広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

越後中里'23.3その2

2024-06-30 23:32:32 | 旅行記
2023年3月の旅行記。ホテルから歩いて、新潟県湯沢町のJR上越線・越後中里駅に到着。直前に、マイクロバスから降りた若者たちが、駅の中へ入り、列車が当分来ないホームへつながる跨線橋を上っていった。

Wikipediaによれば、越後中里駅は1931年開業。現在の駅舎は2代目で1980年にできた。かつては駅員がいたが、現在は無人駅。無人化がいつなのかは不明(1990年代前半との情報も)。2007年までは繁忙期に駅員が来ていた。立ち食いそば屋もあった。
階段を上ったところ
駅入口の隣に「観光案内所」の表示、ドアには「越後中里駅観光センター」の表記。湯沢中里観光協会が入っていて、冬は毎日開いているようだが、この時は9時のオープン前。

駅の中。コンコース。右に閉鎖された窓口
片隅に15人分のベンチがあるほかは何もなく、がらんとしている。かつては多くのベンチやそば屋もここにあったのだろうか。そして、スキー客でごった返したのだろうか。床の模様は、国鉄の遊び心か。
上の写真の枠外・左には観光センターに出入りできるドアがあって、その上。
「駅長さんも太鼓判」
「日観連」加盟の、駅周辺宿泊施設の紹介。電照式かな。
「日観連」は「日本観光旅館連盟」。2012年に「国観連」こと国際観光旅館連盟と合併して「日本旅館協会」になっていた。
各施設の市内局番は7の1桁。現在は787で、2002年までは87だった。市外局番が5桁(02578)だったのはいつだろう。駅舎ができた当時か。
半分以上の施設が、現在も営業しているけれど、太鼓判を押す駅長さんもいなくなって、電話番号も中途半端では… というか、今どき駅に着いてから、しかも電話して予約を入れる旅行客なんていないでしょうね。

左がホーム。秋田ではホーム屋根下に置かれることが多い、除雪機もコンコースに
右の外へのドアは、寒冷地にしては数が多く・幅が広く、これもスキー客対応だろう。
除雪機の上に「トイレ閉鎖のお知らせ」
2022年春で閉鎖されていた。改札内にもなかったはず。
食券券売機タイプの自動券売機を改造した、磁気式乗車駅証明書発行機(秋田地区と同じ)が設置。Suicaはエリア外。

ホームへ。2面3線で、改札すぐの1番線と、橋を渡った2番線が下り越後湯沢方面。3番線が上り。2番線は何本かある折り返し列車などが使うようだ。
「海抜四七〇米」
ホームに面した窓口もあった。首都圏からの乗り越し精算でもしていたのか。

さて、改札内に入って跨線橋へ消えていった集団。写真の通り2・3番線にもいない。
跨線橋は、2・3番線よりも向こう、線路の反対側にある茶色い建物につながっている。彼らはそこへ行ったのだった。
「中里スキーセンター」
レンタル用品や飲食の店が入るようだ。その外は、ホテルから見えた湯沢中里スノーリゾート(旧・湯沢中里スキー場)。
越後中里駅からスキー場へ直接行き来できるように「東口」がある。1965年にできたとのことだが、センターの建物はそれより新しそう。

無人駅とはいえ、改札内・ホームを自由通路的に使うのは、いかがなものかと思ってしまいそうだけど、公式に認められているのだと思う。【7月1日追記・有人駅当時はどうなっていたのだろう?】
泊まったエンゼルグランディアの送迎バスが、越後中里駅西口に立ち寄るのも、JR利用の宿泊客のためというより、スノーリゾートとホテルの行き来の便を図っているように感じたし。
2・3番線ホーム越しに東方向
なお、駅以外で線路両側を行き来するには、北側に踏切、南側はエンゼルグランディアそばの橋があり、どちらも駅から400メートルは離れている。
また、東口に出て、線路沿いにエンゼルグランディアまでつながる道もあり、西側よりも近道のようだが、今回はよく分からなくて使わなかった(積雪時は通行できないかも)。
跨線橋から南方向。奥の大きな建物がエンゼルグランディア

北方向。線路の間に水のたまった溝がある

跨線橋途中
2・3番線下り口のところに、扉状の板がある。夏場は閉まっているようなので、東口は季節限定ということなのか?
先へ進んで、
越後中里駅東口
気後れして、外に出ないでしまったのだが、人の気配はなさそう。さっきの人たちはもうスキー場へ向かったのか。
昔ながらのステンレスの風呂桶のようなラッチがあった。窓口もある。現在は完全無人らしいが、かつてはスキー場社員がいたような話も。

スキー場の跨線橋より北側の駐車場付近に、青いものが連なっていた。
線路と並行に鉄道車両が10両ほど並べられている。休憩所として使われる「ブルートレイン中里」。1984年からあるらしく、国鉄の旧型客車の座席車。したがって、厳密には「ブルートレイン」ではないし、青の色味も違う。

1番線へ戻って、今は在来線列車でスキーに来る人などいないのだろうなと思いつつ、どこからか来たもう1人(スキー客ではない)とともに数分待つ。
新清水トンネルを抜けてきた下り列車が到着
車掌乗務のE129系2両編成。たぶん水上発長岡行きで、群馬県側からの始発列車(前2本は越後中里始発)。
大して混まないだろうと高をくくっていたら、立ち客が多くてびっくり。
さらにその多く(20人くらい??)が下車して、またびっくり。

降りた客も、車内に残った客の多くも、ウインタースポーツの格好の若者。
昨日、越後湯沢やホテルで見たのは、大学生くらいが多そうだったが、今回はもう少し若く、高校生くらいにも見えた。群馬県内の若者が、越後湯沢へ滑りに来たのだろうか。
降りた客は、階段を上って東口へ向かう人もいたようだが、眼の前にある西口から出る人も少なくなかった。それを見て「そっちじゃないのに…」とつぶやく車内の若者。
前回同様、今なおウインタースポーツもけっこう人気なのではと思わされた。秋田では見られない現象だと思うのだけど。

そんなわけで、着席することができた。
発車した列車は、大きくカーブして雪原(田んぼ)を進む感じがしたが、実際にはそれなりに人が住むエリアで、徐々に越後湯沢の町へ近付いていく。

1988年に、キハ58系気動車を改造したジョイフルトレイン「サロンエクスプレスアルカディア」が火災を起こし、1両が全焼した。これをきっかけに、JR東日本では旧型気動車のエンジンを換装。焼けなかった車両は再改造して、盛岡支社の「Kenji」となって2018年まで活躍した。
その火災は新清水トンネルを出たところで発生し、越後中里と次の駅の間で緊急停車したとのこと。

その次の駅は「岩原スキー場前」。
臨時駅のような名前だが常設駅(※)であり、岩原は「いわっぱら」と読むのが特徴的で、以前から知っていた。※もともとは臨時駅として開業したが、近く高校ができて常設化された。高校は2008年に閉校。
この調子では、スキー客たちがまた下車していくだろうと思ったのだが、誰も降りなかった。
「前」というわりには、岩原スキー場まで歩いて10分以上かかり、越後湯沢駅から無料シャトルバスも出ているそうだ。

というわけで、スキー客たちは、みんな越後湯沢で下車。越後湯沢駅の在来線改札口は、自動改札でなかったのが意外だった。
この後は、新幹線に乗り換えて首都圏へ向かった。続きはまたいつか。
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越後中里'23.3その1

2024-06-27 23:43:49 | 旅行記
今さらですが、2023年3月上旬のJR東日本パスの旅行記。初日に長野市を訪れたところで途絶えていた、続き。
高崎で北陸新幹線と上越新幹線を乗り継いで、越後湯沢で下車。
17時過ぎ、薄暗くなってきた西口
越後湯沢駅の外に出るのは2度目。以前は、20年ほど前の正月に乗り換えで一瞬、降りたもので、東口側に出た。アーケード商店街などがあって、地元の住民も使うような街並みだった。
今回は西口に出た。山が迫っていて、宿泊施設など旅行客向けの町の印象。道路上の雪はなくなっているが、寄せられた雪山、手を付けていない土地の残雪はだいぶあって、秋田市とは違う、本場・雪国。

この時は、新型コロナウイルスの旅行制限は緩和されつつあった頃。だからJR東日本パスも発売され、日本人旅行客はそれなりに増えていた。外国人は団体旅行が解禁されていたかと記憶する。
越後湯沢に降りてびっくりしたのが、日本人旅行客の多さ。この旅行で訪れた各地の中で、いちばんにぎわっていたのが越後湯沢だった。2024年時点のようなオーバーツーリズム状態ではないけれど。

その客層は、若い。大学生くらいの小グループをけっこう見かけた。合宿などではなさそうで、春休みや卒業旅行なのだろうか、スキー・スノーボードをやりに来たような雰囲気。ウインタースポーツ人口は減っていると聞くが、それを疑った。秋田辺りのスキー場でもこうなのかだろうか。それとも、越後湯沢は首都圏から近く、鉄道でアクセスしやすいからなのか。
上越新幹線・ガーラ湯沢駅に直結したスキー場に来たのなら、越後湯沢駅で降りる必要はない。そして、夕方なのに、改札内に向かう気配がない人たちが多いから、多くがここで宿泊するのだろう。

スキーはしないけれど、僕も越後湯沢で宿泊。宿泊予約が取りづらいということはなく、温泉付きリゾートホテル「エンゼルグランディア越後中里」の朝食付きで手頃な価格(6300円だったか?)のプランがあった。
宿の最寄り駅は、厳密には越後湯沢ではなく、同じ湯沢町内で、在来線の上越線で東京方面へ2駅進んだ、越後中里(えちごなかざと)駅。上越線の列車本数は少ないが、越後湯沢駅西口(からすぐの案内所という建物)から送迎バスが運行されている。
車両はホテル系列のバス会社が運行する緑ナンバーのバスで、どこかの中古らしき路線バス仕様。(いすゞと共通化される前の)日野レインボーが2~3台いた。スキー・スノーボードを持ちこむには、路線仕様車が適しているし、一部の座席が撤去されていた。バスにも板を持った若者がグループ数組。
途中、観光施設(湯沢フィッシングパーク?)や系列のリゾートマンション、越後中里駅前にも立ち寄るが、乗降なし。乗る時、ドライバーに「ご宿泊ですね」と確認されたのだが、単なるホテルのシャトルバスではないようだ。所要時間は15~20分。

到着したホテルは巨大(写真は続編で)。15階建て300室だそうだが、リゾートマンションも併設しているらしい。
そのホテル内も盛況。滑り終えた宿泊客がたくさん。
参ったのは、翌朝の朝食時間。(感染対策のため?)時間を区切った指定制で、チェックイン時の先着順。この時点では、6時30分から1時間の枠しか残っていなかった。翌日はそんなに早くなくてもいいし、食前に朝風呂に入りたかったのだが…

夕食は高崎の駅弁。ホテルの周りには、店はほぼないと思われる。ホテル内にファミリーマートあり。
サービスは至れり尽くせりではないのは、個人的にはよかった。
部屋は13階の北向き。8畳+4畳(?)の和室。
窓の下はホテルに隣接する「中里スノーウッドスキー場」
その左側には、
越後中里駅とその周りの集落。駅の真横(=スノーウッドの隣)には湯沢中里スノーリゾート(旧・湯沢中里スキー場)。

東方向。
上越線と関越自動車道。左が東京方面
写真では関越道と重なって分かりづらいのだが、このポイントで、上越線は上下に分かれる。上りは清水トンネルとループ線、下りは新清水トンネルにつながる。「国境の長いトンネルを抜け」た「雪国」とは、まさにこの辺りの風景なのだろう。
上越新幹線は、奥の山の中を、越後湯沢駅ギリギリまで大清水トンネルで突っ切っている。

バスで来る途中、越後中里駅近辺に「土樽郵便局」など土樽の地名を見かけた。土樽(つちだる)といえば、越後中里の隣の駅。両駅とも、所在地は大字土樽なのだった。「中里」というのは、駅より北側の地名らしい。国土地理院の地形図には「中里」表記があるのだが、その他地図サイトには表示がない。

翌朝。早起きして指定された朝食へ。広いレストラン(2つある)に、けっこうな人数がいたが、席に余裕はあった。豊富なメニューのバイキングで、朝からミニラーメンなど食べてしまう。
チェックアウトして、越後湯沢から新幹線で上野へ向かう(フリーきっぷを活かして、泊まるためだけに新潟県に来たのだ)。シャトルバスだと新幹線との接続がいまいち。
ところが、越後中里からちょうどよく列車があって接続するので、そちらを使うことにした。ホテルから越後中里駅までは700メートルほど。列車で越後湯沢までは7分。

ホテルの前のオーバーパスで線路を越え、集落の中の道をほぼまっすぐ。
残雪とせせらぎ。雪国の早春らしい
【29日追記・気温は5℃前後だったようだが、特に寒いと感じた思い出はない。】
旅館。奥には雪山
歩道がない広くはない県道で、道路中央には消雪パイプ。沿道は、民家に混ざって旅館・民宿も。でも、ホテルを出てから駅まで人通りはまったくなく(車通りもほぼなく)、宿泊営業していないのかなどと考えつつ、駅に到着。
越後中里駅
どこかで見たことがあるようなないような、いかにも国鉄設計の駅の風情。道路よりも高いところに建っていて、20段ほどの階段がある。
駅から駅前を眺める。左がホテル方向
旅館、酒店、貸しスキー店など。

上の写真で、駅前に何も表示のないマイクロバスがいる。
撮影する直前、このバスから、若者だと思うが、全席分の人が降りて、駅の中、ホームへ入っていくのが見えた(一部は貸しスキー店へ行ったかも?)。
この全員が列車に乗るのかと驚いた。

ただ、これから来る下り列車の1番線は素通りして、跨線橋を上っていく。そちらのホームの上り列車は当分(たぶん昼まで4時間近く)来ない。なぜ? 続く
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入院患者の1日

2024-06-25 23:51:23 | 入院
久々の入院カテゴリー。前回はお世話になる人たちについて
今回は、(病状が安定している)入院患者の1日の流れについて。
【29日補足・この記事は、2023年度の秋田大学医学部附属病院のある診療科での入院体験を、素人の視点で記したものです。病院、診療科、時期等によって違いがあること、間違いや勘違いがあるかもしれないことをご了解の上、ご覧ください。】

全国のたいていの病院において、6時起床、朝食7時30分、昼食正午、夕食18時、21時就寝とされている。根拠は何なんだろう。
入院経験がなかった頃、そんなスケジュールを聞いて、食事はともかく、寝る時間が大変だと思っていた。病人とはいえ、夜9時に寝かされ、9時間も床に入っていなければならないのは、つらいのではと。
僕は子どもの頃から宵っ張りだった。昭和だと、小学校中学年くらいまでは20時~21時に寝る子も珍しくなかったと思うが、僕は21時40分の「ニュースセンター9時」が終わって、「銀河テレビ小説」の流れ星のオープニングが映るところまでは起きている子だった(そのわりに、大人になっても夜更かしはさほど進まず、徹夜はできないのだけど)。【26日補足・だから、「夜9時に寝る」経験は、乳幼児や発熱時以外では、今回がほぼ初めてかも。】

実際、入院してみたら、21時に寝るのは、早々に慣れて苦でなかったが、どうがんばっても(?)8時間寝るのが限度。
毎日のように、5時過ぎには目が覚め、(真冬だったので)まだ暗い中で、起床時刻を待ちわびた。【26日補足・欲を言えば、22時就寝にしてもらえたら…】


では、起床から順に、主に平日の1日を記す。
6時00分、起床。
放送が流れたり、自動で照明が点いたりはせず、看護師が各部屋を回って、「おはようございます」と言いつつ(たまに無言の人も)スイッチを点けていく。
数分遅れることも多く、待ち切れない患者が点けることもある。外の明るさ次第だが、窓際の患者はカーテンを開けることが多い。

病棟によって多少異なるが、起床から朝食までの間に、体温や体重を測るよう求められる。各カーテンの中から、チロチロチロという、オムロンの電子体温計の音が聞こえ、廊下にある体重計へ向かう人がいる。
それでも、患者たちが一斉に動き出す、というほどでもない。トイレ・洗面台は各病室にあるし、まだベッドから出ない人もそれなりにいた。

患者が起きると、看護師も忙しくなる。
看護師は、消灯中かどうかに関わらず、交代で休憩(仮眠?)を取っているらしく、出勤者が全員揃うわけではなさそう。
各看護師が、その日担当する患者全員に、朝のあいさつを兼ねて、寝られたかどうか、体調や体温を尋ねて回る。点滴などの時間が決められた患者には、その処置もする。
だから、すべての患者に看護師が来ることになっているが、そのタイミングが違う。病棟の方針や看護師の休憩シフトの関係で、6時05分に来ることもあれば、7時前後になることもあった。患者としては、顔も洗ってないところに来られるとあわてるし、なかなか来ないと、無駄足をさせるのも気が引けてトイレに行こうか迷う。

あとは朝食まで自由。
僕はテレビを見ながら、お茶を飲んで、病棟内を少し歩いて、窓から外を眺める【26日補足・上のフロアだったので、時期的に、新雪で真っ白な街並み(地上では除雪や寒さで大変だろうけど)や、山から日が昇るのを見られた】などした。
娑婆(シャバ)のあわただしい朝と比べると、起床後、朝食まで1時間半あるのは長くて持て余す。
というか、(病状等により行動が制限されている患者は別として)消灯時間以外は病院内のどこへ行っても、基本的には何も言われない。病棟を離れる時に報告するような義務付けもない。ただ、診察や検査の予定は最優先するべきだし、感染予防のため、混み合った時間に売店や外来病棟を歩き回るのはやめたほうがいいでしょう。

外来棟1階の売店・ローソンは7時開店。1度、Wi-Fiを借りに6時50分頃から行ってみた。外来棟の廊下の照明は滅灯されていて、警備員も見かけたが、通行制限などなし。
ローソンが開店すると、ちらほらと、患者がやってきた。続々というほどでもないが、店内に常に数人の客はいる状態で、なかなか繁盛。
高齢の男性が多く、ほとんどが新聞を買っていた。そういう需要があるのか。


7時30分、お待ちかねの朝食。病棟や部屋によっては、5分以上遅くなることもある(昼・夕も同じ)。きゅるきゅるという、電動アシスト付き配膳車の音が待ち遠しい。

朝食後、患者としては少しゆっくりしたい。しかし、歯磨きやトイレは早めに済ませたほうがいい。8時30分頃から9時過ぎにかけてが、けっこう忙しいので。
まずは、朝食を食べた量や、食後の服薬の確認に看護師が訪れる。これが夜勤担当者との最後の接触。
8時30分過ぎ、日勤担当の看護師があいさつに来る。並行してスタッフステーションでは、夜勤から日勤への申し送り(引き継ぎ)がされている。

そして、担当医による回診が行われる。
この時間帯は、極力病室にいるようにと言われた病棟もあった。
時刻は医師個人個人で違う。8時半辺りに来る人もいれば、9時半近くの人も。スケジュールの都合で特定の曜日だけ早く来ることもあるし、同室の他の患者に「お食事中すみません」と言いつつ朝食中に来る先生もいた。

回診は、診療科によって、実施方法が異なる。病室の患者のカーテンの中へ入って来ることもあれば、ベッドでは診察できない部位・病状の患者を別室(病棟内の処置室)へ呼んで診察することもある。
ベッドでの回診は、症状が安定していれば、「おはようございます。変わりありませんか」「明日、採血とレントゲン(の検査予約)を入れましたので、その結果で次の方針を決めようと思ってます。では」程度で、10秒もしないで終わることも珍しくない。【26日補足・患者と医師が直接会話できるのは、1日の中で回診時だけのことが多い。だから、伝えたいことや質問があれば、この機会を遠慮なく使うべき。】

平日は毎朝が原則のようだが、医師の都合で来なかったり午後のこともある。土日祝日、年末年始など、担当医が出勤しない日は、特段気になる状態でなければ回診なしだったり、科内の複数の医師で組織する「チーム」の他の医師が来たり、診療科で違うようだ。
また、曜日によっては、チームに属する医師全員が来るチーム回診や、科長である教授による教授回診のこともある(後日また)。

回診が終われば、僕の場合は気分的に一息つけた。実際、この後は、診療・治療は丸一日何もない場合もある。
とはいうものの、午前中のルーティンはまだある。


採血がある時は、9時過ぎに病棟の看護師がベッドへ来て行う。
それから少しして、担当看護師による血圧などの測定(バイタルチェック)。日曜以外は清掃の人が、カーテン内・ベッド周りも掃除に来る。曜日によってはレンタル病衣の補充、シーツ類の交換も。

10時前後は退院と入院の時刻。看護師はその対応、看護補助者とともに空いたベッドの片付けなど忙しくなる。

10時過ぎから昼前(昼食に重なってしまうことも)にかけて、外来病棟がいくらか落ち着いた頃。X線等の検査や、診療科外来での診察や治療が入っていた入院患者に、お呼びがかかる。
検査や診察の予定は、患者に事前に知らされる。上記、回診時のほか、看護師も前日や当日に教えてくれる(病棟によって紙だったり口頭だったり、たまに忘れられたりしてしまうのだが、スマホで通知するとかできないものだろうか)。
でも、その日の「いつ」呼ばれるかは、基本的にまったく分からないので、緊張して待つことになる。
他の診療科での診察は、さらにドキドキ。主治医から、その診療科に対して、依頼というかカルテを回す(電子的に)らしいのだが、受けた診療科側では、1.カルテを見て判断するだけ、2.医師がベッドまでやってきて診察する、3.患者を外来病棟に呼んで診察する、という、主に3つの対応があるようだ。1だと待ち続けたあげく拍子抜けするし、2だとお初の医師がいきなり現れて緊張するし、まあ3でもそうだけど。
看護師に尋ねても「向こうの科がどう対応するか分からない」そうだ。僕は主治医が「カルテを見るだけだと思います」と言ったのに、実際には外来に呼ばれて、しかも教授が診察してくれたことがあった。


12時、昼食。
昼後に看護師が食事量の確認に来た後、午後は、おおむね、思い思いにゆっくり過ごせる。看護補助者がベッド周りの整理や消毒に来てくれる(お掃除とは別)のは、午後が多かったか。
検査等が入ることは少なく、僕は1度もなかった。シャワーを浴びるのもいい(消灯時間外は30分刻みで自由に使える)。
下のローソンは、昼前後は外来患者と職員の利用がとても多くて大繁盛なのだが、それも一段落して、買い物しやすくなる(16時まで待てばポイント2倍になるけれど)。

ところが、主治医が現れることがある。
「検査結果が出ました」とか、他病院への出張診察や授業で、朝の回診ができなかった日に「これからちょっと診せてください」とか。
1度、ローソンへ行って戻ってきたら、「特に異常はありませんでした」と書き置き付きで検査結果の用紙がテーブルに置かれていたことがあった。お忙しい中、わざわざ来てくれたのに、留守にしてしまって申し訳なかった。それでも、おやつをローソンに買いに行きたい時は、行ってしまおうかどうか、悩ましくもあった。【7月14日補足・先生がたは、気まぐれで突然現れるかのようにも感じるが、上記の通り、曜日や時間帯に法則があることが多い。それを見つけて把握しておくと、心の準備ができる。】

そんなこんなで16時を過ぎれば、翌日の検査・診察予定を看護師が伝えに来てくれる。紙で知らせる病棟は不在でもいいが、口頭の病棟では、その機会を逃せば聞きそびれるおそれもある。何より看護師にも申し訳ないから、やはり不在にはしづらい。
さらに16時半を過ぎれば、夜勤担当の看護師があいさつに来てくれる。
夜勤のあいさつ後、夕食までの間、17時台が、いちばん心理的縛りがなく自由に過ごせる時間かも。


18時、夕食。
食後に看護師が確認に来て、後は消灯まで自由だけど、3時間ない。うかうかしていると寝なければいけなくなる。
20時を過ぎると、寝る前に点滴等をする患者が多くて、少々あわただしいことも。
シャバと比べて、朝の時間は長いが、夜の(起きている)時間は短いのが、入院生活だと思った。


21時。看護師が各部屋を回って、照明を消していく。
「電気消します。おやすみなさい」と言う人、1人ずつカーテンをのぞいてから消す人、何も言わずに消す人、さまざま。

病院によっては、消灯後も22時まではテレビを見ていいところもあるようだ。秋田赤十字病院では、テレビは21時までだが、22時が「ベッドランプ消灯」と2段階になっており、読書程度はできるのかも。
秋大病院は21時で完全消灯。スマホをいじるくらいなら、公認か黙認か知らないが、なんとかなるかも。
ただ、部屋も廊下もほぼ真っ暗になり、ベッド間は遮光カーテンではないので、スマホの画面の明かりが強く感じられ、隣のベッドまで届いてしまう。
5時に目覚めた時は、極力光をもらさぬよう掛け布団の中で、スマホをいじった。隣の人に迷惑じゃないかな…と見ると、隣のカーテンの中もうっすらと明るくて、みなさん同じようだった。気にする人は気にするだろうから、要配慮。

各病棟に1室ずつある「デイルーム」は、患者が24時間使用できる。テーブルと椅子、サントリーの自動販売機(硬貨専用。ラインナップは微妙)があり、昼は面会、夜眠れない時などに使う。大画面テレビもあり、消灯中は使えない旨書かれていた気もするが、見てもいいと話す看護師もいた。

消灯中は、看護師が、1~2時間に1回程度、見回る。
カーテンのすき間からのぞいてLEDライトで照らして、患者の顔を確認することが多い。それで目覚めてしまうこともあるけれど。

そうしてまた、新しい1日へ。

土日祝日、年末年始は、検査等はなく、午後に医師が来ることもまずなく、ローソンは朝から空いていて、平日よりもだいぶのびのびできる。年末に回診に来た先生は「特に予定はありません。退屈でしょうけど、ゆっくりしてください」とおっしゃって、その通りにさせてもらった。
看護師の人数も少ないようだが、それでもやることは多く、相変わらず忙しそうだった。入院病棟には休みはなく、それを動かす人たちのおかげで、患者は日々を過ごせる。

【26日追記】リハビリなどがあれば別だが、患者は1日中ベッドにいて構わない。でもそれだと、足腰以外にも、気分的にも弱ってしまう気がしたし、カーテンと天井しか視界に入らなくて(僕は布団派なので、ベッドだと天井が近くて圧迫感を受けた)、近眼が進んでしまいそうだった。特に窓がない廊下側のベッドでは。
少しでも、ベッドの外、病室の外へ出るように心がけたほうがいいと思った。
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ヤートセ バス迂回

2024-06-24 00:17:45 | 秋田の地理
アジサイの花とハマナスの果実(花も少々)と秋田中央交通の路線バス
バスは、臨海営業所の日野レインボー2、秋田200か1583。なかなか珍しい、南丹市営バス(京都府。公営企業ではなく、コミュニティーバス)の中古だそう。ワンステップで新しくはないが、そのわりには使いこまれていない感じがする。座席の背もたれの高さが、高いというか揃っていない。

この光景は、年に1~2日しか見られない。普段は路線バスが通らない道だから。
反対方向
バスは交差点を北へ直進して、菊谷小路バス停へ。
つまり、バスは、秋田駅・広小路から竿燈大通りへ入り、大町西交差点を右折して、旧・亀ノ町(南通亀の町とは別)を走って来た、神田線の下り。
また、アジサイやハマナスが植えられているスペースは、今回の交通規制区間外、交差点より西方向(旧・大工町)の秋田市道の歩道の融雪のための施設(過去の記事)。

6月下旬に開催される、よさこい祭り系の1つ「ヤートセ秋田祭」に伴う交通規制により、迂回運行される時だけ見られる光景。
ヤートセ秋田祭は1998年に始まったそうで、アゴラ広場などで開催した年もあったかと記憶する。ここ十数年は、旭川の西側、通町や大町での開催で定着している。
なかでもここ何年かは、2日間にわたって、通町の車道と、大町二丁目の秋田ニューシティ跡地(大町イベント広場)で開催するのが通例だった。しかし2024年は、23日(日曜日)の1日だけ、通町の道路のみで開催された。
ちなみに、ニューシティ跡地は、祭関係者の駐車場として使われたようだ。跡地半分を秋田いすゞが使ってしまって、祭会場としては使えなくなったということなのだろうか。所有者の辻家としては、どっちみち借用料が得られて構わないのかもしれないが。

いずれにしても、通町の通り(と大町通りの一部)は車両通行止めになり、通町を通る路線バスが迂回を強いられる。
秋田市中心市街地循環バス「ぐるる」と、新屋線、川尻割山線は、交通規制区間をショートカットする形。神田旭野団地線、通町・寺内経由将軍野線、泉ハイタウン線は、上記の通り、本来のルートより南、大町西交差点・亀ノ町を迂回する。
ヤートセのほか、昼竿燈を通町で開催した時にも、同様の迂回運行が行われた。

将軍野線と泉ハイタウン線は、この交差点で大工町方向へ(から)曲がる。
上りが右折して迂回区間へ

祭を横目に
大町西交差点→亀ノ町→菊谷小路は、2024年3月までは路線バスが走っていた。平日朝、片道1本だけの「楢山大回り線」。
さかのぼれば、反対周りの手形大回り線もあったし、本数もいくらか多かったし、一時期は千代田町経由神田線(運行開始間もない、1980年代後半~1990年頃?)も通っていたことがあった。
この区間には「大町西交差点」バス停があった。交差点をはさんで南北に同名バス停があって、その北側のほう。
過去の迂回運行時には、大町西交差点バス停でも、乗降を取り扱っていた。駅発の下り便で。上り便にはそもそもバス停がないが、竿燈大通りへ出てすぐに「大町二丁目」バス停があり、そちらで乗降できたはず。

バス停がなくなった今年は…
「臨時バス停」を設置
春までと同じ位置。
表示板は地色があせ、文字はJTCウインR。以前、(千秋)矢留町に仮置きされていたものと同仕様だが、同一のものではなさそう。時刻表掲出枠なし。

下りで、この次のバス停は、神田線ならすぐに菊谷小路がある。
将軍野線では旭北栄町、泉ハイタウン線では聖園短期大学前となるが、もう1つ、臨時バス停が設置される。通常経路に復帰してすぐ、大工町。
信号の先から交通規制、右が大町西交差点方向

両側に同じもの
地色はあせておらず、角ゴシック体で「臨時停留所」をシール貼りした表示板。他の場面の臨時バス停のポールとして、よく使われるタイプ。
時刻表掲出枠が1つあって、「お知らせ」として、23日9時00分から18時00分まで乗降取扱いし、それ以外は乗降できない旨が告知されている。

この位置の臨時停留所設置は、古くから実施されていた。
(再掲)秋田市営バス最後の2005年6月26日
以前記事にしたように、商店街の道路が拡幅される1998年(4月?)以前は、バス停の位置が異なった。変更前は、下り側の「通町二区」が、この位置にあった。その名残りで、臨時停留所がここに置かれているのだろう。

ただ、(ここ数年は知らないけれど)以前と比べると、下りバス停の位置が、若干移動していた。
左が下り側
今回は、照明の所に置かれた。その西(上の写真奥)には、照明がない植えこみがあって、白い「旧大工町」の標柱や道路標識がある。
標柱は1998年12月設置

2005年は、
上の再掲写真と同時撮影の初掲載写真
↑この時のポールは、市営バスの表記がなく、今回大町西交差点に置かれたのと同タイプ。
バスのすぐ右に標柱があるから、標柱より西、道路標識との間に設けられていた。
道路拡張前の通町二区の位置は、ほぼこの位置だった。お茶店と書店の間。
【24日補足・2024の下の点線は、Microsoft Paintが勝手に入れたもの(バグ?)で、他意はありません。】
若干移動したのは、以前の位置では、書店の駐車場への出入りと重なってしまうからだろうか。横断歩道と近すぎるというほどもでないと思う。あとは設置した社員の気まぐれか。


ところで、本件に限らず(秋田市、秋田県内に限らず)、迂回運行時の代替バス停の扱いは、まちまちだし、周知があいまいで分かりづらいことが多い。
臨時バス停が置かれれば、確実に乗降可能なのだろうが、迂回ルートに他路線の既存バス停がある場合、そこで乗り降りできることとできないことがある。
広小路がイベントで通行止めになる時や、1年前~今春の土手長町の護岸崩落時では、迂回区間にある既存バス停での乗降ができなかった。イレギュラーな対応で混乱を招くおそれや、警察や運輸局からの指導・要請なのかもしれない。
ヤートセの迂回時は、上記、大町二丁目(上り)のほか、川反入口では乗降できそう。一方で、ぐるるは、迂回ルートに二丁目橋バス停があるが、そこでは乗降できない。中央交通による告知ではあいまいで、秋田市による告知もややあいまいだが、二丁目橋は無視していることからできないと思われる。市街地でのきめ細かい利用を目的としているであろう循環バスなら、二丁目橋で乗降扱いしたほうがいいのではないだろうか。車線変更やダイヤ上の制約はないはず。

考えてみれば、神田、将軍野、泉ハイタウン線で、大町西交差点/大町二丁目で乗降させる必要はあるのか。川反入口は、通町の代替として意味があるけれど。
通常ルート時にこの辺りに用事がある乗客なら、通町二区(または菊谷小路)を利用しなければならない。迂回運行時は、その代替である大工町の臨時停留所を使えば、歩く距離はほぼ変わらない。
川反入口と大町二丁目で扱いが違うと混乱させるから、(今年からは)わざわざ臨時停留所を置いてまで対応したということか。
お祭りや道路不通・工事はそれとして、いつもと同じ生活をしてバスを利用しなければならない人もいる。その両者への対応は簡単ではないけれど、方針や告知は分かりやすくお願いしたい。


休日ダイヤの減便が進み、迂回ルートを通るバスは、毎時片道2~3本。それでも、迂回区間内で、バスどうしがすれ違うシーンに遭遇できた。
ちょっときつそう
↑右は中央交通本体では最後の1台となった、いすゞLRジャーニーK・864(小田急中古・ワンステップ)。
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クルーズ列車@相染新田

2024-06-19 23:41:35 | 秋田の季節・風景
秋田市北部、JR奥羽本線・土崎駅から、秋田港のほうへ分岐する鉄道がある。
多くの秋田市民は、土崎駅から先をすべて「(秋田)臨海鉄道」と認識しているが、正しくはない。秋田市ポートタワーセリオンの下付近にある、秋田港駅を境に、2つの会社(路線)に分かれている。土崎駅~秋田港駅は、JR奥羽本線の「秋田港支線」。その先が、第3セクターの秋田臨海鉄道。※秋田港支線は、JR東日本ではなく、JR貨物が所有・管理する路線。
開通は、秋田港支線は1907年、臨海鉄道は1971年。歴史が支線のほうの存在感が薄かった。

支線も臨海鉄道も、貨物専用鉄道だが、1986年にはイベント「秋田博」に合わせて旅客列車が走ったことがあった。この時は、貨物支線と臨海鉄道をまたいでの運行。
さらに、2017年からは秋田港に入るクルーズ船の乗客専用の列車が、JR区間である秋田港駅~秋田駅間で運行されるようになった。
以上、少し前までの状況。


その後、新型コロナウイルス感染症流行により、クルーズ船が来ない年があった。リゾートしらかみの初代・ブナ編成を塗装変更した専用車両は、その間に老朽化もあって廃車された。
さらに、2021年3月をもって秋田臨海鉄道が廃止。会社も解散し、線路も撤去された。
JRの支線区間は廃止されずに残ったが、臨海鉄道がなくなったことにより、貨物列車が走らなくなって休業同然。

そして、コロナが落ち着いて、クルーズ船も再開。クルーズ船客輸送はどうなるのかと思ったら、再開された。
JR東日本公式サイト内「秋田港クルーズ列車ご案内(https://www.jreast.co.jp/akita/topics/cruise-train/)」で、運行日やダイヤが公表されている。船が入るのは冬以外だが、全入港日に運行されるわけではない。2024年は4~11月に0~5回/月。1日当たり、港→秋田が3本、秋田→港が5本。

5月。狙ったわけではなく、旧国道の「相染新田踏切」を通りかかると、警報機が鳴り出してびっくり。港のほうから列車が来た!
奥の橋は国道7号「相染跨線橋」
普段は五能線などで普通列車として使われる、GV-E400系気動車。クルーズ列車のダイヤ上、2本が運用されているはず。
この時来たのは、片運転台のGV-E402-22とGV-E401-22の2両編成で「回送」。港行きの第1便の戻りで、14時20分頃。
連絡先は秋田貨物駅。今なおJR貨物が管轄しているようだ
独特のエンジン音とともに、ゆっくりと通過。
秋田博の列車は、ものすごくゆっくり走っていたような記憶だったが、それよりは速い【20日補足・客車と気動車の性能の違いによるものなのか、美化(?)された記憶の間違いか】。普通の速さの自転車では、列車に追い抜かれそう。
と思っていたら、踏切を過ぎて、民家の軒先や庭先をかすめる辺りで減速。早足で追いかけたら、追いついた。
そして停止。

カーブの先には、遮断器も警報機もない「港船ヶ沢踏切」があり、その先で、奥羽本線の本線に合流し、土崎駅構内へ。
※「港船ヶ沢」って、土崎のほかの場面では聞かない名称だと思う。由来は何だろう?
先方の架線が奥羽本線の本線、右方が土崎駅
貨物列車が走っていた頃は、特に停止していなかったと思う。踏切の念のための安全確認なのか、本線へ入るためのシステム的な都合なのか。
数秒後、警笛を鳴らし(黄色に×の汽笛吹鳴標識がある)、GV-E400系発車時特有の爆音とともに、走り去っていった。


後続の普通列車で秋田へ行って、手形陸橋の下を歩くと、第二手形谷地町踏切が鳴っていた。
さっきの編成が第3便として港へ

秋田港クルーズ列車は6月19日も運行された。次は間が空いて8月1日。
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大内の笹巻き ほか

2024-06-16 23:12:14 | 各地お土産・食べ物
2024年は6月10日が、旧暦5月5日であった。秋田では、端午の節句を旧暦で行う場合がある。
羽後岩谷駅へ行った時、隣接する道の駅おおうちの産直(大内地域農産物直売所ひまわり)で、節句にちなんだお菓子がないかのぞいてみた。2018年には、かしわ餅ならぬ「かしわ大福」があった。

節句直前の日曜の昼前。野菜類は少なかった(ズッキーニは多かった)が、お菓子や惣菜類の加工食品は比較的そろっていた。例によって、売場内のあちこちに分散して陳列されているので、よく見ないと。
でも残念ながら、かしわ餅やかしわ大福はなかった。

以前は、ラベルに製造者の住所まで記されていたが、現在は「秋田県由利本荘市」で統一されていた。実際には由利本荘市大内地域だと思われる。
左上は「おはぎ」。2021年に紹介し、マツコ・デラックスの番組でも取り上げられたという、握らないおはぎ。
複数の製造者がいるらしく、今回は2021年とは製造者が異なっていて、質感やカラメル色素を使っていないなど違いがある。内容量は前回は350gとされていたが、今回は「6個」で、あんこの下の餅部分が6つに区切られていた。餅米は秋田県産、小豆は北海道産。
めくった分が1区間
ほとんどつぶしていないようなもち米に、素朴なこしあんが載る。今、売っているということは、通年で出ているのだろうか。ほかに、丸めたごまおはぎもあったか。

右上は「よもぎ大福」。
見た目以上にずっしりと食べごたえあり。ヨモギはちょっと少ないのか色が薄い。中はこしあんなのが、草大福好きかつこしあん好きとしては、珍しくてうれしい。餅米は秋田県産、小豆は北海道産、ヨモギは産地記載なし。
白とピンクの大福もあった。

下は「しそおこわ」。
原材料は「もち米(秋田県由利本荘市産)、しそ、砂糖、食塩」のみ。
ラップ越しで恐縮です
押し寿司のようにぎっちりと押し固められているようで、これも食べごたえあり。しその風味がさわやかで、けっこう甘い。食事よりも、おやつ向けかも。
ほかに、一般的な炊き込みご飯や、食紅で着色した赤飯(過去の記事)もあった。


唯一あった、端午の節句に関係するもの。
笹巻 5個入り・きなこ付き。日持ちは3日だが、硬くなるかも
全国的に、柏餅と並ぶ端午の節句の食べ物といえば…
「ちまき」でしょう。童謡「背くらべ」にも出てくる。

秋田では、ちまきとはあまり呼ばず、「笹巻き」が一般的。端午の節句のほか、田植えの後の「さなぶり」の行事食でもあったそうで、春から初夏にかけては、スーパーでも販売する店がある(タカヤナギでは6月いっぱいは全国発送も)。秋田市の諏訪愛宕神社(関連記事)では、笹巻きが出てくる言い伝えがある。
これまで漠然と、「ちまき」の方言が「笹巻き」かと思っていた。

調べると、ちまきは、「粽」とも「茅巻き」とも書くそうで、後者はチガヤの葉で巻いたことに由来する。竹の葉や藁で巻くこともある。
包むものも団子だったり、灰汁(あく)を使ったり、いわゆる笹団子のことをちまきと呼んだり、うるち米/もち米だったり、さまざま。

ちまきの中で、新潟や東北地方などの笹で巻いたものを、笹巻きと呼ぶ感じ。新潟では「三角ちまき」と言ったり、新潟や山形では灰汁を使うこともあるようだ。
秋田では、もち米を巻いて蒸したタイプが一般的で、味付けされていないので、きなこをかけて食べる。僕はきなこなしでそのまま食べるのも、笹の香りがして好き。

新潟の三角ちまきの名の通り、笹巻きは三角錐(四面体)で、1個につき笹の葉を2枚使うのが一般的。
ところが、この大内を始め、本荘地域というか由利地域というか由利本荘市周辺(旧・鳥海町でも同様のようで、わりと広範囲)の笹巻きは、若干違って特徴的。

円錐のような形状で、長い。笹の葉3枚を使う。
また、事前に米を水に浸さないのも特徴らしいが、大内のがそうなのか不明。そうだとしても味や食感が違うかは、分からない。

農林水産省ホームページ「うちの郷土料理(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/29_3_akita.html)」には「3枚使うと長(なが)巻き、2枚使うと短(みじか)巻きなどと呼ばれる。」とある。本荘にゆかりがある我が家の者は、このタイプを「本荘巻き」と呼ぶが、広く通じるのかは不明。
同ページによれば「三種町では大きな笹1枚で小ぶりな三角」「仙北市ではぺたんこの三角」の笹巻きを作るとのこと。特定非営利活動法人秋田花まるっグリーン・ツーリズム推進協議会ホームページ「特集 初夏の田舎スイーツ(https://www.akita-gt.org/461/inakasweets.html)」には、それらの写真が出ている。


道の駅は今月以降、指定管理者が交代するため、一時休業する。産直部分はこのまま継続するとのことで、今後も楽しませてくれそう。
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やっとバスロケ

2024-06-13 18:09:08 | 秋田のいろいろ
13日付 秋田魁新報21面(秋田市地域面)の下に、秋田中央交通の広告が出ていた。
[利用無料]秋田中央交通の新・WEB検索サービス バス来るTIME 2024 7.1始まる!!
出発地・目的地を検索するだけ! バス停到着予想時刻をリアルタイムで簡単チェック

中央交通のバスでもついに、バスの位置情報、バスロケーションシステム(バスロケ)が来月から提供される。
同日に公式ホームページにも「バス接近情報検索サービスの開始について」として同じ告知と、「詳しい利用方法はこちら」として使用方法のPDFファイルもアップされた。
※以下、サービス開始前の段階での推測・憶測です。開始後の実際とは違う点もあるでしょうから、ご留意ください。

計画は、以前から秋田市公共交通政策ビジョンや社長のインタビューかなんかに出ていた【14日追記・ただ、7月というタイミングで、かつ突然の開始告知には少々驚いた】。例によって、中央交通が全額自腹でやるのではなく、秋田市などからの資金援助があるのではないだろうか。

秋田市交通局(秋田市営バス)が、世界で初めてという無線による、バスロケーションシステムを導入したのが1981年。市営バスの中央交通への路線移管時には、バスロケは移管されなかったので、2006年に廃止。
(再掲)秋田市交通局の2代目表示装置
GPSやネット、スマートフォンの普及により、バスロケを導入する地域やバス事業者が増える中、中央交通での導入も望まれたが、同時に期待もできないと思っていた。
2015年には羽後交通(急行本荘・秋田線)で、スマートフォンアプリによる位置情報提供が始まった(この記事参照)。
その後、国際教養大学が関わって、秋田市内の一部で実証実験がされるなどして、現在は、秋田市マイ・タウンバスと秋田市中心市街地循環バスに限った、「秋田市バスロケシステム(https://akita.bustei.net/buslocation/)」が地図上に表示する方式で提供されている。
それでも、利用者が多く遅延も多い、秋田市街地の一般路線バスでは未提供のまま。
中央交通のバスは、天気が良く、渋滞もなく、客も少ないのに、なぜだか毎回必ず遅れる便がままある(遅れるのが常態化していたら、ダイヤをそれに合わせるべきだと思うのだが…)。そして、そんな便でも、たまに定刻で運行する時があり、乗り損ねてしまうことも。やきもきしながら待たされる(乗り損ねさせられる)客としては、今回の導入により、だいぶ安心できる。

市営バスのバスロケは、上の写真のようなバス停に表示装置を設ける「接近表示」だった。当時はそれしかできかなったのだろうが、今は費用面からしても、スマホなどネット接続機器を使った方式が主流だろう。ネットが使えない人は、蚊帳の外になる欠点はあるが。
羽後交通のように専用アプリを使うものもあるが、インストールする手間があるし、パソコンでは使えない。

中央交通のものはどうか。説明書を見てみた。なんか色が薄くて、解像度が低くて、文章が少なくて、中身も薄いがなんとなく分かった。
アプリではなく、インターネットブラウザで公式サイトにアクセスし、検索するタイプのようだ。個人的には大歓迎。ということは「バス来るTIME」はアプリ名ではなく、サービス名か。
一般路線バスのみで、空港リムジンバス、国際教養大学線、秋田市中心市街地循環バス、スクールバスは対象外としている。高速バスも対象外でしょうかね。教養大線は、車両も共通だろうに、提供しても良さそうだけど。また、一般路線バスであれば、秋田市外(五城目線と追分線)でも対応するのだろう。

公式サイトの時刻表検索を置き換える形の提供なのだろうか。
あの、クセがあって、使うのにコツを要する検索システム(この記事など)も、ついに消えるのかも?【7月1日追記・検索システムは存続】
ただ、新しいバス来るTIMEも、「出発地」「目的地」両方を指定する必要があり、それらは必ず「バス停名」でないといけない(=近隣施設名などではダメなのでしょう)。バス停名は、直接入力か五十音検索のどちらかで指定するようだ。
ここが、現システムの最大の使いにくさ。「茨島」など難読地名や、バス停名は「秋田市保健所・サンライフ秋田前」なので、サンライフ秋田に行きたい人が「さ」を探しても見つからないなど。新システムでは改善されるだろうか。【7月1日追記・「サンライフ」など途中の文字を入力しても、部分一致で候補が表示される。あくまで部分一致なので、「美大」と略称を入力して「美術大学前」が表示されるようなことはない。】

そもそも、出発地と目的地両方を指定する必要はないのでは。駅行きなど、そのバス停から1つの経路・行き先しかない場合も少なくないから、1手間無駄になるあこともある。出発地のみの指定すれば、そこを通る行き先リストが表示され、選択して検索するということもできるはずで、地理に不慣れな人などにはこのほ
うがいいと思う。【7月1日追記・1つのバス停名だけで、そのバス停の時刻リスト表示が可能。各バス停ごとに上り側と下り側を切り替える必要があり、その切り替えがやや分かりづらい。また、駅や大学病院前など、同一バス停に複数の乗り場があるところでは、乗り場ごとに別バス停として登録されているのも分かりづらい。】

表示方法は、秋田市バスロケシステムのような地図表示ではなく、時刻順のリスト表示のようだ。これは好みが分かれるかもしれないが、バス停で待つ時にはリストのほうが分かりやすそう。
検索結果の画面には、
「10:18 秋田駅西口行 まもなく到着 秋田中央交通 145 八橋市民広場・裁判所前を通過」
「10:23 秋田駅西口行 定刻予定 秋田中央交通 140 出発待ち」
「10:38 秋田駅西口行 あと17分で到着 秋田中央交通 722 出発待ち」
のように、1便につき6項目表示。
「秋田中央交通」と社名が表示されるのは、汎用サービスを使っているためか、それともマイ・タウンバスなどにも拡大する計画があるのか。

「表示切替」という文字をクリック/タップすると、「あと○分で到着」が「11:35到着予定」に替わるらしい。
系統番号は出るが、路線名は表示されないのだろうか。見本の画像の限りでは「岩見三内行」「イオンモール秋田行」と行き先しか出ていない。駅と反対方向に行く時は、路線名がほしい。

スマホなら、検索結果をブックマークして、よく使う区間をすぐに見られるとのことで、手間が省けていい。現行の時刻検索は、都度、5か所選択しないと表示できないので。パソコンでは、ブックマークできないのでしょうか【7月1日追記・PCでもブックマーク可能】。
それに、運賃も同じ画面で分かれば親切(ここに表示しないということは、現行の検索も存続なのか?【7月1日追記・存続】)だし、スマホのGPSで、現在地の最寄りバス停をすぐ検索できたらより便利、等々、求めればキリがない。何より、実際に使ってみないと、評価はできない。いずれにしても、大きな前進。
【7月1日追記】実際に使ってみると、細かい点では、操作や表示に分かりにくさが若干あるが、おおむね使いやすい。当然だけど、実際の運行状態が、ほぼリアルタイムで反映される。何より、やっぱり便利。詳しくはこの記事にて
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羽後岩谷駅

2024-06-10 23:59:00 | 秋田の季節・風景
5月初め以来の羽越本線。
由利本荘市(左)と秋田市の境
くもり空。日本海は穏やか。男鹿半島はうっすら。

市境の小さな川。線路と並行する県道56号(バイパス・下浜道路開通前は国道7号)の橋は「雪川橋」と標識が立つ。また、由利本荘市側の地名は「岩城勝手字雪川」。
ということで、この川の名は「雪川」だと思っていた。
ネット上に情報は少ないが、実はそうではなかった。国土交通省東北地方整備局「水系別総括表」によれば、これは準用河川「雪川川」。準用河川は市町村管轄で、ここでは秋田市でなく由利本荘市管轄。
ちなみに、この少し北、秋田市下浜で、同じくらいの川が、同じようなシチュエーションで存在するが、そちらは「鮎川」だと思っていた。
こちらは「下浜鮎川」が正式だそうで、県管轄の二級河川。由利本荘市には、一級河川・子吉川水系の支流に「鮎川」があるそうなので、秋田県としては識別したいのか。

羽後岩谷手前。田植えも終わった

羽後本荘の1つ手前、羽後岩谷(うごいわや)駅で下車。由利本荘市、2005年まで大内(おおうち)町。
3番線・秋田方向
北側の単式ホームが3番線、南側の島式ホームが1・2番線。1番線が上り、3番線が下りで、2番線はレールはあるが草が茂り、架線は撤去されている。
3番線・羽後本荘方向
全般に古い構造物ばかりだが、どちらのホームにも待合室があり、3番線はとても長く感じた。今は普通列車のみ停車し、一部が3両編成、ほとんどが2両編成。快速があった頃は羽後岩谷に停まっていたが、国鉄時代は急行でも停まっていたことがあったのだろうか。調べた限りでは、「天の川」「きたぐに」「しらゆき」は通過していた。

羽後岩谷駅は、Wikipediaでは「地上駅」と分類されているが、「橋上駅」ではないだろうか。出札窓口と改札口は、跨線橋の上にあり、そこから線路の両側へ下りられるのだから。
ただ、現在は窓は閉まり、改札も行われていない。無人駅。

国鉄時代1981年から(当時は大内町へ?)簡易委託されていた。秋田地区では簡易委託でも、集札(降車客のきっぷ回収)を委託駅員が行う駅があり、羽後岩谷もそうだった。
2023年春に、由利本荘市内の4駅(ほかは岩城みなと、羽後亀田、西目)が一斉に無人化された。無人化の打診はJR側からあったようだが、由利本荘市が売り上げ低迷と、人件費節減のため決定。
改札外側から。「電車のりば」の言い回しが、路面電車とか私鉄っぽい
跨線橋から階段を数段上ったところに窓口があり、以前はこの前で委託駅員が集札していた。今はひっそり、そして薄暗い。
無人化されても、自動券売機はおろか、乗車証明書発行機さえ設置されていない。ワンマン列車乗車時は、(前の車両の後ろ寄りドアから乗って)車内の整理券を取ることになり、秋田駅の自動精算機では精算できないことになる。降車時は、いちばん前のドアだけが開き、きっぷは車内の運賃箱へ。

改札を出ると、左右に自由通路がつながっている。
左(北)方向に長く、先で簡単な出口へ下りる。そこは国道105号の「道の駅おおうち」【11日補足・道の駅は指定管理者が交代するため、2024年6月以降、一時営業しない施設があるので注意】。伝承館や体育館もあり、昼は人も車も多い。
当ブログでは、以前取り上げたと思って、今回は写真を撮らなかった。実際には、産直の食べ物やコミュニティーバスを取り上げただけで、道の駅自体や全体像はまだでした。またいつか。→今回、道の駅で買った加工食品について

初めて、反対の南側へ行ってみた。
改札のすぐそばに地上への階段がある。直接真下へつながる階段と、夜間は閉まるという建物の中へつながる階段の2つ。後者のほうへ。なお、自由通路にはエレベーターもあるが、改札内にはなし。
階段の踊り場のようなスペースがある。点字案内では「中二階」ということになっていた。
けっこう広く、明るい
色あせた地域を紹介する写真パネルが掲出され、黒いピンク電話(硬貨専用)、ベンチがある。ベンチは背もたれはないけれど、座布団のおかげかふかふか。
改札口前にも、多少のベンチがあったはずだが、こちらのほうが快適。どちらにしても、通常時は案内放送などはないので、乗り遅れ注意。
さらに階段を下って1階へ。
またベンチ
飲料自動販売機と、トイレもある。もちろん道の駅側にも自販機とトイレがあるので、その点ではこの駅は充実している。【18日補足・改札内には自販機もトイレもなし。】

建物内には、ほかに貸しホールなどもあるようだが、閉まっているし、ネットでも情報が少なくてよく分からない。
建物正面。奥行きより横幅のほうが長いかな
左側には「JR羽後岩谷駅」と表示はある。
右には「PR館おおうち」。正式には「由利本荘市PR館」で、同条例第1条は「羽後岩谷駅舎と複合させた新たな顔づくりとして、商工業振興の核となる総合的な情報拠点を目指し、観光及び特産物のPRを推進するため、由利本荘市PR館おおうちを設置する。」。
これをもって、羽後岩谷を地上駅としているのかもしれないが、公共施設ではあるが駅としての機能はないから、やはり駅舎ではないような。
ともかく、今は由利本荘市の施設のようだ。

道の駅、自由通路、PR館は、いずれも2000年にできた。
その当初は、PR館には大内町商工会が入っていて、駅舎と商工会の合築ということだったらしい。当時は大内町役場は関与していなかったのだろうか。
現在は、商工会も合併して由利本荘市商工会となり、その大内支所は、市役所大内支所などが集まる、近く別の場所(古そうな建物)にある。
左が自由通路へ直接上がる階段。公衆電話ボックスも
ここの自由通路の愛称は「ぽぽロード」。金文字が輝く。
秋田市の秋田駅の自由通路は「ぽぽろーど(全部ひらがな表記)」。完成は羽後岩谷のぽぽロードがわずかに早く、以前ちょっと触れたように、秋田のぽぽろーど決定時には、ちょっと問題になった。秋田市民として恥ずかしい。

羽後岩谷駅前の風景
国道105号の旧道がこちら側だが、少し先で、駅前は通っていない。上記の通り、役所なども少し離れたところにある。そちら方面には若干ある店も、駅前にはなく、民家ばかり。【12日補足・役所支所付近も含めてコンビニはなく、食堂や食料品店・酒店があるかなという程度。】
屋根付きの立派なバス停
これも2000年整備だろうか。両方向に同じバス停がある。
「羽後岩谷駅前」本荘行き側のポールは地面に埋まる
羽後交通の路線バス「岩谷線」が本荘市街とつながっている。折り返す終点は道の駅側なのだが、その前にこちら側にも立ち寄る。運賃区分が異なるため、駅前で乗降したほうが安くなる。減便が進んで、平日5本、休日3本。【11日追記・大内地域内を走る由利本荘市コミュニティバスは、道の駅発着で、駅前側には入らない。】


休日だったからかもしれないが、南側では建物内も外も誰一人、いや車の1台も見かけなかった。道の駅のにぎわいとは対照的。いっしょに電車を降りた人も、道の駅へ迎えの車が来ていた。
ちあきなおみの「喝采」に歌われる「ひなびた町の昼下がり」とはこんな情景なのかと思ったりもした。羽後岩谷に限らず、市町村合併、人口減少を経て、あちこちでこうなっていくのかと、しんみりしてしまった。
PR館内は、天候と空調未作動のため少々暑くて、人がいなくてなんだか心細くはなったものの、清掃や管理は行き届いていた。それだけにもったいなくも思った。【11日追記・PR館といいながら、ピーアールはほぼしていないのも、なんだか。PRは道の駅側に任せたほうがよかったのでは。】
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南通りのクローバー

2024-06-08 23:08:06 | 動物・植物
秋田市の南大通り「中通六丁目」交差点。
西方向

南方向
南東角はかつてバドワイザーの缶がてっぺんにめりこんでいた373共同ビル
今回は、上の写真手前・北東角の歩道の車道際に注目。
車両感知器の柱と信号柱・照明柱の間に植えこみがある。街路樹のケヤキではなく、アジサイが植えられている。

5月上旬、ここが白くなっているのに気付いた。

小さな白い球形のものがぽんぽんと。

シロツメクサ(クローバー)の花。
更地になって間もない土地にも咲いていたように、どこからともなくやってきて、力強く繁茂する植物だけど、ここが決定的に違うのが、葉の色。
クローバーの象徴ともいえる鮮やかな緑ではなく、暗い色。最初、違う植物かと思ってしまった。でも、葉の形は間違いなくクローバー。
アントシアニン色素によるであろう、黒というか暗めの赤色が、葉の多くを占める。若い葉は緑が多いようで、成熟した葉は縁だけ緑色。

こんなシロツメクサがあるとは知らなかった。葉がこんなに特徴的なのに、花は典型的なシロツメクサなのもおもしろい。
野生ではなく、園芸品種だろうと調べると、千葉県のハルディンという企業が扱う「クローバー ティントシリーズ 」の1つ、「ナイト」という品種のようだ。
ナイトは night なのか knight なのか不明。辻村深月の小説「クローバーナイト」は、knight のほうだそうだけど、あやかった品種名なのかも不明。

ティントシリーズは計12品種あるらしく、白っぽい緑や赤が混じった葉の品種、花も赤い品種もある。寄せ植え、ハンギング、グラウンドカバーなどの用途を想定している。牧草でなければ雑草という印象しかなかった(蜜源とかグラウンドカバーもあるけれど【9日追記・緑肥=土壌改良も】)シロツメクサに、園芸品種があったのに少々驚いたが、中にはどこかで見覚えのある品種も。クローバーもかわいらしくてきれいだと、思わされた。

南大通りの植えこみは、ライラックなどいろいろな小低木(2010年の記事)やタツタナデシコのような草本も見られる。地元の人たちがそれぞれ植えて管理しているのだろうか。別に迷惑になっていないし、雑草ぼうぼうや土が露出しているよりはずっといい。シロツメクサも、近くの人が植えたのだろう。見た限りでは、ほかの植えこみでは見つけられなかった。

ナイトは縁取りがあることで、葉の1枚1枚を認識しやすい。となると、四つ葉のクローバー探しが、いくらかラクになるかも。僕はこれが苦手で、1度も見つけたことがないのだけど。
かれこれ1か月咲き続けている
ナイトの端には、
左の塊もシロツメクサ?
葉が小さく、赤い(中心部は緑)株があった。植えられたばかりなのか、品種名を記した札もささっていた。見ないでしまったが、ティントシリーズ「ワイン(登録名:天使のピアス ビューティー=商品名と登録名が違うってこと?)」?
この状態だと、ナイトに負けてしまいそう。
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メン子ちゃん棒?

2024-06-05 23:49:34 | 各地お土産・食べ物
5月初め、秋田市のスーパー・いとく自衛隊通店へ行ったら、見切り品コーナーにこんなものが売られていた。
元値は税込み32.4円
初めて見る商品で、パッケージの写真や「コーンスナック」の文字から、うまい棒のような、穴開き棒状コーンパフスナック菓子の3本入りと判断。
商品名は? 製造販売元は?
商品名は「スナック1(イチ)バンバン」。
袋左上には「メン子ちゃん」!
メン子ちゃんといえば、「メン子ちゃんミニゼリー」だ。
※「メンコ」「めんこ」表記や、「メン子ちゃんゼリー」と誤解しがちだが、「メン子」「ミニ」が正当。
といっても、メン子ちゃんミニゼリーは、全国的なものではないらしい。
「がんばろう東北!」表示があるように、主に東北地方で販売されているとのこと。「メン子」は、東北や北海道などの方言で、かわいいことを「めんこい」と言うのにちなむようだ。
メン子ちゃんは知っていても、その製造元は存じ上げなかった。宮城県加美町にある「株式会社アキヤマ」。

メン子ちゃんミニゼリーとは、コーヒーミルクのポーションのような容器に入った、色の付いたフルーツゼリー。お弁当のデザートに1つ入ったりもする。【6日補足・同じ形態のゼリーはいろいろな企業が販売しているが、東北地方では、シェアも認知度もメン子ちゃんミニゼリーがダントツだと思う。】
僕が初めてその存在を知ったのは、幼稚園に入園した1981年。園のおやつの時間に出て、担任の先生が、これが「めんこちゃんぜりー」であり、押し出して食べることを説明してくれ、存在と食べかたを認識した。その後、家庭でも食べるようになり、他社の同様の商品のことも「メン子ちゃんゼリー」と呼んでいた。マンナンライフの蒟蒻畑も、発売当初(1992年)は同じような形態だったので、「(メーカーは違うが)メン子ちゃんゼリーのコンニャク版」と認識していた。
大人になって食べる機会もなくなったが、テレビCMをわりと最近見たような記憶があった。「おやつにメン子ちゃん♪ お弁当にメン子ちゃん♪」と男が歌う。

メーカー公式のYouTubeに、それが「メン子ちゃんミニゼリー TVCM15秒 「ファミリー」篇」としてアップされていた。11年前のアップだから、2013年か。
そして、そのユーザー名は「@akiyama2008menkochan」。株式会社アキヤマは2008年設立。ではそれ以前は?

「菓子食品新聞オンライン」に「東北人のソウルフード アキヤマ『メン子ちゃんミニゼリー』苦難を乗り越え ブランド復活!」があった。
2021年5月10日の記事で「(メン子ちゃんミニゼリーは)今年で発売40年」「経営破綻した「秋山食品」の事業を新会社を立ち上げた社員有志が引き継いだ」とのこと。
1981年発売開始らしいから、幼稚園で食べたのは発売直後だった。それだけに、先生にとっても、(おそらく当時は類似商品も少なく)食べかたや商品名が目新しく、わざわざ説明してくれたのかもしれない。


メン子ちゃんといえばミニゼリー。こういうスナック菓子もあったとは。
公式サイトによれば、現在(2022年現在としている)はほかにも、チューペットのようなポリエチレン詰清涼飲料も作っている。「メン子ちゃんドリンクゼリー」という、棒状ではなく球からストロー状の吸口が出た商品もある。
ミニゼリーとドリンクでは「コアラ学園」、ドリンクでは1975年発売の「ミルちゃんフルーツ」というブランドもあるが、いずれもパッケージには「メン子ちゃん」ロゴもある。メン子ちゃんのブランドは強力だ。

スナックは1バンバンのみ。今回いとくで見切られていたのは「み~んなだいすき オニオンコンソメ味」だけだったが、ほかに「ピリッとしたからさ メンタイ味」「ちょっぴりから~い カレー味」「やさしいあじわい コーンポタージュ味」「ほんのりチーズのかおり チーズ味」があり、計5種類。いずれも1袋3本・10g入り。オニオンコンソメ味は53kcal。
ちなみに、うまい棒は1本6g、多くの味で43kcal程度。
袋右下のキャラクターは、それぞれの味に応じた人物で、5人それぞれ別人。
裏面にもいた

開封。

うまい棒と比べると、細いか。


参考・うまい棒やさいサラダ味
穴は同じくらいだから、うまい棒のほうが“肉厚”なのかな。

味は、うまい棒と重ならないので、比較はできないが、スナック菓子としてはあり得る味。
食感は、見た目通りということなのか、うまい棒よりやや軽い感じがしたかも。
3本1袋だと、1人で食べるには持て余してしまう。

ほかの味はないかと、いとくで探して見たけれど、オニオンコンソメ味も含めて見つけられなかった。今回の在庫処分をもって、もう入荷しないということか。
イオン東北運営のイオンでは、メン子ちゃんミニゼリーやミルちゃんフルーツは売っているが、スナック1バンバンはなさそう。どんな店で扱っていて、認知度はどのくらいなのだろう。
【11日追記】いとくと兄弟会社である、タカヤナギ運営の「グランマート手形店」で、スナック1バンバンが売られていた! たしか4種類(メンタイ味以外?)で、33円。
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メローイエロー復刻?

2024-06-03 23:49:06 | 昔のこと
ロッテのキャンディ「小梅」を初めて食べた(食べさせられた)のは、1984年・小学校2年生の時に学校でだった。
6年生になった昭和最後の1988年度には、学校で2つの食品を初めて食べたり飲んだりした。

1つは、ブルーベリージャム。
当時は今ほど普及していなかったと思う。学校給食のパンに付くジャムは、イチゴジャムかマーマレード(リンゴジャムも?)だけで、一般家庭でもその辺りが一般的だったはず。イチゴは甘くて酸っぱくて複雑な味(?)で、マーマレードは苦くて、どちらもさほど好きではなかった。

元号が平成になって、卒業も間近になった3学期(当時の秋田市立学校は3学期制)。
家庭科の調理実習の授業参観を兼ねて、保護者を呼んで茶話会みたいなのが開かれた。メニューはサンドイッチ。そのサンドイッチの具材の1つとして、ブルーベリージャムがあった。名前は聞いたことがあったと思うが、青いジャムを初めて食べて、これはおいしいと思った。【4日補足・この時の食材は学校から支給され、ジャムは市販品だった。ということは、当時でもブルーベリージャムはそれなりに流通していたことになろう。我が家ではなじみがないだけだったのかも。】
その後、1990年代後半辺りだろうか、ブルーベリーアントシアニンが目にいいという話が広まったこともあり、ジャムの中ではブルーベリーをわりと選ぶようになった。


もう1つが本題で、メローイエロー。
コカ・コーラが製造販売していた炭酸飲料。
Wikipediaによれば、1979年にアメリカで発売され、1983年に日本で発売。松居直美がテレビCMで「とっても訳せない味」と言っていたのはなんとなく覚えている。「いっきに飲める 新カンキツ系」のフレーズもあったそうだ。
容器は黄色ベースで、丸ゴシック体のような書体で右上がりに「mellow Yellow/メロー イエロー」と表記。300mlのややころんとした緑色の瓶、250ml缶、1.5l緑色PETボトルのラインナップだったようだ。当時は一般に小容量ペットボトルはなく、350ml缶も少なかった。後に瓶がなくなり、350ml缶も出たと思われる。

CMを見て、メローイエローの名前と容器デザインは頭に入ったが、飲むことはなかった。飲みたいとは思わなかったかもしれない。
当時、炭酸飲料は飲んでいたが、新商品に“冒険”するほうではなかったし、ばあさんが冷蔵庫にファンタのオレンジやグレープ、三ツ矢サイダーなんかを入れてくれていたので、それで満足していた。

それを初めて飲むことになったのが、発売から5年経った、学校であった。それも理科の授業中に。以下、記憶の美化や脚色もあるかもしれません。
理科室に移動して授業をした終わり近く、担任の先生が、4人ずつの机(実験台)ごとに、紙コップと1.5lPETボトル(中身の入った)を数本ずつ配った【4日訂正・4人に1.5l×数本だと多い。数卓ごとに数本ずつか】。PETボトルはいずれも炭酸飲料で、ほかは忘れたがその1つがメローイエローだった。
そして「これからみんなで飲みましょう」とおっしゃった。
事前予告はなかったはずで、突然の授業中の“飲み会”に、戸惑いながらうれしく飲んだと思う。中でも、初めてのメローイエローが、訳せなくてもとってもおいしかった。

どうして理科の授業中に、炭酸飲料を飲むのかについては、先生が説明してくれた。
6年生の理科の単元(リトマス試験紙なども使う「水溶液の性質」かな?)の一環として、二酸化炭素が溶けている飲み物を飲もうということで、学年のお金(集金袋で納める学年会計、学年費)から購入したとのこと。学級担任の独断ではなく、学年3クラス共通で行ったことになり、後に渡された会計報告にも該当する支出が記されていた。
時期的には、少なくとも冬ではなく、夏だったような気がする。年度末ならば余剰金処理で、ということもあるだろうけれど、そうでないのなら、純粋に飲ませるために購入したのだろうか。当時、学校の近くにあったスーパーででも買ったのか、メローイエローを選んでくれた先生に感謝。

メローイエローのおいしさを知った後も、あまりメローイエローを飲む機会はなかったと思う。そもそも炭酸をあまり飲まくなったのと、平成に入って、はちみつレモンやカルピスウォーターなども出てきたから?
そして、気が付けば、メローイエローを店頭で見なくなった。
ネットで調べると、平成に入って間もなく1995年頃には、缶やロゴのデザインが変更されてポップなものになっていた(画像を見たらなんとく見覚えが)。その後、2000年に製造終了。再発売の声は根強いようで、2004年以降、断続的に(店舗や地域限定も含む)復刻発売が繰り返されている。

蛍光色のような黄色い液体だが、レモン味などではなく甘め。カフェインを含有し、発売当初は「みかん果汁」、後に「バレンシアオレンジ果汁」が1%入っていたが、2011年の復刻時に無果汁に変更。
復刻発売は、直近では2021年頃が最後だったそうだ。

ところで、メローイエローに先行し、かつ現存する競合商品に、ペプシコ「マウンテンデュー」がある。現在の日本では、サントリーから350ml缶が発売中。
大々的宣伝はされていないし、売られているのもあまり見ることが少なく、個人的には存在感が薄い。15年くらい前に、緑色の缶を自販機で買って飲んで、メローイエローっぽいかなと思いながら飲んだことはあった【末尾追記に続き】。


2004年5月21日。ローソン限定で、メローイエローが復刻発売された。
「ローソン研究所(https://www.lawson.co.jp/lab/tsuushin/art/1486879_4659.html)」サイトでも「復刻発売!」としているのだが…
ファンタシトラス&メローイエロー 490ml 税込み162円 1本255kcal
形状や容量は違うが、最初と同じ、黄色いラベルと文字が懐かしい。裏表とも英字で、カタカナ表記はなし。「無果汁」は片面のみ表示 なので、上写真の面にはなし。

だけど、なぜか「Fantaシトラス」が上半分を占める。
ローソン研究所では「爽やかなファンタシトラスを、なめらかな味わいでほどよい炭酸の「メローイエロー」でシュワっと仕上げました。」としている。
なんだかよく分からない。「ファンタシトラス」に「メローイエロー」を混ぜたってこと???

「黄色4号」による色は、往時と変わっていないそう。
強くなく弱くもない炭酸の刺激は、こんなもんか。カフェインも入っている。
味は…昔の味の記憶がおぼろげで確証はないけれど、昔のメローイエローとは違うのでは。果汁1%でないことを加味しても。昔はもっと、甘いというか濃いというか、もっとはっきりした味だったかな。
【4日追記】まずいというわけではなく、メローイエローじゃない炭酸飲料と思えば悪くない。

昨今の国際情勢、経済状況、オレンジの不作により、天然果汁を使うのは難しそうだけど、純粋なメローイエローの復刻品を飲んでみたい。
あと、今、調べて知ったのだけど、1987年から短期間、姉妹品が存在した。ピンク色ベースの容器の「メローレッド(mello Redd)」で、クランベリー果汁1%。クランベリーはコケモモの仲間(イコールではない)で、ジュースとして珍しい。飲んでみたかった。


【11日追記・マウンテンデューを飲んでみた】本件を受けて、マウンテンデューが飲みたくなって、自販機を探してみた。サントリーの自販機さえ見つかれば、扱っている確率は高そうで、2台中2台に、2枠入っていた。140円。
100mlあたり50kcalなので、52kcalのメローイエローより若干ローカロリー。黄色4号ではなく「カロチン色素」使用。ホームページにはカフェイン量が掲載されていて、100mlあたり「約20mg」。ペプシコーラの倍で、缶コーヒーよりは少ない。
そうそうこれと思わせる味。後味にほのかなオレンジっぽい風味が残るのが特徴的で、これが“肝”かも。ファンタシトラス&メローイエローとは違う。マウンテンデューのほうが好き。何度でも飲みたくなった。【14日追記】ドン・キホーテでは96円。その他のスーパーでは見かけない。
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太平山とローソン

2024-06-02 15:53:14 | 秋田の季節・風景
本荘から見る鳥海山の記事でも触れた、山梨県のローソンに載った富士山。目隠しを設置したはいいが、破ってすき間を作られてしまい、目隠しの材質を変えることになったらしい。
一方、弘前経済新聞のサイトには、5月29日に「津軽地方では「コンビニ岩木山」 富士山をまねる投稿も」がアップされた。触発された津軽の人たちが、SNSにコンビニなどと津軽富士・岩木山を組み合わせた写真を投稿し、トラブルもなく平和に盛り上がっているとのこと。サイトではローソン弘前国吉店、ファミリーマート鶴田境店、ローソン弘前石渡店、ローソン弘前津賀野店、マックスバリュー樋の口店(コンビニじゃないし、正しくは伸ばさないマックスバリュ)と岩木山の写真が添えられている。

そういえば、以前、静岡県富士市を訪れた時、マックスバリュ(富士富士見台店。店舗正面ではない)に富士山が載ったような写真を撮ってアップしていました
それに、2012年頃にはセブン-イレブンのCMで、店の上に富士山がそびえるシーンがあった。セブン-イレブン富士市吉原店とのこと。その裏にはローソン富士吉原店が2022年にできたが、位置的に載らない。


先を越されてしまったが、5月半ばに秋田市内で、太平山とコンビニ(本家にならって主にローソン)を組み合わせられる場所を、Googleマップストリートビューや現地で探してみた。
秋田市内あちこちから太平山は見えるものの、角度が微妙にズレてしまう店もあったし、角度は一致しそうでも、背後にほかの建物があったり、公道上からは店舗自体に隠れたりして、うまく載っかる店は少なかった。そんな惜しいところは、ローソン秋田保戸野原の町店、ローソン秋田泉南一丁目店、ローソン秋田新屋大川町店、ローソン秋田広面蓮沼店、ファミリーマート秋田広面北店など。
太平山の標高は富士山の3分の1以下だし、いちおう市街地だから住宅が建てこんでいることも理由だろう。

そんな中、太平山が載るローソンもあった。
ほら載ってる!
惜しいことに、ローソンの裏側だけど。

これは県道56号沿い、秋田大橋の北にあるローソン秋田茨島六丁目店。店の正面が道路に面しておらず、駐車場を囲むちょっとしたショッピングモールの1店。もし、道路に面していれば、斜めながらローソンの看板とからめた写真になったかも。
後ろの紅白のアンテナは、イオンタウン茨島にある秋田放送のラジオ送信所。

ローソンより南では、秋田大橋の架け替えによって、県道がカーブしている。少し橋寄りの向かい側から見ると、
ここから見ると雄大。街全体に載っているよう

市街地がダメなら郊外へ。
これならどうだ
電柱がうるさいのと、店の裏の樹木も入ってしまうが、なんとか載っているのでは。
横山金足線(秋田市道区間)沿い、飯島字薬師田(やくしでん)にあるローソン秋田飯島薬師田店。太平山は、他の山とつながった連山であるが、秋田市北部からでは、南部や中央部から見るよりも、より横長に見える。※過去の記事
店の背後は、飯島変電所のほかは一面の水田。道路向かいは、飯島鼠田(ねずみた)で住宅が多く、道は複雑だけどJR奥羽本線 上飯島駅もわりと近い。

ただ、ここは横金線の向かい側からでは、店舗や裏の木に隠れてしまって、太平山が見えない。
向かい側歩道から
道路外側へ少し下がると見えるのだが、そこは私有地。だが、ここでは幸運にも(?)わずかな私有地をはさんで、別の既存の市道が並走する。既存の道が横金線に突き当たる「y」字状の丁字路がある配置。そのため、2本の道に挟まれた民地は三角形で、何も建っていない。既存の道から、三角の土地越しに、太平山とローソンが見られるという形。
既存の道から。最初の写真より左寄りでの撮影なので、太平山がズレている
三角の土地は、以前は草が茂っていたが、今は整地されている。もしかしたら、建物や看板ができるようなことになるかもしれない。そうなれば、見えなくなってしまいそう。


ほかにストリートビューによれば、県道41号沿い、金足片田字横関のローソン秋田金足片田店にも、太平山が載る。間に低山があって、そのすき間からちょこんと太平山が見える。
熱心に探せば、ほかにもあるでしょうけれど、とりあえずこれにて終わり。
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