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大住団地線 延伸・増便'25.10

2025-08-23 23:19:51 | 秋田の地理
例年通りであれば、2025年も10月に、秋田中央交通の秋田市内の一般路線バスのダイヤ改正が実施される。今回は、運賃値上げ【2025年7月15日の記事】もある。
ダイヤが変わるとすれば、廃止路線があるのか、増減はどの程度か気になり、早く知りたいもの。廃止に関しては、夏までに開催される「秋田市地域公共交通協議会」において明らかになることがある(廃止されるのに議題にならなかった路線・系統もあり、その違いが分からないのだが)。

2025年は7月29日に、第44回秋田市地域公共交通協議会が開催されていた(秋田市サイト ページ番号1047106)。
その議題には路線バスの廃止はなく、議事録中にも言及はない。


一方、「路線バス「大住・みなみ野団地線」の路線変更について」があり、承認された。10月1日から変更。
これは前向きな変更。詳細は後述するが、わずかながら運行区間が延伸され、わずかながら運行本数が増える予定。

ここで大住・みなみ野団地線の変遷をまとめておく。2011年12月30日の記事2019年3月22日の記事も参照。
元々は秋田市交通局(秋田市営バス)の路線で、秋田駅西口~牛島の旧道(牛島東五丁目)~二ツ屋下丁まで来て、国道13号へ出て南高校方向へ戻り、大住地内へ入って、「大住団地」が終点であった。遅くとも1980年には「大住団地線」の名が存在。
1993年には、約半数の便が、新たに宅地化された「みなみ野団地【24日追記・後に「大住コミュニティセンター入口」に改称】」方面まで延伸。実際にはもう1つ先の「西潟敷」が終点。1996年には全便がみなみ野団地行きに。
2001年春に、牛島方面各路線とともに、秋田中央交通へ移管。「大住・みなみ野団地線」の呼称が一般的になるのはこの頃か。また、正確な時期は不明だが、さらに1つ先の「牛島西四丁目」まで延伸。西四丁目には家1軒分程度の土地があり、そこを回転地として、方向転換と待機を行っていた。
2017年10月に、旧道・南高校前経由から、イオン秋田中央店前・卸センター入口(いわゆる柳原)・国道13号経由に変更。牛島市営住宅前通過後、大住へ入るように。運賃は変わらず、所要時間も大差なし。
他の牛島経由各路線をさしおいて、どうして大住団地線だけが国道経由に変わったのか、理由はいまいち分からない。旧道沿線の人たちもそうだが、秋田南高校の生徒の乗車機会が奪われたことになる。下校時などは、高校からバス停1つ、牛島市営住宅前まで歩いて、大住団地線に乗車する人はいるようだ。

運行本数は、市営住宅時代~移管直後は、昼間は1時間に2本運行されていた。1日30往復はあったはず。
移管後、(他路線も同様だが)減便が進んで、2018年では毎時1本程度と半減。

そして、2019年3月。
末端の区間短縮と、減便が行われる。新型コロナウイルス流行や乗務員不足より前の時期。
380メートルほど運行区間を短縮し、牛島西四丁目の回転地と西潟敷の2停留所を廃止。新たに路上に設ける「牛島西四丁目」停留所を終点としたのだが、その所在地は牛島西四丁目ではない。
この時の短縮・減便の理由は、回転地に住宅が建つことになり、使えなくなったのがきっかけとのこと。それにより、折り返し運行が難しくなり、車両・人員繰りの都合がつかず、減便となったようだ。ただし、2019年春当初は、住宅地の道路などを周回して方向転換して折り返す運用も何本かあった。
今回の協議会の資料では「終点となっていたバス回転地(牛島西四丁目地内)の利用が困難となったため、往路運行後、回送せざるを得ず、また周辺に待機場所も確保できないことから、効率的な運行ができず、大幅な減便となっている。」と説明されている。実際には「往路運行後」だけでなく「復路運行前」も回送せざるを得ない。

その後、コロナと人員不足もあって、さらに減便が進んだ。
現行・2024年10月のダイヤでは、平日下り7本(始発9時40分、最終18時30分)、上り6本(7時10分、17時10分)。土日祝下り3本(10時00分、17時30分)、上り5本(8時30分、16時20分)。
20年ほど前は、朝から夜遅くまで、1時間に2本走っていたとは、信じられない。

現在は、すべてが牛島西四丁目で折り返しが不可能なダイヤ。数十分移動させれば、時間的には可能なものもあるのだが、いろいろあるのでしょう。
古川添交差点で上下がすれ違う
↑平日 駅15時10分発と西四丁目15時15分発。ダイヤ上は牛島駅入口~牛島市営住宅前間で行き違うが、この時は下りが遅れていた。

営業運行しない片道は、全便かどうかは不明だが、秋田営業所(大川反車庫)との間を回送するのを見かける。秋田営業所~臨海バイパス~茨島交差点~秋田大橋たもと~茨島・大住アンパス~牛島西四丁目バス停と、5キロに及ぶ。
上り運用前、車庫発の回送ダイヤは余裕があり、渋滞がなければ、始発10分近く前に牛島西四丁目に着くようだ。その時間調整は、道路が広い、雄物川堤防下の茨島・大住アンパスの通りで路肩に寄せて行っている。
茨島側の堤防から見下ろす
2度見た限りでは、茨島地区側に停めていたが、同じ場所ではなかった。もしかしたら、アンパスをくぐった牛島側などで待機することもあるのかも。


ここから本題。協議会で明らかになったこと。
茨島・大住アンパスの近く、羽越本線の線路沿いに「牛島清水町市営住宅(※)」があるのだが、その一角に、秋田市がバス回転地を整備。
※この路線のバス停名でもあり、羽後牛島駅そばの「牛島市営住宅」とは別の市営住宅。ちなみに、現在は牛島に清水町という町名は存在しないし、住居表示実施前にさかのぼっても「牛島字清水下」はあるが、ズバリ清水町はなかったようだ。
そこに新たに「牛島西四丁目」バス停を設置して、そこまで路線を延長する。現・牛島西四丁目から、新・牛島西四丁目までの道のり(=実質的な延伸距離)は500メートルほど。
3代目となる牛島西四丁目バス停は、再び、ちゃんと牛島西四丁目に所在する(ギリギリだけど)。

資料によれば、かつての回転地(初代・牛島西四丁目)までの路線免許はまだ残っているらしく、それを廃止(約300メートル)。市営住宅の3代目・牛島西四丁目までを新設(約400メートル)するという形。
運行経路。現在の2代目・西四丁目から橋を渡った先にある信号(右折すれば初代・西四丁目方向)を直進して、雄物川堤防の道路(アンパスの通り)へ突き当たって右折。150メートルほど直進して、新・回転地直近の生活道路へ右折というルート。
アンパスの通りの出入りが2か所とも信号のない交差点なのと、50メートルほどであるが回転地付近の道がやや角度があって狭いのが、支障にならないか心配。
以前の図に加筆。マル1が当初の回転地、マル2が現在の終点、紫色の線が新経路で、マル3が市営住宅の回転地
資料では、牛島西四丁目を実質移設するだけで、他のバス停の改廃はなさそう。
現行の2代目・牛島西四丁目を残したり、かつての西潟敷相当(牛島南二丁目とか)を復活させることはないのか。
また、市営住宅内のバス停名を「牛島清水町市営住宅前」にしてもよさそうだが、同じ路線に「牛島市営住宅前」があるからややこしいか。


市営住宅内への回転地整備については、今年春の時点で秋田市の事業として発注されており、現時点で工事中(工期は8月29日まで)。着工前に行こうと思っていたのだが、行きそびれてしまった。
新回転地は、市営住宅敷地の隅にあった公園風のスペースを転用。ベンチとちょっとした植木程度しかなく、舗装されていたので、市営住宅の工事や作業用の車両を入れるのが、本来の用途だったのかもしれない。
2023年8月 Googleマップストリートビューより

運行本数がどのくらいになるかについては、議事録内で質疑応答がされている。
中央交通側と思われる委員が「現行の1.5~1.6倍ほどまで増やす予定である。」としている。
ということは、平日下りが1.6倍になったとすれば、11本(4本増)。減便が多かった近年、前向きにとらえたい。

同じく質疑中で、他に回転地が確保できない事例が過去にあったか問われたのには、「同じような事例はあったが、代わりの土地がすぐ見つかったため、特に問題にはならなかった。」と回答。
2019年にバス停が移動しても牛島西四丁目のままだったのは、混乱を防ぎ、表示や印刷物の改訂を要しないためだったと思われるが、他に、早期に新たな回転地を見つけて、再移動させたい意向があったのかもしれない。それがなかなか解決せず、中央交通としても困ってはいたのだろう。
そこで、秋田市が場所と費用を出して、6年半越しの課題を解決したのは、意外ではあった。だったら、もっと早くやっても良かったような。あと、牛島西四丁目折り返しにこだわらず、(前から何度か述べているが)アンパスをくぐって茨島方面を周回したり、仁井田・御野場方面へ向かったりする新規路線を設定するという手法もあったのではないか。【24日補足・大住・みなみ野での折り返しにこだわる必要はないのではないか。】
質疑では「新たな回転地の除雪はどうするのか。」「秋田中央交通(株)が行う。」とのやり取りがあったが、それぐらいは市がやってやってもいいとも思う。

大住団地線は、利用者は少なくはないが、基幹路線には及ばない位置付けだと思う。そこへ減便があって、存在感が薄れてしまった。
一方、秋田市が計画しているという、バス路線再編計画【2024年7月7日の記事】では、(計画というかたたき台段階かと思うが)幹線級路線になっている。今回の増便で存在感が増し、再編時に躍進となるか。
そのためにも、利用者が増えなければいけない。ここまで減便されてしまった後、どの程度、利用が戻るだろうか。

2025年10月からのダイヤはこの記事にて
コメント (5)
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住宅地の紅白鉄塔

2025-06-28 23:22:17 | 秋田の地理
2024年8月5日などに、電波塔のある風景を記事にしていた。それとは別の、秋田市内の塔について。※写真は2024年7月~8月撮影。

楢山南中町と楢山本町の境の、南行き一方通行の市道。旧羽州街道で、牛島(旧道、商店街)経由の路線バスの下りが通る。道路が枡形(カギ形)になった、小さな交差点を過ぎた地点から、南方向の風景。

道路の正面、突き当たりのような位置に、そびえ立つものが!

正確には“突き当たり”ではなく、一方通行の終わりの十字路交差点。牛島行きバスは左折する。直進方向は、狭い道になるが、若干、角度が付いているため、突き当たりのように見えている。
そびえ立つ物体は、交差点へ近づくと建物に隠れる。

今はごくたまにしか通らないが、30年ほど前はよく通っていた道。その当時からあった気がする(確実にあったはず)が、気に留めないでいた。
カメラでズームすると、正体はすぐ分かるのだが、肉眼で見ると、アンテナ塔や煙突のように見える。明るい色も付いており、何だろうと思った。立つ場所は、秋田市街地と反対方向に当たるが、太平川などがあって方向感覚がよく分からず、正体を探るヒントにならない。“幻の塔”のようにも思えた。

場所を変えて、国道13号の牛島跨線橋から南方向。
左は牛島市営住宅、下は羽越本線 羽後牛島駅、奥は大森山
ここからも見える。

正体は、送電線の鉄塔=「送電鉄塔」。跨線橋からは何本も見える中に1本だけある、背が高くて紅白鉄塔に塗装された鉄塔。紅白塗装なので、航空法の定めにより高さ60メートル以上あることになる。
牛島跨線橋からは鉄塔の真横が見える。冒頭の楢山からも、真横に近いアングルとなる。それらは正面から見るのと違い、横に突き出した部材(「腕金」だそう)が目立たないので、アンテナや煙突っぽく見える。

さらに、秋田県道56号の秋田大橋から東方向。
雄物川上流方向。中央の赤茶色の建物は、仁井田の県立秋田南高等学校

ここからは腕金がよく見えて、送電鉄塔らしい姿
さて、この紅白鉄塔はどこに立つか。だいたい見当をつけて、航空写真とGoogleマップストリートビューで確定。難しくはないが、送電線が複数本配線され、住宅地の細かい道路が多い一帯なので、若干手間取った。


茨島や卸町との境のそば、牛島の西端に三皇熊野神社本宮があって、その隣が東北電力ネットワーク株式会社 牛島変電所。そこから各方面へ送電線がつながっている。
さらにそばを、JR羽越本線が通っていて、市道の大野踏切がある。
2015年8月ストリートビューより。秋田駅方向
↑2系統の送電線の「路線」が線路を越えている。左が変電所。右端に紅白鉄塔
この辺りは、川が流れ、元々水田だったところをあまり秩序立てて宅地化しなかったのか、方向感覚が狂う。しかも、送電線は川とも道路とも関係なく一直線だから、若干迷いつつ、住宅地を進む。地図での予習が役立った。
手前は別の路線の鉄塔

近付いてきた。当然だが、ひときわ高い


訪問時は、梅雨明け直後(上記、遠望は梅雨明け前なのでどんより)。夏の青空を背景に、夏の日差しを受け、紅白の鉄塔が鮮やか。
根本に到達
柵で囲われ、その周りが駐車場になっているようで、思ったほど接近できないし、写真も撮りづらいが、ちょっと感動。
近くで見ると、脚がとても長く見えて、腕金がとても上からちょこんと出ていて、アンバランスな感じがする。無着色の送電鉄塔と比べてしまうためだが。

所在地は牛島南一丁目。普通河川・古川の近く。生活道路どうしが交わる十字路の角地の、ほぼ宅地1軒分のスペース。鉄塔の向きが、周りの家々の向きとほぼ(完全にではない)一致している。
なお、1つ隣の十字路付近には6メートルの「標高点」があるようだが、三角点や水準点と違って、現地に表示はなさそう。

古い地形図を見ると、一帯が水田だった1971年時点で、送電線は通っている。しかし、1975年撮影の航空写真では、紅白鉄塔は立っておらず、別の位置に無着色の鉄塔があった。
1985年にはだいぶ宅地化されているが、2006年でも、水田がわずかに残っていた。牛島南一丁目となったのは2001年10月で、それまでは「牛島字東潟敷」だった。
宅地化が進行していた頃に、高い鉄塔に建て替えられたことになる。鉄塔の向きに合わせて、道路や宅地が配置されたのか、それとも、道路や宅地との位置関係に配慮して、鉄塔の位置を決めたのか。あるいは互いに配慮なく、たまたまこうなったのか。
腕金のある面から見上げれば、東京タワーとか電波塔のようにも見える?
送電線には「路線名」が付けられていて、この鉄塔が属するのは「秋田中央線」とのこと。
御所野変電所から、御野場、仁井田を経て、茨島変電所、さらに茨島の工業地帯、秋田運河を2度渡って、国道7号(臨海バイパス)を越えた川尻若葉町(ここの小さい変電所みたなので、送電線が終わる)までのルート。
紅白鉄塔には「36」の数字が表示されている。御所野側から連番が振られていて、36本目の鉄塔。

地理院地図に加筆。★が紅白鉄塔
冒頭の紅白鉄塔を遠望した各地点との直線距離は、楢山の羽州街道(地形図マル1)から2キロ、牛島跨線橋(マル2)から1.1キロ、秋田大橋(マル3)から1.6キロ。
高層建築物は少ない場所ではあるが、楢山から絶妙な位置に見え、しかもそれが紅白だったのは、奇跡と言えるのではないか。

それにしても、どうしてこの鉄塔が紅白=高いのか。平坦で高層建築物もないし、並行する他路線は普通の鉄塔ばかりなのだから、送電線を低くすると何かの支障になるわけでもなさそう。不思議。【7月3日コメントいただき追記・羽越本線の上を安全に越えるため、高くした可能性があるようだ。近隣の他路線の送電線は高くないが、電圧などの規格が異なり、この秋田中央線だけ対応が必要なのかも。なお、羽越本線の電化は1972年だから、電化からしばらくして、高い鉄塔に建て替えた可能性あり。】
住宅地の紅白鉄塔
子どもの頃、郊外へ車で出かけると、田んぼや山の中に送電鉄塔が並ぶのに見とれた。人が立っているようで、感情移入したのかもしれないし、それぞれの鉄塔の形の違いも興味深かったが、まれにある紅白の鉄塔が特に好きだった。そうめんに1本入っているピンク色の麺とか、白く小さい球状の「玉麩」に混ざっているピンク色の麩と同じような、レア感を覚えたのだろう。
住宅地に紅白鉄塔があるとは思わなかった。これが秋田市街地にいちばん近い紅白鉄塔ではないだろうか。
コメント (4)
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岸辺のストビュー

2025-06-03 23:47:08 | 秋田の地理
Googleマップのストリートビューで、秋田県内の画像が公開されたのが、2013年9月26日。全国的には遅いほうで、待ちに待った公開開始だった。まだ12年「しか」経っていないのかと感じるが、あって当然のサービスになった。市街地では、ほとんどの道路を見ることができ、近年は頻繁(場所によっては毎年や年に複数回)に再撮影されている。

今日、Googleマップをいじっていたら、秋田市内で、今まで見られなかった道のストリートビューが、新たに公開されているのに気付いた。いずれも2024年6月の撮影だが、公開はもっと後ではないだろうか(2025年4月頃には未公開だった気がする)。
それはどこかというと、厳密には「道路」ではない。
旭川に架かる「刈穂橋」付近、旭南と楢山登町
川の両岸のラインが新たに公開された。
役所の道路管理部門ではなく、河川管理部門が管轄する「河川管理用通路」のうち、歩行者と自転車が通行できるように一般開放されている道。2013年11月11日の記事で、この付近を取り上げていた。
左岸・楢山登町側

公開区間を上流→下流で示すと、旭川のこの付近では、左岸の県道28号分岐→刈穂橋。右岸の五丁目橋→下新橋→刈穂橋。
さらに、太平川では、右岸の太平川橋(牛島商店街の旧道)→太平大橋(県道28号)手前、左岸の太平川橋の下流側→猿田川合流点★(太平川橋直下は車が入れるので、以前から公開)、猿田川合流点☆→太平大橋→旭川合流点(以降は旭川)→新旭橋(県道56号)。
猿田川では、右岸の開橋(国道13号)→太平川合流点。=秋田消防署牛島出張所横のわずかな区間だけで、太平川の★区間につながる。対岸の左岸側は未公開で、☆部分から中途半端に始まる。

2025年4月23日の記事の通り、かつては桜の名所であった太平川岸だが、洪水対策の河川改修事業が行われることになり、多くの桜がなくなった。また、現在はその工事のため、道路や河川管理用通路が通行止めになっている箇所もある。
左岸・旭川・太平川合流点。現在は通行止め中
川岸が市道の区間は、以前からストリートビューで在りし日の桜並木を見ることができた(花の時期ではないけれど)が、河川管理用通路区間は見られなかった。
新規公開により、ほぼ全区間を見られるようになった(未公開は右岸・羽越本線→愛宕下橋だけか)。今回も葉桜の時期の画像(アジサイは咲いてる)だが、伐採直前の貴重な記録。
右岸

車は入れなく、かなり狭いところもある河川管理用通路。どうやって撮影したのか。自転車?
旭川の通路沿いの民家の窓ガラスに写り込んでいた
撮影車ならぬ撮影者が、機材を背負って1人で歩いたようだ。
↑このように、通路ギリギリに大きな窓がある民家もいくつかある。人があまり通らないから、カーテンや窓を開け放って住民がリラックスされていることもある。それに、道幅が狭いから、撮影中に他の歩行者とすれ違ったら、ボカシが入るにしてもかなり大きく写ってしまうことになる【4日補足・確認した限りでは、すれ違った人はいない】。それらを公開されたら恥ずかしいかも。
【4日追記】防犯やプライバシー、それに岸辺ばかりが写った画像のニーズを考えると、ここまで公開する必要はあるのかと思わなくもない。一方で、これも地域の姿の記録であり、野生動物や植物など、道路のストビューでは見られないものを見付ける楽しみも提供してくれる。どうしても必要だとは思わないけれど。
【4日追記・撮影日時について推測】刈穂橋周辺の画像は水量が少なく、太平川方面は濁って増水している(路面は濡れている)ので、別の日の撮影。どちらも影が出ていないので、撮影時間帯は推測できない。写り込む人は少なく、太平川右岸で、少し離れて犬の散歩の人が写っている程度。(以上追記)

どういう経緯で、河川管理用通路のストリートビューが撮影・公開されたのだろう。
開放されている河川管理用通路は、扱いとしては公道と同じだと思われるので、特別な許可などは不要なはず。Googleの判断(気まぐれ?)だろうか。

秋田県管理で、車が入れない河川管理用通路であっても、旭川の上流側(添川→旭川地区→手形→保戸野・千秋など)、草生津川、それに県道の自転車道(県道401号)でもある雄物川の堤防(※)などは、公開されていない。今後に期待?
※雄物川自体は国土交通省管轄。羽越本線の橋梁付近で見られる箇所があるのは、個人が撮影したストリートビュー。
【4日追記】仙北市角館の桧木内川堤のソメイヨシノ並木の車両が入れない区間は、2018年4月撮影のストリートビューが公開されていた。

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給油訓練場所@八橋?

2024-12-05 23:29:45 | 秋田の地理
八橋運動公園の自販機の冬期休止の記事を書いた時、Googleマップを見ていたら、公園内に謎の施設が掲載されていた。
陸上競技場と相撲場の間、テニスコートの向かい

「給油訓練場所」とあり、「公園」を示す木のマークが付く

場所としては、1989年まで秋田地方気象台があった位置。
植え込みがあるのか、あるいはやや高くなっているかして、テニスコート前の通路からは見えづらかったかと記憶する。現在は、プロスポーツの試合開催時などに駐車場として使われることがあるらしい。
航空写真。この時も駐車しているが、給油施設は?
ここに「給油訓練場所」などあったっけ?
あったとして、何の給油を訓練するの?


検索して、もしかしたらというのを発見。
2024年11月2日と3日に、秋田市で「令和6年度 緊急消防援助隊北海道東北ブロック合同訓練」が開催された。その名の通り、ブロック内から隊員や車両が集まる大規模な訓練で、割山(勝平)の旧・秋田空港跡地で行われた模様が報道されていた。
その実施要項・実施要項(秋田市ホームページ ページ番号1044435)を見ると、旧空港以外の会場で行われた訓練もあった。

その会場の1つが八橋運動公園であり、「後方支援活動訓練」と「燃料補給訓練」が行われた。
後方支援活動訓練は、2日間にわたって県立体育館前や健康広場等の屋内外の体育施設を使用。
燃料補給訓練は、11月2日午後のみ。その場所が、
実施要項より抜粋・加工。分かりづらいが黒い点線で囲ったのが燃料補給訓練場所
ズバリ、この場所である。
Googleマップの「給油訓練場所」とは「令和6年度 緊急消防援助隊北海道東北ブロック合同訓練の燃料補給訓練の会場」を指すのではないだろうか。

燃料補給訓練では何が行われたのか。実施要項によれば、
「訓練の主眼 大規模災害時に民間業者の協力を得て、速やかに補給体制の構築を図る。」
内容や注意事項を抜粋すると、
「指定した場所に民間業者の移動タンク貯蔵所を配置する。」「軽油ポリエチレン缶への詰め替え給油とし、車両への直接給油は行わない。」「精算は現金のみとし、訓練参加消防本部(局)単位で行うものとする」
要は“特設ガソリンスタンド”みたいなもの?


「燃料補給訓練会場」だとして、どうしてGoogleマップに載っているのか。完全な憶測。
ユーザーの提案によって、施設名など「場所」を追加(登録)でき、それが誰もが見られる地図に掲載されるGoogleマップのシステム上、何者かが登録したのだろう。「給油訓練場所」の名で。
それは秋田市など主催側ではない誰かではないだろうか。物好きな部外者かもしれないが、合同訓練の関係者かもしれない。例えば、秋田市外から参加した消防関係者とか、給油に関わった業者とか。
そして、本来は誰でも見られるGoogleマップに載せるつもりはなかったのかもしれない。組織内の仲間内だけで、場所の情報を共有したいだけだったのでは。そういう目的のために「Googleマイマップ」という機能があるのだが、勘違いや操作ミスにより、マイじゃないマップのほうに登録してしまった、ということかも。
「燃料補給訓練」なのに「給油訓練」と間違えてしまうことからしても、少々そそっかしそうなので。



地図上の謎の「給油訓練場所」に悩まされ、大迷惑ではないがちょっと迷惑。ブログのネタにできたことには、ちょっと感謝。
以前から指摘しているように、Googleマップは地図の使いかたに革命をもたらし、さまざまな点で便利になった。その一方、Googleマップにはクセがあったり、使いづらかったり、載っている情報を鵜呑みにしないほうが良かったりすることもある。

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紅白アンテナのある風景

2024-08-09 23:10:35 | 秋田の地理
秋田市街地の2本(+撤去済み1本)の紅白電波塔の続き。gooブログでお世話になっている、NTTドコモのものを中心に。
ビルが多い市街地であっても、そのすき間を通して、いろんな場所のいろんな風景の中に、アンテナを見ることができる。特に、NTTドコモのアンテナは、新しいだけに今風のそれ自体のデザインと、周りの風景の多様さの取り合わせがおもしろい。
ビル正面、大町通り(赤れんが館通り)

裏手は川反通り



西へ移動。
約500メートル。台座まで見える
東北電力の近く、ドン・キホーテの北側、旭北錦町・旭北寺町の境。

北へ。
生活道路の真ん中に。約1キロ地点
この場所で、この位置に見えるのが不思議。道路配置に影響されて方向感覚が狂わされるのだろう。もっと左方向に存在するように思えてしまうのだけど。
こんな場所(右奥に見えてます)
市立保戸野小学校グラウンドの北西角。

保戸野から少し北へ。
道路よりちょっと左

こっちはちょっと右
ドコモから1800メートルほどの泉中央五丁目。道路は格子状で、いい具合な道があった。
ここはほぼ真ん中 ※雪のある3月撮影

アンテナ手前にピンクの三角屋根
秋田大学教育文化学部附属小学校の校舎と重なる。この向こうに、保戸野小グラウンドの道路があることになる。


上の場所から西へ1キロほど。
広い道路の真ん中に
泉中央一丁目・二丁目と八橋鯲沼町の間の新国道(秋田県道56号)に架かる、泉横断歩道橋(過去の記事)から。

アンテナまでは2150メートル。新国道の真ん中に見えているが、その新国道自体は秋田中央郵便局の手前で右へカーブ。そのため、やはり方向感覚が狂わされ、郵便局の建物越しに見えるのが、これまた不思議。

北から来る車は、ドコモのアンテナを目指すようにして秋田市街地へ入るわけだが、郵便局付近まで来ると、建物に隠れてしまう。その代わり、
右の黒いビルは山王十字路の秋田銀行本店
今度は900メートル先の東北電力のアンテナに向かって進む(県庁や秋田駅方面は手前の山王十字路で右左折)。



別の鉄塔の話が続きます。
煙突の話
※送電線の鉄塔について2025年6月28日の記事
コメント (2)
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電波塔の位置関係

2024-08-05 20:21:41 | 秋田の地理
秋田市川元開和町、「旭南一丁目」交差点の北西。新国道(秋田県道56号)のすぐ西を並走する市道の北方向の風景。

道路は直線ながらカクカクと少し角度が付き、その先に、紅白の鉄塔がそびえる。
山王五丁目にある東北電力 秋田支社(秋田支店とする情報もあるが、公式サイトでは支社)の建物の上から生えている、電波塔。

道路の真ん中に、きれいな位置と向きで収まっていて、美しい。開和町から東北電力は650メートルほど。

マンホールカードやダムカードにならって、東北電力では2022年1月に「無線鉄塔カード」を配布していた(現状は不明)。「東北電力グループ70周年記念事業の一環として、電力保安通信におけるマイクロ波無線の役割についてのPRを目的に」エリア7県から1枚ずつ作っていて、秋田県はこの鉄塔。
カード記載の「無線鉄塔の諸元」によれば、
鉄塔形式:アングルトラス鉄塔
材質:SS41、SS55
リング数/アンテナ数:3/6
竣工年:1973年(ビルと同時竣工)
同じ東北電力でも、場所によって構造もデザインも違う。盛岡はライトアップされるとのこと。新潟と秋田は似ている。


場所を変えて。東北電力のすぐそば、西(アキタパークホテル方向)へ200メートルほどの地点。

さらに場所を変えて、山王五丁目・川元松丘町・川元山下町の境目付近の御休通りの坂。東北電力から南西400メートル。

上の2つの写真では、東北電力のアンテナの奥=東に、もう1本、紅白の鉄塔が見えている。
大町四丁目、赤れんが館通り(大町通り)にある、NTTドコモのビルから生えるもの(影についての過去の記事)。東北電力との距離は650メートル。

ここで、御休通りの坂の2018年6月撮影のGoogleマップストリートビュー。
3本?!
さらに奥(道路の先・ドン・キホーテ右)に、もう1本の紅白鉄塔が!
2022年に撤去された、中通四丁目のNTT東日本のビルから生えていたアンテナだった。


この3本の電波塔。ほぼ一直線に、しかもほぼ等間隔に並んでいるのでは?
地理院地図に加筆
赤い線の左が東北電力、右がNTT東日本。ドコモは赤い★の位置、「電波塔」の地図記号はなかった

東北電力とNTTを結ぶ直線の、ほんのわずかに北にズレた位置がドコモ。
距離は東北電力~NTTは1400メートル、ドコモ~NTTは750メートル。中間地点は、ドコモの裏(東)方向に少しズレた、川反通り付近、地形図で「旭川」の「川」の文字辺り。
そして、そもそもこの直線は、真西~真東のラインとほぼ一致する。

東京のタワーなんかの位置関係を「結界」に例えるなど、都市伝説や陰謀論めいた理由付けがされることがある。そういうのを信じるつもりはない。それぞれができた経緯を簡単にまとめる。
できた順番。NTT東日本(電電公社)は1971年頃時点ですでに存在。東北電力は、上記の通り1973年。ドコモビルは、2000年12月竣工。施工した錢高組のホームページには、アンテナがないビルの写真が掲載されているので、アンテナは少し後かもしれない。
さかのぼれば、NTT東日本一帯は陸軍の施設、東北電力は田んぼ?、ドコモは電電公社秋田電報電話局(余談だが北隣は秋田郵便局=現・秋田中央郵便局があった)。
各所有者が、それぞれの土地を取得した時期も経緯もまちまちということになりそう。意図的・計画的にこの位置関係になったのではなく、偶然ということでしょう。
【6日追記】だけど、江戸時代には武士の町と商人の町(内町と外町)の境であった旭川をはさんで、ほぼ等距離の位置に、1970年前後に2本の電波塔が建てられたということには、因縁めいたものを感じたくはないが感じてしまいそうになる。


冒頭の風景に話を戻すと、電波塔以外の構造物や建物であっても、道路の突き当たりなどにあるものは存在感があってランドマークとなっていたり、そう言えばあれって何だっけ? と思わされたりするものがある。そんなシリーズでいずれまた。→続きはドコモアンテナを中心に
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西にある東入口

2024-07-28 23:43:44 | 秋田の地理
2024年9月いっぱいで廃止されることが決まったらしい、秋田中央交通のバス路線「南大通り経由 日赤病院線」。牛島小学校経由と城南中学校経由があり、現在は牛小経由が下り(秋田駅西口→日赤病院前のみ)、城南中経由が上りのみ、平日午後に片道1本ずつという、あまり存在意義がないのが実態。※本路線単独区間では、通勤通学通院には使いようがないダイヤという意味。牛島小学校付近では二ツ屋福島線と重複するので、合わせるとそれなりの便数があり、利用者はいる。

2026年にも始まるという、秋田市のバス路線網再編案では、牛島小学校経由が、羽後牛島駅発着に変更(秋田駅方面からは乗り継ぎ)されて、相当の便数がある「幹線」に格上げされるらしかった。
牛島小学校経由は復活したとしても、城南中学校経由は、あと2か月で、永遠になくなってしまうのだろう。
その区間にあり、路線とともに廃止されるであろうバス停に、命名が謎というかおかしいものがあった。秋田駅に向かって、金照閣踏切の手前にあるバス停。


「金照寺山公園東入口」
太平川・奥羽本線・羽越本線にはさまれた金照寺山公園は、今では存在感が薄れて、そもそも正式な「公園」なのか分からないが、昔はけっこうな行楽地だったらしい(2014年に「にっぽん縦断こころ旅」の目的地になった)。今は、単に「金照寺山(きんしょうじやま)」と呼ぶほうが一般的だろう。城南中学校のある丘。
ちなみに、奥羽本線をはさんで東隣の丘が、一ツ森公園。

北側から。緑の木々が金照寺山
↑下りがあった当時は、向かい側角の白と黒の建物の所にバス停があった。上りは数十メートル先。
なにがおかしいって、「東入口」。
立地を考えれば、どう考えてもおかしい。
地理院地図に加筆。赤い線がバス路線、★がバス停
地形図なので、上が北、左は西。
バス停は、金照寺山の左ふもとにあるのだから、「西」に位置する。これで「東入口」ってことがあり得るのだろうか。
羽越本線ができる前、明治時代の地形図を見ても、金照寺山の形はほぼ同じであって、昔はここが東だったということでもなさそう。

2014年のこころ旅の時に気付いて、記事にしていたのだが、バス停名に表記揺れがあった。
2014年時点では、路線図やホームページの時刻表検索では「~東入口」であったが、現地の表示板は「金照寺山公園」であった。
2019年9月 下り側
Googleマップストリートビューでさかのぼれる最古、2012年9月の画像でもそうだったし、表示板のフォントがJTCウインRであることを踏まえると、このタイプの表示板が設置されていた、秋田市交通局(秋田市営バス)からの路線移管直後=2000年代前半~中頃から、そうだったと考えられる。

その前、市営バス末期の表示板がどうであったか知りたいところだが、知る術はない。【30日コメントをいただき追記・市営バス時代末期から「~東入口」表記だったとのこと。】
当ブログで時々登場する、全バス停名記載の1988年の冊子時刻表では、
「金照寺山公園」
この時も、冊子と現地で表記が違った可能性も否定できないけれど。

ここでこの路線の変遷について。
もともとは「上北手線」という路線名で、南大通りではなく、他の牛島経由各路線と同じく、広小路/中央通りを経由し、上北手古野(この)まで行っていた。
1988年の時刻表
1998年に日赤病院が現在地に移転すると立ち寄るようになった。2001年に中央交通へ移管。2010年には、不採算路線廃止の一環で末端部が秋田市マイタウン・バス化され、日赤病院止まりとなり、牛島経由日赤病院線に。2013年から南大通り経由に変更され、減便を経て、現在に至る。1992年の連続テレビ小説「ひらり」に映りこんだこともあった


現地の表示も東入口となったのは、つい最近、2019年9月から2022年10月の間。現行仕様の太いスーラの立派な表示板だが、表示板のみの交換で、支柱はサビサビ。
なお、2022年10月改正で、片道運行になっている。

近隣のバス停は、
「城南中学校前」

「石塚谷地」
いずれも、JTCウインRの表示板。色あせていて、交換されてもおかしくない状態なのに。
東入口だけ表示板を交換したことになる。倒れるなどして破損した可能性もあるが、表記が揺れているのを直す(つじつまを合わせる)ために、交換した可能性もなくはない。路線図、サイト、(以下未確認だか)車内放送、運賃表示器を更新するよりも、表示板1枚を替えたほうが安上がりだろうから。(憶測です)


どうして「東」となったのか(間違ったのか)、想像すらつかない。その謎を残したまま、消えていく金照寺山公園東入口。
秋田市内では、ほかにも旭北前勝平二丁目、古城苑二丁目といった、由来がよく分からないバス停がある。
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かんぷうざんorさむかぜやま

2024-07-21 20:34:45 | 秋田の地理
大相撲本場所開催中、NHK各放送局の夕方や夜のローカルニュースでは、「県出身力士の今日の取り組み結果(成績)」コーナーがある(首都圏や大都市圏はどうなっているのだろう)。
その名の通り、幕内から序の口まで、放送エリア出身の全力士の勝敗や決まり手が紹介される。幕内以外(?)では、映像は出ないことが多い。

現在開催中の名古屋場所が始まった時、秋田放送局のそのコーナーで、西三段目筆頭に「『龍王(りゅうおう)』改め『寒風山(かんぷうざん)』」という、しこ名の力士がいた。

1992年度後半に放送・2023年に再放送された、NHK連続テレビ小説「ひらり」(この記事など)に登場した、しこ名が現実のものとなった!

ひらりの寒風山は、秋田市出身・梅若部屋。
実際の寒風山は、南秋田郡井川町出身・中村部屋(6月に発足したばかり。それも改名の一因のようだ)。ひらりの放送1年後、1993年11月生まれ。
寒風山の所在地・男鹿市出身ではないが、秋田市からも井川町からも寒風山は見え、親しみがある山。
出身地にちなむしこ名の力士は多い。以前の「龍王」だと、山梨県の竜王(甲斐市の中央本線の駅名)を連想してしまっていた。井川町だと「井川さくら」駅にちなんで、「井川桜」とか?

実際の寒風山について、スポニチが取り上げていた。
「スポニチアネックス」2024年7月1日配信「【名古屋場所番付発表】中村部屋の龍王が「寒風山」に改名 由来は故郷の山、朝ドラ「ひらり」にも登場」では、見出し通りひらりにも言及。
さらに、15日配信「「足が出なかった」と寒風山が黒星スタート。独立と同時に「龍王」から改名も裏には幻のしこ名が存在していた」では、「実は日本相撲協会に改名届を提出した時は違うしこ名だった。」「秋田伝統の「生剥(なまはげ)」というしこ名を熱望した。しかし、協会から「違うしこ名の方がいいのでは」と言われたという。」。
※ナマハゲも、男鹿市の行事。秋田県全域で行われるわけではない。

しこ名について、日本相撲協会から“物言い”が付くとは知らなかった。
最近は、人名同様に読みづらいしこ名(キラキラしこ名?)の力士も見受けるが、それならナマハゲだっていいのでは。
秋田新幹線開業時の列車名で、公募1位の「なまはげ」が見送られ、「こまち」になったということもあった。秋田=ナマハゲがすべてと思われるのも好きではないが、知名度は抜群。別にそんなに避けるべき名ではないとも思う。

第2希望だったのだろうが、決めた本人・部屋側にも、協会側にも、「ひらり」再放送の影響があったのではないか。
作者であり、秋田市生まれであり、相撲好きである内館牧子氏は、秋田魁新報で日曜に月2回、エッセイ【8月4日追記・「内館牧子の明日(あした)も花まるっ!」】を連載している。本件にどんな感想を持ったか知りたいところ。21日が掲載日だったが、特に触れていなかった。
【8月4日追記】その次の8月4日付連載で、「出た! 寒風山!」として全編で言及。「私は「寒風山」という名が大好きで、(ひらりでは)最初から新弟子の四股名にするつもりだった。」。
今回の件を、当時、梅若親方や寒風山を演じた、伊東四朗、小林 健に手紙で伝え「二人とも大喜びである。」。
秋田とゆかりがある前頭・王鵬は、「ナマハゲの化粧廻しも締める。ルーツを思えばのことではないか。」とした上で、寒風山の生剥計画について「何かで読んだ」。「強そうでインパクトのある四股名だが、「生身から剥きはがす」という印象がダメだったのだろうなァ。」と結んだ。(以上追記)



ところで、調べたら、過去にも「寒風山」というしこ名の力士がいた。
「相撲レファレンス(http://sumodb.sumogames.de/Default.aspx?l=j)」というホームページによれば、1949年、南秋田郡飯田川町(井川町の隣、現・潟上市)生まれ、花籠部屋、1970年引退。
ただし、読みは「さむかぜやま」だったらしい。読みの欄に「#」が付いていて、凡例などがなく、その意味が分からなくて気になるのだが。
あえて読みを変えたのか?

(山の)寒風山は、昔は「さむかぜやま」と言っていたらしい。
さらに大昔は、妻恋山(つまこいやま)あるいは羽吹風山(はふかぜやま/はぶかぜやま)と呼んでいて、羽吹風が転じて「さむかぜ」になったとか。とすれば、さむかぜが本来だ。
明治・大正の頃まではそれが一般的だったとの話もある。

ただ、船川で大正~昭和初めに生まれ育ったうちのばあさんは、「かんぷうざん」と言っていた。
余談だが、小学校の遠足は毎年寒風山で、下級生は途中まで、上級生は頂上まで登ったという話を、毎年のように聞かされていた。ふもとまで歩くにも、今の感覚では大変そう。


地元の学校の校歌には、寒風山が歌いこまれ、「さむかぜ」と読むものもあるとのこと。
男鹿市教育委員会のホームページでは、閉校分も含めた市立学校の校歌を、県教委の資料なども使って保存・公開してくれており、ほとんどの学校を調べることができた。以下にまとめる。カッコ内は、作詞者、制定年、閉校年度。
・脇本第一小学校(天野源一、1955年)2番「さむ風山の峰つづき」
・払戸小学校(工藤武雄、1957年、2024年度で閉校)2番「夕べの雲が あかあかと さむかぜ山に 映えるとき」
・美里小学校(近藤貢太郎、たぶん2014年=2014年開校なので)3番「芝山まろき 寒風の」
・五里合中学校(三浦喜栄三、1948年、2007年度で閉校)1番「千万いるる寒風の」
・払戸中学校(柴田金雄、1953年、2007年度で閉校)1番「み柱高き 寒風に」
以上、5校が「さむかぜ(やま)」派。
対して「かんぷう」派は、
・脇本第二小学校(竹内瑛二郎、1955年、2006年度で閉校)1番「空の青さに 寒風の」
1校のみであった。

なお、読みがどちらか分からなかったのが、
鵜木小学校(柴田金雄、1953年、2014年度で閉校)3番「平和の雲よ 寒風よ」、男鹿市外だが、潟上市立天王中学校(竹内瑛二郎、1951年)3番「寒風山よ 海なりよ」。

余談だが、男鹿市立潟西中学校(山田千之、1956年、2021年度で閉校)では、近いのに寒風山は出てこなくて、3番「太平の 嶺はあかるく」。
秋田市の太平山のこと? 八郎潟(制定時は干拓前)の向こうに見えるとは思うけれど。
作詞者は、県立秋田中央高等学校(秋田市立高等学校時代の作か?【22日コメントいただき確定】)、秋田市立山王中学校の校歌も手がけ、どちらにも太平山を「太平」として取り入れている(かがやく 峰の 太平に/鳥海招き 太平なごむ)。
※校歌についての過去の記事 作者山や川

愛媛県・高知県にまたがる「寒風山」もあって、こちらもかつては「さむかぜやま」、今は「かんぷうざん」と呼ぶとのこと。
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受賞した道

2024-07-14 20:44:36 | 秋田の地理
40年以上、秋田市中央地域に住んでいても、まだまだ知らないことも、知らない道もあると、常々思っている。その1つ。
中央地域の南東に位置する、楢山地区の中でも南東、楢山愛宕下(ならやまあたごした)。もともと行く機会が少ない場所だけど、おそらく生まれて初めての道を通った。住宅街の道という趣。

東西方向に200メートルの道。その中間地点に、北方向の道が交わる丁字路。
丁字路東方向。奥が羽越本線、金照寺山
写真右、丁字路突き当たりの所に、電信柱とカーブミラーが立つ。そして、その外側に、見覚えがあるけれど、ここにあるのが理解できないものが立っていた。
反対側から
独特の形状の太めのパイプで囲まれた、青というか紺色地の表示板。設置時期により、色合い(まったく別の色のものも少数あり)、英語(ローマ字)表記、フォントが微妙に異なる。
秋田市都市整備部 都市計画課が、道路管理者に関わらず、市内の道路に対して公募で命名した、「市民に親しまれる道路愛称」を記したサインポール。※この記事参照

「竿燈大通り」など存在も愛称もメジャーなものから、そうでないものまであるけれど、ここは…言っては何だけど、何の変哲もない住宅地の生活道路では。しかもその名が、
「愛宕下町内の通り」
語呂が悪い。「愛宕下通り」などならともかく。

さらに、ポールが立っている場所が、公道上ではないように見える。
ひょっとしたら、地元の人などが市に関係なく、独自に命名し(からみでんぎんざ通りなんてのもあった)、市のサインポールに似せたものを立てたのか? いや、それはないだろう。市章が入っているし、ローマ字やフォントが同一の表示板がほかにもあるので。
(再掲)2010年前後に更新されたと思われる「保戸野みその通り」と同仕様。愛称命名は1983年

さらにさらに、表示の向きがヘン。
道路に対して直角向きに立っている。「愛宕下町内の通り」が東西方向の道路を指すのか、突き当たる北方向の道路を指すのか、分からない。町名としては、どちらも楢山愛宕下だし。
なお、この1本以外には、ポールはなさそうだった。
南側から。突き当たりにポールがある
帰ってから調べた。
「愛宕下町内の通り」という愛称の道路は存在しなかった。だが、秋田市が関わったものではあった。
それは、「市民が選ぶ都市景観賞」。同じく都市整備課所管で、道路愛称より1年早い、1982年度から始まっている。毎年ではなく不定期。
都市景観賞は、官民問わず、建造物(建物やその外構)が選ばれるのだと思っていた。外壁などに「都市景観賞」の金属製の銘板が設置されているのを見ることがある。解体や改修などで、過去のものになってしまったものもあるけれど。
実際には、「街なみ」なども対象で、道路(通り)が受賞することもあり、1983年の第2回受賞の1つに「愛宕下町内の通り」があった。明確にどの区間が受賞対象なのかは不明だが、市のサイトにアップされた、1993年頃のパンフレットの小さな写真を見ると、東西方向の道が写っているようだ。そして、今とはだいぶ雰囲気が異なり、緑が多いお屋敷町といった印象がした。
また、2012年のGoogleマップストリートビューを見ると、その面影がいくらか残っていた。今は、新しい家に建て替わったり、手入れが行き届かず荒れてしまったりしたことになる。


では、サインポールのほう。
1983年の景観賞では、ほかにも道路が複数受賞している。
その1つは「土手長町通り」。ここにもポールが立っている(護岸崩落復旧工事のため撤去中)ので、てっきり道路愛称のほうで命名されたのだと思っていたが、そうではなかった。そして、道路愛称を付けられた道、都市景観賞を受賞した道で、同じ表示が設置されたことになる。
道路愛称では、どこからどこまでと、明確に範囲を示して命名されるのに対し、上記の通り、都市景観賞はあいまいにされている。土手長町は、五丁目橋~二丁目橋は、たぶんそうなのは確実だが、その北、通町辺りまで含めていいのか。旧町名に従えば、千秋矢留町まで土手長町に含まれるのだが。

1983年は「保戸野中町の通り」も受賞。道路愛称命名はされていない。
古くからの高級住宅地として知られるお屋敷町であり、その中に教会(日本聖公会 秋田聖救主教会)があるのが特徴的。
教会と聖使幼稚園(せいし~。聖園=みその とは別)
住宅地のメインの南北方向の道路は、途中で桝形に折れているのだが、その北側・幼稚園の前に、サインポールが立つ。
道路際ギリギリに立つが、裏面も同じ内容
40年ものにしてはきれいに見え、これでもどこかで更新されたのか。土手長町通りもそうなのだが、左下に「1983 都市景観賞」と小さく書いてあった。後年、板面を更新した時に落とされたのかもしれないが、愛宕下町内の通りにはその旨がない。
そして、受賞は「保戸野中町の通り」なのに、サインポールでは「の」が抜けた「保戸野中町通り」としている。だったら、愛宕下も「愛宕下通り」でいいのでは?

同じく「寺町の通り」も。

旭北寺町の寺院が並ぶ通りを指すのだと思っていた。ドン・キホーテの裏手に当たるお寺の塀際に、サインポールがあるのだが。
こんなもの
また「の」を抜いて「寺町通り」になっていて、サインポールはまったく別デザインで、背が低い木製。だいぶ年季が入っているが、判読はできる。当時にしても今にしても、板に、活字をきれいに、耐久性ある方法で刻印できる技術があるのか。「都市景観賞」が独特の手書き毛筆文字だが、これが公式なロゴらしく、1993年頃のパンフレットにも使われており、長沼雅鵬という人の揮毫。

「都市景観賞」の下には、小さい文字で驚くべき記載。
「保戸野鉄砲町 声体寺(※)から 旭北寺町 大悲寺まで」※旧字で「聲体寺」が正式。
受賞したた範囲・区間が明記されていた。だったらほかの道でもそうしてほしい。
その範囲は、思っていた以上に長い。南北方向に、複数の折れ曲がりを繰り返して、1.2キロ。たしかに、本来の「寺町」としてのくくり、街並みとして連続的にとらえて、そうなのだろう。でも、今の市民の感覚では、竿燈大通り北側も「寺町通り」とするのは、違和感がある。【14日追記・その1.2kmの中に、表示はここ1か所しかないはず。】

1983年には「市役所・県庁横の通り」や「川尻広面線」も受賞。これらは、1985年に道路愛称命名の対象となって、今は広く認知される「けやき通り」と「御休通り」。
一方、保戸野中町通りの1本東側が「旭川沿いの通り」として受賞しているが、何の表示もない。

同じ賞を、同じ年に受けたのに、対応がまちまちなのは、ある種の不公平。
また、同じ部署が所管するとはいえ、違う事業の対象となったものを、同じように周知するのは、まぎらわしくもある。
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ヤートセ バス迂回

2024-06-24 00:17:45 | 秋田の地理
アジサイの花とハマナスの果実(花も少々)と秋田中央交通の路線バス
バスは、臨海営業所の日野レインボー2、秋田200か1583。なかなか珍しい、南丹市営バス(京都府。公営企業ではなく、コミュニティーバス)の中古だそう。ワンステップで新しくはないが、そのわりには使いこまれていない感じがする。座席の背もたれの高さが、高いというか揃っていない。

この光景は、年に1~2日しか見られない。普段は路線バスが通らない道だから。【2025年以降は、もう見られないかもしれない。末尾の追記参照】
反対方向
バスは交差点を北へ直進して、菊谷小路バス停へ。
つまり、バスは、秋田駅・広小路から竿燈大通りへ入り、大町西交差点を右折して、旧・亀ノ町(南通亀の町とは別)を走って来た、神田線の下り。
また、アジサイやハマナスが植えられているスペースは、今回の交通規制区間外、交差点より西方向(旧・大工町)の秋田市道の歩道の融雪のための施設(過去の記事)。

6月下旬に開催される、よさこい祭り系の1つ「ヤートセ秋田祭」に伴う交通規制により、迂回運行される時だけ見られる光景。
ヤートセ秋田祭は1998年に始まったそうで、アゴラ広場などで開催した年もあったかと記憶する。ここ十数年は、旭川の西側、通町や大町での開催で定着している。
なかでもここ何年かは、2日間にわたって、通町の車道と、大町二丁目の秋田ニューシティ跡地(大町イベント広場)で開催するのが通例だった。しかし2024年は、23日(日曜日)の1日だけ、通町の道路のみで開催された。
ちなみに、ニューシティ跡地は、祭関係者の駐車場として使われたようだ。跡地半分を秋田いすゞが使ってしまって、祭会場としては使えなくなったということなのだろうか。所有者の辻家としては、どっちみち借用料が得られて構わないのかもしれないが。

いずれにしても、通町の通り(と大町通りの一部)は車両通行止めになり、通町を通る路線バスが迂回を強いられる。
秋田市中心市街地循環バス「ぐるる」と、新屋線、川尻割山線は、交通規制区間をショートカットする形。神田旭野団地線、通町・寺内経由将軍野線、泉ハイタウン線は、上記の通り、本来のルートより南、大町西交差点・亀ノ町を迂回する。
ヤートセのほか、昼竿燈を通町で開催した時にも、同様の迂回運行が行われた。

将軍野線と泉ハイタウン線は、この交差点で大工町方向へ(から)曲がる。
上りが右折して迂回区間へ

祭を横目に
大町西交差点→亀ノ町→菊谷小路は、2024年3月までは路線バスが走っていた。平日朝、片道1本だけの「楢山大回り線」。
さかのぼれば、反対周りの手形大回り線もあったし、本数もいくらか多かったし、一時期は千代田町経由神田線(運行開始間もない、1980年代後半~1990年頃?)も通っていたことがあった。
この区間には「大町西交差点」バス停があった。交差点をはさんで南北に同名バス停があって、その北側のほう。
過去の迂回運行時には、大町西交差点バス停でも、乗降を取り扱っていた。駅発の下り便で。上り便にはそもそもバス停がないが、竿燈大通りへ出てすぐに「大町二丁目」バス停があり、そちらで乗降できたはず。

バス停がなくなった今年は…
「臨時バス停」を設置
春までと同じ位置。
表示板は地色があせ、文字はJTCウインR。以前、(千秋)矢留町に仮置きされていたものと同仕様だが、同一のものではなさそう。時刻表掲出枠なし。

下りで、この次のバス停は、神田線ならすぐに菊谷小路がある。
将軍野線では旭北栄町、泉ハイタウン線では聖園短期大学前となるが、もう1つ、臨時バス停が設置される。通常経路に復帰してすぐ、大工町。
信号の先から交通規制、右が大町西交差点方向

両側に同じもの
地色はあせておらず、角ゴシック体で「臨時停留所」をシール貼りした表示板。他の場面の臨時バス停のポールとして、よく使われるタイプ。
時刻表掲出枠が1つあって、「お知らせ」として、23日9時00分から18時00分まで乗降取扱いし、それ以外は乗降できない旨が告知されている。

この位置の臨時停留所設置は、古くから実施されていた。
(再掲)秋田市営バス最後の2005年6月26日
以前記事にしたように、商店街の道路が拡幅される1998年(4月?)以前は、バス停の位置が異なった。変更前は、下り側の「通町二区」が、この位置にあった。その名残りで、臨時停留所がここに置かれているのだろう。

ただ、(ここ数年は知らないけれど)以前と比べると、下りバス停の位置が、若干移動していた。
左が下り側
今回は、照明の所に置かれた。その西(上の写真奥)には、照明がない植えこみがあって、白い「旧大工町」の標柱や道路標識がある。
標柱は1998年12月設置

2005年は、
上の再掲写真と同時撮影の初掲載写真
↑この時のポールは、市営バスの表記がなく、今回大町西交差点に置かれたのと同タイプ。
バスのすぐ右に標柱があるから、標柱より西、道路標識との間に設けられていた。
道路拡張前の通町二区の位置は、ほぼこの位置だった。お茶店と書店の間。
【24日補足・2024の下の点線は、Microsoft Paintが勝手に入れたもの(バグ?)で、他意はありません。】
若干移動したのは、以前の位置では、書店の駐車場への出入りと重なってしまうからだろうか。横断歩道と近すぎるというほどもでないと思う。あとは設置した社員の気まぐれか。


ところで、本件に限らず(秋田市、秋田県内に限らず)、迂回運行時の代替バス停の扱いは、まちまちだし、周知があいまいで分かりづらいことが多い。
臨時バス停が置かれれば、確実に乗降可能なのだろうが、迂回ルートに他路線の既存バス停がある場合、そこで乗り降りできることとできないことがある。
広小路がイベントで通行止めになる時や、1年前~今春の土手長町の護岸崩落時では、迂回区間にある既存バス停での乗降ができなかった。イレギュラーな対応で混乱を招くおそれや、警察や運輸局からの指導・要請なのかもしれない。
ヤートセの迂回時は、上記、大町二丁目(上り)のほか、川反入口では乗降できそう。一方で、ぐるるは、迂回ルートに二丁目橋バス停があるが、そこでは乗降できない。中央交通による告知ではあいまいで、秋田市による告知もややあいまいだが、二丁目橋は無視していることからできないと思われる。市街地でのきめ細かい利用を目的としているであろう循環バスなら、二丁目橋で乗降扱いしたほうがいいのではないだろうか。車線変更やダイヤ上の制約はないはず。

考えてみれば、神田、将軍野、泉ハイタウン線で、大町西交差点/大町二丁目で乗降させる必要はあるのか。川反入口は、通町の代替として意味があるけれど。
通常ルート時にこの辺りに用事がある乗客なら、通町二区(または菊谷小路)を利用しなければならない。迂回運行時は、その代替である大工町の臨時停留所を使えば、歩く距離はほぼ変わらない。
川反入口と大町二丁目で扱いが違うと混乱させるから、(今年からは)わざわざ臨時停留所を置いてまで対応したということか。
お祭りや道路不通・工事はそれとして、いつもと同じ生活をしてバスを利用しなければならない人もいる。その両者への対応は簡単ではないけれど、方針や告知は分かりやすくお願いしたい。


休日ダイヤの減便が進み、迂回ルートを通るバスは、毎時片道2~3本。それでも、迂回区間内で、バスどうしがすれ違うシーンに遭遇できた。
ちょっときつそう
↑右は中央交通本体では最後の1台となった、いすゞLRジャーニーK・864(小田急中古・ワンステップ)。

【2025年6月27日追記】翌2025年のヤートセ秋田祭は、通町が会場でなくなり、交通規制なしで開催されたため、バスの迂回運行はなし。
会場は、エリアなかいちのにぎわい広場と、再び大町イベント広場。どちらもステージ形式での演舞で、通町で行われていたパレード形式がなくなった。
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緑のかいらげふち

2024-03-29 21:08:21 | 秋田の地理
秋田県能代市、JR奥羽本線・東能代駅周辺の話題を1回だけ。
東能代駅前から南へまっすぐ伸びる秋田県道150号は、535メートル先で国道7号に突き当たる。

信号機周辺などに設置される「主要地点」案内標識、いわゆる「交差点名」看板は、秋田市内の国道以外の交差点ではやる気がない(管理が行き届かなかったり、そもそも設置されない無名交差点が多い)。※主要地点標識は、警察ではなく道路管理者の管轄。
能代でも同じようで、県道150号(と市道)の「東能代駅前」交差点は、判読困難な手書き標識が1方向にだけあって、無名交差点化しそうな気配。突き当たりの「東能代駅入口」交差点は、国土交通省管轄だけに英語入りの立派な標識がある。

その東能代駅入口を左折して東へ進むと、小規模ながらも名前がある交差点が連続する。さすが国道。3つ分進んでみる。
最初は、まだ電球式信号機が設置される、
「一本木」交差点
大字がない、能代市字一本木という地名。東能代駅入口交差点を中心とした一帯で、交差点が東端。
以降進むと、字宮ノ前、鰄渕字一本柳と短距離で地名が変わるが、交差点はなし。一本柳には国土交通省東北地方整備局 能代河川国道事務所がある。
鰄渕字古屋布になって、次の交差点。
「古屋布」
読みは「ふるやしき」と難読。※大字の鰄渕も難読ですが、後述。
初めて知ったが、秋田県内には「屋布」または「○屋布」と書いて「やしき」と読む地名が複数あるそうだ。


引き続き鰄渕字古屋布。すぐ次の交差点があり、ここが本題。
北側の県道64号(起点)と南側の国道7号の自動車専用バイパスである琴丘能代道路=秋田自動車道の無料区間の入口が交わる。バイパス方向はしばらくは歩行者も通行でき、その先が能代東インターチェンジ。角には、2021年にできたイオンタウン能代がある。
そんな交差点の名は、
「かいらげふち」
ここまで読みを示さなかった「鰄渕」である。大字の名を、ひらがなで名乗る交差点ということになる。

「鰄渕(鰄淵)」は「かいらげぶち」と濁るのかと思っていたが、「ふち」が正式なようだ。
三種町にも鰄渕がある(こちらは「かいらぎふち」とすることもあるらしい)そうだが、由来はよく分からない。「鰄」は漢字としては「サメ類の背の中央部分の皮」の意味。

交差点名の表記について。
地名としてはあくまでも漢字なのに、標識をひらがな表記にしてしまったのは、地名に対する冒涜のように思えなくもないが、よそから来た人の読みやすさを考慮すれば、(ローマ字表記があったとしても)そのほうが親切ではあろう。
だったら、秋田市の「八橋鯲沼町」だって「八橋どじょう沼町」「やばせ どじょうぬま町」にしてもいい。難しいところ。
国道沿いは田んぼとロードサイド店舗だが、線路との間は古くからの集落。そこには「国土交通省かいらげふち宿舎」があるので、それにならった表記にしたのかも。

さらに、地名や表記よりも不思議と言えるのが、標識の仕様。
緑地に白文字、ヒラギノ角ゴシック体(「ふ」のデザインからユニバーサルデザイン書体ではない)という、高速道路の標識スタイル。
能代東ICは2006年供用開始。高速道路の標識にヒラギノ角ゴが採用されたのは2010年。ということで、交差点ができてから4年以上経ってから設置された標識と考えられる。それ以前はどうだったのだろう。Googleマップストリートビューでは2012年9月までさかのぼれるが、一部電球式信号機が設置され、標識は今と同じ緑になっている。

一般道でも、インターチェンジの予告などでは、緑の標識が設置されることはあり、それは意味というか理屈は分かる。だけど、これは「この場所」を示す標識であり、ここは高速道路ではないのだから、緑にしてしまうのはおかしい。
この区間の高速道は、東日本高速道路ではなく国交省が管轄しているそうなのだが、気を遣いすぎたのか。


さらに、仮にここが高速道路だとしても、主要地点標識としてこの仕様のものは定められていないと思う。
国土交通省 道路標識一覧より(https://www.mlit.go.jp/road/sign/sign/)
国交省が例示する緑の「富士川」は著名地点のほう。主要地点との違いが(少なくとも素人には)あいまいだけど、かいらげふちは主要地点だと思う。

ほかのインターチェンジ近くの交差点はどうなっているか、ストリートビューで軽く調べた。
「秋田道八竜I.C.入口」、能代南IC「浅内」、二ツ井白神IC「切石入口」、大館北IC「釈迦内」は、かいらげふちと同タイプ。
青森県では「八戸北I.C入口」も緑地白文字で、書体はヒラギノ角ゴ以前の日本道路公団標準文字。
一方、「大曲IC入口」、昭和男鹿半島IC「高速入口」、大館能代空港IC「空港入口交差点(という交差点)」は、一般的な白地青ナールの標識。
緑標識になる法則があるのか、個々・都度の判断なのか、よく分からない。
交差点から先が自動車専用道路であることを強調するために、あえて違う標識にしたのか。だったら、どのインターでも緑にするべきだし、最寄りが無名交差点である秋田北IC、秋田中央ICなどはなくていいのかということになる。

ネットでは、珍しい道路標識、あるいは交差点名があれば、その道の愛好家もしくは気付いた一般人が取り上げて投稿していることが多い。しかし、一般道の高速仕様交差点名について言及したものは見つけられなかった。ついでに、珍名・かな表記である「かいらげふち」の言及も少ない。
疑問に感じる人が少ないということなんだろうか。

ちなみに、石川県ではかつて、青地に白文字(手書き)の交差点名表示があったという。つまり、かいらげふちなどの青版であり、一般的な交差点名表示の反転版である。国道8号線の旧道に多かったらしく、金沢市中心部「香林坊」も2014~2015年まではそれだった。
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手形山の )❘(

2023-11-16 23:18:25 | 秋田の地理
横山金足線こと秋田県道41号の、手形山と旭川・添川地区の間の区間。前回は手形山大橋と手形トンネルについて。今回はこの区間の沿道に唯一存在する施設について。
※2020年3月訪問・撮影。ツキノワグマが出没し得る(というかクマの生息域に道路を造ったと言うべきか)場所なので、通行時は要注意。

トンネル側から行くと、大橋の直前にそれはある。
所在地は「手形字大松沢」。手形山の下の、秋田高校グラウンド一帯(バス停名にもなっている)と同じ。※前回、山の上は手形山であって手形ではないとしたが、地名としては手形山(の一部)も手形なのであった。
標高はバス停付近が14メートル、ここの道路付近は50メートル。

ここまでは草木が茂っていた道路際の斜面が、金属製のカゴに砕石をいれた「蛇籠/蛇篭(じゃかご)」を積み上げたものに変わった。
以前、秋田駅前のビルで装飾的に蛇籠を置いているのを取り上げたが、本来の用途で使っているのを間近で見たのは初めて。

蛇籠が途切れた先には、もう手形山大橋が見えているが、その間は、芝生というか草が生えた斜面になっていて、頑丈なフェンスで仕切られている。

その斜面には、低木を刈り込んで、何やら記されている。大館市早口駅の「田代」みたいに。
この時は早春で冬枯れの色。夏場は繁茂してごちゃごちゃになる時もあるようだが、基本的には定期的に除草・剪定はされているようだ。

低木で記されているのは、秋田市章と「 )❘( 」のような「水」。
斜面てっぺんに看板も出ているが、ここは「手形山配水場」。秋田市上下水道局(旧・水道局)の施設。

蛇籠の手前には、県道から配水場に入る道もあり、案内の看板(道路管理者管轄ではなく、市が設置したと思われる)も立っている。


再掲
手形山配水場は1967(昭和42)年にできており、県道ができる前からここにあった。古い地形図(後述)を見ると、以前は秋田高校グラウンドの坂の下(明日葉作業所入口バス停)で分岐する道に入って、今、手形山大橋が架かる真下辺りで山を登って、敷地に到達していたようだ。大橋や県道の建設工事時に、そのルートの一部は失われ、新たに県道から出入りする道を造ったのではないだろうか。

そんなわけで、手形山のこと、あるいはその中で手形山配水場がある付近のことを「水道山(すいどうやま)」と呼ぶ秋田市民もいる。
前の記事でも触れたように、かつては手形山が公園や行楽地としても機能していた。その場所は、手形山配水場の隣接地だったようだ。手形山配水場自体も、昔は敷地内(斜面の上など)に自由に立ち入ることができたという。今回の写真を見ると、斜面上の看板の左側には、擬木の柵で囲われた展望台っぽい場所もあるが、今は入れなそう。
コメントいただいたように、1990年代中頃までは学校の遠足先にもなっていたそうだ。思ったよりも遅く、その頃には県道や大橋の建設工事が始まるかどうかの頃のはずで、そうなれば手形山にはアクセスしづらくなる。手形山の行楽地機能の衰退は、レジャーの多様化と維持管理やクマ出没もあると思われるが、県道建設が本格化したことも一因のようだ。

なお、秋田市にはもう1つ「水道山」が存在したとのこと。
千秋公園の北側、明徳小学校の北、千秋北の丸の一角。明治時代から「大木屋浄水場(おごや~)/大木屋浄水場濾過池」が存在したため。
おそらく手形山配水場完成と入れ違いで廃止され、跡地は1980年代以降は私立秋田和洋女子高校の体育施設として使われていた。和洋が秋田令和高校になって新校舎ができた現在は、どうしているのか不明。


手形山配水場の「 )❘( 」を見た時、懐かしい気持ちになった。
子どもの頃、自宅周辺の少し高い建物(あるいは千秋公園のどこかや、もしかしたら平地でも見られるポイントがあったかも)から、遠くの山肌に「 )❘( 」が見えて、「あそこが水道山」と教えられた思い出。ここ何十年も見ておらず、ずいぶん久しぶりの再会。
なのだけど…
昔は秋田市章はなかったし、「 )❘( 」は白かった。もしかしたら、今より少し大きかったかもしれない。

「今昔マップ on the web」より。
今昔マップを運営していた、埼玉大学教授の谷 謙二氏が、2022年8月に病気で50歳で亡くなっていたのを知った。ネットならではの地図の楽しみかたを提供してくださったことに感謝。さらなる充実に期待するところだが、今後のサイト運営はどうなっていくのだろうか。
左は1971年、右は現在。地形図には手形山配水場の名称はなし
上画像右の、赤い線を引いたところが蛇籠と「 )❘( 」がある斜面。その直下が手形山大橋。この向きでは、市街地からは見えづらそう。

ズームして、1970年代の航空写真に切り替えると、
これこそ白い「)❘(」。現在は右図の「◯」の位置
かつての「)❘(」は、今より数十メートル南側に、若干南向きに角度を付けて記されていたようだ。現在の手形山大橋の北端付近に当たり、仮に現在あったとしてもその橋桁で隠れて、遠方からは見えないと思う。
ほかの航空写真も確認すると、1994年5月撮影では存在するが、道路建設中らしき1999年5月には見えなくなっている。
ということで、橋や県道の工事に伴い、遠くから見えることは犠牲にして、県道を通る車の目に留まるように、「 )❘( 」の位置と材質を新しくしたのだろう。


ところで、手形山配水場の役割どころか、“水道山”に何があって何が行われているかを知る秋田市民はどのくらいいるだろうか。
秋田市の主要な浄水場は、雄物川下流にある仁井田浄水場と豊岩浄水場の2つ(他にも小規模浄水場があるが割愛)。秋田市街地には、エリアによって2浄水場どちらかで作られた水が供給される(秋田市サイト ページ番号1008407参照)。しかし、平坦な秋田市全域にはそのままでは送れないのだろう。いったん高い位置にある配水場へ水を上げてから、遠方へ送っている。その1つであり、いちばん歴史があって大規模なのが手形山配水場で、仁井田浄水場の水が配水されている。
秋田市の北部、東部、新国道より東側かつ竿燈大通りより北側の中央地域が、手形山配水場からの供給エリア。

僕は、小学校3年生の社会科の授業(副読本「わたしたちの秋田市」)や社会科見学“市内めぐり”で習ったのを覚えているけれど、大きくなってから引っ越して来た人などは知らなくても当然。でも、自分が飲む水がどこからどのようにして届けられるのか(+使用後どこへ行くのか)は、知っておくべきことだと思う。
2023年10月11日には、そんな思いを強くさせる事態が発生した。
仁井田浄水場にある、手形山配水場へ送水するためのポンプが、配管の水漏れ(?)に起因する水没によりすべて故障。故障は朝に発生し、公表は昼。同日夜には、北部全域と東部の高台、計2万世戸で断水のおそれが生じた。
結局、ギリギリで復旧して、大規模断水は免れた。しかし、突然の断水予告にあわてて帰宅した市民や、予告を受けて翌日の休校を決めてしまった小中学校や秋田高専は、混乱を避けるため無駄な休校を余儀なくされるなど、影響はあった。市の発表の手際が良くはないと感じたし、設備更新が進行中とはいえ、仁井田浄水場もほんとに老朽化していると実感させられた。

さらに10月には、東京大学大学院の研究グループが、秋田市の水道水から高濃度のネオニコチノイド系農薬が検出されたことを発表した。
日本の基準値内に収まっているとして【25日補足・水道法で義務付けがないから検査しない、という理由も示しているようだ】、秋田県も秋田市も問題視していないようだが、ユーザーとしてはうれしい話ではない。浄水場での活性炭処理で除去でき、そうしている自治体もあるそうなので、考えてくれてもいいと思うのだが。【2024年6月22日補足・2024年度に水質検査を開始。】

秋田市は大河川の下流に位置し、雪解け水も豊富なので、水不足になることはない。そんな好条件もあって、何も思わずに水道水を使っていたけれど、もう少し思いを巡らせるべきかもしれない。
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手形山トンネルではありません

2023-11-11 16:59:16 | 秋田の地理
2020年3月末のストックネタから。現在も状況は変わっていないと思われますが、ツキノワグマの出没があり得る場所です。クマ活動期の徒歩での通行は控えたほうが無難です。

秋田駅の北東一帯が、手形(てがた)地区。そのさらに北東にある低山が「手形山」。ちょっとした日本昔話もあるようだ。
手形山は昔は、秋田市近場の行楽地だったそうで、手形山スキー場(1980年頃まで??)もあった。今も、Googleマップには「手形山公園」などと記されているものの、実態としてはほとんど維持管理されていない、山同然になっていると思われる。クマもいるし、一般人が手軽に行楽できる場所ではない。

手形山の南東側は、秋田大学医学部附属病院や手形山団地として、1970年代から開発されていた(関連記事)。
一方、北側では、大学病院方向から来た道路(県道41号・通称横山金足線)が、長らく団地の先で行き止まり(狭い坂道で秋田高校横へ下りるのみ)になっていた。その後、団地の北側に谷を渡るような橋と、トンネルが造られ、旭川・添川地区と行き来できるようになって、現在に至る。

その橋とトンネルがいつ、開通したか。興味がない方面だったので記憶にない。Wikipediaなどネット上にも、なかなか情報が少ない。「2000年頃」みたいな記述はあったが。
やっと見つけたのは、県ではなく秋田市の都市計画年表や当時の「広報あきた」。横山金足線(手形工区)の供用開始は、2001年8月1日(13時開通式、15時供用開始。7月29日に開放イベント)であった。
余談だが、ワールドゲームズ秋田大会の直前であり、同じ年の11月には架け替えた秋田大橋が供用開始(当時は建設省管轄)。

この橋とトンネルを含む区間は、1.6キロ。途中に家や店は皆無だが、両側に歩道があり散歩や運動するには悪くないと思って、3年半前、新型コロナウイルスの流行り始めの頃に歩いてみたのであった。※クマへの注意と、途中に横断歩道がないので道路横断は禁物。


まず橋について。
秋田高校の上にそびえ、市街地から緑色の橋桁が見える。カーブがあり、南~西方向が開けて、秋田市街地が見渡せるものの、曇った風よけ板があるせいで、眺望良好でもない。
「主要地点」の案内標識が設置されていて、その名が「手形山大橋 Tegatayama Bridge」であることは知る人が多いだろう。命名としても違和感はなく妥当。
Wikipediaによれば全長368.5m。

では、トンネルのほう。
南側(手形山大橋側)
出入口は両端とも差異はない。
トンネルもカーブしている
トンネルだったら、その名を入口上部に立派な銘板(「坑口銘板」と呼ぶらしい)で記すこともあるのに、ここにはない。手形山大橋と違って、名称の案内標識さえない。

それでも、手形山大橋と対になるトンネルなのだから、順当に「手形山トンネル」でしょと、秋田市の地理を知る人なら、全員がそう考えてもおかしくはない。
Wikipediaには独立した項目はないが、手形山大橋の項目内にそう記されているし、一部地図サイトでも手形山トンネルとされている。
ところがそうではありません。

北側出入口の、南行き車線側の歩道の壁に、小さな銘板があった。
手形トンネル 1995年3月 延長276m」
供用開始の6年以上前(佐々木喜久治知事時代だ)にできていたのもちょっとびっくりだが、名前は「山」が付かない「手形トンネル」だった!
【11日補足・「秋⽥県トンネル⻑寿命化修繕計画(秋田県建設部道路課 2019年10月)」では、1994年竣工とされている。】

2021年にトンネル内に落書きされたことを伝える秋田魁新報では、ちゃんと「手形トンネル」としている。
恥ずかしながら、当ブログでは、過去に「手形山トンネル」としてしまったことがあった。また、供用開始時期の情報をもたらしてくれた、秋田市の都市計画年表と広報あきたでも、どちらも「手形山トンネル」としてしまっている。

負け惜しみになってしまうが、
・「手形」は平地、その上が「手形山」。したがって、トンネルがあるのは手形山であって手形ではない。
・トンネルの所在地は、両端とも旭川地区の「新藤田(しんとうだ)」。したがって、手形ではない。
・同時開通の橋には名称を示し、トンネルには示さないという対応の違いが理解できない。橋の表示に影響されて、トンネルも「手形山~」だと思いこませてしまう。
秋田県の命名センスの悪さ(秋田市の地理を知らない人たちが決めたのでは?)と、周知不足によるものにほかならない。やはり、秋田県の道路管理体制には、道路利用者や住民への配慮が薄く(=押し付けの傲慢さ)、さらに自分たちの仕事への誇りも欠けている(=やっつけ仕事)のではないかと感じてしまう。
【11日補足・トンネル完成直後に、県側が命名のおかしさに気付き、供用開始時に銘板や標識を設置しないことで、トンネル名をあいまいにするという、“隠蔽工作”を行った可能性もあるかも。】

橋とトンネルの間には、家や店はないけれど、暮らしに欠かせない施設はある。続く
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対面通行初日

2023-08-01 23:08:42 | 秋田の地理
昨日の続き。8月1日6時から対面通行化された、秋田市の寺町~大町五丁目交差点の道路。
同時刻に、大雨の被害で通行止めになっていた、秋田中央道路地下トンネルが開通(時間を区切って片方向ずつ)。そちらばかり報道された。
半田葬儀社向かい側から東方向
1日午後時点では、山王五丁目→大町五丁目へ東進する車はまばら。
対面通行化が周知されていないことに加え、最終的には大町五丁目交差点で突き当たってしまうため、恩恵を受ける車はそれほど多くないのだろう。
7月31日時点では、白線が一切引かれていなかったが、道路管理者管轄分・警察管轄分とも一晩できれいに引かれた(交わる道側の一部横断歩道は除く)。各交差点・両方向とも、右折レーンが設けられている。
それに、31日時点では、半田葬儀社前とその西の交差点には、歩行者用信号機が未設置(アームのみ設置)の箇所が多かった(はず)。1日には、すべてのアームに信号機がぶら下げられ、稼働していた。

大町五丁目交差点 東方向
歩道の工事は続くと聞いており、柵による封鎖がまだ続くのかと思っていたら、これも一晩で撤去・開放された。これなら文句なし。※所々、配管などの都合でコーンが置かれた箇所あり。

歩道の路面は、歩行者側がグレー、自転車側が淡いピンクでタイル? ブロック? 敷きに見える。
秋田市道では、近年は、アスファルト舗装にタイルの目地っぽい線を描いた、タイルもどきがよく使われている。
この区間は、道路建設は秋田県が行ったためか、見た目は純粋な秋田市道とは違う雰囲気。本物のタイルかどうかはしっかり確認しないでしまった【遅ればせながら2024年12月5日追記・本物のタイルだった】。


未拡幅の五丁目橋→横町から西進し、大町五丁目交差点を直進する車は、対面通行化区間に入る時に、少し左にハンドルを切らないといけなくなった。
この東西方向側の車両用信号機は、時差式や右折矢印とはならなかった。上記のように現時点の通行量では、そこまでしなくてもいいという判断だろう。

大町五丁目交差点の突き当りには、31日にはなかった、進入禁止と指定方向外進行禁止の道路標識が設置された。でも、色合いなどからすれば、どこかから寄せ集めた中古品。進入禁止のほうには「軽車両を除く」の補助標識がない。
2029年には横町側も対面通行になるからかもしれないが、歩行者用信号機のほうは新品が設置されている。

その歩行者用信号機。大町五丁目交差点は、先立って設置され、カバーが掛けられて待機中だった。
向こう側が双子設置
なぜか未稼働のまま。
以前指摘したように、ここの南北方向は、時差式制御であるのに歩行者用信号機がなかったので、“歩行者も時差式”になってしまっていた。歩行者用を稼働させればそれが解消されるし、何より他の交差点は稼働しているのに、どうしてここだけ、設置だけ先にして稼働は後回しなのか。なにか不都合があるのだろうか。【追記・この後8月8日までに、カバーが取れて、歩行者用信号機が稼働していた。】
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寺町~大町対面通行化

2023-07-31 23:09:28 | 秋田の地理
秋田市の寺町~大町・横町にかけての道路拡張・対面通行化工事。7月初めに、信号機の準備が進んでいることを取り上げた。
その時点では、工事区間の中ほど、半田葬儀社前の交差点で、仮設らしき車両用信号機が1組(両面)あった。
(再掲)東側から
その直後、7月11日頃までに、
仮設撤去・本設置
手前(北東角)に新しく信号柱が立てられ、緑色の車両用信号機が両面設置。歩行者用信号機はアームのみ。

工事区間東端「大町五丁目」交差点は、取り付けアームは左右にあるのに、前回時点では信号機は右側だけだった。
(再掲)
7月25日(とさらに別の日にも)に、また信号機工事がされて、
左側にも設置
右は片面、左は両面。西行き側は左右に2台並び、東行き(一方通行出口に突き当たる)は既存の片面1台が残るので、前後で2台。

さらに、すべての向きに歩行者用信号機が設置された(カバーが掛けられ未稼働)。歩行者用は、未拡幅の東側は既存の電柱に設置され、アームとボディは一般色(たぶん新品)。うち、南側は1本のアームに2方向分(2台)をぶら下げる、“双子設置”(双子設置だけ、少し遅れて設置された)。
車両用信号機は以前からのもの

右手前が双子設置。南北方向の横断歩道まで少々遠い
東側は2029年度に対面通行化される予定。その時には、緑色の信号機に替わるのだろう。
このほかの交差点では、歩行者用の追加設置はなし。


肝心の道路の工事。車道の舗装が進んだ。
半田葬儀社前から東方向
この区間は秋田県が造って、供用後は秋田市道となる。
7月28日に秋田県のサイト(コンテンツ番号75150)に「都市計画道路「川尻広面線」横町工区の供用(対面通行)開始について」が掲載。8月1日・火曜日、朝6時に対面通行での供用開始とのこと。8月以降も歩道等は「当面の間」工事が続く。

7月31日昼時点では、現地には対面通行化を知らせる看板などはなさそう。道路標示や道路標識も、まだなかった。信号機しか準備できていない感じ。これまでだと、標識は先に設置してカバーを掛けていたのに。
東端・大町五丁目交差点
↑例えばここには、進入禁止や指定方向外進行禁止の標識があって然るべきだけど…

大町五丁目交差点から西方向。左側の歩道は封鎖中。早く開放してほしい

開通後の状況
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