武田聡のビューティフルストローク

山形市議会議員「武田さとし」が、日頃の議員・政治活動や水泳関係の活動日記をつづっています。

大先輩

2017-02-15 | 日記

水泳界に大きな偉業を残された大先輩がお亡くなりになりました。

これまでの多大なご功績を偲び心からのご冥福をお祈りいたします。 

yahoo ニュース

スポーツ報知配信より引用

 

競泳男子自由形で1956年メルボルン、60年ローマ、64年東京と五輪に3大会連続で出場し、計4個の銀メダルを獲得した山中毅氏が10日午後10時16分、肺炎のため東京都練馬区の病院で死去した。78歳だった。葬儀は家族葬で執り行う。

 山中氏は五輪の男子自由形個人種目で当時、世界記録を次々と塗り替え、戦後の日本国民を勇気づけた“フジヤマのトビウオ”古橋広之進氏(故人)の再来といわれた。石川・輪島高3年でメルボルン五輪に出場し、400メートル、1500メートル自由形でマレー・ローズ(オーストラリア=故人)との激戦の末に銀メダルを獲得した。

 優勝候補とされた早大4年時のローマ五輪ではローズに敗れた400メートル自由形ほか、800メートルリレーも2位にとどまり「銀メダルをいくつ集めても金メダルにはならない」と無念の気持ちを表現した。父は漁師、母は出産間近まで潜っていた海女で「山中は生まれる前から泳いでいた」との逸話もある。山中氏を最後に、五輪の同種目で日本はメダルを獲得していない。

 引退後はスイミングスクールを経営するなど水泳の普及に尽力し、83年に国際水泳殿堂入り。関係者によると、糖尿病で1日おきに人工透析を受け、5年ほど前に食道がんも患い、闘病生活を送っていたという。

 ◆山中 毅(やまなか・つよし)1939年1月18日、石川・輪島市生まれ。輪島高―早大卒。3度出場の五輪では男子自由形で計4個の銀メダル。56年メルボルンは400メートル、1500メートル、60年ローマは400メートル、800メートルリレーで獲得。64年東京は400メートル6位。早大3年の59年に200メートル、400メートルで世界新。卒業後の61年に2か月間で200メートルで3度同記録更新。