大事な用もあったのですが、大切な仲間との別れを優先させて貰いました。批判があれば甘んじてお受けします。
…渡辺健司さんとお別れしてきました。
ロス、ソウル、バルセロナの競泳代表で大学水泳部では一つ下の後輩にあたります。
水泳金メダリストを祖父に持ち、身体は大きくありませんでしたが、その泳ぎのセンスと勝負強さは抜群でした。
勿論水泳のキャリアは僕は足下にも及ばすでしたが、チームメイトとなればまさに最強の仲間。
1986年のアジア大会、1988年のソウル五輪でも一緒に高みを目指しましたし、共に日大付属高校、早稲田と言う縁もあり、深く付き合わせて貰いました。
早すぎる以外に言葉は見つかりません。
心からのご冥福をお祈りしたところです。
…1989福岡インカレ、1990野毛山インカレでは天皇杯奪還、連覇に向けて本当に力を尽くしてくれて最高の結果になった事は一生の思い出です。
…通夜にはびっくりする程の弔問者であふれていました。
彼は気取らず、優しく、人懐っこい気さくな性格で、まさに健司ならではの人徳だなと思います。
ここ最近は会う事も叶いませんでしたが、元気にしてるものとばかり思っていました。
返す返すも残念極まりありません。
これで当時メドレーリレーを組んだ中では、平泳ぎの健司、そして最後を託した自由型の同期藤原君が若くして逝ってしまってます。
彼らの分までなどという生意気を言うつもりはないのですが、情熱を持って与えられた命を燃やし続けていく事だけはあらためて心に誓います。
ありがとう健司。
いつかそっちでな。