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2009年は間もなく終わり、「21世紀最初の10年の最後の年」が明ける。単なる西暦の変遷が、時代の変化と重なるはずはないけれど、新世紀に入ってのこの間は、いかにも歴史の転換点が重なったような思いになる世界状況であった。パックス・アメリカーナはすでに死語となり、日本は老成国として生きる道を見出すことができず、前世紀からかれこれ20年も、もだえ苦しんでいる。
さて「21世紀最初の10年の最後の年」は、われわれが新たに生きる道を見出す年になるだろうか。日本はコンクリートから人へ、誰もが希望を持って生きることのできる国に歩み出せるか。世界は、核廃絶へ具体的な第一歩を歩み出せるか。貧困を撲滅しテロを克服した世界へと歩み出せるか・・・。どれもこれも余りに険しい道のりではあるけれど、歩み出さないことには始まらない。
いささか足の衰えを認めざるを得ない雀同人ではありますが、それぞれの空でそれぞれの羽ばたきを続けながら、そうした歩みをしっかり観察していくことになるでしょう。世界中の「すずめ通信」読者諸氏におかれましては、どうぞ新年からの通信に期待され、よいお年をお迎えください。それでは初日の出より一足早く、太平洋の黒潮から立ち上る朝日をご覧いただきます。
2009年は間もなく終わり、「21世紀最初の10年の最後の年」が明ける。単なる西暦の変遷が、時代の変化と重なるはずはないけれど、新世紀に入ってのこの間は、いかにも歴史の転換点が重なったような思いになる世界状況であった。パックス・アメリカーナはすでに死語となり、日本は老成国として生きる道を見出すことができず、前世紀からかれこれ20年も、もだえ苦しんでいる。
さて「21世紀最初の10年の最後の年」は、われわれが新たに生きる道を見出す年になるだろうか。日本はコンクリートから人へ、誰もが希望を持って生きることのできる国に歩み出せるか。世界は、核廃絶へ具体的な第一歩を歩み出せるか。貧困を撲滅しテロを克服した世界へと歩み出せるか・・・。どれもこれも余りに険しい道のりではあるけれど、歩み出さないことには始まらない。
いささか足の衰えを認めざるを得ない雀同人ではありますが、それぞれの空でそれぞれの羽ばたきを続けながら、そうした歩みをしっかり観察していくことになるでしょう。世界中の「すずめ通信」読者諸氏におかれましては、どうぞ新年からの通信に期待され、よいお年をお迎えください。それでは初日の出より一足早く、太平洋の黒潮から立ち上る朝日をご覧いただきます。
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