久しぶりに料理ネタ。
と言っても玄関に放置して芽の出たジャガイモ10個ばかり、仕方なく調理する。
イモはキタアカリ、ポテトサラダに変身させる。
亀の子たわしでごしごしやってイモの泥を擦り落とし、
手を切られるように冷たい水道の水で洗い流し、
台所に立ちっぱなしでひたすらイモの皮を剥き、突出した芽を深く抉り取る。
真冬の厳寒期の今時分にこの作業を黙々とやっていると、
何故か物凄く不幸せな陰鬱な気分になってくる。
“イモの皮を剥く=不況で極貧で不幸のどん底の悲しい生活”
という根拠無い固定観念は何処から植えついたものだろう?
同じ野菜の皮を剥くにしても、大根や人参の皮もイモの皮も
氷温の水で調理するのは同じであるのに、イモを調理する時だけは何故か
自分が物凄く不幸な気分になる。
何かの刷り込みだろうか?
不幸な気分で陰鬱に皮を剥いたジャガイモを均等な大きさに切り揃え、
まず湯掻いて粉を吹かせる。
よく粉を吹いたらオリブ油で炒めた玉葱とベーコンを合わせ、牛乳を加えて煮詰める。
(私は基本的に、ポテトサラダにマヨネーズを使わない。
熱量が高過ぎるし、ちょうどいい柔らかさと味になるまで使うには
相当に多量のマヨネーズが必要である。
しかもマヨネーズは味がしつこくて苦手だ。)
最後にグリンピースを投入し、余熱で全体を馴染ませ、
昆布茶と黒胡椒で味付けする。
器に移して冷ます。
出来た。
味はイケるが、イモはそれだけで熱量高い。
そうか。
熱量の高い事も不幸である。
マヨネーズ使ってないにしても、これは筋トレ余分にやらんとダメだわ。