狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・大江健三郎批判 天皇は拒否で国王には土下座 

2008-11-15 08:03:01 | 大江健三郎のいかがわしさ

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元戦隊長側が上告/「集団自決」訴訟【社会】  
太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決(強制集団死)」を命じたとする作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、慶良間諸島の当時の戦隊長らが出版差し止めなどを求めた訴訟で、元隊長ら側は十一日、一審に続き訴えを退けた大阪高裁判決を不服として上告した。

 上告について、元隊長ら側弁護団は「控訴審判決は一定評価できるものの、名誉棄損の最高裁判例を変え、人格権を著しく後退させた」と説明した。

 一方、大江さんは弁護士を通じて「この訴訟が、高校教科書から『軍の強制』が削除されるきっかけとなった。最高裁判決が元に戻す力となることを信じる」とのコメントを出した。

                                            ◇

大阪高裁の小田裁判長は、「老い先短い元戦隊長の人権侵害は我慢せよ!」

としてノーベル賞作家と大手出版社の人権蹂躙を看過し、表現の自由を認めた。

被告の一人であるノーベル賞作家大江健三郎が、いかにいかがわしい人物であるか。

以下、評論家渡辺望氏の「大江批判」の続編です。

 

参照:ノーベル賞作家という虚像!大江健三郎


 

 '08.10.18 ●渡辺 望氏 「ノーベル賞作家」という虚構 -大江健三郎への再批判- 

(承前)

文学賞というのは、どんな国のどんな文学賞であっても、選考委員会の文学観によって、意外な受賞者や候補者を生む。たとえば純文学に対しての我が国最大の文学賞である芥川賞は、選考委員の作家の文学観の対立が、選考委員会上の激しい議論や選考委員の辞任といったエピソードをさまざまに生んできた。石原慎太郎や田中康夫の受賞をめぐっての選考委員会の荒れぶりは特によく知られている(後者は受賞に至らなかった)。だが、徳岡が伝えるところによるノーベル文学賞委員会の日本文学に対しての状況は、委員どうしの対立を生む以前の状態にあったことを示している。対立もなにも、日本文学への文学観そのものが、選考委員会に存在していないのである。

 このエピソードはノーベル文学賞受賞に近づくために、まず、翻訳された小説が委員たちの身近になければならない、という条件が存在している、ということを意味している。しかしこのことは、日本文学が国際的・普遍的に読まれているのか、ということとはまったく無縁である。アメリカや中国、アフリカで大ベストセラーになっても、スウェーデンあるいは北欧という限られた地域で翻訳されていなければノーベル文学賞としては話にならないからである。

 受賞候補になった後の大江が急にいたるところの国内・海外講演会で、スウェーデンの文化・文学を褒め称える「おべっか」をつかったということは、大江がこのノーベル文学賞というものが、日本の世評に反して、おそるべきダークゾーンを抱えていることに大江が気づき、彼の戦略を実行に移した、ということに他ならない。そして大江は、川端や三島や安部がおこなわなかったような範囲の行為に及ぶ。単にスウェーデンの書店に並ぶだけでなく、スウェーデン人の日本人への無知を逆手にとって、「自分は日本において数少ない、これほどスウェーデン文化の精通者であるのですよ」という巧みな営業行為をおこなう。

 しかもこのノーベル文学賞選考委員会の日本への無知は、21世紀になった現在もまったく変わっていないのである。たとえば現在、日本人作家で毎年のようにノーベル文学賞候補になり、受賞にもっとも近いポジションにいるのは村上春樹である。作品内容的に、村上春樹とノーベル賞の結びつきを意外に思う日本人も多いだろうが、しかし、海外翻訳ということからすれば、村上の小説は日本人作家でもっとも外国語に訳されている小説家なのである。村上自身も外国語で執筆したり翻訳する能力を兼ね備えている作家である。当然、村上の小説はスウェーデン語でも多く読まれている。すなわち、ノーベル文学賞受賞のための重要な第一段階を楽々クリアしているのだ。「翻訳が多い」ということがただちにその作品がインターナショナルであることを意味 するわけではもちろんないはずである。しかし、こんなことだけが、候補作になる重要な理由の一つである。もちろん村上は大江のように営業をしているわけではないのであるが。
 
 それではこの問題多きノーベル文学賞の選考委員会とは、いったいどのような背景をもつ組織なのであろうか?

 漫画や演劇を通じてよく知られている『ベルサイユのばら』の物語の中で、マリー・アントワネットと、ヴェルサイユ宮に出入りするスウェーデンの貴族フェルセン(フェルゼン)との間の不倫のロマンスに胸をときめかした日本人は少なくないであろう。フェルセンは実在の人物で、マリー・アントワネットとの情事も歴史上の実話である。彼はスウェーデン国王グスタフ3世の命令を受けて、フランス革命の妨害工作を託された政治的スパイであり、アントワネットとの情事も、グスタフ3世の意図命令によるものだった。
 
 このグスタフ3世という人物は、このフェルセンの派遣にみられるように、当時、ヨーロッパに高まりつつあった民衆革命の風潮に対して激しく反発し、その殲滅をはかった絶対専制君主の一人である。対外的にも、フランス、オーストリア、ロシアと肩を並べるスウェーデンの強国化を目指し、ロシア・エカチェリーナ2世と、フィンランドその他の領有を巡り、激しい戦争を繰り返した。グスタフ3世はデンマークにも触手を伸ばし領有化を目論んでいる。フランス革命潰しの政治的謀略といい、大国化への志向といい、グスタフ3世という国王は現在のスウェーデンのイメージと異なる方向性を導こうとした人物であったと言えよう。彼はその強引な絶対君主主義・大国化路線に反発する政治勢力の策謀により、46歳で暗殺の憂き目に遭うが、彼こそ、ノーベル文学賞にたいへんゆかりのある人物なのである。

 ノーベル賞という賞はそもそも、スウェーデンの公的機関が複雑に絡み合いながら存在する、スウェーデンという国の対外的な文化勲章という性格を有する賞である。受賞賞金をはじめとする資金面を提供するのは周知のように基本的にノーベル財団であるが(経済学賞だけ別)選考その他、受賞の実権を握っているのは主にスウェーデンの公的機関の幾つかである。ただし、平和賞についての決定権限はスウェーデンの隣国ノルウェー国会が有している。その他の賞については、物理学・化学・経済学賞についてはスウェーデン科学アカデミー、医学・生理学賞についてはカロンリスカ医科大学が決定権限を有している。

 このスウェーデン科学アカデミーとは別個にスウェーデンアカデミーという学士院的機関が存在しているのだが、このスウェーデンアカデミーが文学賞についての全権をもっているのである。スウェーデンアカデミーは18人の終身身分の委員の文化人によって構成されているのであるが、このスウェーデンアカデミーを創設した人物がグスタフ3世である。

 このスウェーデンアカデミーは、グスタフ3世の創設の精神の国語方面からの維持、すなわちスウェーデン語の徹底的な明確化、国民教育化ということをこなすことをそもそもの目的としている。文学についての機関でなく、国語についての機関なのである。スウェーデンアカデミーのこの目的は現代においても継続しており、スウェーデン国内の文学にかかわる出版や宣伝でさえ、スウェーデン語に関係する事業に比べれば二次的な仕事とされている。しかし様々な事情を経由してノーベル賞の設定と同時に、ノーベル文学賞についての権限をあたえられることになった。

 すなわち、スウェーデンアカデミーという組織は、ノーベル文学賞のために設置された組織でもなければ、現実的にノーベル文学賞に携わることを第一義にしている組織でもない。絶対専制君主によって創立された王立組織ということ、スウェーデンの国民国家化をスウェーデンの国語の確立という面から推進維持する組織であるということがその大きな性格なのである。こうしたことを考えれば、スウェーデンアカデミーに、日本文化や日本文学に精通している人間がほとんどいないのは至極当然のことであろう。

 あれほど日本の皇室や日本の対外戦争について喧しい発言を続けてきた大江は、こうしたスウェーデンおよびスウェーデンアカデミーの背景については、批判的発言はただの一言もない。グスタフ3世と昭和天皇を比較して、どちらが「民主主義」的で、どちらが「反民主主義」的かは、誰が考えてもあまりにも明白なことであるというべきであるにもかかわらず、である。

 しかし、そもそも大江という人間はこうした公平な歴史的判断ができる人間ではない。大江の言葉の世界の観念構造は、公平を志向するようにはできていない。私は前回人形町サロンに寄稿した論文で、大江の言葉の世界とは、「選ばれた読者」を絶えず見極め、その「読者」に巧みに媚びることである、と言った。大江にとっては、現実的に存在したグスタフ3世も昭和天皇も二の次の問題なのである。つまり大江は彼にとってはごく自然に、「選ばれた読者」を、スウェーデンアカデミーおよびスウェーデンというものに定め、その「選ばれた読者」との一体化を実践していくという彼の本領を如何なく発揮していくのだ。大江にしてみれば、ノーベル文学賞を巡ってのさまざまな営業は、彼にとって得意中の得意のゲームを演じるといいような認識であったに違いない。

 ここでスウェーデンアカデミーをはじめ、スウェーデンの諸氏にむかっての大江のノーベル賞受賞講演『あいまいな日本の私』の、「戦後民主主義」者としての大江の自覚にあたると思われる箇所を引いてみよう。

1)日本近代の文学において、もっとも自覚的で、かつ誠実だった「戦後文学者」、つまりあの大戦直後の、破
 壊に傷つきつつも、新生への希求を抱いて現れた作家たちの努力は、西欧先進国のみならず、アフリカ、
 ラテン・アメリカとの深い溝を埋め、アジアにおいて日本の軍隊が犯した非人間的な行為を痛苦とともに償
 い、その上での和解を、心貧しくもとめることでした。かれらの記憶されるべき表現の姿勢の最後尾につら
 なることを、私は志願し続けてきたのです。

2)現在、日本という国家が、国連をつうじての軍事的役割で、世界の平和の維持と回復のため積極的でな
 い」という、国際的な批判があります。それはわれわれの耳に、痛みとともに届いています。しかし日本は、
 再出発のための憲法の核心に、不戦の誓いをおく必要があったのです。痛苦とともに、日本人は新生のモ
 ラルの基本として、不戦の原理を選んだのです。それは、良心的徴兵拒否者の寛容において、永い伝統を
 もつ、西欧において、もっともよく理解されうる思想ではないでしょうか?
(続く)
                                           
                   ◆

 

10月25日、言論封殺魔こと佐藤優氏の講演会が行われた同じ会場で、11月30日(日)「沖縄と日本の未来を考える講演会」が行われる。

講師は「集団自決裁判」の原告側弁護団の士松本、徳永両弁護士。

最高裁への上告が済んで愈々「法廷外闘争」の一環だろうが、原告側にとって沖縄は、マスコミはすべて敵のアウェイの土地。

当然マスコミは無視するだろうが成功して欲しい。

 

■横田めぐみさんと「米兵拉致女子中学生」■

今日(11月15日)で横田めぐみさんが、北朝鮮に拉致されて31年がたつ。

北朝鮮が約束した拉致問題の調査のやり直しが延期されるなど、先行きが見通せないなか、めぐみさんの両親は

「解決にこれだけの時間がかかっているのは異常で、政府は強力な交渉で被害者の早期救出を図ってほしい」と訴えている。

沖縄の新聞は、不良中学生と不良米兵の「ナンパトラブル」には米兵による拉致だとして「県民大会」まで開いて人権蹂躙だと大騒ぎするが、その一方、めぐみさんの拉致には非常に冷たい。

横田夫妻が拉致問題を風化させまいと、これまで全国で1000回以上の講演会を開いているのに、筆者の知る限り、沖縄での講演会はたったの一回だけ。 

それもマスコミ各社の本社がある那覇市ではなく、石垣島まで出張して講演会をしたというから、沖縄のマスコミの人権感覚は推して知れる。

北朝鮮が行った拉致には頬かぶりを決め込んでおきながら、

その一方で不良米兵のナンパトラブルには、

「いたいけ少女の人権蹂躙」と県民大会を扇動する。

まぁ、沖縄の新聞の正体なんてこんなもんでしょう。

何しろ「言論封鎖魔」に平伏して自由気ままにに紙面を提供するくらいだから。

そのうち、何かの拍子に「言論封殺魔」の逆鱗に触れて、沖縄マスコミも言論封殺されますよ。

そうなったら、「魔」から「魔王」、いや、「大魔王」に昇格しなきゃ。

「ラスプーチン言論封殺大魔王」とか・・・。

クワバラ、クワバラ。

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コメント

小林よしのりvs佐藤優の大戦争!罠にかかった小林よしのり

2008-11-14 08:04:14 | 県知事選

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昨日(13日)の朝、当日記は「アクセス殺到」により、一時アクセス不可能の状態になった。

コメント欄の源さんにより、「SAPIO」11月26日号が前日発売され、連載中の「ゴーマニズム宣言」で当日記が紹介されていたと知り、そのせいで時ならぬアクセス殺到になったようだ。

通常は一日2000前後のアクセスだが、12日、13日の二日間で万を越すアクセスがあったのは当日記では初めての経験である。 「ゴーマニズム宣言」様様である。

アクセスは「戦争勃発!小林よしのりvs佐藤優」に集中しているが、沖縄での書籍発売は一週間近く遅れるので筆者は「SAPIO」をまだ読んでいない。

だが、上記エントリで書き忘れたことを書いておきたい。

先ず、同エントリで次のように書いた。

 <(講演)内容は自分のアイデンティイからグルジア問題に至る広範囲な話題を広く浅く、自分のユニークな体験を交えて興味深く話し、質疑応答にも丁重に答えていた。

 
ただ、演題の小項目の中に「沖縄は同調圧力の島か」があって、終始小林よしのりを意識した発言をしていた。
 
「小林よしのりが沖縄を書くのは金儲けのためである」
 
「金儲けには品性のある金儲けと品性のない金儲けがある」
 
「小林氏の金儲けは品性がない」
 
と手厳しいが、どこが品性がないのか詳しい説明はなく、沖縄の新聞が偏向しているという批判に対しても、
 
「沖縄の新聞は、賛否両論を掲載するので公平であり、偏向はしていない」・・・とのこと。 
 
この方、沖縄の新聞の言論封殺に付いてはご存じないようだ>
 
 
佐藤優氏は、「護憲」、「沖縄の血」、「沖縄独立」といった沖縄紙が喜ぶようなキーワードで沖縄紙に擦り寄って、「集団自決訴訟」では「手榴弾で自決したのだから隊長命令がないはずはない」と尻尾を振って見せている。
 
おまけに中央文壇で売れっ子のラスプーチン先生とあれば、沖縄紙が、泣いて喜んで紙面を望みどおり提供する。
 
沖縄紙は自分と異なる意見には編集権云々で言論封殺しておきなが同じ意見であれば、内容を検証することなく無節操に紙面を提供することは実証済みである。
 
これは沖縄紙の特質をモロに表した大爆笑劇である。

琉球新報の大失態!幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

 
「沖縄紙は偏向しておらず、むしろ公平である」
という佐藤氏の意見は、沖縄紙に対する不勉強か、さもなくば佐藤氏独特の「相手に近づくためには無節操に揉み手をするインテリジェンス・ポリシィ」と揶揄されてもしかたがない。
 
沖縄には、少なくとも沖縄マスコミには、小林よしのり氏がいう「同調圧力」や言論封殺は存在する。
 
沖縄紙の言論封殺については、「沖縄イニシアティブ方式」と揶揄される卑劣な手段で沖縄紙の論壇から異論を述べる多くの「識者」が放逐されている。
 
実は小林よしのり氏もこの「沖縄イニシアティブ方式」犠牲者である。
 
沖縄の作家・目取真(めどるま)氏が琉球新報で小林氏を批判というより、罵倒したのがことの発端であった。
 
ことの詳細は雑誌『WILL』増刊号に「これが沖縄の言論封殺だ」というタイトルで、筆者(狼魔人)が寄稿してあるので読んで欲しいが、一部を抜粋して以下に引用する。
 
『WILL』増刊号掲載
 
『これが沖縄の言論封殺だ』
 
(前略)

■「沖縄イニシアティブ」方式
 平成二十年三月二十七日付け琉球新報「声」欄に次のような投稿が載った。
《県民大会論争について  浦添市 S・S・(62歳)
 3月20日(の)本欄は良かった。県民大会への賛否両論が併記され、どうすべきか迷った人も結論が出せたと思う。新聞の使命は「偏見なく真実を報道」。だが、偏りがちなのも現実。その点、投稿は両論併記が簡単だ。 賛否を決めるときは多少稚拙でもそうしてもらえばと願う。(以下略)》
 琉球新報は時折、アリバイ作りのように自社論調にそぐわない「投稿」「寄稿」を掲載する。右のS氏は琉球新報の一見公平に見える両論併記の裏に潜む「沖縄イニシアティブ」方式という卑劣な言論封殺手段をご存知ないのだろう。
 二十日の「声」欄の論争も一見両論併記に見えるが一人の投稿者を複数の反論者で袋叩きにする「沖縄イニシアティブ」方式そのものであった。
 「沖縄イニシアティブ」方式の由来は後に譲るとして、最近の例では目取真俊氏と小林よしのり氏の論争に琉球新報はこの汚い手を使った。

■罠にかかった小林よしのり
 その経緯を「ウィキペディア」が、次のように書いている。
《目取真は『琉球新報』でも小林を中傷。小林は自ら申し出て反論文を掲載。だが反論一回きりという条件だったため、以降は『琉球新報』と目取真のコラボによる小林中傷特集としか言い様がない些かアンフェアな状況に。沖縄に巣食う同調圧力の象徴とも見なされている。》
 また、最近発売された小林氏の著書『誇りある沖縄へ』(小学館)には、琉球新報と小林よしのり氏とのやり取りが次のように説明されている。
だいたい、この連載には「目取真(めどるま)・小林論争を中心にというサブタイトルがついとるけど、わしは目取真俊への反論は一回しかさせてもらっていないんだからね。 〇七年十一月三日に目取真が「風流無談」というコラムでわしを批判した後、琉球新報の記者が「何回かの連載になってもいい」と言うから反論を書くことにしたのに、書き始めた途端に「小林さんの反論は今回限りにさせてもらいます」と言ってきた。(中略)。
 で、わしの反論が掲載された一週間後には、目取真の再反論が紙面に載った。さらに渡名喜(渡名喜守太・沖縄紙を根城にする左翼学者―筆者注)の連載も始まった。でも、わしはもう反論させてもらえない

 このくだりを読んで、琉球新報の罠に見事に引っかかって憤慨する小林氏の姿が想像され、失礼ながら思わず吹き出してしまった。
 琉球新報の常套手段を知らずにこの「論争」を読んだ読者は、おそらく次のような印象を植え付けられただろう。
「沖縄の作家や学者はすばらしい。あの論客の小林よしのりが、たった一回しか反論できず論破されたあげく尻尾を巻いて逃げたのだから」と。

■沖縄紙の共同開発
 では、そもそも沖縄マスコミの常套手段である「沖縄イニシアチブ」方式とは何なのか。
「沖縄サミット」を目前にした二〇〇〇年五月~六月、沖縄の新聞紙面を賑わせた「沖縄イニシアティブ」論争に端を発する。
 沖縄の新聞を舞台に、沖縄の保守系学者が沖縄の将来を展望した政策論を発表したが、これを、数を頼んだ沖縄の左翼学者が袋叩きにした。その論点は肝心の政策論からイデオロギー論に摺りかえられ、左翼学者を支援する沖縄紙の画策もあった。
 そのために以後、沖縄の保守系学者は物言えば唇が寒い状態に置かれ、沖縄二紙は左翼学者の独占状態になる。(略)(WILL創刊号「これが沖縄の言論封殺だ」より抜粋)

                   ◇

「佐藤優講演会」で「小林よしのり講演会」に関して述べた部分で書き漏らしたことは次の通り。

佐藤氏は、沖縄紙の言論封殺を知ってか知らずか、

「沖縄紙は公平だ」と述べて、「反対意見は載せてくれない」という沖縄大学M教授の言葉を引用して同氏を次のように批判した。

「新聞が掲載しないのは載せる内容ではないからだ。新聞が掲載するような中身のある論文を書いてみよ」(要旨)

その後続けて、会場の記者にM教授との公開討論を呼びかけていた。

沖縄紙主催の論戦には、くれぐれも「沖縄イニシアティブ方式」にご用心を。

「おまけ」

沖縄紙の言論封殺を書いたエントリ

「輩」は使用禁止用語?小林よしのり氏沖縄講演会

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コメント (9)

天声人語はビョーキだ!

2008-11-13 08:40:23 | 県知事選

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天声人語
2008年11月12日(水)付


 雷が落ちたかのように驚いたと、去年亡くなった宮沢喜一元首相は回想している。日本の占領時代、帝王のように君臨していたマッカーサー元帥が、トルーマン大統領に解任されたときの話だ▼朝鮮戦争をめぐっての、米政府の政策を顧みない言動が、解任の理由だった。帝王より偉い人物がいることに日本人は驚く。「シビリアン・コントロール(文民統制)とはこういうものか」と若き宮沢は目を開かれる思いだったらしい▼軍隊を文民政治家の指揮下に置く仕組みは、民主国家の原則とされる。それを軽んじる、横着な空気が自衛隊にあるのではないか。航空自衛隊トップの「論文問題」に、封印したはずの「戦前の臭(にお)い」を嗅(か)いだ人は少なくなかっただろう▼その前航空幕僚長への参考人質疑が国会であった。先の戦争についての、政府見解に反する論文への反省は聞かれなかった。「武器を堂々と使用したいのが本音か」の問いには、「そうすべきだと思う」。あれこれ答弁を聞けば、5万の隊員を束ねる人として、不適切と見るほかない▼昭和の旧軍は、「政治に拘(かかわ)らず」の軍人勅諭に背いて横車を押しまくった。ついには政治をほしいままにして戦争に突き進んだ。時代が戻るとは思わないが、武装集団に妙な政治色が透けるようでは国民は不安になる▼ところで今日は、戦争犯罪を裁いた東京裁判の刑の宣告から60年になる。文官では元首相の広田弘毅ひとりが極刑になった。軍に抗しきれなかったとされる宰相の悲運は、文民統制なき時代の暗部を伝えてもいる。

                     ◇  

天声人語は「田母神論文」で、小躍りしてモノが見えなくなった。

喜びのあまりに、大きな事実誤認をした。

シビリアン・コントロールの例として、

マッカーサー解任劇と今回の田母神空幕長更迭を比べて、

アメリカの徹底したシビリアン・コントロール振りを賞賛している。

その例として、「若き日の宮沢氏」まで引っ張り出して感心しているようだが、

両者の「解任劇」は全く次元の違う問題である。

こんなところで引っ張り出されたマッカーサーやトルーマン、それに宮沢元首相も草葉の陰で驚いているだろう。

 

当時のマッカーサー 元帥は軍人の肩書きをもってはいても、日本統治の最高責任者という政治的立場にある政治家であった。

その軍人の姿をした政治家が、上司であり絶対的権力を持つ大統領の政策と異なる言動を取れば解任されるのが当然であり、

何もわざわざ宮沢元首相の回想まで引用して驚いてみせる問題ではない。

一方、田母神前空幕長は自分の立場を忘れて「政治的言動」を取ったのではなく、

歴史、それも戦史に属する論文を発表したに過ぎない。

これを「朝鮮戦争をめぐっての、米政府の政策を顧みない言動が、解任の理由だった」

というマッカーサー解任の理由と比べられたら田母神氏はとんだ迷惑だろう。       

 

> 昭和の旧軍は、「政治に拘(かかわ)らず」の軍人勅諭に背いて横車を押しまくった。ついには政治をほしいままにして戦争に突き進んだ

ここまで来ると、

これはビョーキだ!

時は一気に戦前にジャンプして、田母神氏を「政治をほしいままにして戦争に突き進んだ旧軍」に強引に結びつける・・・。

こうなると、もはや朝日独特のビョーキの発症だとしか思えない。

このビョーキにはどんな症状が続くかって?

◆耳鼻科系⇒キナクサイ臭いがしだす⇒軍靴の響きが聞こえ出す 。

眼科系⇒いつか来た道が見え始める。

精神科⇒「カメ虫」が見え始める。  

カメムシ先生「君が代訴訟」で敗訴確定!

     

ビョーキを放置すると慢性化・複合化して「国籍同一性障害」に進展するおそれもある。

病名 【国籍同一性障害】( こくせきどういつせいしょうがい )とは、

患者自身が日本人であるにも関わらず、自分があたかも中国人・朝鮮人であるかのような錯覚に陥る一種の精神病。

何故か 中国・朝鮮が素晴らしい国・国民であるかのような幻想・シンパシーを抱く 。

症例⇒某ノーベル賞作家

「他国民」である日本・日本人が悪辣で卑怯・無知蒙昧な存在だと思い込むようになる 。

例⇒某ノーベル賞作家

 病状が進むと、自分たちの属する日本国家・国民を根拠無く貶め、批判し、あげつらうことで 自分自身がまるで 正義の味方であり、人権感覚に溢れる国際派であり 弱者の擁護者であり、不正の告発者であり、先進的な改革者であるかのように思い込むようになり それにより 精神的な満足感を得る、といった相当に重篤な症状が発現する。

症例:某ノーベル賞作家

 自分の考えが唯一絶対だと確信しているので、絶対に妥協しない。

あらゆる機会を捕らえて相手方を非難・誣告する 。

日本国家・日本人を自分たちの「敵」であると定義しているので、どんなに不当・理不尽な 言いがかりが日本に及んでも、患者自身が感じるのは達成感・幸福感・高揚感だけである。

症例⇒某ノーベル賞作家 

 外国メディアの論調が日本批判だった場合、彼らと「一体になれた」ような錯覚に陥り、幸福感は頂点に達する。

実際には、自分たち自身が その批判されている「日本人」そのものなのだが

 どんな内容であれ、日本・日本人が攻撃を受ければ受けるほど、ますます自分の正しさ・正当性を確信する。

症例⇒某ノーベル賞作家

 自分たちが国際社会で支持を受けていると思い込んでいるので、いつも「日本は国際社会・アジア諸国から孤立している」
などと主張し、従って日本は自分たちの言うことを聞くべきだ、と結論付ける。

症例⇒某ノーベル賞作家

なお、患者の主張する「国際社会・アジア諸国」とは ほとんどの場合、「中国・韓国・北朝鮮」の 3カ国だけであり、これらの国がしばしば世界全体から孤立し、嫌われていることには気付かないのが通常である。

症例⇒某ノーベル賞作家

 彼らの日本への攻撃は、そのほとんどが 愛する中国・韓国・北朝鮮自身への攻撃にもなっており、自爆が多い 最近では、病状への世間の理解も進み、当然の如く賛同者が減ったため、患者の生活権が脅かされている。

症例⇒某ノーベル賞作家

 治療法はあるにはあるが、自覚症状がほとんど現れないため、手遅れになるケースが大半である。

この病気は「フェミニズム」と言う新種の病気に転移する事でも知られている。

症例⇒某ノーベル賞作家

数々の臨床例によりこの患者は、ある特殊なものに脊髄反射して幻覚症状に陥ることが判明している。

 

参考エントリ:日の丸裁判 教諭側敗訴確定

                     

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田母神氏とソクラテスの弁明

2008-11-12 07:50:21 | 県知事選

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今日のエントリは大江批判の続編の予定だったが、今朝の「みのもんた朝ズバ!」で、みのと毎日新聞の与良正夫氏が田母神氏はまるでヒトラーの化身のような扱いで罵倒しているのを見て、急遽予定変更です。

我が沖縄タイムスも昨日の夕刊だけでは満足できず社説にまで取り上げて「首相の見解を聞きたい」ときた。

沖縄タイムス昨日(11日)夕刊の、田母神氏国会招致に関する見出し紹介。

一面トップ

<前空幕長、改憲も主張>

懸賞論文紹介認める 参院外防委

一面の大見出しは田母神氏が憲法改正を主張したのが怪しからん、というつもりだろうが、自分の存在を否定するような憲法に改正を求めるのは当然のことで、むしろ空爆長の立場で護憲を主張したら偽善者と言われただろう。

軍隊(自衛隊)の存在自体を否定する憲法の下で国を護れと強要する方が異常である。

米基地に勤めながら「米基地反対!」を叫ぶ米軍基地労働者の組合も自己矛盾に耐えられず、「平和センター」から脱退したではないか。

全駐労脱退を了承/平和センター 運動後退否定【社会】

 

◆社会面左トップ

前空幕長招致 <文民統制軽視 反省なく>

論文の正当性強弁

政局絡みで招致利用


「反省なく」とか「正当性強弁」というが、

自分が正しいと思ったことを主張して、これを国会招致で問われたので弁明したわけだ。

田母神氏が反省するいわれはない。

 

哲人ソクラテスは、国家と異なる言動をした罪で裁判にかけられ評決の結果死刑を宣告された。

自論を取り消して反省すれば助かったが、反省を拒否し、「ソクラテスの弁明」を行った後、国の裁決に従い、毒杯をあおって果てた。

田母神氏は哲人ソクラテスに倣って国会で弁明した。

勿論、反省もしなかった。

信念を述べて反省するはずはない。

だが田母神氏は空幕長を解任され事実上の辞任勧告をを受け入れている。

既に国の「裁決」(更迭ー解任)には従っており、これ以上の毒杯をあおる必要はない。つまり退職金まで返納する必要はない。

                     *

民主主義社会では法律の制定に国民が関与している。

従って自ら設定に関与した法律に自分に不都合だという理由で従わなかったら民主主義社会の秩序は保たれない。

ここで重要なのは「反対意見を持つこと」と「従わないこと」は似て非なるものであり、

二者は厳密に峻別しなければならない。

公務員である教師が、思想・信条の自由を主張して「国旗国家法」に反対意見を持つのは自由だが、

国家斉唱等の行事でこれに従わないのは、思想・信条の自由とは別問題でである。

田母神前航空幕僚長は、「政府見解」に反対意見を表明したが、政府の方針に従って解任され職を失った。

田母神氏は、「村山談話」という「悪法」に公然と反対意見を主張したが、悪法とはいえ政府見解なので、「悪法」にに従って処分されたわけだ。


【田母神氏招致】(2)「論文いささかも間違っていない」
田母神俊雄・前航空幕僚長は11日の参院外交防衛委員会での参考人招致で、自らの解任について、「シビリアンコントロール(文民統制)の観点から防衛相が村山談話と見解の相違があると判断して私を解任するのは当然だ。しかし、私は私の書いたものはいささかも間違っているとは思っていないし、日本が正しい方向に行くため必要なことだと思っている」と述べた。産経新聞2008年11月1日)

                    ◇
 

ソクラテスが「悪法も法である」と言ったかどうかはともかく、

古代ギリシャの哲人は法が自分に都合の悪い判決を下しても、それを受け入れなければならない、ということを身をもって示した。

だが哲人の遺志を誤解してはいけない。

ソクラテスが示したのは、

悪法にも唯々諾々と従えという意味ではない。

法が常に正義であるとは限らないので、

間違った法は正していかなければならないということを示したのである。

田母神前空幕長が改憲主張 参院委で「直した方がいい」    11/11 13:36  【共同通信】 

自分の存在を否定するような憲法の下で国を護る志気が上がるはずがない。

ならば「直した方がいい」に決まっている。

民主主義社会では、一旦決めた法が不磨の大典であってはいけない。

つまり「法は改正できる」ものであり、それが「法治国家」というものの正しい姿である。

そもそも戦後60数年も経って一度も「憲法改正」していないのは、日本くらいのもの。

自衛隊の大先輩である評論家の志方俊之氏は、

国会の場で憲法改正を堂々と述べたことは画期的である。 自衛隊員の殆ど全員が憲法改正を望んでいる」と田母神氏を賞賛している。

同じ論理で、「村山談話」が「悪法」であることを論ずべく、田母神氏は国会招致に望んだ。

だが、正論を堂々と述べられたら困ると思った勢力が、

テレビ生中継を封じた。

国民が最も知りたがっているシーンを、何故封殺するのか。

昨日の「朝ズバ!」でみのもんたが、これに疑問を呈したら、毎日の与良正男氏はこう答えた。

持論を勝手にしゃべられては困るということで、与野党が合意したらしい」

田母神批判を、専ら「村山談話」との齟齬に求めるマスコミも「自論をしゃべられたら」困るのではないか。

 

田母神氏の国会招致をテレビ中継しなかったことにはそれほど異論を唱えなかった売国ジャーナリストの、憤懣やるかたないコメントには笑った。

大谷昭宏氏は怒りで言葉を震わせながら「制服組を締め上げてやらなきゃ」。

田原総一郎氏は昨夜のTBS追悼番組で、

「筑紫さんが生きていたら、ギャフンと言わせたはず。これはクーデターだよ」

・・・ということは国会招致は田母神氏の完全勝利ということを、この先生方は認めたということになる。

だったら亡くなった筑紫氏などに頼らずに自分の番組に招待して論戦をしたらどうだ。


憲法も「村山談話」も不磨の大典ではない。

ソクラテスは、悪法も法だが議論の結果改正できるのが民主制だと身をもって示した。

田母神氏は、国会招致で毅然として「ソクラテスの弁明」を行った。

憲法と「村山談話」は悪法なり・・・と。

憲法と「村山談話」は変えるべきと思う方、

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コメント (3)

ノーベル賞作家という虚像!大江健三郎

2008-11-11 07:02:37 | 大江健三郎のいかがわしさ

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ノーベル賞作家の表現の自由を守るためには、

老い先短い元軍人の人権など我慢せよ!

「集団自決訴訟」の控訴審判決で

小田裁判長の心の中で、

「被告のノーベル賞の重さと原告の短い老い先」が、

天秤に掛かっていなかったと誰が否定できよう、と「大江健三郎のいかがわしさ」で書いた。

期待した通り、夏の虫ならぬ時期遅れの蝿が飛んできた。

コメント欄の書き込みである。(笑)

≪当たり前だ。 (キー坊)
 
2008-11-05 22:52:44
 
ナニが人権なのだ。

ヨボヨボ元軍人が、書かれてから40年近くも経って、自分が読んだ事もなく、自分に関する記述も無い「沖縄ノート」が自分の名誉を傷つけたなどと、ノ-ベル賞作家を訴えた裁判で、裁判官は原告勝訴の判決を下すことできるか?

世界の物笑い、いや日本でも世間の物笑いになるだけだ。最高裁でも同じさ。 ≫

まともに相手にするのもバカバカしいが、ノーベル賞作家の前に思考停止する反日坊やの心情が垣間見れて興味深い。

猟官活動ならぬ「猟賞活動」という言葉の当否はさておき、

大江健三郎がノーベル文学賞獲得のため行った破廉恥な「猟賞行動」を知れば、殆どの日本人はノーベル文学賞作家大江健三郎を日本の恥として唾棄するであろう。

ちなみに「猟官制度」とは、アメリカ合衆国での政権交代における現象であるスポイル・システムの訳語で、スポイルとは(狩りの)獲物の意味、つまりは選挙という狩猟の成果で官職を得ると言うことである。

以下引用は評論家渡辺望氏が大江健三郎の「ノーベル賞作家」という虚構を粉砕した大江再批判の論文です。

                    ◆

 '08.10.18 ●渡辺 望氏 「ノーベル賞作家」という虚構 -大江健三郎への再批判- 

大江健三郎という作家には「ノーベル賞作家」という肩書きがついてまわっている。おそらく彼の死に至るまでそれは続くであろう。大江を批判する人間も崇拝する人間も、「ノーベル賞作家・大江健三郎」と何のためらいもなくその肩書きを受け入れているようにみえる。しかし私は彼の名前の前に「ノーベル賞作家」と付け加えることはあえてしないようにしている。その肩書きにそのものに対して、さまざまな大江への疑問を感じるからである。

 実によく知られたことであるが、大江はノーベル文学賞を受賞したのち、自分は「戦後民主主義者」あるいは「民主主義者」である、という理由によって、文化勲章の受章は辞退した。大江以外の著名な戦後作家で他に、公的な文化賞を辞退した人物にたとえば、「戦友に申し訳ない」という理由で、芸術院会員になることを辞退した大岡昇平がいた。大江にしてみれば、大岡は志を同じくする人物であると考えているのであろう。しかし大岡は、昭和天皇が病に倒れたとき、その病状について、いろいろ心配や心痛を感じている、とも言っている。

 私は大岡の芸術院会員辞退について、必ずしも共感を覚えない。しかし「戦友に申し訳ない」という大岡の言葉の「戦友」に、戦争を様々に現実的に経験した大岡の「卒直さ」というものを感じることはできる。大岡は国家に翻弄された戦友の心を思いやってはいるが、決して自分勝手にそれを解釈利用しているわけではない。

 大岡の『俘虜記』に「戦友」という章があり、「・・・戦場から我々には何も残らなかったが、俘虜生活からは確かに残ったものがある。そのものは時々私に囁く。『お前は今でも俘虜ではないのか』と。・・・」という言葉でその章はしめくくられているが、大岡の辞退は、この言葉によくあらわれているように、「耳を澄ます」という誠実な行為をどこかに感じさせるのである。彼は「物書きだったら、公の栄誉なんか嬉しそうにもらうなよ。おまえさんはたまたま生き残ったんだからさ」という亡き戦友の声をどこかに聞いた。単にそれだけだ、と大岡は言おうとしたのではないか、と私は思う。大岡は、その亡き友の声に耳を澄まし、昭和天皇の病状を心配するということもしたのである。「俺達が恨みがましく思っているのは決して天皇に対してじゃない、戦争なんてそんな単純なものじゃない、もっと別のものに対して個々別々に、自分たちは恨みがましく思っているんだ」というふうに。

 「耳を澄ます」というと、何を観念的なことを、と言われるかもしれないが、戦争体験に意味的に関連して現実的な態度をとるときに、何よりもあるべきは「耳を澄ます」という行為に他ならない。「耳を澄ます」という実感がない戦争に関しての思想の語り手の発言は、左右問わずすべて「贋物」である。

 もちろん、若い頃からの無頼仲間だった小林秀雄や河上徹太郎が老年になるにつれて、文化勲章や芸術院会員を受け入れていくことに対しての、大岡の皮肉の意味を推測することもできる。しかしこの「皮肉」もまた、文人の仲間うちでわかりあえる人間的な何かであって、決してイデオロギー的なものではない。いずれにしても大岡昇平の辞退の理由はどこか人間的な匂いが感じられて、それほどの違和感を私は覚えない。それは大岡の作品の大体に対してもそうである。「イデオロギー」より「こころ」が優先する人物の匂い、とでも言うべきであろう。

 しかし、大江の文化勲章辞退は、大岡の芸術院会員辞退の卒直さや人間臭さとまったく異なっている。ノーベル文学賞と文化勲章に価値的な区別をつける大江の意識には、少しも「こころ」の匂いが登場しない。「耳を澄ます」という行為も、人間的な「皮肉」も、大江を巡る一連のノーベル文学賞・文化勲章を巡るエピソードにまったく無縁なことなのだ。大江の文化勲章辞退の理由を裏返せば、ノーベル文学賞は、「戦後民主主義」「民主主義」にふさわしい賞である、ということ、日本の皇室から勲章をもらうことは、日本の皇室が有している反「戦後民主主義」的性格、反「民主主義」的性格からして、自分にふさわしくない、ということになる。しかし大江が言う「戦後民主主義」も「民主主義」も、大岡の「戦友」の確かさに露ほども及ばない耳を澄まそうにも、それが単なる記号であって、少しも「人間」でも「こころ」でもないのである。
 
 そしてそもそも私の考えでは、ノーベル文学賞はその実体を追えば追うほど、文化勲章に遥かに増して、「戦後民主主義」「民主主義」にふさわしくない賞なのである。大江は、そのノーベル文学賞を、狡猾な戦略で、自分及び自分の政治的方向性の友軍と化す作為をついに完成させ、「ノーベル賞作家・大江健三郎」という終身的肩書きを手に入れた。「ノーベル賞作家・大江健三郎」のさまざまな醜態を前にして、ノーベル文学賞というものがいったい何であるか、ということを私達日本人は考察し認識することが求められるのだ、と言ってもいいであろう。いずれにしても、このノーベル文学賞を巡る大江の周囲に、もう一つの大江への根底的な批判が成立するということを考えなければならないのである。

 まず以下の大江の文章を引いてみよう。これはノーベル文学賞を受賞する2年前の大江が、スウェーデンを訪れたときにおこなった講演の記録である。 

  しかもそれは実体としてなにかをあたえられたというよりも、遠方にある実体に向けて、いつも心がそそら
 れている生き方が、自分の習慣になったということでした。あこがれという詩的な言葉におきかえてしまえ
 ば、美しく単純化されそうですが、それに加えて、暗く恐ろしいものですらもある巨大な力が、北欧から私を
 吸引しているようで、それゆえにこそ、なかなか実際に北欧へ旅をする気持ちになれなかったのです。
  しかし「あこがれ」プラスαは強く奥深くあり、それにつき動かされるようにして、スウェーデンボルグの神秘
 思想からベルイマンの映像まで、私は北欧からの呼び声にいつも面と向かってきました。さら にその心の
 うちの動きを、北欧の音楽がもっとも端的に把握しなおさせてくれたとも感じています。

                                          
                                                     『北欧で日本文化を語る』
                  

 この講演での大江の言葉から、第一印象として気味悪いほどのスウェーデン、北欧への「おべっか」を感じるのは私だけではないだろう。他のものも含めて大江のスウェーデンについての論考には、異常な犯罪率や極端な重税、若者の性文化の荒廃など、スウェーデンが抱える現状の問題にはいっさい触れられていない。この一連の大江の北欧の講演や北欧への平凡な賛美のメッセージは、他ならぬノーベル文学賞受賞のための営業活動に他ならないからである。

 私はこうした大江の営業言動から、かつて松岡洋右が日ソ中立条約を結ぶためにスターリンの前で演じた口八丁を連想する。外相としてクレムリンを訪れた松岡はスターリンにむかって様々な「おべっか」を言う。たとえば「日本は元来、きわめて共産主義的民族である。それがアングロサクソンの個人主義・資本主義に毒されたのである」だから、日本とソビエトは根源的に盟友なのだ、松岡はと言うのである。日本国内ではコミュニズム弾圧の嵐が吹き荒れている中、よくこんな「おべっか」を、共産世界最大の独裁者に向けて、恥じらいもなく言えたものだ、と思う。松岡という人間は昭和天皇に見抜かれたように、ほとんど法螺吹き屋である。そして松岡の「おべっか」は、とうとう最後は日ソ中立条約の締結を成就させてしまう。
 
 スターリンの心が動いたのは、言うまでもなく緊迫したヨーロッパ情勢への認識なくして考えられない。しかし松岡の営業行為的な「おべっか」は、そのあまりのすさまじさのゆえ、スターリンの心の表層を刺激して、その認識とうまく融合し、それを動かしたのである。営業が成功するとは、こういうことである。比べて、大江の場合は、このような水準の低い営業をおこなう相手のノーベル文学賞の何を刺激して融合を遂げたのか。それは「ノーベル文学賞」そのものにある、日本と日本文学に対しての、おどろくほど低い関心なのである。

 ところで、日本の近代文学にとってノーベル文学賞は、いかなる意味あいをもっているのであろうか?

 私が大学に入りたての1990年代初頭、文学の話題を語り合う仲間うちで、次の日本人のノーベル文学賞者が誰であるか、その話題が毎日のように語られていた。川端康成以来の日本人のノーベル文学賞受賞が迫っている、という話が広まっていた。圧倒的な第一候補は安部公房であり、その安部の後に、遠藤周作と大江健三郎が続く形で候補であった。その後、安部は1993年に急死し、その翌年、大江がノーベル文学賞を受賞することになる。

 私自身も他の文学愛好者の多分に漏れず、当時、ノーベル文学賞とは文学にとっての絶対的権威であり、川端康成以来の受賞者が我が国に再び現れることが日本文学の地位を高めるとナイーブに信じていた。個人的には大江の文学に共感することは少なかったが、安部と遠藤の作品については高校時代から熱心な読者であった。そのことはおくとしても、日本国民としてというより文学ファンとして、日本人に文学の絶対権威であるノーベル文学賞が授与されるのではとドキドキした気持ちで発表を待ったものである。だが、その私のノーベル文学賞崇拝を以後ばったりと止める一冊の本があらわれる。古本屋で手に入れた、ドナルド・キーンと徳岡孝夫による三島由紀夫についての追悼の本『悼友紀行』である。
 
 1960年代後半、川端康成と三島由紀夫の二人がノーベル文学賞の受賞を最後まで争い、結局、川端に決するその裏の具体的事情について明かす『悼友紀行』の徳岡の次のような文章を読んで、私はノーベル文学賞への崇拝的な感情がいっぺんに消し飛んだのをよくおぼえている。

  ノーベル文学賞の順番が日本にまわってきたとき、川端康成と三島由紀夫の名前が出た。どちらに与え
 ても不都合はない、という判断だった。ところが、最終的な決定を下すスウェーデンに、日本文学の専門家
 がいない。いきおい、英訳、独訳から推測するほかない。さいわい、あるいは不幸にも、1957年のペンク
 ラブ大会で日本に来て2週間ほど滞在したスウェーデンの文学者がいた。ほかにエキスパートがいないも
 のだから、彼はノーベル賞委員会に対して重要な助言をする役目を与えられた。もちろん、2週間の日本
 滞在で、日本の作家の比較や評価ができるはずがなかった。ところが、その人物は、キーンさんが訳した
 『宴のあと』読んでいた。『宴のあと』は都知事選に取材したもので、登場人物は革新党の候補である。そ
 んなところから『宴のあと』は政治小説で、書いたミシマ・ユキオはきっと「左翼」だろうということになった。
 彼の助言をいれて、ノーベル賞はより穏健で日本的な美を書いた作家、川端康成が受賞することになっ
 た。

                      
                                              徳岡孝夫・ドナルドキーン『悼友紀行』 
                                          

 三島由紀夫を「左翼」と誤認したこともさることながら、選考委員会は一人の選考委員が読んだ『宴のあと』の感想でもって三島という文学者への総合的評価をくだす、という信じがたい短絡を平気でおかしていたのである。

 しかもこの日本文学の専門家は、その『宴のあと』の作品内容さえ誤読している。『宴のあと』はどこをどう読んでも政治小説ではない。確かに『宴のあと』は都知事選の革新陣営の候補だった元外相の有田八郎の妻を主人公にして描いているが、この妻を通して、中年女性の生きる姿、そのいろいろな過去を鮮やかに描きつくした現代小説であって、「政治」はあくまで舞台提供されただけ、この小説は政治小説ではまったくないのである。この『宴のあと』を政治小説と勘違いするのは、よほどの翻訳ミスがない限り、粗筋しか読まない人間に限られると言わなければならない。

 三島はこの有田からプライバシー侵害で訴えられ、有名な憲法訴訟に発展している。「革新陣営の候補」すなわち左翼陣営の怒りを買って訴えられているのだから、三島が「左翼」であるという判断はますます成立しないはずである。しかし当時日本の文学世界を大きく揺るがしたこの事件に関して、ノーベル文学賞選考委員会はまったく無知なのである。徳岡が語るこのエピソードの時期、すでに三島の『宴のあと』訴訟は日本国内で、有名な事件になっているにもかかわらず、である。

 こう考えると、川端へのノーベル賞受賞は、ある意味、「誤謬」といってよい判断だったと言わなければならないであろう。のみならず、私は日本文学自体が何か侮辱されたような憤りさえ感じた。要するにノーベル賞選考委員会は日本にも、日本文学にも、ほとんど無知な人間たちによって構成され、そしてさまざまな決定をしているのだ、と考えなければならない。私はそう思って、以後、ノーベル文学賞に対する関心をまったく喪失したのである。(続く)
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大江健三郎の破廉恥な造語

2008-11-10 06:39:37 | 大江健三郎のいかがわしさ

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大江健三郎の屈折したエリート主義 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 の続編です。

 

渡辺 望 氏 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 大江健三郎への一批判

(承前)

『沖縄ノート』はいろいろな謎に満ちた作品である。なぜ、取材もなしに、このような重要な主張をふくむルポルタージュを書けたのか。事実の根拠もないままの日本軍へのあまりに露骨な嫌悪と、意外なほどに軽視されているアメリカ軍の存在は、いったいどういうことなのだろうか。これほど日本軍への嫌悪をもちながら、なぜ彼は沖縄以外での日本軍のかつての実体を探求しようとはしないのか。

 しかし、これらの疑問への解答はそれほどむずかしくない。大江にとって、この『沖縄ノート』は、『個人的な体験』から『ヒロシマ・ノート』へ、そして『万延元年のフットボール』へと、江藤淳が危惧する方向へと大江が歩みを極め、それを完成した後の作品である。大江の最大の不安感はすでに解消されている。書が書かれるその都度において、「選ばれた読者」が誰であるかを見極め、それを満足できるように獲得できる術を獲得するということ。それが大江という人間の世界である。大江の民主主義の「民」とは、「個人的な体験」の私家版を書いたときに意識された、「選ばれた読者」の「読者」に他ならなかったのである。

 以下に二つの文章を例示しよう。一つ目の文章は『沖縄ノート』での驚くべき暴言の箇所である。

 沖縄の地上戦とアウシュビッツ収容所を同一視し、「拉致」という物騒な言葉をつかう感性の持ち主が、その後、ノーベル文学賞を受賞したのは信じられないことである。二つ目の文章は、『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』から30年以上が経過したのち、21世紀になってから大江の『「ヒロシマの心」と想像力』 と題された、これまた信じられないような空想的な政治的主張の講演録の一部である(『鎖国してはならない』所収)。

 しかし、今まで論じてきたことを前提とすれば、実は両方の文章は特に驚くには値しないといえるだろう。大江が考える民主主義の「民」とは、リアルな民衆ではなくて、大江の世界の会員制の「民」だからである。かつて江藤が鋭く感じていた不快や危惧は、こうして完全な形で完成されてしまうにいたったのである。「踏み絵」あるいは「ハードル」を乗り越えてきた、大江の観念の中の「民」が、大江の暴言や空想を支持している。1960年代の何年かの営為で大江が獲得した方法論とは、そうした、果てしなく自己中心的な世界完結に他ならなかったのである。彼にとってみればあくまで「読者」が問題なのであって、リアルな「沖縄」や「広島」は、ある意味、二次的な存在の問題にすぎない。  

1)折が来たとみなして那覇空港に降りたった。旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。彼は実のところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁 かれてしかるべきであったろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は拉致しはしなかったのである。

2)さらに日本政府があきらかにするできことは、朝鮮民主主義共和国のミサイル開発に加えてーそれが事実であるかどうか、決して軽率なことはいえませんがー核兵器の開発が疑われているいま、もっと切実な意思表示です。つまり、もし北朝鮮の核兵器ミサイルによる攻撃が日本に向けておこなわれる危機が現実のもの として浮上したとき、日本がアメリカの核兵器による北朝鮮への第一撃のみならず、第二撃の攻撃を要求しない、と声明することです。私はそれのみが、アジアの近未来の核状況において、日本が北朝鮮および中国から核攻撃を受ける可能性を縮小するもの、と考えます。

 私は戦後の左翼的作家の類型は二つに分けられると考える。一つは先年亡くなった小田実のように、現実の最先端にいて、いかなる間違いも認めず、「自分は正しいから正しいのだ」と最後までドンキ・ホーテを演じ続けることをアイデンティティとする惚稽な行動家。もう一つは10年ほど前に逝去するまで活躍した埴谷雄高のように、自分の左翼的思想信条に反するような資本主義・自由主義の現実を満喫し、多くの非政治的作家を育成しつつ、「永久革命者」という狡猾な造語により、自らの左翼的心 情の温存もはかる老獪な理論家である。

 大江という人間は、その両方のいずれにもあてはまらない。彼の政治的信条には、惚稽さや老獪さといったある意味でとても人間的な匂いが、なにも感じられない。小田がもし、今進行している沖縄の問題に携わったらならば、もっと苦笑せざるをえない失言や醜態を演じて、間違ってはいるが、しかし戦後民主主義の人間喜劇の一つを演じたに違いない。また埴谷ならば、老獪に狡猾に、「沖縄」に深入りすることなく、しかし結果的には自分の好みの左翼的ポジションを確保しえたであろう。惚稽さも老獪さも、それが一般的な読者に対してひらかれることによって、広く、ある意味人間的な「反(アンティ)」を感じさせるのである。

 沖縄裁判の大江の言動に対して感じる「反」にはそれがない。彼の文学エリート臭と闘っているだけではないか、という徒労感のみが「反」の実体であるような気配を感じる。それは繰り返しになるけれども、「選ばれた読者」に対して、いつまでも「いい子」であろうとするだけであるからなのである。だが、彼の正体について、『個人的な体験』の季節の頃の江藤淳の指摘以来、再び明かすことのできる格好の機会である、ということもまたいえるに違いない。沖縄裁判という舞台は、大江という人間味のない政治的作家の晩節にふさわしいさまざまを、彼に演じることを強制していくことであろう。 完

                   ◆

 

大江が吐いた有名な言葉にこんなのがある。

「帰るべき朝鮮もない、なぜなら日本人だから

これを読んで理解できる読者が何人いるだろう。

日本人でありながら,

「帰るべき朝鮮がない」と悲嘆にくれる特異な人物に、共感できるのは

「選ればれた読者」である少数の大江マニアぐらいのものであろう。

 

「帰るべき朝鮮がない」大江健三郎氏

 結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。

 (「わがテレビ体験」大江健三郎、『群像』昭和36年3月号
朝日花壇鑑賞会より孫引き)

                                            ◇

大江がこの文を書いた昭和36年頃には、日本人の海外移住なんて考えられなかったが、現在は本人が望めば出来る時代だ。

「脱北」が頻発しているくらいだから、「脱日」という手段もあるだろうし、

ノーベル賞作家の北朝鮮への亡命だったら将軍様も「地上の楽園」の広告塔として大歓迎するはずだ。

どうぞ「帰るべき朝鮮」にお帰り下さい。
 
「帰るべき朝鮮」については前にこのエントリーでも触れている。

司馬遼太郎も読んだ『鉄の暴風』  「琉球処分Ⅲ」

≪司馬氏は「司馬史観」と呼ばれるリアリズムを歴史小説のバックボーンにしており、

封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新を高く評価する。

その歴史観によれば「琉球処分」も日本が近代国家建設のため中央集権国家を作っていく合理主義つまりリアリズムの産物であり、肯定的な見方をしている。

■「鉄の暴風」に毒された「司馬史観」■

一方で、「司馬史観」は昭和期の敗戦までの日本を暗黒時代として否定して自虐史観に陥っていく。

沖縄史に関しても明治期の「琉球処分」では日本の発展していく過程の歴史共有(廃藩置県)として前向きに捉えていたのが

「沖縄戦」となると突如大江健三郎氏と同じ軸足で歴史を見るようになるから不思議だ。

「街道をゆく 6」でも「琉球処分」を述べた後に次のようなくだりがある。

<太平洋戦争における沖縄戦は、歴史の共有などという大まかな感覚のなかに、とても入りきれるものではない。
同国人の居住する地域で地上戦をやるなど、思うだけでも精神が変になりそうだが沖縄では現実におこなわれ、その戦場で15万の県民と9万の兵隊が死んだ。
この戦場における事実群の収録ともいうべき『鉄の暴風』(沖縄タイムス刊)という本を読んだとき、一晩ねむれなかった記憶がある。>(「街道をゆく」6-1978年刊)

なるほど、『デマの暴風』とも言われる『鉄の暴風』を、沖縄戦の「戦場における事実群の収録」として読んだら流石の司馬遼太郎先生も精神が変になりそうで、大江健三郎を彷彿させる逸話を書く羽目に陥っている。

ところで大江健三郎氏の「自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、」という有名な文を書いたのは昭和33年だが、

司馬遼太郎氏が『鉄の暴風』を読む以前にこの文を読んでいた可能性はある。

司馬氏はRさんという在日朝鮮人らしき人の口を借りて、沖縄人にも「帰るべき祖国がない」といったことを言わしている。

■大江健三郎にも毒された「司馬史観」■

<ごく最近、古美術好きの私の友人が、沖縄へ行った。彼は在日朝鮮人で、歳は50すぎの、どういうときでも分別のよさをかんじさせる人物である。

彼は帰ってきて、那覇で出会った老紳士の話をした。 私の友人はRという。
ーーRさんはいいですね。
とその老紳士は、しみじみとした口調で、「祖国があるから」と言った。相手が日本人ならば、このひとは決してこうわ言わなかったにちがいない。 
この話をきいたときの衝撃は、いまなおつづいている。 自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いがした。>(「街道をゆく 6」)

沖縄人の立場から言わせてもらうと、司馬氏が「街道をゆく 6」を出版した1978年の時点で、この沖縄の老紳士のように「祖国がない」と考える沖縄人は特殊な思想の人々はともかく普通の県民ではとても考えられないことである。

それにしてもあれほどリアリズムで歴史を見てきた司馬氏が、

沖縄の地上戦のことを考えて精神が変になりそうになり

『鉄の暴風』を読んだら一晩眠れなくなってしまう

あげくの果てには司馬氏は、沖縄の老紳士の話を伝え聞いて、

衝撃が続き、自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いをしたと述べている。

■帰るべき祖国とは■

文中の沖縄の老紳士の特殊な思想に影響を与えたと思われる大江健三郎氏の文を下記に引用する。

<結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった> (わがテレビ体験、大江健三郎、「群像」(昭36年3月号)>

このお方、日本人であることを放棄しているのだろうか。≫

                 

 参考記事:大江健三郎の“特権” 産経新聞 2007年12月1日

 

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大江健三郎の屈折したエリート主義 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 

2008-11-09 07:15:21 | 大江健三郎のいかがわしさ

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大江健三郎のいかがわしさの続編です。

           

≪ 『沖縄ノート』はいろいろな謎に満ちた作品である。なぜ、取材もなしに、このような重要な主張をふくむルポルタージュを書けたのか。事実の根拠もないままの日本軍へのあまりに露骨な嫌悪と、意外なほどに軽視されているアメリカ軍の存在は、いったいどういうことなのだろうか。これほど日本軍への嫌悪をもちながら、なぜ彼は沖縄以外での日本軍のかつての実体を探求しようとはしないのか。≫(評論家・渡辺望)

                 ◇

 大江健三郎は、ことさら難解な表現で読者に奇怪なハードルを課して、読者に「選ばれた読者」であることを強要する。 

「選ばれた」読者になることを欲しない筆者(狼魔人)は、大江の文学作品の読者ではないが、必要にかられて『ヒロシマノート』と『沖縄ノート』は読んだ。

だが、そのあまりの情緒過剰で難解な表現に辟易し、意味を捉えるのに難渋した。 

大江は自身が設けた奇怪なハードルを超えられない一般読者を「誤読した」として非情にも斬り捨てる。

読者が誤読するような、ーそれどころか、曽野綾子のような高名な作家さえも誤読するというー作品、それもドキュメンタリー作品なら、作品としては不良品であり、これを販売するのは読者を侮蔑しているのではないか。

「誤読だ」と切り捨てられた読者は、不良品を売りつけられたとして返金を要求してもよいくらいだ。

金返せ!

まぁ、それはさておこう。

大江は、昨年の11月11日、大阪地裁の証言台に引きずり出された。

一般読者には個人に対する罵詈雑言としか思えない自著の出版差し止めの「集団自決訴訟」の被告側証人としてである。

大江は、一般読者には馴染みのないラテン語の辞書の、更に馴染みの薄い辞書の二番目の意味をヒントにして、「罪の巨塊」という、日本語として熟していない大江独特の表現を用いて、渡嘉敷島の元戦隊長を断罪していた。

それを法廷で指摘されると卑劣にも読者の誤読だと開き直った。

作家が独自の表現を、自己の「文学作品」に使用するのなら是としよう。

だが、少なくともドキュメンタリーを標榜する作品で、それも他人を批判する表現に用いるのなら、

最低の礼儀として、その言葉に脚注をつけるべきだろう。

他人を罵倒する微妙な表現なら、なおさらのことで、注意書き等で、

「この本はラテン語の素養がない方は、誤読の虞があるのでご購読は遠慮願います」くらいの表示をしてしかるべきだろう。

さもなくば不当表示商品とされて、返金を要求されても文句は言えまい。(金返せはしつこい?)

しつこいついでに繰り返すが、驚いたことに、大江は「沖縄ノート」の中で、ラテン語のcorpus de・lic・tiをヒントにして、「罪の巨塊」という日本語としては熟していない造語を、

注釈もつけずに「死体」の意味に用いたというのだ.。

あまりにも高邁過ぎて、凡人には到底「選ばれた読者」になれる余地はない。

 

冒頭の引用文は評論家渡辺望氏が、「選ばれた読者」や「踏み絵」といったキーワードを使って大江健三郎のいかがわしさを、見事に一刀両断した論文の引用である。

渡辺望氏は昭和47年生まれ、早稲田大学大学院法学研究所終了(法学修士)で新進気鋭の評論家である。

これから同氏の「大江批判」の論文から「ヒロシマノート」、「沖縄ノート」に関連する部分を抜粋して、何度かに分けて紹介したい。

なお、同論文の全文を読みたい方は冒頭のリンク先で読むことが出来る。

                  ◆

以下引用。

渡辺 望 氏 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 大江健三郎への一批判」   

(前段の大江と江藤淳との対談部分は省略)

 ここで大江は、自分が意識している読者が、いわゆる不特定多数の一般的読者ではなく、実は「選ばれた読者」を意味している、ということを言っている。しかもその読者すなわち批評家たちに対して自分は「誠実」である、というほとんど自惚れに近い自負を高言するのだ。「選ばれた読者」に対する過敏な意識こそが、大江にとって問題なのであろう。つまり、私家版の『個人的な体験』はこの「選ばれた読者」に向けて書かれたものにすぎない。このことは、大江という作家がもっている、不可思議な文学エリート主義とでもいうべき個性を示しているといえる。もちろん、江藤は最初から大江のそのような屈折したエリート主義の高慢を見透かしていて、もっと明瞭な形でそのことをこの対談で大江に言わせようとしたのである。

  「踏み絵」あるいは「ハードル」を乗り越えない限り、大江文学の読者は大江にとっての「選ばれた」人間にはなりえない、と大江は認めている。言い換えれば、大江の世界というのは、「選ばれた」人間によってのみ、ささえられているということになる。いうまでもなくここに認められるのは、とんでもない読者蔑視に他ならない。
 
 問題なのは大江の「選ばれた読者」という不可思議な文学エリート意識が、この大江の作風の変化と期を同じくして、大江の政治的方向性をも規定していることなのである。「読者」が「民衆」という言葉に置き換わるのである。江藤はこの対談で大胆にも大江に向かって直接、「あなたの創作方法はある閉鎖的操作で自分に味方する社会とそうでない社会にわけるんです」と言う。大江の作為が文学の次元に限定した行為であれば、「自分に味方する社会とそうでない社会にわける」ということの弊害は、せいぜい大江の文学のファンクラブをつくることにとどまったであろう。しかし政治的価値判断に敷衍してしまうとき、大江のこの意識は、極端に頑迷な政治的主張を解禁してしまうのである。

  ここで、『個人的な体験』と『万延元年のフットボール』の間に書かれた『ヒロシマ・ノート』という書を取りあげてみよう。

 『ヒロシマ・ノート』は、そのあまりにセンチメンタルな記述の連続に、かなり辟易とさせられるのであるが、『沖縄ノート』と異なり、被爆者への取材や反核政治集会への参加など、とりあえずはルポルタージュの体裁を整えている作品にはなっている。しかし、この書においても、大江の「選ばれた読者」への意識は、あちらこちらに充満している。「個人的な体験」の私家版を書いた大江と実はまったく同一なのである。
 
 いうまでもなく、第一義に大江が「選ばれた読者」として意識しているのは、この作品内部にあらわれる、悲惨な体験をした広島の被爆体験者たちである。彼らに対しての祈るような描写と思いいれは、多くの読者に、大江が純粋に広島の被爆の世界を描こうとしているのだ、と一読して感じさせそうになる。

 だが、『ヒロシマ・ノート』の中の、次のような実にいかがわしい表現を見逃すべきではない。

 中国の核実験にあたって、それを、革命後、自力更生の歩みをつづけてきた中国の発展の頂点とみなし、核爆弾を、新しい誇りにみちた中国人のシムボルとみなす考え方がおこなわれている。僕もまたその観察と理論づけに組する(原文ママ)。しかし、同時にそれはヒロシマを生き延びつづけているわれわれ日本人の名において、中国をふくむ、現在と将来の核兵器保有国すべてに、否定的シムボルとしての、広島の原爆を提示する態度、すなわち原爆後二十年の新しい日本人のナショナリズムの態度の確立を、緊急に必要とさせるものであろう。したがって広島の正統的な人間は、そのまま僕にとって、日本の新しいナショナリズムのシムボルをあらわすものなのである。    

 この文章は、前半と後半で、まったく内容矛盾を来たしている。当時の中国は文化大革命のもっともひどい時期にさしかかっており、左派ジャーナリズムの偽宣伝が横行していたとしても、中国で何か重大な異常事態が進行しているらしいという情報は、大江にももたらされていたはずである。しかしその可能性を全く切り捨て、のみならず、核兵器保有を、「新しい中国人のシムボル」とみなす「観察と理論付け」に与する、と大江はいう。そして後半部分になると、同じ核兵器であっても、広島における核兵器の使用はマイナスであったということを、核保有国に対して主張し、新しい日本のナショナリズムとして主張しなければならない、というのである。

 広島の被爆ナショナリズムのセンチメンタルな主張の貫徹のためには、単に、核保有国の中国を非難するか、文章上、あえて無視すればいいはずである。しかしあえてなぜこのようなくだりを付け加えるのか、といえば、大江は欲張って、「ヒロシマ」という真実に、もう一つ、「アジアの共感」という真実を盛り付けようとしているのである。真実は一つであればいいはずであるが、幾重にも「いい子」であろうとする大江は決して一つの真実では満足しないのである。
 
 言い換えれば、中国という「選ばれた読者」を想定して、彼は、「広島への祈り」をあえて修正してしまったのだ。このことは「個人的な体験」の私家版の作成とまったく同じ精神的地点より生じている。編集者・批評家だった「選ばれた読者」が、「選ばれた民衆」となって、「ヒロシマ」に、そして「中国」に姿を変えて、江藤がいう「自分に味方する 世界」をつくりあげてしまっているのであるといわなければならないであろう。

 

 この『ヒロシマ・ノート』のしばらく後、『万延元年のフットボール』のさらに後にかかれた『沖縄ノート』では、大江の世界のメカニズムはさらに露骨な形をとる。(続く)

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筑紫哲也と沖縄タイムス 

2008-11-08 08:41:38 | 未分類

 

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筑紫哲也さん死去 NEWS23前キャスター 73歳写真付き記事(11/7)

写真筑紫哲也さん

 政治・外交から文化まで幅広く報道するテレビキャスターとして長く親しまれ、雑誌「朝日ジャーナル」編集長も務めた朝日新聞元編集委員の筑紫哲也(ちくし・てつや)さんが7日午後1時50分、肺がんのため都内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は妻房子(ふさこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 大分県生まれ。59年に朝日新聞社に入社し、68年には米軍統治下の沖縄特派員として返還交渉を取材。71年からの米ワシントン特派員時代には、当時のニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件を取材した。

 84年に朝日ジャーナル編集長。「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」などの企画が話題になり、「新人類」は流行語になった。

 外報部次長時代の78年、「こちらデスク」(テレビ朝日系)のキャスターになり、テレビでも知られるように。89年に朝日新聞社を退社し、TBS系の報道番組「筑紫哲也NEWS23」のキャスターに就いた。穏やかな語り口で、フリップにタイトルを示して世相を評論する「多事争論」のコーナーが話題を呼んだ。98年11月にはクリントン米大統領(当時)をスタジオに招くなど、各国の首脳と市民が直接対話する場の司会を務めた。

 07年5月、番組中で初期の肺がんを告白。治療に専念し、約5カ月後の10月に、がんを「ほぼ撃退した」として生出演を果たしたが、番組のキャスターが12月から後藤謙次氏に代わってテレビ出演が減っていた。

 08年度の日本記者クラブ賞を受賞。著書に「筑紫哲也のこの『くに』のゆくえ」「職業としてのジャーナリスト」「旅の途中」などがあり、共訳に「メディアの権力」など。「スローライフ」にも着目し、NPO法人「スローライフ・ジャパン」の理事を務めていた。

                   

筑紫哲也氏が亡くなった。

言論・思想的には当日記とは正反対の立場にあったが、沖縄には良しにつけ悪しきにつけ、復帰前から深く関わりの深かった氏の訃報に、一抹の寂寥感を感じざるを得ない。

昨日の沖縄の平和運動の分裂報道に続き、沖縄の平和運動に多大な影響を与えてきた氏の死去は一つの時代の終焉を感じる。

ご冥福をお祈りする。


 

沖縄タイムスの衝撃と悲しみは、今朝の朝刊の見出しに表れている。

◆一面

<筑紫哲也さん死去>

ジャーナリスト 沖縄問題 発信続け 73歳

 

◆総合面 

踏んだ現場が原

評伝 筑紫哲也資を悼む

沖縄・米国・護憲こだわり

 

◆社会面

筑紫哲也さん死去 理解と愛情 沖縄に勇気

復帰の後押し■文化にエール

関係者、衝撃と悲しみ

 

[悼む] 太田昌秀氏(寄稿)

地元目線の報道、心強く

 

最近では筑紫氏の影響は殆どなくなったとはいえ、沖縄の平和団体には同氏を信奉する人は依然として多かった。

同じく今朝の沖縄タイムス社説は筑紫哲也氏が影響を与えてきた「平和センター」の分裂を嘆いて分けの分からない言説を述べている。

「全駐労」の脱退に対して、「県民の共感を得る活動を」というタイトルだが、脱退した理由が、

「自ら働く根拠の日米安保を否定する運動に理解をえるのは難しくなった」

というもっともな理由で、これ以上運動を続けることが(県民の)理解をえるのは難しい、と言っているのに対して、

「二律背反的な存在として、これからも積極的に平和運動にかかわって欲しい。 それがあってこそ県民の共感が得られると思う。」(社説)

は支離滅裂ではないか。

二律背反だから、県民の理解を得られないというのに、二律背反を積極的に行えば県民の理解をえれらる・・・これを支離滅裂と言わずに何と言おう。

それとも県民の理解は、タイムスの理解があれば済むとでもおもっているのか。

だったら、それは傲慢不遜といいますよ、タイムスさん。

 

筑紫氏に追悼の特別記事を寄稿した太田昌秀氏が県知事戦に落選したとき、筑紫氏は太田氏の落選を地団太踏んで悔しがり次のような一文をタイムスに寄稿していた。

あれから幾星霜。

既に10年を数える。

時代は変わった。

 

沖縄タイムス <1998年11月22日> 朝刊 1版 総合1面(日曜日) 
 

[筑紫哲也の多事争論かわら版]/大田さん/輝いていた沖縄の知事


 「残念だ」「がっかりした」。

 沖縄県知事選挙の取材から戻ってきた私は、未だにこの二種の感想にしか出会っていない。


 選挙結果と引き較べると、どうやら大田昌秀氏は、当の沖縄より本土の方が人気があったのではないか、と思えるほどである。


 普段は沖縄のことにそう関心を持っているとは思えなかった人たちの口から、そういう感想を聞かされると、なぜなのだろうと考えてしまう。


 そういう人たちをふくめて、全国的知名度のある唯一の沖縄の人が、安室奈美恵さんを除けば、大田さんだったということが、まずある。沖縄から本土に向かって何事かを問いかけ続けた「発信体」であり、「象徴」でもあった。


 "大田人気"の第二の理由は、その発信のなかみである。そこには、中央政府への「抵抗」、異議申し立ての要素が多分にふくまれていた。


 週末は東京以外の全国各地に身を置くことを習慣にしてきた私は、地方保守政界にすら根強い大田人気、と言うより期待があることを発見して驚いたことがある。箸の上げ下ろしまで指図しかねない中央集権、権力の一極集中にうんざりしてきた人たちは、米軍基地をいわば"人質"にして中央政府に抵抗を示す大田さんがどこまでやれるかを、半ばわがことのように注視していたのである。


 人気の第三の理由は、大田さんがこの国の諸々の指導者のなかで珍しく、理想、理念、原則を語り、それに従おうとした人物だったことだと思う。時あたかも、中央ではそれらを全て欠いた権力争い、離合集散が続いたから、この対照は一層鮮やかであり、「いっそ大田さんを首相にしたら」という巷の声ともなった。


 この夏、私がかかわっている郷里の市民大学は、二日間にわたる特別講座を催した。参加者も全国各地から集まったが、講師も中坊公平、菅直人の各氏をはじめ、多彩な顔ぶれで、大田知事にも加わっていただいた。「これからの日本をどうする」という大テーマに、沖縄は外せないと思ったからである。


 「大田さんの輝きの前に、わが県の知事は色あせて見えた」と地元参加者が感想を語った。「わが県の知事」は、実績も個性もあり、他県とは群を抜いた存在だと私は思ってきたのに、である。


 結果的には、第二、第三の理由は選挙戦で大田さんの足を引っぱることになった。そして、沖縄は有能な「スポークスマン」を失うことになった。沖縄だけでなく、この国のありようを問い、考えさせてくれた大田さんに「ありがとうございました。そしてご苦労さまでした」と申し上げたい。


 「残念」「がっかり」の感想のなかには、自分たちが自分たちの場でなすべき努力を棚上げして、他者にそれを期待する、例によっての身勝手がふくまれている。が、現実として、そういう人たちの沖縄への関心は当面は潮が退くように遠くなるだろう。「中央とのパイプ」の代償に、そういうこともあることを覚悟して、稲嶺さんにはがんばっていただきたい。

                        ◇

>全国的知名度のある唯一の沖縄の人が、安室奈美恵さんを除けば、大田さんだったということが、まずある。

ご冥福を祈った後で突っ込みを入れるのもナニだが、これは太田氏に対する思い込み過剰ではなかったですかね、筑紫さん。

この記事には二年前のエントリ「懐かしき幻影 「大田さん 輝いていた沖縄の知事」で、既に次のように突っ込みを入れていた。

≪>どうやら大田昌秀氏は、当の沖縄より本土の方が人気があったのではないか、と思えるほどである。

その通り!

沖縄県民の総意は太田氏に「ノー」を突きつけたことをお忘れなく。

本土で人気があるというのは沖縄マスコミを通じて本土の人々が抱いている太田氏の幻影であり、

実際の県民の総意とは、かけ離れた虚像であることに、今頃お気づきですか、筑紫さん。≫

筑紫氏を追悼し、筑紫氏について触れた部分を更に一部抜粋して再度筑紫氏のご冥福を祈りたい。

 

≪沖縄は、筑紫氏のジャーナリストとしての起点であり、それは抽象論ではなく米軍占領下の昭和43年から昭和45年の二年間、朝日新聞沖縄特派員として、沖縄タイムス、特に創業者の豊平良顕氏の薫陶を受けたという。

豊平氏といえば『鉄の暴風』の執筆者であり、監修者でもあるので、若き日の筑紫氏が新聞記者として、その薫陶を受けていたとなると、朝日の筑紫記者が沖縄タイムスに影響を与えたというより、その逆であったといえる。

筑紫氏によると沖縄紙の「偏向報道」米軍占領当時からあったという。

沖縄駐在当時、豊平氏に沖縄紙は「復帰運動の機関紙ではないか」という問いをぶっつけて見たという。

「一方には政治、経済、軍事に及ぶ全権力を手中にした異民族の統治者がいる。 その一方には民主制の下なら誰もが保障されるはずの基本的権利一切を奪われている被統治者がいる。この両極端な不均衡のなかで、両者の言い分を平等に取り上げることが果たして客観的、中立、公平を「いえるのか」という意味の答えを得たという。

なるほど、当時の沖縄でなら理解できなくもない意見だが、筑紫氏は豊平氏の言葉を借りて現在の沖縄紙の「偏向報道」を正当化しようとしているが、現在の沖縄はチベット自治区でもなければ、コソボ自治州でもなく、まぎれもなく日本国憲法の下の日本の一県であることを忘れている。

それどころか沖縄紙の偏向報道は日本復帰してからその度合いを激しくしており、今では偏向報道というより反日報道といった方がふさわしい。≫(筑紫哲也と沖縄タイムス 沖縄紙偏向していない!

 

 「おまけ」

尻滅裂、じゃない、支離滅裂なタイムスの社説はここ

 

「おまけ2」

筑紫さんもお歳の割りに毛が多かった。

「禿げない人はガンになる」というチン説の証明?

緒方拳死す!

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分裂!沖縄平和運動が

2008-11-07 07:33:11 | 未分類

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全駐労脱退を了承/平和センター 運動後退否定【社会】
 沖縄平和運動センター(崎山嗣幸議長)は六日、那覇市内の同センターで幹事会を開き、全駐留軍労働組合沖縄地区本部(與那覇栄蔵委員長、六千五百人)の脱退について、正式に了承した。

 崎山議長は「全軍労時代から多くの県民とともに平和運動にかかわってきた団体なので、脱退は非常に残念」としながらも、全駐労が連合傘下で平和運動を続けるとし、「今後も連携して共闘していくことは確認している。沖縄の平和運動を、いささかも後退させるものではない」と強調した。

 また、全駐労の活動の意義について崎山議長は「基地内で働く労働者が自らの権利を主張しつつ、基地反対を訴えるという、沖縄の矛盾や縮図を背負ってきた。存在意義は大きい」とした上で、「全駐労が連合傘下で活動し、平和運動センターと共闘していく中で、今後はさらに幅広い運動につなげたい」と話した。

 全駐労は十月二十五日の定期大会で、「組織の若年化により、働く根拠である日米安保を否定する運動に対する意識が変化した」などを理由として、平和運動センター脱退を決定した。

                                             ◇

沖縄の平和運動を、いささかも後退させるものではない」と強調した。

ん? 

それは負け惜しみというのですよ、平和センターの崎山議長さん。

 共に拳を振り上げて「平和運動」をして来た復帰以来の仲間が、

平和運動の総本山である「沖縄平和運動センター 」を脱退するわけでしょう?

これを後退でなくて何と言うの?

後退も後退、

分裂そのものであり

「平和運動」崩壊の危機では?

 

沖縄で米軍基地に勤めることは公務員並み、いやそれ以上の狭き門で、基地内就職専門の予備校があるくらいだ。

基地内就職予備校については2年前の古いエントリ沖縄の復帰34周年 基地撤去と軍雇用員で紹介してある。

ところが憧れの基地に就職していながら、「沖縄平和運動センター 」の動員が掛かると、一様に赤鉢巻をして、指定の場所に馳せ参じて

「米軍基地は要らない! 出て行け!」とシュプレッヒコールする。

言い換えれば憧れの県庁に就職していながら、

「県庁は要らない! 県庁を解体せよ!」と叫ぶようなものだ。

これが沖縄ではごく普通に行われていたし、勿論、この「平和運動」は昨年の「11万人」集会の動員にも大きく関わっている。

沖縄の平和運動は一枚岩の印象を与えているが、

実際は組織内部矛盾の軋みが激しかった。

ただ同じ穴の狢の地元新聞が、平和運動の分裂を恐れてこれを伝なかっただけの話。

ところが遂に基地労働者の組合である全駐労が平和運動センターから脱退するという。

この慶賀すべき話題をエントリーしようと思ったが、沖縄の現役高校教師トラネコ先生に先を越された。(笑)

当日記が手の届かない詳細を既にエントリーされているので、

いつものことだが、丸ごと引用させてもらいました。(多謝)

                    ◆

「以下引用」 

沖縄平和運動センターとは?

2008年11月05日

全駐労、平和センター脱退 「反基地」に抵抗感2008年11月5日 

全駐留軍労働組合沖縄地区本部(全駐労地本、与那覇栄蔵委員長、約6500人)は4日までに、これまで傘下団体として平和行動に参加してきた沖縄平和運動センター(崎山嗣幸議長)からの脱退を決定し、同センターに通知した。全駐労地本は脱退理由について、構成員の若年化に伴い、基地撤去などの反基地運動に組織内の抵抗があり、理解を得るのが困難になってきたためと説明している

加盟団体の自治労や、教職員組合などと共に平和運動を推進してきた全駐労地本の脱退決定で、米軍基地整理・縮小を掲げて進めてきた同センターの運動は、曲がり角に立たされることになる。
全駐労地本は、1997年の運動方針(98年度)で「基地撤去」を掲げないことを決定して以来、基地包囲行動にも組織参加ではなく自主参加としてきた。基地撤去を訴える平和運動センターの理念と、職場を奪われたくないという基地従業員の現実的な要求との間に累積してきたひずみが表出した格好だ。
<中略>
全駐労地本の座間味寛書記長は「基地がなくなれば仕事がなくなる。10年ほど前から組合の中から、基地撤去を求めることや米軍再編に対し不安の声が上がっている」と述べた。
<中略>
沖縄平和運動センターは、沖縄戦や米軍統治の経験を通じて沖縄から反戦・平和を発信していくことを目的に1993年2月に護憲反安保県民会議などの運動を引き継いで設立された。「5・15平和行進」や「人間の鎖」など反基地、平和運動を主導している。(滝本匠)

<用語>全駐労
 在日米軍基地の日本人従業員でつくる労働組合「全駐留軍労働組合」の略称。
沖縄、長崎、山口、広島、神奈川、東京、青森の7地区本部と、
厚木、さがみ野、横須賀、空軍、マリン、ズケランの各支部で構成。
構成員は約1万6600人(県内約6500人)。
全駐労沖縄地区本部の前身は復帰運動の中核を担った全沖縄軍労働組合(全軍労)。
1978年全駐労に合流。96年全沖縄駐留軍労働組合が分裂した。
使用主は米軍だが労働条件改善などの交渉は雇用主の防衛省と行う。
政治的には、民主党基軸を打ち出している。

琉球新報Web版
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-137808-storytopic-1.html
                                 以上







私は軍雇用員ではないが、米軍基地内にも仕事を持っているので、
この問題は少なからず関心があった。

そもそも全駐労は自分達の職場を否定する運動を矛盾と考えないのだろうか、
と全駐労の運動方針には長年疑問があった。
米軍基地を職場として、そこから生活の糧を得ている労働者が、
米軍基地反対の運動をすること自体、自分で疑問を感じないのだろうか?
一体どこの職場に自分の職場を無くせとデモや集会を開く組合がいるのだ?
私は全駐労ほど矛盾に満ちた頭の悪い労組を知らない。


現在進行中の米軍基地縮小のなかで、基地の移転がほぼ確実になった。
後5年前後でキャンプ・フォスター、キンザー、瑞慶覧、普天間は完全返還される。
それにともなって一部を除き基地従業員はほぼ全員解雇である。
正確な人数はわからないが、全雇用員の約半数にあたる4000名くらいではないか。
おそらくそのような情勢で、全駐労も若い組合員の現実的な不安と、
組合の運動方針の現実化へ動かざるを得なかったのだろう。



反対に同じ米軍基地内にはもう一つの労働組合が存在する。
沖駐労である。

沖駐労(沖縄駐留軍労働組合)は、平成8年8月に設立し、
現在沖縄県の米軍基地で働く600人の労働者で組織する労働組合である。
その宣言の中で日米安保条約に基づき我が国のみならず、
東アジアの平和維持に貢献する崇高な職務に徒事していることを誇りとし、
我々にとって在沖米軍基地は働く職場だと言うことをはっきりと認識しょう
と訴えている。
その運動方針は雇用の確保・給与アップ・職場環境の改善 等である。
(沖駐労ホームページより)

これがまともな労働組合であろう。
自分が働く職場に誇りを持ち、その存続を願いつつ、
職場の労働条件の改善や賃金アップを訴えていく運動こそ、
本来の労働組合のあり方であろう。
私が軍雇用員なら沖駐労に加入する。

全駐労が今回脱退した沖縄平和運動センターの方が、
実にいかがわしい政治色を感じる。
率直に言ってここは
平和運動の名を借りた、左翼革命運動団体である。
あの日教組と似た性格の売国組織である。

このセンターに関係する人間は北朝鮮とのつながりも深い。

例えば平良研一沖縄キムジョンイル著作研究会会長(沖縄大教授)、
有銘政夫沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議議長、
佐久川政一沖縄主体思想研究会会長、島袋宗康参院議員、
米盛裕二沖縄大教授、下地玄栄・同、
仲宗根義一沖縄平和運動センター事務局長、金城睦弁護士など
沖縄の左翼運動のそうそうたるメンバーがいる。
これらのメンバーはキム総書記推戴1周年、
朝鮮民主主義人民共和国創建50周年で祝賀宴にも参加している。

さらにこのセンターは北朝鮮の利権擁護とその民族的関係者の多い
社民党主導の団体でもある。
センター議長の崎山嗣幸も社民党県会議員である。
そいいえば元沖縄県知事で現参院議員の大田昌秀も社民党の議員であり、
かつての知事時代には百何十名もの北朝鮮ファンを率いて、ピョンヤンに詣でていた。
この人もセンターとかかわりが深い。

さらに沖縄平和運動センターの支持団体は、
自治労、沖教祖それに沖縄タイムス、琉球新報
などとくれば、この団体の素性はおのずと明らかだろう。

沖縄県の反戦平和活動家は
北朝鮮の工作員である。


実情を見るとそう思われても仕方のない言動の人たちばかりである。


また未確認だが沖縄には成りすましの在日朝鮮人が多数入り込んでいるという。
彼らは通名(日本人名)を自由に幾通りにも使えるので、
沖縄では地域特有の通名、例えば金城、島袋、儀間、平良・・・などを名乗るという。
また朝鮮総連のHPでは沖縄支部は福岡県となっているが、実際には沖縄県内にあり、
牧志○丁目にある城○共○住宅に朝鮮総連の秘密の支部があるという。
なぜ沖縄支部を秘密扱いにせねばならないのか?

沖縄平和運動センターとそれに関係する人びと、さらに北朝鮮とのつながり。
朝鮮総連の非公開・疑惑の沖縄支部の存在など、何かきな臭いものを感じないだろうか。


しかし沖縄は日本の縮図ではないかと時々思う。
政界からマスゴミに平和団体などがほぼ中国、朝鮮に支配されているような気がするのは
私の考えすぎ、被害妄想なのだろうか・・・・・・・  
 
                    ◆
 
 
★沖縄発の関連エントリ⇒全駐労、平和センター脱退
 

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オバマ大統領誕生は米国混乱の幕開けか?

2008-11-06 07:06:44 | 県知事選

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「歴史の瞬間。 オバマ大統領誕生。

オバマが大統領に当選。アメリカだけでなく世界の歴史が変わる瞬間である。本当に変わるか。白人が手をこまねいてみているか。人類は、一体であると白人が認識できるのか。オバマは、いつまで生きられるか。」

オバマ当確とのニュースとほぼ同時に友人のN君から入ったメールである。

ここ数日のテレビワイドショーの話題はめまぐるしい。

「泰葉・金髪豚野郎騒動」⇒「小室・天国から地獄騒動」⇒

「オバマ・黒人初の米大統領へ」

テレビの街の声でも「黒人初の米大統領誕生という歴史的瞬間に生きていて感激です」といった声が聞かれた。

感激で涙声の女性もいたが、何も他国の大統領誕生に泣く事もないとも思うのだが。

オバマ関連の話題は各ブログで取り上げるだろうので、スルーかとも思ったが、歴史的瞬間に生きていた者としては一言書かねばならぬ。

 

リンカーンが、奴隷解放宣言をしたのが1862年9月。

アレから146年、奴隷が解放されることはあっても、その奴隷の末裔が大統領になろうとは、お釈迦様でも、・・・もとい、草葉の陰のリンカーンも考えていなかっただろう。

オバマは米国初の黒人大統領というが、母親が白人であるので黒人とはいえないという異論もある。

日本人は本音と建前を使い分けると言われているが、アメリカ人も同じようなものでブラッドリー効果なるものがあることを今回の選挙で知った。

だがオバマは、米国人の本音と建前を打ち破って圧勝した。

■黒人大統領誕生の裏にテレビドラマが影響か■

人種差別に関する、米国人の心に潜む本音と建前を打ち砕いた功績は、勿論オバマ自身の演説の上手さ等のカリスマ性にあると思うが、

筆者は、数年前にアメリカで空前の大ヒットをしたテレビドラマの影響を無視することは出来ないと考える。

FOX TV [TWENTY FOUR- シーズン]には黒人大統領が登場し、家族を愛する有能、且勇気ある米大統領を演じた。

オバマが夫人と子供と並んで写っている写真を見るとテレビ・ドラマの黒人大統領家族のシーンと重なって見える。

この人気TVドラマを見た多くのアメリカ人が「黒人大統領もあり」と考えたとしても不思議ではない。 

少なくとも黒人大統領への理不尽なアレルギーが大幅に緩和されたことは間違いない。

最初の数話しか見ていない筆者でも、「黒人大統領もありかな」と見た当時感じたものだ。

オバマは、ブッシュの置き土産とも言うべき経済問題、イラク問題、北朝鮮問題等の各種難問に立ち向かうわけだが、

オバマ支持層の大部分である黒人層は、先ず経済問題の解決を要求するだろう。

オバマは立候補時の演説で、このように述べた。

「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」

アメリカ大統領としては格調ある立派な演説だが、ここに黒人大統領が抱える「懸念材料」が含まれている 

「アメリカ史上初の黒人大統領」を選出した現在のアメリカ社会は、

建前はともかく本音では、依然として、「人種差別」の国である。

「黒人大統領」の誕生が与えるインパクトは、我々日本人が考える以上のもので、

選挙中にアメリカからのテレビ中継放送が、皮肉にも白人アメリカ人の本音を浮き彫りにした。

番組でインタビュアーが、オバマ支持の白人夫婦に

「黒人の大統領に違和感は無いか」と質問すると、白人夫婦は「全く無い」と答えた。

ところが「事件」はそのとき起きた。

テレビ・クルーを興味深げに両親の後ろから見ていた10歳くらいの男の子が突然発言した。

「オバマは好きだが、黒人の大統領はイヤダ!」

子供は正直だ。 きっと家庭での両親のこんな会話を聞いていて両親の代弁をしたのだろう。

「ジジーのマケインに比べて若いオバマの方がましだが、・・・黒人の大統領となると考えちゃうな」

息子のの発言に慌てて両親が「親孝行息子」を叱り付けて追っ払ったシーンが愉快だった。

Kkk団のような過激団体が、黒人大統領排斥を叫ぶの特に驚かないが、

アメリカの常識ある家庭を代表するような白人家族の子供が、

「黒人大統領はいやだ!」と両親の本音を代弁したテレビ中継シーンにアメリカ社会の人種問題の根深さを感じる。

解決すべき急務は経済問題だが、

こんな状況でオバマが黒人層に有利な経済政策を推し進めたら、白人層から猛バッシングを受けるだろう。

白人層の心の底に黒人差別的なものが隠れていることは無視できないだろう。

逆に白人層に媚びた政策を取れば、黒人層から「白人の手先」などとバッシングされる。

どっちへ転んでもオバマの決断には人種の影がつきまとう。

片親が白人であることも場合によってはマイナス要因になりうる。

オバマの「ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもない云々」の演説は、経済政策に限り、

全ての人種にバランス良く統廃合するような政策を困難である。

既に黒人指導者は暗殺される云々の報道もあるが、暗殺はともかく、人種差別解消の象徴ともいえる黒人大統領の誕生が、人種が暴動の続発といった皮肉なことにもなりかねない。

同じ民主党のフランクリン・ルーズベルトが不況脱却のため見せ掛けのニューディール政策で一時凌ぎしながら、中国と組んで日本を締め上げ、結果的に戦後世界一の金持ち国になった故事にならって、

オバマが「新・ニューデぃール政策」で民間企業に介入して国民を目くらましし、その一方経済大国中国と結んで、日本を締め上げて日本の主要産業、例えば自動車産業を壊滅させる・・・そしてアメリカ反映のシンボルGMを復活させ、アメリカを復活させる。 

勿論日本はオバマと結託する売国勢力の策動もあって安保は廃止、米中は東西から日本を挟み撃ち。

だったら日本も核武装だ!

これぞまさしく第三次世界大戦だ!

おっと、悪夢のシナリオはこれくらいにして、

民主党はF・ルーズベルとから最近のクリントンに至るまで、共和党と違って、かなり中国寄りの政権で、オバマは更に中国寄りだといわれている。

これまでのように、一方的に日米同盟に甘えてはおれなくなることは間違いない。

アメリカはは今、「黒人初の大統領」という未体験の「ミステリーゾーン」に突入した。

オバマ大統領誕生が人種暴動、大統領暗殺など、米国大動乱の兆しでないことを願いたい。

 

民主党に人脈がないといわれる麻生政権だが、オバマ政権とのパイプは意外とこんな所から大きく発展するかもしれない。

オバマ氏圧勝小浜市歓喜

「いつか県内訪問を」

オバマ氏の勝利を喜ぶ市民ら(5日午後1時5分、小浜市の御食国若狭おばま食文化館で)
祝勝会で乾杯する松崎市長とアウォリ大使(中央の2人)ら(5日午後6時17分)

 5日に開票された米大統領選で民主党のバラク・オバマ氏が当選し、発音もつづりも同じという縁で熱烈な応援を続けてきた小浜市内はお祝いムード一色となった。市民らからはオバマ氏の来訪や日米の友好関係強化を期待する声が上がった。

 (中略) 西川知事も直ちに親書をオバマ氏に送付。「小浜市民をはじめ県民はあなたに強い親しみを持ち、あふれるばかりの情熱とリーダーシップに国を超えて期待しています。いつの日か県内をご訪問いただき、福井の魅力に直接触れてください」と記し、当選を祝福した。

2008年11月6日  読売新聞)

                    ◇

【追記】12:19

さすがロシアのやることは日本人の常識の外。

こんなことを言ってしおらしい態度を示しておきながら・・・

【米大統領選】「建設的対話望む」ロシア大統領11.6 01:08

その同じ日にミサイルで恫喝に掛かる。

メドベージェフ・ロシア大統領:欧州隣接地にミサイル 米MDに対抗--表明

さすがはロシア、驚いた!

日本も、見習う必要はないが、少しは参考にしてもよいだろう。

 

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大江健三郎のいかがわしさ

2008-11-05 07:24:30 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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♪義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい 男の世界♪

・・・と高倉健は唄った。

人権と表現の自由を秤にかけた、大阪高裁の小田裁判長は、

「表現の自由」が重いと裁決した!

                                              *

人権配慮にかまびすしい昨今のマスコミ世論の中で、大阪高裁の判決は人権尊重には後ろ向きともとれる判決である。

裁判長が、人権より表現の自由に重きをおいたた理由は、原告と被告の社会的バックボーンにある。

人権を主張した原告の一人は高齢の元軍人である。

一方、表現の自由を主張する被告は、戦後民主主義を代表する大手出版社とノーベル賞作家。 

表現の自由を主張する被告が、そのものずばりの表現・言論の自由を体現する出版社と作家であれば、

裁判長の秤の目盛りが被告側に傾くのも、むべなるかなである。

更に原告の元軍人はかなりのご高齢。

裁判長の判断に、

「被告の表現の自由を守るためには、高齢の元軍人に少しぐらいの人権侵害はあっても、老い先短いのだから我慢せよ!」

といった驕りが潜んではいなかったか。

被告側から「判決の何処にそんなことが書かれてあるか!」と横やり飛んで来そうだが、

判決文には、こう書かれている。

仮に後から出た資料で誤りとみなされる主張も、言論のばにおいて無価値なものとはいえない。 これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものである

間違った主張でも寛容になれ、つまり「我慢せよ」と書いてあるではないか。

確かに「老い先短いのだから」とは書かれてない。

だが小田裁判長の心の中で、「被告のノーベル賞の重さと原告の短い老い先」が、天秤に掛かっていなかったと誰が否定できよう。

筆者は文系分野のノーベル賞(平和、文学、経済)なんていかがわしいものだと考えている。

そのいかがわしい見本がノーベル文学賞作家大江健三郎である。 
 

以下は、大江健三郎のいかがわしさについて

過去記事より一部抜粋・加筆して再掲する。
 
                    ◆


<論破され 「誤読」で逃げる 大作家> 詠み人知らず

幻の誤字騒動で狂喜乱舞する人は失笑で済むが、

自著の矛盾を突かれ、それは誤読だとシラを切るノーベル賞作家には驚かされる。

法廷で自著には書かれていない屁理屈をを問いつめられた大江は、これを誤読とだと言い逃れた。

(問い)-陳述書で「装燈された時限爆弾としての命令」としているが、「沖縄ノート」には書いていない。

(大江)「1970年にこの本を出版して現在まで37年がたつが、私は沖縄の問題についてかなり多くの文章を書いたし、新聞にも連載したことがある。大きな新聞で書く以上、責任をもってやってきた。根本的に誤読があるなら、曽野綾子さんに訂正を求める文章を書こうと思う

自分に都合の悪い事はなんでも誤読で逃げられると思っているのだろうか

更には、日本人には馴染みのないラテン語の辞書の、それも二番目の意味を取り出して、自分の書いた奇妙な単語の意味だと屁理屈をこね回す姿には、この人物の常識さえ疑ってしまう。

彼にとっての常識とは、戦争は絶対悪であり、軍隊のやることはすべて悪という絶対平和主義であり、全てはこの基準で測られる。

だが同じ軍隊でも沖縄では「鬼の赤松」を創り上げ、日本軍を糾弾した大江氏が、なぜか広島や長崎に原爆を投下した米軍を糾弾することはない。

大江氏の常識とは所詮この程度の少女趣味の常識であり、戦後GHQの「三年殺し」で去勢された常識でもある。

彼を左翼勢力と呼ぶのは、ある意味で大きな見当違いである。

ヨーロッパ先進国の左翼は自分の国家に帰属意識を持った上での左翼であるが、

日本という国家に帰属意識を持たない大江氏のよりどころにするのは、憲法第9条に代表されるユートピア的国際主義であり、連合赤軍の世界同時革命にも通じる。

自分が生まれ育った日本国へ憎悪をむき出しにする大江氏には、

反日勢力という呼び名が相応しい。 

自国の文化勲章受賞は拒否しておきながら、スウェーデン王立のスウェーデン・アカデミーが選定するノーベル賞には嬉々として尻尾を振る。

ここに、このノーベル賞作家の精神的幼児性がある。

社会主義が健在だった時代には、こういうユートピア的国際主義も一定の説得力を持ちえただろう。

だが、ベルリンの壁が崩壊し、そして大江氏が地上の楽園と憧れた北朝鮮もその恥部を世界中に暴露されてしまった今、もはや彼の帰属希望の共同体(地上の楽園)はこの地上には無い。

大江氏は、青い鳥を求めて彷徨う幼児にも劣る。

             

(中略)

後だしジャンケン■

後だしジャンケンとは、相手が出したタイミングに一瞬のタイムラグを設けて、相手の手を読みそれに勝つ卑劣な手段のことをいう。

『母の遺したもの』の著者宮城晴美氏は、自著が「集団自決裁判」の原告側の証拠として提出され、

「梅沢隊長が軍命を出した」という被告側の主張が否定されると

、「一ヶ月前に立場を変えた」として自著を改定し『新版 母の遺したもの』を出版した。

筆者はこれを後出しジャンケンだと批判した。

「集団自決」 宮城晴美氏が新版で「後出しジャンケン」

■大江健三郎の屁理屈ジャンケン■

大江健三郎氏は、宮城晴美氏が批判に動揺して後だしジャンケンを出したような、分かり易い手法は取らなかった。

一旦出した自分の手はそのままにして、それを屁理屈で煙に巻いて、勝を主張するというから、さすがはノーベル賞作家。

「屁理屈ジャンケン」とは、負けた場合でも、負けを認めず屁理屈で勝を主張する破廉恥な手段のこと。

例を挙げよう。

チョキをだしたのに相手がグーなら普通は負け。

だが、「屁理屈ジャンケン」はこれからが勝負。

「私はパーを出したつもりだ」

「この指をチョキと見るのは君の誤読だ」

「私は指は5本伸ばしパーのつもりで出した」

大江健三郎氏は証言台でcorpus delictiなる一般読者には聞きなれない言葉まで引っ張り出して、

「罪の巨塊とは死体である」と、まともな人間なら赤面するような屁理屈を披露した。

法廷で証言台に立った後の11月20日の朝日新聞朝刊で、大江氏は「『罪の巨塊』に込めた思い」と題する更なる「屁理屈」を加えた。

 ≪私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日本語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました。≫

一般の読者は、著者、それもノーベル賞作家自らの解説を聞く幸運には遭遇しない。

だが例え聞いても理解できる人は少ない。

ならばと今度は紙面で、その「屁理屈」に上塗りの解説、

と念を入れたのが上記の朝日記事だ。

 

問題の箇所を『沖縄ノート』より抜粋するとこうなる。

《慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、ゆがめられる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。》

一般の読者に上記文で国語の問題を出したら、「罪の巨塊」が「死体」(他殺体)のことだ理解できる人が果たして何人いるか。

ちなみに辞書を引くとcorpus de・lic・ti は次のような二つの意味がある。

犯罪の事実[主体];

②(他殺)死体.⇒corpus  [さらに]

大江氏は、敢て二番目の意味の死体(他殺体)を訳語に当てたという。

よくもこんな屁理屈がいえるものだ。

『沖縄ノート』が出版されてから30年以上経って初めて、こういう「新解釈」が出てくる・・・しかも法廷の証言台で!

これを称して「大江の屁理屈ジャンケン」という。

いろんなブログが大江氏の屁理屈を「詭弁」、或いは「変な説明」として批判しているが日々是好日さんが「大江氏による「罪の巨塊」の変な説明 」で詳細に検証しているのでご覧下さい。 ノーベル賞作家も形無しです。

他にも大江氏の「屁理屈ジャンケン」を批判するブログの紹介。

大江健三郎という「嘘の巨塊」

 

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高裁判決が検定を支持! 

2008-11-04 07:04:29 | ★集団自決

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大阪高裁の控訴審判決が、昨年沖縄で行われた「11万人」集会を否定した。

と書くと、「ウソをつけ!」と脊髄反射をする輩(琉球新報では使用禁止らしい)がいう湧いて出てきそうだ。

なるほど、判決文では「11万人」集会について触れていない。

狼魔人日記も敗訴のショックでトチ狂って、遂にカニハンリてしまったのか。 

カニハンリとは沖縄方言で、カニは金、ハンリ(ン)は外れる・・・

つまり「金具が外れる」が文字通りの意味だが、

詳しくはここ↓[後半部分]
ヘリコプターマネー ノーベル経済学者がお墨付き!

カニハンリたかどうか、・・・とにかく最後まで読んで下さい。

                   ◆

 

11月2日のエントリーでこう書いた。

その日の沖縄タイムス朝刊の大見出し≪「強制」復活 希望と課題≫は、読者を馬鹿にした印象操作で、、正確に書けば

≪「強制」復活は今後の希望と課題≫と書くべきだ・・・と。

同じ紙面に

≪歴史継承は「実践で」≫と意味深な見出しもあった。

高裁判決は、結局昨年の3月に公表された2008年度用の高校歴史教科書の検定意見を是認する結果となった。

検定意見とは、「集団自決の命令や強制は削除するように」ということ。

昨年9月の「11万人」集会で、撤回を求めた「教科書検定意見」を高裁判決が、撤回どころか逆に認めてしまったのだ。

判決後の集会で、津田則光・沖縄国際大学非常勤講師は、

「判決は100点ではない」と話した。

その理由をタイムス記事はこう説明している。

判決が軍命令と隊長命令を区別し、住民を「集団自決」に追い込んだ日本軍の責任がそのまま個人としての責任を意味しない、との見解を述べているからだ

被告側のスポークスマンともいうべき沖縄タイムスが、この記事で言わんとする判決の意味は次の2点だ。

①集団自決に対する梅澤、赤松両隊長の責任はない。

②従って、教科書から「命令」や「強制」は削除を支持。

これで両隊長の名誉は一応回復され、

教科書から「命令」や「強制」が削除されたわけだから、裁判に勝ったような気さえする。

「判決は100点満点ではない」どころか、被告側は判決では勝ったが、勝負には負けたとの意見さえある。

そこで先ほどの見出しの≪歴史継承は「実践で」≫の意味が生きてくる。

そう、法廷外の「プロ市民運動」で勝負に勝つ!

文科省が何といおうが、

判決が何といおうが、

歴史継承は「実践」で!

 

■「11万人」集会■

昨年の9月29日、宜野湾市の海浜公園広場で行われた「11万人」集会の正式な名前は

「教科書検定意見撤回を要請する県民大会」という長ったらしい名前である。

その「11万人」の勢いを駆って、何度も大勢の代表団を上京させ文部省に「検定意見撤回」を要請したが、結局不拒否されていた。

今回の控訴審判決は、計らずも「県民の総意」である「検定意見撤回の要請」を、木っ端微塵に打ち砕いた結果になった。

タイムス記事に、判決後の梅沢さんの、次のようなコメントが紹介された。

裁判を起こしたことで教科書が変わり、子供たちが『間違った歴史』を学ぶことがなくなった」(11月3日沖縄タイムス)

そう、ご本人の名誉も回復し、これはある意味の勝利宣言ではないか。

沖縄タイムスは控訴審判決で「検定意見」が是認された結果になったのがよっぽど悔しいのか、

同じく検定を認めない朝日の社説と、

検定是認の読売社説をならべて記事ネタにしている。

沖縄タイムス11月2二日の社会面見出し

<朝日「検定の異常さを思う」>

<読売「検定の立場維持」>

全国紙、対照的な主張

この対照的な二紙の社説の意味するものは何か?

そう、「11万人」集会のテーマである「教科書検定意見撤回を要請する県民大会」は、大阪高裁判決で事実上粉砕されたのである。

                   ◆

朝日社説
集団自決判決―あの検定の異常さを思う
太平洋戦争末期の沖縄戦で、住民の集団自決に日本軍が深くかかわっていた。そのことが大阪地裁に続いて大阪高裁でも認められた。

 06年度の教科書検定で、軍のかかわりを軒並み削らせた文部科学省の判断の異常さが改めて浮かび上がる。

 問題になっていたのは、ノーベル賞作家、大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」だ。米軍が最初に上陸した慶良間諸島で起きた集団自決は日本軍が命令したものだ、と書いた。

 これに対し、元守備隊長らが指摘は誤りだとして、大江さんと出版元の岩波書店に慰謝料などを求めた。

 沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。住民は根こそぎ動員され、捕虜になることを許されなかった。そんな中で起きたのが集団自決だった。

 大阪高裁は「一体化の大方針の下で軍が集団自決に深くかかわったことは否定できず、軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る」と述べた。

 集団自決が軍に強いられたものであったことは沖縄では証言がたくさんあり、学問研究も積み上げられていた。判決はきわめて常識的なものだ。

 裁判で元隊長は、住民に「決して自決するでない」と命じた、と主張した。控訴審では、その命令を聞いたという男性の陳述書も提出された。

 判決は「元隊長の主張は到底採用できない」と指摘し、男性の供述を「虚言」とはねつけた。遺族年金を受け取るために隊長命令説がでっちあげられたという原告の主張も退けた。

 そのうえで、判決は「出版当時、隊長命令説は学会の通説ともいえる状況にあり、真実と信じるに相当な理由があった」と結論づけた。

 そこでもうひとつ注目すべきは、表現の自由を幅広く認定したことだ。原告側が「沖縄ノート」の発行後に隊長命令説を否定する資料が出てきたと主張したことに触れ、「新しい資料で真実性が揺らいだからといって、ただちに出版の継続が違法になると解するのは相当ではない」との判断を示した。

 それにしても見逃せないのは、文科省が教科書検定で「日本軍に強いられた」というような表現を削らせた大きな理由として挙げていたのが、この裁判の提訴だったことである。一方的な主張をよりどころに、歴史をゆがめようとした文科省の責任は重い。

 問題の検定は、「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍政権の下でおこなわれた。時の政権の持つ雰囲気が、歴史の見直しという形で影を落としたのではなかったか。最終的に「軍の関与」を認める訂正をしたのは、次の福田政権になってからだ。

 ありのままの歴史にきちんと向き合う。その大切さを、一連の教科書検定と裁判を機に改めて確認したい。

                                               ooo

読売社説
11月1日付 集団自決判決 検定の立場は維持すべきだ 
 結論は1審判決と変わりはない。しかし、受け止め方によっては、沖縄戦の集団自決をめぐる歴史教科書の記述に、新たな混乱をもたらしかねない判決である。

 集団自決を命じたと虚偽の記述をされ名誉を傷つけられたとし、旧日本軍の守備隊長だった元少佐らが、作家の大江健三郎氏と岩波書店に出版差し止めと損害賠償を求めた控訴審で、大阪高裁は1審判決を支持し、原告の控訴を棄却する判決を言い渡した。

 裁判では、隊長命令説が長い間定説となっていた渡嘉敷島と座間味島の集団自決について、軍命令の有無が争われた。

 控訴審判決は、集団自決に日本軍が深く関(かか)わっていることは否定できず、「これを総体としての日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る」とした。1審判決にはなかった見解である。

 集団自決の背景に軍の「関与」があったこと自体を否定する議論は、これまでもなかった。

 昨年春の教科書検定では、沖縄の集団自決に日本軍の「関与」はあったが、「強制」「命令」は明らかでないとする検定意見が付けられた。「関与」と「強制」「命令」を混同した議論など、決してあってはならないことだ。

 一方で判決は、隊長が集団自決を命令したという事実の有無については、断定することはできないとした。

 渡嘉敷島の集団自決の隊長命令説をめぐっては、生存者を取材した作家の曽野綾子氏が1973年に出した著書によって、その根拠が大きく揺らいだ。

 座間味島の守備隊長に、自決用の弾薬をもらいに行って断られたという証言を盛り込んだ本は2000年に刊行されている。

 判決は、新資料が出現して、従来の主張の真実性が揺らいだ場合でも、「社会的な許容の限度を超えると判断される」などの要件を満たさなければ、直ちに書籍の出版を継続することが違法になると解するのは妥当でないとした。

 公共の利害に深く関わる事柄については、論者が萎縮(いしゅく)することなく、批判と再批判を繰り返していくことが、民主主義社会の存続の基盤だとも指摘した。

 「言論の自由」を守るということでは、その通りだ。

 しかし、控訴審判決でも日本軍が集団自決を命令したと断定されなかった以上、「軍の強制」といった記述は認めないとする教科書検定意見の立場は、今後も維持されるべきだろう。

(2008年11月1日01時37分  読売新聞)

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やはり民主はマルチの巣!増子議員がマルチの監査役! 

2008-11-03 08:17:58 | 県知事選

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民主・増子議員、問題マルチの監査役 党のパー券も仲介2008年11月3日

写真増子輝彦参院議員

図
増子輝彦議員とユナイテッド・パワーの関係

 民主党の「次の内閣」(ネクストキャビネット)で経済産業大臣を務める増子輝彦参院議員(61)=福島選挙区=が、マルチ商法に絡んで経産省から昨夏に業務停止命令の処分を受けたインターネット機器販売「ユナイテッド・パワー」(東京都新宿区)の監査役に就き、月20万円の報酬を得ていたことがわかった。増子議員は処分後、監査役を辞任した。朝日新聞の取材に「社長は30年来の友人。どのような営業をしているかは処分を受けるまで知らなかった」と話している。

 また、増子議員の紹介でユナイテッド社が05年5月と06年5月に都内であった民主党のパーティー券150万円ずつ、計300万円分を購入していたこともわかった。同党は今年3月、外部から不適切だとの指摘を受け、全額を返したという。

 経産省によると、ユナイテッド社のシステムは、端末機の購入者が代理店となり、新たな代理店を獲得すれば利益が得られる仕組みだった。同社の勧誘者は「絶対にもうかる」「最初に契約した50万円のもとがとれる」などと虚偽の説明をしたとされる。代理店の大半が赤字だったという。同省は07年8月、特定商取引法に基づき、連鎖販売の新規契約や勧誘を半年間禁じる業務停止命令を出した。

 増子議員によると、監査役になったのは、解散まで衆院議員だった05年9月の総選挙で落選した直後の同年12月。以降、07年12月までの2年間務め、報酬は月20万円だったという。07年4月に参院補選に当選。ユナイテッド社が処分を受けた後の同9月にネクスト経産大臣に就任した。

 会社法によると、監査役は株式会社の業務や財産の状況を調査でき、法令違反や不当な事実がある場合は取締役への報告義務がある。増子議員は「監査役会には出席していたが、あくまで資産の部分のチェックだった。処分後、社長から『迷惑がかかる』と退任を求められたので辞めた」と話した。

 民主党は結果的に、経産大臣の命令で業務停止中だったマルチ商法業者の監査役を「次の経産大臣」に任命。処分期間中である07年9~12月の3カ月余の間、マルチ商法業者の監査役と監督官庁のネクスト大臣を兼務させ続けていた格好だ。

 民主党では先月、前田雄吉衆院議員(48)=離党=がマルチ商法業者から金銭を受け取り、業界擁護の国会質問をしていたことが発覚。国対委員長の山岡賢次衆院議員(65)が会長を務めた業界支援の議員連盟が、広報誌の中でマルチ商法に注意を呼びかけた社会福祉協議会に抗議したことも明らかになっている。

 ユナイテッド社には、三菱東京UFJ銀行が融資して一部が焦げ付いており、同行は「問題先へのずさん融資」として金融庁に報告していた。(坂田達郎、奥山俊宏、織田一)

                   ◇
 
確か、前田ネズミの摘発も朝日の特ダネではなかったか。
 
民主党にはやさしいはずの朝日新聞が、ネズミ(マルチ)となると相手が民主党でも容赦はない。
 
ネズミにトラウマでもあるのか。
 
この記事で朝日は、前田ネズミのような一般の民主党議員がネズミだったというのと、今回は訳が違うと言いたいのだ。
 
ネズミを取り締まる立場の経済産業大臣を、民主党が「次の内閣」で、増子ネズミに任命していた可笑しさを言いたいのだ。
 
で、増子ネズミの弁解は、
「社長は30年来の友人。どのような営業をしているかは処分を受けるまで知らなかった」
 
「知らなかったでは済まされない」とは、みのもんたと杉尾TBS解説員の今朝の「朝ズバ!」での言葉。
 
そりゃそうだろう。
 
益子ネズミのユナイテッド社での役職は監査役。
 
監査役の立場を朝日が皮肉っぽく解説している。
 
監査役は株式会社の業務や財産の状況を調査でき、法令違反や不当な事実がある場合は取締役への報告義務がある

なるほど、これでは「知らなかった」で通るわけはない。
 
だがネズミが、大ウソつきであることを忘れてはいけない。
 
何しろ必ず破綻するネズミ講を、「ネットワービジネス」とか「ユナイテッド何だら」とか、カタカナ文字で煙に巻いて、
 
「必ず儲かる!」といって誘うのだから、
 
ウソがつけなきゃ勤まるはずはない。
 
もっともこんなウマイ話に騙される方も悪いが、
 
ま~、今度は自分がネズミになって他人にウソをつけばよいか。(笑)
 
今朝の朝日は大張り切りで、ネズミ企業に融資した大銀行もマナ板に上げている。
 
三菱東京UFJ、ずさん融資300億円 「問題先」にも(朝日新聞2008年11月2日3時0分)
 
三菱東京UFJ銀行が、バカラ賭博の経営に関与したとして逮捕された社長の会社や、マルチ商法に絡んで問題になった会社など同行自身が「問題先」と認める相手を含む八十数社に3年間で総額約300億円を融資し、約70億円を焦げ付かせていたことが、同行の内部調査で分かった。
・・・

・・・、ユナイテッド社はマルチ商法(連鎖販売)を展開し、「絶対もうかる」などとウソの説明をして販売代理店を勧誘したとして昨年8月、特定商取引法違反で経済産業省から半年間の業務停止を受けた。・・・

・・・三菱東京UFJの広報部は「個別の案件についてはコメントできない」としている。≫

>個別の案件についてはコメントできない

そりゃそうだろう。

世界的大銀行がネズミ講やバクチ会社に融資していたとは、恥ずかしくて・・・

「とてもコメントできません!」(涙)

 

三菱東京UFJが融資して焦げつかしたのは、
こんな会社↓

【動画】ユナイテッド・パワー「マルチ商法」

天下の三菱東京UFJも、ネズミのウソは見抜けなかったのか。

マルチに、良いマルチも、悪いマルチもない。 

ウソの上手なマルチと、ウソが下手なマルチがあるだけ。

ウソの上手なマルチは現在でも元気に増殖中!

ご用心!

 

【追記】 09::01

沖縄は人間関係が濃密なのでネズミ講(マルチ)が増殖し易いと前に書いたが、

7~8年ほど前に美容室に業務用品を販売している知人から、「パソコン・ネズミ」の勧誘を受けたことがある。

ネズミの餌が化粧品や健康食品からPCに変わっただけで、ネズミには違いないから、止めたほうが良い、

とアドバイスしておいたが、その後その知人との音信はない。

今回の「ユナイテッド・パワー」とは時期が違うので、別の「PCネズミ」だったかとも思ったが、

ユナイテッド社のHPを調べたら、創立は平成12年で、丁度8年前。

やはり同じ「PCネズミ」だったのか!

勧誘を受けた「PCネズミ」の会社名は記憶にないが、カタカナだったのは覚えている。

HPの「会社の理念」等を読むと、やっぱり同じネズミだ。

知人は美容室を巡回する仕事なので、

ひょっとしたら、沖縄の美容室には

「ネズミネット」が張り巡らされているかのか。

◆「ユナイテッドパワーHP」⇒http://www.unitedpower.co.jp/

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いつから表現の自由裁判に?集団自決訴訟

2008-11-02 08:53:34 | ★集団自決

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大阪高裁の「判決要旨」については、例によって裁判所の表現が読みづらいので、他の引用等にお任せして、比較的分かりやすくまとめてある共同記事を引用する。

 

集団自決訴訟の判決要旨 大阪高裁判決  
10/31 21:06  【共同通信】 

  沖縄集団自決訴訟の31日の大阪高裁判決の要旨は次の通り。

 【判断の大要】

 当裁判所も1審同様、梅沢元守備隊長らの請求はいずれも理由がないと判断する。

 「太平洋戦争」の記述は梅沢元隊長、「沖縄ノート」の記述は梅沢元隊長と赤松元隊長の社会的評価を低下させる内容だが、高度な公共の利害にかかわり公益を図る目的だったと認められる。

 座間味島と渡嘉敷島の集団自決は日本軍の深いかかわりを否定できず、日本軍の強制、命令と評価する見解もあり得る。しかし、両隊長が直接住民に命令した事実に限れば、その有無は断定できず、真実性の証明があるとはいえない。

 集団自決が両隊長の命令によることは戦後間もないころから両島で言われてきた書籍出版のころ、梅沢命令説、赤松命令説は学会の通説で、各記述は真実と信ずるに相当な理由があった。また「沖縄ノート」の記述が公正な論評の域を逸脱したとは認められず、出版は不法行為に当たらない

 書籍は昭和40年代から継続的に出版され、その後資料で両隊長の直接的な自決命令は真実性が揺らいだ。しかし、各記述や前提の事実が真実でないと明白になったとまではいえず、出版の継続は不法行為に当たらない。

 【証拠上の判断】

 梅沢元隊長は1945年3月25日に本部壕で「自決するでない」と命じたと主張するが採用できない。村の幹部が自決を申し出たのに対し、玉砕方針自体を否定することなく、ただ帰したと認めるほかない。

 控訴審で出された、梅沢元隊長が本部壕で自決してはならないと厳命し、村長が住民に解散を命じたとする島民の供述は明らかに虚言。梅沢命令説、赤松命令説が援護法適用のために作られたとは認められない。

 時の経過や人々の関心の所在など状況の客観的な変化にかんがみると、梅沢元隊長らが本件書籍の出版等の継続で、人格権に関して、重大な不利益を受け続けているとは認められない。

 【法律的判断】

 高度な公共の利害にかかわり公益を図る目的で出版された書籍について、発刊の時は真実性や真実相当性が認められ、長年出版を続け、新資料で真実性が揺らいだ場合、ただちに記述を改めなければ出版継続が違法になるとするのは相当でない。

 違法になるとすれば、著者は、過去の著作物にも常に新資料出現に注意を払い再考し続けねばならず、名誉侵害を主張する者は新資料の出現ごとに争いを蒸し返せる。著者に対するそうした負担は言論の萎縮につながる恐れがある。

 特に公共の利害に深くかかわる事柄では、その時点の資料に基づく主張に対し、別の資料や論拠での批判・再批判が繰り返されるなどして大方の意見が形成され、その意見も時代を超え再批判される。その過程を保障することこそが民主主義社会の存続基盤をなす。特に公務員に関する事実にはその必要性が大きい。

 そうすると、仮に後の資料から誤りとみなされる主張も言論の場で無価値とはいえず、これに対する寛容さこそが自由な言論の発展を保障する。

 従って新資料の出現で記述の真実性が揺らいだからといって、ただちに出版継続が違法になるとは解釈できない。

 もっとも(1)真実でないことが明白になり(2)名誉等を侵害された者が重大な不利益を受け続け(3)発行が社会的な許容限度を超える場合、出版継続は不法行為を構成し差し止め対象になる。

 本件では、両隊長は戦争後期に公務員に相当する地位にあり、記述は高度な公共の利害にかかわりもっぱら公益を図る目的であるから、出版差し止めなどは少なくとも(1)内容が真実でないことが明白で(2)重大な不利益を受け続ける時に限り認められる、と解釈するのが相当だ。

 2008/10/31 21:06   【共同通信】

                                              ◇

 今朝の沖縄タイムス社会面トップの大見出しはこれ。

「強制」復活 希望と課題

得意の印象操作である。 

いかにも高裁判決の結果、教科書に「強制」が復活するように見えるが、よく見たら、

「復活は希望であり課題でもある」という意味らしい。

だったら「強制」復活は今後の希望と課題

とでも書け!

高裁判決で隊長の命令は

両隊長が直接住民に命令した事実に限れば、その有無は断定できず、真実性の証明があるとはいえない」(両隊長の命令はなかった)

と認定したため、

教科書から命令や強制を削除させた2006年度の文部省検定意見を支持したことになる。

タイムスが連日大見出しで印象操作に励んでも、

今後も引き続き教科書には命令や強制は記述できない。

これが事実ですよ、タイムスさん。

                   *

この裁判は当初から「関与」という日本語の定義を曖昧にしたまま続けられた。

原告弁護側は文部省意見書に従って、「関与」は認めるが「強制(命令)」は認めない、という立場で裁判に臨んだ。

だが、原告支援者の中にも藤岡信勝拓大教授のように、「『関与』も認めてはいけない」とする人もいた。

【正論】集団自決と検定 拓殖大学教授・藤岡信勝 “トリック報道”で世論誘導 - MSN産経ニュース

 

関与と命令

「関与」は広い意味を持つ言葉で慰安婦問題の時も、論点は「強制連行の有無」であるにも関わらず、慰安所は軍が利用していた為「(軍は)関与はある」としたが、それが「日本軍は慰安婦の強制連行に関与した」とすりかえられたことは周知のこと。

先日給食のパンを喉に詰まらせて窒息死した小学生のニュースが話題になったが、

早食い競争があったのではないという父親の問いに、当初校長はこれを否定していた。

だが、家族側の追求に校長は、早食い競争は否定しながらも「総合的に判断すると(早食いを)誘発するような状況があった」として家族に謝罪して一件落着した。 謝罪はしたが学校側が責任を取る問題ではない。

この場合学校の教室で起きた事故であり、死因は給食用のパンであるから、窒息死に学校の「関与」があるのは当然だが、学校側や担任の教師が「早くい競争」を命令したわけでも強制したわけでもない。 校長は謝罪したのは、賠償責任ではなく、子供の命を救えなかったことを詫びたのだ。

学校或いは担任教師は(窒息事故に)関与はあっても、(早食い競争の)命令や強制がなければ責任を取る立場にはない。

ついでだから別の例を挙げよう。

警察官の不注意で拳銃が民間人の手に渡り、それで自殺した人がいた。 

警察の備品での自殺ゆえ、警察の関与は認めても、それだけで自殺に警察の命令や強制があったとはいえないのと同じである。

拳銃保管の不手際の責任は、別問題として問われるべきである。

集団自決の場合も、手榴弾という軍の備品で自決したのなら関与はあったといえても、それだけで軍が命令や強制があったとして責任は問えない。

軍備品保管のずさんさを問われても仕方がないのは警察の拳銃保管と同じである。

高裁判決で、集団自決は日本軍の「関与」とを認めながら、その一方「命令(強制)」は認めていない。

その意味で、梅澤、赤松両氏は高裁判決で事実上既に名誉を回復している。

座間味島と渡嘉敷島の集団自決は日本軍の深いかかわりを否定できず、日本軍の強制、命令と評価する見解もあり得る。しかし、両隊長が直接住民に命令した事実に限れば、その有無は断定できず、真実性の証明があるとはいえない。≫

                    *

■いつの間にか「表現の自由裁判」に■

控訴審判決は、考えようによっては世にも恐ろしい人権無視の判決である。

被告の大江・岩波が表現を職務とする立場にあるせいかどうか、

判決は、「表現の自由を護る為には個人の人権は踏みにじってもかまわない」という意味なのだ!

公務員なら、何の根拠もない糾弾を受け、新聞・書籍等のマスコミで名誉を毀損されても、自分で「明確に」無実を証明できなければ我慢しろというのだ。

公務員にとっては「恐怖の判決」である。

「集団自決裁判」の被告は、株式会社岩波書店と大江健三郎の2者であるが、

これに加えて沖縄タイムスと朝日新聞もこの裁判の事実上の当事者であり、被告の一員であると考えている。

そもそも事件の発端は沖縄タイムスが発刊した『鉄の暴風』のずさんな記事であり、それを最初に出版したのは朝日新聞社であった。

それに岩波と朝日は出版と新聞を代表する左翼言論の牙城であるという共通項の外に、

本裁判の被告側の秋山主任弁護士は、岩波と朝日両社の顧問弁護士でもあるという共通項もある。

つまり本裁判の被告集団は、戦後の日本をミスリードしてきた「戦後民主主義」的言論発信の代表集団であり、

同時に安倍元首相が脱却を試みて果たせなかった

「戦後レジーム」のシンボルともいえる集団である。

大阪高裁は、依然として根強い戦後民主主義の代表選手の威光とノーベル賞受賞者の権威の前に、判断力を失いひれ伏してしまった。

「真実相当性」をねじれ解釈して、被告を無罪にするため、判決は「表現の自由」という錦の御旗を、土俵に引っ張り出した。

大阪地裁の深見裁判長も高裁の小田裁判長も夫々の判決の後、定年退職だと聞くが、

退職後は、岩波、朝日の権威に、揉み手をしながら余生を送るつもりで、「表現の自由」を持ち出したのか、

11月1日付けの朝日社説も、嬉しそうにこれに答えている。

 ≪そこでもうひとつ注目すべきは表現の自由を幅広く認定したことだ。原告側が「沖縄ノート」の発行後に隊長命令説を否定する資料が出てきたと主張したことに触れ、「新しい資料で真実性が揺らいだからといって、ただちに出版の継続が違法になると解するのは相当ではない」との判断を示した。≫(朝日社説)

沖縄タイムスによると、

控訴審判決があった10月31日の夜、大阪市内で被告支援者の集会が行われたが、その会場でも

言論、表現の自由が守られた」と発言があるたびに何度も大きな拍手があったという。

いつの間にかこの裁判は「言論・表現の自由を守る裁判」に変わっていたのだ。

小田裁判長は「表現の自由」という神の声を発する大江・岩波(朝日新聞、沖縄タイムス)の前に土下座しててしまったのだ。

 

■裁判官の限界■

60数年前の証言のみに頼り、一片の物的証拠もない本裁判の「証拠上の判断」は、

裁判官の恣意的判断のオンパレードである。

60数年も前の記憶が機械のように正確だったら、

むしろ作為を感じて疑わしいと考えるのが普通で、

本筋さえ筋が取っていたら是とすべきで、枝葉の部分の多少の思い違いなどない方が不思議である。

宮平証言を裁判長は真っ向から否定しているが、

昭和20年の10月25日の夜の座間味島。

三日三晩に渡って島を襲った米艦砲射撃を避けて、壕から壕へと逃げ回っていた当時の村民で腕時計ををっていた人は殆ど居なかった。 

時計は学校や役所にしかなく、時間は月の動きで判断していた。

しかも腕時計を持たない住民は「そのとき」不眠不休状態で逃げ回っていたのだ。

現在の感覚で、「何日の何時ごろ何処に居た」という「アリバイ証言」に多少の齟齬があったからといって、

戦後生まれの法律しか知らない法律バカが、

体験者の証言を「明らかに虚言」と一方的に切り捨てるのは驕りではないのか。

筆者は、体験者の話を聞くべく何度か宮平秀幸氏と話す機会があったし、

宮平氏と同行で浦添市在住の宮平氏の同級生夫妻を訪ね体験談を聞いたたこともある。

久し振りに逢う同級生も、証言とは関係ない些細な同級生との出来事まで憶えている宮平氏の記憶力には驚いていたほどである。

筆者は本人と直接会話した経験で、宮平証言は細部の思い違いはともかく、本筋では真実をかたっていると確信する。

宮平氏からは裁判の争点以外にも興味深い体験談を聞いているが、本筋から外れるので稿を改めて紹介したい。

 

宮平証言に関して、

大阪高裁は、百歩譲っても、

「当裁判所では真偽の判断は出来ない」というぐらいの良心は持つべきだろう。

 

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集団自決控訴審判決は不当判決である!

2008-11-01 08:13:28 | ★集団自決

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今朝の沖縄タイムス朝刊一面の大見出し。
 
元戦隊長側の控訴棄却
 
「真実相当」と認定
 
命令は「学会通説」
 
原告の敗訴であるが、
 
当日記は不当判決と認識する。
 
沖縄タイムスの見出しは、「控訴棄却」だけは事実だが、
 
カッコ付きながら「真実相当」も「学会通説」も事実ではない。
 
タイムス得意の印象操作の見出しである。
 
法廷においては「真実相当」と「真実」は別の概念であるが、見出しは故意に二つの概念を同一に印象操作している。
 
正確に記すなら、「真実相当性」と認定、が正しい。
 
ちなみに「真実相当性」とは、例え真実ではなくとも、真実と信じる相当の理由があること、であり「真実」であることとは別の法概念である。
 
                    *
 
この裁判は、被告側が「沖縄ノート」、「太平洋戦争」で「集団自決は元戦隊長の命令である」と断定的に記述し、
 
それによって原告が名誉を毀損されたとして、出版の差し止めと謝罪を求める名誉毀損回復の訴訟である。
 
したがって、争点は「命令の有無」という歴史認定の問題と、
 
それによって名誉が毀損されたかという個人の問題、
 
更には出版の差し止めの当否という公共の問題「に論点が分かれる。
 
そして出版差し止めと名誉毀損は「表現の自由」という別の概念にも関わってくる。
 
 
昨日のエントリーで、このように書いた。
 
梅澤、赤松の両元隊長が集団自決命令をくだしていなかったとしても、原告敗訴はあり得ることである。

つまり裁判所の「真実相当性」の判断いかんにより、名誉毀損が退けられることがあるのだ。

「命令説を信じるに足る相当の理由」で出版したのであれば、

判決の時点で、著者や出版社が違法性を問われることはない。(名誉毀損は成立しない)

つまり原告、被告が最大の問題にしている「軍命令」がなかったとしても、原告敗訴はありうるのだ。≫

まさに筆者が危惧したことが判決に表れてしまった。

原告、被告が最大の争点にした「隊長命令」について判決はこう認定した。

両元隊長による自決命令について、今年3月の1審判決に続いて「証拠上断定できず、真実性の証明があるとはいえない」と認定した。≫

自決命令は

①証拠上断定できない⇒断定する証拠はない

②真実性の証明があるとはいえない⇒真実であるという証明は出来ない

「(隊長命令に)真実の証明があるとはいえない」としながらも「真実相当性」はあるという。

昨日のエントリーで「真実相当性」が裁判のポイントだと書いたが、裁判長は「真実相当性」の解釈を誤った。

控訴から結審まで6ヶ月足らずの異例のスピードで判決を下したのは、高裁が始めから一審判決を鵜呑みにする予断があったのではないか。

裁判長が「(自決命令の)真実性の証明があるとはいえない」としながらも、

その「証明のない真実」を断定的に記述した『沖縄ノート』の著者大江健三郎と故家永三郎著『太平洋戦争』を出版した岩波書店を免責にしたのだ。

大阪高裁は「歴史事実の認定」では、自決命令を事実上否定しながらも、

「真実相当性」の解釈を捻じ曲げて、

「表現の自由」という錦の御旗を盾にして、

ノーベル賞作家と岩波の権威の前に平伏したのだ。

原告側は当然上告するだろうが、最高裁では「歴史認定」はさておいて「真実相当性」という法律論で勝負すべきであろう。

60数年前の出来事を証言のみで争う「歴史認定」で、

「(自決命令の)真実性の証明があるとはいえない」という結論を高裁から引き出したが、

歴史事実の確認を法廷に求めるのは、この程度が限界なのかも知れない。

「証明があるとはいえない」とは「証明がない」と言うことで、普通の言葉で言えば、

自決命令は真実とはいえない」ということ。

判決は敗訴だが「歴史認定」、つまり元隊長の命令の有無に関しては、一応の勝訴といえる。

 

■「真実相当性」■

高裁判決は、歴史認定では元隊長の命令を事実上否定しながらも、「真実相当性」に逃げ込んで、控訴を棄却した。

元軍人らの直接的な自決命令の真実性は揺らいだが、命令を真実と信じる相当な理由があった」と。

産経新聞の津田大資記者が、高裁判決の「真実相当性」判断に関して、次のような疑問を投げかけているが、もっともな疑問である。

「沖縄ノート」差し止め訴訟 上告審では真正面から判断を

控訴審で原告側が問うたのは、出版時の大江氏の認識ではなく、元隊長による“直接命令説”が揺らぐ現在も、当時の記述のまま増刷を続けることが許されるのかどうかだ。その争点について、「表現の自由」という別次元の論理を楯に、原告側請求を退けた高裁の判断には違和感を覚えざるを得ない。≫

高裁判決は、歴史認定では元隊長の命令を事実上否定しながらも、「真実相当性」に逃げ込んで、控訴を棄却した。

「元軍人らの直接的な自決命令の真実性は揺らいだが、命令を真実と信じる相当な理由があった」と。

以下の引用は30日タイムス記事による「被告側最終陳述要旨」の抜粋である。

≪「太平洋戦争」は歴史的研究書で、「沖縄ノート」は歴史的事実に関する出来事への評論である。 記載されている事実の真実性・真実相当性については、過去の歴史的事実の確認の困難さを考慮し、歴史的探求の自由や歴史的事実に関する表現の自由に十分配慮した判断がなされるべきである。

 

>過去の歴史的事実の確認の困難さ

歴史の専門家でも困難を伴う歴史的事実の確認を、法律が専門だと言うだけの裁判官が、

6ヶ月足らずという短期間で結審し結論付ける態度に、裁判長の驕りを感じざるを得ない。

一審判決をそのまま鵜呑みにする予断が当初からあったのではないか。

過去の歴史的事実の確認の困難さを考慮し、歴史的探求の自由や歴史的事実に関する表現の自由に十分配慮した判断がなされるべきである

結局、被告側の言い分に対し、裁判長は次のように配慮した。

≪被告は、「太平洋戦争」や「沖縄ノート」を発刊した頃は、歴史的事実の確認は困難で、地元新聞社が発刊した「鉄の暴風」に準拠せざるを得なかった。 したがって「鉄の暴風」のずさんな記述に間違いがあってもやむを得ない。≫

そして、裁判長は被告の主張を鵜呑みにしただけでなく、「真実相当性」の解釈を誤った。

 

30日のタイムス記事を再度引用する。

原告(元隊長側)
隊長命令があったという「真実性」の証明がなければ、各書籍は名誉毀損を免れない。 一審判決は「真実性」を認めず、書籍の頒布は違法と認定している。 「沖縄ノート」一審判決後も増刷・販売を続けており、到底許されない。 一審の「真実相当性」の解釈も誤っている。

 

何度も書くが、この裁判は一審、二審の結果に関わらず、最高裁にもつれ込むと繰り返してきた。

最終的に、当日記は最高裁での勝訴が真の勝訴であると考えている。

最高裁の争点は「歴史認定」ではなく、「真実相当性」の解釈をめぐる純粋な法律論争となるであろう。

【おまけ】

地裁、高裁とも最大の争点である「自決命令の」有無」に関しては揃って歯切れが悪く、分かり難い表現になっているのは自信のなさの表れと見る。

法律バカに歴史の認定を求めるのは、八百屋に松坂牛を求めるようなもの、といったら言い過ぎか。

判決における自決命令に関する表現

高裁判決⇒「自決命令の真実性の証明があるとはいえない」

地裁判決⇒「自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない」

司法改革は「裁判が身近で分かりやすいものとなる」ということが目的のひとつにある。

判決文はもっと平易・明確に表現すべきではないのか。

高裁も地裁も、何故このような分かりにくい表現を使うのだろうか.。(そうでした、自信がなかったんでした)

こうすればわかり易いではないか。

「真実性の証明があるとはいえない」⇒「真実ではない」

「(認定に)躊躇を禁じえない」⇒「認定できない」

特に地裁判決文は「躊躇」「禁じ」「得ない」と三つの否定の言葉が連なる三重否定文。

否定の否定は肯定。

更に、それを否定で、結局は否定。

だったら、最初から否定しろ!

 

「沖縄ノート」一審判決後も増刷・販売を続けており、到底許されない。 

一審、二審の「真実相当性」の解釈も誤っている、と思う方、

クリックお願いします。

最高裁でも戦います。↓

大江氏不在の法廷で2度目の敗訴 原告の名誉回復ならず「最高裁でも闘う」10.31 21:38

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