〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ社)〉
8.おわりに
それでは、「仮説検証型研究」という手法等によって、「羅須地人協会時代」を中心にして今まで研究し続けてきて辿り着いた私の結論を、以下に少しく述べてそろそろ終わりにしたい。
まず、私のかつての賢治像はどのようして出来上がったのだろうか。それは、「賢治年譜」や賢治の「定説」そして「通説」等を少しも疑わずに信じ、信じ続け . . . 本文を読む
《白露草》(平成28年8月24日撮影、下根子桜)
2025/3/31 17:53(最終更新 3/31 19:20)
https://mainichi.jp/articles/20250331/spp/sp0/006/248000c
フジ第三者委 中居氏による「性暴力被害」認定「重大な人権侵害行為」 その根拠と性暴力の定義
というタイトルの記事があった。
これでとうとうその . . . 本文を読む
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ社)〉
7.冤罪とも言える〈悪女・高瀬露〉の流布
まず少しく振り返ってみれば、これまでの「仮説検証型研究」等の結果、『宮澤賢治と三人の女性』における露に関する記述には捏造?の「下根子桜訪問」を始めとして、悪意のある虚構や風聞程度のものも少なからずあることが判ったから、そこで語られている露は捏造?された〈悪女・高瀬露〉であり、同書は露に関し . . . 本文を読む
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ社)〉
6.「新発見」と嘯いたことの罪
これに対して、それは分かったが例の詩〔聖女のさまして近づけるもの〕があるじゃないかと指摘する人がいるかもしれない。実際、この詩の誤解によって露は〈悪女〉されたとも言える。しかし既に論じたように、この詩を元にして露を〈悪女〉に決めつけることができないということは実証済みである。
いやいや、例の「新発 . . . 本文を読む
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ社)〉
5.捏造だった?森の「下根子桜訪問」
そんな時に偶々私が目にしたのが、平成26年2月16日付『岩手日報』の連載「文學の國いわて57」(道又力氏著)であり、そこには、
東京外国語学校へ入学した森荘已池は、トルストイも愛用した民族衣装ルバシカにおかっぱ頭という最先端のスタイルで、東京の街を闊歩していた。…(投稿者略)…ところ . . . 本文を読む
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ社)〉
4.「一九二八年の秋の日」の「下根子桜訪問」
それでは、露に関して「あやかしでない」と思われるものとしては何がこの「下敷」に書かれているのだろうか。それは、
彼女にはじめて逢った時の様子を『宮沢賢治と三人の女性』に森は高瀬露についていろいろと書いているが、直接の見聞に基いて書いたものは、この個所だけであるから参考までに引 . . . 本文を読む
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ社)〉
3.「ライスカレー事件」
では、いわゆる「ライスカレー事件」はどうであったのだろうか。このことに関しては、高橋慶吾の次のような二通りの証言が残っているから、それらを先に見てみる。まず「賢治先生」という追想では、
或る時、先生が二階で御勉強中訪ねてきてお掃除をしたり、臺所をあちこち探してライスカレーを料理したのです。恰度そ . . . 本文を読む
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ社)〉
2.風聞や虚構の可能性
そこで私は、関連する論考等を早速探し廻ったのだが、〈悪女・高瀬露〉に関して真正面から学究的に取り組んでいる賢治研究家の論考等はほぼ皆無なようで、やっと見つかったのが当時七尾短大教授だった上田哲の論文「「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露―」(『七尾論叢11号』所収)である。そこでは上田は、
. . . 本文を読む
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ社)〉
「第二章 本当の高瀬露」
第二章 本当の高瀬露
さて、ここまでの私の一連の検証結果は現「賢治年譜」等とは大分異なっていたり、果ては正反対だったりということで、そう簡単には世の中から受け容れてもらえないであろうことは充分に覚悟している。そこには構造的な問題が横たわっていそうだからである。そこで、第一章の〝2.「賢治神話」検証七点 . . . 本文を読む
〈『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著)〉
「Ⅱ 聖女の如き高瀬露」
実は、私は宮澤賢治の妹シゲの長男岩田純蔵教授の教え子である。その岩田先生が今から約50年以上も前に、
賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだがそのようなことはおいそれとは喋られなくなってしまった。というような意味のことを私達に話したことがあったのだが、当時私の尊敬する人物 . . . 本文を読む
《千葉恭(千葉満夫氏蔵)》
この『賢治と千葉恭』は『賢治と一緒に暮らした男―千葉恭を尋ねて―』(自費出版、平成23年)<*1>の改訂版である。
『賢治と千葉恭』の目次はじめに
第1章 文献等から探る千葉恭
・千葉恭探索開始
・『イーハトーヴォ復刊2号』より
・『イーハトーヴォ復刊5号』より
・ 「宮澤先生を追ひて」より
・「宮澤先生を追つて(三)」より
・「宮澤先生を追つて(二)」よ . . . 本文を読む
《若き日の千葉恭(昭和10年岩手県穀物検査所黒沢尻出張所勤務の頃)》( 千葉満夫氏 蔵)(3)殆ど無視されたきた千葉恭
なんと、羅須地人協会時代の賢治は「独居自炊」と言われているが、厳密にはそうとは言い切れないのだということを知り、「あっ、そうか、恩師の岩田純蔵先生が嘆いていたのはこういうことをなどをだったのか」と、直感した。
どうやら、「羅須地人協会時代」の賢治は厳密には「独居自炊」であ . . . 本文を読む
《若き日の千葉恭(昭和10年岩手県穀物検査所黒沢尻出張所勤務の頃)》( 千葉満夫氏 蔵)
というわけで、「羅須地人協会時代」の賢治は「独居自炊」と言われているが、厳密にはそうとは言えないのであった。そして、このことだけからしても一般に言われてる宮澤賢治像は根底から覆りそうなので、私はまずは徹底して千葉恭を尋ね廻ってみた。するとそれは以下のようなものであったことを明らかに出来た。
(2)『賢 . . . 本文を読む
《若き日の千葉恭(昭和10年岩手県穀物検査所黒沢尻出張所勤務の頃)》( 千葉満夫氏 蔵)(1)千葉恭とはどんな人物?
さて前回私は最後に、
賢治のために尽くした松田甚次郞はそれ故に、周りから賢治以上に尊敬され慕われていた時もあったというのに、戦後ほぼ無視されるようになってしまったのだった。つまり、賢治のために尽くして頗る役立った松田甚次郞はすっかり手のひら返しをされたと言える。なお、それは . . . 本文を読む
《松田甚次郎の胸像》( 新庄鳥越八幡宮、平成21年11月10日撮影) (36)手のひら返しをされた松田甚次郞
しかし現実には、最近まで松田甚次郎は地元山形でも、そして花巻でも、あるいは「賢治学界」でも殆ど忘れ去られていた、あるいは無視されてきたという実態があるから、どうやら、甚次郎だけが目の仇にされてきたの感がある。つまり、不当な扱いを受けてきたと言えるのではなかろうか。
たしか、ある詩人 . . . 本文を読む