狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

懐かしき幻影 「大田さん 輝いていた沖縄の知事」

2006-11-22 07:35:51 | 未分類

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【天声人語】2006年11月21日(火曜日)付 

 沖縄が日本の他の地域と最も異なるのは、米軍基地という「外国」を飛び抜けて多く抱えていることだ。その「外国」を通じて、世界の戦場とつながっている。独特の緊迫感が、沖縄にはある。

 沖縄県知事選で、自民と公明が擁立した仲井真弘多氏が、民主や共産、社民などが推した糸数慶子氏を破った。「経済の活性化」を優先して投票した人が、「米軍基地問題」を優先した人を大きく上回り、仲井真氏への追い風になったようだ。

 焦点の米軍普天間飛行場の移転問題で、仲井真氏は、名護市にV字形滑走路を造る政府案に「現行のままでは賛成できない」としつつ、県内移設は容認する構えを示した。この「賛成できない」というところに、経済面だけでなく、基地問題にも取り組む姿勢を感じ取ったり、そう期待したりした人もいたのだろう。

 糸数氏は「若い人に、基地の訴えが届きにくくなったのは事実」と述べた。基地問題をどう訴えるかを巡って、陣営内で論争が起きたという。世界の戦場とつながっているという緊迫感にも変化が生じているのだろうか。

 大田昌秀・前知事が1972年の本土復帰の数年前、雑誌「世界」に書いた。「海岸線一帯に累積している無数の死骸(しがい)を前にしてわたしが考えたことは、この惨状を正当化しうる名分は、何にもありえない、ありえようはずがないということであった」。45年、学業半ばで沖縄戦に動員された。

 実体験の戦場の記憶は薄れようもないが、若い層への継承はどうなのか。戦後61年の時の流れをも考えさせる結果となった。

                        ◇

朝日新聞は沖縄知事選の大敗がよっぽど悔しいのか、

祭りが終わって二日にもなると言うのに、昨日の天声人語で、革新の星であった元太田知事まで持ち出して沖縄知事選の敗北を悔しがっている。

それもそのはず今回の選挙で革新陣営は従来の「革新共闘」に加えて一部保守も加えた「野党共闘」(社民党県連、社大党、共産党県連、民社党県連、自由連合沖縄、政党そうぞう)で従来の革新共闘的な硬直性を避けて左右併せ呑む柔軟路線だった。 にもかかわらず大差の敗北だったのだ。

朝日が懐かしむ元太田知事は知事選不出馬で知事を辞めたのではなく、県民の選択で知事職を明け渡したことを忘れないで欲しい。

今回の知事選も、嘗ての社会党を髣髴させる思想硬直の「非武装、中立的平和原理主義者」に県民がノーと言ったに過ぎない。

朝日OBの筑紫哲也氏は沖縄が大好きで、沖縄訪問の折は愛弟子の沖縄タイムスの記者連に囲まれて只酒の連夜と聞く。

今回も取材と称して選挙応援に行ったようだが、さぞかし悔しかっただろう。

8年前の知事選「大田vs稲嶺」の時も沖縄に応援に行って、その敗戦の悔しさを沖縄タイムスに寄稿していた。

この筑紫哲也というお方、長年ジャーナリズム畑を歩んできたベテランのはずだが、沖縄の実態を完全に見誤っている。

沖縄を訪問する度に彼の名声に媚びて周辺に集まる人は彼が育てた沖縄メディア 、そして左傾学者や文化人達。

彼等と幾夜、泡盛を傾けながら議論を戦わしても一握りの左翼とのコップの中の議論にしか彼の耳には入らない。

大田さん/輝いていた沖縄の知事 」というタイトルにこの人のジャーナリストしての限界をみる。

最後にくどいようだが筑紫さん、天声人語さんにもう一言。

大田前知事は県民が選挙によって「ノー」と言う民意をを突きつけた人ですよ。

今度はどんな残念の弁を寄稿するやら。

                       ◇

沖縄タイムス <1998年11月22日> 朝刊 1版 総合1面(日曜日) 
 
[筑紫哲也の多事争論かわら版]/大田さん/輝いていた沖縄の知事


 「残念だ」「がっかりした」。

 沖縄県知事選挙の取材から戻ってきた私は、未だにこの二種の感想にしか出会っていない。


 選挙結果と引き較べると、どうやら大田昌秀氏は、当の沖縄より本土の方が人気があったのではないか、と思えるほどである。


 普段は沖縄のことにそう関心を持っているとは思えなかった人たちの口から、そういう感想を聞かされると、なぜなのだろうと考えてしまう。


 そういう人たちをふくめて、全国的知名度のある唯一の沖縄の人が、安室奈美恵さんを除けば、大田さんだったということが、まずある。沖縄から本土に向かって何事かを問いかけ続けた「発信体」であり、「象徴」でもあった。


 "大田人気"の第二の理由は、その発信のなかみである。そこには、中央政府への「抵抗」、異議申し立ての要素が多分にふくまれていた。


 週末は東京以外の全国各地に身を置くことを習慣にしてきた私は、地方保守政界にすら根強い大田人気、と言うより期待があることを発見して驚いたことがある。箸の上げ下ろしまで指図しかねない中央集権、権力の一極集中にうんざりしてきた人たちは、米軍基地をいわば"人質"にして中央政府に抵抗を示す大田さんがどこまでやれるかを、半ばわがことのように注視していたのである。


 人気の第三の理由は、大田さんがこの国の諸々の指導者のなかで珍しく、理想、理念、原則を語り、それに従おうとした人物だったことだと思う。時あたかも、中央ではそれらを全て欠いた権力争い、離合集散が続いたから、この対照は一層鮮やかであり、「いっそ大田さんを首相にしたら」という巷の声ともなった。


 この夏、私がかかわっている郷里の市民大学は、二日間にわたる特別講座を催した。参加者も全国各地から集まったが、講師も中坊公平、菅直人の各氏をはじめ、多彩な顔ぶれで、大田知事にも加わっていただいた。「これからの日本をどうする」という大テーマに、沖縄は外せないと思ったからである。


 「大田さんの輝きの前に、わが県の知事は色あせて見えた」と地元参加者が感想を語った。「わが県の知事」は、実績も個性もあり、他県とは群を抜いた存在だと私は思ってきたのに、である。


 結果的には、第二、第三の理由は選挙戦で大田さんの足を引っぱることになった。そして、沖縄は有能な「スポークスマン」を失うことになった。沖縄だけでなく、この国のありようを問い、考えさせてくれた大田さんに「ありがとうございました。そしてご苦労さまでした」と申し上げたい。


 「残念」「がっかり」の感想のなかには、自分たちが自分たちの場でなすべき努力を棚上げして、他者にそれを期待する、例によっての身勝手がふくまれている。が、現実として、そういう人たちの沖縄への関心は当面は潮が退くように遠くなるだろう。「中央とのパイプ」の代償に、そういうこともあることを覚悟して、稲嶺さんにはがんばっていただきたい。

                        ◇

>どうやら大田昌秀氏は、当の沖縄より本土の方が人気があったのではないか、と思えるほどである。

その通り!

沖縄県民の総意は太田氏に「ノー」を突きつけたことをお忘れなく。

本土で人気があるというのは沖縄マスコミを通じて本土の人々が抱いている太田氏へのイメージは、県民の総意とはかけ離れた幻影であることに今頃お気づきですか、筑紫さん。

【おまけ】 

産経氏抄 平成18(2006)年11月21日[火]


 日本各地に、その土地ならではの季節を映し出すことばがある。信州大学名誉教授の宮坂静生さんは、それを「地貌(ちぼう)季語」と名付け、小紙大阪版夕刊に連載中のエッセーで紹介してきた。このほど本になった『語りかける季語 ゆるやかな日本』(岩波書店)のページをめくっていると、こんな句に再会した。

 ▼小夏日(こなつび)の潮吹き上ぐる一枚岩(本部弘子) 沖縄在住の作者が、珊瑚(さんご)礁の海岸風景を詠んだものだ。陰暦の10月、現在では11月に春を思わせる暖かい日があると、本土では小春日和という。これに対して、沖縄では「小夏日和」と呼ぶそうだ。立冬前後、日中には30度まで上がることもあるというのだから。

 ▼あらためて、日本列島の自然の多彩なありように思いを致した。地域によって、人々が政治に求めるものもさまざまだ。在日米軍基地の4分の3が集中している沖縄の県知事選では、当然のことながら基地問題が大きな争点となってきた。

 ▼とすれば、一貫して「反基地」を訴える野党統一候補の糸数慶子氏(59)の戦術は間違っていないはずだった。ところが日曜の夜、花束を抱えていたのは、自民、公明両党が推す仲井真弘多(なかいま・ひろかず)氏(67)の方だった。

 ▼経済振興を前面に打ち出し、全国一高い完全失業率という、この県特有の問題にしぼったのは仲井真氏も同じ。選挙の「女神」と呼ばれた二女の知里さん(24)の奮闘も目立った。何より、北朝鮮の核の脅威が現実となるなか、「反日米安保、反自衛隊」のスローガンが色あせたことが、大きな要因になったのではないか。

 ▼日本の安全保障という観点に立てば、本土も沖縄もない。来夏の参院選をにらんでの野党共闘だろうが、民主党は「地貌」の変化を見誤ったというしかない。


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