広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

蛭子太川は本荘ゴール? 他

2016-12-30 00:24:31 | 秋田のいろいろ
秋田のバスの話題をいろいろ。
この時期恒例になったのか、今年も中央交通に路線用新車が導入されたとの情報をいただいていますが、まだ遭遇できていないので、来年へ持ち越し。羽後交通の中古車のことも。それ以外のこまごまとしたこと。

●信号待ち
気のせいかもしれないけれど、今年の夏頃、中央交通のバスの信号待ちなどでの停車の仕方が変わったようだ。
停車がある程度の時間になる場合、パーキングブレーキの使用を使う場合(使う運転士)が、多くなったと思う。

昔のバスでは、普通乗用車でも一般的な、レバーを引き上げるいわゆるサイドブレーキだったが、2000年頃より後に製造されたバスでは、圧縮空気を使った「ホイールパーク」というブレーキに代わっている。
シフトレバー横のレバーで緩解するもので、かけた時には「ぷはー」というエアが抜ける音が、車外でも聞こえる。
夏以降、秋田市内2営業所の車両とも、赤信号で停まって「ぷはー」というバスが増えた気がしている。【1月4日追記】ぷはーよりも鋭い「ふしゅー」などメーカーや車種で音は違う。

うっかりブレーキペダルから足を離してしまって動き出すのを防止するための安全対策として、全社挙げて使用を励行しているのだろうか。
熱心に観察していないので、古いバスではサイドブレーキを使っているのかは分からないし、同様の危険があるはずのバス停での降車扱い時は使わないことが多いような気もしている。
そもそも、ホイールパーク搭載車でも全運転士が使っているわけでもないのだけど、以前よりは使う人がぐっと増えているようには感じるのだけど…
【30日追記】秋田市交通局から譲渡されたオートマチック車(古いのでサイドブレーキ式)に乗ったら、Dレンジのままでブレーキペダルを踏んだままで信号待ちしていた。クリープ現象で動いてしまうオートマ車こそ、信号待ちや乗降時には最低限Nレンジに入れるべきだと、市営バス時代から思っているのだが、あまり実行しているのを見かけない。(普通乗用車でもそうしたほうがいいと、個人的には考えているのですが…)


●停車するまで→ドアが開くまで
車内での転倒事故防止の取り組み。
乗客にとっては非常に危険だし、場合によっては運転士やバス会社が責任を問われるので、重要なのは重々承知している。それを否定するつもりはないのだけど、周知の言い回しについて。

近年、公益社団法人日本バス協会が主導しているのか、全国のバス事業者でその注意喚起が行われている。
中央交通では、降車ボタンを押した時に流れる自動放送「次、停まります」に続いて、2010年10月から「停車するまで席を立たないでください」が付け加えられた。
今年10月からは、その部分が「ドアが開くまで席を立たないでください」に差し替えられた。

「停車するまで」から「ドアが開くまで」への変更をコメントで教えてもらって知り、自分で実際に聞いても、最初はふーんとしか思わなかった。停まるか/ドアが開くか、大した違いじゃないと。
気づいたら、日本バス協会作成の啓発ポスターなども、同じデザインで文字部分が「バス停に着いてから席をお立ち願います。」が「扉が開いてから席をお立ち願います。」に変わっていた。じゃあ、この変更もバス協会の方針なんだろう。
宝くじからもらった新ステッカーもバス協会名義で「開いてから」
変更の目的は、バス停の少し手前で前に車がつかえていて停車しただけなのに、その時点で立たれたら、再発進時に危ないからかな…と思った。


目的はともかく、後に観察したり考えたりしたら、秋田のような前ドアから降りるバス事業者では、変更後のほうがかえって危険なケースがあり得ると思うようになった。つまり、首都圏のような中ドアから降りるバス事業者にはない、注意するべき点があるのだ。

最近のバスの車両は、「アクセルインターロック(開扉発車防止装置)」といって、停車するだけでなく、ギアをニュートラル位置にしないと、中ドアが開かない(または中ドアを閉めないとギアを入れられない)仕組みになっているという。(運転士には、まどろっこしく感じられて評判は芳しくないみたいだけど、安全上仕方ない)

首都圏などのバスは、中ドアから客を降ろすし、インターロック装備の新しいバスが多い。だから、「停まってから~」より「ドアが開いてから~」のほうが、走行中の転倒事故の危険は少なく(理論的にはゼロに)なるだろう。バスが停車する→ドアが開くという順番が、物理的に徹底されているのだから。

しかし、前ドアから降ろす地方のバスでは違う。前ドアにはインターロックがないのが普通であり、走行中でも前ドアを開けることは可能。
そのことを利用して、バス停に到着する直前のバスがまだ動いている(時速5キロくらい)うちに、ドアを開けるせっかちな(?)運転士もいる。僕が意識した10月だけで、2度遭遇した。※中央交通に限ったことでなく、かつての秋田市営バスなど各地でせっかちな運転士は存在する。
つまり、ドアが開く→バスが停車するという順番。

そんな場合、「ドアが開いてから席をお立ちください」を言葉通りに受け取れば、従来の「停まってから~」よりも早い段階で席を立つことが許されてしまったことになる。すなわち、車内事故の発生確率が高くなってしまったことにならないだろうか。

日本バス協会が東京の感覚で全国の加盟各事業者にお達しを下しているのだろうか。中央交通など地方の各バス会社も、現場のことを考えずに、それを黙って受け入れてしまったのだろうか。
文言を「停まってから~」に戻すか、停車してから前ドアを開けることを徹底させるか、どちらかをするべきだと感じた。

中央交通に言っても「協会からの通達だから」と変えなさそうだし、日本バス協会はホームページでの意見を受け付けていない。そこで、国土交通省の本省に、中央交通さんの名前は出さずに「前降り方式で『開いてから』はかえって危険です。地方の実情を踏まえずにバス協会が一方的に通達しているのではないでしょうか。」と意見を送った。
すると、最近はせっかちな運転士に遭遇しなくなったような気がする。気のせいか。【2017年10月28日補足】気のせいだったようだ。それ以後でもそれなりにいる。


繰り返しますが、車内事故は危険。客は走行中は立ったり動き回ったりするべきではないし、運転士には面倒でも安全な方法を実行してほしい。そして、バス会社経営陣や業界団体、監督官庁には、現場の実情を見て方針を決めてほしい。

ちなみに、秋田市中心市街地循環バス用の車両では、音声データの更新が遅れて(忘れて??)いるようだ。予備車の日野リエッセ「129」では、29日時点でも「停車するまで~」のままだった。【30日追記】専用塗装車「834」も未更新。
【2017年1月20日追記】「834」の放送が「ドアが開くまで~」に更新されていた。【2018年5月25日追記】もう1台「835」も未更新だったのが、2018年5月頃までにやっと更新。

【30日追記】北九州市ホームページ(http://www.city.kitakyushu.lg.jp/koutsuu/08200026.html)によれば、北九州市交通局のバスでは、「車内転倒事故防止の強化として」「「バスが止まってから席をお立ちください」の車内アナウンスを、平成23年7月より「バスのドアが開いてから席をお立ちください」に変更」しているとのこと。
その5年後に変更した秋田では、上記の通り少なくとも10月初めの状況では、必ずしも「車内転倒事故防止の強化」にはつながっていなかったことになる。

さらに、九州産交バスでは、ホームページで客からの意見とその回答を掲載していて、2009年6月には一般路線バスにおいて「車内放送で『事故防止のため車が完全に止まってから席をお立ちください』(中略)など、アナウンスがありますが、たまに、バスが完全に止まる前にドアを開ける運転士がいる。」との意見があり、バス会社側はそれは適切な対応ではなく「教育指導」の対象になり得ると受け取れる趣旨の回答をしている。

【2017年4月19日追記】中央交通のほか、静岡のしずてつジャストラインでは、従来からの赤紫の「停まってから」のシールと、上に写真がある宝くじの「ドアが開いてから」のシールを、座席前に上下に並べて貼っている車両がある。前のをはがしたほうがいいのでは…(以上追記)


●リムジン券売機の影響
秋田市内と秋田空港を結ぶ空港リムジンバス。
秋田空港には、前から食券用のような乗車券の券売機があったのに対し、秋田駅では、西口の案内所の窓口で、乗車券を販売していた。
ほかにも、ほとんど宣伝していないが、一般路線バス用の回数券でも支払えた【2017年1月21日補足・ホームページのリムジンバス運賃のところに、各種回数券でも支払いできる旨が記載されていた。】はず(車内での発売はなし?)だし、羽田空港からの京浜急行の乗車券とセットになったきっぷもあったはず。もちろん車内で現金支払いも可能。

今年11月14日に気づいたのだが、西口の案内所の中に、リムジンバス乗車券券売機が設置されていた。窓口に向かって右側のガラスの壁のところ。
(再掲)設置前の撮影。このガラスドアの中、右の壁際に左向きに設置された
相変わらず食券券売機風だけど、カラー液晶が付いていて、2枚以上を同時に買えたりするようだ。
リムジン専用で一般路線の乗車券は買えない。(弘前バスターミナルの券売機では一般路線も買えて、長距離は往復割引も利いたかな)

バス会社にとっても、リムジンバス利用者にとっても、スムーズになって便利なんだろうけど、一般路線バス利用者が回数券を買ったり問い合わせたくて窓口に寄る時は、少々困る。
案内所内の客用スペースは狭く、券売機設置を想定していない。券売機を使う人は、そこに大きな荷物を持って列を作っていることがある。
券売機より奥の窓口へ行くには、「ちょっとすみません」とそこへ入って行かなければならないのだ。
やっぱりあのバス乗り場は、見栄えは良好だけど使い勝手がいまいち

首都圏から来る人には、Suicaなど交通系電子マネーで支払えたほうが便利だろうし、バス会社も処理が楽。設備などの経費はかかるでしょうけど。IC乗車券導入も来年には何か動きがあるでしょうか。

【2017年1月3日追記】西口の券売機は、窓口の営業時間よりも長く(早くから遅くまで)稼働していて、窓口が閉まっていても乗車券を買えるメリットがあった。また、領収書を発行する機能もあるので、その点も。
※詳細はこちら


●名コンビのゴールの地が!
テレビ東京「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」に2007年から出演していた、蛭子能収、太川陽介のコンビが、2017年1月2日放送の第25弾をもって勇退することになった。
11月に田中要次、羽田圭介が旅する特別編(秋田、岩手、BSでは未放送)があったそうだが、それはその時限りで、後任は未定らしい。

この番組で秋田県内を通ったのは、2010年の第7弾2013年の第15弾の2回。
秋田では、県境で路線が長い距離でつながっていないばかりか、県内のエリア間を結ぶ一般路線バスさえなくなったものが少なくないため、もうこの番組が秋田に来ることはないと思っていた。

ところが、第25弾の予告を見てびっくり。
コースが「福島・会津若松~秋田・由利本荘」とのこと!
9年間25回にわたった蛭子・太川コンビの最終目的地が、本荘ということになる。

過去2回は夏の旅だったが、今回は冬。今年は雪は少ないけれど。
本荘へ至るのは、山形県から入ると思われるが、酒田・象潟ルートなのか、新庄・横手ルートなのか。
前者は第7弾の逆方向。7弾当時は鳥海山登山向けバスがあったが、今は?
後者は横手までは第15弾と同じ。県境の徒歩で苦労していたが、横手から本荘は急行バス1本でつながる。
あるいは、岩手などさらに別のルートがあるのか?
※結果はこの記事後半

秋田でケーブルテレビの岩手放送やBSジャパンで視聴できるのは、少し先になりそうだけど、楽しみ。15弾のように、秋田テレビは単発で購入して放送するのだろうか。→BSと岩手放送は2月中に放送。秋田テレビでは4月15日と23日に分けて放送。
そうそう、バス協会でこのおふたりの功績を讃えて、表彰でもしたらいかがでしょう。あるいは車内事故防止の啓発キャラクターに起用とか。【30日追記】バスが停まりきらないうちに前方へ移動して、運転士に乗り継ぎを尋ねることもあるから、車内事故防止の観点でふさわしいとは言えないかも…
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ごきげんようの思い出

2016-12-27 20:55:19 | 昔のこと
遅くなったけれど、今春終了したテレビ番組の思い出。2016年3月31日に放送を終えた「ライオンのごきげんよう」のこと。
「ライオンの」はスポンサーであるライオン株式会社(ハミガキとか洗剤の)のことで、単に「ごきげんよう」と呼ばれることが多かったので、以下、そう記します。敬称略。

放送はフジテレビ系列で月曜から金曜日の13時00分から30分間。※2015年度は5分繰り上げ。
もともとは1964年にライオンがスポンサーのドラマ枠として始まり、1984年10月に当時若手だった小堺一機を司会にしたトークショー「ライオンのいただきます」となる。裏番組として日本テレビ系で「ごちそうさま」という料理番組が放送されていたものを意識した番組名。
1982~2014年放送の「森田一義アワー 笑っていいとも!」の直後の枠であり、スタジオアルタを引き続き使っての生放送。したがって、当時は笑っていいとも増刊号でいわゆる“後説”を放送する「放送終了後のお楽しみ」コーナーはなかったことになる。
「いただきます」のコーナーはいくつか変遷があったそうだが、塩沢ときや淡谷のり子のような高齢の女性有名人とのやり取りが人気で、僕もその記憶がある。
なお、いただきます、ごきげんようとも、フジテレビ系列局がない地域では、他系列局で遅れて放送されていた地域があった。笑っていいともとは異なる局で放送する地域もあって、青森県では、いいともは青森テレビ、いただきますは青森放送で放送していたとのこと(ごきげんようは放送されず)。

企業としてのライオンが100周年を迎え、ロゴが変更された1991年1月に、「ごきげんよう」が始まった。
引き続き小堺一機が司会で、生放送ではない収録のトーク番組にリニューアル。
当初は一般的なトーク番組のスタイルだったが(なんとなく記憶している)、後にこの番組の代名詞である「サイコロトーク」が始まる。同年夏休み中の企画で試行したのが好評で、9月9日から正式採用された。

サイコロトークとは、
・1人のゲストが3日(回)連続して出演し、毎日1人ずつ入れ替わる。
・その日初回出演の人から1人ずつ順番にトークし、その間、他の2人は小堺とともに聞き役。1人ずつのトークの時間は決められておらず、適当なタイミングを見計らって終わりを促すチャイムが鳴る。
・「情けない話」「初めて○○した話」など話すテーマが書かれた大きな丸っこいサイコロがあり、トークの前にゲスト自身がそれを振る(床に転がす)。ゲストは出た“目”に沿った内容の話をしなければならない。
といったもの。

ゲストは、老若男女問わず幅広いジャンルから招かれ、同日に出演する3人は、この番組でなければ共演することはなかったであろう組み合わせのこともあった。男女のバランスは考慮されていたようで、男ばかりまたは女ばかりという回は、まずなかったと思う。
夏休みなどは、通常の流れを中断して別の3人を呼んで、3人とも1日限りということはあったが、このパターンが長く継続された。

放送期間が長かっただけに、常連のゲストもいた。
クリスマスに「明石家サンタ」の宣伝を兼ねた明石家さんま(小堺はトナカイの格好をする)、正月の北島三郎、夏の稲川淳二(怪談スペシャルになることも)、夏にアメリカから帰省して稼ぐ野沢直子など。
にぎやかにインパクトある話をする磯野貴理子もしょっちゅう来ており、ゲストとして最多の142回出演だそう。142というのは放送回数だろうから、3で割ると47.3回呼ばれたことになり、年に2回は出ていた計算。割り切れないのは特番などの関係?

視聴者から、その年(または半年)の放送でおもしろかった話を募る「ごきげんよう大賞」が年末などに放送されていた時期もあり、磯野貴理子は常連だった。「電車で乗り合わせた女子高生が、『バイト先でバーコード頭のオヤジをスキャンしてみたら、10円と表示された』と話していた」とか。

2004年にはグッチ裕三、その後にモト冬樹が出演した時は、三宅裕司夫人の天然エピソードを話し、三宅夫人の存在を知らしめた。「マソリン、ガンタン」とか「『口紅を拭いてください』と言われて口笛を吹いた」とか。
森公美子もけっこう出て、おかしな人(一般人)に遭遇した話をよくしていた印象。


その他のこまごまとした番組の設定としては、
・テーブルを前にソファが置かれたセット(何度か代替わり)。
画面に向かって左から3日目のゲスト・2日目のゲスト・小堺・初日のゲストでトークスタート。初日ゲストのトークが終わると、ゲストが1席ずつ時計回りに移動する「席替え」を行う。小堺が立っている状態で席替えが行われるため、小堺の席(背もたれがない)に座ってしまうゲストが時々出現。

・サイコロが転がっている間は音楽が流れ、小堺が「何が出るかな、何が出るかな」と歌詞を付けて歌うことが多かった。
この音楽は、薬師丸ひろ子の「ハードデイズ ラグ」という歌の終わり(アウトロ)部分。テンポを若干変えていたかも。
「ハードデイズ ラグ」は阿木燿子作詞、梅林茂作曲、武部聡志編曲の、OLの1週間を歌うもの。1986年発売の「紳士同盟」のB面曲。
番組内では、その音楽がそういう歌であることの言及はあっただろうか。薬師丸ひろ子は今も歌手活動をしているし、ごきげんようにゲスト出演したこともあったかもしれないから、触れても良さそうなのに。

・スタジオには女性を中心とした観覧客。
サイコロの目が出ると、小堺が「『情けない話』略して…」と振ったのに対し、「なさばなー」と声を揃える。同日に同じ目が2回出ると、「なさばなパート2」となる。略さずに「『信じられない話』アンビリーバボー」に対して「アンビリーバボー!」などと復唱する目もあった。ゲストに、観客の統制が見事なことを指摘されると、小堺は「河口湖(山中湖?)で合宿してますから」と答えていた。

・ゲストには飲み物が出されていたが、中期頃までは「おやつ」も出されていた。
1991年のサイコロ正式導入初回(マルシア、松尾伴内、高見恭子がゲスト)には、リンゴらしきものが出されていた。
各地の銘菓やフードコーディネーターが作ったお菓子が説明付きで出されたこともあり、さらに「おやつボーイズ」というおやつ出し・説明専門の出演者がいたことも。おやつボーイズは1998年頃まで出ており、2014年に久々に出演したとのこと。
飲み物やおやつは、席替え時はゲストが各自持って移動するのだが、たまに錯綜することも。

・1990年代前半のごく一時期だと思われるが、席替え時に観客も席替えをしていたことがあった。聞きたいサイコロの目ごとに席が区分けされていて、そこを移動したのかな?
そのために「サイコロポリス」という人員が配置されていた。
席替え中の音楽(曲名は不明だが、放送初期から末期まで同じ曲がずっと使われたか)に合わせて、警備員風の服装の男が客席の間で交通整理風のダンスを踊る(?)ような感じ。

・番組冒頭は、サイコロトークとは別のミニコーナー(心理テストやゲストが初めて買ったレコードを紹介するなど)があった時期も長かった。
1990年代後半だったか、正月の特別コーナーとして、「さ・い・こ・ろ」を頭文字にした文章を作る、いわゆる「あいうえお作文」「折句」があった。「サイコロ都々逸」と言われていた気もするが、厳密には都々逸ではないでしょう。
その1つ、小堺さんが作ったのだったか、最後の句が「ろきげんよう」になったものがあった。
「ごきげんよう」に結びつけた強引さをゲストの1人(誰かは忘れたが男性)に指摘され、結果として、その後1週間に限り、番組名を「ろきげんよう」にすることになった。
新聞の番組表や番組のオープニングについては記憶にないが、CM前のジングルは、当時の女声コーラスによる「ごきげんよーお」が、小堺さんの声で「ろきげんよーお」としたものに差し替えられ、テロップもそうなっていたはず。
【28日追記】ネット上には、個人が「ろきげんよう」の思い出を記したものがちらほらある。
その中には、「小堺さんが『ろきげんよう』と言い間違えたのがきっかけ」とか「5(ご)の次の6(ろく)で『ろきげんよう』となった」といったものもあるが、それは誤っている可能性がとても高い。上記の通り、強引な都々逸が作られ、そのことをゲストに突っ込まれたのが原因。
そのゲストは、ヒロミだったという情報が複数。そういえばそうだったかも。
また、「『ろきげんよう』は1日だけ放送」という記載も複数あるが、そう言われると… 1週間(5回)だったような気がするけど…(以上追記)


2014年10月からだそうだが、ゲストは関係がある2人がその日1回だけ出演する体制になり、やがてサイコロもあまり使わなくなっていった。ごきげんようとしての個性、おもしろさが失われたように感じていたら、やがて、ごきげんようそのものが終了。
サイコロは19462投に及んだ。

2016年3月には、明治の「サイコロキャラメル」が発売を終了し、89年の幕を下ろしたのは、何かの縁か。
※2016年6月から、明治の子会社により北海道限定で発売再会。


小堺さんは、ごきげんよう・いただきます以前といえば、僕は幼かったので、「欽どこ」で関根勤と「クロ子とグレ子」をやっていた記憶しかない。
ごきげんよう放送中は、ラジオなどもやってはいたが、小堺さん=ごきげんよう、そしてサイコロのイメージが強かった。
青森などごきげんようが放送されなかった地域では、小堺さんの存在が薄かったかもしれないし、「サイコロトーク」も知らない人が多かったかもしれない。(秋田における「クイズダービー」とか「100人に聞きました」と同じこと)

日本テレビで9月19日に放送された「しゃべくり007」で、ご本人が語ったところによれば、ギャラは「通算で20億円くらい」だったとか!
息子の小堺翔太さんは、中学生の時、不良っぽい先輩に「サイコロ」と呼ばれてバカにされていたという。サイコロじゃなく「ごきげんよう」と呼ばれていたら、お嬢様学校のあいさつみたいだね。


大きなサイコロを振る番組としては、少なくとも関西テレビ「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」のほうが先。
しかし、数字やせいぜいマークを目とするのが常識だったサイコロに、まとまった文字を記すのは、この番組が最初だったかもしれない。
合コンなどで使えるように、このサイコロを小さくしたものが売られたり、スマホのアプリにもなったりしている。
他のテレビ番組でも類似のものが使われるようになった。「モヤモヤさまぁ~ず2」で余った時間を埋め合わせる内容を決める「とれ高サイコロ」や、秋田朝日放送「サタナビっ!」で各地の地元の人に話してもらう「サイコロ使って!旅トーク」など。


僕自身は、笑っていいともと比べても、熱心に視聴していたわけではない。放送時間的にも、放送地域的にも(青森にいたので)制約があるし。でも、たまに見ると楽しい番組だった。

ごきげんようの後枠、13時30分からの東海テレビドラマ枠も同時に終了し、フジテレビ系列13時台は、前後の情報番組が枠を拡大する形となった。
ごきげんよう終了によってまた1つ、時代が変わったのかもしれない。
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卸町経由新屋線 等の記録

2016-12-25 21:17:49 | 秋田市営バス
10月で廃止された元市営バスの路線を記録(一部のみ)しておくシリーズ、そろそろ終わりそうです。※前回は泉山王環状線
今回は、廃止→同名の新路線開設、すなわち実質的に経路変更された「卸町経由新屋線」について。「茨島牛島環状線」が再編された「茨島環状線(茨島卸町環状線とでも呼ぶべきか)」のことも少々。

そもそも「新屋線」は、秋田駅西口と新屋駅前の西部市民サービスセンター(バスの新屋案内所併設、バス停名は西部サービスセンター)を、茨島・秋田大橋・美術大学前経由で結ぶ路線。
もともとは、駅-通町-大町-旭南-茨島-秋田大橋-新屋の経路だけで、後から追加で登場したのが、大町や旭南を通らない卸町経由。それ以降、従来からの経路は「大町経由」として区別されるようになった(単に「新屋線」と言えば、大町経由と認識することも多い)。


9月までの旧・卸町経由は、駅-北都銀行前-有楽町-イオン秋田中央店前-卸センター-茨島…と運行するもの。
卸町経由と大町経由が合流(=卸町経由が広義の新国道である県道56号線に出る)するのは、ハローワーク秋田入口の交差点。バス停では「茨島三丁目」以降が共通。1つ手前(駅寄り)の「ハローワーク前」は、大町経由と卸町経由で別の位置にあった(関連記事)。

大町経由は、通町へ迂回するよう立ち寄ったり、旭南で一方通行の狭い道を通ったり、回りくどいと感じるルート。自家用車やタクシーで秋田駅と新屋を行き来する場合なら、まず通らない道だろう。卸町経由のほうが、幹線道路を直線的に走って、合理的に思える。

新屋線は、戦前に運行が始まった秋田市最古のバス路線の1つ。
運行開始当初は、そこしか道路がなかったのだろうし、卸町のほうは道路が未整備どころか一面が荒れ地か田んぼだったはず。また、通町から大町には多くの商店があり、その買い物の足となるべく、立ち寄る必要があったのだろう。
今も、買い物やバス相互の乗り換え(駅だと運賃も時間も無駄)で、通町を通る需要は皆無ではない。

実際には、走行距離では大町経由より旧・卸町経由のほうが200メートルくらい短いだけ。所要時間では卸町経由のほうが5分前後短いものの、両経由とも秋田市有数の渋滞地点を通過するため、絶対的に卸町経由が優位というわけでもない。同じバス停間の運賃は、両経由で同額。


卸町経由の運行開始時期は分からないが、1988(昭和63)年の時点で既に、平日(当時は週休二日制一般化前なので土曜も含む)限定ながら3~5本が運行されていた。近年と比べて、朝早くと夕方に重きをおいたダイヤで、朝は美工専前(※)始発秋田駅行きというのもあった。市営バス時代は「卸センター経由」と呼ばれることもあったが、最近はあまり聞かない。
※当時のバス停名は「美工専入口」だったはずだが、資料では「~前」になっている。位置は現在の「美術大学前」とほぼ同じはず。(関連記事)当時は、大町経由でも美工専始発ダイヤが設定されていた。この辺は後日。
しかし、1989年頃からは、朝と夕方に片道計1~2本が運行される程度に減便される。【26日追記・美工専発の卸町経由はなくなった】
ところが、1997年前後には、朝がなくなって昼間の運行が始まり片道計2~3本に微増。沿線に1995年に秋田サティが開店(現・イオン秋田中央店)したのも一因かもしれない。土日はまだなし。
その状態で2002年に中央交通へ移管。
2005年の時刻表では、平日は同じで、土日にも運行が始まっていた。たしか市営バスからの移管路線では、移管後3年間は移管時のダイヤを維持するという取り決めがあったらしいので、2005年から運行が始まったのかもしれない。
その後、わずかに増えて、近年は平日・土日とも片道4~5本の運行であった。



個人的には、大町経由も含めた新屋線が、茨島地区で県道56号線を進むのは、改善の余地があるように感じていた。
沿道には民家が少なく、特に道路西側はほぼすべてが工場。一方で、県道東側、羽越本線までの一帯(卸町南部や茨島東部)には民家が続き、そこを県道と同じ方向に貫く広い市道が開通している。
また、県道の歩道は除雪体制が充分とは言えず、特に工場側の上りバス停へは、雪をかき分けてバス停へたどり着かなければならないこともあった。
だったら、新屋線が県道ではなく東側の市道を走るようにして、住宅街により近いところにバス停を置くのも、ひとつの手ではないかと考え、秋田市のパブリックコメントなどで提案したことがあった。
※県道の茨島四丁目バス停前にある、イオンタウン茨島に新屋線で行き来する一定の利用もあり、県道にバスが不要というわけでもない。

それが効いたのかは分からないが、10月から、卸町経由が県道に代わって、雄物川の堤防に突き当たるまでその市道を走るようになった。
突き当たってから堤防沿いを走って、秋田大橋北詰の交差点で県道56号線に出る。バス停では、雄物川の対岸の「美術大学前」でやっと大町経由と合流する。
実際にはカーブがあるが、広小路西交差点/北都銀行本店前交差点から雄物川堤防まで、3キロ以上を一度も右左折せずまっすぐ走る。
地理院に加筆。茨島・卸町地区以外のバス停位置は省略
旧経路と新経路では、距離としては新経路のほうが100メートルほど長くなった。
しかし、丁字路や右折矢印信号が出る交差点で右折するようになったので、旧経路よりはスムーズに運行ができるのではないだろうか。
時刻表上の駅-新屋の所要時間は22分で、旧経路の下り24分・上り23分と比べてわずかに短縮。
【2018年9月22日追記】2年後2018年10月のダイヤ改正では、秋田駅→卸町→新屋の下りが27分に見直された。なお大町経由下りは28分。旧経路よりも時間がかかってしまうことになったが、遅れが常態化していたのだろうか。

変更区間のバス停は、
※「●」が運賃が変わる停留所。
旧経路 ●卸センター前-茨島東町-ハローワーク前(大町経由とは別の位置)-●茨島三丁目-茨島四丁目-三菱マテリアル前-●秋田大橋前-●美術大学前
新経路 ●卸センター前-卸町四丁目-●卸町五丁目-●茨島七丁目-●美術大学前
茨島東町とハローワーク前の2つのバス停が廃止され、これまでバスが通っていなかった区間に3つが新設された。
旧経路では1.7キロに6停留所、新経路では1.8キロに3停留所なので、半減してしまった。
特に雄物川茨島側にいちばん近いバス停「茨島七丁目」で、大町経由の「秋田大橋前」に相当するバス停がないのはいかがなものか。
車の流れ、カーブや縁石など道路形状の制約、片側が堤防で横断歩道が少ないなど、条件が厳しいのかもしれないが、堤防沿い付近にもう1つバス停があってもよさそう。旧経路では、下りの「三菱マテリアル前」と「秋田大橋前」など近すぎる(秋田大橋架け替え時に移動)ところもあるけど。
それと、県道の秋田駅行き側では、屋根付き待合所が設置されているところがある(沿道の工場など企業が設置したものもある。ただ窓が小さくて見通しが悪く、待つ客も通る運転士も気を使う)が、新設区間には当然ない。その代わり、除雪体制は良いでしょうけど。

秋田駅からの運賃では、大町経由・旧卸町経由では茨島三丁目まで290円、秋田大橋まで330円。
新しい卸町経由では卸町五丁目まで250円、茨島七丁目まで280円。
次は対岸の美大前で370円なので、間に橋があるとはいえ、新・卸町経由では一気に90円上がる。なお、1区間手前の卸センター前までは230円。


旧経路当時の卸町経由秋田駅行きが、茨島三丁目を発車して卸町へ右折する場面を、歩道橋から撮影した。
茨島三丁目発車直後に車線変更が必要。この時は後ろの軽自動車が入れてくれた

中央車線を走り

ハローワーク入口の交差点で右折
この交差点、右折専用レーンがなく時差式信号ではない。ハローワーク側へ出入りする車もちょこちょこして、ごちゃごちゃしている。【26日追記】ここを避けただけでも、新経路にした意味があるのかもしれない。新経路の秋田大橋北の交差点は、方向別レーンや右折矢印がある。

運行本数は、9月までと変わらず平日下り5本・上り4本、土日下り3本・上り4本。
運行時間帯もおおむね変わらないが、土日の上り新屋発15時15分は13時40分に繰り上がった。(15時台は代替措置がなく、大町経由が減便された形)
改正前の土日15時15分発には、イオン秋田中央店前から、買い物帰りなのか秋田駅方面へ行く若者や高齢者の利用が一定数あった。場合によって異なるが、10人以上が乗り込む日もあった。
改正後は、この先同経路の柳原(卸センター入口)経由御野場団地発を含めても、改正前から運行されている14時台と16時台だけになってしまった。これでいいのだろうか…【26日追記】しかも、改正後のイオン秋田中央店前の時刻では、卸町経由新屋線が13時52分、御野場団地線が14時12分と20分間隔であり、その次は16時までない。新屋線を15時台に残しておいたほうが良かったのではないか。【この後、2017年には大住団地線が旧道経由から卸センター入口経由に変更され、イオン秋田中央店前を通るバスは大幅に増えた。この点では問題は解消された】



経路変更後の卸町経由が新規区間を走っているのを、3度ほど、見たり乗ったりした。
新規区間の前後を乗り通す客のほうが多いのは従来と変わらないので、乗車率は同じ。

新規区間で乗降する人も少なからずおり、「卸町四丁目」では3度とも利用があった。
「卸町四丁目」は、旧経路の「茨島東町」とは道のりで350メートル、大町経由で最寄りとなる「ハローワーク前」とは700メートルは離れている。【26日追記】継続している1つ駅寄りの「卸センター前」とは250メートルほど。
卸町四丁目を利用する方々にしてみれば、「経路が変わってバス停が近くなって、しかも運賃は40円も安くなって便利になった」と思っているのか、「経路が変わってバス停が遠くなったけど、仕方なく使っている」のかは分からないけれど…
※したがって、ハローワーク秋田へ行く人は、新しい卸町経由は利用しないほうが無難ですが、どうしても乗るのなら、「卸センター前」で降りて歩くことになる。
【26日追記】旧経路時代は、卸センター前や茨島東町での乗降が比較的あったように記憶している。その人たちが卸町四丁目へシフトしたのか?

それと、上記の通り、秋田大橋から「茨島七丁目」の間が長いことを実際に乗って実感。沿道に家は多くあるのに、こんなに長い間隔でバス停がないのかともったいなく感じた。【2018年7月24日追記】雄物川の堤防付近では、道路の角度が何度か変わるのと、堤防が高くて川や対岸が見えないため、地理感覚が狂うというか、未知の土地を走っているかのような不思議な感覚になる。
卸町五丁目は秋田銀行と北都銀行が向かい合う所。特に秋銀は車の出入りが激しい
秋銀側の秋田駅方面行き
卸町経由で新設されたバス停のポールは、頭でっかちで低いタイプ。同時に設置された泉八橋環状線のイサノ1・2丁目と同じではあるが、こちらは丁目は漢数字。※秋田市の地名としては、いずれも漢数字が正当。

↑新タイプの表示板には、ネジ穴が2通り開いており、旧タイプの棒に取り付けることもできる構造らしい。
※その後、2018年に卸町四丁目の下り側だけ、頭でっかちでないタイプであることに気付いた(この記事後半)。当初からそうだったのか、後から交換されたのかは不明。


もう1つの廃止・再編路線、茨島牛島環状線について少々。
秋田駅西口から大町経由新屋線と同経路で秋田大橋まで進み、東方向の羽越本線沿いの牛島地区へ抜け、国道13号線をくぐって牛島経由各路線に合流して牛島東一丁目-牛島橋-有楽町を経て秋田駅へ戻っていた路線が廃止された。
代替路線は、秋田大橋付近までは旧環状線と同じで、牛島へは行かず、新しい卸町経由新屋線と同じ卸町の市道へ出て、まっすぐ駅へ戻るという、ヘアピン状の環状線となった。
ただし雄物川堤防付近では、新・卸町経由とは経路が異なり、「茨島七丁目」は通らずに、旧環状線のルートを使い、三皇神社(三皇熊野神社本宮)、変電所前まで行って線路際で取って返し、卸町五丁目から合流。
どこか不自然なルートなのは、スクールバス的な性格があるためだと思われる。
先に回る地名を取って、「大町回り」と「茨島回り」が運行されているが、「茨島回り」は直感的に分かりづらい。「卸町回り」とするべきではないだろうか。

旧・茨島牛島環状線の正面の行き先表示は、
(再掲)「茨島環状」。逆回りも同様
新しい環状線は、
系統番号変わらず「茨島環状線」
泉八橋環状線のほうもそうだけど、なぜか「線」も表示されるようになった。

夕方の大町回りの便は、旧環状線時代は元市営バスの車両やせいぜい小田急中古のノンステップバスが入ることが多かった印象だが、ダイヤ改正後は、上の写真のような新車のノンステップバスがよく充当されている。(最近は見ていないので不明)

運行開始から間もない頃、夕方の大町回りに、卸町五丁目から乗車する機会が1度だけあった。
どうせ遅れてくるだろうと思って待っていたけど、一向に来ない。不安になってきた頃、雄物川方向の先の道、つまり三皇神社手前を、バスが横切るのが見えた。
それから約5分(これだけでも時刻表より3分ほど長くかかった)。時刻表より10分以上遅れて到着。乗客は誰もいない。スクールバスの乗降に手間取って遅れ、全員降りた後だったのだろうか。
その後も誰も乗ってこず、やはりこの時も新しい車で、それを独占できたものの、複雑な心境で下車した。
【26日追記】イオン秋田中央店前から先は、9分後を柳原経由御野場団地線が続行するダイヤ。この時は環状線が遅れていたので、先行してしまっていたのだろう。
【27日追記】ちなみに、秋田駅から秋田大橋までは大町経由新屋線が30分間隔で走る、ちょうど中間に収まるダイヤ。そのため、買い物や学校帰りとおぼしき客がそれなりに乗車している(前後の新屋線ほど混雑せず、確実に座れる程度)ようで、この区間では新屋線を補完する役割を果たしていると言える。数年前は、新屋線の5分後に設定されていて、あまり機能していなかった。
【2017年7月14日追記】2017年7月に夕方の大町回りを2度確認したところ、イオン秋田中央店~秋田駅に戻る辺りで、10分弱の遅延が生じていた。


長くバスがなかった卸町南側~茨島東側付近に住む人たちは、自宅から路線バスを利用する習慣がなかったことだろう。現状の卸町経由のダイヤでは、通勤には使いづらいし、本数も多いとはいえない。今後、どうなっていくか。
【26日追記】今回の新設各路線は、新設とは名ばかりで、実態は「整理統合して合計運行本数を減らしたこと」に過ぎないものが多い(茨島環状線を含む)中、卸町経由新屋線だけは前向きさが感じられるもので、一定の評価はできそう。ただし、沿線の利用者がどうとらえるかが第一ですが。

一方、大町経由の元祖新屋線は、減便が徐々に進んでいる。乗客が少ないという理由なのだろうが、増やす努力はしているのだろうか。今後が心配になってくる。昔の新屋線の話題をいずれまた。あと、卸町経由廃止区間のバス停のポールのことも。
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ガガイモ

2016-12-21 22:56:47 | 動物・植物
昨年の秋、秋田市中央部の川沿いの道のフェンスに、変わったツル植物が生えているのに気づいた。一昨年以前も通っている場所だけど、気づかないでいたようだ。
雰囲気は、雑草系ツル植物として一般的なヘクソカズラに似ているものの、果実が違う。この記事後半に写真が出てきますが、とても独特で、ある意味グロテスクかも。
名前は思い浮かばなかったけれど、こういう植物もあったような…
調べるとガガイモ科ガガイモ属の「ガガイモ」という植物だった。そういえば覚えがある名だけど、名前もインパクトがある。

多年草なので今年もツルを伸ばした。※木でなく草なので、地上部は冬に枯れ、春に根元から新たに伸びる。
9月下旬からの観察記録。
左にはヨウシュヤマゴボウも
9月下旬、緑の葉を茂らせるガガイモ。小さな花が咲いている。
葉の形、花が小さく白&赤の組み合わせでなのがヘクソカズラに似ているが、近縁ではない。
ガガイモの花
複数の花がいくつかまとまって咲くタイプ。
1つ1つの花はヒトデのような形。花弁が5つあるように見えるが、基はつながっていて、先端で裂けている構造。花弁の裏面は白く、表が赤紫で白い毛が生えている。
かわいらしいようにも、気持ち悪いようにも見えてしまう。においはかいでないけど、どうなんだろう。

実際にはもっと早くから花が咲いていたようで、9月下旬で果実がぶら下がる部分もあった。
これがガガイモの実!
一見、アケビかと思ってしまうけれど、アケビより細長く、角張って、先端ほど細い形状で硬そう。(アケビとも近縁ではない)
花と共存
やがて果実がいくぶん膨らんできて、表面にボツボツと突起が出てくるとともに、色が紫色っぽくなる。【22日追記】この辺りから、気味悪さが増してくる。
まとまって実る
花の数に比べれば果実は少ない。


さあ。ここからがガガイモのクライマックス。
どんな果実でも、最後は成熟して種を残すわけですが、ガガイモではどういう形でそれをするか。
間が空いて11月中旬。
上のまとまった果実。葉は枯れ落ちた
枯れかけたツルに、乾燥した果実がついていた。
よく見ると、果実の1か所が縦に裂けている。そこに種が入っている。裂けた中に種があるというのは、アケビみたいだけど、そのスタイルは違う。
 11月下旬。中に茶色い種と白いモノ?
そして、
綿毛つき種!
ガガイモは、綿毛が付いた種を、果実から飛ばすのです!
タンポポもそうだけど、ガガイモは種が飛び立つ場所が斬新だし、サイズが大きい。
その後、綿毛と種はすっかり飛んでなくなり、空っぽになった果実がよりいっそうカラカラに乾いて残り、やがて土に還りつつある。

ガガイモ科には庭でたまに植えられる「トウワタ」という植物もあるが、それも綿毛ができるそうだ。
ガガイモの綿毛は、いわゆる「ケセランパサラン」として扱われたり、大昔は朱肉に使ったり(色を染み込ませたということか。ヨモギの毛も使ったそうだ)した。
また、日本神話では、「スクナビコナ」という神様が、ガガイモの実を半分に割った舟に乗って、やって来たそうだ。
「ガガイモ」という不思議な名前には諸説あるそうだ。「イモ」は「芋」で、根あるいは果実を芋に見立てたとか。「ガガ」については、日本神話に関係していそう(少々難しいお話)。

気持ち悪いなんて感じてしまったけれど、日本に自生し、古くから人々に親しまれてきた植物のようだ。
ここでしか見たことがないけれど、ほかのどこかでも綿毛を飛ばしていることだろう。
このシリーズ定番の結びですが、今回も、まだまだ知らない植物があるものだと思わされた。

【2022年9月25日追記】この場所のガガイモは、この翌2017年くらいまでは生えていた気がするが、2020年頃以降になるとなくなってしまった。
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ABS五城目パン/ポップヒット

2016-12-19 21:14:20 | ランチパック
地域の学校や放送番組が、地元のメーカーと協力して商品を開発・販売するのは珍しくなくなった。
現在は、秋田放送(ABS)の金曜16時台の情報番組「エビス堂☆金(えびすどうゴールド)」の菓子パンが発売中。
ラズベリーチーズ味のホイップメロンパン 451kcal
コラボ相手は、岩手に本社があり、東北地方で流通する「シライシパン(白石食品工業)」。同社の定番商品の1つ、ホイップメロンパンの派生の位置付け。

秋田にはたけや製パンがあり、コラボの定番なのに、隣県の業者と手を組んだのが興味深い。
たけやだと基本的に秋田県内でしか売れないが、シライシだとより広範囲で買ってもらえるというメリットはありそう。秋田県域の放送局の、県内にしか放送されない番組だから、ABSの直接的メリットは不明ですが…
あと、ホイップメロンパンにすることありきで、シライシを選んだのかも。(たけやにはこの手の商品はあまりない。作ろうと思えばできるでしょうけど)
あ、シライシのほうからABSに話を持ちかけたということもあり得るか。でも、ABSはそれを断らなかったことになる。

シライシパンのホームページにも、普通に紹介されているので、秋田県外でも売っているのだろう。
パッケージ裏にABSの名や「エビス堂☆金」と書いているけど、ふりがなもないし、県外の人は分かってもらえなさそう。
表には番組ロゴのシールが貼ってある。ここはフリガナあり
※シールは青森県内で発売されるものにも貼られていた。

メロンパンの中身は、秋田県五城目町産のラズベリーにチーズを合わせたクリーム。原材料欄では「ラズベリー果汁入りチーズ風味ホイップクリーム」。
五城目町はラズベリーことキイチゴの産地となるべくがんばっているのだけど、まだ量が確保できないのか、秋田県外での知名度は低そう。このパンが良い宣伝になるかもしれない。

パッケージ下の「ベリーナイス」「はいチーズ」といった説明文は、番組の出演者たち(局アナやローカルタレント)がそれぞれ考案し、そのうちの誰か(男性アナウンサー?)のが選ばれたそうだ。

四角い

ここのメロンパンは生地が若干パイっぽい
たしかにベリーとチーズの味。もっとラズベリーが多くてもいいかも。


少なくとも秋田市内では、今月中旬以降はスーパーでもよく売られていて、100円くらいで特売されることもある。コンビニでも売っているらしい。
でも、シライシのホームページでは12月1日発売扱いなのに、当初は店でなかなか見かけなかった。エビス堂の番組内では、「いとくで試食を行った」「コンビニでは発売開始日が異なる」という情報は流したそうだが、番組ホームページには出ていない。「発売中」というスポットCMは流しているが、「いつからどこで」が分からない。発売期間も不明。
放送とホームページという自前の告知媒体を持つのだから、多くの人に知ってもらって買ってもらうべく、詳しく教えてほしいものです。
【19日追記】ヤマザキ系では「原料の何%にラズベリーを使用しています」といった注記や、生産者団体などから材料提供・公認を受けている旨を表示することが多い(シライシでもあったかな)が、このメロンパンにはそれがない。五城目キイチゴの詳しい説明も含めて、そんなこともパッケージに表示すれば、信頼性と宣伝効果が高まるだろう。


ついでに、もう1つシライシの商品。
ポップ・ヒットバニラ 350kcal ※ホームページでは中黒なしの「ポップヒットバニラ」表記
背割れコッペにクリームをはさんだもの。以前から店頭で見かけることがあったものの、初めて購入。
シライシのロングセラー商品だそうだが、そこまでの認識はなかった。やっぱり秋田では広まったのは最近で、それほど認知されていないのかな。
「期間限定」とあるが、「クリームのおいしさを保つため、毎年寒い時期限定」で11月から4月末の販売とのこと。

見た目よりしつこくないクリームで、とてもおいしい。パン生地のあんばい、パンとクリームの配分も絶妙。ロングセラーなのも納得。

※「ベルギーチョコ入りホイップ」を入れた「ポップ・ヒットチョコ」もあり、2月から4月末までの販売。
コメント (39)
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びゅうプラザ移転/2017ダイヤ改正

2016-12-18 23:57:17 | 秋田のいろいろ
この記事後半で秋田駅の改良工事をお伝えした矢先、また変化が。ほんとうにテキパキと進行していくもんだ。

先週中頃までは、びゅうプラザの前に仮囲いが設置されて営業継続、向かいの旧待合室は仮囲いが取れてシャッターが下りた中、びゅうプラザになるべく内部での工事・作業が進んでいるようだった。
先週後半には、
びゅうプラザが移転!
びゅうプラザが、待合室跡の新しい場所でオープンしていた!
右隣がみどりの窓口
工事前に少し前へ出された飲料の次世代自動販売機は、引っ込まずにそのままの位置。【21日追記】自販機の後ろの壁には、業務用のドアが設けられた。
これで、自由通路北側は、西から、トピコ(階段)トイレ・ビューアルッテ・びゅうプラザ・みどりの窓口(駐車場予約・指定席券売機)・近距離券売機・中央改札口の配置となった。

今までのみどりの窓口では、内装を撤去する工事が行われていた模様。
びゅうプラザが移転する旨の掲示などはなかったようだ。まあ、真向かいだから見れば分かるけど。

外から見る限り、新しいびゅうプラザは、今までよりちょっと小さく・狭くなった印象。今までは大人の休日倶楽部の窓口とかカフェとかと渾然一体となって、横に長かったけど、びゅうプラザ部分単独では対して変わらないのかもしれない。【19日追記】カウンターの数は1つくらい減ったかも。
通路から見える看板が不足な気がしなくもない。

前記事のコメントにもあったが、最近のJR東日本では、みどりの窓口とびゅうプラザの仕切りをなくして一体化した形式に改装する駅が多い。秋田駅でも、両者が隣接するとのことでそうなるかと思っていた。しかし、
指定席券売機を背後にしてみどりの窓口の東隅から、びゅうプラザ方向
上の写真で、左奥にガラス扉が見えるように、ドアはあるものの壁で明確に仕切られた構造。かつてのみどりの窓口・待合室の仕切りをそのまま活かしたということか。

みどりの窓口は、妙にだだっ広いというか、横に長くなったような気がする。バックヤードの位置の変更などによるもので、実際には大して違わないのだろうけど。

北側ができて、あとは南側の待合スペースへの改装と、立体駐車場の建設ということかな。あと新支社ビルも。

【19日追記】19日に行ってみると、びゅうプラザ、みどりの窓口とも、通路に面した窓やドアのガラスを縁取るように、白く光る部分ができ(上の写真でも既に設置されている)、そこにそれぞれの名称が表示されるようになった。※続きはこちら



16日、JR各社・JR東日本各支社から、来春2017年のダイヤ改正の内容が発表された。※2016年春の改正
全体的には新幹線開業などの大きな変化が久々になく、また3月4日・土曜日という、久々にちょっと早い時期の実施。【19日追記・目立った廃止列車も見当たらないが、後述の通り、JR北海道ではいくつかの変化あり】

JR東日本秋田支社管内でも、大きな変化はなさそう。※ご利用の際は各自、ご確認ください。
まずは、男鹿線の蓄電池電車EV-E801系の運用が明らかになった。
運転開始日は別途告知(=3月4日ではない可能性が高い)、従来車両で代走する場合がある旨の注記付き。
秋田-男鹿を午前と午後(8~16時台)に1往復ずつ。【19日追記】そのうちの1本、秋田13時39分発にたまに乗ることがあるが、2両編成で2両ともロングシートの車両が入ることが多い気がする。定員としてはほぼ変わらないことになりそう。
運行時刻も所要時間も、現行とほぼ同じ。性能からすれば、特に奥羽本線内では時間短縮できるはずだけど、既存車両が代走することを考えれば仕方ない。
列車番号も気動車(ディーゼルカー)を示す「~D」が、同番で電車を示す「~M」に変わっただけ。でも、男鹿線を「~M」が走るのは画期的なこと。

今の時点ではEV-E801は2両編成1本だけだから、3両以上が必要な朝夕の時間帯には不向きなんだろうし、トラブル発生時の対処などで明るい時間帯のほうがいいのかもしれない。

先に蓄電池車が投入されている烏山線では、来春に増備されて、全列車が置き換わるという。
男鹿線は必要車両数も多そうだし、冬期の運転実績も必要そうだけど、5年後くらいにはそうなるかもしれない。



あとは、普通列車の接続改善や行き先の変更。多くが運行順の入れ替えということのようだけど、奥羽本線・新庄-横手間では、1往復減。
その中で記録しておきたいのが、奥羽本線・弘前→大館→鷹ノ巣の朝の列車。
弘前発の2番列車(1番列車は秋田行き快速)1630Mは、大館行きで7時33分着。そこから7時38分始発の鷹ノ巣行き1634Dに乗り換える必要があった。
これが、弘前発鷹ノ巣行き1630Mとして統合される。

今まで大館で乗り換えが必要だったのは、車両運用の都合上。
大館発鷹ノ巣行きは、花輪線用の気動車(現在はキハ110系、以前はキハ58またはキハ52)が使われていたのだ。花輪線の大館での折り返し時間を使って奥羽本線鷹ノ巣まで出張する“間合い運用”。それに代わって、弘前から来る701系電車が通しで走ることになるようだ。
今回のリリースには出ていないが、鷹ノ巣から大館に戻ってくる分にも、その電車が入ると思われる。これにより、奥羽本線をキハ110系で走る定期列車はなくなる。

余談だけど、以前は、現・1630Mに相当する弘前→大館も、鷹ノ巣行きとは別の運用で花輪線の車両が走っていた(下りは前夜の運行で、弘前に滞泊)。
さらに以前は、近い時間帯に急行「よねしろ」(鹿角花輪→秋田。末期は無名快速)も走っており、朝の大館周辺の奥羽本線は気動車が行き交っていた。僕は弘前から朝に秋田へ帰る時には、たまに乗ったり(朝イチは特急「白鳥」で混んで高いので…)、すれ違ったりした列車であった。


昨年も一部減便された、五能線の東能代-能代の1駅だけの短距離列車は、今改正では朝の通学時間帯後の1往復がさらに廃止。
能代発東能代行きは、7分後に鰺ケ沢始発が続行しているので問題ないだろう。東能代発のほうは、7時50分の次は9時37分までないことになる。

【19日追記】田沢湖線・大曲-角館では、昼前後の1往復がいずれも1時間繰り上がる。本数が少ないだけに要注意。


管轄としては盛岡支社だが、北上線では、普通列車6本(下り4本、上り2本)を快速化。3駅を通過するもので、所要時間は多くが4~5分短縮。(1本は9分、1本は切り離し作業解消に伴い22分短縮)
3駅のうち2駅(秋田県の平石、矢美津)は、今冬から冬期間は全列車通過となっており、それを冬以外の一部列車にも拡大した形とも言える。最終的には廃駅となるのかもしれない。
ちなみに、現行ダイヤの秋田県側の運行本数は、下り8本、上り6本。


盛岡支社管内青森県内では、青い森鉄道から奥羽本線・新青森駅への乗り入れ(朝の青森→新青森→青森・八戸)廃止。これで「リゾートあすなろ」以外の直通運転はなくなるのかな。
ほかに、朝の新青森駅での上り北海道新幹線と青森方面の接続改善により、奥津軽いまべつ駅から青森市内(特に東側)への通勤通学可能範囲が拡大されるとか。【19日追記】青森市東側ということは、奥羽本線からさらに青い森鉄道に乗り換えるわけだが、上記の通り直通列車は廃止されてしまうので、その点では利便性は悪い。


JR北海道では、老朽車両のすべてを更新するだけの費用がないため、運行距離を短縮して必要車両数をかせぐ(というか少なく済ませる)ための運転系統の見直しを実施。札幌発着の特急列車の一部が旭川発着に短縮されて、「大雪」などが運行開始。

また、北海道新幹線開通で廃止された「スーパー白鳥」用だった789系電車(関連記事)を、予定通り札幌-旭川に投入。
既存の塗装が違う同型車両による「スーパーカムイ」に揃えて改装するのかと思ったら、そのまま使うようで、列車名も「ライラック」として区別。スーパーカムイにはなかったグリーン車も存続。

さらに「スーパーカムイ」「スーパー宗谷」から「スーパー」が取れることもあり、大雪、ライラック、カムイ、宗谷と、往年の国鉄の急行列車の名前が復活する形になった。
コメント (6)
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土手長町通りの変化

2016-12-15 00:29:12 | 秋田の季節・風景
秋田県道28号線のうち、秋田市中心部の旭川沿いの「土手長町通り」と呼ばれる区間の変化3つ。いずれも道路設備の一部なので、道路管理者である秋田県がやったことだと思われる。
 
旭川沿いの歩道には街路樹としてヤナギが植えられ、川沿いの風情ある光景を演出している。毎年秋には、丁寧に剪定作業が行われるが、木の状態によっては伐採して新たなヤナギを植え直すこともあった。
今年も9月頃に行われていたが、その後、
スカスカに
三丁目橋から四丁目橋にかけて、けっこうな本数が伐採されてしまった。
上り側北都銀行前バス停付近では、連続して6本がない状態になった。
10月下旬には切り株に一時期キノコが発生。食べられそうに見えなくもない?!
2か月以上経ってもそのまま。春にでも新たに植えるのだろうか。
※その後、2018年11月時点でもそのまま。
※さらにその後2019年8月までに、切り株や土部分に敷かれていたマット状の物体が撤去され、全面砂を入れて平らにされた。路面との境のブロックは残ったものの、これで路面と同じレベルになり、つまづく危険はほぼなくなった。
2020年7月の状況
2021年には別のキノコが発生
 
 
次は、竿燈大通り(県道26号線)と分岐する二丁目橋交差点。
橋のたもとは、自転車専用横断帯が設けられており、歩行者は地下道で横断しなければならない。(以前の記事
その自転車横断帯に変化。
こちら側とあちら側に
横断帯と橋の車道と歩道を分離する手すりの間に、オレンジ色のラバーポールが1本ずつ設置されたのだ。
 
これの設置目的は?
路面に橋のつなぎ目があるので、そこを自転車がまたいで滑らないように?
せっかちな自転車が、茶色で目立たない橋の手すりに衝突しないように?
あんまり意味がなさそうですが…
 
 
最後は、このすぐ北側、横断歩道橋の下。ちなみに昔はここに路面電車の停留所があったそうで、やけに広い中央分離帯がその名残り。
ここの歩道と車道の境界は、チェーンで結ばれた擬木の棒が並んでいる。
川岸と見栄えを揃えたのか
9月頃に、その擬木を撤去するような工事が行われていたのだが…
工事後
たしかに、擬木が撤去され、代わりに「視線誘導標」もしくは「デリネーター(デリニネーター)」と呼ばれる、頭部に反射材が付いた樹脂製の棒が立てられ、やはりチェーンが渡された。
 
ただし、交換されたのは、ごく一部の擬木だけ。【15日追記】法則性もなさそうで、特定の範囲内に限ってランダムに交換されたように見える。したがって、
擬木とデリネーターが混在している
状態の悪い擬木を撤去したということなんだろうか? 見栄え的にはなんだか…
 
以前から取り上げようとしてなかなかできないでいたのだけど、デリネーターのこと。
デリネーターは、進行方向左側に見えるものを白、右側をオレンジ色で反射する、といった基準を国土交通省が各道路管理者に通達している。反射面のサイズなどはある程度の決まりがあるものの、道路管理者によって微妙に異なる。
ここに設置されたような、反射面が四角形(基本的には円形だが、それ以外も許容されているらしい)で、棒の色が茶色いものは、秋田市道では以前から設置されているものの、秋田県道ではこれまで見たことがなかった。
【15日追記】デリネーターをチェーンの支柱に使うというのも、まったく初めて見た。「秋田県」の表示の「秋」のところにチェーンの元がささっているので、汎用のデリネーターに手作業でチェーンを埋め込んだのだろう。
 
秋田市内のデリネーターは、経年でぐらつきが発生してズレて、正しく反射しない向きになってしまったり、車がぶつかったり除雪作業によって破損されたりしたものが、放置されるケースが少なくないと感じる。※道路管理者に連絡すれば対処してくれる。
また、「視線誘導標」の名称とは裏腹に、単に車道と歩道の区切り【15日追記・あるいは縁石の注意喚起】として使われてしまっているケースが、少なくとも秋田市内では多いと思う(道路管理者に関わらず。その目的ならばラバーポールのほうが適任なのでは?)。
ここだって、これっぽっちの本数で視線誘導ができるとは思えないし、分離帯があるのに裏面がオレンジ色反射なのは、厳密には誤った設置である。
ここでは、ラバーポールではふにゃふにゃでチェーンを支えるのにふさわしくないし、擬木よりは安く済むんだろうけど…
 
擬木が残った場所では、
チェーンが錆びたり、たるんでいたり
ここはこのままでいいのでしょうか?
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解体/駅工事 その後

2016-12-13 22:56:42 | 秋田の季節・風景
以前の続報。
まずは、1か月ほど前にアップしていた、秋田市の千秋地区の2つの解体工事。
千秋城下町の脳研裏の崖下のアンダーパス建設に伴う、お店とビルの解体。
以前と逆の東側から撮影。奥が千秋公園、左が脳研下・秋田駅、右が手形陸橋下、背後が線路
上の写真右が解体されていた場所。建物はすっかりなくなり、更地になりつつあった。

左側ではアンダーパスなのか道路関係の工事が始まった。
なお、実はこの右手前に、以前紹介した倒れかけたまま生長を続ける木があるのだけど、今のところ健在。

続きはこの記事後半


次は千秋矢留町の保育園だったビルの解体。
こちらは完了
現在は数台の車が停まっていることがあり、駐車場として使われているのだろうか。

建物がなくなったことにより、千秋公園の斜面が広範囲で姿を現した。
てっぺんには、明徳小学校の体育館の屋根も見える
木々が落葉して山肌がむき出しになったこともあり、なんか恥ずかしいような眺め。
来春以降、日当たりが良くなって、植生が変わったりするかも。


最後は、秋田駅の改良工事。この記事の続き。
12月初め。中央改札口前から西方向
この時点では、右の、11月末に元の場所でリニューアルされて営業再開したみどりの窓口前の仮囲いはまだ残っている。
左のびゅうプラザ前には、新たに囲いが設置され、「美人を育てる秋田米」などの広告はすべて見えなくなった。

仮囲いの中では、引き続きびゅうプラザが営業中。
奥が仮待合室入口


最近(先週末頃?)、みどりの窓口側の囲いが撤去された。
新しくなったみどりの窓口がよく見えるようになった
これで隠れていた指定席券売機(写真右側)も、通路から認識しやすくなった。窓口側とは別に券売機用の独立したドアも、いちおうあるようだけど、あまり意味がなさそう。

かつての待合室→仮みどりの窓口→工事中だった場所は、
囲いは取れた
大部分はシャッターが下りている。中でびゅうプラザへの改装がされているのだろう。
左端には、10日から営業を再開した、ATM「ビューアルッテ」。
従来は室内にあったものが、通路に面した奥まった位置に移設。ドアはなし。
ATMの機械は交換したのではなく、以前のものを移設したようだ。
【21日追記】従来はすぐ横にコインロッカー、すぐ後ろに待合室のベンチがあり、その間を人が通ることもあった。移設後は、右方にスペースが広く取られ(パンフレットなどが置かれている)、後方も余裕があり、今までと比べるとスカスカしたようにさえ感じられる。ただ、後ろは自由通路なので多くの人が通るため足音が聞こえて、ちょっと落ち着かない感じもする。

このアルッテを用いて、ビューカードからSuicaにチャージした分の利用明細をネットで見ると、
上段が待合室~仮みどりの窓口時代、下が移設後
ATMの設置場所が律儀に詳しく表示されるのだけど、仮みどりの窓口時代も含めて「秋田駅待合室内」だったのが、「秋田駅みどりの窓口横」という表記に変わった。
みどりの窓口は1軒(工事中のびゅうプラザ移転予定地)おいて隣だし、最終的には「びゅうプラザ横」にするべきではないでしょうか。いや、むしろ、
「トイレ横」?!
ここにあった2台の公衆電話はどこへ行ったのかな。

【16日追記】15日に行ってみると、びゅうプラザが待合室跡に移転して営業していた。コメント欄でも触れているように、みどりの窓口とびゅうプラザの間には、壁とドアができて仕切られており、最近のJR東日本の駅に多い、両者が一体化した構造ではない。
これで北側のみどりの窓口・びゅうプラザ部分はリニューアルが終わったとみなしていいのだろうか。この記事にて

【2021年12月14日追記】ビューカードチャージ明細の「みどりの窓口横」は、その後2021年9月(チャージ日基準)まで続いた。(その間にびゅうプラザが駅たびコンシェルジュに変わった。)2021年10月からは「秋田駅自由通路」に変更。
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男鹿線の新車到着

2016-12-11 23:58:45 | 秋田のいろいろ
秋田県のJR男鹿線に2017年春から蓄電池式車両が導入されることになっている。その概要をまとめると、
・「バッテリーを搭載した電車」ということになり、男鹿線を初めて電車(=モーターで自走する鉄道車両という意味)が走る。
・運転区間は奥羽本線・秋田-追分を含む秋田-男鹿間。電化された奥羽本線内は走行しながら充電し、ためた電力で男鹿線内を走行。男鹿駅で停車中に充電して追分まで戻る方式。
・同タイプの車両は、JR東日本では、既に宇都宮の烏山線で運行しているが、電源は直流。JR九州は交流方式の車両を運行している。交流電源かつ寒冷地である秋田には、JR九州のものをカスタマイズして導入するという、異例のやり方。車両型式は「EV-E801系」。
・差し当たって2両1組(=1編成)だけの導入で、その後の増備についての発表はない。
【2017年1月6日追記】誤解されている方がいらっしゃいますが、この車両にはディーゼルエンジンは搭載されていません。したがって「ハイブリッド車両」などではありません。動力としてはモーターだけを搭載した純粋な「電車」であり、それに電力供給用のバッテリーを搭載した「蓄電池式電車」です。

計画発表時の秋田魁新報の報道では、今年の秋頃には車両が落成して試験運転をするとのことだったが、秋の間は気配はなかった。
しかし、ネット上の情報によれば、男鹿駅のホーム(駅舎側)に、停車中に充電するための柱が立てられ、最近はそれに架線(ケーブルではなく剛体架線と呼ばれる棒状のものらしい)が張られたそう。

そして、12月2日付でJR東日本秋田支社から「交流蓄電池電車「EV-E801 系」来春デビューに向け準備を進めます」がプレスリリースされ、それには「12 月中旬から秋田地区において性能評価や技術的検証を行」うとあった。
その頃、ネット上で、ついに車両が完成し、12月9日から11日にかけて、製造された山口県の日立製作所笠戸事業所から秋田へ輸送されるとの情報が流れた。車両を貨物列車扱いで移送する甲種輸送として。今回は締め切りの都合か、愛好家向けの鉄道誌には掲載されなかったようだが、ネットのおかげで知ることができた。


EV-E801系が、日本海側を通って秋田に到着するのは、11日の昼過ぎ。
この日の秋田市は、今シーズンでおそらくいちばん寒く、積雪が多い、本格的な冬の天候。時折吹雪くものの、風はさほど強くなく、羽越本線の運休はなかった模様。
そんな中、噂されていた時間通りに、
到着!(自由通路より撮影)
貨物列車で見慣れたEF510形電気機関車の7号機を先頭に、赤、青とつながったカラフルな編成。
6番線に入線。
入場券でホームへ下りてみると、日曜にしては、我々愛好家はさほど多くない。たまたま遭遇して珍しそうに撮影する、新幹線を待つ客も。
向かいの新幹線ホームから
到着からまもなくEF510が切り離されたので、これまで隠れていた側の赤い車両の先頭部が姿を現した。
シートで覆われる
養生のため青いビニールで覆われているけれど、強風のせいか、向かって左のフロントガラス部分がはがれてしまった。
機関車と連結するためのアダプターである中間連結器【13日訂正・中間連結器ではなく、輸送用に連結器を交換しているとのこと。コメント欄参照】や、ブレーキの仮設ホースなど、甲種輸送時ならではの姿。
後尾だった青い側
反対の青い側はシートなしで、仮設の尾灯を設置。連結器とホースは仮設されており、この後、車両基地へ運ばれる時に使うことになる(工場を出る時も使ったかも?)。


さて、車体色は別として、車体のシルエットはJR九州の車両そのもの。
消えているので分かりにくいけれど、正面上部中央に、路線バス並みに大きなLED行き先表示があるのも同じ。九州では明朝体で表示されているが、こちらではどうなるか。【角ゴシック体のようだ。末尾の追記参照】
相違点は、九州ではフロントガラスの下にある灯火が、こちらでは上に移っていること。着雪で隠れたり、吹雪で見えづらくなるのを防ぐ、雪国ならではの変更だろう。
それによってフロントガラス下に何もないせいか、正面はいくぶんのっぺりとした印象を受ける。
また、昨今のJR東日本の新車両と比べると、国鉄時代のような伝統的な雰囲気もどこかに感じる。JR九州の車両を知らない人が見たら、どう感じるだろう。
あと、連結用の貫通ドアがあり、下に渡り板はあるものの、「幌(ほろ)」がなさそう。今のところ連結相手がいないからいいけど、後付けするのかな。

EV-E801系の外観の特長は色であろう。
男鹿が本場であるナマハゲ(秋田県内ならどこにでもいるわけではありません)の顔色をモチーフにしたということなのか、赤と青と正反対の色の車両が1両ずつという斬新な塗装。(本当のナマハゲは、必ずしも赤と青でセットということではなく、集落によっては1色だったり緑色のがいたりする)
写真では正確には伝わらないものの、かなりはっきりして目立つ赤と青。E6系の赤やブルートレインの青とも違う。
E6系と並ぶ
冬の雪景色にも曇天にも、夏の日差しにも、きれいに映えそう。

側面は、窓の部分は黒く塗装。
乗務員室ドアと客用ドアの間には、
ナマハゲの顔と愛称「OGA NAMAHAGE LINE」
ナマハゲの顔のイラストが白1色で描かれる。
現在のキハ40系には、赤または青の顔のカラーのナマハゲと「男鹿」の文字が貼られている。そのイラストを単色にしたものだと思われる。
(再掲)キハ40のナマハゲ

正面にもあったけれど、側面の内側寄りには、
「ACCUM」
烏山線用のEV-E301系には、蓄電池を意味する「Accumulator」が由来の「ACCUM(アキュム)」という愛称があるそうで、それがEV-E801系にも踏襲された。なお、九州のは「DENCHA」という名前。
赤いほうには、側面用の行き先表示機も設置されている(反対面にも)。これもデカイ。

窓ガラスは真っ黒で中はうかがえない。隠しているわけではなく、こういうガラスなんでしょうか。
側面。車番表記が若干上寄り
客席の窓の配置が独特。ドアの間が横方向に3分割され、狭くて縦長の中央が固定、両端は開閉可能な構造らしい。この点も九州向けとは違うようだ。

ドアの割れる部分が、注意喚起のため黄色いのが、今風。
半自動ドアの開けるボタンは701系の新しいものとだいたい同じ模様(車内側は不明)。ただ、そのボタンが、場所によってドアの右側にあるのと左側にあるが気になった。こういうことは極力統一したほうが、分かりやすいのに…

形式は、男鹿向きの赤いほうが「EV-E801-1」、秋田向きの青が「EV-E800-1」。まったく同じ車両が背中わせになっているのではなく、機器や設備(トイレなど)が異なることになる。
床下(奥羽山脈側)を見ると、
EV-E801-1
赤いEV-E801は一般的な電車っぽい機器。やや複雑かな。
EV-E800-1
青のEV-E800は、黄色の「危険!」マークの箱がずらり。バッテリーなのでしょう。

編成を識別する編成番号は、「G1」編成と命名。
屋根上。青い側にDE10形ディーゼル機関車が連結された
屋根の上はシンプル。パンタグラフは赤いEV-E801側にシングルアームタイプが1つ。
普通の電車と違わなそう?


上記のように、甲種輸送時には、仮の装備がいろいろ取り付けられるが、今回は特に珍しそうなものがあった。
赤いEV-E801の、日本海側の中ドア
おそらくドアを半開きにした状態で、そのすき間をがっちりと固定している。
すき間の下には穴が開いていて、黒い煙が出ている。写真で穴の右側に黒く見えるのは、その煙が走行中の風でなびいて付着したもの。そして、排気ガス臭い!
中に発電機を設置していて、その排気用の穴のようだ。

甲種輸送には、車両メーカーの担当者が添乗する。
車両は納品前で通電していないから、車両の暖房を作動させるわけにはいかない。それで山口から真冬の秋田へ乗り込むのは過酷だから、きっと暖を取るためのものだったのでしょう。
最近のJR東日本は、日立製の車両はそう多くは導入していない。日立製のE6系の納入時は、仙台まで船で運ばれた。真冬の秋田への納入は経験がなかったかもしれない。おつかれさまでした。


秋田までの沿線各地のみなさんのツイッターなどで写真を見ていた(とても参考になりました。ありがとうございます)し、完成予想図ともほぼ同一だったので、実はあまり感動はしなかった。でも、これが男鹿線を走ると思うと、感慨深い。
今日のところは楢山の秋田車両センターへ入ったEV-E801系。本線で試験走行するのはいつになるだろう。いきなり男鹿線へ入ってバッテリーが上がりでもしたら大変だから、徐々に足慣らしするのかな。
そろそろ、来春のダイヤ改正の概要が発表される頃だが、それでEV-E801系の運行ダイヤも分かるかもしれない。

12月16日で、男鹿線は全線開通からちょうど100年。
【17日追記】奇しくも100周年を迎えたその日、EV-E801系の試運転が始まり、ダイヤ改正の概要が発表された。
試運転は、本格的な降雪・積雪の中、奥羽南線の秋田-羽後境で行われたとのこと。リゾートしらかみブナ編成の時と同じ区間・ダイヤだったようだ。
ダイヤ改正は3月4日実施だが、EV-E801系の運転開始日は別途告知するとしており、EV-E801系の運用は秋田-男鹿で1日2往復。列車番号は電車であることを示す「~M」。キハ40系が代走する場合もあるだけに、所要時間は現行と同じ。
ダイヤ改正の資料には、EV-E801系の写真が掲載されており、正面の行き先表示が点灯している。「普通 男鹿」とでっかい文字で表示されていて(英字も小さく)、それは角ゴシック体。

なお、烏山線のEV-E301系は追加導入されて、すべて蓄電池に置き換わるという。


【20日追記】12月20日付秋田魁新報 社会面に「蓄電池車お目見え/男鹿線 赤、青の外観 なまはげイメージ/来春導入に向け試運転」という、大きめの記事が掲載された。
「19日、一足早くお目見えし、奥羽線で試運転を行った。」とある。試運転は19日より前にも行われているが、名目上はメーカーから引き渡される前とか、位置づけが違うのだろう。

秋田支社による情報として「男鹿のなまはげをイメージした赤い外観の車両(定員132人、座席40人)と青い外観の車両(定員130人、座席40人)の編成」。
これで、ナマハゲが色の由来なのは公式に肯定されたことになる。2両で座席数は同じなのに定員が微妙に違うのは、おそらく片方の車両にはトイレがあり、もう片方には機器などの設置スペースが取られているためではないだろうか。

「導入後は1日2往復、ワンマンカーとして運行するという。」
実際には、当初はトラブル対応として技術系の社員が添乗することはあるだろう。
それはいいとして、ほんとうに4本すべてがワンマン運転されるのだろうか? 置き換わる4本のダイヤは、現行では2両編成でも車掌が乗務するダイヤもあるのだけど。

写真は青いほうを先頭にしたもので「奥羽線で試運転する新型蓄電池電車「EV-E801系」」とのキャプション付き。
手前の線路のレール幅が広いので、秋田新幹線が並走する秋田以南の奥羽本線内での撮影。走行中だと思われ、正面の行き先表示には何かが表示されてはいるものの、シャッタースピードの都合上、判読できない。青い車両には、前照灯も尾灯もどちらも点灯していないのが不思議。これもシャッタースピードのせい?
パンタグラフは上がっている。連結器カバーは、701系などと同じ、秋田支社標準の銀色の柔らかそうな素材でJRマークが入ったものの新品のようだ。

※さらにその後の試運転について
【2017年2月18日追記・ダイヤ改正日の3月4日から運転が始まることが発表された。やはりワンマン運転らしい】
車内はこちら
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ねぶた漬おにぎり

2016-12-09 00:11:50 | 津軽のいろいろ
秋田市内のスーパーの惣菜・弁当売り場でこんなものが売られていた。
あおもりの味 ねぶた漬(R) 8%税込み138円
海苔を直巻きして袋に入った、おにぎり。
「ねぶた漬」は、青森県外の人にはなじみが薄いかもしれないが、青森では著名。包装にも「永年のベストセラーです。」とある。
要するに「松前漬」を、青森市の「ヤマモト食品」が「ねぶた漬」の商品名で製造販売しているもの。

ちなみに、弘前市の「鎌田屋商店」は松前漬を「つがる漬」として製造販売。
以前、弘前の津軽藩ねぷた村の土産屋で、観光客が店員に「ねぶた漬はあるか?」と尋ねる場面に遭遇した。店員は「ねぶた漬は青森市のものなので、こちら(弘前)では、つがる漬です。」と説明して案内していた。
それぞれのこだわりや特長はあるのかもしれないが、大して違わないはず。


僕は、弘前にいた頃、何漬けかは知らないけれど、松前漬を何度か食べたことがあったので、それがおにぎりになって秋田で遭遇できたのはうれしかった。

製造者は青森市の「丸高 高橋蒲鉾店」。甘口の赤飯おにぎりを作っているところだ。
裏面に「青森県産米使用」との記載はあるが、品種は不明。
ちゃんと数の子も入ってる
思ったよりねぶた漬の量が少なく、独特の粘りと味は控えめ。

コンビニおにぎりでも、ツナマヨを「シーチキン(R)」と表示しているところがあるように、これも製造者と原料提供者がコラボした商品ということになりそうだが、ネットで調べたところ販売店舗も限定されていた。今年7月20日から、青森、岩手、秋田各県のイオングループのスーパーで販売しているとのこと。販売期間は不明(購入したのは11月でした)。
秋田市では、イオンリテールとマックスバリュ東北の各店で扱っているが、他店では見かけないのはそういうわけか。
粘りと汁気があるねぶた漬をおにぎりにするのは難しかったようだ。
値段が値段だし、塩分が気になるけど、もうちょっと量がほしいところかな。あと、ご飯を「青天の霹靂」にしたら、より付加価値が出そう。

【2017年1月8日追記】イオンリテールの東北の店舗やマックスバリュ東北が販売する、2017年2月の節分用「恵方巻き」にも、ねぶた漬を使ったものがラインナップされた。
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泉八橋環状線

2016-12-07 23:46:14 | 秋田の地理
泉山王環状線の続き。
この10月から、泉山王環状線と堂ノ沢が廃止された代替として運行されている「泉八橋環状線」について。
※以下、泉山王環状線を「旧環状線」、泉八橋環状線を「新環状線」と表記する場合がありますが、公式な呼称ではありません。

旧環状線や堂ノ沢線では狭い道路を通っていた八橋地区内は、新環状線では近年新しく開通した道路を運行するようになり、時間短縮や新規需要の開拓になるかと期待したものの、運行本数はわずか1日1本。
これでは、旧2路線を必要最低限にまとめて経路を変えただけでがっかり。かえって不便になったと感じる人もいるだろう。
官庁街の通勤・帰宅でそれなりの利用があるようだが、もうちょっとなんとかできるのではないだろうか。


路線名の「泉八橋環状線」は妥当だと思うが、旧環状線もむしろその名称のほうが適切だったかも。今さらですが。
旧環状線にならって先に回る地名を取って、「泉回り」「八橋回り」と呼ばれる。

経路(ここでは泉回りで)は、
秋田駅西口から千秋トンネルをくぐり、神田線と合流して、保戸野八丁までは旧環状線と同じ。
八丁通過後、神田線・旧経路と分かれて、左折して西へ。
県庁経由臨海営業所発着の神田線が使っている「泉ななかまど通り(旧・国鉄官舎前→JR社宅前)」へ。
次の信号で右折して北へ。泉ハイタウン線の経路に合流。泉南三丁目から泉ハイタウン団地前まで同経路。(新川向経由旧環状線も泉南三丁目から秋操近隣公園入口まで通っていた)
泉ハイタウン線は、泉ハイタウン団地前通過後、環状運行となり、押しボタン信号を左折してコメリとジェイマルエーの間の泉北二丁目、ぐるりと回って大通りへ戻って、秋田貨物駅入口、そして向かい側の泉ハイタウン団地前から秋田駅へ戻る。

泉八橋環状線は、泉ハイタウン団地前通過後、直進し、そのまま秋田貨物駅入口へ。
泉ハイタウン線は環状運行区間なので片側にしかバス停がなかった。したがって、八橋回りではそのバス停を共用するが、泉回り用には新たにポールが設置された。
新設された泉回り用秋田貨物駅入口
その先は、まったく新たに路線バスが走る区間。「泉北一丁目」バス停が新設。(市営バス時代の大昔は堂ノ沢線が外旭川線まで行っていて、ここを通っていたようだが、バス停はなかったはず【9日訂正・ここは通っていなかったようです】)

「操車場入口」交差点で新国道を越えて、秋田運輸支局前の狭い道へ。
そこからは旧・堂ノ沢線のルートとなり、同路線の起終点だった「自動車会館前」。
奥が新国道
まもなく、草生津川東岸沿いに新規開通した道路との交差点。
堂ノ沢線は、狭い道をそのまま直進していたが、新環状線はここを左折して新しい道路を南進。再び新規区間となる。
奥が自動車会館前方向、右がイサノ二丁目方向
堂ノ沢線には、この交差点付近に「イサノ二丁目」というバス停がもともとはあったようだが、いつの間にかなくなっていた。それが新しい道路側に復活。
イサノ二丁目
さらに進めば「イサノ一丁目」。
イサノ一丁目
旧環状線が走っていた狭い道との交差点も直進して「八橋田五郎」。
八橋田五郎
「八橋田五郎」は旧環状線にあったバス停だが、狭い道からこちらへ移動。

面影橋のたもとまで直進すれば、以降は県庁経由寺内土崎線および将軍野サンパーク線と同じ経路で、サンライフ秋田前、県立体育館前を左折して山王大通りへ出て、あとは県庁市役所前、秋田駅西口と至る。


各バス停のポールに注目。
既存または旧路線と同名のバス停では、従来のものを引き続き使用。
上記の通り、泉ハイタウン線と共用する八橋回り側の「秋田貨物駅入口」は、市営バス時代に設置されたポール(この記事後半参照)。

ローソンの前から裏へ、直線で100メートル弱移動した「八橋田五郎」は、旧環状線用のものがえっちらおっちら運ばれた(トラックでしょうけど)。
旧環状線の多くのバス停では、市営バス時代に設置(または更新)された表示板が最後までそのまま使われていたが、カッティングシール文字(1999年頃?)のものと、透明シールにパソコンのレーザープリンターで印字したもの(2002年頃?)の2タイプがあった。
基本的に、同名バス停では両側とも同タイプなのだが、八橋田五郎は珍しく異なっており、山王回り側がカットシール、泉回り側が透明シールだった。
 
移設後も、引き続き、八橋回りがカットシール、泉回り側が透明シール。


あとは新たに置かれたポール。
泉回り側の「秋田貨物駅入口」
背が高く光沢のある棒で、表示板も新しそうだけど、台座は新品ではなさそう。

次の「泉北一丁目」。両側とも、これも新品ではない台座に新しい棒を差し込んだみたいだが、こちらは棒がつや消しになっている(銀色を塗装したと思われる)など、貨物駅入口と同一ではない。
泉回り側の表示板 ※明るさを調整しています
泉回り側は、表示板の下に「警察学校前」の文字が透けている。例によって、よその使い回し。
「警察学校前」は、商業高校経由川尻割山線。両方向にバスが走り乗降できるにも関わらず、片側にしかポールが立っていないという、秋田市内では珍しいバス停(以前の弘南バスではよくあった)。
現在の警察学校前は、秋田駅へ向かう上り側にだけポールが立っているが、今も以前と同じ表示板だった。以前は下り側にもポールがあって、それが撤去されて回り回って泉北一丁目になったのだろうか。
八橋回り側は、下に浮き出た文字はないが、社名の文字が薄れていることから、やはり使い回しだと思われる。
あとローマ字表記でお気づきのことがあるかと思いますが、ちょっとお待ちください。

残るは「イサノ一丁目」「イサノ二丁目」。
上の現地の写真でも分かるかと思うが、最近新規設置されるバス停では主流の、頭でっかちの背が低いタイプだ。
いまだに、アンバランスに見えてしょうがない
経路変更された卸町経由新屋線の新設バス停にも、このタイプが設置されている。秋田貨物駅入口と泉北一丁目だけ、なぜか中古品があてがわれた形になるようだ。
  
こちらは「1丁目」「2丁目」と、数字はアラビア数字。
秋田市の町名としても、中央交通のバス停の表記としても、本来は漢数字で表記するべきもの。現に泉北一丁目はそうなっている。同タイプが新設された卸町でも漢数字。なぜかイサノだけ違う。
さらに、泉北一丁目でもそうだが「一丁目」のローマ字がオカシイ。
「ITCHOME」だってよ!(二丁目は「NICHOME」だから、「1」と「I(アイ)」を誤植したものではない)
「イッツチョメ」? この表記で「一丁目」を連想できる人などいるだろうか。
「IT革命」を「イット革命」と読んでしまった元総理大臣(現・某大会組織委員会会長)もいましたが…

【2017年6月11日追記】上記新規区間では、転用ポールと頭でっかちの新品ポールの2種が設置されたわけだが、支柱の反射シールの配置が異なっている。転用は上部2本・下部1本で、頭でっかちでは逆になっている。


以上、泉八橋環状線の概要。
利用状況はよく知らないけれど、見聞きした限りでは、夕方の八橋回りは、八橋付近への帰宅の足として重宝されているようで、一定の乗車はあるようだ。
しかし、泉から千秋トンネルを通って駅までは、乗客はほぼ皆無。
これでは、堂ノ沢線時代のように自動車会館前止まりにしたほうがいいのでは…

需要がないのかもしれないが、ダイヤ設定の下手さも原因だと考える。【8日追記】ここを工夫すれば、泉・保戸野一帯から駅方面への利用は見こめる可能性がある。
秋田貨物駅入口以降では、泉ハイタウン線と重複するわけだが、秋田貨物駅入口の時刻は、環状線が17時33分、ハイタウン線が17時34分と、わずか1分違いで続行している。(ハイタウン線の直前は17時14分、次が最終で18時09分)

しかも、どちらも遅延が著しいようで、1度見た時はハイタウン線が10分近く遅れて来た時点で環状線は未到着。別の機会では、17時41分通過予定の鷹匠橋を約15分遅れて走っていた。※両日とも、悪天候やいつもより激しい渋滞が発生していたわけではない。
ダイヤ上では、秋田駅西口到着は千秋トンネル経由の環状線が17時48分、通町経由のハイタウン線が17時52分となってるが、これではアテにならない。保戸野八丁と原の町からは神田線と添川線の間にうまく収まっている(前後が10分ほど空いている)が、それもこれではアテにならない。
ダイヤ、時刻表とは、交通状況等を考慮して極力実現可能な運行時間を示すものであるべきだ。バス会社の理想の運行時間を示すものではない。これでは、乗客(当該路線だけでなく、この後に入る路線の客も含めて)はもちろん、現場の社員にも負担をかけることになる。この路線・区間以外も含めて、安全性、信頼性確保のためにも、中央交通の秋田市内のバスダイヤは再検討すべきだと思う。


朝の泉回りは見たことがないので不明。
附属小中学校の通学や、泉ハイタウン線の始発便より30分先行するので、それなりの利用があるのかもしれない。

山王方面と「泉ななかまど通り」の間では、泉八橋環状線のほか、臨海営業所着発の神田旭野団地線(かつての千代田町経由)も利用できる。朝夕ともダイヤは近接しており、朝は泉ななかまど通りを同時刻に通過する(アテにならなさそうですが)。
県庁市役所前との間では、環状線が20分弱350円、神田線が10分弱230円で、環状線を選ぶ理由は見当たらない。

沿線の泉や八橋は、40年ほど昔の新興住宅地だから、住民の高齢化が進んでいる。そんな人たちが日常生活を送る上で、ダイヤを工夫すれば泉八橋環状線が役に立つ場面もあるはず。なんとかできないものか。

【8日追記】車両正面の行き先表示は「泉・八橋環状線」と1行で表示。経由地表記はなし。行き先表示に「線」が入ったのは異例。
旧環状線の山王回りでは「山王・泉環状」と通過する順番に合わせて表示していたが、新環状線の八橋回りでは「泉・八橋環状線」と表示されている(はず)。
これでは、正面の表示でどちら回りかが判断しにくい。系統番号(旧環状線でも同じ番号だったが、LEDでなく幕だったので表示されなかった)があるし、そもそも運行時間帯が違うとはいえ、不親切になってしまった。「線」を入れることで、あくまでも「路線名」を表示しているということなのだろうか。

ちなみに、秋から実質的に経路変更された茨島環状線では、やはり行き先表示が「茨島環状」から「茨島環状線」に変わったものの、従来と同じく上段にどちら回りかが表示されている。この点でも、やっぱり統一感がないバス会社である。

【9日追記】コメントでご指摘いただいたように、草生津川沿いの新規区間のバス停の数が少なく、間隔が広いのが気になった。(初回アップ時に書き漏らしました。)
面影橋と自動車会館前の間は約1.7キロで、その間に3つの停留所が設けられた。平均して500メートル以上離れていることになり、市街地としてはバス停の間隔が長いと思う。
旧路線時代と比べて、草生津川を渡らないとバスを利用できなくなった人もいるのに、新しいバス停の位置は必ずしもそれを考慮していないようにも感じられる。制約もあるとは思うが、バス停の位置と数をもう少し検討することができかもしれない。
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新しい消火栓

2016-12-06 21:25:27 | 秋田の季節・風景
秋田市のような積雪地では一般的な地上式の消火栓
11月に、泉地区コミュニティセンターの向かいに設置されている消火栓が新しいものに交換されたことに、気がついた。
泉コミセンではポストも設置されたし、今年は赤いものが2つ新しくなった(それがどうした)。
ピカピカ
写真ではうまく伝わらないが、(秋田市内で)見慣れた消火栓とは赤の色味が違う。くすんだというか、どぎつくない赤というか。
また、「消火栓」の文字が、見慣れたものは筆文字なのに対し、これは直線的な独特の書体。(古くてもこの書体のものもある)
「消火」がやや大きく「栓」が小さい
ただ、初めて見るものではなく、これと同じタイプの消火栓もちらほら設置されてはいる。

「1-846」という秋田市消防本部が白いペンキで書いたと思われる数字。
ストリートビューで確認すると、以前の消火栓にも同じ数字が書かれているので、1本ごとに割り振られた管理番号だろう。

楕円形の銘板が付いている

銘板
滋賀県彦根市の「北川鉄工所」製の「22KII」という製品。今年8月19日製造。
「消火栓」の文字の下に、浮き出しになった記号と数字があり、「2015」と読めた。これは製造年ではないことになる。【2022年6月24日追記・ただ2016年の前年であるから、ボディが製造された年とか、その型のようなものの製造年とかの可能性はあろう。】

同社ホームページによれば「K-SERIES (75mm)地上式単口消火栓」。「23KII」というのが主力商品のように掲載されているが、それとの違いは「副弁」というものがないことらしい。いちばん安い製品ということかな。
このメーカーの消火栓は、「特殊合金の金属表面処理」と「耐候性フッ素樹脂塗装」により、サビと塩害に強いのだそうで、色合いはそのせいか。
おそらく、秋田市消防本部では、北川鉄工所22KIIを標準の消火栓とし、新設や更新を進めているのだろう。
【18日追記】色合いが違い、文字が毛筆体で新しそうな消火栓も見かけた。北川鉄工所以外の消火栓も並行して設置されているのかもしれない。



この場所の消火栓が更新されたのはなぜか。特に古いようには見えなかったし、秋田市内にはもっと傷んでいるように見える消火栓もあるけれど。
車がぶつかって壊されたのかもしれない。だとすれば、そういう事態に備えてストックしてある消火栓が設置されるはず。8月に製造されて3か月以内で設置されたのだとすれば、ストック期間が短く、タイミングが良すぎるようにも思える。やはり計画的に更新されたのか。
ここでは、少し前まで道路を掘り返して何かのライフラインの工事が行われていたけれど、関係あるのだろうか。
信号機なんかと同じく、すべてを厳格に管理して順番に更新するのは不可能だろうから、いろいろ事情はあるのでしょう。

秋田市近隣の某市では、
(再掲)秋田市ではありません
こんなにボロっちい消火栓もあった。せめて塗装してやってよ…

秋田市の消火栓更新に関係するかもしれない記事
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「鹿嶋神社前」バス停

2016-12-05 00:06:13 | 秋田の地理
秋田市内を歩いていて、立っているバス停をふと見たら…
「鹿嶋神社前」
こんな名前のバス停あったっけ?
一瞬、自分がどこにいるのか分からなくなりかけた。

秋田県内でも、鹿島信仰や鹿嶋神社は散見される。
秋田市内では、新屋の鹿嶋祭が著名だけど、それは日吉神社の祭り。近隣以外の市民にも広く知られた鹿嶋神社というものは存在しないと思う。だけど楢山登町には、道路をはさんで池がある小さな鹿嶋神社はある。
でも、このバス停があるのは楢山登町ではない。

場所は、旭北寺町に近い側の、大町五丁目。
通るバス路線は、楢山大回り線。「大町五丁目」と「柳町公民館前」の間のバス停。
現在は片方向のみの運行なので、片側にしかバス停がない。
時刻表も「鹿嶋神社前」
そう。かつて「歓喜寺前」だったバス停が、「鹿嶋神社前」に変わったのだ。ホームページの時刻表検索や路線図も変更されている。
ホームページでの告知はなかったが、10月のダイヤ改正時に変えたのだろうか。告知に関しては、法令で「公衆の利便を阻害しない場合」は不要としており、ここの運行本数と利用実態からすれば、これでいいかもしれない。

ここのバス停が現時点で「歓喜寺前」なのは、適切ではなく、改称するべきであると、以前から何度か触れてきた
なぜなら、歓喜寺は、道路建設に伴い2007年7月に下北手へ移転しているから。9年経ってやっと名前が変わった。
(再掲)歓喜寺前前当時。中央交通移管後に設置したカットシール文字丸ゴシック体・ローマ字入り表示板
※↑市営バス時代に設置されたものも丸ゴシック体だったが、それとは書体(フォント)や微妙な配置が異なるので、中央交通設置だと識別できる。

パソコン印字角ゴシック体・ローマ字なし
それにしても、この辺は寺町だからお寺は多いけれど、神社なんてあったかな?
バス停からバス通りを50メートルちょっと北(柳町公民館前方向)へ行ったところに、小さな鹿嶋神社があった。
この辺一帯の各町内ごとに1つあり、竿燈まつりの時に準備場所になるような、小さな敷地(家と家に挟まれて奥行きがある)の小さなお社。てっきりお稲荷さんかと思っていたが、鹿島さんだったんだ。たしか「豊島町」竿燈会が使うはず。

かなりマイナーな由来のバス停ということになってしまうが、この辺はバス停名になるような施設がなさそうだから、苦心したのは理解できる。以前の歓喜寺前だって、実は1ブロック向こうにあったお寺だから厳密には「前」じゃなかったし(これは市営バス時代の命名)。
所在地名由来だと大町五丁目も旭北寺町も既にバス停が存在するし。今さら旧町名の豊島町を使っても分かりにくいだろうし。

【6日訂正】神社の前に標柱があり、それによれば旧町名は「八日町」でした。したがって、竿燈で使うとすれば、八日町竿燈会でしょう。豊島町は1本東側でした。


さあ。となれば今度は「交通公社前」を変えてはいかがですか?
コメント (2)
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ホテル名変更

2016-12-02 00:18:39 | 津軽のいろいろ
ホテルの名前が変わることがある。
経営企業からして代わったり、経営は同じままでフランチャイズ入りするなどして名前だけ変わったり(リブランドと呼ぶらしい)。どちらにしても、泊まったことがある人のみならず、その町に住む住民にとっても、戸惑いと寂しさを感じることを、秋田市の例で以前取り上げた。
今回は弘前市とその周辺について。今年、知っているだけでも、3つのホテルの名前が変わっている。

まずは過去にさかのぼる。土手町の紀伊國屋書店の上の「ホテル法華クラブ弘前店」→「弘前パークホテル」。
全国チェーンが撤退し、地元企業の経営に変わったもの。名称変更は2001年のことだそう。
変更後は「イマジン株式会社」というところの運営で、弘前プラザホテルのほか、青森県内と函館、大館で結婚式場などもやっているそうだ。


次は、駅前の「シティ弘前ホテル」が、何度か、いずれもややこしい名前に変わったこと。
1989年9月にできた商業施設と一体化したビル(ビル全体としては今も「シティ弘前」?)にある、弘前では高級志向のホテル。「シティ弘前ホテル」だった頃は、東急イン系列だったそうだ。2007年10月で撤退。
2008年4月からは世界的チェーン「ベストウエスタンホテルズ」傘下(日本だけでも複数の運営会社がある)となり、「株式会社ランドーナージャパン」が経営する「ベストウェスタンホテルニューシティ弘前」となった。なんか西部劇みたいな名前で、この時点で僕はついていけなくなった。
そして2014年10月(たぶん)からは、「株式会社ナクア ホテル&リゾーツ マネジメント」経営の「ホテルナクアシティ弘前」となった。
と思っていたら、運営会社が「株式会社マイステイズ・ホテル・マネジメント」に統合され、今年2016年10月から「アートホテル弘前シティ」となった。
シティ弘前ホテル→ベストウェスタンホテルニューシティ弘前→ホテルナクアシティ弘前→アートホテル弘前シティ
これまでは、「シティ弘前」の名前は“死守”されてきたが、ついに「弘前シティ」と順番が入れ替わってしまった。
とにかくめまぐるしい。NHKのアナウンサーで久能木→黒田→渡邊と姓を変えている人について三谷幸喜氏が「しょっちゅう名前が変わる人」と評していた(ゲスト出演したNHKの番組内にて)ことや、「古畑任三郎」の部下が、作中で向島→東国原(ひがしくにばる)→向島と姓が変わったのを連想してしまったけど、こっちほうがずっと頻繁で複雑だ。
2021年には、秋田市にも似たような事例が生じた



昨年宿泊した、大鰐の「青森ロイヤルホテル」は、2016年7月から「青森ワイナリーホテル」になった。
ロイヤルホテル時代から、むつ市で「下北ワイン」を製造する「サンマモルワイナリー」系列の企業だったそうだ。このホテルでもワインを醸造することになり、ホテルの名前を変えたとのこと。
ホテル隣接の「青森ロイヤルゴルフクラブ」や「ろいやるファクトリー」など弘前市内や青森空港にある店舗・飲食店は、今も「ロイヤル」の名前が残っているようだ。
唐突に感じたし、ホテルは「ロイヤル」の名を消してしまったのに、他では残すのも、統一感がない。



12月1日からは、土手町の「弘前国際ホテル」が「スマイルホテル弘前」となった。
運営は引き続き地元企業「みちのくホテル株式会社」が行い、全国チェーンとフランチャイズ契約したことに伴うもの。
電話番号は変わらないが、ホームページアドレスやメールアドレスは変更された。
 弘前国際ホテル時代のカード
スマイルホテルは、青森県内の青森市より東側に3店舗(青森、十和田、八戸)が既にある。これらはスマイルホテル本部直営で、もともとは「ホテルユニバース」という、八戸のスーパー「ユニバース」系列だった。

僕は、旧ユニバースのスマイルホテルも、弘前国際ホテルも利用したことがある。
スマイルホテルは宿泊特化、国際ホテルは宴会場などがありコンセプトがやや違いそうだし、価格帯も若干違う気(国際ホテルのほうがちょっと高め)がする。それが同ブランドになるのは、ちょっと戸惑う。
【2日追記】「Aカード」というチェーンに属さないホテルを中心とした共通ポイントシステムがあり、その運営会社とスマイルホテルは密接な関係があるようだ(だからスマイルホテル各店ではAカードを使える)。弘前国際ホテルは以前からAカードに加盟していたので、今回のフランチャイズ入りに伴い、客としては特に変化はないはず。
蓬莱橋越しに
世界地図をイメージしたようなロゴマークも、黄色いスマイルに変わるのだろう。現在のホームページの建物の写真では、看板を合成している。
2005年。アーケードがあった頃、右奥は百貨店・中三
「国際ホテル」という名前では、初めて弘前に来た人はどのようなホテルか想像しにくいのかもしれない。
聞いたことがない地元ホテルよりも、チェーン店のほうが安心して予約・宿泊できるというのはあるだろう。
一方で、全国チェーンとは無関係の地元企業が運営していた「弘前プリンスホテル」は、破産して全国チェーン傘下に入ったが、今も名前はそのままというケースもある。

秋田市も弘前市も、一時期(10年ほど前)は、全国チェーンの新規進出が激しく、秋田市では以前からのホテルが閉店・撤退してしまったものもある。最近は一段落して、リブランドが主流になっていくのだろうか。

【2017年8月17日追記】弘前国際ホテルの2階、フロントの向かいには「レストラン大阪」というレストラン(朝食や宴会会場。昼食や夕食はなく、外部からの利用はできないはず)があった。スマイルホテル変更後もそのままのようだが、なぜ「大阪」なんだろう。
コメント (3)
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