すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1323号 青森(青森県)

2014-11-24 10:25:33 | Tokyo-k Report
【Tokuo-k】青森に行くと三内丸山に立ち寄ることになる。私には青森で最も魅力がある場所だから、どうしてもそうなる。そして県立美術館も一通り鑑賞して帰る。このコースはこれで3度目になるだろうか。ニセアカシアが薫っていた初回は遺跡はまだ復元住居もなく、発掘が続いていた。2回目は復元された巨大建て家が雪に埋もれていた。そして今回、すっかり整備が進んだ遺跡地に、むしろ縄文の気配が薄れたと感じた。奇麗になり過ぎたようだ。



遺跡の保存と活用を両立させることは実に難しい。ただ保存するなら埋め戻すことが最良の手段だ。しかしそれではせっかくの考古資料の活用には繋がらない。あの明日香が、保存法ができて整備が進み、結局、カネのかかった歴史公園になってしまったように、三内丸山遺跡も縄文公園になって特有の凄みを失って行くのだろうか。住居復元は柱穴に忠実に従って建てられているとしても、それらを繋ぐ芝生と舗道は整備過剰ではないだろうか。



この光景を見れば見るほど、縄文のムラはこんなに整然としていたはずがないと思ってしまう。もちろん数千年前の姿はだれも見たことがないのだから、完全に再現することなど不可能に違いないのだが、見学者の利便を優先し過ぎると整備が進んでしまって、気がつけばテーマパークに堕してしまう。この《案配》が実に難しく、遺跡の活用など元々無理なのかもしれない。佐賀の吉野ケ里遺跡は、遺跡地が広大であるだけ救われている。



ただ三内丸山は、併設されているミュージアムが楽しい。明るいレイアウトで、博物館特有のカビ臭さがないこともいい。ずらりと並ぶ復元土器は壮観で、数千年に亘ったこの地の暮らしがいかに豊かであったかを偲ばせる。いくつも並ぶ教室は、縄文のモノ作りに挑戦する親子連れで賑わっている。こうした体験は必ずや成長のどこかで芽を出すもので、青森からはそのうち、歴史観をしっかり身につけた国際人が続出するかもしれない。



そうやって縄文散歩を終えると、隣接する県立美術館に行くことになる。今回は青森ゆかりの関野準一郎の回顧展が開催されていた。木版の大家で調布の人だったから、作品に触れる機会は多い作家だったが、伝統的木版の制約から抜けられなかった版画家、という程度の印象しか持っていなかった。しかし今回の回顧展を観て、実は様々な技法に挑戦し、七転八倒しながら版木に向きあった作家なのだと知り、そのことには頭が下がった。



この美術館は行く度に意欲的な企画展が開催されている。そのことは好ましいのだけれど、なぜかいつも疲れる。館の構造のせいか、あるいは白を基調とした
建物の色調が眼を射るのか、鑑賞を終えるととにかく疲れてしまう。美術館には「疲れる美術館」と「和まる美術館」の2種類があるのかもしれない。ルーブルなど「疲れる」代表格だろうが、では「和まる」美術館を思い出そうとすると、これがなかなか難しい。



美とは元来、ずらりと展示されることを前提に生み出されるものではない。その場にふさわしい一点と、ゆっくり対話するものだ。とはいえ美術館がなければ、われわれはかくも多くの美を愉しむことはできない。そこで私は近年、独自の美術展鑑賞法を実行している。まずざっと会場を一巡し、眼に留まった作品を2巡目でじっくり観る。さらに絞って3巡目。もったいないけど大胆に取捨選択するのだ。何事も《案配》である。(2014.10.4)








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