よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします
今日のエントリは大江批判の続編の予定だったが、今朝の「みのもんた朝ズバ!」で、みのと毎日新聞の与良正夫氏が田母神氏はまるでヒトラーの化身のような扱いで罵倒しているのを見て、急遽予定変更です。
我が沖縄タイムスも昨日の夕刊だけでは満足できず社説にまで取り上げて「首相の見解を聞きたい」ときた。
沖縄タイムス昨日(11日)夕刊の、田母神氏国会招致に関する見出し紹介。
◆一面トップ
<前空幕長、改憲も主張>
懸賞論文紹介認める 参院外防委
一面の大見出しは田母神氏が憲法改正を主張したのが怪しからん、というつもりだろうが、自分の存在を否定するような憲法に改正を求めるのは当然のことで、むしろ空爆長の立場で護憲を主張したら偽善者と言われただろう。
軍隊(自衛隊)の存在自体を否定する憲法の下で国を護れと強要する方が異常である。
米基地に勤めながら「米基地反対!」を叫ぶ米軍基地労働者の組合も自己矛盾に耐えられず、「平和センター」から脱退したではないか。
◆社会面左トップ
前空幕長招致 <文民統制軽視 反省なく>
論文の正当性強弁
政局絡みで招致利用
「反省なく」とか「正当性強弁」というが、
自分が正しいと思ったことを主張して、これを国会招致で問われたので弁明したわけだ。
田母神氏が反省するいわれはない。
哲人ソクラテスは、国家と異なる言動をした罪で裁判にかけられ評決の結果死刑を宣告された。
自論を取り消して反省すれば助かったが、反省を拒否し、「ソクラテスの弁明」を行った後、国の裁決に従い、毒杯をあおって果てた。
田母神氏は哲人ソクラテスに倣って国会で弁明した。
勿論、反省もしなかった。
信念を述べて反省するはずはない。
だが田母神氏は空幕長を解任され事実上の辞任勧告をを受け入れている。
既に国の「裁決」(更迭ー解任)には従っており、これ以上の毒杯をあおる必要はない。つまり退職金まで返納する必要はない。
*
民主主義社会では法律の制定に国民が関与している。
従って自ら設定に関与した法律に自分に不都合だという理由で従わなかったら民主主義社会の秩序は保たれない。
ここで重要なのは「反対意見を持つこと」と「従わないこと」は似て非なるものであり、
二者は厳密に峻別しなければならない。
公務員である教師が、思想・信条の自由を主張して「国旗国家法」に反対意見を持つのは自由だが、
国家斉唱等の行事でこれに従わないのは、思想・信条の自由とは別問題でである。
田母神前航空幕僚長は、「政府見解」に反対意見を表明したが、政府の方針に従って解任され職を失った。
田母神氏は、「村山談話」という「悪法」に公然と反対意見を主張したが、悪法とはいえ政府見解なので、「悪法」にに従って処分されたわけだ。
【田母神氏招致】(2)「論文いささかも間違っていない」)
田母神俊雄・前航空幕僚長は11日の参院外交防衛委員会での参考人招致で、自らの解任について、「シビリアンコントロール(文民統制)の観点から防衛相が村山談話と見解の相違があると判断して私を解任するのは当然だ。しかし、私は私の書いたものはいささかも間違っているとは思っていないし、日本が正しい方向に行くため必要なことだと思っている」と述べた。(産経新聞2008年11月1日)
◇
ソクラテスが「悪法も法である」と言ったかどうかはともかく、
古代ギリシャの哲人は法が自分に都合の悪い判決を下しても、それを受け入れなければならない、ということを身をもって示した。
だが哲人の遺志を誤解してはいけない。
ソクラテスが示したのは、
悪法にも唯々諾々と従えという意味ではない。
法が常に正義であるとは限らないので、
間違った法は正していかなければならないということを示したのである。
田原総一郎氏は昨夜のTBS追悼番組で、
「筑紫さんが生きていたら、ギャフンと言わせたはず。これはクーデターだよ」
・・・ということは国会招致は田母神氏の完全勝利ということを、この先生方は認めたということになる。
だったら亡くなった筑紫氏などに頼らずに自分の番組に招待して論戦をしたらどうだ。
憲法も「村山談話」も不磨の大典ではない。
ソクラテスは、悪法も法だが議論の結果改正できるのが民主制だと身をもって示した。
田母神氏は、国会招致で毅然として「ソクラテスの弁明」を行った。
憲法と「村山談話」は悪法なり・・・と。
憲法と「村山談話」は変えるべきと思う方、
クリック応援お願いします。
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします