家族もろとも津波に呑まれ、いまだに行方不明の方々が多くおります。
震災地での犠牲者は、火葬もできずに葬儀すら満足に出来ない状況が続いています。
先々週の月曜日11日、母がいる保養センターを訪れた際に母は、震災と津波の惨状をテレビで目の当たりにし、目頭を押さえておりました。
13日私は東京出張でしたが、この日が父の49年忌で姉達が供養餅(くじら餅)を作り母と一緒に食べたそうです。
母は自分が死んだらこの餅を供えるよう姉達に注文を…
15日早朝に脳梗塞で緊急入院、私が東京から戻り病院に行った時は、微かに解ったようで、右手の握力を強くして私に、自分の旅立つ事を合図しているようでした。
それから少しずつ弱り、3日後の18日午後0時、眠るように満95歳の生涯を閉じました。
まさに浄土への旅をみんなから祝福されるかのような穏やかな最後でした。
一生を通じて誰もから慕われ、苦しみもせず、家族にも負担をかけずに眠るように…
人生はこのようにあるべしと、誰もが羨むような母の一生でした。
震災地の惨状を思えば、あまりにも恵まれた母の葬儀でした。
この母の葬儀にあたり多くの方々から弔文、弔電も含め、お気遣いを戴きました。
心より感謝と御礼を申し上げます。
写真は葬儀の祭壇ですがこの祭壇に姉達が作った例のくじら餅が供えられています。
さて今日から通常業務に入りましたが、1週間の溜まった仕事に翻弄されています。
今夜は、これからユーザー会の役員会が開かれます。
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それから少しずつ弱り、3日後の18日午後0時、眠るように満95歳の生涯を閉じました。
まさに浄土への旅をみんなから祝福されるかのような穏やかな最後でした。
一生を通じて誰もから慕われ、苦しみもせず、家族にも負担をかけずに眠るように…
人生はこのようにあるべしと、誰もが羨むような母の一生でした。
震災地の惨状を思えば、あまりにも恵まれた母の葬儀でした。
この母の葬儀にあたり多くの方々から弔文、弔電も含め、お気遣いを戴きました。
心より感謝と御礼を申し上げます。
写真は葬儀の祭壇ですがこの祭壇に姉達が作った例のくじら餅が供えられています。
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