簡潔にですが2012年を振り返りたいと思います。
年始は恒例の桜水会総会・懇親会でスタートしましたが、今年から僭越ですが会長をお引き受けさせていただくことになり、今まで以上の活性化と後輩支援に力を合わせて進むことを確認しました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/49/2fb46aab8ff203594ac5e7025e03e0b6_s.jpg)
そしてなんといっても豪雪が続き、市内も90センチを超える状況になった2月。交通渋滞や高齢世帯等からも悲鳴に近い連絡をいただき駆け回りましたが、議会でも臨機応変な対応と変更策を求めました。国政では内紛が続き大もめの状況化でしたが、市議会の予算内示でも3年連続で一般会計が800億円台と増額され、地方重視の形が見えてきたと実感できる内容ともなりました。
3月になれば年度予算審議の定例議会。ドーム型競技施設の条例制定では反対意見も出る中、意見をまとめ対応することとし、委員会の委員長として付帯決議を提案し、4項目の付帯決議を付けた中で可決されました。
4月は年度のスタート。子どもたちも長女は中学最終学年、長男は小学4年生となりました。学校ではPTAの事務局長も仰せつかり、子どもたちの育ちについて一層深く学ぶ機会も頂きました。
長女はなぎなたで全国大会を目指して懸命に努力し、東北の大会で団体2位に入る健闘をしてくれました。
5月は議会委員会視察で大阪高槻市、広島市、岡山倉敷市へ行政視察。シティマラソンの開催状況、ハイスクールビジョンの策定状況、産業振興センターでの地場産業振興への取り組みなどを学び、今後に生かすヒントを頂く機会にもなりました。
また競泳ジャパンオープンではプレゼンターを務めさせていただき、男女の個人メドレー表彰台の選手の方々へ五輪へ向けて激励の言葉をかけさせていただきました。
6月は定例議会の月。朝日新聞に掲載された学校給食のセンター方式への批判記事も問題となり、議員からはしっかりとした調査を求む声もあがりました。また高校総体では母校日大山形が12年ぶりに総体覇者奪回に挑みましたが南高校との激戦の末、僅かに栄冠を逃すことに・・・。選手や指導者と一緒に悔しい思いをしながら来季への奪回を誓いました。
7月は長女が悲願の全国大会に出場し演技の部で入賞の報を聞き、3年間の努力の結晶に本当にうれしくなりました。またスポーツの祭典であるロンドン五輪が開幕し、連日の日本選手の活躍に国民が多いに湧き、スポーツ一色の月となりました。
8月、50周年の花笠まつりが開催され、多くの方で賑わいました。またロンドン五輪も13日で閉幕し史上最多38個のメダルを獲得した日本選手団には心から感謝。そして、広域観光の研修会で福島市へ伺い放射線量の影響等について学ぶ機会もありました。
また、月末には山形大の学生が119番通報したものの出動しなかった問題について全員協議会で報告を受けました。私からも若い方の通報という事で受信者が先入観をもった対応となった懸念はないのか等についても質問したものの、なかなか最後までの明確な回答を得るまでには至らずこの課題は現在も継続しています。
9月。残暑も厳しく今年の大雪に次ぐ酷暑と厳しい天候が続き熱中症患者も増え続けた今夏。
定例会では通算7回目の一般質問。その後岐阜国体には強化委員長として激励・視察へ。山口選手の世界新もまじかで見れる機会にも恵まれました。
民主党県連では9月の酒田市長選に挑戦するという理由で3区の和嶋氏が辞職。消費税法案で離党した舟山参議院議員に次ぎ、4人中2人がいなくなる非常事態へ。
10月。6次産業化の先進事例研修で広島県世羅町へ。マラソンで有名な世羅町ですが、様々な加工販売等で素晴らしい実績をあげていました。農業県山形でも更なる進化の必要性を実感。
その後は高知で開催された日本スポーツマスターズへ参加。20年ぶりに長水路で200M個人メドレーに挑戦しました。結果は2位でしたがすがすがしい気持ちで会場を後にしました。
国政では自民党が解散を求めて特例公債法案を譲らず、地方への影響も出ている中で政治の混迷が続いていました。
11月なんといっても党首討論での解散発言により一気に衆議院の解散へ。正直予期していなかった時期の解散に戸惑いながらも体制作り等にも追われながら、更に12月議会をまじかにしながらの緊急、深夜対応で四苦八苦。
12月。16日の投開票で下馬評通り再び下野。予想を大きく下回る57議席という結果。県連会長も議席を失う事に・・・。政策理念の不一致と繰り返した内部分裂に完全に国民から見放された結果になりました。
1年間を振り返れば、今年も反省と成果、それぞれにあった激動の年だったとは思います。
そしてその活動を陰で支えたくれた家族、そして何よりも多くの方々からご理解とご協力、ご厚情があっての活動であることに心から感謝しながら年の結びとさせていただきます。
年始は恒例の桜水会総会・懇親会でスタートしましたが、今年から僭越ですが会長をお引き受けさせていただくことになり、今まで以上の活性化と後輩支援に力を合わせて進むことを確認しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/49/2fb46aab8ff203594ac5e7025e03e0b6_s.jpg)
そしてなんといっても豪雪が続き、市内も90センチを超える状況になった2月。交通渋滞や高齢世帯等からも悲鳴に近い連絡をいただき駆け回りましたが、議会でも臨機応変な対応と変更策を求めました。国政では内紛が続き大もめの状況化でしたが、市議会の予算内示でも3年連続で一般会計が800億円台と増額され、地方重視の形が見えてきたと実感できる内容ともなりました。
3月になれば年度予算審議の定例議会。ドーム型競技施設の条例制定では反対意見も出る中、意見をまとめ対応することとし、委員会の委員長として付帯決議を提案し、4項目の付帯決議を付けた中で可決されました。
4月は年度のスタート。子どもたちも長女は中学最終学年、長男は小学4年生となりました。学校ではPTAの事務局長も仰せつかり、子どもたちの育ちについて一層深く学ぶ機会も頂きました。
長女はなぎなたで全国大会を目指して懸命に努力し、東北の大会で団体2位に入る健闘をしてくれました。
5月は議会委員会視察で大阪高槻市、広島市、岡山倉敷市へ行政視察。シティマラソンの開催状況、ハイスクールビジョンの策定状況、産業振興センターでの地場産業振興への取り組みなどを学び、今後に生かすヒントを頂く機会にもなりました。
また競泳ジャパンオープンではプレゼンターを務めさせていただき、男女の個人メドレー表彰台の選手の方々へ五輪へ向けて激励の言葉をかけさせていただきました。
6月は定例議会の月。朝日新聞に掲載された学校給食のセンター方式への批判記事も問題となり、議員からはしっかりとした調査を求む声もあがりました。また高校総体では母校日大山形が12年ぶりに総体覇者奪回に挑みましたが南高校との激戦の末、僅かに栄冠を逃すことに・・・。選手や指導者と一緒に悔しい思いをしながら来季への奪回を誓いました。
7月は長女が悲願の全国大会に出場し演技の部で入賞の報を聞き、3年間の努力の結晶に本当にうれしくなりました。またスポーツの祭典であるロンドン五輪が開幕し、連日の日本選手の活躍に国民が多いに湧き、スポーツ一色の月となりました。
8月、50周年の花笠まつりが開催され、多くの方で賑わいました。またロンドン五輪も13日で閉幕し史上最多38個のメダルを獲得した日本選手団には心から感謝。そして、広域観光の研修会で福島市へ伺い放射線量の影響等について学ぶ機会もありました。
また、月末には山形大の学生が119番通報したものの出動しなかった問題について全員協議会で報告を受けました。私からも若い方の通報という事で受信者が先入観をもった対応となった懸念はないのか等についても質問したものの、なかなか最後までの明確な回答を得るまでには至らずこの課題は現在も継続しています。
9月。残暑も厳しく今年の大雪に次ぐ酷暑と厳しい天候が続き熱中症患者も増え続けた今夏。
定例会では通算7回目の一般質問。その後岐阜国体には強化委員長として激励・視察へ。山口選手の世界新もまじかで見れる機会にも恵まれました。
民主党県連では9月の酒田市長選に挑戦するという理由で3区の和嶋氏が辞職。消費税法案で離党した舟山参議院議員に次ぎ、4人中2人がいなくなる非常事態へ。
10月。6次産業化の先進事例研修で広島県世羅町へ。マラソンで有名な世羅町ですが、様々な加工販売等で素晴らしい実績をあげていました。農業県山形でも更なる進化の必要性を実感。
その後は高知で開催された日本スポーツマスターズへ参加。20年ぶりに長水路で200M個人メドレーに挑戦しました。結果は2位でしたがすがすがしい気持ちで会場を後にしました。
国政では自民党が解散を求めて特例公債法案を譲らず、地方への影響も出ている中で政治の混迷が続いていました。
11月なんといっても党首討論での解散発言により一気に衆議院の解散へ。正直予期していなかった時期の解散に戸惑いながらも体制作り等にも追われながら、更に12月議会をまじかにしながらの緊急、深夜対応で四苦八苦。
12月。16日の投開票で下馬評通り再び下野。予想を大きく下回る57議席という結果。県連会長も議席を失う事に・・・。政策理念の不一致と繰り返した内部分裂に完全に国民から見放された結果になりました。
1年間を振り返れば、今年も反省と成果、それぞれにあった激動の年だったとは思います。
そしてその活動を陰で支えたくれた家族、そして何よりも多くの方々からご理解とご協力、ご厚情があっての活動であることに心から感謝しながら年の結びとさせていただきます。