【Tokyo】東京国立博物館で開催中の「中宮寺菩薩半か(足偏に加)像」の特別展示が終わる(17日まで)というので、先週末、慌てて上野へ出かけた。入場料600円を払って入場すると、弥勒菩薩(昔はこう呼んでいたこともあった)は、本館に特別設けられた一室に、一体だけ寂しく展示されていた。
この仏像に初めてお目にかかったのは、高校時代の修学旅行でだったから、かれこれ40年も昔のことになる。そのころは古くて狭いお堂の中に、触ろうと思えば触れるような近さで安置されていた。ただ、覆い被さるように置かれている像がどこか不安定な位置関係で、対面することが落ち着かず、その美しさを感じることはできなかった。
その後、新しいお堂が建立されて、ゆったりと、ほぼ水平の目線で眺めることができるようになった。奈良・斑鳩に行くたびに、「私にとって最も美しい仏像であり彫像」の弥勒菩薩を拝観した。その都度、美しさに心が洗われる思いになったものだった。贅沢を言えば、ほぼ正面からしか眺めることができず、像までの隔たりがいつも不満として残る拝観であった。
今回の特別展示では、ぐるりと後ろにも回って見れるということで、ドキドキしながら対面した。脇から後ろのお姿は極めてスリムで、背は人体ではなかなかこうはいかないであろう整然とした逆三角形であった。その清楚な後姿を眺めていて、背後に回ることは弥勒さまには失礼なことなのではないか、という思いになった。
視線を動かすと表情も変わる。いわゆる俗っぽい「美しさ」でいえば、向かって右45度あたりからのお顔が最も美しい。写真家が決まって狙うアングルである。案の定、この特別展の入場券も、その位置から撮影したものが採用されていた。
今回、私が驚いたのは、菩薩の顔が男性のように見えたことである。これまでは「女性の最も美しい面影」という印象が強く焼き付いていたから、この感覚は意外であった。透き通るような青年期の男性の表情に思えたのだ。「美」というものは、突き詰めていけば「性」を超えるものへと昇華して行くのだろうか。
実は弥勒にお会いする前に、平成館で開催中の「ベルリンの至宝展」を観覧した。世界遺産の博物館島の所蔵品展ということで、かつてベルリンを訪れた際(まだ東西を隔てる壁がある時代だったが)に立ち寄った美術館(博物館?)だろうかという興味で入館した。どうやら私の行った美術館とは違ったようだが、ボッティチェリの「ヴィーナス」は凄かった。
15世紀の作品というが、大理石のような白い肌がいまも浮き上がっているように輝いており、思わず眼鏡を外して至近距離から確認したほどだった。ヴィーナスは明らかに女性であった。そのあまりに女性らしい女性を眺めたあとだったから、弥勒菩薩が青年に見えたのかもしれない。
それにしても菩薩は、なぜはるばる東京までやってこられたのだろう。中宮寺に何かお金が必要になったのではないか。そのために菩薩様にお出まし願い、入場料という浄財を集めているのではないかと想像した。そうだとすると、600円という金額設定は何が根拠なのだろうか。展示理由をもっとはっきり公開したら、1000円でも私は文句は言わない。
この仏像に初めてお目にかかったのは、高校時代の修学旅行でだったから、かれこれ40年も昔のことになる。そのころは古くて狭いお堂の中に、触ろうと思えば触れるような近さで安置されていた。ただ、覆い被さるように置かれている像がどこか不安定な位置関係で、対面することが落ち着かず、その美しさを感じることはできなかった。
その後、新しいお堂が建立されて、ゆったりと、ほぼ水平の目線で眺めることができるようになった。奈良・斑鳩に行くたびに、「私にとって最も美しい仏像であり彫像」の弥勒菩薩を拝観した。その都度、美しさに心が洗われる思いになったものだった。贅沢を言えば、ほぼ正面からしか眺めることができず、像までの隔たりがいつも不満として残る拝観であった。
今回の特別展示では、ぐるりと後ろにも回って見れるということで、ドキドキしながら対面した。脇から後ろのお姿は極めてスリムで、背は人体ではなかなかこうはいかないであろう整然とした逆三角形であった。その清楚な後姿を眺めていて、背後に回ることは弥勒さまには失礼なことなのではないか、という思いになった。
視線を動かすと表情も変わる。いわゆる俗っぽい「美しさ」でいえば、向かって右45度あたりからのお顔が最も美しい。写真家が決まって狙うアングルである。案の定、この特別展の入場券も、その位置から撮影したものが採用されていた。
今回、私が驚いたのは、菩薩の顔が男性のように見えたことである。これまでは「女性の最も美しい面影」という印象が強く焼き付いていたから、この感覚は意外であった。透き通るような青年期の男性の表情に思えたのだ。「美」というものは、突き詰めていけば「性」を超えるものへと昇華して行くのだろうか。
実は弥勒にお会いする前に、平成館で開催中の「ベルリンの至宝展」を観覧した。世界遺産の博物館島の所蔵品展ということで、かつてベルリンを訪れた際(まだ東西を隔てる壁がある時代だったが)に立ち寄った美術館(博物館?)だろうかという興味で入館した。どうやら私の行った美術館とは違ったようだが、ボッティチェリの「ヴィーナス」は凄かった。
15世紀の作品というが、大理石のような白い肌がいまも浮き上がっているように輝いており、思わず眼鏡を外して至近距離から確認したほどだった。ヴィーナスは明らかに女性であった。そのあまりに女性らしい女性を眺めたあとだったから、弥勒菩薩が青年に見えたのかもしれない。
それにしても菩薩は、なぜはるばる東京までやってこられたのだろう。中宮寺に何かお金が必要になったのではないか。そのために菩薩様にお出まし願い、入場料という浄財を集めているのではないかと想像した。そうだとすると、600円という金額設定は何が根拠なのだろうか。展示理由をもっとはっきり公開したら、1000円でも私は文句は言わない。
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