前」としているものもある。カゴメのベジチェックサイトでは、特に記載していない。


5か所のうち、ふらりと行って測定するには、中三(なかさん)かヒロロが良さそう。中三へ。
地下食品売り場の入口に、ぽつんと置かれていた。一見、電子マネーのチャージ機か何かのような見た目。もちろん無人で、弘前市民でないと使えませんなどとも書いていなかった【25日追記・料金は無料】。
右下の黒いのがセンサー
ベジチェック本体は、センサー部と10.1インチAndroidタブレットからなり、短期貸し出しではそれをテーブルに置くだけのようだが、ここは看板代わりの表示や呼び込み用ディスプレイも組み込んだ台のような形式。「ちょっとそこのあなた!」などとしゃべるのでびっくりする。

先客のおばさんが、ずいぶん苦労して測定していたのに続けて実施。
アルコール消毒液でてのひらを消毒してからやることになっている。センサー部には直接アルコールをかけないようにとも。
右手に合わせたてのひらの絵があって、親指付け根に黒いセンサーがあるので、当てかたは分かる。「左手でも測定できます」とあったが、それだと、センサーの出っ張りが干渉して、やりにくいのでは?
手を載せて、タブレットの「測定をはじめる」ボタンをタッチするようだが、呼び込みではしゃべるクセに、測定方法については何も教えてくれず、表示を読まないとならない。
手は、(壊れたり痛くなったりしない範囲で)ある程度力をかけて載せたほうがいいかもしれない。力の入れ加減で測定値が変わったりしそうだし、ほくろ、傷・傷跡、深いシワがあるとどうなるのだろう。

触れ込み通り、約30秒。測定が終わっても、特に音などは出なかったと思う。画面に結果が淡々と表示されるだけ。
結果をプリントアウトできれば便利だが、プリンター機能は提供していない。「野菜をとろう」アプリに記録することはできるそうだが、会員登録も必要だそうで、ここでいきなり言われても。

結果は2項目。
「推定野菜摂取量」として6段階、「野菜摂取レベル」として0~12.0。
前者は、野菜を何グラム摂っていますというグラム数のようだ。
後者は、1~3:少ない、4~6:もう少し、7~9:足りています、10~12:たっぷり で、7~8が1日350gの目安。公式サイトによれば、「野菜摂取レベルの平均値は5.5です(カゴメ調べ/22年1月~22年12月)。 」。

結果画面は…
もうちょっと簡潔な内容で、文字が大きいほうが親切では?
「推定野菜摂取量」は「目標量(350g)以上」だから、最高値ってこと?
「野菜摂取レベル」は「9.3」。
「笑美ちゃん(誰?)からのコメント」は「目標量を超える量の野菜を召し上がっているようです。すばらしい!」とお褒めにあずかった。
日頃の“野菜食い”が裏付けられたととらえていいだろう。ひと安心。【28日補足・ここ2か月ほどは、もらいものの青汁も週に数度ずつ飲んでいたので、その影響(効果)もあるかも。】
でも、目標量以上なのに、9.3とは。あと2.7の余地がある。12.0を目指し、もっと野菜を食べればいいのか。それはどのくらい? あるいは9.3あれば12は目指さなくてもいいの? こういう辺りも、分かりにくい。

おもしろくて、食と健康について意識するきっかけにはなる。また測定したい。
弘前の話題は続く


【8月9日追記】8月、セブン-イレブンの首都圏などの14店舗にベジチェックを設置する実証実験が行われている(7月以前から実施中)ことが発表された。セブン-イレブンアプリと連携し、測定すればnanacoポイントがもらえる。
青森県への設置はなく、イトーヨーカドーにも設置されないので、弘前とは無関係と思われる。

【8月28日コメントいただき追記】「ベジメータ」という競合商品が存在した。指先で測定。
アメリカで2008年に誕生。日本では2019年5月にアルテック株式会社が発売、2022年2月からは株式会社LLCジャパンが販売。
「類似品にご注意ください」として、バイオズームの装置が誇大広告としてアメリカで問題になっているとか、てのひらの接触圧力で測定に影響が出る(この点は上記本文でも指摘していた)とか、ヘモグロビンやメラニンも測定してしまうことによる影響、リコピン量は測定できない等々を挙げ、ベジチェック系装置に疑念を呈している。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田701系 帯と座席の変遷

2023-06-22 23:33:12 | 秋田のいろいろ
701系30年の続き。前回も触れたように、秋田地区の701系は、30年の間に車両内外にさまざまな変化があった。今回は、帯色と座席の柄を中心に。
まずは帯色。Wikipediaでは、その変更理由を「経年や太陽光(紫外線)による色褪せが著しいことから」としている(出典不明)。たしかにそれもありそうだが、鉄道車両の特に前面の帯は、視認性を高めて、存在を気付かせる「警戒色」の意味もある。薄いと目立たないという理由もあるかもしれない。
種村直樹氏だったかと思うが、当初の帯を指して「ずいぶんと目立たない色の帯にしたものだ」という趣旨の感想を記していた。

2000年代前半(の早い時期)に段階的に濃い色に替わっていったが、2003年時点では新旧が混在し、2004年1月でも未交換の編成がいた。
2003年6月 秋田駅。手前2両はN34編成。隣は485系特急かもしか

2003年7月 手形陸橋下。N19編成とN25編成

2004年1月 弘前駅。N27編成とN12編成
↑雪が降りしきる中では、新色のほうが視認性が高いのが分かる。

ここで帯色以外について少々。
現在は、正面の貫通扉のガラス上部に、白文字で編成番号が表記されている。導入当初はなく、正面から編成番号を識別する術はなかった。
前回掲載した、2002年4月の旧色帯の車には、まだない。
上に掲載した2003年以降では、旧帯の車でも編成番号が表示されている。このことから、帯色変更よりも先に、編成番号表記が行われたことになる。

それと、上の2004年の弘前駅で左側・新帯のN27編成、クハ700-27では、車内(向かって左のガラス上部)のワンマン用ミラーが丸い。
基本番台車では、このミラーは横長の平面鏡が原則だが、破損などして交換されたのか、一部でこのような円形の凸面鏡が付いている。なお、追加導入された100番台車は、最初から円形。こういう細かなバリエーションはいろいろある。

現在、LEDの行き先表示の部分が、この時点では「普通」と種別表示の幕になっているのも相違点だが、それはまた改めて。


車内。
ここで詳しくは取り上げないが、吊手(つり革)も当初と変わっている。基本番台は、レール方向のみに設置され、当初は握る部分(手掛け)は丸いものだった。かなり早期(2000年以前?【追記参照】)に、写真の三角形(三上化工材(ミカミ)製「T型手掛け(おむすび型)」?)に交換された。【23日補足・個人的記録によれば、1996年9月(大学の夏休み明け)に初めて三角形に交換された車両に遭遇し、1997年2月頃までに全車で交換が完了したようだ。】
100番台は、枕木方向にも、短いものが少し設置。手掛けは、当初からミカミ製の五角形で変わっていない。両者でベルト(紐)の色も異なり、100番台のほうが茶色っぽい。
【27日補足・100番台より後に製造された、盛岡地区、田沢湖線用、山形線用の701系では、0番台の交換後と同じ、おむすび型が最初から設置されているようだ。】
【23日補足・JR東日本の他の形式同様、近年、優先席のつり革が、オレンジ色の長いものに交換されている。それ以前は他の席と同じつり革だった。】

では、座席の色柄について。
2002年3月 基本番台

2003年8月


座席の布地(シートモケット)が、導入時は、帯色に近い、ピンク色だった。
濃淡のピンクの細かい格子というか、薄いピンクに濃い■が並ぶような。柄としては秋田市営バスや、E3系つばさ、E6系を、色を替えて細かくしたもの。

一見、仙台地区の701系(秋田でも、再移籍した100番台で一時期見られた)や、国鉄211系電車(JR東海静岡地区などで現存)のものに似た雰囲気だが、微妙な色あいや、柄はそれらと異なる。
優先席(※)は、これの色違いのグレーで、座面には今も使われている。701系では、盛岡地区の濃い青紫(岩手県花のキリの色だと聞いたことがある)や、田沢湖線用の緑色の色違いでもある。【27日訂正・ピンク色は濃淡2色が使われていた。対して、優先席や田沢湖線用の緑色は、地色・横線・縦線で違う3色が使われていた。格子の間隔はピンク色と同じと思われるが、厳密には色違いではないことになる。盛岡地区の青紫については不明。】
※JR東日本では、優先席を1997年までは「シルバーシート」と呼んでいた。その名の通りの色だったことになる。当初は背もたれも同じ柄で、後に(上の写真の通り2003年で変更済み)エンジ色の斜め線に替わった。
優先席の位置は、現在はトイレがない車両(クモハ701形、サハ701形)では、連結部のすぐそばだが、当初は、現在のクハ700形と同じ、ドアの間の後ドア側だったはず。


2000年代中頃~後半だろうか、緑系統のモケットに、順次取り替えられた。
ピンク色は色が薄いせいか汚れが目立ち、座面のももが当たる付近は黒くなりがちだったと思う。その対策だと思われるが、なぜ緑色なのかは分からない。

緑色でも、2種類のモケットが存在した。遠目には同じ色合いに見えるが、柄や触り心地は異なる。
2011年7月
先に出たのがこれで、現在は見られなくなった。2009年2月には存在【27日追記・2004年8月時点で、すでに存在していた】。

緑色のほか、黄色と青と黒の糸も使って、規則的に織られている。触った感じは平滑でなく凹凸があって、優先席の背もたれのものに似た感じだったか。
全車両に波及せずに、次の柄にシフトしていったかもしれない。

後に現れたほう。少なくとも2013年2月には存在し、現在は全車両がこれになったはず。

再び平滑な布になり、色合いが複数ある三角形を並べた、ウロコ模様。ちょっと珍しい感じがするが、他の地域や形式では使われているだろうか。

さらにこまごまと、またいつか。→続きは行き先表示について
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

701系30年

2023-06-20 23:11:54 | 秋田のいろいろ
ちょうど30年前、1993年6月21日(月曜日。1993年も2023年も夏至の日)。JR東日本701系電車が営業運転を開始した。
製造番号「1」のトップナンバー車が秋田に配置されているように、701系の導入は秋田地区(奥羽本線・羽越本線など。1999年までは山形新幹線が山形駅止まりだったので、山形~新庄でも運用された)が最初。その後、盛岡地区や仙台地区にも導入。
2002年4月 大館駅。N1~N13編成のどれかのクハ700形
↑デビュー時は、帯色が現在よりも淡いピンク色というかパープルだった。E3系こまちの影響か、ピンク色が秋田地区のイメージカラーのようにされることもあるが、701系のほうが先。帯色は2000年代前半に、現在の濃いピンクに改められた。また、座席も当初はピンク色だった。【末尾リンクの続き記事参照】

現在の新車置き換えの多くと同様、701系は段階的に落成し、順次営業投入する方式で進められた。1993年6月時点では、普通列車の一部ダイヤのみを701系に置き換え、それも従前の客車列車用のままの、遅いダイヤで運用された。
その後、後に「基本番台」「ゼロ番台」と呼ばれる3両編成13本(N1~N13編成)、2両編成25本(N14~N38)、計89両がそろい、1993年12月1日のダイヤ改正から、701系が本格的に運用された。
さらに、翌1994年度後半に「100番台」として3両編成1本(N101)、2両編成5本(N102~N106)、計13両が追加投入された。
以降、多少の出入りや近年は廃車も経て、現在に至る。
この記事の通り、現在は2両編成30本(60両)、3両編成11本(33両)、計93両の701系電車が、秋田地区を走っている。※別に田沢湖線用もありますが、割愛。


701系導入以前の秋田地区、盛岡地区(両地区には青森県も含む)の普通列車は、機関車にひかれて走る、4人掛けボックスシート主体の客車列車が主流であった。
701系はオールロングシートで、客車時代よりも少ない(短い)編成で走ることになったため、利用客の「座れない」との声が、地元紙投書欄などで上がった。秋田地区で1994年に13両追加されたのは、いちおうそれに応えたということなのかもしれない。

また、鉄道に詳しい人たちには、全体に安っぽい造りの車両であることが批判された。
「重量半分・価格半分・寿命半分」がコンセプトで、同じ思想で設計された、209系電車(京浜東北線など)などとともに「プレハブ電車」とか、レンズ付きフィルム(=使い捨てカメラ)「写ルンです」に掛けて「走ルンです」と揶揄されることもあった。※インターネットが一般化するのは1990年代後半だから、この蔑称は、701系導入から少し経ってから広まったということなのだろうか?

ここで擁護しておくと。
オールロングシートについては、当時の高校生などの一部乗客が、車内にごみを放置したり、混雑時に車内に詰めずにデッキに滞留したりすることへの対策が、1つの理由であったようだ。
「寿命半分」については、減価償却期間を終えた後は、必要に応じて廃車しても損にならない、ということ。必要に応じて手入れをすれば、寿命は伸びるということで、実際そうなっている。
重量や価格については、省エネやランニングコストも考慮してのことであり、今で言う持続可能性につながるものがありそう。

そして評価するべきは、電車化によるスピードアップと、冷房による居住性の向上。民営化されず国鉄のままだったら、遅くて冷房がない50系客車が、今も走り続けていたかもしれない。

ただ、それでも、オールロングシート車を、特急列車が走らない区間で県を越えて100キロ以上も運行するというのは、サービス業としてどうなのだろうか。
個人的にはロングシートは許せても、やたらと揺れるし、走行中うるさいし、日除けのカーテンはないし…といった点は、“走ルンです”と言わざるを得ない。設計時になんとかしてほしかった。
そんなわけで、701系の“功罪”は相半ばと考えるし、嫌いではないけれど、好きでもないです。乗客としては、701系を利用するしかないわけであり、(僕自身も多くの皆さんも)30年間ですっかり慣らされてしまったのは否定しない。
2004年1月 弘前駅。クモハ701-30。青森~弘前など都市間輸送には威力を発揮。厳冬にも強い

2023年6月 折渡→羽後亀田間。クモハ701基本番台車内
ロングシートも、空いていればまた楽し。一面に水田が広がる、701系定番の車窓。
導入時は、(ガラスが着色されているとはいえ)窓が大きく、壁や天井がFRP製で、国鉄車両と比べて車内が明るく感じられた。ただし、蛍光灯が長いのと短いのが交互に間隔を空けて設置されているのが、ケチくさい(暗いとは感じないけど)。
現在は壁などは黄ばんだ気がしなくもないし、天井は煤けたように黒く、窓ガラスは曇ったように白いものも。30年乗っていると見過ごしていたが、気が付けば、“くたびれた古い電車”になってしまった。自分と同じかも…

秋田地区の701系は、2010年前後にインバーターなどの機器更新が行われた。新しくした機器も、そろそろ再更新の頃かもしれない。
別に2020年秋から、一部の701系に、高機能な自動列車停止装置である「ATS-P」が搭載されている(関連記事)。ただ、その進捗は遅く感じられ、2年半経った現在でも、P形未搭載の701系のほうが多い気がする。
不採算路線のありかたが検討されたり、電化路線を“非電化化”することも検討されたりしている。そういうことも踏まえると、701系はいつまで走ることになるのか。そろそろ動きが出るのではと考えたりもする。

上記、帯や座席の色以外にも、30年間で701系にはいろいろと変化があった。また改めて。→続きは帯色と座席の色柄について

【21日追記】30周年当日。ツイッターではその旨に触れる一般人はちらほらいたが、「JR東日本 秋田支社公式 「AKITA RAIL TRIP」」アカウントでも「本日、秋田・津軽エリアを運転する「701系電車」は登場から30周年を迎えました。東北を旅する機会に、そして毎日の通勤・通学等でのご利用誠にありがとうございます!」などと投稿。
添えられたのは2両編成のイラストで、帯色、パンタグラフ、種別表示幕など、登場時の仕様。ただ、中ドアがない2ドア車なのは、なんとも…
「これからもご利用ください」など、今後についての言及がないのは、何を意味するのか???(と期待)

【22日追記】余談だが、701系のちょうど10年前、1983年6月21日には、ボーイング767が国内運行を開始している。全日空の羽田→松山、伊丹→松山が初就航路線(日本航空は1985年から)で、2023年6月21日には40年記念イベントが開催された。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千畳敷の花

2023-06-18 23:24:18 | 動物・植物
先週末、少しだけ久々に弘前へ行って、「リゾートしらかみ」で帰ってきました。その話はまた後日として、今回は、青森県深浦町・千畳敷海岸の植物。
リゾートしらかみの一部列車は、千畳敷駅で15分間停車し、海岸を散策できる時間が設けられている。
2011年秋2020年正月(海岸には行かなかったけど)に続き、3度目の体験。
ブナ編成
千畳敷駅ホームの反対側の段丘は、前回来た時は、“氷のカーテン”で覆われていたが、今回は緑で覆われていた。

この日は雨上がりのくもり。
砂は湿っていて、ところどころ水たまりもあった。そこを歩き回って、そのまま車内へ戻るのだから、車内の床の清掃は手間なことでしょう。玄関マットでもあればいいのだけど。

これまでと変わらない風景だと思いつつ、列車へ戻ろうとすると、大きな岩の一部に目が留まった。
中央に緑色!
岩の途中に植物が生えている。しかも緑色でない色も見える。
ズーム
中央の背の高いのはギシギシ。右にピンク色の丸い花、左にそのつぼみ。
ネギの仲間の「アサツキ」だ!
秋田では、若芽を「ヒロッコ」として食べるため栽培もされるが、野生ではこんな所に生えるのか。

別のもっと大きな岩に目を転じると、
上のほう
さらにたくさんの草と花。

下はアサツキがたくさん咲き、上のほうはオレンジ色。
デジタルズーム
オレンジ色のはユリ。スカシユリ(エゾスカシユリ?)ではないだろうか。
緑が濃い時期の千畳敷は初めてだったが、新たな一面を見られた。


リゾートしらかみは、乗り遅れ防止のため、発車3分前に警笛を大きく長く鳴らす。
前回は、列車が遅れて8分停車に短縮されたせいか、放送での事前告知はなく、いきなり鳴ったのでびっくりした客もいた。
今回は、千畳敷到着時前、堺正幸さんの自動放送で、散策時間があることとともに「3分前に汽笛を鳴らしますので」遅れないようにとのフレーズが流れた。車掌の肉声放送では「3分前に3度」と案内があったほか、実際に鳴らす直前には、ホームに降りて、近くにいた乗客たちに「間もなく大きな音が鳴りますので、ご注意ください」と声をかけてくれた。
※いつの間にか、つがる運輸区(旧弘前運輸区ほか)は「弘前統括センター」に、東能代運輸区は「東能代統括センター」に改組・改称されていた(弘前が2023年、東能代が2022年?)。リゾしらの乗務は従来通り、車掌が鰺ケ沢駅、運転士が深浦駅で交代しており、千畳敷駅時点では車掌東能代・運転士弘前の組み合わせのはず。


それと千畳敷海岸には、民宿や土産店・食事処が多少あって、以前のリゾしら停車時には、呼び込みをしてイカ焼きなどを売っていた。2020年正月でも、そのうち1店の人だけは手を振って見送ってくれた。
ところが今回は、呼び込みどころか営業しているかどうかさえ怪しい雰囲気だった。平日だったからかもしれないが。乗客はそこそこいて、営業していれば飲み物くらいは売れたでしょうに(車内での販売体制も変化したので後日)。

弘前の話は続く
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョコパイの色はバスの色?

2023-06-14 20:42:11 | 各地お土産・食べ物
ロッテ「チョコパイ」では、期間限定で違う味の商品が発売される。
2023年5月23日に、「チョコパイプレミアム<贅沢マスカットタルト>」が「夏季限定商品」で発売された。

表面のチョココーティングのほか、中のケーキ、カスタードクリーム、ソースいずれにもマスカットが使われている。「マスカットオブアレキサンドリア果汁3.9%使用(生換算)」。
かつ、単なる「マスカット味のチョコパイ」ではなく、「『マスカットタルト』をイメージしたチョコパイ」のようだ。
箱には「世界的パティシエ」が登場するが、監修などでなく、彼が「認めた味」。

マスカットの味が楽しめて、「マスカット味のチョコパイ」としてはおいしい。でも、タルトといえばあの食感も魅力なのに、それなしで「マスカットタルト」と言われると、物足りない気がする。

そういえば、セブンプレミアムのマスカット100%ジュースは今年は出ないのかな。


ところで、このチョコパイの表面のチョコの色。

マスカットの果皮の色ではなく、それに白を混ぜたような色合い。黄緑色とも違う。
どこかで見たような…
再掲
秋田中央交通の復刻塗装の色?! というか、復刻じゃない、往年の現役当時の色に近いのでは?!
「車のいろは空のいろ」というタクシーを舞台にした児童文学(関連記事)があるけれど、これは「車のいろはチョコパイのいろ」。

ところで、全部で5台出すという復刻塗装車。4台目以降がなかなか出てきませんね。
【8月9日追記・4台目が動き出したとのこと。いすゞエルガ(もしくはレインボー2)の「1606」で秋田営業所。】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駅弁屋の名残

2023-06-12 23:03:36 | 昔のこと
秋田駅前、買物広場バス停の東側から、中央通りの向かい(南)側を見る。
中通四丁目。末廣ラーメンと工事中のビル
工事中のビルは「アジマックス秋田駅前ビル」。
以前は、笑笑、炭火焼鳥 めでた家、魚民のいずれも秋田西口駅前店が入っていたが、いつの間にか閉店。以前は黒かった外壁が黄色くなったので、改装して違う店になるのだろうか。

ところで、ここにあった3店はモンテローザ運営。
一方、「アジマックス」とは、秋田周辺で養老乃瀧(だんまや水産)などを運営するフランチャイジー(本社秋田市)。アジマックスとモンテローザの間に、フランチャイズ等の関係はなさそうだけど、ビルの所有者ではあるのだろうか? それとも別のアジマックス?

本題は、アジマックスビルと末廣ラーメンとの間の、狭い道路。
これでも対面通行
中央通りより南側一帯は、地元の個人経営の店を中心とした、ちょっとした飲み屋街。再開発の手は入っておらず、昔は鉄道通勤者・旅行者・国鉄~JR関係者でにぎわったのだろう。
そんなわけで、ほかにも狭い道路が伸びているが、ここはひときわ狭い。すぐ隣にもう少し広い道路もあるので、あえて選んで通る人も車も少ないはず。僕も今回、初めて歩いたかもしれない。そこで発見。
古い街灯
灯具に少々凝ったカバーが付いた、自立式の街路灯。ケーブルはつながっていなそうで、支柱はサビサビで、機能していないだろう。
反対側から。向かいがフォンテAKITA、右奥が秋田駅西口

灯具とは別に、行灯式だろうか、広告看板が付いている。

達筆な「駅弁の東洋軒」。
南向きは文字の褪せが激しい
東洋軒、聞き覚えがある。かつて秋田駅で構内営業(販売)していた駅弁業者。

現在では、秋田駅の駅弁業者は関根屋のみ。※花善の鶏めしは、構内営業ではなく大館駅からの輸送販売。
少し前は、関根屋のほか、伯養軒秋田支店→泉秋軒(2014年倒産)、日本レストランエンタプライズ(NRE、旧・日本食堂。いつの間にか撤退)と3社体制であったのは記憶しているのだが、さらにそれ以前、東洋軒という駅弁業者もあったという。

ニッポン放送NEWS ONLINE 2023年3月3日「昭和のころ「自由席」が生んだ秋田駅の駅弁需要、その理由は?」では、関根屋の社長が、
「東洋軒は弊社より後に駅弁に参入して、90年代まで作られていましたが、廃業に当たっては、弊社で従業員さんを引き受けました。」と言っている。※関根屋は明治35年創業。
ネット上には、東洋軒の駅弁の掛け紙の画像がいくつかアップされている。いずれも幕の内系(国鉄の区分で普通弁当)のようで、容器や材料が特殊な弁当については見当たらない。昭和末=1980年代前後商品の画像が多いが、戦前のものもあった。【10月27日追記・1979年に「とんかつ弁当」というトンカツの玉子とじ(カツ煮)の弁当を買って食べたという思い出を、ネットで見た。また、当時はホームでの立ち売りは関根屋だけで、東洋軒は改札外で購入したとのこと。】

関根屋社長は「秋田新幹線開業時には日本食堂(後のNRE)が入ってきました。」とも発言。
記憶では、1997年の秋田新幹線開業時点では、東洋軒はもうなかったはず。
したがって、関根屋・東洋軒・伯養軒の3社体制が1990年代前半もしくは中頃まで長く続き、1997年に関根屋・伯養軒・NREとなり、2010年代に関根屋だけになったという変遷になろう。

昭和末の東洋軒の掛け紙には、株式会社東洋軒の所在地が「秋田市中通り4丁目13の2」とある(正しくは中通四丁目)。
それはまさに、アジマックス秋田駅前ビルの所在地。
ちなみに、関根屋本社は現在は駅裏・東通一丁目にあるが、以前は「中通四丁目5-19」、ここより西の秋田銀行秋田駅前支店・今はなき金萬ボウルのブロックにあったようだ。創業地は駅前旅館として、駅の真向かいにあったそうなので、何度か移転していることになる。

「二〇世紀ひみつ基地」2011年9月1日「秋田駅前居酒屋激戦区・定点観察」には、アジマックス秋田駅前ビルを指して、「かつての「スポーツボックス竹半」。さらにさかのぼると、戦前からこの近くで営業していた駅弁の「東洋軒」。」とあった。
同じ建物で、東洋軒→竹半→アジマックスと変遷したのか?

広告付き街灯は、東洋軒の本社の脇というか裏に立っていたことになる。
(他の広告主のものも含めて)同じデザインの街灯がほかにもないか、周辺をざっと見渡してみたが、なさそうだった。
広告主(あるいは設置管理者)である東洋軒がなくなった後、その管轄があいまいになって、放置されてしまっているのが実情だろう。なくなった地元企業の名を残す貴重なアイテムではあるが、老朽化で倒壊などしないか心配でもある(Googleマップストリートビューを見る限りでは、2012年以降で大きな変化はなさそう)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大橋小橋2001

2023-06-10 23:09:33 | 昔のこと
これまで、2001年まで使われていた先代(=初代)の秋田大橋、秋田大橋の北隣にある(あった?)「秋田小橋」、秋田小橋のたもとにあった自転車屋さんが更地になったことを記事にしてきた。
今回は、それらに関連した、2001(平成13)年12月29日15時過ぎ、右岸・茨島側で撮影した写真を紹介。

2代目秋田大橋は2001年11月22日供用開始。
初代の橋は、通行止めされたもののしばらくそのままにされ、2002年度と2003年度にかけて解体された。
(再掲)現在。東側歩道から南(小橋・大橋)方向
大橋が下流側(西・上の写真右)に架け替えられたため、接続する道路もそれに合わせて右へ付け替えられた。その分、東側歩道の外にスペースが生じた。
2001年。上の写真よりは若干、南(先方)で撮影
今、松が植えられている植樹帯は整備されたばかり。そして、自転車屋さんは営業中。

かつての道路脇ギリギリ、というか道路外に当たる位置には、
「秋田小橋」の看板。端が折れている
幹線道路の大きな橋の手前にはよくあるヤツ。道路管理者管轄の案内標識で、信号機に設置される、いわゆる交差点名と同じ「主要地点」ということになるのか。
現在は大橋にしか設置されていないが、以前は小橋にもあった。
(再掲)2代目「秋田大橋」の標識

初代秋田大橋にも「秋田大橋」。これも道路外側に設置
先日取り上げた、長野市の交差点名と同じような、昔は普通だった手書き文字。


大橋と小橋で筆跡がそっくりなので、同時期かつ同じ人の手によるものだろう。

逆光ですが元道路のど真ん中。現役当時は無理なアングル
通行止めのバリケード際から、ぐっとズームすると↓
トラスの重なりが美しい
っていうか、廃止されて通行止めの橋を、買い物袋を下げて歩いて渡っている父さんが!!

この時点では、単に封鎖されたのみだったので、実質的に危険はない。
それに、この日の新しい橋の歩道は、積もった雪が凍結してツルツルになっており、滑りやすかった。古い橋は、ザクザク状態で歩きやすかったはずで、実態としてはむしろ安全ではあったのだが。
この人は、認知症ぎみで…とか、実は一休さんで…(「端」を渡っているけれど)とかではなく、歩きやすさ(+名残惜しさ)から、意図的にそうしていたのだと思う。ちょっとうらやましくも思えたが、決まりを守らないのはよろしくない。

この翌年度は、北側半分だけ撤去された。南側から渡っていくと、雄物川の真ん中に落下することになるわけだが、そこはさすがに、より厳重にバリケードが置かれていたと記憶する。
もう21年半も前の風景でした。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太平川・才八橋工事 '23.6

2023-06-08 21:00:53 | 
秋田市楢山地区の東端、秋田南中学校裏手の太平川に架かる、奥羽本線(秋田新幹線)の橋のすぐ上流で、河川付け替え工事とそれに伴う「才八橋」の架け替え工事が行われている。
2022年8月の後、行かないでしまっていた。今回は2023年4月始め~6月始めにかけて(期間中大きな変化なし)の状況。

才八橋は、上流側から新しい橋・古い橋・仮橋の順。
2022年8月は、新しい橋は橋自体はほぼできていたが両岸に道路が接続していなかった。Googleマップストリートビューを見ると、2022年10月時点でも未接続。
古い橋は、本体は撤去され、岸とつながる橋台周辺の骨組みのような部分だけが残り、それも間もなく撤去されようとしていた。仮橋はその役目を果たしていた。

現在は、
北岸(東通館ノ越)
中央が古い橋のあった位置で、跡形もなくなっている。
そして、左の新しい橋に道路が接続されたばかりか、供用が始まっていた。ニュースにならなかったと思うが、渡り初め式などもなかったのだろうか。銘板は「令和4年3月完成」とあり、道が繋がっていない時期。車道も歩道も、従来以上で充分な幅で、車道には破線のセンターラインが引かれたが、歩道は上流側のみ(旧橋も上流側のみで、わりと広かった)。
右の仮橋は役目を終えて封鎖。

南岸(楢山太田町)
川の流路が、以前の南隣に付け替えられた。前回は大雨の直後でもあり、ぐちゃぐちゃで、ポンプで排水されるなどしてよく分からなかった。
現在は、旧橋跡より上流側では、旧流路だった北側が橋のレベルまで埋め立てられている(それによって新橋と道路が接続された)。土が露出しているものの、見た目はすっかり「北岸」で、ここが川だったとは分からない。

新しい才八橋の上流側。右奥は「明田富士山」
新しい橋のすぐ上流・北側の旧流路跡には、「樋門」というのだろうか水が流入してきそうなゲートが造られた。以前もこの位置にあったがもっと簡素な見た目だった。
土が見えている部分が、旧流路跡


今後撤去されるであろう仮橋。川が蛇行しているため、仮橋の下流側では真横から見ることができる。
仮橋下流。左が北岸
仮橋下流側は、流路付け替えは未着工のようで、旧流路が埋め立てられずに淀んでいるような箇所がある。
古い護岸の残骸のような物が。これより左が旧流路?

両岸から橋への取付道路。
南岸
南岸の道路は、旧橋時代から小さなカーブはあった。
新しい橋では、橋に入ってすぐのポイントで、橋自体が左に少しカーブしている。


突き当りで丁字路となる北岸。
下流側から
上の写真奥(上流側)、旧流路跡を埋めた部分が広く、道路は狭い。
上流側から。白い車の位置が橋
「工事予告」看板が出ていた。
新しい橋の北岸・上流側のこの区間(100メートルもない)が、「取付道路工事のため」2023年6月26日から8月10日まで、「終日全面通行止」とのこと。
この部分を拡張でもするのだろうか。

看板には「お急ぎの場合は迂回して、ご通行願います。」と書いてあるけれど、全面通行止めなのだから、お急ぎでなくたって、迂回必須なのでは?
それに、ここを車で迂回しようにも、迂回路はかなり遠回りになってしまうはず【9日補足・迂回路は例示されていないが、踏切と、すれ違いが大変なさらに狭い住宅地経由が、距離としては最短か】。
【9日追記・通行止めになるのは秋田市道だが、秋田県発注の河川工事の一環として行われるため、秋田市ホームページの工事情報には掲載されないようだ(別のページや広報等では告知されるかもしれない)。秋田県は例によって工事情報公開に消極的だから、ひっそりと通行止めされることになってしまいそう。】

今年度分の河川改修工事全体としては、2023年12月7日までの工期となっているが、例によってまだまだ続きそう。またいつか続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川を渡る葛'23春

2023-06-06 22:30:06 | 動物・植物
以前、秋田市中央地域を流れる旭川の刈穂橋下流にある「川を渡る葛」を紹介した。
電柱を支えるためのワイヤーが川を越えて対岸に刺さっているのだが、それにクズのツルが何重にも巻き付いて、昨年夏にはすだれのようになっていた。そして、秋になると葉が落ち、枯れたツルが巻き付いた状態で早春を迎えていた。その後。
4月中旬。ここの堤防斜面にはスイセンが多い(過去の記事
今年は春が早く、もうソメイヨシノは咲いていた頃だが、川辺の植物はやっと芽吹き始めたかどうかの状態。まだ茶色い部分が目立ち、枯れたクズもそのように見えるけれど…
対岸の枝垂れ桜は散りつつあった
クズの根本(岸)に注目。
枯れたツルの中に緑の葉が!

縞模様のカバーを迂回するように
さっそく新芽が出ていた。
それじゃあ、前年の枯れたツルの上を覆うように、根本から新たなツルが伸びていくのかと思いつつ、それから1か月後、5月中旬。
写真では分かりにくいですが


川中央の上空、ワイヤーの先のほうにも、緑色が点々と見えている。根本から直接伸びているのではない感じ。
拡大


枯れていると思っていた、古いツルからも、新芽が出ているようだ。地上部が枯死したのではなく、木質化して冬越ししていたのか。

それから20日ほど経った現在。
周りの他の草木の繁茂も旺盛


部分的に枯れたツルが見える箇所もまだあるが、ほとんどが緑色になった。

昨シーズン以前も、これが繰り返されてきたのだろう。遠くないうちに、ワイヤーを覆う“太い緑の棒”のようになり、さらに垂れ下がって、再びすだれになるに違いない。

その後、旭川が増水した
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボルガパン

2023-06-04 17:44:34 | ランチパック
スーパーマーケット店内にある、店内で焼いているパン屋=インストアベーカリー。
イオングループの場合、地域や店舗によって、運営会社が異なり、商品も違う。総合スーパー「イオン(旧ジャスコ・サティ)」では、「パン工場」という店名であることがあるが、それでも運営会社は複数あるらしい。
東北地方では、フジパン系列「フジパンストアー株式会社」が幅を利かせているようだ。※商品ラベルの企業名はイオン側の名称のみ記載。【6日補足・フジパンストアー公式サイトで、同社運営店舗が検索できる。】
秋田県内では、イオンとイオンスーパーセンターに、フジパンストアーのパン工場が6店ある。余談だが、青森県では、さくら野の「ホルン」、カブセンター「パリクロアッサン」のように、フジパンストアーが違うブランドのインストアベーカリーも展開していて、なかなか複雑。

さて、他店は知らないが、イオン秋田中央店のパン工場では、毎週火曜日は、通常と商品が異なり、いつもより小さい惣菜パン・菓子パン・ドーナツを1個108円均一で販売する。他のお客に尋ねられて店の人が答えていたが、通常のパンは一切製造しないそうだ。
※昔は包装されていないパンをトングで各自取って専用レジに持っていく方式だったはずだが、新型コロナ対応なのか近年は、火曜日以外も含めて個包装・バーコードラベル付きになって、食品レジでも会計できるようになった。お客さま感謝デー5%引きも対象。
さらに、夕方になると、それらのパン7個(5~6個の場合もあるかも?)を大きい袋に詰めて、540円で売る。組み合わせはランダムで、袋は透明なので見えるものの、悩みどころ。【6日補足・消費期限はモノによってまちまちで、翌日以降のものもあるが、大袋では、便宜上当日限りと表示されている。】【13日補足・ちなみにラベルの商品名は「バラエティパック」だが、食品レジ・レシートでは「関連商品」という商品名で表示。】

それらの商品名は、「たっぷりショコラ」「レーズンボール」「バタフライ」など名前でなんとなく分かるもの、もしくは商品の姿を見れば理解できるものが多い。だけど、先日引き当てた袋の中に、そうでないものがあった。
100円パンの中では大きい
表面に砂糖が塗られていそうで、硬そうに見えてそこまで硬くはないパン。

ラベルは、
「ボルガ」

カット時につぶれてしまったけれど断面
中身は何も入っていない。
見た目通りの味だったけれど、ボルガって何?

調べると、ボルガとはロシアの「ヴォルガ川」のこと。
それがなぜパンの名前になったのか、ネット上に情報は少なく、信ぴょう性は不明だが、流域出身のパン職人が、異国で作って広めたという説はあった。

日本国内では、「ボルガ」や「ボルガパン」を名乗るパンがちらほらあって、2017年頃にはファミリーマートでも売られていたようだ。画像検索すると、だいたい似たような雰囲気のパンではあるが、ボルガであることを満たす条件は分からない。
しかし、同じパンは、別の名で売ることのほうが多い。
「スイートブール」。
またの名を「帽子パン」。
さらに別の名を「UFOパン」。

少数派では、以前取り上げたようにヤマザキの「スイートカスタードパン」、セブンプレミアムの「ブールパン」、そして秋田県湯沢市の菓子店くらたの「ドリーム」という名称で、類似のものがあった。※ヤマザキではスイートブールの名でも発売。
それらのパンは、パンの外周に、甘い“縁”が付いているのが特徴だと思っていた。それが、帽子やUFOの由来だろう。

ところが、パン工場のボルガには、縁がまったくない。それに他のボルガ類と比べると、まん丸ではなく楕円だし、ふにゃっとしている。それでもボルガと認められる(←誰によって?)のかどうかは知らないが、異端のボルガかも。あるいはこれこそ、真のボルガなのか。
縁がなければ、ただのちょっと甘いパンでしかないような気もして、それを食べる楽しみがないような。もっと小さくていいから、縁ありボルガを作ってくれてもいいかもしれません。


【2024年3月27日補足・パン工場の火曜日100円パンの変化】
2024年3月頃から、パンが袋入りからラップ包装(ドーナツなど一部を除く)に変わった。経費節減か。また、3月21日から価格が120円になったとのこと(21日は木曜で、100円パンはないはずだけど)だが、26日のバラエティパックの値段は変わらず。【4月9日追記】バラエティパックは6個入りに減った。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする