広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

チョコバナナボート・焼型饅頭

2014-09-30 23:47:53 | ランチパック
「アベックトースト」と並ぶ、たけや製パンの看板商品であり、秋田ならではの食品の代表が「バナナボート」。
ただし、「バナナボート」は津軽や信州など全国各地に散発的に存在するお菓子(この記事中ほど参照)で、たけやの専売特許・秋田だけのお菓子というわけでもない。

バナナボートは、バナナとホイップクリームを薄いスポンジ生地の皮で包んだ、「バナナのオムレット」的な洋生菓子。
ヤマザキの「まるごとバナナ」のクリームが少ない版のようなもので、ヤマザキ-たけや系列内で競合している形になるが、歴史はバナナボートのほうが長く、秋田県民に浸透しているためか、秋田県内の小売店でまるごとバナナはあまり見かけない。

個人的には、バナナボートはあまり好きでなく、ほとんど食べないのだけど、こんなものを買ってみた。
チョコバナナボート
噂には聞いていた、バナナボートのチョコバージョン。
期間限定で時々売られるとか聞いたこともあるが、少なくとも9月時点では売られている。
包装は、ノーマルのバナナボートに「チョコ」の文字を加えて、印刷の色を変えただけの違い。

今まで気に留めていなかったけど、バナナボートのパッケージのイラストに描かれた植物って、バナナじゃなく、
ヤシの木?
幹と葉のバランスからして、バナナじゃなさそう。※バナナは草本なので、厳密には「バナナの木」ではない。
海に浮かぶ島にヤシの木が生えたような絵。
「バナナ」よりも、「ボート」寄りの発想の絵なんでしょうか。

皮は通常版と同じ、プレーンの生地

中のクリームがチョコ
原材料名欄を見ると、「チョコ」とか「カカオ」とか具体的にチョコをイメージさせるものは出ていない。チョコ風味ってこと?
「チョコバナナ」のように、バナナとチョコの組み合わせは悪くないのだから、もっとチョコの味が強いほうがいいのではないでしょうか。

ところで、これを買った某店のレシート。「バナナボート」ではなく、
「バナナボー“ド”」
バナナの板になってしまっている。
売り場のPOPでも、通常版もチョコも両方とも「(チョコ)バナナボード」となってしまっていた。
その後、POPは通常版は正しくなっていたが、チョコはそのまま。

【11月12日追記】2014年11月には「抹茶」のバナナボートが発売された。
【12月29日追記】2014年12月29日のスーパー「タカヤナギ」の折込チラシによれば、「数量限定 プレミアムショコラバナナボート」なるものが1個138円(税抜き。以下同)で売られた。写真によれば、皮は桜餅(長命寺タイプ)のような巻き方で中身が見え、中のバナナはチョココーティングされているようにも見える。
また、通常版が88円、チョコと抹茶が各98円、3個入りのミニバナナボートが158円、「ジャンボバナナボート」なるものが228円。これで全ラインナップなんだろうか?
【2015年1月1日追記】2015年1月には「ミニいちごボート」という、ミニバナナボートの中身をイチゴ(そのままではなくカットしてある模様)にしたものが発売。【2015年1月21日追記】店頭には、通常サイズのバナナボート「コーヒー」味も出ている。
【2015年2月18日追記】2015年2月には「りんごボート」が発売


ところで、上のレシートで、下段に出ている「焼型饅頭」。これもたけやの製品で、秋彼岸向け。
いわゆる葬式まんじゅう×4
なのですが、
ミニサイズ!(左下は単3電池)
品名表示では「焼型まんじゅう4ケ入」となっていた。
通常の葬式まんじゅうを2口で食べられるくらいに縮小した感じで、かわいらしい。

工藤パンでは、この手のまんじゅうを「春日まんじゅう」と呼んでいた。
たけやの秋彼岸向け製品紹介のホームページでは、「焼型まんじゅう」と「春日まんじゅう」が両方ラインナップされていた。
違いは、形状と上部の焼型。
焼型まんじゅうは、写真のミニ版のように、楕円形で焼型の中に葉っぱ(?)のような模様が入っている。
春日まんじゅうは、正円に近い円柱状で、焼型は模様がなく茶色一色。【2024年3月20日追記・2024年春彼岸時点でのたけやの春日まんじゅうは、茶色の焼型ではあるが、大きめでこんもりとした形。2014年当時とは変わったのかもしれない。】
工藤パンでは、春日まんじゅうなのに模様が入っているから、たけや独自の区分なのだろう。


そういえば、葬式まんじゅうの焼型の白く抜けた部分って不思議。【末尾の追記参照】
まず、模様。工藤パンのもたけやのも、大きなギザギザがあり、葉脈のような細かい凹凸もデザインされている。「菊の葉」のつもりだろうか。
ネットで画像検索してみると、他には、もっとギザギザがはっきりして木のように見えるものや、明らかにモミジとかカエデの葉をデザインしたものが存在した。(菊とモミジがセットになるものもあった)

もう1点は、焼型の付け方。
単純に、葉っぱの部分が白く抜けるような焼き印を押しているのかと思ったが、そうではなさそう。
なぜなら、製品1つ1つで模様の位置や角度に違いがあるし、白く抜ける焼き印を押しただけでは、白い部分に葉脈のような凹凸の模様を入れることはできないから。
工藤パンの春日まんじゅう。白い部分に凹凸がある
どうも、まんじゅうの上に葉っぱの形の型を置き、その上から焼き目を入れているらしい。それなりに手間がかかっているようだ。

たけやのミニ葬式まんじゅうの味だけど、皮もあんこも、大きい(通常の)葬式まんじゅうと違いは感じられなかった。
でも、皮とあんこのバランスは、どうしても違ってしまい、ミニのほうがあんこが少なめ。バランスとしては大きいほうこそ、葬式まんじゅうらしい味わいだと思った。

【2021年8月11日追記】2021年8月11日付 秋田魁新報1面の、たけや製パン創業70周年の広告より。
フルサイズの「焼型饅頭」は税込み129円。「創業当時から販売しております。」「模様はシノブヒバという葉で、故人を「偲ぶ(想いを巡らせる)」という意味があります。」とのこと。
植物学的にはシノブヒバとは、ヒノキと近縁なサワラ(日本固有種だが日本海側には分布しない)という針葉樹の、品種の1つという位置付け。

【2024年3月追記】2024年春彼岸時点での状況。
4個入りは見かけない。多くのスーパーで1個入りは扱っていて、3サイズがあるようだ。いちばん小さいのは「焼型饅頭 ミニ」、4個入りより若干大きいサイズか。1個179kcal。中サイズは「小」で353kcal。「大」は612kcal。
一部スーパーでは春日まんじゅうも販売。300kcal。こしあんがたっぷりで滑らか。焼型まんじゅうとはあんこが違うのか、また別の味わい(好き)。
通年で「白饅頭 小」というのもある(緑色のもあるが名前や味は不明)。小にしては大きめな、直径8センチほどのこんもりした形で、こしあん。357kcal。あんの味はまた違う気がする。
コメント (2)
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秋田いすゞ

2014-09-29 23:55:51 | 秋田のいろいろ
当ブログで何度か取り上げている、秋田魁新報社会面の連載「シリーズ時代を語る」。
秋田県に関係する人物が、ひとり語り形式で自身の半生を振り返るもの。

連載開始当初は興味がないと思っていた人でも、進むうちにおもしろくなることもある。
個人的にはその人自身よりも、その人が関わった組織や事業、さらにその当時の世の中とか、もっと広い範囲での興味なのだけど。(だから、わざわざバックナンバーを探したりはしません)


9月26日まで45回に渡って、蒔苗昭三郎(まきなえ しょうざぶろう)氏が「県体育協会名誉会長」として取り上げられ、例によって途中から興味が湧いた。
今まで、蒔苗氏といえば、秋田経済界を代表する辻グループの関係者で、スポーツ関係の組織や催しに名前が出てくる程度の認識。
連載を読んでもおおむねその通りで、「スポーツのマネージメントと企業経営を両立させた人物」といった流れだった。

※以下、新聞連載からの抜粋・引用と、一部秋田いすゞ自動車ホームページやWikipediaを参考にしました。
・1932(昭和7)年生まれ。現・大館市比内町出身
・5代目・辻兵吉(つじ ひょうきち・2008年没)氏にバスケットボールをやっていたことを買われ、辻グループの企業「秋田いすゞ自動車(以下、秋田いすゞ)」に入社

・呉服店「辻兵(つじひょう)」は、後に秋田ニューシティ(ダイエー秋田店)となる今の大町二丁目にあり、当時の秋田いすゞはその向かいにあった。
→現在のイーホテルの辺りに秋田いすゞがあったのか。(現在はイーホテルに辻兵商事がテナントとして入っている)
今からすればこんな街中に大型車のカーディーラーがあったとは驚くが、当時は郊外はまだ一面田んぼだったろうし、いすゞ自動車は普通乗用車も販売していたから、中心部にあって当たり前だったのだろう。
【30日追記】秋田営林局(現・東北森林管理局。今と同じく中通?)からトラック購入の相談を受け、カタログを持って自転車で出かけたこともあったそうだ。
2024年に秋田いすゞの一部機能が大町二丁目へ移転。いすゞが大町へ“帰ってきた”。

調べてみると、1947年創業の「米代自動車商会」が1949年に秋田いすゞとなり、1950年にいすゞ自動車特約店となっている。
大町にあったのは、工場部門が1958年、本社は1961年まで。その跡に、本金デパート(以前から大町にあり1959年にデパート化。後に移転して現・西武秋田店)や名店街→イーホテルができたのか?
秋田いすゞの移転先は高陽幸町の新国道沿いで、さらに2006年に臨海バイパス沿いに移転している。高陽幸町の跡地は現・いとく新国道モール。

・辻氏の意向で秋田いすゞにバスケットボール部を創設(1955年)することになり、蒔苗氏がその中心的存在となる。
・当時の秋田いすゞ向かい、辻兵(後のニューシティ)があった場所に辻家の邸宅もあったらしく、その庭をつぶしてバスケットコートを作った。
(再掲)秋田いすゞの新車置き場として使われた時のニューシティ跡。ここが「秋田いすゞバスケ発祥の地」と言えそうだ
・1984年、秋田いすゞが全日本総合バスケットボール選手権大会(天皇杯)で優勝
→当時子どもでスポーツに興味がなかった僕も、「秋田いすゞ」がバスケで活躍した記憶はある。能代工業高校と並んで、バスケ王国秋田を築いたチームだった。

・「いすゞ本社が新高輪プリンスホテルで開いてくれた祝賀パーティーは、豪華そのもので、岡部利雄社長ら幹部も勢ぞろいしていました。」
・「秋田いすゞの活躍は結局、この全日本総合バスケでの優勝がピークでした。財政的にチームを抱えるのがきつくなり、2年半後には本拠地を関東に移し、チーム名も間もなく「いすゞ自動車」に変わりました。」
→いすゞ本社と秋田いすゞは、単なる製造元と地方の一販売代理店にとどまらない、深い関係があったようだ。
いすゞ自動車バスケット部は、現在はいすゞとの関係はなくなった(2002年で休部)ものの「横浜ギガスピリッツ」というチームが流れを汲んで存続しているそうだが、連載では言及なし。

僕の記憶では、「新秋田いすゞ」という会社があって、そこでもバスケ部があったような記憶があるが、連載では言及されなかった。
1963年に秋田いすゞの小型車部門を「新秋田いすゞモーター」として分離、2005年に合併し、再度同じ組織になっているようだ。


辻グループの企業には、「秋田ゼロックス」もあるが、これも秋田いすゞや蒔苗氏が関わるものだった。
・「秋田ゼロックスは当初、秋田いすゞ自動車の複写機事業部としてスタート」
・「(当時の秋田いすゞの)辻兵吉社長が富士ゼロックスの小林陽太郎社長と(略)知り合いだったことが縁で、特約店の話が舞い込んだ」「(ゼロックスは)当時、都道府県に根を張る企業とタイアップして販売展開することを方針」としていて、秋田いすゞに白羽の矢が立ったようだ。
・辻氏側は、「トラックは車体の販売そのものより、修理や部品供給で収益を確保してい」るので、「秋田いすゞの業務と複写機事業に似通った点があるとみて」「トラック事業のノウハウを生かせると考え」て、話を受けたらしい。

・「(秋田)いすゞ内に複写機事業部を設けたのが昭和57(1982)年。」「ちょうどトラック市場が冷え込み、秋田いすゞ自体の売り上げが減り、余剰人員も出ていたころ」
・余剰人員の雇用確保と秋田いすゞを身軽にするため、蒔苗氏が辻社長に進言して「同61年、秋田富士オーエーとして別会社化」。「移った従業員は33人」
秋田富士オーエーは、平成2(1990)年秋田ゼロックスに社名変更。現在は従業員140名、年商40億円。
(再掲)2009年の秋田ゼロックスの竿燈の屋台。秋田いすゞも近くにいた
現在も秋田ゼロックスは富士ゼロックスの特約店ではあるが、別に富士ゼロックス本体の秋田営業所も存在しており、競合している形。
設立時の「都道府県に根を張る企業とタイアップして販売展開することを方針」は撤回されたのだろうか。


蒔苗氏はその後、日本バスケットボール協会副会長に就任。
2000年度から「個人登録制度」を導入し、子どもであっても登録料を払わないと試合に出場できないことにしたという。
これにより「協会収入が大幅に増え、運営を安定化できたのです。」「ここでも経営者としての経験が生きた」と言っているが、それは運営する側だけの理論じゃなかろうか。
スポーツをやらない者の勝手な感覚としては、違和感がある。
【11月27日追記】日本にはバスケットボールのトップリーグが2つ存在し、それを統一できない(統一させられない)のは、日本バスケットボール協会の組織運営に問題があると、国際バスケットボール連盟から指摘を受けていた。それが改善されないとして、2014年11月に、日本は国際試合に出場できなくなる制裁を受けてしまった。
こういう時こそ、「経営者としての経験」を活かしてはいかがでしょうか…


・「マレーシアの国家事業で道路を建設するから、10トンダンプを20台売ってほしいと大手ゼネコンから注文が入ったのです。昭和53(1978)年のことでした。」
「私がゼネコンの社長と家族ぐるみで長らく付き合いを続けてきたのが縁でした。いすゞ本社ではなく、秋田いすゞで受注したことが誇らしかったのです。」
→へぇー。秋田いすゞはそんなに力がある企業だったのか。
繰り返しだけど、地方の一販売代理店と思っていたのに、お見逸れしました。

・マレーシアのトラックは、
「販売実績を上げるため、全車を秋田ナンバーで登録。」「(マレーシアでは)秋田ナンバーを付けたダンプがぶんぶん行き交っていました。」
→ここが理解できなかった。
海外なのに「秋田」ナンバー、すなわち日本の運輸省(当時)に登録するというのが分からない。「マレーシア」ナンバーにするんじゃないの?
調べてみると、「国際ナンバー」とか「海外渡航用ナンバー」と言って、自国の車を一時的に他国へ持って行って使い、また自国に持ち帰るための制度らしい。輸出入には該当せず、関税は免除。マレーシアの一件はこれに該当するのだろう。

ただし、ナンバーの登録地名はアルファベット表記。「秋田」は「AKT」だが、1978年当時は「秋」ナンバーだったから「AT」だったようだ。
だから、正確には「ATナンバーを付けたダンプがぶんぶん行き交っていました。」ということだろう。

もう1つ。これはいすゞ自動車とその販売会社との取り決めなのかもしれないが、「販売実績を上げるため、全車を秋田ナンバーで登録。」という部分。
日本国内の国際興業グループのバスのことを考えた。
国際興業グループの各バス会社は、購入する車両は原則としていすゞ製のみ。
これは、(いすゞ本社ではなく)販売会社の「北海道いすゞ」が国際興業グループであるためだそうで、グループ各社は地元の販売会社ではなく北海道いすゞを通して購入する決まりだとか。

ということは、例えば秋田県の秋北バスがいすゞの新車を買う場合、秋田いすゞではなく、北海道いすゞとの間で段取りをするのだろう。
でも、石川や栃木の工場から秋田に運んで納車するために、わざわざ北海道から人が来たりするのは大変そう。もしかしたら、北海道いすゞが関わるのは書類上の形式的なことで、実際には秋田いすゞが頼まれて手を貸したりするのだろうか? などと、以前から疑問に思っていた。
※購入後のメンテナンスは、大館にも拠点がある秋田いすゞが行うのだろう。
(再掲)北海道いすゞから購入したであろう、秋北バスのいすゞガーラ
それに加えて、今回の「販売実績を上げるため、全車を秋田ナンバーで登録。」というくだり。
それなら、秋北バスに納入する車両を北海道いすゞの販売実績とするためには、札幌ナンバーとかにしないといけないことになるのでは?
でも、秋田県内で旅客営業するには秋田ナンバーでないといけないわけだから、それだと国際興業グループではない秋田いすゞの販売実績になってしまうのでは?
北海道いすゞが無駄骨を折っているわけではないだろうし、今は違っているのかもしれないが、蒔苗氏の話とはつじつまが合わなくなる。
(蒔苗氏は車両販売よりも「修理や部品供給で収益を確保」しているとも発言しているから、北海道いすゞの収益は大したことなく、メンテナンスをしているであろう秋田いすゞなど各地の販売会社が国際興業グループのおこぼれをちょうだいしているとも言えるか)


・マレーシアでは、
「ダンプはいすゞ製の新車です。かなり激しい使い方をしていましたが、そうそう壊れません。」社員を交代で滞在させたが、消耗品交換が大半だった。
→さすが「♪いすゞのトラック~」
元秋田市営バスの車両だって、同時期の他メーカー製よりも長く走り続けている。

そういえば、秋田市営バスでも、小型から大型まで、路線から貸切までさまざまないすゞのバスが活躍した。
個人的には、新塗装時代のいすゞ製中型バスは、窓が大きく、さらになぜか他メーカーよりも座席が1列少なくて足元がゆったりしていて好きだった。
1985年導入の路線貸切兼用(ワンロマ)車は、モデルチェンジ後、秋田県内では初の納車先だったかもしれない。大きなフロントガラスや角張ったボディがとても斬新でカッコよく思えた。
(再掲)1985年導入のワンロマ車
でも、中型バスのオートマチック車は、4メーカー中で唯一導入されなかったのがいすゞだったし、当時は画期的だったワンステップ車は日産ディーゼルに先を越されて二番手の導入になってしまった。(その分、大型バスや貸切車両に重点を置いて導入されていた裏返しではある)
中央交通が欲しがったのか、移管に際して優先的に譲渡されたのがいすゞ製の車で、市営バスから真っ先になくなったメーカーがいすゞでもあった。
【30日追記】改めてまとめてみれば、市営バスの新車導入は、日野と日産ディーゼルが1996年度、三菱は1995年度がそれぞれ最後。いすゞは1994年度で、4メーカー中、いちばん早く終了している。これはたまたまなのか、秋田市交通局側に何らかの意図があったのか? いずれにせよ、市営バス末期ではいすゞの影は薄かった。


僕が通った幼稚園では、年長さんの時に社会科(?)見学みたいなのがあって、行き先は国鉄土崎工場(現・JR東日本秋田総合車両センター)と、当時は新国道にあった秋田いすゞの2か所だった。
だけど、両方を見学できるわけではなく、園児を半数ずつに分けて、どちらか片方だけ。
しかも、誰がどちらに行くかは、その園児が進学する小学校(つまり住んでいる場所)で一方的に振り分けられてしまった。
僕は、秋田いすゞのほう。

僕は、当時は鉄道は好きだったが、バスやトラックには興味がなかった。
だから、土崎工場に行かれないと知った時は、大きなショックを受け、「いすゞなんか見なくていい!」と当日はふてくされてお休みしてしまった思い出がある。
今にして思えば…やっぱり鉄道のほうがいいかな? でも、総合車両センターなら一般公開があるけど、いすゞはないし…


蒔苗氏のスポーツと企業経営よりも、いすゞのことに興味を持ってしまった、今回の「時代を語る」でした。
興味がある方は、バックナンバー(縮刷版は未発行)や後に刊行されるであろう書籍をご覧ください。

【2021年11月12日追記】蒔苗昭三郎氏は、2021年11月11日、89歳で亡くなった。
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半スクランブル/倒木/柱

2014-09-28 23:56:24 | 秋田の季節・風景
久々に、秋田市街地の変化いろいろ。
●半分スクランブル交差点
交差点内で車両用と歩行者用の青信号が別々のタイミングで点灯する「歩車分離式信号」。その中で、歩行者用の青の時に斜め方向にも横断できるものを「スクランブル式」と呼ぶ。

警察庁が、各都道府県警察に“ノルマ”を課して、既存交差点を新たに歩車分離式にすることを推進しており、秋田県では、果たして歩車分離式にする意味・効果があるのかとういう交差点が歩車分離化されたりしている。
もちろん、歩車分離化すれば、理論上は絶対に歩行者と車両の交通事故は起きないのだが、誤認したり、待ち時間が長くなったり渋滞したり、それを嫌って(歩/車とも)信号無視を誘発したり、かえって危険なケースもあると思う。
また、秋田では全方向の歩行者用が同時に青になる交差点なのに、斜め横断はできない(スクランブル式でない)所も多く、横断に時間がかかる歩行者は信号待ちが2度になってしまうようなこともある。おそらく縁石の改造工事などを嫌って、“お手軽に歩車分離化”したのだろう。(基本的には自己責任で斜め横断しても差し支えないわけですが…)
以前の記事


最近は、新たに歩車分離化される交差点は一段落していたが、先週頃、秋田市中心市街地に斜め横断できるスクランブル式の交差点が現れた。

その前に、未確認だけど、おそらく斜め横断できない歩車分離化されたものも1か所ある。
エリアなかいち東側、秋田駅から来た仲小路がなかいちにぶつかる、明徳館ビル(県立秋田明徳館高校)前の小さな丁字路。

【10月23日訂正】明徳館ビル前に新たに設置されたのは、音響式信号でした。歩車分離式にはなっていませんでした。訂正します。

反対のなかいち西側の広い道路(中央道路地下トンネル出口)の交差点は、昨年末に歩車分離式ではないものの、それに準ずるようなサイクルになって、歩行者は横断しやすくなっている。

ここから本題。
今回スクランブル化されたのは、なかいち北西角・キャッスルホテル北東角(ローソン前)の広小路の丁字路交差点。
Google航空写真より。左右が広小路、右が駅で右から左への一方通行
航空写真の通り、この交差点は、広小路を渡るのは東側しか横断歩道がない。(20年くらい前までは、それもなかったっけ?)【11月1日補足】20年前というか、秋田中央道路地下トンネルの出口が作られるまでは、車両用信号機すらなかった(信号機のない丁字路交差点だった)ようだ。

車のほうは広小路の3車線のうち、左寄りの車線は、直進と左折が兼用。
そのため、秋田駅方向から南(中央通り方向)へ左折する車は、南側横断歩道の歩行者の横断を待つ必要があった。それなりに歩行者がいるため、事故の危険性だけでなく、左折車の後ろに続く路線バスなどの直進車両が待たされ(交通法規上は当然だが)、車の流れが少々滞るケースが多かった。
スクランブル化前。東側から。横断を待つ左折車がいるので、直進するバスが進めない
それが、
スクランブル化後。上の写真とは逆の西側から
従来「L」字型だった横断歩道をつないで、直角三角形の斜辺のような、斜め横断用の横断歩道が1本新設された。
隣の木内前のような、十字路を全方向で横断できる一般的なスクランブル交差点の“半分”の形だ。
縁石の工事をしなくて済むような位置に白線が引かれ、しかも斜め横断用の信号機の増設もない。まあ、特段不便や危険はなさそうだし、“お手軽なスクランブル化”でもいいか。【29日追記】音響式信号のスピーカーの位置や向きも従来のままだと思われるが、それだと視覚障害者が斜め横断できない(斜め横断できることを認識できない)可能性がある。
【10月23日追記】10月23日に見たところ、なかいち側からお堀側に横断する時に見る、堀に背を向けた信号機は、わずかに斜め横断方向に角度を付けて設置されていた。逆方向側は従来通り正面向き。

もう一辺も横断できるようにするとなると、縁石、柵、電話ボックス、タクシー乗り場の撤去・移動が必要になりそうだし、そうまでしても丁字路だからさほど意味がない。これが妥当なところだろうか。
あと、スクランブル交差点では、異なる対角線上を斜め横断する人どうしがぶつかりそうになることがあるが、このような片方向の斜め横断ならば、その恐れがない。(そもそも、ぶつかるほど横断者がいないか…)「スクランブル」の本来の意味である「引っかき回す」とは、かけ離れた形態とも言える。

これにより、千秋公園・中土橋方面と、キャッスルホテル・木内(バス停)方面を行き来する人は、一度に横断できるようになった。
それ以上に、南側横断者の安全確保と直進車両の通行がスムーズになりそうで、意味があるスクランブル化だと思う。

なお、青になる順番(現示階梯)は、[西進(広小路)側車両用]→[北進側車両用]→[歩行者用]のようだ。それから、信号機の表示板は、秋田県警の場合、スクランブル式であっても区別なく「歩車分離式」と表示される。
歩行者も車も、よく確認して通行しましょう。


●堀に倒れた木
木内向かいのポケットパークから、穴門の堀越しに県民会館隣の和洋女子高が見える。
紅葉が始まってきた

(再掲)以前の同じ場所
穴門の堀は「L」字型で、広小路から見えにくい側に和洋高校の校舎が建っているのだが、
そこで少し前に変化があった。
9月中旬。影で分かりにくいですが
校舎と堀のわずかな間に生えていた木が、堀の中に倒れてしまっていた。
 より近くの駐車場から撮影
校舎側に倒れるよりは被害は少なくて済んだわけだが、このままではまずいと思っていたら、この2週間ほどの間で撤去されていた。


●大屋根の柱
秋田駅東西自由通路「ぽぽろーど」から西へ続くアーケードは、「大屋根」と呼ばれる。(そう呼ぶのは行政やイベント主催者で、一般市民にはあまり浸透せず、ぽぽろーどの一部と認識しているかもしれない)
ぽぽろーどは秋田市管轄なのに対し、大屋根はビューホテルと西武が入るビル管理会社の管轄。そのためか、東日本大震災直後の節電が呼びかけられ、かつ雨が降る時に、電動で屋根を開閉してみたり、節電要請対象外である夜間に「節電のため」と称してエスカレーターを止めてしまったり、もうちょっと配慮してくれても良さそうなことをやってしまうことがあった。
9月初め。ぽぽろーど西端から
9月上旬頃から、大屋根のすべての柱に足場が組まれ、何やら工事が始まった。
10月からの国民文化祭やアフターDCに向けて、なにか装飾でもするのかと思っていると、
足場が取れたけど…

ほぼ完了
なーんだ。単に以前と同じ白色で塗り替えただけだった。
たしかに、以前の柱には少々サビが出ていはいたけれど、そんなにひどくはなかった。素人目には、塗り替えは来年以降でも良さそうだと思える。個人的には、殺風景な冬の風除けを、もうちょっとなんとかしてほしい。


市街地の変化については、続きがあります。
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BSジャパンで弘前2連発

2014-09-25 23:43:20 | 津軽のいろいろ
【9月25日追記】この記事は、2014-09-21 23:42:32に初回アップしたものです。
追記する際に投稿日時を25日に更新して、再度アップします。
(以下、横線までが初回アップ分)

あまりおもしろくない番組が多い、最近の地上波テレビ放送。
一方、BS(NHKは置いておいて)の民放各局は、じっくり見られて楽しめる番組がいくつかあって、嫌いではない。
※個人の感想です。人によってはむしろつまらないでしょうし、時間帯によってはテレビショッピングばっかりだったり、CMが長かったりするし…

その1つ、テレビ東京系列のBS7チャンネル「BSジャパン」で、22日・23日の2日続けて、(別々の番組で)弘前のことが放送される。
地上波のテレビ東京だと、「いい旅夢気分(現・にっぽん!いい旅)」などで年に1回くらいは十和田湖とともに取り上げられるけれど、今回は長時間に渡って、弘前とその周辺だけが舞台となる。


22日・月曜は20時から22時まで「聞きこみ!ローカル線 気まぐれ下車の旅」。
芸能人や著名人2名(男女1人ずつ)が、指定された鉄道路線を2日間に渡って旅をして、地元の人から聞き出した情報を元に沿線の「名所」を10か所探して、“登録”する番組。
名所は人から教えてもらった情報でないとならない(案内板で見つけたようなのはダメ)のでコミュニケーション能力と、鉄道乗車は片方向の後戻りできないルールなので、限られた運行本数のローカル線のどの駅で降りるべきか推測して決断することが旅人に求められる。
バス乗り継ぎ旅など最近のテレビ東京系の番組ではおなじみの「取材交渉・宿泊先探しは主演者自らで」のルールも適用。
今年4月から始まった番組で、6月16日放送の第12回では、尾木直樹と中田あすみが秋田内陸縦貫鉄道を旅して、張り切って12か所も名所を登録した。

26回目となる今回は、中原丈雄、にしおかすみこが弘南鉄道を旅する。
弘南線(弘前-黒石)か大鰐線(中央弘前-大鰐)どちらかと思ったら、両方一緒に扱われ、予告では「黒石~弘前~大鰐」とテロップが出る。
弘前駅と中央弘前駅は別物であり、両路線はつながっていない。このように、接続しない複数の路線が一度に取り上げられるのは、番組史上初ではないだろうか。

どちらか片方で10か所探すのは厳しいかもしれないけど、両路線一括で10か所ならむしろ楽そう。1時間に1本は列車があるから、この番組としては本数が多いほうだし。
予告によれば、田んぼアート、りんご風呂(南田温泉?)、かだれ横丁などが出てくる。


23日・火曜日は20時から20時55分まで「空から日本を見てみよう+(plus)」。
2009年から2011年まで地上波のテレビ東京で放送され、地方の系列外局でもわりと放送されていた「空から日本を見てみよう」の続編の番組。
内容は地上波時代とほぼ同じ。雲のキャラクター「くもじい(声・伊武雅刀)」と「くもみ(声・柳原可奈子)」をナビゲーターに、空撮画像で目についたものを地上から見に行くという趣向。

地上波時代はほとんど首都圏が舞台だったが、plusになってからは観光地など地方のほうが多くなって、昨秋には八戸や十和田湖が放映されたようだ。
今回は、「りんご日本一&歴史薫る城下町 青森県弘前」。実際には、弘前から黒石市にかけてのようだけど、この番組としてはけっこう狭い範囲か。
予告では、移築間近の弘前城天守(ヘリコプターよりも高度の低い空撮)のほか、番組独特の比喩で「巨大なこけし!?」「茶色い哺乳瓶!?」「歪んだサザエさんファミリー!?」が出ている。それぞれ、道の駅虹の湖の滑り台(これはほんとうにこけしが付いている)、弘前公園向かいの洋館群の「旧弘前市立図書館」、田んぼアート第2会場。

なお、BSに移ってからも、ごく一部の地上波地方局では購入・放送していて、テレ東系以外ではミヤギテレビとIBC岩手放送がレギュラー放送しているとのこと。IBCはテレ東の番組を買って放送するのが好きなようだが、この番組もわずか17日遅れと早期に放送している。


興味があって、視聴できる環境の方は、ご覧になってはいかがでしょうか。
内容を追記するつもりです。



【25日・視聴後に追記】内容や感想をざっと記録しておきます。
※できるだけ番組全体の流れが分かるように記述しますが、個人的興味による偏り、聞き間違え、見間違えがあるかもしれません。
聞きこみ!ローカル線 気まぐれ下車の旅
期待したほどではなかったかな。
今回に限らず「聞きこんだ人がどんな場所を推薦してくれるか」にかかっている番組なのだが、沿線を知る者からすれば、「あんな場所もあるし、あんな場所も“名所”扱いにしてもいいのに…」と少々歯がゆく見てしまった。

・ロケ日は8月24日・日曜日と25日・月曜日(初日が日曜日でありファッション甲子園が開催されていたことから)
・黒石→弘前・中央弘前→大鰐のルート
・東京に戻る時間を逆算し、大鰐着は翌日17時30分がリミット
・1日目はフリーきっぷ「大黒様きっぷ」を使用。2日目は不明

・黒石駅員から田んぼアート(村役場の第1会場)を教えてもらって、最初の下車駅は田舎館
田舎館駅では、東京から田んぼアートを見に来てタクシーを呼んで待っていた女性2人と会うが、番組のルールはタクシー禁止なので歩いて役場へ。
→第1会場は弘南鉄道でアクセスするには不便で、弘南バスを使うか、田んぼアート駅で降りてシャトルワゴンを使うのが便利なのだが、このことについて村側の周知が足りないと思う。

サークルK前で道を聞いたり、休憩中の農家のおばさんたちとスイカを食べたりして、村役場へ。
日曜なので混雑していて、展望台は50分待ち。見学は中止して、役場前の臨時商店街で時間をつぶした後、見学無料シャトルワゴンで待たなくて見られる第2会場へ移動、見学。
名所1・絶景!田園芸術 田んぼアート
次の下車駅を決めるに当たり、にしおかさんが「(駅名に)『高校』がつく駅は、(駅周辺に)だいたい何もない」と尾上高校前と柏農高校前を候補から外す。→正解かも
列車の待ち時間を使って、道の駅の2人乗り自転車で遊ぶ。

田んぼアート駅から乗車。田舎館→田んぼの1駅は弘南鉄道に乗車しなかったことになるが、この番組では「完乗」しなくても構わないルール。
田んぼアート12時26分発で平賀下車。
駅前のラーメン屋でみそチャーシューの昼食。
名所2・絶品チャーシュー麺!輝龍
アップルランド(南田温泉)で入浴とリンゴを持った観音像見学。
名所3・りんご風呂 アップルランド
平賀16時36分発に乗り、後は下車せず、あっけなく弘前着。弘南線終わり。

この番組では、広角気味に撮影した走行する列車からの前方の映像(いわゆる前面展望)がよく使われる。
弘南鉄道の場合、仕切られた運転台に立ち入らないと撮影できない(広角なので)が、実際にスタッフが運転台に入れてもらって撮影していたようだ。

なぜか自由通路ではなく、昔からある地下道を通って、弘前駅前中央口側へ回る。
駅前の「Live House 山唄」で「石場旅館」を紹介され、向かう。
途中、「姉妹ロリータファッション」でファッション甲子園の応援の帰りだという、女子高校生2人に会う。

石場旅館で宿泊交渉成立。宿のおかみの紹介で屋台村「かだれ横丁」で夕食。店がいろいろあって、いろいろと堪能する。
名所4・多国籍酒場 かだれ横町
※番組ホームページでは「かだれ横町」と表記されているが、「横丁」が正当。
ナレーションでは、「かだれ」について「土地の言葉で『語ろう』という意味」と説明していたが、それだけでは不十分。秋田などでも使うように、方言で「仲間に入る」ことを「かたる(加担る)」と言い、その命令形と掛けている。
名所5・登録有形文化財 石場旅館

2日目。中央弘前9時00分発からスタート。
味のある中央弘前駅舎について、中原さんは「駅に見えないよ。飲み屋だよ」。

弘高下駅手前の寺沢川と土淵川が合流する付近で、川岸にカメラマンが下りて撮影するのを見る。
土淵川は川岸には下りられないと思っていたが、いつの間にか開放された階段ができていたようだ。→今度行った時見てみよう。※この記事の最後の方に画像があります

前日にかだれ横丁で紹介された、駅前の「惣菜さとう」へ行くため、弘前学院大前下車。
しかし、店主が外出するため臨時休業日。
店主がまだいたので、卒業した学生たちが残した色紙など店内を見せてもらう。食べられなかったので登録ならず。

「せっかくだから一回り」と、裏手の「西弘前児童公園」付近へ。特に何もなく9時34分発に乗車。
昨日同様、「○○高校(の駅)はない」と聖愛中高前は飛ばして千年(ちとせ)へ。

弘前学院大前駅で居合わせたおばさんに、千年にバラ園があると教えてもらっていたものの、バラ園はなくなっていた。
調べてみると、駅のすぐそばにあったそうで、元は「中畑バラ園」、2010年4月に「弘前ばら園」となっていた。バラなどの苗を売る店で、奥(裏?)に無料開放のローズガーデンがあったようで、見に訪れる人も少なくなかったようだ。少なくとも2012年には、まだ存在していた。
ストリートビューでは、バラ園跡らしき場所には産直の店みたいなのができていた。
番組では、バラ園がなくなったことは、千年駅近くの店の人に教えてもらったのだが、その産直の店ではないだろうか。

次の列車まで1時間待ちなので、川へ行って、橋の下から列車を撮影したりして、10時38分発に乗車。
津軽大沢駅で降りようと計画していたが、ホームで会った大鰐温泉に行く家族連れにその先の石川駅の大仏公園を勧められ迷う。
車窓のリンゴ畑を見て、津軽大沢下車を決意。
リンゴ農家のおじさんに話を聞くが、リンゴはまだ早く、桃を食べさせてもらう。自家用栽培みたいなものだろうか。
名所6・りんご農家自慢の桃

津軽大沢発11時44分。石川下車。
大仏公園に登って、弘南鉄道を撮影。
名所7・絶景撮影スポット!大仏公園
車内で高校生に道の駅ひろさき・サンフェスタでの昼食を勧められていたので、向かう。
魚コーナー2階で三色丼の昼食。
名所8・絶品 海の幸!サンフェスタ

石川発14時49分、リミットまで2時間半、2つの名所未発掘のまま大鰐まで乗り通す。
駅前の土産屋で聞き込み、
名所9・老舗温泉浴場!若松会館
さらに、
名所10・「大鰐の大日様」大円寺
大円寺
近くの平川沿いで感想などを話し、17時に終了。
大鰐町を流れる平川

他の回では、列車時間が迫って走ったり、交通手段がなくて歩いたり車に乗せてもらったりすることがあるが、今回はなく、わりとのんびりとした旅だったと思うけれど、視聴者としてはおもしろくなかったとも言える。

僕なら、津軽尾上の盛美園、弘高下の最北の五重塔、弘前学院大前の弘前学院外人宣教師館(ここまではメジャーすぎる?)、でなければ、千年辺りのアップルロードの光景、津軽大沢駅のレトロな電気機関車(映像には映っていたがスルーされた)、あるいは、弘前市街のうちわ餅とかそば屋、温泉銭湯なんかを推薦したい。バカヤローカーブでもいいかも?!

【2017年3月1日】2016年春からは、おおむね同じながら「出発! ローカル線聞きこみ発見旅」に番組名変更。
以前取り上げた路線を再度、別の人が旅することもあり、2017年2月27日には、大林素子と金子貴俊が、雪と寒さの中、弘南鉄道両路線を旅した。
今回は大鰐から黒石と逆方向。宿泊は、中央弘前駅下車後、岩木山麓の「アソベの森 いわき荘」。
大鰐線では、聖愛中高前(旧・城南)駅で下車。バレーボールの強豪校として大林さんが知っており、現在の監督が知っている人とのことで下車したものの、学校には立ち寄らず(校門は映った)。校門向かいの食堂の唐揚げを名所登録した。弘前学院大前では、ラッセル車とすれ違って興味を示すも、下車せず、中央弘前へ直行。
弘南線側でも、平賀駅まで下車しなかったので、弘前市内で名所登録されたのは、食堂と宿と弘前駅でのラグノオささきの「気になるリンゴ」(名所としてはシティ弘前の中の土産物屋)の3つ。


空から日本を見てみよう+
記念すべき(plusになってから)「#100」。
考えてみれば、弘前の空撮映像はほとんど見る機会がなかったので、初めて見る空からの弘前だった。
県庁所在地なら、経済指標などを伝えるローカルニュースの背景映像として市街地の空撮が流れたりするけど。
途中の解説や地上の訪問先も興味深いものが多くて、見応えがあった。

冒頭は岩木山山腹の津軽岩木スカイラインから、岩木山を越えて弘前市街が見える映像が圧巻。
リンゴ畑では、今夏のこころ旅で火野正平さんも興味を示した「スピードスプレイヤー」を「果樹専門の農薬散布車」と紹介。
散布される薬剤で虹が出来ており、「農薬の虹」「農薬の霧がクジャクの羽のようじゃ」。

岩木川を越えて、弘前公園へ。
天守閣や曳家工事を予想CGを交えて説明。

現存12天守の1つで、高さは14.4メートルと現存する三重天守の中ででもっとも低い。屋根は寒冷地のため軽量で凍害に強い銅瓦を使用。
などと、初めて知った(知ろうと思えば、情報はあるんでしょうけど)情報もあって、ためになる。
※「現存する三重天守」を「現存する30天守」と勘違いしそうになった。直前に「現存12天守」と言っていたので、なんとか理解できた。

周辺の洋館群を紹介し、弘前城から南へ進む。
禅林街入口の茂森町にある「三味線店 多田工房」、その1本裏道の在府町にあり、ひげじい【26日訂正・くもじい=ひげじいはNHKでした…】が前から知っていたという「弘前こぎん研究所」を紹介。
(再掲)分かりにくいけれど左側が多田工房
西へ少し移動し、寺沢川近く茂森新町の2本の角が生えた建物「田澤刃物製作所」、さらに「津軽塗 剛山工房」。

津軽の伝統的な技が連続して紹介されたが、どれも詳しく見るのはほぼ初めて。
田澤刃物製作所は、リンゴの剪定用はさみを製造していたが、地元で作られていたとは知らなかった。すべて鋼でできており、「虫バネ」を使ったり受刃の形状を工夫して、使いやすくしていた。
津軽塗は、以前にどこかで見たことがあったが、独特の模様が生じる仕組みと、そのための手の込んだ行程がよく分かった。

東へ戻って、弘南鉄道大鰐線起点の中央弘前駅。
「中央弘前駅は、なかなかええ感じの駅舎なんじゃぞ」「昭和レトロ感満載です」。
(再掲)
大鰐線上空を南下。弘前大学文京町地区上空も通過。
Googleの航空写真では雲の下になっている一帯が鮮明に見える。
柴田女子高の円形校舎も見えるが、スルー(学校名はテロップで紹介)。

柴田女子高の南に、「細長い建物」を見つけて下へ。赤い屋根の木造の建物。【2016年3月27日追記・旧陸軍の厩舎だった建物とのこと】
学園町行きのバスが富田大通りから左折して、三中校の敷地を過ぎた所。そういえばこんな建物があった記憶はあるが、何をしているのか分からなかった。
(再掲)写っていないけど、この右側
木工製品「ブナコ」を作る工場だった。
ブナコはブナ材をテープ状にして成形し、食器やインテリアにするもの。「ブナをコイル状にしたもの」という意味だそう。
最近、注目されているらしく、知ってはいたが、こんな所で作られていたとは知らなかった。

大鰐線沿いは寄り道だったようで、弘前公園に戻り、土手町上空を経て、弘前駅から弘南線沿いに黒石へ。
中三弘前店の建物は「岩木山のパワーを引き込むためのデザイン」だそう。
土偶だか土器だかをモチーフにしたとか聞いていたけれど、これは初耳。
(再掲)

JR弘前駅は、「戦前は東北地方で仙台に次ぐ2番目の利用客数を誇っておったとも言われちょる」そうで、これも初耳。
東北地方で仙台の次に百貨店ができた町であり、かつては軍都と学都で栄えた弘前だから、あながち間違いではないかもしれない。

弘南線上空を進むと、水田が広がる。
風が吹いて稲の葉が波打つのが上空からでも見え、美しい。

平川市猿賀の「盛美園」、田舎館村の田んぼアートは(線路沿いだから)サザエさんの第2会場を中心に。
役場の人が、田んぼアートを「津軽のディズニーランド」と表現していた。
※入場料収入は得られるが、宿泊場所が村内にないなど、村全体への波及効果は低いようだ。

黒石市に入り、天然ゴムを使った長靴「Kボッコ」や「こみせ通り」。
黒石市街から、浅瀬石川をさかのぼって進む。

気になったのが、くもじいの「浅瀬石川」の読み方。
「あせ/いしかわ」と読んでいたが、違うと思う。
「あせいしがわ」と一息に読み、川は「がわ」と濁るのが正しいはず。
黒石市には「浅瀬石」という大字もあるそうなので、「あせ/いし」と区切ってはおかしくなる。

青森県最大級という、浅瀬石川ダム(これも「あせ/いしかわダム」と発音)と続く虹の湖の道の駅のこけし滑り台。
さらに山間部に入り、「ランプの宿 青荷温泉」を紹介して、終わり。
次回は津軽半島。

知っているようで知らない場所を知らない角度から見ることができた。
浅瀬石川は少々残念だったけれど、手間をかけた丁寧な番組作りの賜物なのだろう。

【10月5日追記】9月30日放送の津軽半島も見応えがあった。
冒頭は弘前駅上空からスタートし、弘前市内がちょっとだけ映った。板柳町のりんご箱製造工場「青森資材」(赤松材が原料で、年間40万箱を20人で作るそう)、五所川原立佞武多の制作、津軽鉄道と五能線の分岐点にある家(農作業用休憩所)などがおもしろかった。津軽半島の広大な空撮映像も良かった。
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アドバルーン

2014-09-23 23:58:53 | 秋田の季節・風景
20日にオープンした、マックスバリュ泉店
その開店チラシを見て、忘れかけていた言葉を思い出し、懐かしくなった。

泉店オープンセール中に揚げるという、「アドバルーン」である。


ひょっとしたら、今20歳代以下の人は実物を見たことがなかったり、あるいは言葉すら知らなかったりするかもしれない。

昭和末期(~平成初期?)、秋田市のようなある程度の規模の都市の市街地の記憶がある、僕のような人にとっては、その記憶の風景の中にきっと存在したであろうアイテムの1つがアドバルーン。

アドバルーンとは、根元を固定し、空気より軽い気体(ヘリウム)を入れた大きな風船(小さい気球?)の下に、広告文を記した垂れ幕を付け、空に揚げる(上げる)もの。
広告媒体の1つとして、かつてはもてはやされたのだが、いつの間にか見ることがなくなっていた。

Wikipediaで調べてみると、アドバルーンの歴史は古く、1913(大正2)年に初めて使われ、しかも日本発祥。和製英語で英語では「advertising balloon」。
1936年の二・二六事件では、「勅命下る軍旗に手向かふな」というアドバルーンを揚げて投降を促したそうだ。
戦争中は途絶えて、戦後復活。昭和30~40年代に隆盛期となる。
近年は、高層ビルの増加や広告手段の多様化で少なくなったものの、展示場の屋内で揚げられたり、バルーンを特注の形状にしたものが出たりしている。

ネットで見ると、かつては、1つの広告主(店)が5本とか10本とか多数のアドバルーンを揚げて、さらにそんな店がいくつもあるような繁華街では、アドバルーンが“林立”する光景が見られたそうだ。
秋田市でも、1980年のイトーヨーカドー秋田店開店時にはそのような光景だったそうだが、僕は見た記憶がない。

覚えているのは、木内だったか協働社だったかで、2~3本のアドバルーンが揚がっているもの。けっこう頻繁にあったと思う。ダイエーでは揚げていなかったと思う。
下の文字の内容を読んだ記憶はなく、紅白もしくは青白、緑白などの2色のまん丸のバルーンが青空に浮かぶのを、のんびりとした休日の1コマとして覚えている。

僕が最後に見たのは、昭和末期か平成初期といった頃のはず。
しかし実際には、昨年のセブン-イレブン開店時にはどこかの店が揚げたそうだ。そういえば、住宅展示場か何かの会場で揚がっているのも見たような気がしなくもない。

アドバルーンは「係留気球」だから、揚げるには技術が必要で、見張り要員が常にいて、強風時などはすぐに対応できる態勢だそう。
看板と同じく、屋外広告物としての規制対象であり、秋田市の場合、「添加する広告物の縦の長さを15メートル以内とし、横の長さを1.5メートル以内とすること。」「掲揚高度を地上から地上から20メートル以上50メートル以下とすること。 」と秋田市屋外広告物条例施行規則で定められている。(秋田市以外で適用される県条例も同じ条件のようだ)


とにかく、久しく意識してアドバルーンを見ていないのは確実。今回、マックスバリュ泉店でアドバルーンが揚がるとなれば、見ておきたい。次はいつ見られるか分からないのだから。

ということで、千秋公園へ。御隅櫓の下・千秋トンネルの上、二の丸の階層にあるあずまやから、泉方面が見渡せる。
※今回は19日には揚がらず、20日と21には揚がっていたのを確認。
と思ったら、夏場は木の葉が茂っていて視界が遮られて、見づらかった。御隅櫓に上ればよく見えるだろうけど、100円取られるので。
すき間からなんとか発見
右の白と茶色のが泉中学校、その左奥のグレーのは東北ミサワホーム秋田支店。後ろの低い丘は高清水公園で、さらに奥の山は男鹿半島の寒風山

マックスバリュは平屋の建物だから、離れた場所からは直接見えない。そこにアドバルーンが揚がっていると、場所は明確。
千秋公園のここからマックスバリュ泉店までは2.3キロ離れている。

だけど、久しぶりに見たアドバルーンは、思ったより小さく、かつ低く感じてしまった。思い出が美化されたことも一因なんでしょうけど。

僕が子どもの頃見たアドバルーンは、もっと近い距離だったので、今回小さく感じたのはそのせいかもしれない。そもそも、千秋公園からでは肉眼で文字を読むことは不可能だった。(カメラでズーム撮影すれば判読できた)
それに、広小路の店では、店の屋上から揚げていたはずだから、その高さ分、下駄を履かせられて、アドバルーンが高かったはず(上記の通り条例による高さ制限はある)。


やっぱり近くから見たくなって、開店直後は行かないと思っていたはずの、現地へ。
東側の住宅街側から向かうものの、道が狭く家が建てこんでいるためか、なかなかアドバルーンが見えない。400メートルほど離れた、泉日吉町街区公園からは見えた。西側の新国道からだと、見えただろうか?

風に流され気味?
そんなに強風ではなかったけど、やや傾き気味に揚がっていた。
昔のアドバルーンは、いつもまっすぐ真上に揚がっていて、こうじゃなかったような気がしなくもないけれど、気のせいか、ガスの成分とか掲揚技術の違いか?

平屋建ての店の屋根の上から揚げていた模様。
裏側の公園から

アドバルーンそのものに注目。
赤白の風船に「マックスバリュ泉店オープン」。青い文字は青空だと読みづらい気がする
記憶にあるアドバルーンは、文字がある垂れ幕がもっと幅広で、かつ背景が白い地だと思っていた。
これは、あまり広くないし、網に文字を張っていて背景は透明な状態。
記憶は勘違いかもしれない。網のほうが風が抜けるので流されにくく、軽量化できそうだし。

紅白の風船は、もっとも典型的なアドバルーン用風船。
※二・二六事件の時は、さすがに暗い単色(モノクロ写真なので色は不明)の風船だった。
紐が1本外れている?

アドバルーンを間近でじっくり見たのは初めてだった。いい経験でした。
ちなみに店は開店2日目だったので、さほど混んではいなかった。


ついでに、ほかの広告媒体の思い出2つ。
アドバルーンと並んで、最近見聞きしなくなったものが「飛行機から音声を流す」広告。
今でもスピーカーを積んだ車が走っていることはあるけれど、その空版。
これも、昭和末期~平成初期を最後になくなったのではないだろうか。晴れた日に飛行機のエンジン音と広告の声が聞こえ、見上げれば青空を小さな飛行機が飛んで行く思い出がある。
車の広告よりも、安定した柔らかな音だった気がする。※コメント欄参照。ほかにも秋田日光モータースが行っていたらしい。

「宣伝飛行」「宣伝放送飛行」などと呼ばれるそうで、現在でも請け負っている航空会社がいくつもある。
「株式会社瀬戸内航空写真」ホームページによれば、高度400メートルからスピーカーを搭載したセスナ機が1回旋回すれば、地上の直径500~1000メートルの範囲に声が届くという。
場所によっては条例による規制もあるそうだし、最近は高気密の住宅が増えて、広告効果が下がっているのかもしれない。

もっと昔には、飛行機からビラを撒く宣伝もあったそうだが、さすがにそれは知らない。(昭和40年代にはなくなっていた模様)


もう1つは、飛行船。
現在は、メットライフ生命が「スヌーピーJ号」という飛行船が全国を飛ばしている。大潟村が離発着場の1つになっているためか、毎年秋田市内を何度か飛んでいる。現在、日本で唯一の飛行船だそう。
昔から飛行船そのものが多かったわけではないが、飛行船の「気嚢」部分にロゴマークなどを入れて広告に使われることがあった。
覚えているのは、1986年頃。黄色地に赤文字のロゴが入ったコダック社の飛行船だったはず。
「飛行船」というものは知っていたが、見たのはその時が初めて。突然、秋田の空を飛んでいたのを見て、とても驚いた。

Wikipediaによれば、当時はフジフイルムを皮切りに、小西六から改名したばかりのコニカと、写真フイルムの三大メーカーがこぞって飛行船を飛ばしていたそうだ。「コダック号」は、「1号が事故で失われ、2号も造船された。」とのこと。

同じ頃、NHKが飛行船で各地を巡って生中継する企画(上田早苗アナウンサーが乗っていた)を行って、秋田市上空も飛んだ。
その後は、ずっと飛行船を見ることはなく、2010年登場のスヌーピーJ号は久々の飛行船だった。
コメント (5)
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マックスバリュ泉店開店

2014-09-20 00:38:00 | 秋田のいろいろ
秋田市泉地区北側の“スーパー激戦地”に計画されていた、マックスバリュ東北の「マックスバリュ泉店」がやっとオープンにごきつけた。
正式な開店日は9月20日・土曜日8時。仏滅だけど気にしないのか。

先立って、19日・金曜日は「主に近隣のお客様の認知を高めていただくことを目的に」、9時から21時まで「プレオープン」が行われたので、行ってみた。
我が家には、19日の朝刊に20日のグランドオープン(と21日までのオープンセール)の大きなチラシが折り込まれたものの、プレオープンの案内は特になし。ほんとうの近隣のお宅には案内があったのかもしれない。

立地について。
マックスバリュ東北の店舗としては珍しいかと思う(東北以外ではわりと存在する)が、敷地が直接大きな道路には面していない。北側と南側それぞれ、細い道路に面している。周りは、住宅地と泉大畑第二街区公園や日本通運の車庫(?)。
それと、河辺店を除く秋田市内の既存3店舗(広面、港北、茨島の各店)は、ホームセンターなどの他の店舗と並んで建ち、駐車場を共有しているのに対し、泉店は単独。

チラシの案内図によれば、車は敷地北側からしか出入りできないように見える。県道126号線(新国道「操車場入口」交差点につながる分離帯のある道路)からはすぐ。
そういえば、県道沿いには看板などはなかったような気がする。今後設置するのか?【2016年4月13日追記】後に、県道126号線側、さらに新国道にも入口を示す看板が設置された。
敷地北東角から
実際には、南側の道路からも出入り可能。
店の建物は、敷地の西側(公園側)に南北方向に長く建ち、東側が160台収容の駐車場。
南東角から(工事中に撮影)
どちらにしても、学校が近い住宅街の狭い道路であり、歩道や信号もないので、無謀な運転の車が来ないことを願う。

路線バスでは、泉ハイタウン線でコメリとジェイマルエーの間にある「泉北二丁目」下車、徒歩300メートルほど。チラシでは、北二丁目もしくは次の「秋田貨物駅入口」下車となっているものの、貨物駅入口からは県道を横断しなければならないし、わずかに遠くなる。
欲を言えば、北二丁目と貨物駅入口の中間、パチンコ屋の裏辺りにバス停ができれば、100メートルちょっとになるのだけど。
本数は1時間に1本(たまに2本)。
※泉ハイタウン線は下りの終着側と上りの始発側が重複していて、環状運行する。泉北二丁目(上り始発)から泉ハイタウン団地前(下り終点)が重複しているので、行きも帰りも同じ位置のバス停を利用する。
【20日追記】ここは新国道から意外に近かった。そのため、新国道経由各路線で「八橋大畑」下車もアクセス手段になり得る。国道横断が遠回りになるので、徒歩400メートルほどか。新国道のほうがバスの本数はずっと多く、駅からの運賃は泉ハイタウン線より10円高い。
(再掲)着工前に県道(北)側から

完成後(まだ工事中の頃撮影)
県道から来ると店舗の側面が見えて、一時停止の標識があって、その先を直進すれば駐車場に入れる。
現地には9月20日ではなく「9/19 OPEN」という看板が置かれていた。

(再掲)着工前に北西の街区公園側から

完成後
搬入口も北側、客用駐車場出入口の並びに設けられた。西の街区公園側は店舗の裏面で、ここから客の出入りはできない。

上の各写真の通り、店舗外観は、部分的に茶系統が使われるなど以前の店舗とは違うものの、ごく普通のマックスバリュという感じ。出入口が両端に1つずつあるのも標準。南側の出入口のほうが看板が大きい。
周りがさほど広くなく、宝くじ売り場とか大判焼き屋の小屋がないのが、秋田市内既存店舗とは違う。


店内は落ち着いた色調で、おおむね普通のスーパー。通常営業時の照明は100%LEDを使っているそうだが、気付かなかった。
秋田市内既存店舗の店内は、どちらかと言えば「だだっ広い」印象だった。
泉店はそれらと比べると、小ぢんまりしてコンパクトに感じた。特に奥行き方向が短いのと、通路があまり広くない気がした。
直営売場面積は、茨島店が約2108平方メートル、港北店が約2200平方メートルに対し、泉店は1860平方メートル。本荘中央店は1283平方メートルだそう。数字としてはそんなに差がない。

個人的には、以前行った静岡県三島市のマックスバリュ東海経営「マックスバリュエクスプレス三島本町店」(この記事参照)に似ていて、それを少し大きくした感じがした。
ニュースリリースによれば泉店のコンセプトは「都市型の店舗づくり」、チラシには「新しいスタイルの都市型スーパー」とあり、今までのどちらかと言えば郊外型の店舗とは一線を画したのかもしれないし、それで三島本町店に通じるものになったのかもしれない。敷地の狭さからこういう結果になったのかもしれないけど。
これでも別段困ることはなく、充分だと思う。昔の街中のスーパーなんてもっと狭かったし、今のだだっ広いスーパーは商品を探し歩くだけで疲れてしまうから。

店内は、プレオープンがあまり知られていないのか、思ったほど客は多くなかった。駐車場も、南側はほとんど空いていた。誘導員が数人配置されていたが、特に南側担当の人はおヒマそう。
だから、店内をゆっくり見物できたかと言えば、そうでもない。店員・社員がたくさん店頭に出ていたから。
店舗出入り口前にはテントを張って、ブドウやナシの販売(?)とイオンカードの勧誘。店内は、多少の案内の人はいたものの、後はお客とは無関係に商品管理や業者と打ち合わせをしている人たち。WAONカードの販売もしていて、買えば300円値引き券をくれるので、発行手数料が実質無料になるのだが、買うもんか(同じ機能の電子マネーを複数枚持ちたくない。この記事参照)。


スーパーの食品売り場で昔から気になっていたのだが、各売り場(コーナー)の配置について。
ほとんどのスーパーでは、外から入ってきてすぐの所(レジ寄り)に「パン・乳製品」コーナーと「青果」コーナーが配置されている。でも、店によってどちらのコーナーが左右どちらに置かれるかが異なるのだ。
別段、社内・業界内で統一する必要もないけれど、同じチェーンでも左右が逆転している場合もあって、どうしてなのか、気になっていた。
※業界的には、入店した客が青果から順に店内を周回するのを基本として、「右回り」「左回り」という動線を意識しているようだ。

例えば、イオン土崎港店やイオン秋田中央店では、売り場の外から見て左が青果、右がパン・乳製品だから、右回り。
一方、マックスバリュ東北の秋田市内既存3店や本荘中央店、青森の樋の口店、新おおわに店では、たしかどの店も左がパン・乳製品、右が青果と、イオン本体とは逆に左回りで統一されていた。【21日追記】マックスバリュ東北でも右回りの店舗が存在するそうで、例示した店舗はたまたま揃っていただけのようだ。【12月11日訂正】本荘中央店は左右が逆でした。
また、いとくは、新国道店と秋田東店では、左右が入れ替わっている。
イトーヨーカドーやダイエーのような、昔のビル型の総合スーパー地階の食品売り場なら、エスカレーターを降りてきた客の動線を考えて(降りてすぐが青果)いたように見受けられるが、最近の独立した平屋の店舗では、各社の方針で決めているのかななどと考えていた。

上記の通り、マックスバリュ東北では今までは揃っていたようだけど、泉店は、なんと逆になっていた。左(南)側が青果、北側がパン・乳製品の右回り。商品の搬入経路とか、配管・配線の都合で変わったのだろうか。
その影響なのか、他の各売り場も、既存のマックスバリュとは左右が入れ替わったような傾向。お菓子とか歯ブラシは、既存店とだいぶ違う場所にあるような気もして、慣れないと探してしまう。


品揃えとしては、既存のマックスバリュとほとんど違わないものの、茨島店のような「大量陳列」ではない。
酒売り場は比較的広く目立つ位置にあり、ワインや輸入ビールなどがあった。惣菜売り場はあまり見なかったが、チラシなどによれば夕方限定の「出来立ておかず屋」などがあって、充実しているとか。
【10月10日追記】「出来立ておかず屋」は、5種類くらいのメインになるおかず(ハンバーグと付け合わせとか)を1人前税込み311円で販売。

入ってすぐの右側には、「焼きたてパンコーナー」と称するインストアベーカリー。
秋田県内では初という「イオンドリップ」もそこにあった。最近コンビニで流行りのドリップコーヒーマシーンで、ホット・アイスとも100円。
北側外壁に「AEON Drip」のロゴが描かれる。なんか落書きみたいだ

既存3店舗には、ミスド、マック、サーティワンといったファストフードやDPEがテナントとして入居していた。
泉店では、店舗面積のためか、ファストフード等はなし。マックは近くの新国道とグランマートにあるけれど、近くにないミスドでもできれば、けっこう売れるかもしれないのに。
唯一、お菓子の「ラグノオ(企業名はラグノオささき)」が「ラグノオマックスバリュ泉店」として入った。弘前の菓子メーカーとして有名なラグノオは、昔は秋田市(駅前?)にも店舗があったそうで、それはいつの間にか撤退していた。(撤退後も駅売店では一部商品は購入できていた)
しかし、近年、秋田市に営業所(今は秋田ラグノオという別会社)ができて、秋田仕様の商品が作られ、さらに土崎に新しくできた「いとく」や秋田駅ビルに秋田市再出店を果たしていて、ここが3店舗目となる。【2018年10月21日追記】その後、ラグノオは2018年10月20日で閉店した。
サービスカウンターと背中合わせで一体化した「ロ」の字型コーナーの2面がラグノオ。【12月26日追記】支払いは現金のみで、WAONは利用不可。
【25日追記】25日の折込チラシには「クリーニング店年内オープン予定 しばらくの間お待ちください。」との記載があった
【2015年1月1日追記】2014年12月には、店舗の南側の空いていたスペースに、美容室、コインランドリー、精米機が、それぞれ別棟で開業。(開店当初のチラシのクリーニング店はできていない)
【2015年2月8日追記】その後、2015年に入ってから、精米機の隣(駐車場や店舗入口にいちばん近い側)に新たな建物が建った。それがクリーニング屋。【2月23日追記】「ママクリーニング小野寺よ」がオープン。同社ホームページによれば2月20日開店。


イオン銀行ATMは、右側の入口を入った店内・サービスカウンター近くで、今日から稼働していた。
トイレは、右側から入った右側(上の写真で茶色い壁の辺り)。秋田市内既存店のと似ていて、あまり広くない。


レジは、左(青果売場)側から、1~5番。次にセルフレジとサービスカウンターがあって、その向こう(右側)に、番号なしのレジが2列。
レジが7台というのも、やはりあまり規模が大きくない。今日はフル稼働だった(けど待たずに済む程度)。

セルフレジは、広面店、茨島店と同じく、4台1セット(イオンリテールの御所野店のものは6台1セットでメーカーも異なるようだ)。ただし、筐体は色などが少し違い、案内(監視)役の人のいる位置が、隅でなく真ん中。
セルフレジを使おうかと思ったら、エンジニアらしき人が外付けキーボードをつないでいろいろいじっていたので、普通のレジへ。
【10月10日追記】セルフレジは広面店、茨島店とほとんど同じで、違和感なく使えた。強いて違いを挙げれば、画面のコントラストが薄め(または輝度が明るめ)だったのと、使い終わったカゴを戻す場所が真ん中1か所なことくらい。

最近は、マイバッグ普及と不正防止のため、精算前後で商品を入れるカゴ(の色)を変えて区別するスーパーが多い。
イオンリテールでは数年前から精算後が赤くなったし、イトーヨーカドー弘前店も今年夏から黄色くしたはず。マックスバリュ東北では今までやっていなかったが、泉店では実施された。
精算前のカゴが赤で、精算後は緑色。ここの精算後のカゴは棒状の取っ手がなく、持ち手としては穴が空いているだけなので、片手では持ちづらいのは少々不便。
既存店同様、レジ袋辞退で2円引き。
「日立ラップ」という、日立グループ・日立化成製のラップをくれた

レジ周りで目に付いたのが、WAONなど電子マネーのリーダー/ライター。
従来は、駅売店にあるのと同型のJR東日本メカトロニクス製の黒いもので、それに「ピンパッド」と呼ばれるテンキーと電子マネー種選択ボタンが別につながっていた。
泉店では、両者が一体化した白い「Panasonic」のロゴ入りの装置を採用。液晶画面があって、選択後そこにタッチする。ネットで調べても製品情報は見つけられなかった。最新型かも。
装置は従来並みに角度が付いている(以前の状況)ので、カードを置きっぱなしにはできない。加えてタッチする部分は従来より小さくなったし、そもそも画面にタッチするのは分かりづらくて、少々戸惑った。イオンのハッピーゲートやJR東日本の車内販売の端末でもそのように、これからは画面にタッチが主流なんだろうか。
【2015年1月15日追記】2014年7月にリニューアルオープンした、名古屋市のダイエー金山店でも、同じPanasonicのリーダーが使われていた。イオンとは違うタイプのセルフレジにも組み込まれていた。ダイエーでは選択ボタンは押さなくて良かったが、交通系電子マネーとの切り替えはレジ側で操作するのだろうか。ダイエーでは電子マネーはWAONしか使えないので、選択の必要がないためらしい。
【2015年3月20日追記】遅ればせながらPanasonicロゴの下の型番を確認。「JT-R700CR」だった。やはりパナソニックのサイトには記載がないが、「パナソニック システムネットワークス」の製品で2013年11月に「技術基準適合証明等」を受け、2014年7月に「リーダライタRF性能検定合格製品」に登録されている。

なお、セルフレジでは、タッチする部分は、リーダーがほぼ垂直に埋め込まれたようになっている。電子マネーの種類はメインのタッチパネルで選択するので、あえてパナソニック製を採用する必要はないためか、従来型と同じようだった。

【26日画像追加】WAONの履歴
他のマックスバリュ東北の店舗と同じ形式で「MV泉」と表示された(茨島店だけは「店」が入る)。ATMは他店同様「1」が入るが、1台しかない。

泉店では見忘れたが、最近、マックスバリュ東北の店舗のサービスカウンターにも「ハッピーゲート」端末が置かれている。茨島店と新おおわに店で見た。【12月26日追記】泉店にも設置。
イオンリテールの店舗では、土日にポイントがもらえたり、ヤフーなどの会員向け割引券が発行できるのだが、マックスバリュではサービス開始の告知は見ていない。どう使うのかな?
【10月1日追記】10月頃から、ヤフーの割引券の発行・利用が、イオンリテールに加えてマックスバリュでもできるようになったので、各店に設置されたハッピーゲートのサービスが始まったようだ。


今まで、新規開店直後のスーパーに行ったのは、30年以上前のダイエー秋田店くらい。
まして開店前日のスーパーに入店したのは初体験だったが、既に以前から開店しているかのように、普通に動いていた。店内放送も「今日もマックスバリュ泉店にご来店いただき…」など、通常パターン。ちょっと拍子抜けしてしまった。
レシート。他店では「MV茨島店」などと略されることがあるが、「マックスバリュ泉店」と正式表記
レシート上部も「よろしくお願いします」とかじゃなく、「お買い上げありがとうございます。」とそっけない。昔のダイエーでは、ここの文言をしょっちゅう変え、店長の名前も記載していたものだが、イオングループはほぼ固定(今はダイエーもイオン傘下だからどうなっているだろうか)。

あと、明日からの開店セールの特別価格を前倒しでやるのではないかと、かすかに期待していたが、多くは通常価格だった。前倒しなのはバラ売り野菜くらい。バナナとか砂糖は、今日限定の特価になっていたけど。
陳列されているのは全部新品なわけだから、見切り品が一切ないのが清々しく、貴重な経験ができた。それにしても、この先、秋田市内に新しくスーパーが開業することなんて、あるのだろうかと、ふと考えてしまった。


明日のオープニングは、チラシによれば花火が上がって、アドバルーンも上げられるとか。アドバルーンなんてここ何十年も見てなかったな。昔は木内だか協働社だかでよく上がっていたけど…
森永ビヒダス105円とかかなり安い商品もあるし、「お客様感謝デー」も重なる。コンパクトな店内や狭い道路にしては過剰な客が来そうで、あまり近づきたくはない。
落ち着いた頃、また行きましょう。

【30日追記】この後、何度かセールが行われてチラシが折り込まれたが、同時期に行う秋田市内既存店舗とは別の独自チラシ。開店から10日経った、火曜市・お客様感謝デーのチラシで初めて、既存店と泉店共通になった。
【10月30日追記】場合によっては、秋田市内既存店舗と違う(品目の一部や価格設定)チラシが入ることもある。
開店1か月頃に、乳製品売り場のレイアウトが若干入れ替わった。
【11月23日追記】上記乳製品のレイアウト変更時に同時に行われたのかもしれないが、サービスカウンターの北側にあった番号なしのレジ2列がなくなっており、売り場(クリスマス関連などの特設コーナー)に変わっていた。

【2015年1月1日追記】余談だが、マックスバリュ東北では全商品5%引きの日(第二日曜、20日、30日)でも、酒類はすべて割引対象外だった(昔は割引きされていたような…酒扱いの「本みりん」はどうなるんだろう?)。一方、イオンリテールでは、ビール類は対象外だが、清酒などは割引きされる。前も書いたけれど、「わたしたちはイオンです」と言っておきながら、こういう紛らわしいことをされるのがイヤらしい。
【2021年7月19日追記】その後、2020年に、マックスバリュ東北とイオンリテールの東北地方の食品部門が統合され、「イオン東北」運営になった。そのこともあってか、2021年頃までに、マックスバリュ店舗でもビール以外の酒は5%引き対象になったようだ。にしても周知やそれ以外では未統一のことが多い。

【2015年2月8日追記】開店以来泉店ばかりに行っていて、久しぶりに茨島店に行ったら、ものすごく客が多いように感じてしまった…

【2015年7月24日追記】新規開店時は閉店時刻が24時だった。2015年7月に気が付くと「23時30分」に30分短縮されていた。

【2017年9月21日追記】開店以来店長を務めていた男性が、2017年9月に男鹿店店長へ異動。本社の課長だった女性が新店長。
一時期よりは客が安定して来ているようにも感じられ、3年間で店の存在はすっかり定着したと言えよう。
余談だが、由利本荘市のマックスバリュ本荘中央店の店長は、本社の部長から異動。今は普通のマックスバリュだけど、もともとは総合スーパー形態の店であり、自社の前身である「つるまい」の主要店舗→ジャスコであった店の名残で、格上なんだろうか。

【2021年7月19日追記】開店以来4台態勢だったセルフレジが、2021年7月15日から6台に増備された。それまでと向きを90度回転させ(客の動線はやや遠回りになった)、既存4台は移動させて引き続き使用。新たな2台は別機種。
それ以前から、早朝時間帯はセルフレジのみでの営業もしていて、セルフレジ誘導に積極的。広面店などでは導入済みの、支払いのみセルフのセミセルフレジは未設置。
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新聞で知った言葉

2014-09-18 23:44:53 | 秋田のいろいろ
今日付けの秋田魁新報から、知らなかった言葉。
●桃太郎旗
秋田市地域面「芝生刈り残しロゴマークに/県民会館前」。
秋田県民会館前の芝生に、国民文化祭のロゴマークが描かれたという話題。(刈った部分も土が露出しているわけではなく緑色なので、あまり目立たないのが正直なところですが)
その記事中、「芝生の周りには、国文祭の桃太郎旗10本を立てている。」という部分。

「桃太郎旗」は初めて聞いた言葉。
写真にも写っているし、ニュアンスは分かった。
「のぼり(幟)旗」のことだろう。
※「幟」自体が「旗」という意味あいを含む言葉のようですが、現代の広告用などの幟のことは「のぼり旗」と称する場合が多いので、ここではそれに従います。
(再掲)現代において一般的なのぼり旗
そう言われれば、桃太郎が鬼が島に行くとき、「日本一」とか書いたのぼり旗を背負っていた。そこからの発想だろう。

Googleで「"のぼり旗"」で検索すると約564000件、「"桃太郎旗"」は約28800件。
検索結果は、どちらもそういう形状の広告用などの旗を制作・販売するサイトが多く、業界用語としてはどちらでも通用するのかもしれない。
最近は、道路関係の作業で「草刈り作業中」などと書かれたのぼり旗が立っていることがあるが、その分野では比較的「桃太郎旗」を使う場合が多いような気がしなくもない。

僕に限らず、「桃太郎旗」は知らなくても「のぼり旗」は知っているという人は多いと思う。
「幟」自体がそういう意味を持つ直接的な言葉なんだから、間接的かつ業界用語的意味合いが強い「桃太郎」よりもストレートに意味が伝わるはずでもある。
自分の無知を棚に上げて申し訳ないけれど、この記事を書いた記者や読んだデスクは、「桃太郎旗」という言葉を知っていたのだろうか? 読者は理解できると思ったのだろうか? できるだけ平易な言葉を使うべきではないだろうか。
(再掲)こういうでっかいのぼり旗も「桃太郎旗」と呼ぶのでしょうか?
個人的には、のぼり旗を使う人といえば、武田信玄を連想する。「風林火山」の。(実際にはもっといろいろ文字が書かれていたらしいけど)
だったら「信玄旗」だっていいんじゃない?


●特別な死亡広告
地方の新聞では、著名人でない一般の人が亡くなった時にも「死亡広告」が掲載される所がある。
※役所の死亡届に基づく「お悔やみ欄」ではなく、遺族が費用を払って出稿する黒枠の広告のことです。

これは秋田ならではというわけではなく、大都市以外なら多くの地方で見られるようだ。
大企業の経営者などが亡くなった時は全国紙に死亡広告が出ることがあるが、秋田のと体裁や内容はほとんど同じだし、例えば和歌山毎日広告社(http://www.w-mainichi-ad.com/npad/npad.html)が請け負う一般人の死亡広告は、秋田のものと極めて似ている。全国共通の形式なのだろう。
強いて挙げれば、秋田では、「通夜」に相当するものを「逮夜(たいや)」と呼び、火葬後に逮夜・葬儀を行うのが一般的なので、その辺の言い回しや日程の順番が異なるくらい。

今日の死亡広告では、秋田市土崎港の嶺梅院のご住職が亡くなったことが告知された。
お坊さんが亡くなった時の死亡広告は、また特別。遺族のほか檀家総代の名前も載ったりするのだが、用語も違う。
一般人なら「病気療養中のところ○月○日○時○分永眠いたしました。」なのに、お坊さんだと「四大不調のところ○月○日○時○分遷化いたしました。」となる。

対応しているから意味は理解できるし、いかにも仏教用語だが、「四大不調」と「遷化」は他では聞かない言葉。以下、太字は「デジタル大辞泉」より。

まず「四大不調」。「しだいふちょう」と読むそうだ。
「四大」は「万物の構成要素とされる、地・水・火・風の四つの元素。 」で、それらから構成される「人間の肉体」の意味もある。
「四大不調」は「四大の調和がくずれ、病気になること。僧の病気にいう。
ちなみに「五体満足」などの「五体」は、「頭・首・胸・手・足」など(他の解釈もあり)で、ぜんぜん違う。

一般人の死亡広告では、場合によって「病気療養中のところ」が「天寿を全うし」とか、「急病により」「不慮の事故により」と変わる。【22日追記】死因を記さず「○時○分永眠いたしました」という場合もたまにある。
お坊さんの場合は、「四大不調により」しか見た記憶がない。(進んで見たいとは思わないが)他のパターンはあるのだろうか。

「遷化」は「せんげ」と読み、「《この世の教化を終え、他の世に教化を移すの意》高僧や隠者などが死ぬこと。入滅。
Wikipediaなどによれば、「婉曲的に、かつ、敬っていう語。」とか、「入滅」は教祖などもっと偉い人に使うような記述も。実際には、「高僧」に限らず僧侶が亡くなった時はすべて「遷化」を用いる宗派や場合もあるとか。
ただ、身内が出す死亡広告において、住職の死亡を「婉曲的に、かつ、敬」う必要はないから、それは違う気がする。
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乗るの乗らないの?

2014-09-17 23:00:02 | 秋田のいろいろ
「バスの日」記念シリーズ。
日曜日の朝日新聞生活面に「オトナになった女子たちへ」という、“大人”の女性著名人が交代で執筆するエッセイがある。6月29日は漫画家の伊藤理佐さんによる「スマートじゃなかった神様」。

伊藤さんと夫(=あの吉田戦車なんだ!)の間で、「ちょっと緊張するバス停」で通じるバス停留所があるという。場所は首都圏のどこかなんでしょう。
そのバス停は行き先が違うバスが4種類通るので、乗客は「「乗りませーん」ってやらないといけない」のだそう。乗るかどうかの意思表示が必要ということ。

伊藤さんはそれより手前の始発バス停から乗るので、バスの中から見る立場。
いろんな方法で意思表示をする人がいるが、「ほぼ、スマートではない、のである、「いい感じに乗らない人」を見たことがない。」。
また、「運転手さんがいい感じじゃない時も」あるそうで、ぶっきらぼうに停めて発車させることもあるそうだ。

乗らない意思を示す「スマートな方法は無いのか」と考えていた伊藤さんだが、ある日、出先の同じような環境のバス停で自らが「乗らない人」になる機会が訪れた。
「反射で出たわたしのジェスチャーは」「テレビ番組「オレたちひょうきん族」で「懺悔(ざんげ)」した人の前で神様がやる「バツ」。胸の前で両手を思いっきりクロスするアレ。」
意思疎通はできたものの「神様でもスマートならず」、という話。


僕はてっきり、首都圏ではバス会社(運転士)側も乗客側も慣れていて、こういう場面でもスムーズにことが進むと思っていた。例えば、客が路線別に並んだり、運転士もいったん停めてドアを開けてマイクで呼びかけて、乗客の有無を確認するかと思っていた。
それに客が意思表示するにしても、「乗らない」意思ではなく、「乗る」意思を示すかと思っていた。
沖縄では、乗るバスに向かって手を挙げないと、バス停に人がいても停まらずに通過するとかいうし、バスに関する風習は土地によってさまざまで、よそ者には分かりにくい。


秋田市では、千秋公園入口から山王十字路にかけての各バス停(4路線どころか市内の過半数が通過する)や通町などが、同様のシチュエーションになる。
(再掲)木内前で連なるバス

(再掲)
乗るバスに手を挙げる人はそれなりにいる。乗らないバスに乗らない意思表示をする人はごくまれにいる程度。

運転士のほうは意外に親切で、乗らなさそうな客しかいない状況でも、停まってドアを開け、行き先の自動放送を1回流してから発車するような人もいる。クラクションを鳴らしたり速度を落としたりして、意思確認をする人もいる。
全社的な対応は決まっていないのが、いかにも中央交通らしいけれど、中には行き先表示が見えなかったり(読めなかったり)、放送が聞こえなかったりする人もいるし、それは外見からは分からない場合もある。そういう人たちへの配慮も必要だ。
(再掲)
客としては、まずは「乗る」意思表示をしたい。乗るバスが来たら手を挙げるとか、運転士に見えるように後方から車道際(乗り場)へ歩み出る(すり抜ける自転車に注意)とかしたらいいかもしれない。特に秋田の場合、車庫行き(大川反、臨海営業所行き)ではやらないと通過されそうになることがある。

「乗らない」バスに対しては、自分1人しかそのバス停にいない状況では、意思表示したほうが親切かも。やっぱり「神様」ポーズだろうか?
僕は、通町とか交通公社前とか、歩道の幅があるバス停では、ポールや車道際から離れて後方(建物側)に立ち、視線はバスのほうを向ける。そうすれば、たいていは乗らないことが通じると思う。そっぽを向くだけでは、バスの存在に気付いていないと思われてしまうので、逆効果。


昨年10月から、千秋公園入口と木内の乗り場が、それぞれ4つから2つに集約された。いっそう、意思表示や確認が求められるはず。バス会社も運転士も、そして客も、さらに周りのドライバー・自転車・歩行者も少しずつ気をつかって気を配って、より安全な道路交通を作り上げたいものです。



バスの日を機会に、千秋公園入口と木内のポールの集約に関して、記事にしそびれていたこと。※バス停集約の詳細はこの記事後半にて
そのきっかけは、秋田県議会だった。
2013年11月20日付秋田魁新報 秋田市地域面によれば、両バス停は「市内全55路線のうち32路線が通る」そうで、「今年の県議会2月定例会の一般質問で、秋田市選出の県議が「バス停の位置が分かりにくい」と指摘、利用者からも同様の声が聞かれたことから」半減を決定。
従来は50メートルの間に4つだったのを、30メートル間隔に2つにした。同社によれば「1カ所にバスが集中するため、「前のバスの通過(※)を待たなくてはいけない」という運転手の声もあるが、運行に遅れは出ていないという」。
※「通過」でなく、正しくは「乗降完了・発車」でしょう。

県議会で具体的にどんな話が出たのか、議事録を見てみた。
「平成25年 第1回定例会 第3日」である2月13日の本会議。
K議員が「(秋田市中心市街地循環バスぐるるや高齢者コインバス事業を例に挙げ)公共交通が市民に定着することは、官民及びバス事業者にとっても有益なことですが、「エリアなかいち」周辺のバス停環境と路線表示は決して良好ではありません。」
「県外客にもわかりやすく利用しやすい、おもてなしの心を感じさせる公共交通とするための改善が必要であると思いますが、知事の御所見をお伺いします。」と質問。

知事が「「エリアなかいち」周辺のバス停留所は、広小路側に「千秋公園入口」と「木内前」があり、これらの停留所には複数の標識柱が設置され、バスの停車位置が異なっているなど、乗車する方からわかりにくいとの声も伺っております。
 また、「エリアなかいち」周辺の人の流れも変化したと思われることから、初めて乗車する方も利用しやすいようなバス停留所や案内標識の設置について、まちづくりの当事者である秋田市と運行の当事者であるバス事業者に要請してまいります。」
と答えていた。

県や市町村の議会では、40年・50年前だったら「おらほの村にもバスを通してけれ」という話は多かったようだし、昨今は廃止路線や代替交通は議題になる。でも、このようなバス停や案内について取り上げられるのは珍しいと思う。公共機関に目を向けてくれるのは、歓迎すべきかもしれない。
ただ、議員が例にしている循環バスも高齢者100円バスも秋田「市」の事業。県庁所在地の中心部とはいえ、1つの町のことに過ぎない。それに公共交通機関とはいえ、バス停設置は民間企業のこと。しかも路線の改廃ならともかく、バス停のポールをまとめる程度のこと。
わざわざ「県」の議会で討議することだろうか?(バス停が設置されている場所は「県道」ではある)
秋田市にしたって、バス会社にしたって、県から口を挟まれるのは、気分が良くなかったかもしれない。

それに、議員は「「エリアなかいち」周辺のバス停環境と路線表示」を求めている。
それに応じた結果が、ポール集約(と路線図も新たに掲出された)だけでは、物足りなくはないでしょうか。
「バス停環境」というのなら、特にアーケードが撤去された千秋公園入口では上屋を設置するべきかもしれないし、両停留所ともベンチがないし。
さらに「なかいち」にこだわるのなら、先日のバスまつりのクイズじゃないけれど「なかいち前」というバス停を作ればいいのではないだろうか。木内が衰退した今、木内前をスライドさせるような形で。

ここに限らず、もっと深く検討すれば、もっといろいろできて、もっと便利なバスになると思うのですが。

【12月20日追記】あと、昔取り上げた、市営バス時代のポールがそのまま移管されてしまい、同じ場所に同じバス会社の複数のポールが林立するのも、なんとかするべきでは?
NPOが行った「人にやさしいまちづくりinあきたと住まい展」の「不便な場所」写真展にも出展されてしまったらしいし…
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弘南バスいろいろ

2014-09-16 23:59:29 | 津軽のいろいろ
先日に続いて、弘南バス。こまごまとしたことをいくつか。
・お客様の声
弘前バスターミナル内
以前も触れたように、「お客様の率直な声をお聞かせ下さい。」と乗客からの意見要望を受け付けるためのハガキ大の用紙と投函箱が設置されている。
それらに対する返信をまとめた「お答え」も掲出される。
秋田の某社は、一切やっていないことであり、見習うべきではないだろうか。

ちなみに、五城目のトメさんは、国鉄秋田駅のこの手の箱に向かって「オラは五城目のトメだ!」と「声」を聞かせたとか。


・届かないボタンの代わりに…
これも以前触れたが、弘南バスでは自家用バスの中古を路線用に改造した車両があり、その車では降車合図ボタンが後付けされているため、押しづらいおかしな位置に設置されていることがある。

土手町循環100円バスの1台では、窓より上の冷房の吹き出し口の近くにあり、腕を上に上げないと押せなかった。
ご年配のご婦人2人連れが、少々苦労してボタンを押そうとしていると、運転士がミラー越しに気付いて、「あ、いいよいいよ。次、停まります」と対処していた。
ボタンの位置が悪いとはいえ、こういう臨機応変な客の立場になった対応で、それをカバーできている。
(秋田の某社でも、似たような経験をしたことはあった)

ちなみに、五城目のトメさんは、降車ボタンが故障したバスで、運転手に向かって「ピンポーン」としゃべったとか。


・税込価格
今春の消費税率引き揚げに伴い、店頭の価格表示では、税込み、税抜きどちらでもできることになった。

公共交通機関の料金は、その性質上、税込みが普通。
弘南バスの車内の運賃表示器の枠には、「消費税8%が含まれた運賃です。」というシールが貼られていた。
あえて書くなんて珍しいと思って乗っていた。(法令上は税抜きで表示することは可能なんだろうか?)

ところが、とある停留所で降りようとする年配の女性が、運転士に何やら聞いている。
運転士は運賃表示器を指さして、「ここに書いてある通り、税込みですので」とか言っている。
シールを貼った意味があった!


・どこまで板張り?
以前から書いている通り、近年の弘南バスの路線用車両は、マイクロバスの三菱ローザと中型バスの日野レインボー2ばかりを導入している。
全体的には、その2車種に加え、日野リエッセやレインボー(2でないオリジナル)が多い。

今回は、弘前市内完結の路線によく乗ったせいか、珍しく小型バスには1度も当たらず、中型ばかり、特にオリジナル日野レインボーによく当たった。1990年代に好んで購入していた車。
そこで気付いたのが、床が板張りの車両がけっこうあること。

秋田市営バスでは、1989(平成1)年度導入の車両まで板張りで、1990年度から樹脂系の床になっていた。
現在の中央交通では、市営バスから譲渡された板張りの1台が奇跡的に現役だが、自社購入も含めて他に板張りの車両は残っていないかもしれない。

今回、弘南バスのレインボーに3回乗ったけれど、いずれも板張りだった。
「50303-9(和徳車庫・か710)」「50601-2(弘前営業所・か986)」「50701-2(弘前営業所・か10-41)」の3台で、新しいものでは1995(平成7)年式でも板張りだった。
冬に雪や氷、それらが融けて濡れても、滑りにくいことを考慮していたのだろうか。

また、年によって座席の布地が異なることも分かった。
1991年と1994年は赤(秋田市営バスのえんじ色より明るい=古い弘南バスでは多かった)、1995年では緑色だった。1991年式はやや背もたれが薄いか。
【11月3日追記】「50702-9(和徳・10-43)」も当然ながら、上記1995年式と同仕様だった。(ナンバーは1つずれている)

その後、たしか1996~1997年のワンステップ仕様になった辺りでは、硬いプラスチックで覆われた座席に変わっているので、床もその辺で変更されているかもしれない。


・旧塗装
弘南バスでは、旧塗装の車両を新塗装に塗り替えることはしていないようだ。(塗り替える作業をしても、旧塗装で塗り替える)
そのため、肌色というかオレンジ色の旧塗装の車もたまに見かけたものだが、今回は1台も見なかった。たまたまか、それとも廃車になったのか。
(再掲)
1990(平成2)年頃の導入車まで、旧塗装だったようだ。
【2015年5月17日追記】弘南バスとしての会社設立(弘南鉄道からの分社)50周年である1991年に塗装が新しくなったらしい。→弘南バス旧塗装について


・6Eボディ
今では、古いバスの代名詞のようにとらえる愛好家も少なくない、富士重工「6Eボディ」。
(再掲)中央交通の6Eボディ
秋田の中央交通では、他社中古のいすゞの6Eボディの車が、現時点でも10台ほど残っている。

弘南バスでは、6Eボディは元から多くなく、土手町循環100円バス専用車だったのはだいぶ前に見なくなった。
今回、一般路線バス用で「10310-5(藤代車庫・か302)」という、いすゞの6Eボディが走っていたのを見た。1991年製で他社の中古だそう。→新車導入の6Eボディもあったようだ


・車体はきれいだけど…
秋田の中央交通は、ある程度の車齢の車は、サビたりつぎはぎ補修が行われたりして、ボロボロ。
ところが弘南バスは、「定期的な板金作業実施」を運輸安全マネジメントで謳っている(参考記事)とおり、古い車でも車体はきれいに整備されており、古さを感じさせない。

一方、ちょっと気になったのは、ラッピング広告。
ラッピングシートを貼る作業は、外部に委託していて、そこのせいなのかもしれないが、貼り方が下手。
つなぎ目で図柄がズレていたり、部分的に裂けて剥がれてしまったりしたものがあった。
秋田では、某商事(商工会議所会頭の会社)が貼っているそうだが、こちらは上手。


・行き先は変わったけど…
路線が再編されて終点が「相馬」から「五所局前」に変わった(短縮された)、相馬線。行き先表示は、
「相 馬」のまま
広い意味では「相馬方面」行きだし、行き先じゃなく路線名を表示しているのかもしれないし…
LEDでなく方向幕式の車両もあるから、更新が手間なのも大きな理由でしょう。

同時に桔梗野経由から桔梗野小学校前経由に変わった久渡寺線は、幕式は従来どおり経由地なしの「久渡寺」。「桔梗野 久渡寺」と経由地が入っていたLED車は見るチャンスがなくて確認できなかった。


ところで、9月1日付で弘南バスホームページにアップされた案内によれば、10月1日から「川原平」行きが短縮される。
西目屋村川原平地区が、津軽ダム建設のため無人となり、道路が閉鎖される(水没するってことでしょう)ため。
川原平と手前の3つのバス停が廃止(運賃区分にして3つ)され、「居森平」という停留所(「いもりたい」と読む?)で折り返しとなる。
ダイヤはそのままで、バスターミナル-居森平が7往復、居森平→聖愛高校が片道1本。
(再掲)川原平行き中型バス
川原平行きも「川原平」という、そっけない行き先表示だったが、さすがにこれは「居森平」に変更しないとまずいでしょう。
できれば「市役所 居森平」とか、経由地を入れてもらえると分かりやすいのですが。

※続きはこちら


・土手町循環バスの経路が複雑化
この記事中ほどの通り、昨年の「ヒロロ」オープンに伴い、土手町循環100円バスの経路が一部変更されていた。変更後初めて、当該区間を乗車した。
中央通二丁目→並木通りバスターミナル前(路上)→ヒロロ前→弘前駅前(降車専用)→弘前バスターミナルと、あえて乗り通してみた。

予想通り、回りくどかった。
弘前バスターミナル周辺をぐるりと回るのが、地理を知る者としてはもどかしい。(だったら、並木通りバスターミナル前で降りればいいのだけど)
駅前で降車を扱った後、虹のマート側からターミナルに入り、ターミナル内を1周して乗り場に入る。
そのため、ターミナル内で180度方向転換してヘアピンカーブ状にハンドルを切らないとならず、待機場所に入ろうとしていた他のバスに動いてもらったりして、大変そうだった。

ターミナル着後は、以前と同じく、時間調整または車両交換後、次の便として弘前駅前に向かって発車(虹のマート側から出て戻るルート)。従来通り、ターミナルを越えて乗り通すことも可能。

ヒロロ-弘前駅付近で、土手町循環バスどうし(ダイヤ上1本違いの便)がすれ違うダイヤのようだ。つまり、ダイヤ上、ヒロロ→駅→ターミナル(待機)→駅→大町一丁目(ヒロロ向かい)の区間が約10分もかかっていることになる。
以前から待機時間はあったので、そんなに変わらないかもしれないけれど、ターミナルを越えて土手町方面へ乗り通す人はロスタイムが多い。ヒロロ前で降りて横断して、大町一丁目へダッシュすれば、1本先の便に乗車できそうな気がしてしまうけれど、危ないのでやめましょう。(運賃を2度払わないといけなくなるし)


車内放送では、定型のバス停名や広告に加えて、次のようなフレーズが付加されていた。
・中央通二丁目
「ご乗車いただきましてありがとうございます。この先の停車停留所は、並木通りバスターミナル前、ヒロロ前、弘前駅前、弘前バスターミナルです。」
→これから先の複雑な経路を知らせてくれるのは、親切。

・弘前駅前(降車専用)
「次は、弘前駅前、弘前駅前です。降車専用のため、6番のりばに停車します。お降りのお客様は降車ボタンにてお知らせください。土手町、市役所方面へ行かれるお客様は、このままバスにご乗車くださいますよう、お願いいたします。この後は、弘前バスターミナルへ向かいます。」
→ここは全文を掲載した。弘南バスでは、全バス停でいちいち「お降りのお客様は降車ボタンにてお知らせください。」をしゃべるが、挿入位置が中途半端なような。
「降車専用のため、6番のりばに停車」というのは理由になっていないと思う。6番から駅本体へは屋根がない部分がありバス通行部分の横断も必要で、悪天候時は濡れたり滑ったりしそうでもある。

・弘前バスターミナル
「弘前バスターミナルでは、時間調整のため、多少お待ちいただく場合がございます。また、土手町、市役所方面に行かれるお客様は、乗り換えになることもございます。お乗り換えのお客様は、運賃は降車の際、運賃箱にお入れください。その際、乗換券をお渡しいたしますので、乗務員へお知らせください。この乗換券は、お乗り換えをした車両の運賃箱に降車の際、お入れくださいますよう、お願いいたします。ご乗車ありがとうございました。」
→これは経路変更以前と変わっていないと思うが、長ったらしくてややこしい。上記、説明文だけでも40秒ほどかかる。さらに「さんぱちむごむご」と「理系志望の弘高生諸君」の広告も流れる(説明より前に挿入)ので、トータル1分10秒。
「お待ちいただくお客様」も「土手町、市役所方面に行かれるお客様」なのだから、その位置もおかしいし、「お乗り換えのお客様」でないお客様は運賃を払わなくていいようにも受け取れる。
「お乗り換え」とは車両交換のことを指すのだが、車両交換しない場合は流す必要がないのに、流れてしまう。音声合成式なんだから、車両交換する時だけ流すように設定することは簡単だし、もっと簡潔な言い回しでないと、初めて乗る人は理解できないだろう。
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100回目の敬老会

2014-09-15 23:25:31 | 秋田のいろいろ
9月15日は敬老の日。ハッピーマンデーで第3月曜が敬老の日になったが、今年は6年ぶりに本来の15日。
敬老の日に関する公的な催しといえば「敬老会」。個人的には「地域ごとに高齢者を集めて、食事をしながら演芸などを楽しむ祝賀の会合」が敬老会だと思うのだけど、全国的にはどうなんだろう?

ざっと検索してみると、全国各地で敬老会が開催されている。
「敬老祝賀会」の呼称を用いる所もあるが、「敬老会」が全国的に多数派。
対象年齢は満75歳以上が多いが、70歳とか数え年77歳(浦安市や北見市)とかを基準にする所も。高齢人口増加や財政難から、年齢を引き上げる自治体も見られる。


開催単位は、自治体内を区切ったエリア(学区とか昭和の合併前の町村単位とか【16日追記】町内会・自治会といった最小単位のことも)ごとに、それぞれ会場を確保し、それぞれで内容を企画して開催する所が、地方都市を中心に多い。その場合、自治体から助成金が出るようだ。
自宅の近くで開いたほうが出かけやすいし、普段はなかなか会う機会がない地域の高齢者どうしが飲食しながら交流する場にもなっているようだ。食事の準備の都合上、事前に出欠確認が必要になる。

秋田県内の平成の大合併前から存在する9市を調べてみたところ、能代市以外はこの方式。ただし、鹿角市では、どの地区でも会場は同じ場所(記念スポーツセンター)で固定。遠方からは送迎があるのだろうか。
例外の能代市は、「能代地域」「二ツ井地域」の2つ、すなわち平成の合併前の市・町単位で一括して開催している。市のホームページには「敬老会では、式典、アトラクションなどを行います。 」とあり、食事がなさそうにも受け取れる。
さらに対象年齢は、二ツ井は「数え年75歳以上の方」だが、能代は「数え年70歳、80歳の方」と、かなり異なる。つまり、旧・能代市ではどんなに長生きしても一生のうち2回しか出席できないし、出席しても年が近い高齢者どうしの交流は望めない。
合併から8年も経つのに、まだ合併前を引きずっているようにも見えるし、財政状況が良くないようにも見えてしまう。


人口が多い大都市圏の場合。
東京23区の各区、京都市、大阪市、名古屋市などでは、地方都市のような地区ごとの敬老会を実施しているようだ。食事はない所もあるようで、小学校の体育館で学芸会を見るようなスタイルのものもある。
武蔵村山市、春日部市、国分寺市などでは、大きなホールで一度(もしくは複数回に分けて)に全市一括で敬老会を行っているようだ。この場合、当日自由参加で、式典やステージアトラクションを鑑賞するだけ。今年の国分寺市では、2度に分けて先着330名ずつ。アトラクションは「こまどり姉妹、江戸太神楽」が出演した。
つまり、成人式のような形式だ。
成人式といえば、地元のTDRからディズニーキャラクターがやって来る模様が毎年報道される、千葉県浦安市。その敬老会の内容は調べてもあまり分からなかったが、やはりホールアトラクション形式で、過去には「コント山口君と竹田君」によるコントが披露された年があったらしい。さすがに敬老会にミッキーたちは来ないようだが、山口君と竹田君のコントも気になる。

千葉県成田市では、2011年までは全市一斉にホールで開催していたが、現在は地域ごとの開催に改めたそうだ。
他の行事や催しでは「東日本では~、西日本では~」といった距離が離れた地域間で違いに傾向が見られたり、「秋田では小学校の卒業式に中学校の制服で出席する」といった特徴的なローカルルールが見られるが、敬老会に関してはそれは少なく、自治体の規模や財政状況による差が大きいように感じた。


※以下は伝聞や過去の情報を元にした記述もあります。
我が秋田市では、地域ごとの開催で食事付き。毎年何か所かは、市長が顔を出す。(議員も現れるかも?)
ちなみに、秋田市では、敬老の日前後の土日が「全市一斉スポーツレクリエーションデー」で、地域ごとの(学校行事ではない)運動会が開催されるので、準備する地域の役員さんや、運動会にも顔を出す市長は忙しい。

75歳以上が対象で、小学校の学区ごとに開く(各地区社会福祉協議会が学区と重なるため?)。ただし、学区より細かい単位で開催される所も一部ある。例えば、旭南小学校区では「茨島・卸町地区」というくくりがある((狭義の)旭南地区は別?)ようだし、桜小学区も「(狭義の)桜地区」と「横森地区」で別らしい。土崎辺りでは町内会単位で開く所もあるとか。
会場は、各地域の公民館やコミュニティセンター、小学校などが基本だが、よりふさわしい施設が存在する地域では活用して、「イヤタカ」「第一会館本館」「秋田温泉さとみ」「天然温泉こまち健康ランド」「桜ゴルフ(温泉施設併設)」といった会議場や宴会場で行っている。
前者の会場では仕出し弁当が出て、後者では各施設の料理が出るのだろう。

催しは、小学校の協力を得て、子どもたちの歌や踊りは定番かと思う。僕が小学校2年生の時は、会場で出席者にランダムに渡される「おじいさんおばあさんへ」というお手紙を書いた。こういうのは学区でなく町内会単位でやるような所はどうしているんだろう。


さて、ここでは、秋田市中央部・保戸野(ほどの)地区の今年の敬老会に注目。
「保戸野地区社会福祉協議会」が主催し、会場は、隣の旭北小学区である大町三丁目の「協働大町ビル」。※過去の記事
たしか以前は、保戸野小学区内の千秋矢留町の「旅館榮太楼(通称・栄太楼旅館)」でやっていたが、2006年に廃業してしまった。
会場設営や料理の上げ下げの手間、テーブル+椅子のほうが楽な足腰の悪い参加者のためには、借りた会場のほうが対応しやすいかもしれない。
ただ、けっこう広い保戸野小学区の反対側(千代田町とか金砂町、桜町)から出席するには、少々アクセスが悪そうだ。

敬老会対象者には、記念品が贈呈される。出席しなかった人にも、町内会を通して配られる。
タオルセットとかの場合もあるけれど、全国的に最近は地域で使える商品券を贈る所も多いようだ。かさばらないし、地域経済への貢献にもなるからだろう。

保戸野地区では、周辺の菓子店で使える「お菓子の商品券」1000円分(500円券2枚)。普段からそういう商品券が存在するのではなく、保戸野地区社福協発行の敬老の日限定。【16日追記】12月31日まで有効。
使えるお店は、高砂堂、勝月、川口屋、ぜんげつ堂、榮太楼の計5店(榮太郎は市内各所の直営9店舗で使用可)。榮太楼以外は、学区内の通町の商店街に所在。榮太楼は、学区外だけど近くに大町店(大町二丁目)があるからということか、かつての会場だった榮太楼旅館(菓子店併設)からの名残か。
商店街があって、そこに老舗菓子店が複数ある保戸野地区ならではの贈り物だ。
保戸野地区でも、御献上カスティーラとかカスタード・リーフとか新興の洋菓子専門のお店は使えない。桜町にあって閉店した「くらた」、「パティスリー ドゥ・フィーユ」の先代がやっていた通町の「双葉屋」が、もし今も営業していれば使えたかもしれない。

記念品とともに配布された、敬老会のプログラムかのように見えるB5判の紙は薄い冊子で、中が名簿になっている。
町内会ごとに75歳以上の人のお名前が、おそらく年齢が高い順に掲載されている。住所や年齢は未掲載。昔は載っていたかもしれない。
保戸野地区は、住居表示実施前の町名を付けた昔から続く小規模な町内会もあれば、戦後に田んぼが宅地化された住宅地や高層マンション(1つだけ?【17日訂正】千秋矢留町周辺に数棟あるが、うち1つはマンション全体で1つの町内会を組織しているようだ)もある。そんなわけで、お1人しかお名前がない町内もあれば、1ページ全部を1つの町内で占める町内もあった。


驚いたのは、保戸野地区の敬老会は、今年が、
「第100回」!
ということは、少なくとも100年前からやっているのでしょう。1915年・大正4年とすれば、江戸時代生まれの人たちが出席したことだろう。
ちなみに、市立保戸野小学校は今年で創立140周年。ちょうど40年違い。
今年の保戸野の敬老会には、市長は来なかったようだが、いつもどおり粛々と執り行われたのだろうか。マスコミは来なかったのだろうか。記念すべき100回なのに。


「敬老の日」という祝日は、比較的新しくできた祝日だと聞いていた。100年前はなかったはずだけど…
さかのぼれば、1947年に兵庫県野間谷村(当時)で始まった「としよりの日」がルーツで、1950年代に全国に広まって、1965年から祝日になったそうだ。
秋田市では、1952年9月15日の「広報あきた」に、「市内各学区では市、社福協、婦人会、PTA、民生委員、共同募金委員会等が主体になって左の日程で敬老会を余興や茶菓の接待で賑々しく行われる」とあり、その頃には現在並みの敬老会が確立されていたようだ。
当時から存在する学区では、少なくとも今年で第63回に達していることになるが、「第○○回」と銘打たない所もあるようで、よく分からない。

兵庫県野間谷村では、1947年以前から敬老会は行われていたそうだし、全国各地でもそうであり、保戸野でもそうだったのだろう。
「敬老会 100回」などで検索してざっと見た限りでも、
与論島朝戸(沖縄)、浦富地区(鳥取県岩美町)、面影地区(鳥取市)、戸山地区(広島市安佐南区=土砂災害の被災地とは少し離れている)、箕輪町(愛知県安城市)、手塚(長野県上田市)、田中区(熊本県菊池市)、吾平町(鹿児島県鹿屋市)、河内校区(熊本市西区)
などで、既に昨年以前に第100回の敬老会を行っていた。
特に古いのは、親田区(長野県下條村)、湯野沢(山形県鶴岡市)、大木区(愛知県豊川市)で、それぞれ2005年、2006年、2007年に100回を迎えていた。

歴史があるから良い悪いではないとはいえ、その長さだけ地域の伝統や人のつながりが長く息づいているのは確かなはず。
ただ、30年後・50年後、こうした地域はどうなっているのか、さらに敬老会という制度そのものや市自体が消滅していないか、心配ではある。

【2021年3月6日追記】まったく知らなかったが、敬老会のことを「敬老式」と称する土地もあるそうだ。秋田魁新報で三種町がそのあり方を検討しているという記事を載せた。
三種町のほか秋田県内では、能代市や北秋田市合川地区でも敬老式のようだ。
全国的にも一定数使われるようで、Google検索で"敬老式"は8200件、"敬老会"は325万件。

【2023年4月7日追記・秋田魁新報地域面より由利本荘市の敬老会について
由利本荘市では、合併前の旧1市7町で実施し、旧本荘市では地域ごとに会場を設けて開催していた。
新型コロナウイルスのリスク、地域団体による案内・出欠確認や付き添いの負担、出席率低下などを踏まえ、2023年度以降、市主催の敬老会を廃止(コロナで2020年度から中止)。今後は、町内会などが行う敬老事業の支援にシフト。敬老会開催には1人2千円、記念品には1人1千円の上限付きで補助。事業費904万円で、従来より400万円縮小できる。
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マンネリバスまつり

2014-09-13 23:18:38 | 秋田の季節・風景
9月20日の「バスの日」を前に、13日に「第19回秋田バスまつり」が開催された。
どうせなら1週間遅らせて20日にやれば良さそうだけど、いろいろあるのでしょう。【末尾追記参照】

通りすがりにちらりと見ただけだけど、基本的に例年通り。
会場は秋田駅前の「アゴラ広場」で、県内3社の路線バス車両を並べて、落書きバス、抽選会、ステージイベント、絵の展示など。
2012年だけは、会場を秋田市大町のニューシティ跡地に変えて、高速バスや貸切専業事業者の車両も展示、秋田県が開発したEVバスも来ていたが、2013年は駅前での従来のスタイルに戻った。
さらに、10年ほど前のバスまつりには、メーカーから最新型のバスが来て展示されたこともあったはずだが…


今年展示された車両を紹介しておく。買物広場バス停・大屋根側に頭を向けて縦列に中央交通、羽後交通、秋北バスの順。(毎年同じだが、秋北バスは逆向きだった年もある)
羽後交通は、
日野リエッセ「秋田200 か10-06」
番号が近い中央交通の10-04は2013年7月頃に登場している。
羽後交通では、2013年から小型バスのリエッセを中古で続々と投入しているそうで、その1台。横手市内を走っているようだ。昨年のバスまつりにも、羽後交通からはリエッセが来ていたそうだ。
羽後交通塗装のリエッセを初めて見たけれど、似合っている。
中ドアにはリフトが付いていて、車体後部には「233」だか「223」だかの社番が表記されていた。(羽後交通では社番を付与する車としない車が混在している)

秋北バスは、
三菱エアロミディ「秋田200 か10-59」
ナンバーからしてつい最近の登録で、ピカピカ。もちろん(?)中古。
ネット上の情報では、神奈川中央交通の中古で、北秋田市の米内沢営業所に配置されているそうだ。
※神奈川中央交通(神奈中)は、秋田の中央交通とは直接の関係はない。ただし、小田急系列であり、神奈中の中古車もわずかながら秋田の中央交通にも来ているので、多少は縁があるとも言える。

行き先表示は「菅谷地経由 明利又」。明利又は「あかりまた」と読むそうで、米内沢から東に入った山間部のようだ。 明利又行きは1日3便、明利又発は5便と少々不均衡なダイヤ。
国際興業グループである秋北バスとしては、いすゞ製でない車は少数派だし、さらに現行のグループ共通の緑色の塗装ではなく、オリジナルの赤・白・濃い黄の塗装も貴重。

バンパーがシルバーなのは、神奈中時代のままということだろうか。秋田の中央交通なら、真っ黒に塗ってしまいそう…(秋田市営バスからの譲渡車で先例あり)
個人的には、三菱の秋北バスでもあまり違和感はないし、秋北バスはこの塗装でなきゃと思ってしまう。この塗装を見ると、キャラメルを連想してしまう。

ノンステップではなく、テレビニュースによればこの車を使って、高齢者や障害者を疑似体験する「バリアフリー教室」が行われていた。

そして、中央交通は、
いすゞエルガミオ「秋田200 か976」 ※車体下にある箱は、落書き用のペン
昨年末入ったばかりの新車でも来るかと予想していたら、小田急バス中古のエルガミオ。976は2013年春に登場し、秋田営業所配置。

いすゞが激増している中央交通では選択の余地があまりないし、恒例の「落書きバス」にもなったので、新車を持ってくるわけにはいかなかったのかもしれない。
昨2013年のバスまつりでも、同じ976が落書きバスとして使用されており、2年連続の登板。
落書きは、車体側面ドア側の窓より下に白いラッピングシートを貼り付け、そこの部分だけにカラーペンで自由にかかせる方式。
ぐちゃぐちゃではっきり言って「汚い」 ※「出口Exit」というのも、誰かの落書きです
明日以降、しばらくはこの姿で秋田市内を走るのだろう。
今朝の秋田朝日放送「サタナビっ!」では、北秋田市森吉の小学校の児童たちが、秋北バスに落書きをしている模様が放送された。例年、バスの日に合わせて、秋田市以外ではこのような形の落書きバスが実施されているが、こちらは学校ぐるみの“計画的な落書き”であるため、見苦しくはない。


ところで、僕が行った時は、ステージ上で○×クイズが行われており、司会者がこんな問題を出していた。

「秋田市中心市街地循環バス『ぐるぐる』には、『エリアなかいち前』というバス停がある。○か×か?」

簡単なようでいて、けっこう難しい。ひっかけ問題かと思ってしまった。
なぜなら、誤っている箇所が2つあるから。
「エリアなかいち前」という停留所があるかどうかが本来の問題なんだろうが(存在しないから答えは「×」)、それ以前に循環バスは「ぐるる」であって「ぐるぐる」ではない。(だからどっちにしても「×」なわけですが)
入試や資格試験であれば、こういうのは適切な問題ではない。
問題文が間違っていたのか、司会者が読み間違えたのかは知らないけれど、バスのイベントでバスの愛称を間違うとは恥ずかしい。


以前も書いたけれど、この秋田バスまつりは、子どもたちが多く集まる人気のイベントである。
しかし、来場者のどれだけが普段バスに乗っているだろうか? どれだけがバスまつりをきっかけにバスに乗ろうと思って行動してくれるだろうか?
一方で、普段からバスを利用している人には、「バスの日」だからといって何の特典もない。バスまつり会場で回数券を買った人にはババヘラアイスをくれるようだが、だったら9月中に回数券を窓口で買った人にポケットティッシュでも配ったほうがいいのではないだろうか。
いつも秋田市でばかり開催しているが、他の都市ではやらなくていいのだろうか。(秋北バスでは、独自に大館市で無料乗車会、能代市で展示試乗会を20日に実施)
会場には「秋田運輸支局」のゼッケン(ビブスって言うのかな)を付けた人たちや、その名札を付けた偉そうな(←態度じゃなく、見た感じの役職が偉そうという意味ですよ。あ、態度もかな??)人がいたが、皆さん手持ち無沙汰なご様子。そういえば、過去のバスまつりでもこんな方々がいらした。
バスまつりの主催者は公益社団法人秋田県バス協会であり、バスまつりには協会会員である各バス会社からスタッフが派遣されているとは思っていたが、「後援」の筆頭に出ている監督官庁からも人が来ているのか。この人たち、ボランティアってことではなさそうだけど(ボランティアだったらスミマセン)、休日出勤手当てとか出ているんだろうか。出勤している人に労働の対価が支払われるのは当然ではあるが、そもそも出勤させる必要はあるのだろうか。

はっきり言ってしまえば、秋田バスまつりはマンネリ化してしまっている。
これでは、新たな参加者は少ないし、新たにバスを利用する人も少ないはず。
「まつり」といっても伝統的な祭礼ではないのだから、時代に応じて変えて、来る人を飽きさせない工夫をするべきではないだろうか。
バスまつりを続けるのなら、多くの人がバスに目を向けてくれるような目新しいことをやるべきだと思うし、秋田市以外でやるとか、“改革”ができるのではないでしょうか。
※「バスまつり」は秋田県外の各地でも開催されているが、やはりマンネリ化の傾向はあるようだ。

そういえば、7月9日から「9月上旬(予定)」まで「車両メンテナンスのため」運行休止とされていた、EVバス。9月中旬になりましたが、どうしているでしょうか…

【17日追記】翌週土曜日20日には、同じ場所で、公益社団法人秋田県トラック協会主催の「2014AKITAトラックフェスタ」が開催される。
バスまつり同様、秋田運輸支局が監督官庁であり、「後援」筆頭。また国交省職員が駆り出されるのだろうか?
10月9日の「トラックの日」にちなむのだろうから、開催日をもっと後にして、バスの日にバスまつりをやるように調整しても良かったのでは?
【21日追記】「AKITAトラックフェスタ」もちらりと見てみたが、国交省の人の存在は目立たなかった(少なくともビブス着用者はいなかった)。
岩手県では、23日に「盛岡市バスの日まつり」が開催されるとのことで、(ケーブルテレビで見た岩手放送で)テレビCMが流れていた。
展示車両だけでも、JRバス東北のこまち(E6系)カラーのバス(秋田のほか盛岡にも配置)、地元百貨店カワトクの会員送迎用(バス会社委託)ハイブリッドの日野セレガ、BRTのハイブリッドバスなど5台と、これだけでも豪華。
さらに、バスに関するトークショー、バスガイドによる紙芝居、LED行き先表示へのオリジナルメッセージ表示(15組限定)など、バスについての直接的な催しがたくさん。これと比べると、秋田のバスまつりがいかにショボくてマンネリなことか。
【22日追記】盛岡のイベントは、バス協会やバス会社のほか、運輸支局、河川国道事務所、県警、市から構成される実行委員会が主催している。
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WAON発行元

2014-09-11 23:25:17 | その他もろもろ
マックスバリュ東北の店舗では、特定期間の「5」の付く日に、電子マネー「WAON」に5000円チャージするごとに、ボックスティッシュ(トップバリュベストプライスのビニール包装150組入り)を1つくれる「お客さまわくわくデー特別企画」 を実施していた。※この記事後半

個人的には、ありがたい企画で、次はいつ開催されるか心待ちにしていたのに、2014年に入ってからは実施されていない。
さらに、消費税増税を受けたのか、配っていたティッシュペーパーの小売価格が値上がり(5個パックで178円→188円)していたので、もうやめてしまったのかと思っていた。


先日、マックスバリュ東北で買い物すると、「レジクーポン」が出てきた。
レジクーポンとは、カタリナ・マーケティング・ジャパンという企業のサービスで、レジ(POS)と連動して、その顧客に応じた割引サービスを提供するもの。特定の商品を買った客に対し、特定の商品(買ったのと同じ製品のこともあれば、競合他社製品のことも)の割引券が発券される。イオングループのほか、イトーヨーカドーなどでも採用している。
レジの横に発券機が設置されていて、昔はレシートと同じ感熱紙にモノクロ印字だったが、最近はインクジェット方式の(エプソン製らしい)粗めのカラー印字に変わっている。マックスバリュ東北のセルフレジにも設置されていて、ピーピー鳴って取るように促される。

最近、レジクーポンについてなんかヘンだと思うのが、クーポンではないものが出てくる時があること。「これはクーポン券ではありません」と印字され、単なる広告の小さいチラシである。
サービス名は「レジクーポン」というクセにこんなのが出てきて、ゴミにしかならない。
※感熱紙のレシートは古紙回収には出せないが、カラーのレジクーポンは普通紙なので古紙となる。秋田市の場合、雑誌に挟んだり、封筒に入れて資源ごみに出せるので、燃やさないようにしましょう。


今回マックスバリュでもらったのも、クーポンではなく広告。

「マックスバリュWAONチャージデー」とあり、秋田市内の3店舗限定(河辺店を除く)ながら、12月25日までの5の付く日に、5000円チャージごとにティッシュ1箱(※)プレゼントだそうで、従来と同じ企画が復活! かと思ったら違った?!
※従来と同じビニール包装のティッシュなら1「箱」は適切ではないが、まあこれはいいとして。

ティッシュをもらうのに、新たな条件が付け加えられた。
「マックスバリュ東北発行のWAON」へのチャージであること。
「マックスバリュ東北発行のお得なWAONに今すぐ乗りかえよう!」という文言もある。
マックスバリュ東北発行であれば、WAONの種類は問わないようだ
この条件が、すぐには飲み込めなかった。

WAONのカードは、イオングループの各企業経営の店舗で販売されている。
僕は今まで、カード自体は同じもので、それを各社へ振り分けて売っているのかと思っていたが、違った。(もちろんカード番号の区分はしてあって、追跡できるようにはなっているとは思っていたけど)
手持ちのカード裏面を見ると、「WAON発行元」と「カード発行元」として企業名が記載されていた。
(再掲)
僕が持っているWAONは、イオン秋田中央店で買ったものなので、どちらも「イオンリテール株式会社」となっている。
マックスバリュのようなイオンリテール以外が経営する各店舗で売られるWAON、クレジットカードや学生証などに付帯したWAONでは、ここの表記が違うようだ。表面の図柄が同じでも、裏の発行元は違う場合もあることになる。
ここが「マックスバリュ東北株式会社」名義のWAONでないと、ティッシュがもらえなくなってしまったのだった!
う~ん。


こんなことをする理由って何だろう?
単に、ティッシュを配るのが惜しいから、対象を狭めたというのはあるかもしれないが、そんな単純な話だろうか。
マックスバリュ東北としては、WAONをたくさん売りたいのだろうか? 自社発行のWAONが売れれば、1枚300円のカード発行手数料は収入になるのだろうが、わずか300円。
それ以後は、チャージして使われることの繰り返しなわけだが、同じイオングループ内での話。クレジットカードや他の電子マネーならば、手数料として支払額の何%かを取られるようだけど、イオングループ内のWAONでそんなみみっちいことをするのだろうか。イオンリテール発行だろうが、九州沖縄の会社発行だろうが、マックスバリュ東北にとっては損も得もしないんじゃないだろうか。
WAONをファミリーマートとか吉野家とか、イオングループ外で使った時は、WAONの発行元にいくらか割戻しがあって、それを期待しているのだろうか?
あるいは、親会社・イオン側から、「マックスバリュ東北でWAONを何枚売れ」とノルマを課せられているのだろうか。

客にとっては、ティッシュがもらえることはメリットではあるが、それ以外には、あえてマックスバリュ東北発行のWAONを持つことの優位性は思いつかない。
「マックスバリュ東北発行のお得なWAONに今すぐ乗りかえよう!」の「お得」って期間限定のティッシュだけのことなんでしょうか。
それだけのために、「乗りかえ」なんて言っているけれど、発行元が違うだけで機能はまったく同一の電子マネーへ乗り換えさせるなんて、おかしな話。

1人が複数枚のWAONを所有することに制限はないから、乗り換えなくても複数枚所有してもいいわけではあるが、第一、手数料300円がもったいない。(Suicaのような預り金ではないから、使わなくなっても返っては来ない)

どんな事情なのか客は知るよしもないが、レシートや看板には「AEON」ロゴを大きく入れ、「私たちはイオンです」といっている企業が、こういう時だけ「マックスバリュ東北」であることを自己主張しているようで、いい気はしないキャンペーンだ。僕のほかにも多くのお客が、こうしたWAON発行元の違いなんて知らないはずだから、混乱が生じないだろうか。
↑イオンリテール発行のWAONを持っている者の負け惜しみです。
それに、秋田のほか青森、岩手、山形、新潟の各県で広範囲に店舗展開する企業なのに、秋田市内の3店舗限定というのもみみっちい。(大々的に宣伝されていないだけで、もしかしたらよそでもやっているのかもしれないけど)


それから、ティッシュを渡す時に店側でどうやって発行元を識別するのか気になる。
今までなら、チャージのレシートで日付・金額・店名を確認するだけだった。やったことはないが、イオン銀行ATMでチャージした利用明細でも大丈夫だったらしい(他店設置のATMだとダメだったんだろうか?)。
今後は、チャージしたカードの発行元も確認しなければならない。カードを提示して、裏面の発行元をチェックするのだろうか。あるいは、レシートに識別できる記号でも印字されているのだろうか。

あと、秋田市内限定の企画なので、ほとんどいないとは思うが、岩手県で店舗展開し、今春マックスバリュ東北に吸収合併された、旧・マックスバリュ北東北発行のWAONではどうなるんだろう?



マックスバリュ東北といえば、建設中の泉店。
聞いた話では、工事は進んでいるとのこと。
公式には「今秋オープン!(予定) 」、秋田建設工業新聞では「9月18日の予定工期で建設」となっている。
そろそろオープン日が分かっても良さそうですが…
【12日追記】タイミングよく、12日にプレスリリースがあった。
「マックスバリュ泉店」9月20日・土曜日朝8時グランドオープン。(先立って19日は9時から21時までプレオープン)
営業時間は8時から24時まで。(大店法に基づく届け出では深夜2時までだったのが少し短くなった。秋田市街地の他の3店舗は24時間営業)
インストアベーカリーに秋田県のマックスバリュ初のカフェコーナーを併設。従業員81名(うち正社員9名)、駐車場160台、直営売場は1860平方メートル。
【13日追記】13日付秋田魁新報経済面でも報道された。マックスバリュ東北の「広報室は開店時期が延びたことについて「社内で開店に必要な条件を調整していた」としている。」という、答えになってない答えが載っていた。
開店時の様子
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前か入口か

2014-09-10 23:50:11 | 秋田の地理
「○○前」というバス停に続いて、「○○入口」というバス停について。
施設だけでなく集落名など地名の「入口」であることもあるが、「○○入口」バス停には、[1.○○前と○○入口が揃って存在する][2.○○前は存在せず、○○入口だけがある]の2つに大別できる。秋田市の場合、2のほうが多い。
1のケースでは、路線によっては入口と前のどちらか片方しか通らないもの(新国道経由土崎線の自衛隊入口、寺内経由土崎線の中央高校入口)、入口と前で通る路線が異なるもの(卸センター前は卸町経由新屋線、卸センター入口は柳原経由御野場団地線)があり、不慣れな乗客が「前」のつもり「入口」で降りてしまって、苦労させられることもあるだろう。某週間紙記者さんが、中央高校前を通ると思って中央高校入口しか通らない路線に乗ってしまったように。【2016年4月13日追記】この後、2016年4月に「中央高校入口」は名称が変更された。

神田線に「卸売市場入口」がある。
かつては、卸売市場の中に入る系統があったので、「卸売市場前」というバス停もあったのだが、廃止(旭野団地に振り替え)されて「入口」だけが残っていることになる。


「○○入口」バス停から「○○」までの距離は、「○○前」よりも自由度が高いわけだから、まちまち。
秋田市内で距離が長いのは、「自衛隊入口」。バス停から自衛隊の門までは1.5キロはある。
ただし、自衛隊入口の場合、バス停所在地の交差点の名称が「自衛隊入口」。バス停と交差点どちらが先か知らないが、ここは少し特殊かもしれない。

反対に、かなり近いのに「入口」になってしまったものもある。
秋田運輸支局入口:150メートル、大住小学校入口:100メートル強、秋田高校入口:門のすぐ前、など。
「秋田高専前」は高専まで300メートルもあるのに「前」だし、「築山小学校前」は学校の敷地側面の出入り口がない側にあるのに「前」。それらを踏まえれば、これらだって「前」でいいのではないだろうか。
秋田高校入口は校門の真ん前にあるけれど、校舎はそこから坂を登った上にあるので、心理的には「入口」にしたくなったのは分からないでもない。


距離うんぬんよりも、位置関係が果たして「入口」と呼べるのか疑問なものもある。
青森に飛んでしまうけれど「弘前大学入口」。
弘前大学文京町キャンパスの北西角にあるバス停。正門前にある「弘前大学前」は富田大通り経由の各路線が多数通るが、こちらはミニバス路線の城南線(バカヤローカーブ経由)がわずかに通るだけ。
バス停からすぐが弘大の敷地で、特に今は通用門もできた。感覚としては「裏口」。
「弘前大学裏」というバス停だとあんまりだから、「弘前大学北口」とか、もしくは次のバス停の名称「文京町」をこちらに使って、文京町を「寒沢町入口」にするとか…

秋田に戻って、土崎の旧国道の「港入口」。

風情のある名称ではあるが、抽象的。たしかにこの経路上では「港」というか海に近いバス停ではある。
だけど、「港」とは具体的にどこを指すのか分からないし、別にここじゃなくても隣の「港中央一丁目」でも海までの距離はそんなに違わない。この経路では、ここが秋田市ポートタワー・セリオンにいちばん近いはずだから、「セリオン入口」のほうが分かりやすいかも。


将軍野線の終点「市民生協入口」も苦しい立地。

距離にして200メートル離れた「コープあきた土崎店の入口」という意味なんだろうけれど、カーブした道の先を曲がらないとたどり着けない。
左がバス停(回転地)。奥に進んで右に生協がある
しかも、バス停の表示は
「市民生協“前”」
「市民生協前」はかなり不適切。
このバス停の表示は、市営バス時代に設置されたもので、文字の部分に赤色LEDが埋め込まれて、夜は点滅していた(今は機能していないかも)。
おそらく1994年度頃に設置されたと思われるが、このように市営バス時代は「市民生協前」と呼ぶことがあった。
生協にこだわらず、「港北小学校前」でいいのではないだろうか。【2021年1月28日追記】でも「前」というより「裏」か…
【2021年1月28日追記・改めて整理】
ここに生協ができたのは、1971年12月。秋田市民生協の1号店だったそうで、他の生協がないこともあって、「市民生協前」というバス停名になったのかもしれない。将軍野線はそれ以前からあったはずだから、その前は違う名称だった可能性あり。
コープあきたへの改称は、中央交通移管後の2008年
ちなみに、1971年当時の店舗は、現店舗の向かい。今はコープあきた本部として使う建物。1987年に現在の建物に移転。(以上追記)


ほかにはホーマックの裏にある「広面小学校入口」も少々分かりにくい。
これは新しく大きな道路(横金線)ができてしまって、昔からの道路が分断され、小学校へのルートが分かりにくくなったことが原因。


ところで、秋田市内のバス停で、バス停の位置はほとんど変わらないのに、その名称が「○○入口」から「○○前」へ、あるいは「○○前」から「○○入口」へ変わったものがあるのを、ご存じですか?
知る限りでは3つある。
まずは「千秋公園入口」。
(再掲)
1997年9月末までは「公園前」という名称だった。
まず、「千秋公園」ではなく単に「公園」だったこと。市営バスの末期には、それまで「踏切前」「市営住宅前」など大雑把なバス停名に地名を付けて分かりやすくしていたので、その一環だろう。(中央交通の昔からの路線では、今も「学校前」「貯木場前」などがある。)
本題に戻って、このバス停はお堀の向かい側にあるから、「(千秋)公園“前”」でも差し支えがないようにも思われるが、厳密にはそこはまだ公園の外。県民会館や図書館のそばの山のふもとから先が千秋公園だから、そこまでは340メートルほどある。
それで、「入口」に変えたのだろう。


次は、先日のこころ旅で判明した、謎の改称。
市営バス時代(1988年の時刻表で確認)は「金照寺山公園」だったバス停が、いつの間にか「金照寺山公園東入口」に変わり、さらにいつの間にか現地の表示が「金照寺山公園前」に変わっていた。
しかも、公式サイト等では「金照寺山公園東入口」のまま。おまけに、ここは金照寺山の西側であって、断じて「東」ではない。そもそも、「金照寺山公園」なる公園も存在するのか?
現在の現地の「金照寺山公園前」は妥当だと思うが、サイトなども修正するべきだ。


最後は、新屋。
昨春開学した秋田公立美術大学の最寄りバス停は「美術大学前」。それ以前の短大時代は「美術工芸短大入口」というバス停だった。
 (いずれも再掲)
4年制化に際して、大学名だけでなく「前」が「入口」【12日訂正】「入口」が「前」に変更された。バス停と大学の位置関係は動いていない。

バス停のそばの交差点を曲がって50メートルほどで、大学の正面(「メインアプローチ」と呼ぶようだ)に至る。
バスを降りて左折すれば

すぐに大学の正面入口(写真突き当り)
こんなに近いのに「美術工芸短大“入口”」は適切ではないと、前から思っていた。
そこで、4年制化でどうせバス停名を変えないといけないのだから、これを機に「前」にしたらどうかと、秋田市へ提案させてもらったのだ。(バス会社に言ってもらちが明かなさそうだし、4年制化は秋田市側の都合だし、しかも元は市営バスのバス停だったのだから)
それに応えてくれたのかは分からないが、結果としては思った通りになった。


ところで、どうして「美術工芸短大“入口”」というバス停名になってしまったのか、考察(憶測)してみる。
さかのぼって美短が開学したのは1995年。それ以前は「美工専」こと秋田市立美術工芸専門学校があった。
形としては、 市立美工専→公立美短→公立美大と、直前の学校を発展的に解消して現在に至っていることになっているようだが、専門学校は美短附属高等学院→美大附属高等学院と、名前が変わって現在も存続している。
1995年以前のバス停の名称は「美術工芸専門学校入口」だったはず。
現在の美大周辺。星印が大学正面
おそらく、当時の美工専の校舎は、現在の附属高等学院と同じ位置(上の地図「学院」)【末尾の18日付追記参照】。その正面は雄物川の堤防側を向いていて、バス通りからは裏に当たり、やや遠い。だから、「美工専入口」という名称は適当だったと思われる。
美短ができた時、バス停の名称は単純に「美工専」を「美短」に変えただけで、「入口」は美工専時代のまま残ってしまい、「美短入口」というバス停ができてしまったのではないだろうか。当時の秋田市交通局の考えが浅かったのかもしれない。

さらに、美工専より前にさかのぼってみる。
「美工専」という学校名になったのは1975年からで、それ以前は2年制の「秋田市立工芸学校」で、バス停名は「工芸学校前」だったそうだ。
1975年9月1日付広報あきた642号によれば、1975年9月からバス停名が変更されている(半年遅れということになるか)。その時は「美術工芸専門学校“前”」に変わったことになっている。その後、いつの間にか「入口」にさらに変わったのだろうか。

さらにさかのぼって、工芸学校が現在地に移転してきたのは1962年。それ以前のバス停名は「国立倉庫前」だったようだ。(改称年等詳細は不明)【15日追記】国立倉庫前→工芸学校前の改称時期が1968年10月20日と判明。同時に、茨島→経済大学前(現・ハローワーク前。羽後交通は今も「茨島」を使用)と、住居表示が実施された土崎地区の停留所も改称されている。(以上追記)
「国立倉庫」とは、今は大学や市立新屋図書館の一部として活用されている、旧・国立米倉庫のこと。(米倉庫として現役だったのは1935年から1990年)
したがって、ここは、国立倉庫前→工芸学校前→美術工芸専門学校前→美術工芸専門学校入口→美術工芸短大入口→美術大学前と、施設名だけでなく前か入口かも変遷している停留所になる。

補足。
・バス停の設置位置は、少なくとも秋田大橋の架け替え・取付道路の変更に伴って上下とも若干移動しており、現在は交差点の手前(北)にある下り側は、以前は交差点の先(南)にあった。いずれにしても「前」で差し支えない距離・位置だったと思う。
・羽後交通でも、同時に美術工芸短大入口→美術大学前と改称しているが、ここに羽後交通のバス停が設置されたのはわりと最近(2000年前後?)なので、美工専以前はバス停自体がなかった。
・市営バスの末期は、車内放送で「新屋図書館入口でございます」というフレーズが流れていた。これは「前」よりは「入口」が適当だろう。図書館へは次の「西中学校前」でもいいような気がするが、秋田駅方面からでは運賃が高くなる。
・美大開学前後とも、印刷物などでは混同・誤解されて「美術工芸短大“前”」「美術大学“入口”」と記載されてしまった/しまうことがあるのは残念。
【18日追記】国土地理院の昔の航空写真で確認してみた。
1970年代の写真では、美工専らしき建物は、現在の附属高等学院と同じ位置に建っていた。しかし、現在正面である校舎東側の道路自体がなく、校舎北側(現在は駐車場がある側。上の地図で「学院」の「学」付近)から出入りしていたと考えられる。
また、米倉庫と現在の美大正面を結ぶ通路があった。米倉庫当時の正面=美短・美大正面のようだ。(以上追記)


以上、バス会社にもよるのだろうけれど、バス停の命名ってけっこういい加減な部分もある。
利用する人が分かればそれでもいいけれど、初めて乗車する人などを混乱させることもあるから、実情に即して分かりやすくしてほしい。

【10月5日】新国道経由各路線の「高野(こうや)二区」停留所では、車内放送では「次は、高野二区、高野二区。聖霊短大前でございます。」とアナウンスされる。
以前取り上げたのと同じケースではあるが、バス停から短大の門まででも400メートルほどあり、知らない人はたどり着きづらそう。「聖霊短大入口」が妥当かもしれない。
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アベックトースト・月見

2014-09-08 23:04:07 | ランチパック
秋田を代表する食べ物の1つである、たけや製パン「アベックトースト」。
長らく、いちごジャムとマーガリンの組み合わせの1種類だけが、かたくなに販売されていた。
ところが、2012年10月から突如、期間限定で組み合わせを変えた姉妹品が発売されるようになった。把握しているもの(これでおそらく全種類)を挙げておく。
・2012年10月発売「メープル&マーガリン
・2013年5月発売「はちみつ&マーガリン」
・2013年9月発売「山ぶどうジャム」※商品名には含まれていないが他と同じくマーガリンも入る
・2013年12月発売「りんごジャム&マーガリン」
・(2014年5月再発売「メープル&マーガリン」)
以上、4種類が出ていたが、いずれもジャムやシロップ類の組み合わせ相手は、マーガリン。
マーガリン以外のものとの組み合わせまで考えが至らないのか、でなければたけやの方針なのかと思っていた。

今月(2014年9月)から第5弾が発売され、それが!
アベックトースト ブルーベリー&チーズクリーム 1包装557kcal
マーガリンが入らないアベックトーストが初めて発売された!!
ブルーベリーはジャム。
包装の左上の色がついた部分は、従来は単色だったのに、これは濃淡の縦縞になっている。ちびまる子の「顔に縦線」状態を連想してしまった…

中は、マーガリンの代わりにクリームが入っている(←当たり前)
食べた感想は、今まで食べたアベックトーストの中では、いちばんおいしくて好き。
チーズクリームがさわやかな味で、ブルーベリージャムと合う。夏に冷やして食べるとおいしいかも。
ただし、チーズクリームは思ったより「軽い」というか「お菓子っぽい」というか、要は「安っぽい」気がしなくもない。

僕はアベックトーストは好きではないのだが、食パン自体のモゴモゴ(学校給食のトラウマ)のほか、マーガリンの量が多すぎてしょっぱいことも原因だった。この商品では、それは解消されていることになる。これなら、たまには食べてもいいかな。
あと、ジャムとマーガリンの従来のアベックトーストは、食べる時にトーストして食べる人もいるけれど、この商品ではやらないほうが無難でしょう。チーズクリームを加熱したらどうなるんだろう?

他に今月の新商品では、伝統の「粒あんグッディ」を小さくして4個詰めにした「ミニミニグッディ」なるものも目新しい。


8月発売のものから1つ。
デリカトースト ツナチーズ 308kcal
食パンの間にモノを挟んだ、惣菜系パン。2枚1組。
普通のスライスチーズとランチパックと同じようなツナサラダ
ランチパックも含めて、ツナとチーズの組み合わせって、ありそうでなかった。悪くない。
食パンはアベックトーストと同じだろうか。
ちなみに工藤パンでは、9月からイギリストーストの「タマゴ」と「ツナサラダ」が発売された。



ところで、今日は中秋の名月。例年よりはちょっと早め。秋田市ではとてもきれいに見えた。
NHK秋田のローカル番組では、昨年のような装飾は一切なし。屋上カメラで月をドアップにしただけだった。
いくつかのスーパーで、たけやの月見商品を見てみた。他の和菓子メーカーのものを多く扱う店もあり、平均すればたけやのシェアは半分くらいだろうか。
たけや 名月だんご ※月見前に消費期限を迎えてしまうものもあって、見切り品で購入
手のひらほどの小さなお皿に、つぶあん入りだんごが5個入る、お手頃サイズ。200円弱。
てっぺんの1個が黄色く、ウサギの焼き印入り
たけやの和菓子だから、おいしいだろうと期待したけれど、残念ながらそれほどでもなかった。なんか表面が油っぽいようでイマイチ。

他には、
・「月見大福」名月だんごよりも大きめの6個入り。大福だから粉がまぶしてある。やはり上の1つは黄色。300円前後。
・中ぐらいのまんじゅう3個が1列に並んだセット。両端2個は白く、ウサギ焼き印。中央の1個は、黄色いプリンみたいな形。200円強。
・まんじゅうと串だんご(あんこと草)【15日訂正・だんごはあんこの草とみたらし、さらに大福も入っていたようだ】のセット。300円弱。
以上、たけやだけでも4種類を確認できた。昔は、まんじゅうを積み重ねた商品があったはずだが、それは確認できなかった。
昨年開設されたたけやのホームページでは、お盆のお供え商品は紹介ページがアップされていた。
だから月見商品も…と思ったら、紹介されていない。せっかくホームページがあるのに、もったいないよ。

ちなみに青森の工藤パンでは、「季節商品」ページで月見商品をきちんと紹介している。
和菓子では「月見大福・万十詰合せ」、「月見まんじゅう(15入)」、「月見粉付だんご(15入)」があるそうで、おいしそう。※2019年の工藤パンの月見商品

【10月7日追記】この後、10月6日が「十三夜」の月見。(雨降りで見られなかった)
秋田市内のスーパーでは、十三夜向けの月見商品はほとんど見かけなかった。小売店が仕入れないのか、たけやなどメーカーが製造しないのか分からないが、風習・文化としては月見が複数回あるのに、最初の1回しかそれ用の物を売らないとは、風習や文化を軽視・冒涜している。とは言い過ぎか。
バレンタインとか恵方巻きのように、商業界から広まった風習があるけれど、月見のように商業界が縮小させてしまう風習もありそうだ。

【2016年10月14日追記】さらにその後、2016年10月の十三夜では、複数のスーパーで、複数メーカーの月見菓子が売られていた。ヤマザキではバラ売りの月見大福、たけやではだんご3本、黄色い大福、ウサギ形まんじゅうをセットしたものなど、2014年の十三夜よりもずっとラインナップが豊富な印象。いいことだ。



最後に、9月6日の朝日新聞土曜版「赤be」の連載「帰ってきた食べテツの女」で、たけや製パンが取り上げられた。
食べテツ評論家・荷宮和子さんという人が、全国各地を鉄道で旅して、その土地の駅弁やB級レベルのご当地食品を紹介するもの。
8月9日からは、主に秋田駅のNEWDAYSで買ったもの(酒類や羽後町の米)が紹介されてきた。訪問は今年の3月末のようで、写真のパンのパッケージの消費期限が3月27日と確認できる。
(16日は休刊だったので)4回目の6日は「こまちで明日のパンを買う」として、たけやのチョコトースト(復刻版。現在は発売終了)、アベックトースト、学生調理が取り上げられていた。
でも、タイトルの「こまちで」というのはどういうことか? 本文中には「こまち」はひとことも出ていないのだが…
あと、東北地方は地場のパンメーカーが多いとして「岩手に『シライシパン』あれば、秋田に『たけや製パン』あり!」とあるけれど、個人的にはここは「青森に『工藤パン』あれば」としてほしかったな…

「週間女性」で紹介された時は、その旨を開設直後のたけや公式ホームページに記載していたが、今回は今のところなし。
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「前」のバス停

2014-09-07 23:55:07 | 秋田の地理
9月20日は「バスの日」なので、それにちなんで(かこつけて)バス停の名称のお話。

バス停名の由来は、「地名」と「施設名」に大別できるだろう。
施設に用があってバスに乗る人には、施設名のほうが分かりやすから、「○○前」という名称バス停はたくさんある。
ただし、施設名が変更されたり廃止されたりした時は、バス停名を変更する手間が生じる。秋田では、長崎屋、歓喜寺、交通公社のようにかたくなに変更しないものもあるけれど…

それに、1つのバス停に対して複数の施設がある場合は、そのすべてをバス停名に採用すると長くなるので、その取捨選択が求められる。
秋田市に「県立体育館前」というバス停があるが、体育館の近隣にある秋田県児童会館や秋田県立図書館は無視されてしまっている。体育館がいちばん古いから、最初のバス停名がそのまま残っているのだろう。
一方で、「県庁市役所前(中黒はないらしい)」、「秋田市保健所前・サンライフ秋田前」「八橋市民広場・裁判所前」「秋田中央郵便局・社会保険事務所前」といった、2つ併記のバス停はある。(いずれも市営バス時代の命名。市民広場や社保事務所は名称が変わっているのにそのままでもある)
「秋田市保健所前・サンライフ秋田前」
秋田市保健所が発足したのは、中核市になった1997年。それ以前は「サンライフ秋田・秋田市保健センター前」という名称だったようだ(1988年度冊子時刻表より)。秋田市保健センター自体は、今も存在する。

秋田では、現地の表記、車内放送、ホームページや路線図での表記が統一されていないものもある。
市営バス時代の「県庁市役所前」停留所の待合所内の壁掛け式バス接近表示では、
 
市役所側にある上りは「市役所前」、県庁側の下りは「県庁前」 ※現在は撤去されている

真ん前に施設があるのに、それがバス停名に採用されないものもある。
例えば、秋田市営バス単独だった路線にある、市立小学校の前にあるバス停。
旭南小学校、土崎小学校、土崎南小学校などは「~前」。それなのに、
(再掲)後ろは外旭川小学校
外旭川小学校の前にあるバス停は外旭川小学校前ではなく「神田」。同じ神田線の「すわ町」だって保戸野小学校前でも良さそう。
神田の場合、ここが神田じゃなかったら、「神田線」の路線名が危うくなるという理由もあるんでしょう。
【11日追記】1951年11月20日付広報あきたによれば、「大廻線」に「保戸野小学校前」というバス停が実在していた。おそらく1966年の住居表示実施後に、「すわ町」に改称されたのだろう。
この区間の「大廻線」は現在の楢山大回線と同じ経路で、1985年頃までは神田線・添川線も同じ経路。1951年当時は、愛宕町-保戸野小学校前-大工町という順で、現在の原の町(大回線側)-すわ町-菊谷小路に対応すると考えられる。

要はケースバイケースというか臨機応変というか、その時の気分というか、なのでしょう。

以前記事にして、いまだに謎なのだけど、「旭北前」については意味が分からない。
(再掲)市営バス時代からの表示板
地名である「旭北(きょくほく)」の「前」ってどういうことなんだろう?


「○○前」というバス停なのに、実際にはバス停がその「○○」の真ん前じゃなく、けっこう距離が離れていたり、バス停から施設に行くには小路に入ったりするものがある。
交差点や道路形状、道幅により、真ん前にバス停を設置できないという事情があるのは当然ではあるけれど、初めて訪れる人がバスで降り立って、施設にたどり着くのに少々戸惑ってしまうかもしれない。

例を挙げてみる。(距離は各施設の門など、外来者が敷地内へ至る最短距離でおおよそ)
秋田高専前:300メートル、ハローワーク前(大町経由側):200メートル強、自衛隊前:200メートル、上下水道局前:200メートル、総社神社前:200メートル、築山小学校前:150メートル(バス停位置は前というより「脇」)、栗田神社前:150メートル、将軍野郵便局前:150メートル
【8日追記】上下水道局前(旧・水道局前)のバス停は、秋田刑務所の真ん前。だからといって「刑務所前」にするわけにもいかず、近くにある秋田市の施設である水道局を採用したのだろう。なお、30年少し前までは職業安定所が近くにあったが、1988年の時刻表によれば採用されておらず、バス停は「水道局前」だった。(1988年時点で、新屋線の今のハローワーク前は「茨島二丁目」だった)

ちなみに、大回り線の「歓喜寺前」は、以前は150メートルほどだったが、今はお寺が移転してバス停はそのままだから、4.6キロも離れている…改称しないの?※だいぶ経ってから改称
(再掲)下り総社神社前。後ろの森が総社神社
総社神社前から総社神社の正面(参道や鳥居がある)までは、約200メートル。しかし、1つ駅寄りの「川尻十字路」停留所からだと100メートルほど。
下り川尻十字路 ※向かい側奥にある火の見櫓は、今はなくなっている

●がバス停の位置


少々説明が必要なのが「北都銀行前」。
周辺図
まず、上りと下りのバス停位置がけっこうズレている。100メートルほどか。これは、交差点や交わる道路の関係か。
上の図でマル1の建物が「北都銀行本店」。そして下りバス停の真ん前にあるマル2が「北都ビルディング」。「北都銀行前」というバス停なわけだから、「マル1の前」という意味だと、とらえるべきであろう。となると、下り側バス停からは200メートルも離れている。
というのは、今現在のお話で、昔は違った。

「北都銀行」という銀行ができたのは1993年。羽後銀行と秋田あけぼの銀行が合併して発足した。
現在の北都銀行本店(マル1)は、それ以前は「羽後銀行本店」だった。そして現在、北都ビルディングであるマル2が「秋田あけぼの銀行本店」だった。
その頃のバス停は、「羽後銀行前」ではなく「あけぼの銀行前」だったのだ。
なお、秋田あけぼの銀行は1989年までは「秋田相互銀行」だった(本店は同じ位置)ので、バス停名も「相互銀行前」だった。

つまり、特に下り側は、(相互・あけぼの)銀行の真ん前にバス停があった。
したがって、このバス停は、1990年前後のわずかな間に相互銀行前→あけぼの銀行前→北都銀行前と名称が変遷し、その間に対象となる建物がすり替わったわけだ。


さて、「○○前」のほかに施設名が入るバス停の定番といえば「○○入口」。続きます
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