すずめ通信

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1904 犬山で国宝天守に登り息を切らす

2024-01-01 14:35:08 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】「現存天守」という言葉がある。天守閣を有する城郭の中で、築城された戦国時代から江戸時代にかけての状態をほぼ維持している天守を指し、それは現在では12城しかないのだそうだ。いずれも重要文化財で、なかでも特段の古建築5城は国宝に指定されている。姫路城、彦根城、松本城、松江城、それに犬山城である。城郭建築の知識も興味も乏しい私だけれど、土地の歴史を感じようとすれば城跡は外せないので、訪れた数はずいぶん増えた。



ところが犬山城には行きそびれてきた。愛知県北部から岐阜県東部にかけて、私の日本地図は空白のままなのだ。各務原から再び名鉄犬山線の客になり、今度こそはと「未踏の天守」を目指す。木曽川越しに遠望される城を眺めて「私はこの景色を見ている」と思い出した。高山に向かうJR線の車窓からだった。30年も昔になるが、480歳を超える犬山城にしてみれば、つい昨日のことだろう。川と山に守られ、濃尾平野を一望できる要害の地である。



中世からの砦を、信長の叔父・織田信康が城郭らしく改修した天文6年(1537年)を築城年としている。信長4歳のころである。小牧長久手の戦いでは秀吉が本陣を置き、10キロ南方の小牧山の家康と対峙した。江戸時代には三重四階建ての現在の天守が整えられ、尾張藩付家老の成瀬家が代々城主に座って明治を迎える。戦国の乱世を生き延び、明治の廃城令や濃尾地震でも失われなかった天守は、現存最古らしい古錆びた風韻を湛えている。



犬山市は人口72000人ほどで、国宝天守5都市では最も規模が小さい。ただ城下町の構造はよく残されていて、観光客向けの店が密集する本町通りを少し外れると、城下町らしい行く手を鉤の手に遮る街路や、軒の低い木造商家が並んでいたりして、城と街の関係を味わうには規模の小ささが役立っている。外濠を務める新郷瀬川沿いの城見通りを行くと、武家屋敷街に迷い込んだ気分になって、もう一つの国宝、茶室・如庵の有楽苑に至る。



城下町界隈を早朝散歩していると、アジア系らしい若者3人が自転車ですれ違って行った。研修に来ている外国人技能実習生のように見受けられた。中京地区の街を歩いていると、こうした人たちを見かけることが多いような気がする。お城見物をしていた際も、アジア系の観光客が多かった。実習生の友人縁者が誘い合って訪れているのかもしれない。多くの問題点が指摘される実習制度だが、犬山城下は日本を知ってもらうに相応しい街だ。



犬山市が市制60周年を機に発行した市勢要覧「いぬやまロクマル」を観る。ほぼ10年前の発行だが、まず子供教育を詳述、市民の健康、インフラ整備と続く編集がいい。街のいいところを紹介しているのだから当然かもしれないが、様々な活動が市民の笑顔を生んでいるように見える。城を中心に木曽川の鵜飼、明治村やモンキーセンターといった観光事業が寄与しているのか、街の核として新庁舎も完成した。駅近くの市立図書館も実にいい。



それにしても城の天守は、どうしてこうもみんな似ているのだろう。防御を第一に考えた、石積みの要塞といった変わり種が一つくらいあってもいいのに、封建領主は案外に保守的で、独創性に乏しかったのかもしれない。そんなことを考えながら登る犬山城天守の階段の何と急なことか。確かに最上階から展望する濃尾平野の景観は素晴らしかったけれど、息は切れるし脚は痙攣しそうになる。天守登攀はこれを最後にしよう。(2023.12.20-21)



























(姫路城)

(彦根城)

(松本城)

(松江城)

















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