広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

西弘サンクス閉店?

2015-02-27 00:16:31 | 津軽のいろいろ
当ブログはgooブログの無料版なので、アクセス解析は使えない。
だけど、たまにキャンペーンで10日間程度、アクセス解析が提供されることがある。有料版へ誘導しようとしているのだろうが、gooブログのアクセス解析は貧弱。他のブログサービスでは無料でも、もっと多機能のはず…(gooブログには使いやすさ、安定性、安全性といった利点はある)

現在もキャンペーン中なので、どんな検索ワードでブログにアクセスされたかが、いちおう分かる。
その中に、1件だけだけど、気になるものがあった。

「西弘サンクス 閉店」である。

弘前市中野一丁目、弘南鉄道大鰐線の弘前学院大前駅(旧・西弘前駅)の近くにある、コンビニエンスストア「サンクス弘前西弘店」のことだろう。
ツイッターを検索してみると、なるほど、たしかにそういう情報が、2月15~18日頃から複数の発信者によって流れていた。

公式な情報ではないので、保証はないが、3月いっぱいで閉店するらしい。
また、「サンクス弘高下店」も3月15日で閉店するとか。
閉店後、今年夏から青森に進出する予定であるセブン-イレブンに転換するという噂も出ているが、それを否定する情報もある。【3月1日追記】店内の在庫が減っているという投稿もある。
※非公式な情報です。事実とは限りません!


僕は、どちらのサンクスも利用したことはないが、存在は知っていた。特に西弘のほうはなじみがある。
僕が弘前に引っ越した20年前、ここはサークルKだった。
当時は、ローソンはもちろん、おそらくサンクスも弘前には未進出で、それどころか弘前大学文京町キャンパス周辺では唯一のコンビニだったはずだ。
その後、3年ほどの間に、大学の向かいにミニストップができ、桔梗野の端にサンクス(後に閉店)ができたりした。
そして、卒業後だから2000年以降かと思うが、いつの間にかサークルKからサンクスへ転換していた。建物自体は変わっていないと思われる。

サンクスの店舗名は、「弘前西弘(ひろさきにしひろ)店」。
「西弘前」という地名はないが、弘南鉄道の旧駅名の略称に由来したエリアの名称として「にしひろ」が、学生や市民に広く浸透している。
2008年に弘南鉄道が強引に駅名を変えてしまったわけだが、このように今なお「にしひろ」はしぶとく残っている。

サンクスは変形四叉路交差点の角に面する立地。西弘は弘前大学や弘前学院大に近く、学生向けのアパートと飲み屋が多いので、学生の利用が多いコンビニ。道幅は狭いが車は多く通るので、車の来店もあったはず。
2014年6月撮影ストリートビューより。左奥が学院大前駅方向、右がバカヤローカーブ方向
2013年以降に撮影されたGoogleストリートビューを見ると、店舗正面に向かって右側(「こがねちゃん弁当」との間)が空いていて、4台分の駐車場になっている。
以前は、ここに別の建物が建っていて、コンビニの駐車場は店の正面にしかなかったような気がする。道幅が狭くて車に注意して通っていた記憶がある。

2013年5月ストリートビュー。駅側から。右の駐車スペースは昔はなかったはず
弘大の裏・バカヤローカーブ側から西弘へ向かうと、(交差点形状が変則的なので)突き当りにサンクスが見える。
2014年6月ストリートビュー
上の写真で、左の精肉店や右の「居酒屋八十八夜」が入る建物は20年前と変わらないはず。コンビニの店舗は変わったけれど、何百回と見た光景だ。
肉屋さんの先・サンクスの向かいの建物は、今は黄色い外観の肉系の居酒屋。昔は、ピンク色で、ゲームセンターだったかカラオケ屋だった。


もう1つの弘高下のサンクスは「弘高下店」。西弘店とは弘大のキャンパスを挟んで反対側の富士見町、弘南鉄道で1駅隣の「弘高下(ひろこうした)」駅近く。
こちらも狭いながら通行量のある道路に面し、学生向けアパートが多い立地。開店したのは2000年以降だろうか。駐車場が比較的広い。
公式サイト店舗検索より
2店舗とも弘南鉄道の駅名が由来なのに、「弘前西弘店(“弘前”+駅名の略称)」「弘高下(駅名のみ)」と名付け方が違っている。サンクスの店名の命名は、けっこうアバウト

全国的にサークルKサンクスは衰退傾向。弘前では「南富田店」が1年前に閉店している。(弘高下店と経営者が同じと聞いたことがあるが、真偽は不明)
店舗検索より。中央の線路沿いの上下が弘高下店と西弘店
2店舗の閉店が事実だとしても、弘前市にはそれなりにサークルKとサンクスが残ってはいる。

閉店後がどうなるか、近々オープンするであろうセブン-イレブンがどこにできるかが気になる。あとは、困るお客がいないか。
弘高下では、線路と川を越えてすぐのところに、ファミリーマートができたそうだ。
一方、西弘は、近くにコンビニは他にないはず。店舗は変わったとはいえ20年は続いてきたコンビニがなくなり、不便になるかもしれない。
学生たちが飲みに行く時、店を決めないで「西弘サンクス集合」とする場合もあるようだ(ツイッターで検索するとけっこうある)し、大学や飲み会帰りの飲食物調達で困るかもしれない。【4月1日追記】飲み会以外にも、どこかへ出かける時の集合場所とされることがあるようだ。
新入生のアパート選びでも、今は「コンビニ徒歩1分」と書いていても、入学時にはそれがなくなっているかもしれない。

【27日追記】サンクス弘前西弘店は、2012年8月に一時休業して改装を行ったようだ。

【3月18日追記】噂通り、3月15日でサンクス弘高下店は閉店した。
【3月28日追記】上の店舗検索の地図で、弘前大学の北東・大成小学校そばにもサンクスの印があるが、これは「富田三丁目店」。(御幸町との境目近くだが、所在地は富田三丁目)
ネット上には、富田三丁目店も閉店するという情報もある。ここも新しく開店した店で、弘高下店と同じ頃かそれより後だろうか。狭い道路に囲まれた立地ではあったが、弘大や国立病院が近い住宅・アパート街で、付近に他にコンビニはなかった。

【4月1日追記】そして、噂通り、3月31日でサンクス弘前西弘店とサンクス富田三丁目店が閉店し、これで弘前大学文京町キャンパス周辺の3つのサンクスがすべてなくなった。
3店閉店後の店舗検索地図
ツイッター上には、西弘店の閉店後の写真を掲載したり、「ありがとう」「寂しくなる」といった投稿が複数見られ、「跡地にセブン-イレブンに入ってほしい」という声も。

※閉店後2015年4月末の様子はこの記事最後のほう
※そしてその後
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アオバコ

2015-02-25 20:34:06 | 秋田のいろいろ
春を感じさせるお菓子の先駆であり代表は「うぐいす餅」ではないだろうか。春まだ浅い(というかいちおうまだ冬?)秋田のお菓子屋さんでも売られ始めている。
言うまでもないけれど、「うぐいす餅」はその形状と色を鳥のウグイスに見立てた餅菓子。

餅の表面に、きな粉がまぶされることで、ウグイスらしくなる。(草餅にしてウグイスの色を示すこともあるそうだ)
一般的なきな粉は「黄な粉」というくらいで茶色~黄色っぽい。地域や店によっては、うぐいす餅にもそれを使うようだが、Googleで「うぐいす餅」で画像検索すると分かるように、全国的に鮮やかな黄緑色のうぐいす餅のほうがメジャーのようだ。
22日放送のアニメ「サザエさん」の「うぐいす鳴いたよ」に登場したうぐいす餅も、緑色だった。(蛍光色にも見えたけど…)
※ただし、実際の鳥のウグイスは地味な緑色。鮮やかな緑色の鳥はメジロだ。

その緑色のうぐいす餅がどうして緑色なのかと言えば、まぶされるきな粉の色が違うから。
どうしてきな粉の色が違うかと言えば、原料の大豆の色が違うから。
青大豆が原料のきな粉が緑色で、「青きな粉」とかズバリ「うぐいすきな粉」と呼ばれる。


全国的に見れば、青きな粉は特殊なもので、うぐいす餅が主な用途で、他にはあまり使わない地域や人も多いのかもしれない。
一方で、青きな粉が日常的に使われ、メジャーな地域がある。
少なくとも秋田はそれに該当する。
秋田のスーパーでは、茶色いきな粉と青いきな粉が、ほぼ半々の割合で売られている。正月の餅用としても、同じメーカー製の2色が並んで売られるが、青いほうが人気のような気がする。

他の地域ではどうだろうか?
いくつかのネットスーパーで扱っているきな粉をざっと見てみた。イオンやイトーヨーカドーのような、各地の店舗ごとに品揃えが違うところが参考になっておもしろい。
傾向としては、北海道・東北や新潟・長野では多くで茶色と青両方を扱っているが、太平洋側の関東以西ではほぼ青はなく茶色のみ
茶色いきな粉の安倍川餅の地元である、しずてつストアでは青も扱っているし、ネットスーパーで扱わないだけで実店舗には置いてある可能性もあるが、寒い地方で青きな粉が多く消費・流通されていると言えそうだ。

イオンのプライベートブランド「トップバリュ」では、茶色と青の2種類が存在する。
topvalu.netより合成
トップバリュの茶色いきな粉は「直火式焙煎 きな粉」という商品名で100g98円。カナダ産大豆を兵庫県の工場で製造している。
青いほうは「青きな粉」という商品名で価格は同じ100g98円、中国産大豆。
栄養成分は茶/青の順にがエネルギー469kcal/436kcal、たんぱく質37.5g/40.9g、脂質26.6g/20.8gなど。青のほうが低カロリー高タンパク傾向?
トップバリュでは、パッケージのリニューアルと製造工場所在地の表記が進行しているが、青きな粉は今なお旧パッケージのまま。(秋田の店舗に並ぶ実物も旧パッケージ)

青きな粉のパッケージには「あ、わたしの声がはいってる。」欄に「地元でなじみのある青きな粉。」とある。
北海道限定で「ガラナ」があったように、全国一律販売ではなく、地域に応じて販売しているのだろう。
イオンネットスーパーでは、北日本~北陸(石川県まで。福井県にはイオンがない!)、長野県さらに鳥取県、島根県の店舗では扱っていて、太平洋側の関東より西では扱っていない。



そんなわけで、秋田では一定の知名度を得ている青きな粉だが、茶色いきな粉も流通しているせいか、青きな粉を区別する方言的な呼び名がある。
あおばこ」である。
おそらく「あお」は「青」、「こ」は「粉」なのは分かるが、「ば」がどこから来たのか分からなかった。「葉」ではないし。
ネットで「あおばこ」を検索しても、分からない。

とあるメーカーの青きな粉のパッケージに「青ばた豆使用」との記述があった。これは!
調べてみると、「青ばた豆」は品種名なのか通称・俗称なのか知らないが「青大豆」の一部を指す言葉らしい。
山形県、宮城県(、岩手県も?)を中心に栽培され、甘みが強いのが特徴で、「ずんだ」の原料になったり、正月の煮豆にしたりするという。普通の大豆よりも栽培は難しく、流通量は多くないそうだ。秋田でも多少の栽培はされているようだ。※青森でも食べられ、特に東側の南部地方では独特のお菓子になる。
「ばた」の漢字表記は一定しておらず、青端豆、青畑豆のほか青肌豆などが存在する。

「ばた」そのものの由来は不明だが、「青ばた豆のきな粉」→「青ばた豆の粉」→「青ばた粉」→「青ば粉」となったのではないだろうか。
【26日追記】秋田弁では、単語の末尾に「~っこ」を付けて呼ぶことが多いけれど、これはそれとは違う「こ」と考えればいいのだろうか。(「きな粉っこ」とは言わないはずだし)


さて、茶色と青、それぞれのきな粉の味の違い。
秋田では「青いほうがおいしい」という声を聞く。茶色のほうは香ばしそうな気がする。
たしかに青ばた豆は甘いそうだけど、中国産の青大豆ではどうなのかは知らない。製造者の製法による違いもあるだろう。卵の殻が白いか赤いか程度のような気もしなくはない。
僕は秋田人として、きな粉は「あおばこ」を選びます。


秋田市内のお菓子屋さんのものだという、うぐいす餅をもらった。
茶色いきな粉!
秋田では珍しい、というか初めて見た。かなり茶色い。
初めて見たのでカルチャーショック。これじゃあ、ウグイスには見えず、わらび餅なんかと見間違えかねない。
味は、おいしかったです。
【28日追記】改めてたけや製パンのうぐいす餅の画像を見てみると、茶色っぽい。秋田でも茶色いきな粉のうぐいす餅は存在するようだ。この↑店のきな粉が、特別に茶色いということのようです。青森の工藤パンのは緑色らしい。【29日追記】たけやのうぐいす餅の実物は、緑色のきな粉だった。ホームページ写真撮影用だけ茶色だったのか?※たけやのうぐいす餅についてはこちら

なお、全国的には、中がつぶあんだったりうぐいすあんだったりするうぐいす餅もあるそうだけど、秋田のうぐいす餅は、どこもこしあんではないだろうか。


うぐいす餅に続く季節の和菓子は「桜餅」。
全国的に、小麦粉のクレープ状の皮の「長命寺」タイプとおはぎ状の「道明寺」タイプに2分される。
秋田では長命寺が主流だが、日本海側では珍しいらしい。そう言われれば米どころなのに不思議。
秋田でも道明寺も皆無ではないが、一般に「桜餅」と言えば長命寺を指し、道明寺はあえて「道明寺」と区別して呼ぶ。「長命寺」の呼称は知らない人が多いだろう。
津軽の弘前辺りでは道明寺が主流らしいが、知らなかった。
【28日追記】ホームページによれば、たけや製パンでは長命寺のみを「桜餅」として掲載。工藤パンでは「桜餅」として長命寺、別に「道明寺」もラインナップ。うぐいす餅と道明寺のセットもあるが、うぐいす餅と長命寺のセットは出ていない。【さらに追記】店頭にはたけやの道明寺もあった。白とピンクのセットもあり。
【2017年2月26日追記】青森県弘前市のラグノオささきの秋田市内の店では、「さくら餅」の名称で道明寺を発売している。長命寺はないようだ。
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新幹線からの富士山3景

2015-02-24 21:06:45 | 旅行記
2月23日は「223(ふじさん)」で「富士山の日」なのは知っていた(以前の記事)けど忘れていたので、1日遅れで伊勢旅行記の帰りに新幹線の車窓から見た富士山をアップします。※旅行記の前回の記事

名古屋から秋田まで帰る日は、東海地方を始めとする太平洋側は快晴。東海道新幹線の車窓に富士山を楽しめるに違いないと期待した。
富士山の下をノンストップで突っ走っる「のぞみ」(は乗るつもりが元からなかったけど)や「ひかり」で素通りするにはもったいない。静岡で途中下車してじっくり見たいところだけど、そこまでの時間的余裕はない。そこで、各駅停車の「こだま」に乗ることにした。

●反対側の富士山
東海道新幹線で富士山が見えるのは、新富士駅近辺なのは有名。
静岡市の東側は市街地のビルや低い山にさえぎられるし、三島から東も山が多くなるので、思ったほどは見えない。
東海道新幹線は富士山と太平洋の間を東西方向に走っているわけだから、北側、すなわち上り列車では左側の車窓に富士山が見える。
ところで、旧東海道でも同じ位置関係になるが、道の形状のせいで、逆側に富士山が見える箇所が存在した。江戸から下る旅人の左手に見えるので「左富士」と呼ばれ、富士市のものは今も地名(の通称?)として残っている。

東海道新幹線でも「左富士」となる区間が存在するということを、何年か前に知った。※今回は上りなので「右富士」になりますが。
場所は、上り列車で静岡駅の手前、安倍川を渡る直前だという。
線路が南北方向に延びる区間であり、並走する在来線でいえば、用宗駅を出てカーブして東名高速と交差した、安倍川駅の前後に相当する。見える区間は距離にして2キロほどだろうか。富士山山頂からの距離は55~59キロほど。
まずは、この反対側の富士山を狙った。

乗車したのは最後尾の自由席1号車。こだま号のこの位置は、いつものようにお客が3人くらいでガラガラ。
静岡手前で右側である3人掛け座席に陣取る。
日本坂トンネルと短いトンネルを抜け、左にカーブすると、静岡到着を告げる放送のチャイムが鳴った。(静岡到着時刻の約5分前)
この時は、少数派のJR西日本所属の編成だったので「いい日旅立ち」。(JR東海車では「AMBITIOUS JAPAN!」)

その時、
右前方に富士山!(静岡市駿河区用宗巴町付近らしい)
静岡市街地から見るのと同じ見え方。
手前に見えている線路は、下り線です
やがて右にカーブして富士山は見えなくなり、安倍川を渡って静岡駅に着く。

けっこう大きく見えるので、くっきりと見えている日なら、車窓を眺めていれば見落とす人はいないだろう。
でも、建物が並び防音壁がある箇所もあるので、じっくりと眺めることはできないし、減速しているこだま号でも数十秒程度で終わってしまうから、一瞬だけの逆側の富士山である。

下り列車だと、静岡駅通過→安倍川→カーブという順番なので、意識していればのぞみ号でも見やすいかもしれない。でも、進行方向後方を少し振り返って見ることになる。

※山梨県側・中央本線でも、富士山が反対側の車窓に見える場所があった(新府駅。この記事参照)が、あまり知られてはいないようだ。


●定番の富士山
静岡駅を出て10分ちょっと。今度は2人掛け席である左側に、(ガラガラだから席移り放題)
定番の富士川と富士山
新富士到着4分前で減速しているのでじっくり見られる。
新富士停車中にズームイン。雪の具合も、光も順光で美しい
工場と大きな富士山という、富士市ならではの風景が続く。


岳南富士地方卸売市場「ようこそ! 紙のまち富士市へ」とある
やがて、
郊外の趣き
新富士を出て4分(三島着約5分前)ほどで、
茶畑や竹林がある低い山に富士山が隠れていく
以後も、ちらちらと見えるものの、大きくすそ野まで見渡すことはできない。
静岡や富士川では、カーブして突然でーんと富士山が見えたが、最後は名残惜しいような別れだ。(下りでは逆になるわけですが)
しかし、富士山とはここでお別れではなかった。


●100キロの富士山
東京で東北新幹線に乗り換えた。
上野を出て8分ほどで、東京都と埼玉県の境である荒川を渡る。
きれいな夕焼けの荒川
夕焼けの中に、
再び富士山!
タワー状のものは「板橋清掃工場」。その周りが板橋区高島平。

東海道新幹線の富士山に比べれば控えめだけど、このように東北・上越・北陸新幹線からも、富士山が見える。前にも1度見たことがあったけれど、夕焼けの中で見られるとは、それだけ空気が澄んでいたのだろう。
山頂からの距離は、ちょうど100キロ。
もちろん進行方向左側の車窓だけど、ほぼ真横に見えた。もっと後ろのほうに見えると思っていたので、最初は違う山かと思ってしまったが、ここは線路が南北方向でないためらしい。
高い建物も山も少なく、けっこうな時間・距離に渡って見えた。荒川を渡る手前から、なんと大宮駅を過ぎて(東北新幹線単独区間)もしばらくは見えていた。

※旅行記の続きは、戻って名古屋の話題
コメント (6)
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風物詩?/短足

2015-02-23 21:23:22 | 秋田の季節・風景
晩冬・初春の風物詩と言えば、ふきのとう? 梅にうぐいす?…

ここ最近の秋田市中心部では、これでしょう。
大町のニューシティ跡地

ずらりと並ぶ
「秋田ニューシティ」跡地に並ぶ、いすゞの新車!

更地にアスファルトが敷かれ、時々イベント会場や臨時駐車場として使われる、秋田ニューシティ跡地の東半分に、2013年から毎年、春先の一時期だけ、いすゞのトラックやバスが多数置かれる。
個人的には、これを見ると春間近と感じるようになってしまった。

置かれる車両は新車(ナンバープレートがないものも多い)。この土地の所有者(辻不動産)と、いすゞのディーラーである秋田いすゞの経営者が同じであることから、そのつながりだと考えられる。
春は秋田いすゞの自社用地に収まらないほど新車が多く売れて、辻不動産に貸してもらっているのかもしれないが、仮にも秋田市の一等地としてはぜいたくな使い方だ。(空き地のままなのも、もったいないですが)

2013年は3月中旬、2014年は3月上旬に初めて車が搬入されたはず。
今年は先週末辺りだったので、今年は早い。
大町通り(東)側から
現段階では、前列に大型トラック「ギガ」3台、パネルバンタイプの中型「エルフ」1台、小型のエルフ3台。後列に中型トラック「フォワード」が9台という陣容。過去の例では、徐々に台数が減ったり、後から追加されることもあった。
前列の1台が青色で他はすべて白い車体。

毎年思うのだけど、どうして道路ギリギリから並べるんだろう。通行車両から泥や小石が飛んで新車が傷みそう。反対の日銀側から並べれば良さそうなのに…

白いトラックの多くには、レンタカー会社の名前や車両番号、「がんばろう東北」のステッカーが貼られている。
大型のギガ3台には、同じレンタカー会社名のほか、飛び飛びの番号でレンタカー用ナンバープレートが既に付いていた。
エルフがずらり
後列のエルフは、レンタカー会社名があったりなかったりだが、うち1台だけ(レンタカー会社名・ナンバープレートがある車)、他にはない「ISUZU」のエンブレムもある。

わずかに雪山が残る

【24日追記】24日には、ギガを始め多くがいなくなっており、1列(後列だったほう)に6台が並ぶだけに減った。
【27日追記】その週末には、1台もいなくなった。

【2024年2月16日追記】その後、2020年頃になるとここが置き場になることはなくなったようだ。しかし、2024年、秋田いすゞ自動車の「中古車センター」がここ(の一角)へ移転して、恒常的に車が置かれることになりそう。



2月12日、秋田市新屋(勝平地区)にある秋田県中央児童相談所に男性が現れ、封筒を置いて立ち去った。中には現金7万円と、入学準備の足しにしてほしい旨の手紙が入っていて、その贈り主の名が「短足小父さん」だったというのが、ネットニュースなどで報道された。

2010年に一種のブームとなった伊達直人のような、人数や希望を聞きもせずに、必要かどうか分からないランドセルを置いていくのより、ずっと気が利いているけれど、その「短足小父さん」という名前。
小説「あしながおじさん」がモチーフなのは言うまでもないが、このニュースを知って、その数日前に見たものを思い出した。

以前から注目していた、秋田市内のとあるお寺の前の掲示板「掲示伝道」、「掲示法語」である。※この記事後半
「足長で なくてもできる 助け合い」

【2017年5月16日追記】
余談だが、「あしなが育英会」が行う活動の1つ、「あしなが学生募金」は秋田が発祥地(育英会全体ではなく、学生募金について)だというのを、追記日の秋田魁新報で知った。
1970年の秋田大学の春の大学祭(今は秋にしかやってないはず)がきっかけで、その後、全国に広まったそうだ。
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新聞の誤りを指摘

2015-02-22 14:01:48 | 秋田のいろいろ
新聞の間違いについての、揚げ足取りの記事です。
新聞記事を作るのは人間。間違ってしまうことは仕方がない。
しかし、上司がチェックし、校閲部門がチェックするはずであり、それをすり抜けるとは、彼らのプロ意識に問を感じる。(素人でも気づいてしまう単純ミスなら特に)
新聞は、図書館などで資料として永久に保管されるし、最近は教育現場で活用(NIE)されることもある。間違いが後世の人々に誤解を与えてしまいかねない。

読者からおカネを取る新聞で間違いがあれば、読者としては正しくないものにカネを支払っていることになる。例えば食品なら、中身は安全でも賞味期限(消費期限よりも長い)表示が間違っていただけで回収・返金騒動になるのに…



読者としては、間違いに気づいてしまった場合、教えてやるべきだと考える。単純な誤字脱字はともかく、誤解しそうな文章や誤った事実の箇所を指摘するのは、新聞社のためにも後々の読者のためにもなる。
ほとんどの新聞社において、メールフォームなどで問い合わせや意見を送ることができるから、費用をかけずに迅速に伝えることは可能だ。

ここでもう1つ問題にしたいのは、新聞社の読者からのメールへの対応である。
一般企業や役所なら、返信先が分かって筋が通った内容のメールが客から届けば、基本的には何らかの返事をよこすものだ。(たまに無視する所もありますが…)それが送った人(=客)への礼儀でもあろう。
だいぶ前だけど、僕は秋田魁新報の紙面の内容について、メールフォームから意見というか要望というか提案を送ったことがあった。メールアドレスと実名を添えて。
内容としては、大したことがない、ちょっとした連載というかコーナーについての改善案。別に報道姿勢がどうこうとかの小難しいことではなく、容易に改善できるはずのことであった(実施済みの県外他紙の例を示した)。
ところが、返事が来ない(しかも改善もされなかった)。

仮に、要望に応えられないとか具体的な内容の返信が出せないにしても、気の利いた企業や役所ならば、「いつもご利用(ご購読)いただきありがとうございます。ご要望の件につきましては、貴重なご意見としてうけたまわり、今後に活かして参ります。今後ともよろしくお願いいたします」ぐらいの返信はする。遠回しに「できないよ」と言われているが、それなりの誠意は伝わるものである。

魁だけでなく、秋田県外の某地方新聞社へ別件の要望をした時も同様の対応だった(こっちは有料購読者じゃないから、客ではないと判断されたのかもしれないけど…)。
ということは、新聞社というものは、読者から意見されるのは迷惑なのかなと考えて、以後、新聞社に意見を送るのも、誤りを指摘するのもやめていた。


ところが、最近の秋田魁新報は、誤った内容の報道(根幹から覆されるような重大誤報ではない)がままある。小さなことだけど、このままにしたくはないと思い、おせっかいなのだろうが、またメールフォームから送信してみた。
以前の件からすれば、返事もよこさない企業に名前など教えたくない。そこで実名は知らせず、メールアドレスは入力して、間違いを指摘したことが3度あった。

予想通り3度とも返信はなかったが、3度とも指摘した翌日の紙面に訂正が掲載された。
うち2度は、当該記事の発行日当日ではなく、2~3日経過してから誤りを指摘して、その翌日に訂正が載ったから、他からの指摘ではなく僕の指摘を受けての訂正だと考えられる。

返信がないのは、紙面に訂正を掲載したことで返信に替えたと好意的に解釈できなくもない。
しかし、誤った記事が後世に残ってしまうところだったのを指摘によって回避できたのだし、返信メールの二次利用ががうんぬんというのだとしても、誤ってしまったのは紛れもない事実、読者からの指摘で発覚した(気付いた)のも事実なんだから、「ご指摘の通り間違っていました。明日の紙面で訂正をします。ご指摘ありがとうございました」と返事をすれば済むのではないだろうか。新聞社の驕(おご)りを感じてしまうのは、僕の驕りだろうか。
【22日追記】ホームページには、意見の「内容によっては回答できない場合がある」とあるが、本件は、紙面に掲載された訂正がそのまま回答に相当し得る。だから「回答できない」ケースではない(読者全員には回答できて、指摘した個人には回答できないとは本末転倒)。個別に回答しても、何の問題もないと思うのだけど…



僕が指摘させてもらった3度というのは、
・2014年3月15日付社会面「あけぼの」定期運行終了の記事
機関車のことを「先頭電源車」という意味不明の造語(?)、最後尾は電源荷物車なのに「最後尾の寝台車」と事実と異なる表記。
ある意味専門用語だから、記者が鉄道に疎くて知らなかったのだろう。

・2014年後半辺り? 社会面で秋田市の大町だか通町の商店街が美大とコラボして装飾しただるまさんを飾るという記事
商店街の栄枯盛衰の歴史に触れた箇所で、秋田ニューシティ(だったかダイエー秋田店。どっちでも同じことだけど)のオープン年を5年、間違って掲載。別にオープン年なんて不要な記事に思えたが、蛇足になってしまった。
ニューシティオープン当時は、ニューシティのすぐそばに魁の本社があった。発行前に記事を見た古参社員の誰かが「あれ? ダイエーができたのって、その頃だったっけ? 俺が魁に入社してx年目で○○部にいた時だったから… 間違ってるぞ!」などと気づく可能性もあったのではないだろうか。

・2015年2月17日付経済面「バス運転手確保に苦心」
実はこの記事の誤りは、僕が気づいたのではなく、他の人が指摘していて知ったもの。その人が魁に言うつもりがないようだし、上の2つと違って、どこをどう間違えたのか予想できない間違いでもあったので、それを知りたくて指摘した。

秋田県内のバス会社のドライバー不足の記事。
記事の最後で、「県内のあるバス会社」の話として「乗客の減少と歩調を合わせるように、運転手の給与は30年ほど前をピークに下降線をたどり、現在は最盛期の8分の1に落ち込んだという。」とある。

おかしいのは、「現在は最盛期の8分の1に落ち込んだ」の箇所。
その主語は「運転手の給与は」だろう。
つまり、「昔(最盛期)のバスドライバーの給料は、今の8倍あった」と読み替えできる???
仮に今が年収200万円だとしても、昔は1600万円もあったわけはない。
「最盛期の8割に落ち込んだ」のなら、分からなくもないが、それも違いそう…


指摘した翌日である20日付経済面に「訂正」が出た。9行と2文字でちょっと長め。
当該箇所は「誤りでした。」とし、「取材したバス会社によると、バス運転手の給与はほぼ横ばいで、8分の1に落ち込んだのは乗客数でした。」と説明? 釈明?している。

ならば、この「8分の1に減った」うんぬんは不要な文章だったのではないだろうか。
客が大きく減ったからには運転士の必要人数も減るわけで、それなのに人手不足(乗客減で人手不足が軽減されていると考えることもできる)なのだし、そもそも給与はほぼ変わっていないのだから。
「取材したバス会社によると」と前置きしているのは、バス会社の話のせいで間違ったんだと言い訳しているようにも受け取れそう。
単語単位の訂正とか、文章差し替えでなく、元の文は「撤回」ということだろうか。

オンライン版にも、この記事の一部が掲載され、当該箇所はそのまま載っていた。こちらは断りなしに修正(元の文を消して新たな文に書き換え)された。

上が修正前、下が修正後
修正後は、続く文章(全産業の平均と比較して、バス運転士の給与が2割低いという内容)と脈絡がなくなってしまっているような…

僕自身が、この箇所を読み流してしまっていたので偉そうに言う資格はないけれど、新聞社の人たち、自分の発言を“改ざん”されたも同然である「県内のあるバス会社」の人が紙面を読んだ時などにも、スルーしてしまったのだろうか。


朝日新聞では、昨年の大誤報の反省か、訂正記事に間違った理由を書き添えるようになった。
「勘違いして」「~であると思い込んで」というのがけっこうある。
「編集の際に間違えました」とかいうのは、入力ミス・変換ミス(そして校閲ミス)だろう。投稿欄の投稿者の住所を「東京県」としたのがあった。
【3月6日追記】朝日の間違った理由で、上記「勘違い」などに続いて「確認も不十分でした。」とあることもある。これは校正で見落としたという意味だろう。
魁もこの方式を採用したら、どのような理由を示すだろうか。


ところで、秋田魁新報では、縮刷版は発行していない。
図書館では、紙面の実物やマイクロフィルムで所蔵することになる。
後世の人が、この記事のこの箇所を読んだとする。そこは間違っているのだが、訂正が出ているのは翌日ではなく3日後の紙面。気づいてくれるだろうか。
図書館側で、「ここは誤りです。20日付に訂正があります」と紙を貼ったり、マイクロフィルムに「リンクを張る」ような配慮・対処でもするものだろうか?


繰り返します。
間違うのは仕方ないし、発行までの時間が限られているのは分かる。でも、新聞は読者からカネをもらって発行し、後々まで残る(文章の実体としても、読んだ人の記憶としても)もの。極力間違いが生じないよう、プロ意識を持って充分に確認をしてほしい。
そして、僕はこれからも、(てにをはのような誰でも分かる間違いは別として)気づいたら指摘させてもらいます。

【4月1日追記】朝日新聞では、2015年4月から「訂正・おわびを原則、社会面に掲載」することにした。(別刷りを除く)「よりわかりやすくお知らせするため」とのこと。【4月4日追記】通常記事の2段分を使って枠で囲み、「訂正して、おわびします」というタイトル。
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雪or雨?

2015-02-19 23:55:41 | 秋田のいろいろ
19日は二十四節気の「雨水(うすい)」。
降るものが雪から雨になり、積もっていた雪が融け始める頃という意味。
今年の秋田市中央部はとっくに雪が消え、降ったとしても積もらずに終わる状態。春までには何度かわずかに積もることはあるだろうが、気分はもう冬の終わりである。

降ってくるのが雨なのか雪なのかということは、雪国の住民にとって大きな関心事だと思う。外出時の装備などの実際問題としても、気持ち的な点でも。
雨か雪かは地上の気温よりも上空の気温で決まるようで、特に初冬や晩冬の頃は微妙なデータと判断が必要になるので、素人には分からない。

最近の天気予報は進化したもので、3時間とかもっと細かい時間ごとに、どんな天気になるかがかなり正確に詳細に分かる(1996年から始まった「時系列予報」)。もちろん、雨や雪か、そしてそれがどれくらい降るかも分かる。


ところで、天気予報に「降水確率」という項目がある。
その予報区域内・時間内に1ミリ以上の降水がある確率を10%刻みで示すので、確率10%でも土砂降りになる可能性もあれば、100%でも場所によっては降らない可能性もあることになる。
降水確率は1980年に発表が始まったそうで、初期には0%と10%の間に「5%未満」という予報値が存在した(僕はそれで「未満」という言葉を覚えた)。

「何パーセントなら、傘を持って出かけるか」が話題になったりするけれど、そう言えば最近は時系列予報などの影に隠れて、降水確率を意識する機会が減ってしまった感じもする。(時系列予報には降水確率はない)

NHK仙台放送局の東北6県向け降水確率画面
ちょっと分かりづらいが、パーセンテージの文字色が違うのにお気づきだろうか?
仙台と東京、大阪、福岡だけが水色で、他は白い文字。

これは、降るものが雨か雪かを(ある程度)区別しているのだ。
この違いについては、昔は口頭での説明がちゃんとあったはずだが、最近はほとんど言わなくなった。

実は「降水確率」には、雨か雪かを区別するための段階が4つ存在し、パーセンテージとともに発表されている。※週間予報については区別されない
雨の確率 ・ 雨または雪の確率 ・ 雪または雨の確率 ・ 雪の確率(「または」が入る中2つは、先にくるほうがより降りやすいということ)
一般には降水確率=「雨の確率」と認識する人が多いかもしれない(特に雪が降らない地域では)。だけど、実際にはイコールではないのだ。

仙台放送局の画面では、水色が「雨」と「雨または雪」、白が「雪または雨」と「雪」を示すので、見た目では2段階になってしまっている。

ところが、上と同じ日(時間にして1分後)のNHK秋田放送局の降水確率画面では、
全部水色
秋田放送局では、雨か雪かの区別の情報はなく、単に「降水確率」でひとくくりにしてしまっている。口頭で区別が示されることも、まずない。
秋田放送局の天気予報はあまり親切じゃない点が多いから、降水確率もその1つなのかもしれないが、NHK以外の他の媒体でも同様。(ちなみに秋田局のデータ放送では、降水確率そのものが公開されていない)
発表元である気象庁のホームページでさえ、
雨か雪かが分からない!
気象庁がマスコミ向けに流す予報文には、識別情報が入っているそうだ。どういう訳か一般人には(少なくともホームページにおいて)教えてくれないようだ。用語解説などでも触れていない。


現在では、仙台放送局のような雨/雪の区別がある降水確率のほうが珍しいようだ。
昔は、秋田放送局のローカル天気でも雨か雪かは区別していたはず。子どもの頃は雪が降るのが待ち遠しくて、冬の初めに「雨または雪」になると期待したものだし、3月に「雪または雨」「雨または雪」になると寂しさと春への期待が混じった気持ちがしたものである。(単なる予報値に対して、複雑な感情を抱いていたものだ)

現在の気象庁公式サイトを始めとする多くの媒体の降水確率の発表方法を見ると、雨/雪の区別は今や重要でない情報なのだろうか。
気象庁がせっかく発表しているのに、自らが積極的に公表しないというのは、ヘンというかもったいない。せめて公式サイトでは一般向けに公表し、使うかどうかを利用者に選択させてほしいと思うのだけど。あるいは、需要がないのならば、潔く廃止するとか。
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近鉄いろいろ

2015-02-18 23:59:08 | 旅行記
伊勢関係のちょっとした話題いろいろ。※旅行記の前回の記事

鳥羽駅前の海との間には、交通量の多い国道42号線が通っている。
その交差点の路面標示
車線別に、その先の方面を書いている。積雪地のせいか秋田では見かけない方式。(通学路とか横断歩道注意とか決まり文句の標示はある)
この文字は、書く時の技術的な面や走行する車からの視認性を考慮して、手書きや一般的な活字の文字とは違うようだ。
「伊勢・二見」
「勢」がすごい形、区切りの「・」は横長で次の「二」と一体化して見える。「見」は「貝」っぽい。


以下は、近畿日本鉄道(近鉄)のこと。
行き帰りに乗った近鉄特急は、運悪く(?)古い形式ばかりだった。
新しいのは見ただけ。

2010年にデビューした「ACE」こと22600系電車。
行きに乗りそこねた22000系(1992年登場。これも「ACE」)とよく似ているけれど、別形式。なじみが浅い鉄道会社の車両は奥が深い。
(再掲)22000系

話題の豪華列車で、2014年ブルーリボン賞(こまちがローレル賞)を受賞した、
50000系「しまかぜ」

何度か乗った普通列車
「1331」と表示があるけれど「1230系」だそうだ。1987年から製造され、4つドア、アルミ車体でインバーター制御。
鳥羽・志摩方面はワンマン運転が行われているので、2両編成。車内はロングシートでトイレなし。車両自体は、他の編成と連結して名古屋方面の本線や場合によっては大阪方面など広範囲で運用されるようだ。

ワンマン運転の方式は、JR東日本などの地方路線のワンマン車両と大きな違いはない。
車内の運賃表示器は、バスでも鉄道でもLED式からの更新用として普及している、レシップ製のグレーの枠に液晶ディスプレイを横に2枚つなげた製品。
ちょっと珍しかったのが、後部になるほうの運賃表示器の扱い。JR東日本では、前側の表示器だけが作動し、後部は消灯する。近鉄では、後部に「(正方形の枠の中に)近鉄」のロゴが1画面に1つずつ(つまり2つ並んで)表示されていた。
意味がないし、もったいない。
どうせ表示するなら、後部にも運賃を表示するとか、この表示器は賢い(Windowsが入っているらしい)から「次の○○駅は無人駅です。お降りのお客さまは前の車両へお進みください」とか表示すれば親切なのに(近鉄以外も含む全鉄道会社に対しての意見です)。

ワンマンでない車掌が乗る列車(JR東日本では前後とも消灯)ではどうなるんだろう?


駅の設備。
途中の伊勢中川駅だったかのホームに「のりば案内はテレビをご覧ください」という表示を見かけた。
JRでいう発車標に相当する、何時何分発どこ行きは何番線というのを、テレビ画面に表示しているという意味らしい。
近鉄では古くからやっている方式だそうで、当然昔はブラウン管ディスプレイに表示していたそうだ。

今であれば、JRはもちろん、街中の公共施設などでも、液晶ディスプレイ(というか液晶テレビ)にパソコンで作成した案内を表示するのは当たり前になった。これは専用の表示装置を導入するよりも安上がりで、パソコン操作ができれば素人でもデータ更新が容易にできるからだろう。
近鉄は時代を先取りしていたことになるが、昔はデータ作成・変更は素人(駅員)では難しかっただろうし、ブラウン管だと画面焼けを起こしそう。

鳥羽駅ホーム
ホームの特急乗車位置の案内は、
数字の部分は懐かしいパタパタ(ソラリー式)
ボディは近鉄特急の車体の色。


宇治山田駅ホーム
停まっている普通列車は「1537」。1422系の一族の1430系らしい(複雑!)。
上の写真で天井からぶら下がっている左側は、液晶画面を2つ並べた発車案内。昔はこれが「テレビ」だったのだろうか。
右側の時計に注目。

ホームの時計は、JRグループや一部私鉄では、枠が四角く、1から12まですべての数字が入り、やや横長のアナログで、黒地に蛍光色(緑とかオレンジ色)の文字盤、もしくは蛍光色地に黒い文字盤のものが多い。
セイコータイムシステム製の「セイコーファインクロック(駅用)」という製品のようだ。(まれに「SEIKO」ロゴがあるものもある【2017年12月13日補足】テレビで見た塩尻駅・駅舎外の屋根下のファインクロックには、JR東日本とSEIKO両方のロゴがあり、珍しいと感じた。セイコーの地元であるための配慮だろうか。)
JR東日本長岡駅新幹線改札内の発車標の間の小さめの時計。ご丁寧に「とけい」の説明付き
※その後、2016年5月でも「とけい」表示はそのまま。

近鉄では、別の時計が採用されていた。2種類見かけた。
 円形と四角い枠
数字は12・3・6・9だけ。円形の時計では、目盛り部分に色が付いていて、写真の紫のほかにピンク色もあったはず。
12の下に「HOSHIMITSU」
大阪の「株式会社星光」というメーカーの製品。
元々は駅用の時計メーカーとして創業し、後に各種表示器も扱うようになった、いわば“駅用案内装置の専門メーカー”。近鉄のパタパタや「テレビ」なんかも、同社製なのかもしれない。
湘南モノレール、京阪、南海などとも取引があるそうだ。

日本の鉄道会社と言っても、土地によって会社によって、いろいろ違うものだと感じた。
伊勢の帰りに名古屋にも寄ったので、そうした話題が続きます。※旅行記の次の記事
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りんごボート

2015-02-17 23:59:13 | ランチパック
昨年11月に「あきたっぷる」を紹介した。
秋田市が主導して、秋田市内の3つの実業系高校の生徒と地元企業がコラボして開発した商品の1つとして、たけや製パンが製造・販売するお菓子。

リンゴプレザーブとホイップクリーム、カスタードクリームをカステラ生地で挟んだもの。
おいしかったけれど、たけやのロングセラー商品である「バナナボート」の中身をリンゴに替えて、カスタードを追加した、言ってみれば「リンゴボート」じゃないの? なんて思っていた。

そして年が明けて2月。こんな新商品が出た。
りんごボート 260kcal
ほんとに「りんごボート」が出てしまった!
元祖バナナボートと同じく、100円から120円程度で売られている。(店舗によっては扱わない場合あり)今日はイオンリテールの火曜市で98円で売っていた。

ホームページには「鹿角産リンゴプレザーブとカスタードクリーム、ホイップクリームをバナナボート生地で優しく包みました。」と紹介されていて、リンゴが「秋田県産」から「鹿角産」に限定された以外はあきたっぷるとの違いが分からない。
ちょっとクリームが寄って製造されてしまったようだ
見た目は通常のバナナボートと同じ。あきたっぷるは、これよりわずかに大きかったかもしれない。

普段バナナボートはほとんど食べないので、改めて構造を観察。
思っていたよりきめが細かいスポンジ生地だった。ヤマザキ「まるごとバナナ」はもっと粗い生地。
円形の1枚の生地を半分に折って製品にしているので、ゆっくりとめくると、
きれいに開いた
内側になる面は焼き色が付いてホットケーキのよう。
クリームもリンゴもたっぷり

見た感じも、そして味も、「あきたっぷる」と区別がつかない。(あきたっぷるがどうだったか、細かい点は忘れてしまっていることもあるけれど)
したがって、個人的にはおいしくて好き。
バナナボートなんか、生クリームに皮をむいたバナナを置いただけだけど、りんごボートは、カスタードクリームも入っているし、リンゴは刻んで煮てあるんだから、その分丁寧な作りの商品とも言えるではないか!

原材料名欄を見てみた。
上があきたっぷる、下がりんごボート
両者ともほぼ同じ。
違うのは、「砂糖」と「リンゴプレザーブ」の順番。りんごボートのほうは砂糖より先にプレザーブが表示されているから、お砂糖控えめ・リンゴ多めってこと?

そしてもう1点。6番目。
あきたっぷるは「リンゴジャム」があるのに、りんごボートではそれだけ抜けている。
したがって、あきたっぷるとりんごボートの明確な違いは、「リンゴジャムが使われているかどうか」なのだった!

ちなみに、保存方法は、あきたっぷるは「15℃以下の冷所に保管」、りんごボートは「10℃以下の冷所に保管」。なぜか5度違う(季節的なものもあるか?)。



長らく1種類しか製造していなかった「バナナボート」だが、昨年辺りから派生商品が出始めた。
2月現在、「コーヒー味」や「ミニいちごボート」も出ていて、りんごボートもその1つということになる。
「あきたっぷる」を統合する形で、ジャムを抜いて簡略化の上でバナナボートシリーズに組み入れられたのだろうか?


一方で、「あきたっぷる」のほうは、年が明けてからは店頭でとんと見なくなった。
発売時の秋田魁新報では、「通年発売」するということだったのだが…

買って食べるほうとしては、あきたっぷるでもりんごボートでも、違いが分からないからどっちでもいい。
でも、たけやと共に考案した高校生たちや、その仲を取り持った秋田市農林部としては、「いいところを持って行かれた」ように感じていないだろうか。余計な心配をしてしまう。上手く話がついていればいいのだけど…

※2015年10月にはバナナボート派生シリーズの1つとして「フルーツボート りんご」が発売。こちらのクリームはホイップのみの模様。
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三重の電気バス

2015-02-16 20:41:55 | 旅行記
間が空きましたが、伊勢旅行の続き。※前回の記事
内宮参拝を終えた帰り。乗りたかったバスがあって、時間を調整していた。

以前述べた通り、伊勢市街・外宮-伊勢神宮内宮を結ぶ路線バスは、一般路線バスだけでも昼間はおおむね10分間隔で運行されている。
それとは別枠で、1日4往復(2時間に1本程度の間隔)ほどこんなバスが走っている。
黄色いいすゞエルガ
時刻表では「電気バス」と表示されている通り、充電した電気でモーターを回して走行する電気バス(EVバス)である。

「三重交通グループ70周年記念事業」として、国土交通省(地域交通グリーン化事業)、三重県、伊勢市などの低炭素社会を実現する事業の支援を受けて、ディーゼルエンジンのバスを改造して電動にしたもので、2014年3月31日から営業運行されている。
三重交通の発表によれば電気バスの運行は東海地方では初、「国産大型バス改造の電気バス(11mクラス)が通年営業するのは国内で初めての事例」。

車体の外観は、黄色地に「ポケットモンスター」のキャラクター「ピカチュウ」がちりばめられている。ピカチュウは電気を発する設定なので、電気バスにふさわしいとして起用されたようだが、ポケットモンスターのキャラクター管理をする企業「株式会社ポケモン」の社長が伊勢出身(鳥羽市生まれ伊勢高校卒)という縁もあるのだろう。
株式会社ポケモンが経営するグッズ販売店「ポケモンセンターナゴヤ」の広告や伊勢のキャッチフレーズもわずかに掲出されている。

僕はポケモンの世界観は全然知らないが、ピカチュウというのは1匹(特定の個体の名前)ではなく、何匹もいる(種名みたいなもの)のか。だから車体にたくさん描かれていても、おかしくはない。

ナンバープレート並びに三重交通で用いる車両管理用の社番は、ともに「1000」。同社の社番の法則として、千の位「1」はいすゞ製を示すので合っているが、百の位以下は法則を無視しているようだ。


内宮のバス乗り場は、一般路線バスと同じ。運賃も同額。
内宮前の伊勢市街方面時刻表。下段が電気バス
一般路線バスが10分間隔である間に電気バスが入るダイヤなので、ここだけ5分間隔となる。(実際には増発の臨時便もあるので、さらに間隔が詰まる場合も多い)
そんなわけで、黙って列に並んでいると、普通のバスに乗ることになってしまいそう。

【18日追記】内宮前発の一般路線バスは、宇治山田駅→伊勢市駅→外宮(終点)の順で運行するのに対し、電気バスは外宮→伊勢市駅→宇治山田駅(終点)と末端部で逆回りになるようだ。そう言えば、案内の社員も宇治山田駅へ急ぐ客は電気バスではなく一般路線バスのほうが少し早い旨を案内していた。(実際にはほとんど同着だったが)

タイミングを見計らって列につき、電気バスに乗車でき、運良く座ることもできた。
乗り場にいるバス会社社員は、「次の宇治山田駅行きは電気バスでーす」と、電気バスであることを少々案内してくれるが、それを分かっている人、僕以外に狙って乗り込む人はどれほどいただろうか。
小さな子どもが「ピカチュウだ!」と喜んだり、カメラを向ける人はいた。(内宮の乗り場はやや狭いので撮影しづらいかも)
ポケモンの大ブームから20年近く経ち、今は妖怪ばかりかと思ったら、そうでもないようだ。

ルームミラーにピカチュウがぶら下がる
正面の行き先表示は、差込プラグのイラストに「EV」が反転して抜かれている(後部は反転表示だがプラグの絵ではない)。一般路線ではある英字表記は省略。
【17日追記】逆方向では「直通 内宮前 Naiku」と英字も表記されるようだ。

側面の行き先表示は「宇治山田駅前←伊勢市駅前←外宮前←内宮前」とあり、上段に「途中は停まりません」と表示。
だったら、外宮前や伊勢市駅前は停まらないのかと思ったが、そうではなく、表示されている各バス停だけは停車し、その途中の表示されていないバス停(五十鈴川駅前や猿田彦神社前など)は通過するということだった。
なお、宇治山田駅発の側面は「内宮前←(直通)←外宮前←伊勢市駅前」と表示されるようだ。だったら、内宮発も「内宮前」は不要では?

正面・後部には「直通」とあるが、これもヘン。一般路線バスだって乗り換えずに行けるのだから「直通」だろう。
「急行」とかのほうが適切な気がした。


電気バスは往復で経路が異なり、宇治山田駅発が「御幸道路」経由、内宮前発が「御木本道路」経由。一般路線バスの「徴古館経由」と「庁舎前経由」とほぼ同じ道のようだ。(バス停通過順は往復とも同じで、途中乗降できないのだから、景色が違う以外にはあまり意味はない)
僕は行きは一般路線バスの庁舎前経由に乗ったから、行き帰りとも同じ経路に乗ったことになる。

通路に人が立つ状態で発車。
人が多くてあまり観察できないが、車内は改造前のディーゼル車とほとんど同一。座席の配置や柄も、三重交通の一般路線バスのものと同じようだ。
ただし、車外から見ると黒いガラスに見えるリアウインドウは、車内側は全面が塞がれている
確認できなかったが、災害による停電時などに電気を外部へ提供できるように、交流100ボルトの家庭用コンセントが車内に備えられているそうだ。

三重交通の一般路線バスと同じ、かつて秋田市営バスの放送も担当していた人による、音声合成式自動放送が使われるが、最初に途中停車しないことと「このバスは環境にやさしい電気バスです」といった説明が流れた。

電気バスの乗り心地。
発進→加速、減速→停止は、極めてスムーズかつ快適で、車内は静粛。
後方の席に座っていたが、小さく「ウィーーーン」と音がするばかり。速度が上がると「クンクンクン」という小刻みな音も聞こえたが、それに伴う振動などは感じられなかった。

加減速はアクセルとブレーキのペダルのみで操作していたようだ。
一般的なバスにおいてシフトレバーが設置される運転席左側には、細長い箱があって、赤くて丸いボタン1つと白くて丸いボタンが縦に3つ。白いボタンは上から「N」「D」「R」の順で表示されていた(はず)。赤はシフトロック解除用?

改造前のこの車は「QPG-LV234N3」という型式だそうで、「QPG」は6速マニュアルトランスミッションのようだ。電気バスに改造されて、オートマのような操作盤になったのだろう。
いすゞエルガにはオートマ仕様もあり、現行車種ではレバーでなくボタンでレンジを選択する、「アリソントランスミッション」社製の装置を搭載している。
この電気バスのボタンはそれを意識しているようには感じたが、デザインやボタンの配置は違う(アリソンは上からR・N・D)。手作りっぽい操作盤だった。


車内前方、運転席の背後(よく広告が掲出されるスペース)には、液晶ディスプレイが設置され、円形のメーターとデジタル数字が3つ表示されて、バスの動きに従って針(の画像)と数値が動く。
モーター回転数、バッテリー残量、モータートルクを示しているそうで、よく分からないけれど、走行中は回転数は335付近、バッテリは-200~+100で頻繁に増減、トルクは25付近をよく示していた。


乗り合わせた乗客は、伊勢市駅と宇治山田駅で半分ずつぐらい降車した。
宇治山田駅には、先に出た経由の違う一般路線バスとほぼ同着。“直通”便だからと言っても、所要時間短縮はごくわずかのようだ。【18日追記】上記の通り、電気バスと一般路線バスでは末端の道順が異なることも考慮しないといけないが、実際にはほとんど差がない。


ちなみに、充電器は車庫である三重交通伊勢営業所にあり、このバスの1回の充電での走行可能距離は53キロ。
宇治山田駅-内宮前を1往復すると10キロ強になり、それが4往復だから、車庫の往復を入れるとギリギリ持つかどうか。2往復を終えた昼過ぎにダイヤが2時間近く空くので、そこで車庫へ戻って充電しているそうだ。また、冷房などを使うと、走行可能距離は約30キロになる。(伊勢志摩経済新聞より)
【17日追記】乗車した日は、伊勢としては寒い日だったのだろうが、適度に暖房は作動していたのか車内で寒さは感じなかった。


環境にやさしい電気バスと言っても、実際には火力発電で作られた電気で充電しているかもしれないから、どんどん導入しろとは言い切れない。1台だけで、よそから来る人が多い路線での運用なので、地元での認知に難があるという話もあるようだ(伊勢市の資料より)。
ただ、静かさや排気ガスがなくて車体周辺のクリーンさは大きなメリットだし、ディーゼルエンジン車並みかそれ以上に乗り心地が良かった。
他の大型バスとともに、伊勢神宮参拝客の輸送に存分に威力を発揮しているように見受けられた。
※明日17日から19日は、車検のため運休するとのこと(代走はないのかな?)。

【17日追記】車体の外装について。「電気バス」などと表示はあるものの、ピカチュウに負けてしまっている。予備知識のない人には単なるピカチュウのラッピングバスに見られてしまう可能性が高い。電気バスとして周知させるには、もう一工夫必要だとは思った。



さて、電気バスと言えば、秋田の「ELEMO-AKITA」である。
僕は三重と秋田の電気バス両方に乗ることができたわけである。
三重と秋田では、その実施主体も運行目的も異なるので一概に比較はできないが、公共交通機関に投入するからには「不特定多数の客を乗せて走るのに相応の安全性・快適性」が求められ、目新しいものを通常より割高であろう費用をかけて導入するのだから「多くの人の注目を集めさせる」必要があるのは、どちらも同じだと思う。【17日この段落の表現を一部改訂】
それを踏まえると、平日のみマイナー路線を1日1往復(突発的運休あり)、なぜかギアチェンジが必要でその度にガックンガックンする秋田の電気バスは、三重と比べると…と悲しくなってしまった。
【17日追記】秋田の電気バスは、大型よりやや小さい中型バス。EVへの改造は、三重のは神奈川、秋田のは東京の企業が行っている。

【17日追記】2014年04月09日の伊勢志摩経済新聞によれば、
・「車両価格約1億900万円(車両約1億100万円、充電器約500万円ほか)」
・国交省から5,100万円、県と市から1,250万円ずつ補助金を受けている。

※旅行記の次の記事はこちら
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春がほらのぞいてる?

2015-02-15 21:09:02 | 秋田の季節・風景
雪国では、立春を過ぎると陽が長くなって、雪もあまり降り積もらなくなり、冬の終わりとほんのわずかな春の兆しが見えてくるもの。
しかし、今年は少々違う気がする。

先週から何度も寒波が襲い、各地で強風や大雪の被害が出た。
津軽地方は大雪で、弘前や平川市碇ヶ関では140センチほど積もって、碇ヶ関は観測史上最高積雪となった。
秋田市中央部は、雪が少々(5センチ前後)積もり、風が強い。風速10メートル程度の風が吹き、特に12日から13日の夜は強風が吹き続け、寝られなかった。交通機関の乱れ程度で、秋田では大きな被害は発生していないのは幸い。
秋田市中央部では今年は楽な冬だと思っているけれど、最後で少々厳しくなった。

秋田市内でも地域によっては積雪量が少なくなく、秋田市の除雪費が増額された。
2月14日付秋田魁新報 秋田市地域面「地方点描」によれば、雄物川をさかのぼった雄和大正寺では平年並みの積雪。
2月6日(?)時点の除雪稼働日数は、秋田市中央地区で3日(昨年同時期-18日)なのに対し、雄和地区41日(+4日)、東部地区37日(+7日)、河辺地区30日(±0日)とのこと。
14日の秋田駅東口。後方に太平山がうっすらと
写っているバスは、秋田市交通局から譲渡された、1992年度導入の三菱エアロミディ。市営バスの中型車としては最後のマニュアル車(同年の日産ディーゼル製からはオートマで導入)であり、初めて降車合図ボタンが大型化されたり、整理券にバーコードが印字(譲渡時に数字のみの整理券に交換)されたり、さらに同型車が7台もまとまって導入されるなど、印象的な車両の一群だった。
おそらく7台すべてが中央交通へ譲渡され、1年ほど前にはまだ5台くらい走っていたが、昨春頃に廃車が進んで現在はこの「366(旧274号車)」1台になってしまったようだ。中央交通の三菱製車両としても最古参のはず。(いすゞ製は、同年代が複数台在籍)



先週からこの週末にかけて、秋田県内各地では、「かまくら」など小正月の行事が開催された。
となると、恒例の臨時列車。
今年は(今年も)、旧・リゾートしらかみ青池編成である「クルージングトレイン」を用いて、秋田と大館、横手・湯沢を結ぶ快速として運行された。
14・15日に秋田→大館で「大館アメッコ市号」、大館→秋田→湯沢、湯沢→秋田で「犬っこ・かまくらまつり号」という3つの行事をまとめた運用。16日は秋田-横手を往復する「かまくらまつり号」。

秋田駅中央改札口の発車標では、過去には快速「KAMAK」が運行されたが、昨年はありきたり(それが当たり前ですが)。
上り「犬っこ・かまくらまつり号」の表示は、
「快速犬っこ」

「まつり」
ですか…「かまくら」はどこへ?


秋田駅改札口の耐震工事(前回の記事)は、
改札付近だけ足場がびっしり

天窓のルーバー状の日除け(?)が外され、鉄骨が見えている。
ガラスがあるので素通しではない

※工事の続き(終了時)はこちら



「まつり」と言えば、NHK「みんなのうた」で放送された曲で、この季節になると思い出すものがある。
「雪祭り」という曲。

「♪木枯らしの届かない 雪の中 あなほって こどもの雪祭り」という歌い出しで、春を待つ雪国の子どもたちの行事を歌ったと思われる内容の歌詞が2番まで。
歌:後藤拓、東京放送児童合唱団、作詞・作曲:みなみらんぼう、編曲:石原眞治。テレビでは「とこいった」によるアニメーション映像。
初回放送は1984年12月・1985年1月だから、ちょうど30年前。その後も何度か再放送されている。

みなみらんぼうは、みんなのうたを多く手がけているが、「山口さんちのツトム君」など子どもの日常生活を描いた曲が多い。
その中でも、「雪祭り」は少々異色。内容やメロディは明るいけれど、曲は重厚な雰囲気もあり、ファンタスティックな感じもする。
伴奏には、和太鼓も使われていて、和太鼓とシンセサイザー(? 当時出始めのデジタルシンセサイザーだろうか)による間奏を評価する声もあるようだ。

北島三郎の「まつり」と、雰囲気がどことなく似ていなくもない気もする。
「まつり」は1984年11月21日リリースだそうなので、「雪祭り」のホントに直前。影響を受けるにしては時間がなさすぎる。偶然か、当時の流行りか。

アニメーションは、太い線の版画のようなキャラクターが素朴で、ウサギが飛び交う間奏部分などが幻想的。
2番の「♪郵便屋さんがやって来た 花の便りはまだですか」の部分で登場する郵便局員の横顔が印象的で、記憶にある人も多いようだ。

ちなみに「とこいった」は、クロネコヤマトのネコのアニメなども担当したアニメーター堀口忠彦の別名義。みんなのうたでは、両方の名義で活動しているが、使い分けのルールは不明。
NHKみんなのうたの公式サイトによれば、堀口忠彦名義で「こだぬきポンポ」など30、とこいった名義で「コンピューターおばあちゃん」など5、計35作品を担当している。


さて、僕は今まで、この歌は春間近の今頃の雪国の光景を歌ったのだと思っていた。
だけど、改めて考察すると、そうでないようにも感じられる。
・初回放送が12~1月。春を待つにはちょっと早い。(再放送は2・3月にされることが多かった気がする)
・歌い出しに出てくる「木枯らし」。
木枯らしは晩秋から初冬に吹くものだから、春間近とはそぐわない。
それ以前に、木枯らしは太平洋側の気象現象であり、雪国ではあまり意識しないものだけど。

でもやっぱり、
・「もち食って」「神だな」「火をかこみ 鍋かこみ」といったフレーズからすれば、横手のかまくらを始めとした小正月の行事を念頭に置いた作詞のような気もする。※横手とは違うスタイルの秋田市の「楢山かまくら」にもどこか通ずる。
・何よりもアニメーションでは、「雪の中 あなほって」の部分でかまくらそのものが描かれている。
・「花の便りはまだですか」と年明け前・寒中にそう思うのは早過ぎる。
だからやっぱり、春間近の雪国を歌ったものではないだろうか(と思いたい)。
この歌の最後は「♪風花(かざはな)にキラキラと 春がほらのぞいてる」。

なお、2番で「山おろし 逃げてゆく」と「山おろし」が出てくるのだが、大人になってもピンと来ない。これはデジタル大辞泉に「山から吹きおろす風。」とあるから、その意味だろうか。


余談。1961年から放送され、数々の曲を生み出した「みんなのうた」。
単なる感傷かもしれないけれど個人的には、「雪祭り」を始めとする1980年代中頃は名曲が多いと思う。→この記事にて
「雪祭り」1つ後、1985年2・3月には「ありがとう さようなら」、「ラジャ・マハラジャー」という名曲の中の名曲が、新曲として放送された。
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警察の音/高等学院

2015-02-13 00:13:45 | 秋田のいろいろ
2月11日に河北新報のサイトに、秋田のニュースとして「宮城県警制作「交通安全の音」/秋田でも定着」が掲載された。
宮城県警が作ったパトロールカーのスピーカーから流すメロディが秋田県警でも使われ、秋田県民に定着している。という内容。

「宮城県警が01年、全国で初めて導入」「一般公募で制作した。」
「09年ごろ、会議に同席した秋田、宮城両県警の交通部幹部の間で」話がまとまって、秋田県警に提供されて2009年から使われている。
秋田では「昨年の振り込め詐欺急増を受け、パトカーからの広報を強化し、住民が耳にする機会が増えた。」

「秋田県警は「導入当時は『なんだろう』と不思議に思う県民が多かったが、今では、県民の安全、安心を呼び掛ける音として定着した」と手応えを感じている。」
「宮城県警は「宮城県警発の広報媒体が役に立っているのであれば、喜ばしい限り。どんどん活用してほしい」と話す。」
といった内容。


個人的には、違和感を覚える報道だ。
宮城県警からもらった音だったとは知らなくてためになったが、「昨年から耳にする機会が増え、定着した」という部分。

広い秋田県内にはたくさんの警察署があり、それぞれの地域性に応じて方針や対応が異なるだろうから、どこかではその通りなのかもしれない。
しかし、少なくとも僕の周囲(秋田中央警察署管内)では、「以前よりも耳にする機会が減っている」し、したがってメロディを聞いても何の音かピンと来ない住民も多いはずである。


この音は、「ちゃららん ちゃららん らん。(音階が上がって)ちゃららん ちゃららん らん(元の音階に戻る)」というもので、2009年かどうかは忘れたけれど、何年か前は、秋田市内でも多くのパトカーがこの音を流しながら走行していた。
【2017年10月27日追記】同じメロディーで高低を繰り返すという点では、フジテレビ「ドリフ大爆笑」の「もしものコーナー」のテーマ? BGM?(たかしまあきひこ作曲)みたいなもの。

しかし、ここ最近はとんと耳にする機会がなくなり、メロディは廃止されたのかと思っていた。
僕は、1日に1回は秋田県警のパトカーが走行(クラウンやスカイラインからコンパクトカーまで車種=配置箇所はいろいろ。いずれも緊急走行ではない)するのを目にする環境だが、おそらく2014年は1度も聞いていなかった。

ところが、2014年の年末か2015年の年始か、1度だけメロディを流して走るパトカー(場所や車種からして、中央署管内の交番の車か)を久々に見かけ、「まだ使っていたのか!」と驚いた。
その後は、再び耳にしていない。

市街地では積極的に流さないとか、住宅地など特定の場所に限って流しているとか規定があるのかもしれない。
中央署では、流すにしても音量が低すぎて、知らない人は音の発生源が分からないはず。ナレーションも、何を言っているのか聞き取りづらい。
なお、以前、秋田臨港署のパトカーは大音量で流していたので、音量も署によって違うのかもしれない。

とにかく、秋田市中心部では、なかなか耳にする機会がない音である。
秋田中央警察署からほど近い、河北新報秋田総局の前(ビルの下)でも同じはずであるが、記事を書いた河北新報の記者は、自分で聞いた経験はあるのだろうか。
あるいは秋田県警が「「定着した」と手応えを感じた」というのは、ほんとうだろうか。

新聞記事や秋田県警のコメントが事実かどうかを追求するつもりもないけれど、聞く機会がなく、定着しているとは感じていない秋田県民がいるのもまた、事実である。

【2018年10月4日】この後、秋田中央警察署を中心とする秋田市内では、この音をまったく聞かなかった。しかし、2018年10月4日の朝、中央署管内の通学路でもある住宅地付近において、比較的大きい音量で聞こえてきた(発生源は未確認)。



ついでに報道に関してもう1つ。
ローカルニュースでは、毎年同じ時期に同じ話題が“使い回し”かのように報道されるものがある。
秋田では、総社神社の絵馬作成・奉納、大館市田代の彼岸花(造花)作り、豆まきやハロウィンでは毎年同じ幼稚園が取材されることが多い。
おそらく、取材を受ける側が「取材に来てください」とマスコミにリリースするのだろう。いい宣伝になるし、取材する側はラクだし。馴れ合いでもあるけれど。

今の時期、恒例なのは、秋田公立美術大学附属高等学院(以下、附属高等学院)の卒業制作展。
少なくとも、美短附属時代から毎年、NHKや秋田魁新報は報道していたはずであり、短大→大学本体の卒業制作展よりも積極的に報道されている気さえする。

附属高等学院の卒業制作展は、毎年、赤れんが郷土館が会場だったが、今年から、別に開催されていた1・2年生の作品展と合同で、エリアなかいちのにぎわい交流館に変えたそうだ。


その報道において、NHK秋田放送局が気になる言い回しをすることがあった。
「美術を学ぶ高校生の卒業制作展が開かれています」という、原稿や字幕が出ることが少なくなかったのだ。
何が気になるのかと言えば、「高校」の部分。

附属高等学院は「高校」ではないので、間違い。
5年くらい前かと思うが、学校名を「秋田公立美術工芸短大附属高校」と誤った年もあったはず。訂正を聞いた覚えはない。

以前もどこかで書いたけれど、附属高等学院は「専修学校高等課程」である。
中卒で入学できる3年課程で、卒業時に大学受験資格は与えられるが、高等学校ではない。

秋田市立の中高一貫校で「御所野学院」がある(こちらは高等学校)から、紛らわしいことはあるかもしれない。
しかし、附属高等学院の校舎や展示会場の表示やホームページなどの公式な表記では、「高校」とはひとことも書いてないはずである(書いていたら大問題だ)。
当時のNHK秋田放送局の記者の思い込みで高校にしてしまったのだと思われるが、事実を伝えるべき報道のプロとしてはお粗末だと思っていた。

秋田市民でも、附属高等学院は高校だと誤解している人は多いだろうし、(受験者・在校生・卒業生とその保護者などは別として一般市民ならば)誤解していても大した問題ではないだろう。
ただ、マスコミがそれをやっては、誤解を助長させかねない。


ところが今年は、
専修学校の秋田公立美術大学附属高等学院では…
「専修学校の」というフレーズが学校名の頭に付いた。近年でもっとも正確な表現だ!
多くの視聴者に取ってはどうでもよくて、かつピンと来ないフレーズではあるが、これなら文句の付けよう(付けられよう)がない。

一部放送局の初詣のニュースのように、毎年同じ文面の使い回しではないようだが、こうした正確な表現は継続してほしい。
※翌2016年も、NHKは「専修学校の」を付けた同様の言い回し。ところが2018年は再び…

なお、秋田魁新報では、単に「秋田公立美術大学付属高等学院」だけの表記。「附」が「付」なのは、魁の使用できる文字の制約だろう。
内容としては間違ってはいないから、誤解するかどうかは読者次第ということになる
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鉄道3題

2015-02-11 23:49:38 | 秋田のいろいろ
多少なりとも秋田に関係した鉄道の話題3つ。
●「こまち」を書いた人
工業デザイナーの榮久庵憲司(えくあん けんじ)氏が2月8日に85歳で亡くなった。「株式会社GKインダストリアルデザイン」を設立し、代表を務めていた。
キッコーマンの卓上醤油瓶、東京都、JRA、ミニストップのロゴなど、身近な分野でさまざまな作品を残したが、鉄道車両のデザインも多数手がけた。
(再掲)富山ライトレール ポートラム
榮久庵氏による鉄道車両は、富山ライトレールの「ポートラム」、209系などJR東日本のここ20年ほどの普通列車用車両、等々多数。

クリエイティブな分野の人の訃報記事では、代表作が示される。
役者や芸術家が亡くなった時も同じだが、所属事務所や遺族が発表時に提示したものをそのまま転載するのか、各社とも横並びで同じものを列挙する。
例えば、1月15日に亡くなった声優の大塚周夫さんの訃報では、20年以上前の「海原雄山」や40年も前の「ねずみ男」は多くが掲載した一方、晩年の主要キャストであった「山田伝蔵」に触れたマスコミは少なかった。(葬儀で「忍たま乱太郎」の原作者が弔辞を読んだそうで、アニメ化時に山田伝蔵の声は大塚さんでと要望したという)【13日追記】個人的には初めて大塚さんの声を認識した30年ほど前の「ピコピコポン」の「ガルガリ博士」が忘れがたい。

榮久庵氏の訃報では、鉄道車両では「成田エクスプレス」を多く(ほぼすべて)のマスコミが取り上げていた。
成田エクスプレスは初代(1991~2010年)の「253系」電車と、現行の「E259系」電車の2世代がある。報道では、その形式までは言及していなかったが、NHKなどではE259系の写真を示した。
両形式で車体の形状は異なるが塗装は共通しており、そのどちらも榮久庵氏によるものということらしい。

成田エクスプレスを引退した253系電車の一部は、日光方面の特急に転用されたり、長野電鉄に譲渡されたりして、現在も走っている。
長電のほうは成田エクスプレス当時とほぼ同じ外観。しかし、日光用は塗装が変えられている。こういう場合は、少なくとも外観は榮久庵氏の作品ではなくなってしまうのでしょう。

そして、成田エクスプレスの次ぐらいに多く書かれた(成田エクスプレスと並列で)のが、秋田新幹線「こまち」だった。
記事では「こまち」の頭に「初代」が付けられ、1997年の開業時から2014年まで使われた「E3系」電車を指している。(現行のE6系は奥山清行氏のデザイン)

E3系は、車内のデザインも榮久庵氏が担当したそうなので、ということは、今も走っている山形新幹線「つばさ」用E3系も手がけたとも言えるのだろうか。
ただし、その山形用E3系の外観は塗装変更され(奥山氏によるものだそうだが、奇妙な塗り分け)ているから、日光と同じことか?

再掲)E3系電車
というわけで、秋田に縁がある人が亡くなったことになる。
こういう場合でも、秋田魁新報はいつものように共同通信からの配信記事をそのまま載せるだけかと思ったら、そうではなかった。
10日付社会面で、「田園、雪景色意識しデザイン/初代こまちに愛着」などと、E3系のデザインについて、独自取材で比較的大きく記事(記者の署名あり)にしていた。こういう記事があってこそ、郷土の新聞だ。

田園風景や雪景色との調和、在来線区間での見え方を踏まえてデザインしたことや、GKインダストリアルデザインの鉄道担当者の「(略)本人にとっても特別な作品だったと思う」といった話が出ていた。

この記事でへえと思ったのが、「車体の「こまち」の文字は栄久庵さんが揮毫したもの」。
11号車と15号車の側面に毛筆で書かれていた「こまち」の文字は、デザイナー自ら書いたのか!
達筆だ

E3系は、1995年にいちばん最初の1編成だけが製造されて各種試験を行った後、量産された。この1本は「量産先行車」と呼ばれ、開業後は「R1」編成として活躍した。上の写真の右側の編成。
その製造当時~試験時は、「こまち」という列車名がまだ決まっていなかったから、この部分には「Series E3(E3系の意味)」と書かれていた。後の営業開始時に「こまち」に書き換えられた。

今回の魁の記事にはE3系の写真が出ているが、その量産先行車のもの。営業開始前の古い写真を持ってきたらしく、パンタグラフの形状が営業開始時と異なるようだし、側面にも「こまち」ではなく「E3」と表記されているのが、よく見ると分かる。
せっかく記事で取り上げたのに、「こまち」の文字の写真がないのは残念。
デビュー当時はビビットピンクのラインが斬新に感じられた


●県境の立ち往生
2月1日の23時頃から2日昼前にかけて、札幌発大阪行きの寝台特急「トワイライトエクスプレス」が立ち往生した。
機関車の前に雪を抱き込んで(1.5メートルほど積み上がったとか)動けなくなったそうで、その場所は青森・秋田県境近くの津軽湯の沢駅付近。場所としてはまだ青森県。
再掲)津軽湯の沢駅から上り方向。左が上り線。奥の矢立トンネルの中で秋田県に入る
テレビ映像によれば、機関車は矢立トンネルの中に入る前で停まり、最後尾の電源車がギリギリ津軽湯の沢駅のホームにかかる状態だった。

トワイライトエクスプレスは、乗ること自体が目的の豪華列車だから急ぎの用で乗る客はまずいないだろうし、廃止間近ということもあって、どのお客も遅れたことで長時間乗車できて幸運だったととらえていたようだ。(希望する客には、新幹線への振り替えも行われたらしい)
秋田県の大館駅の「鶏めし」が食糧として配られ、それも喜ばれたそうだ。

深夜に雪で長時間立ち往生と言えば、先日日本版が放送された「オリエント急行殺人事件」を連想させられる。日本版では、関ヶ原が現場となった。
(再掲)津軽湯の沢
津軽湯の沢も、線路から見ると、周りに人家が見当たらない、かなりの山奥に見える。しかし実際には数百メートルのところを国道7号線があって、駅まで道がつながっている。
当時の平川市碇ヶ関(津軽湯の沢の1駅隣)の積雪は、平年値60センチほどなのが1メートル。この程度なら、道路除雪や車の通行に大きな支障はなかったと思われる。


●流浪の番組?
テレビ朝日のミニ番組「世界の車窓から」。
1987年に放送が始まったそうで、溝口肇によるテーマ曲、石丸謙二郎のナレーションを含めて、番組のスタイルはほぼ変わらない。正真正銘の長寿番組と言えるだろう。
僕は外国の鉄道にはさほど興味はなく、熱心に見てはいないが、たまたま視聴したり、時には特定の国の風景に惹かれて録画して見たりしている。

昭和末期~平成最初期の秋田ではテレ朝系列局はなかったが、秋田放送(ABS)が放送していた(いつから始まったのかは不明)。午後のワイドショーの直後、15時55分からの放送で、見た記憶がある。
Wikipediaによれば、そのワイドショーは日テレ系ではなく、テレ朝の昼のワイドショーを遅れてネットしていたそうで、もしかしたらそれと抱き合わせのような形だったのか。
1992年に秋田朝日放送(AAB)が開局して、そちらに移った。

当時は、秋田以外でも多くの系列局(全局ではないようだ)が同じ時間に放送していたと思われる。
平日は「ニュースステーション」の前、21時54分から、土日は22時54分からだった。

2001年にニュースステーション(後に報道ステーション)の後、23時10分に移り、2013年からは週7回から5回の放送に減った。
2013年頃には、放送を打ち切る系列局が出始め、現在も放送している地上波局は、テレ朝のほかに11局(うち1局はTBS系)足らずになってしまった。


11局での放送の仕方はまちまち。
放送日時が違うのは当然として、放送回数が違う。
週に4回とか3回しか放送しない局があり、テレビ山梨に至っては週に1回しか放送がない。いずれも、1回当たりの放送枠の時間は1回分(複数回をまとめて放送するわけではない)。

そのため、放送を続けるうちにテレ朝の本放送からどんどん遅れて差が開いてしまう局もあるみたいだ(週3回の青森朝日放送はそうなのか?)が、多くの局は、放送回数を減らす分、途中を間引いているそうだ。例えば「テレ朝で毎週金曜に放送する分はネットしない」とか。

番組の公式ホームページでは、ネット局ごとの放送日時も掲載されているが、「放送局により、内容が異なります。」だけで「間引いている」とは言及していない。


世界の車窓からは、いちおう1回だけ見ても分かる番組内容ではあるが、前後のつながりというものがある。
飛び飛びに放送されては、「乗り換え駅の回がカットされて、いつの間にか他路線を旅していた」とか、「クライマックスの絶景の車窓を見られない」といった恐れが出てしまう。
そもそも、冒頭で「VOL.9677」と通し番号が表示されるから、熱心に見ている視聴者は間引かれていることに気づくだろう。(名古屋のメ~テレや大阪の朝日放送では、番号部分を書き換えているそうだ)
最後に「明日(次回)は○○駅を出発します」といった予告も流れるが、それはカットしているのだろう。

制作者にしてみれば、毎回連続して見てもらう前提で作っているだろうに、穴埋めというかつまみ食いのように放送されるのは、いい気分がしないのではないだろうか。
各局の事情やスポンサーの問題などはあるのだろうけれど、視聴者を軽視しているようにも感じられ、ひどい扱いだと思う。


では、我らが秋田朝日放送。
遅れがあり、予告はカットされてはいるものの、間引かずにちゃんと週に5回放送していくれていて、ありがたい(これが当然だとも思うけど)。
2月11日に、テレ朝の1月14日分が放送されたので、4週間遅れ。

ただ、放送時間が覚えづらい。
曜日としては、火、水もしくは木、金、土、日。「水もしくは木」というのは、1週ごとに入れ替わる。
時間は、平日が20時54分、土曜が24時09分、日曜が23時10分。
Wikipediaには月曜日にも放送されているようなことが記載されているが、現在はそうではない。ともかく、複雑でメチャクチャな放送日時と言ってもいいかもしれない。
もうちょっときれいに揃えられないものでしょうか。

テレ朝の「タモリ倶楽部」は「流浪の番組」を自称しているが、これは収録場所があちこちをさまよっていることからのようだ。
「世界の車窓から」こそ、「流浪の番組」いや「翻弄された番組」ではないだろうか。
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豊橋と新富士の駅弁

2015-02-09 23:42:10 | 各地お土産・食べ物
順序が入れ替わりますが、伊勢旅行の帰りの駅弁から。
帰りは東京まで「こだま」号を利用した。
東海道新幹線沿線は、その土地ならではの駅弁を作る老舗業者が多いが、東京駅の駅弁屋に輸送されることはない(北海道とか九州のは売られることがあるのに。JR東日本とJR東海の不仲のせいか?)ようだし、現地に行く機会も少ない。
こだまは、のぞみやひかりに追い抜かれるため、途中の各駅で5分前後停車することが多い。東海道新幹線では、ホーム上に駅弁売店がある駅が多い(グリーン車付近なので自由席からは遠い)ので、そうした駅弁を購入する絶好の機会。
なお、東海道新幹線の駅弁専門の売店では、電子マネー決済には対応していないところがまだ多いようだ。(というか、多くの売店で対応しているJR東日本エリアのほうが珍しいのだろう)

まずは愛知県の豊橋駅。
※実は今回は名古屋から豊橋まで在来線で移動し、豊橋から新幹線に乗ったので、これはホーム上ではなく新幹線改札内の待合室の売店で購入。ホーム上よりは品揃えが豊富かもしれない。
魅惑の飯田線 秘境駅オリジナル弁当 壺屋弁当部 1030円
2010年に期間限定で売られていて、おいしかった(この記事後半)駅弁が、その後常時販売されているようだ。
4年前と掛け紙は同じで、価格も消費税率分アップしただけ。お品書き、つまようじ付きで紙ナプキンになる箸袋付き。
竹製の立派な箸
ただし、
中身は以前と違っていた

(再掲)以前の中身
仕切りが多くなって、おかずが小分けされた感じ。
豊橋特産のうずらの個数が減ってしまったし、ポークの南蛮漬け、ぶりの焼き物、ちりめん山椒や天ぷらなどはなくなった。

新たに入った味噌カツはご当地ならでは(けど秘境駅との関係は?)。エビチリは場違いな気もするが、壺屋では中華風幕の内弁当もラインナップされているので、それからの流用か。
他には、山菜おこわ、ミニ稲荷、太巻きに代わって細い海苔巻き、椎茸肉詰フライ、しそ団子串など。

右下の区画には、ワカサギ甘露煮。その下には、さすが稲荷寿司の製造元だけに刻んだ油揚げが敷かれていたのが珍しく、甘くておいしい。
柿は餅菓子。餅がおいしい。中はつぶあんでヘタは本物。

以前に比べると少々個性が薄れて寂しくなった気もする(期間限定でなく通年販売ならば、コストと材料の安定供給など条件が厳しくなるので仕方ない)が、悪くない。


もう1つは、静岡県の新富士駅。
新富士駅は新幹線単独の駅で駅弁業者は富陽軒。在来線の富士駅でも売っているが全商品ではない。そんな事情で、東海地方の中では、比較的入手しづらい駅弁業者ではないだろうか。
以前、富士宮やきそばの駅弁を食べたことがあった。

駿河名産つまみ喰い 天晴れ!! 富士山弁当 富陽軒 1030円
掛け紙ではなく、箱の蓋が掛け紙の代わり。
箱の絵は「レトロな映画看板風」
存在は聞いていた。2008年発売開始で原則として新富士駅のみでの販売。
お品書き、お手拭き、つまようじ付き。

サクラエビの煎り煮で彩られた赤富士山型のごはんとおかずがびっしり。
豚の西京味噌焼き(写真ではカボチャの下)がメインのおかずだそうで、3枚入っていた。
黒はんぺんのフライ、手作りこんにゃく、厚い玉子焼きなど素朴なおかずでおいしかった。右上は茎山葵醤油漬け。


肉ばかり魚介ばかりといった駅弁よりも、こういう土地土地の食材がいろいろ詰め合わさった弁当こそ、駅弁の魅力だと思う。
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のど自慢の変化

2015-02-08 23:33:09 | その他もろもろ
日曜お昼といえば「NHKのど自慢」(以下「のど自慢」と表記)。
1946年放送開始で70年を迎えようとする長寿番組であり、ある意味「偉大なるマンネリ」のようでもあるが、いろいろと変化は経てきた。
ラジオからテレビへの移行(今もラジオでもやっている)、司会のアナウンサーの交代はもちろんだが、「そう言えばいつの間にか変わっているな」ということもいろいろある。
例えば、
・1回当たりの出場者は現在は20組だが、もう少し多い時期があった。(昭和時代~平成初期? と2005年の宮本隆治アナウンサーが司会登板後の一時期。2005年の時は素人目にも「尺」が足りなくなるのが分かるほど苦しい進行になり、早々に20組に戻された)

・現在はステージ右側にベンチが置かれ、20組が最初から最後までステージ上にいる(応援しながら待機)が、かつては順番に1組ずつ裏から登場して、歌い終わると退場していた。(「爆笑!レッドカーペット」みたいなものか)
※その当時、舞台右側には、(鐘と?)ゲスト歌手と民謡の伴奏者だけがいた。当時はどこの土地からでも1~2組は民謡を歌う出場者がいたかと思う。現在は、民謡奏者はステージ左端にいるが、その出番は北東北各県と北海道程度になってしまった。

・現在は、出場者は登場時に司会者から簡単な紹介があって、歌い終わると全員が必ず司会者やゲスト歌手と会話するが、以前は多くの人が司会者に「ありがとうございました」「ごくろうさまでした。次の方どうぞ」と声をかけられる程度ですぐに退場し、一部の人だけが「ちょっとお話を伺いましょう」とインタビューされていた。(上記1人ずつ登場していた頃と同時期?)

・伴奏にシンセサイザー(キーボード)が加わった。当初は1人だけでアコーディオンと共存していたが、後にアコーディオンがなくなって、シンセサイザー2人体制になって現在に至る。
デジタルシンセサイザーは1985年頃に普及したが、のど自慢ではそれ以前から使われていたので、最初はアナログシンセサイザーだったのだろう。
アコーディオンは、鐘とともにのど自慢の象徴と言っても過言ではなく、それが廃止されたのは大きな転換点であったはずだが、NHKの資料(ネット上ですが)でも、その時期を明言しているものは見当たらない。(アコーディオンとシンセサイザーが共存していなかったかのように記述された、明らかに誤ったものすらある)のど自慢の伴奏者は、地域ごとに違っているので、もしかしたら移行時期も全国同時ではなかったのかもしれない。
【2023年7月5日追記】1981年1月の奈良県では、シンセサイザーがまだいなかった。5人態勢。また、奏者は誰もヘッドフォンを付けておらず、タイミングはアイコンタクト、リズム・テンポは各自の感覚で演奏していたようだ。1980年代後半頃になると、ドラムやベースの奏者がヘッドフォンを付け、クリック音を聴きながら演奏して、テンポを保つようになる。そして、アコーディオンがいなくなった辺りで、全員がヘッドフォンを付け、クリックとバンドマスター(基本的にピアノ奏者)の声の指示で演奏するようになる。
【2023年10月14日追記】1983年の埼玉県では、シンセサイザーがいた。また、全員か一部かは不明だが、ヘッドホンを着けた奏者もいた。
【2019年3月20日追記】1980年代後半の沖縄県では、アコーディオンの代わりにサックスがいた(シンセサイザーはいた)こともあったようだ。
【2021年8月4日追記】1991年初め頃と思われる東京都では、アコーディオンもいる上で、シンセサイザーが2人、つまりバンドが計7名だった。シンセサイザーの1人はそれ以前からいたと思われる年配の人でアナログシンセサイザー、もう1人は若くてデジタルシンセサイザー(その後降板した後、再度担当して2021年時点でも演奏している方のようだ)を弾いていた。ピアノ・編曲担当はアコーディオンがいなくなった後、2021年現在も担当している宮下博次/西原悟 両氏ではない人なので、アコーディオンのほんとうに末期の過渡的な形態だったのだろうか。【2023年7月9日補足・確認したのはゲストの歌のシーン。ゲストの歌の伴奏のためだけに、追加でデジタルシンセサイザーを投入したという可能性もあるかもしれない。(上記、1981年の奈良県では、ギターが1人追加されていたようなので)】

・昔はテーマ曲のアレンジが若干異なった。特に曲の終わりの部分。
・昔は、ゲスト歌手の歌の伴奏もカラオケではなく、出場者と同じバンドが生で演奏していた。【2023年4月5日追記・Wikipediaでは「2003年あたりからカラオケ」に切り替わったような記述があるが、実際にはそれ以前から使われていたと記憶する。実際、1996年の九州でカラオケなのを確認。】
【2016年11月28日追記】2016年11月6日の広島県福山市からの放送では、ゲストのPUFFYが「渚にまつわるエトセトラ」を生バンドで歌った。コーラス部分は収録したものを再生。ゲストのもう1人鳥羽一郎はカラオケ。
これまでも、ゲストが自前のバンドやピアノ奏者を連れてきて生演奏で歌うことはあったものの、出場者と同じバンドの演奏でゲストが歌うのは、少なくとも10年以上ぶりだろう。
【2018年8月10日追記】2018年8月5日の札幌市からの放送では、松山千春が生バンドで「大空と大地の中で」を歌唱。
マイクは、トーク部分ではワイヤレスマイクだったのを、ワイヤード(有線)マイクに持ち替えて登場。「NHK」ロゴが入っていたので、マイマイクではなさそうだったが、典型的なオーソドックスな形のマイク。また、バンドのギター奏者は、エレキからアコースティックに持ち替えていた(通常ののど自慢では行わない)。
編曲・ピアノはパフィーの時と同じ、西原悟氏。もう1人の細川たかしはカラオケ伴奏。
【2018年9月14日追記】2018年9月2日の山梨県甲州市からの放送では、イルカが「人生フルコース」を歌唱。ギターと電子ピアノは、イルカ専属の奏者が登壇したが、ドラムとベースはのど自慢のバンドが演奏するという、変則的な生演奏。弾いていなかったはずだが、編曲・ピアノは西原氏。以前(秋田県大館市)イルカが出演した時は、専属奏者の演奏(ピアノだけ?)だったはず。
【2018年12月9日追記】2018年12月9日の大分市からの放送では、南こうせつが「神田川」をギターを弾きながら歌唱。バイオリン奏者を連れてきたが、ピアノ(西原氏)とベースはのど自慢バンド。
【2019年3月20日追記】2019年3月10日の宮城県気仙沼市からの放送(時間拡大・ゲスト3人)では、ゆずが「夏色」を「特別にのど自慢バンドと共演」して歌った。ピアノは西原氏。時間の関係なのか、やけにアップテンポだった。
※以降のゲスト生バンド歌唱はこの記事末尾。

・一時期(昭和末期か平成初期頃?【2021年10月8日追記・1988年度では歌っておらず、代わりに認知度の高い歌を全員で歌っていた。】)、最初(オープニングと開催地紹介の間)に「のど自慢の歌(作詞作曲:中山大三郎らしい)」という短い歌を、全出場者とゲスト歌手、司会者で歌っていた。
「♪この町が好きだから ふれあいが好きだから」という歌い出し。


さて、2015年に、のど自慢に2つの変化が起こるらしい。
1つは、昨年末の特番で公式に明らかにされたのだが、4月からの出場者の年齢引き下げ。
現在は高校生以上なのが、中学生以上になる。
10年ほど前は「BSジュニアのど自慢」という番組もあったが、のど自慢本体の若返りを狙ったのだろうが、どうなるだろう。


もう1つは、公式には発表されず、しかも迷走気味な変化。
年末年始は、毎週のようにマラソンや駅伝が中継されるため、2015年に入ってからののど自慢は、1月25日、2月1日、8日の3回しか放送されていない。(これは毎年のこと)
最初の2回の放送で、大きな変化があった。
合格者の住まいと氏名が一切放送されなかったのだ。

のど自慢の合格者は「おところとお名前は」と尋ねられ、「秋田市から来ました、佐竹です」などと答えられるのは、合格者の“特権”であった。(合格しなくても、会話や応援の横断幕から名前が分かる場合もある。逆に、たまに司会者が聞き忘れて後で謝ることも)
最後のチャンピオン発表前、合格者が整列する時にも「x番の『○○○○』を歌った佐竹さん」と、司会者から紹介されていた。(時間が押している時は、断った上で番号のみで呼ばれる場合もある)

ところが、今年の最初は、合格しても名前を聞かず「おめでとうございました」程度で合格しなかった人と同じように席に戻され、整列時も番号だけ、チャンピオンの発表も「○番の方です」だけだったはず。

個人情報保護法施行からはだいぶ時間が経つし、了承の上で好き好んで出場しているのだから個人情報保護には該当しそうにない。ただ、昨今はネットで調べれば住所まで特定し得る時代だから、こうなったのかななどと考えていた。

ところが、今日2月8日の放送では、昨年までと同じく、住まいと名前を出していた。(事前に収録した回ではない)
わずか2回だけで元に戻ってしまったことになるが、何だったんだろう。→その後の状況など


おところお名前と言えば、宮本隆治アナウンサーが司会だった頃、若い女性の合格者が「オトコの名前は?」と聞かれたと勘違いし、交際している男性の名前を言った(言いそうになった?)らしい。【3月22日追記】その後、3月22日の放送でも、小田切アナウンサーに聞かれた韓国人男性が、同様に「え? 男?」と戸惑う場面があった。
また、なぜか年齢まで答えてしまった人とか、昔は番地まで細かく答えてしまう人もけっこういた。

おところは市町村名まででいいわけだが、平成の大合併後は、あえて合併前の市町村名を言う人もいて、例えば静岡市清水区(旧・清水市)からの放送では、ほとんどの合格者が「静岡市清水(区)」とか「旧清水市」と答えていて、地域への愛着を垣間見ることができた。
また、例えば秋田県湯沢市からの放送で「鹿角市から来ました」、青森県弘前市からの放送で「大間町から」など、同一県内でも遠方から来たことが分かると、観客から「おーっ!」と歓声が上がるのも、ほほえましかった(地理的事情を知らない視聴者には、なぜ盛り上がっているのか分からないわけですが)。
名前はともかく、どこから来た人が合格したのかが分かると、のど自慢をより楽しく見ることはできるのではないだろうか。



ついでに、のど自慢で歌われる曲について。どんな歌を歌ってもいいのだろうか。
聞いたこともないご当地ソングを歌う人とか、ものすごく昔の歌とか、マイナーな歌が歌われることがある。

昔のNHKは歌手本人が歌う番組でも「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤なクルマ」に替えて歌わされたとか言うが、今はそこまでではない。
1月25日には「ようかい体操第一」、2月8日には「夢をかなえてドラえもん」を歌った人がおり、現在、他局で放送中のテレビ番組の主題歌であっても、問題ないことになる。
過去にはサザエさんを歌った人もいたし、放送は終了していたが水戸黄門や「ドラえもんのうた」も歌われた。
個人的には、笑っていいともの「ウキウキWatching」を誰かに歌ってほしい。

権利関係がクリアでき、伴奏ができれば(譜面があれば)あまり制限はなさそうにも思える。
ただ、2005年に松山千春の「大空と大地の中で」が政党のテーマ曲として使われ、タイミング悪く選挙期間中放送ののど自慢で歌った出場者がいた。この時はたまたま事前収録の回だったため、選挙終了後に放送が延期されたが、もし生放送の回だったら、別の曲を歌わされたか、出場を辞退させられていたかもしれない。
最近は、チャゲアスの歌などは厳しそうだし、企業名や商品名を連呼するような歌(リゲインの「勇気のしるし」とか)はNHKとしてはアウトだろう。

2015年度の状況
コメント (2)
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新聞に載る倍率

2015-02-05 23:34:52 | その他もろもろ
国公立大学の2次試験の出願受付が締め切られ、5日付の新聞各紙では、見開き2面で全国の国公立大の志願者数や倍率(以下「倍率」と表記)を掲載している。
昔から気になっていたのだが、新聞によっては学部ごとの倍率を掲載しているが、これは「意味のない倍率」だと思う。
試験日程ごとに学部別の倍率を掲載している
大昔の入試制度、あるいは今も学部一括で募集・選抜する大学ではこれでいい。しかし、現在、多くの大学では、学部ではなくその下位の学科や課程・専攻などの単位で、出願を受け付けるのが一般的。

例えば、多くの大学で「医学部」の中には、医師を養成する「医学科」のほかに看護師や療法士を養成する「保健学科(さらに専攻で細分化)」があり、試験はそれぞれで行われている。第2志望とか掛け持ち受験はできない。したがって、倍率はそれぞれで異なる。
だから、医学部全体の志願者数や倍率を見せられても、それぞれの受験者には、自分の出願した学科の状況は分からず、何の参考にもならないはずである。
極端な話、学部の倍率が「10倍」であっても、その中には定員割れしている学科や(極めて極端だけど)志願者ゼロの学科がある可能性すらある。

このような掲載方法では、医学部のほか、獣医学科を持つ農学部などにおいて、特定の学科が学部全体の倍率を押し上げてしまう、もしくは高倍率学科が学部全体に埋もれてしまうケースがあり、誤解や混乱を招きかねない。

新聞に掲載される学部ごとの倍率は、少なくとも受験生にとってはまったく無意味な掲載だと思う。(大学や学部の経営状態、あるいはその年の受験動向を判断する資料としては、意味があるかもしれないけれど)

いずれにしても、受かる人は受かって、受からない人は受からないのだから、倍率など気にしない。というわけにもいかないのでしょうけれど…
そういえば、20年前に僕が受けた時は、倍率って気にしていたっけ? 気にするにしても、当時はネットもないから、大学に問い合わせる以外に知る術があったのだろうか?



今年の(昨年以前はどうだった?)秋田魁新報では、東北6県の東北大学を除く(※)6国立大学と秋田県立大学については学科ごとの倍率を掲載してくれて、親切。(それ以外の大学は学部ごと)
※東北大学は学科別の志願者を公表していない(医学部以外)そうなので、学部ごと。
これならば、掲載する意味はある

気がつけば、大学の改革も進んでいた。
秋田大学は、今年度から(=今回の入試で2年目)工学資源学部が解体されて国際資源学部と理工学部ができて4学部体制になっている。
あとは、教育文化学部の募集単位が昔より大きくなっているようだ。
20年前は、小学校課程国語専攻(副専攻?)、社会専攻、…と、たしか数名ずつ少人数で区切られていたものだが、今は大雑把な分野ごとに、前期は最低でも7人は募集している。

一方、20年前の弘前大学は、小学校課程は専攻(弘大では「選修」と呼ぶらしい)に関わらず数十人を一括募集していて、秋大と対照的だった。そんな事情から、秋田県からあえて弘大の小学校課程を受験したという人もいたようだ。
現在の弘大(2011年から)は、小学校・中学校の区別がなくなり、選修ごとに募集している。音楽や美術は前期試験でも2名ずつと狭き門(志願者は多くはないけれど)。
いつの間にか、秋大と弘大が逆転したような状況になっていたけれど、2016年に弘大で学部再編が予定されているので、また変わることでしょう。
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