すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第877号 震災と選挙と社会不安

2011-04-01 12:27:25 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】大震災の渦中での統一地方選挙となって、東京都知事選は盛り上がらないことこのうえない。候補者のポスター掲示板にでも出会わなければ、選挙をやっていることさえ失念してしまいそうだ。政党は声を張り上げての選挙活動を自粛しているらしく、街はいたって静かだ。

都知事選が盛り上がらないのは、候補者たちがいずれも選挙を盛り上がらせるほどの魅力を持っていない、という現実がある。しかしそれ以上に、選挙民が東日本の大震災にショックを受け、呆然とし、気持ちを内向させていることが最大の理由ではないだろうか。

大自然の猛威を目の当たりにしたことによって、日本国民はいま、投票して代表を選ぶ政治システムというものが空疎に見えてきたのではないか。逆に、自分の将来はだれも助けてくれない、自分で守って行くしかない、そんな思いがこみ上げて来て、政治に自分たちの社会建設を託すという気力がなくなっている。そういうことではないか。

歴史は繰り返す、とはいうものの、日本を取り巻く国際情勢が様変わりしているのだから、あの歴史がそっくり繰り返されるとは思わないけれど、選挙という民主主義の根幹に対する空虚感の蔓延が気にかかる。空虚な気分は、偏ったアジテートに空騒ぎを起こし、ヘンな方向に連れられて行ってしまうもろさを持っていると危惧するからだ。

「あの歴史」というのは、関東大震災以後の日本が歩んだ道のことである。震災の復興が癒え切らぬ社会を襲った昭和恐慌、そして軍部の暴走を許し、泥沼の15年戦争へ突進してしまった日本。社会が狂躁して行った契機が関東大震災にあったと仮定すると、慢性的な財政難と長引く不況、就職難など若者の社会不安といった今の時代状況が重なっているようで恐ろしい。

誤った歴史を繰り返さないためには、社会が冷静でなければならない。冷静に、まず被災者の支援に全力を挙げ、復興を新しい社会建設への希望につなげ、ヒステリックに罵倒や責任追及を叫ぶ週刊誌などのメディアに惑わされることなく、地道な歩みを続けて行かなければならない。政治への過度な期待は無意味だが、無関心も危険なことだ。

日々報じられる被災地の悲しくも凛々しいレポートに触れ、少なくとも自分は冷静でありたいと、戒め意識する日々である。それにしても選挙は、いつもこの程度静かであって欲しい。候補者選びなど、ポスター掲示だけで十分できることを、今回の事態で確信した。




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