狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

大江健三郎の破廉恥な造語

2008-11-10 06:39:37 | 大江健三郎のいかがわしさ

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大江健三郎の屈折したエリート主義 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 の続編です。

 

渡辺 望 氏 「選ばれた読者」と「選ばれた民」 大江健三郎への一批判

(承前)

『沖縄ノート』はいろいろな謎に満ちた作品である。なぜ、取材もなしに、このような重要な主張をふくむルポルタージュを書けたのか。事実の根拠もないままの日本軍へのあまりに露骨な嫌悪と、意外なほどに軽視されているアメリカ軍の存在は、いったいどういうことなのだろうか。これほど日本軍への嫌悪をもちながら、なぜ彼は沖縄以外での日本軍のかつての実体を探求しようとはしないのか。

 しかし、これらの疑問への解答はそれほどむずかしくない。大江にとって、この『沖縄ノート』は、『個人的な体験』から『ヒロシマ・ノート』へ、そして『万延元年のフットボール』へと、江藤淳が危惧する方向へと大江が歩みを極め、それを完成した後の作品である。大江の最大の不安感はすでに解消されている。書が書かれるその都度において、「選ばれた読者」が誰であるかを見極め、それを満足できるように獲得できる術を獲得するということ。それが大江という人間の世界である。大江の民主主義の「民」とは、「個人的な体験」の私家版を書いたときに意識された、「選ばれた読者」の「読者」に他ならなかったのである。

 以下に二つの文章を例示しよう。一つ目の文章は『沖縄ノート』での驚くべき暴言の箇所である。

 沖縄の地上戦とアウシュビッツ収容所を同一視し、「拉致」という物騒な言葉をつかう感性の持ち主が、その後、ノーベル文学賞を受賞したのは信じられないことである。二つ目の文章は、『ヒロシマ・ノート』や『沖縄ノート』から30年以上が経過したのち、21世紀になってから大江の『「ヒロシマの心」と想像力』 と題された、これまた信じられないような空想的な政治的主張の講演録の一部である(『鎖国してはならない』所収)。

 しかし、今まで論じてきたことを前提とすれば、実は両方の文章は特に驚くには値しないといえるだろう。大江が考える民主主義の「民」とは、リアルな民衆ではなくて、大江の世界の会員制の「民」だからである。かつて江藤が鋭く感じていた不快や危惧は、こうして完全な形で完成されてしまうにいたったのである。「踏み絵」あるいは「ハードル」を乗り越えてきた、大江の観念の中の「民」が、大江の暴言や空想を支持している。1960年代の何年かの営為で大江が獲得した方法論とは、そうした、果てしなく自己中心的な世界完結に他ならなかったのである。彼にとってみればあくまで「読者」が問題なのであって、リアルな「沖縄」や「広島」は、ある意味、二次的な存在の問題にすぎない。  

1)折が来たとみなして那覇空港に降りたった。旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。彼は実のところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁 かれてしかるべきであったろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は拉致しはしなかったのである。

2)さらに日本政府があきらかにするできことは、朝鮮民主主義共和国のミサイル開発に加えてーそれが事実であるかどうか、決して軽率なことはいえませんがー核兵器の開発が疑われているいま、もっと切実な意思表示です。つまり、もし北朝鮮の核兵器ミサイルによる攻撃が日本に向けておこなわれる危機が現実のもの として浮上したとき、日本がアメリカの核兵器による北朝鮮への第一撃のみならず、第二撃の攻撃を要求しない、と声明することです。私はそれのみが、アジアの近未来の核状況において、日本が北朝鮮および中国から核攻撃を受ける可能性を縮小するもの、と考えます。

 私は戦後の左翼的作家の類型は二つに分けられると考える。一つは先年亡くなった小田実のように、現実の最先端にいて、いかなる間違いも認めず、「自分は正しいから正しいのだ」と最後までドンキ・ホーテを演じ続けることをアイデンティティとする惚稽な行動家。もう一つは10年ほど前に逝去するまで活躍した埴谷雄高のように、自分の左翼的思想信条に反するような資本主義・自由主義の現実を満喫し、多くの非政治的作家を育成しつつ、「永久革命者」という狡猾な造語により、自らの左翼的心 情の温存もはかる老獪な理論家である。

 大江という人間は、その両方のいずれにもあてはまらない。彼の政治的信条には、惚稽さや老獪さといったある意味でとても人間的な匂いが、なにも感じられない。小田がもし、今進行している沖縄の問題に携わったらならば、もっと苦笑せざるをえない失言や醜態を演じて、間違ってはいるが、しかし戦後民主主義の人間喜劇の一つを演じたに違いない。また埴谷ならば、老獪に狡猾に、「沖縄」に深入りすることなく、しかし結果的には自分の好みの左翼的ポジションを確保しえたであろう。惚稽さも老獪さも、それが一般的な読者に対してひらかれることによって、広く、ある意味人間的な「反(アンティ)」を感じさせるのである。

 沖縄裁判の大江の言動に対して感じる「反」にはそれがない。彼の文学エリート臭と闘っているだけではないか、という徒労感のみが「反」の実体であるような気配を感じる。それは繰り返しになるけれども、「選ばれた読者」に対して、いつまでも「いい子」であろうとするだけであるからなのである。だが、彼の正体について、『個人的な体験』の季節の頃の江藤淳の指摘以来、再び明かすことのできる格好の機会である、ということもまたいえるに違いない。沖縄裁判という舞台は、大江という人間味のない政治的作家の晩節にふさわしいさまざまを、彼に演じることを強制していくことであろう。 完

                   ◆

 

大江が吐いた有名な言葉にこんなのがある。

「帰るべき朝鮮もない、なぜなら日本人だから

これを読んで理解できる読者が何人いるだろう。

日本人でありながら,

「帰るべき朝鮮がない」と悲嘆にくれる特異な人物に、共感できるのは

「選ればれた読者」である少数の大江マニアぐらいのものであろう。

 

「帰るべき朝鮮がない」大江健三郎氏

 結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。

 (「わがテレビ体験」大江健三郎、『群像』昭和36年3月号
朝日花壇鑑賞会より孫引き)

                                            ◇

大江がこの文を書いた昭和36年頃には、日本人の海外移住なんて考えられなかったが、現在は本人が望めば出来る時代だ。

「脱北」が頻発しているくらいだから、「脱日」という手段もあるだろうし、

ノーベル賞作家の北朝鮮への亡命だったら将軍様も「地上の楽園」の広告塔として大歓迎するはずだ。

どうぞ「帰るべき朝鮮」にお帰り下さい。
 
「帰るべき朝鮮」については前にこのエントリーでも触れている。

司馬遼太郎も読んだ『鉄の暴風』  「琉球処分Ⅲ」

≪司馬氏は「司馬史観」と呼ばれるリアリズムを歴史小説のバックボーンにしており、

封建制国家を一夜にして合理的な近代国家に作り替えた明治維新を高く評価する。

その歴史観によれば「琉球処分」も日本が近代国家建設のため中央集権国家を作っていく合理主義つまりリアリズムの産物であり、肯定的な見方をしている。

■「鉄の暴風」に毒された「司馬史観」■

一方で、「司馬史観」は昭和期の敗戦までの日本を暗黒時代として否定して自虐史観に陥っていく。

沖縄史に関しても明治期の「琉球処分」では日本の発展していく過程の歴史共有(廃藩置県)として前向きに捉えていたのが

「沖縄戦」となると突如大江健三郎氏と同じ軸足で歴史を見るようになるから不思議だ。

「街道をゆく 6」でも「琉球処分」を述べた後に次のようなくだりがある。

<太平洋戦争における沖縄戦は、歴史の共有などという大まかな感覚のなかに、とても入りきれるものではない。
同国人の居住する地域で地上戦をやるなど、思うだけでも精神が変になりそうだが沖縄では現実におこなわれ、その戦場で15万の県民と9万の兵隊が死んだ。
この戦場における事実群の収録ともいうべき『鉄の暴風』(沖縄タイムス刊)という本を読んだとき、一晩ねむれなかった記憶がある。>(「街道をゆく」6-1978年刊)

なるほど、『デマの暴風』とも言われる『鉄の暴風』を、沖縄戦の「戦場における事実群の収録」として読んだら流石の司馬遼太郎先生も精神が変になりそうで、大江健三郎を彷彿させる逸話を書く羽目に陥っている。

ところで大江健三郎氏の「自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、」という有名な文を書いたのは昭和33年だが、

司馬遼太郎氏が『鉄の暴風』を読む以前にこの文を読んでいた可能性はある。

司馬氏はRさんという在日朝鮮人らしき人の口を借りて、沖縄人にも「帰るべき祖国がない」といったことを言わしている。

■大江健三郎にも毒された「司馬史観」■

<ごく最近、古美術好きの私の友人が、沖縄へ行った。彼は在日朝鮮人で、歳は50すぎの、どういうときでも分別のよさをかんじさせる人物である。

彼は帰ってきて、那覇で出会った老紳士の話をした。 私の友人はRという。
ーーRさんはいいですね。
とその老紳士は、しみじみとした口調で、「祖国があるから」と言った。相手が日本人ならば、このひとは決してこうわ言わなかったにちがいない。 
この話をきいたときの衝撃は、いまなおつづいている。 自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いがした。>(「街道をゆく 6」)

沖縄人の立場から言わせてもらうと、司馬氏が「街道をゆく 6」を出版した1978年の時点で、この沖縄の老紳士のように「祖国がない」と考える沖縄人は特殊な思想の人々はともかく普通の県民ではとても考えられないことである。

それにしてもあれほどリアリズムで歴史を見てきた司馬氏が、

沖縄の地上戦のことを考えて精神が変になりそうになり

『鉄の暴風』を読んだら一晩眠れなくなってしまう

あげくの果てには司馬氏は、沖縄の老紳士の話を伝え聞いて、

衝撃が続き、自分の沖縄観がこの一言で砕かれる思いをしたと述べている。

■帰るべき祖国とは■

文中の沖縄の老紳士の特殊な思想に影響を与えたと思われる大江健三郎氏の文を下記に引用する。

<結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった> (わがテレビ体験、大江健三郎、「群像」(昭36年3月号)>

このお方、日本人であることを放棄しているのだろうか。≫

                 

 参考記事:大江健三郎の“特権” 産経新聞 2007年12月1日

 

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4 コメント

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Unknown (トラネコ)
2008-11-11 21:06:35
こんばんわ
大江健三郎も筑紫哲也も共通するのは、異常なまでに自分の祖国(もっとも彼らの場合わかりませんが)を貶め、卑しめ、それが被差別のあるいは、弱者の側にたった正義の味方を気取っているように私には見えます。つまり自分は高いところから「お前ら弱者の味方をしてやっているんだぞw」というものの言い方です。早い話こいつらは沖縄にせよ、朝鮮にせよ見下してると思いませんか?ある意味田久保田忠衛さんのように沖縄にも厳しい批判をする人のほうが信用できますね。
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Unknown (狼魔人)
2008-11-12 19:38:30
トラネコさん

大江が、一方ではノーベル賞を獲得する形振り構わぬ恥知らずな営業活動をしておきながら、他方で良心の塊のような言動をするのを見ると、この男こそ本物の俗物だと思います。
最高裁に上告されたようですが、裁判官はこの俗物の正体を暴いて欲しいです。
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高裁判決に桜井さんの異議 (戦後教育を悲しむ)
2008-11-14 20:51:11
実は先週の週刊新潮に、既にでていましたが、今日正式にブログに掲載されました。

http://yoshiko-sakurai.jp/

非常に明快です。
裁判官という法律バカはどうしようもありませんな。事なかれ主義に屁理屈を塗りつけているだけです。
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裁判長の論理矛盾 (狼魔人)
2008-11-18 07:28:34
戦後教育を悲しむさん

情報ありがとうございます。

仰るとおり、極めて明快です。

一人でも多くの人に読んでもらうため、

本日のエントリで全文引用しておきました。
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