すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1628号  骨壺を焼き上げて墓参り

2019-03-03 17:17:37 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】墓参りに行く。わが家の墓は横浜市最南部の霊園にあって、むしろ鎌倉に近い。大船からバスに乗って行く便の悪いところなので、つい足が遠のくのだが、今回は「自作の骨壺がちゃんと納まるか」を確認する必要に迫られてのことだ。事前に墓の寸法を確認しない粗忽さが私らしいのだが、焼き上がってみると大き過ぎるような気がしてならない。いざ納骨の段階になって「納まらない!」というのでは喜劇ではないか。



いまでは「家」や「檀家」制度から解放されたとはいえ、「死」が現実のものになるとこうした過去の亡霊が蘇ってくる。戒名をつけてもらい、お経に送られて「先祖代々墓」に納まる。これはこれでなかなかよくできたシステムではあるけれど、「入る墓がない」「入りたい墓がない」という人も多いだろう。とはいえ人骨が勝手に捨てられたりしたら社会の安寧は保たれない。だから「埋葬」は法で定められているのだろう。



「墓仕舞い」を断行しても、では「自分の遺骨をどう処理するか」は誰もが避けられない悩ましい課題として残る。喩え「散骨でも宇宙葬でもなんでも結構だ」と開き直ってみても、処理の段取りを決めておかなければ遺族を困らせることになる。わが家の場合、母親が建てた墓を長男の兄が守っている。ここまでは従来の「家」そのものだが、新たに墓を建てるのは面倒だから、わが家もそこに一緒に入ることにしている。



そこで私と兄用にお揃いの骨壺を作ることにし、なんども作り直してようやく満足できるものが焼き上がった。一応、東日本では「七寸」というサイズが一般的だということは事前に調べた。ちなみに西日本は「六寸」の壺が用いられ、入り切らない骨は処理されるのだという。さらに新潟などではカロートと呼ばれる墓の納骨室に、直接骨を撒くという風習もある。わが家の墓は骨壺を納める方式なので、七寸に合わせた。



ところが焼きあがると、7寸の標準サイズより高さが2センチほどオーバーしているではないか。この高さのために「カロートの入り口でつっかえてしまったらどうしよう」と気になり始めた。墓の前で呆然としている喪服姿の息子たちが目に浮かぶ。しかし確認のため大船の先までバスで行くのは面倒だと1日延ばしにしていたら、「たまには顔を見せなさい」という母の叱責が聞こえたような気がした。重い腰を上げる。



結局、カロートの高さは余裕があって、骨壺は楽に入ることが確認できた。安心はしたものの、私は「墓は本当に必要なのだろうか」という思いが消えずにいる。もし好きに処理していいなら、私の遺骨は見晴らしのいい丘の片隅に、1本の樹を植えて、細かく砕いてその周りに撒いて欲しい。そしていずれ私の後を追うことになる妻も、同じようにそこで眠ることを望むだろう。だが、そうした自由は叶わないらしい。



帰りのバスは、渋滞でさっぱり進まない。横浜の道路事情の劣悪さには、いつもうんざりさせられる。ぼんやり窓外を眺めていて、丘陵に造成されたひな壇にマイホームがひしめいていることに気がつく。それがいま線香をあげてきた霊園の、墓石の重なりのように見える。悲喜こもごもの暮らしが生きる家々と、遺骨たちの終の住処の何と似ていることか。そのサイクルで私は、霊園側にかなり近づいている。(2019.3.2)






















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