須永博士の人生については、カテゴリーの須永博士の人生でいろいろと紹介しています。
小学生のころ
中学生のころ
高校生のころ
高校卒業→就職
20歳のころ
誰も助けてくれない
行けるところまで
大きな壁
絵の基礎を学ぶ日々
東京写真専門学校へ
夢実現へ
「夢実現へ」のタイトルで書いたころです。
銀座三愛さんで、定期的に展覧会を開催し、新宿の三愛さんでは常設展示になったり、上野のABABさんでも、展覧会を開催したり常設で販売コーナーを設けて下さっていたりして、
全国の三愛さんグループの店舗店長さんが集まる展示会があり、その時に須永博士が展覧会も開催して、それを見た全国の三愛さんから「来ていただけますか?」と声をかけていただき、九州や川崎、金沢、神戸などへ行くことができたそうです。
32歳の時、函館の棒二森屋さんというデパートの中にある三愛さんのお店の前で展覧会をすることになり、この時に出逢ったのが、ボーニストアさんで当時部長さんをしていた岸部さんだそうです。
上野発の夜行列車に乗り・・・
青森駅から青函連絡船にのり、4時間かけて着いた場所、そこが函館でした。
港に着いた時、北海道に誰ひとりとして知っている人は無く、自分を試すかのような想いで向かった展覧会場となるデパート
展覧会は、とてもにぎやかでたくさんのお客様が来て下さったそうです。
展覧会の様子を見ていた岸部さんが
「これからあなたを応援します。」と声をかけてくださり、そして連れていってくれた場所が大森浜でした。
ここで、
「石川啄木は生涯2冊の詩集をこの世に残した。
須永さんは、3冊作ってくれ。応援する。」
と言ってくださったそうです。
5月14日にお会いした時、この話を2人でしていました。
「確かに岸部さんはそう言ってくれましたよね。」と須永博士。
「うん。ずっと覚えてくれているね。」と岸部さん。
今では60冊以上となった須永博士の詩集。総発行部数は50万冊を越えています。
その原点、パワーの源になっていたのは、岸部さんとの約束だったんですね。
それから20年近く、一年に2度3度と呼んでくださり、詩人として育てていってくれた函館の地、函館の人々、
「ちゃんと食べたか?」
「大丈夫か?」
と、須永博士を心配し、宿泊費を出してくださり、北海道各地(札幌、釧路など)のダイエーさんやボーニストアさんでサイン会をしたり、北海道を旅する旅費をくださったそうです。
岸部さんのその心にあるのは、「詩人」になる為の人生経験の旅をして、また函館に来る時、ひとつ成長した須永博士に会うことを楽しみにしていることでした。
「須永さんは、来るたびに必ずテーマを持ってきてくれたんだよ。定期的に函館へ来る中で、クリスマス、バレンタイン、母の日・・・とね。
成長していく詩人だからね、須永さんは。」
と教えてくれました。そう思ってくださるからこそ長年北海道へ呼んで下さり、ここまで力を貸してくださったんだ・・・と、スタッフとしても、感謝してもしきれないほどの思いでした。
岸部さんのセッティングで、三味線日本一の人の前で詩を書くという事もしたそうです。
今年3月19日に、鹿児島指宿で、山川ツマベニ少年太鼓の皆さんの演奏の前で詩を書いたことを話すと、それも「ほぉ~~」と喜んでくださいました。
今回の講演会も、最後まで聴いていただき、
これまでの須永博士が真っ直ぐに詩人の道を歩んで来たこと
69歳になってもなお、旅を続け、詩を書き、人のために生きている姿を、
須永博士という詩人を育てて下さった人に見届けてもらえた感動がありました。
講演後、「今、息子が店をしているから、良かったらここへおいで」といただいた名刺に書いてあったお店へ行き、そこでお会いして楽しい時間を過ごさせていただきました。
有限会社GAT'S
2店舗あり、須永博士の好みで和風のお店備後屋さんへ行きました。
(洋風のお店、Sleekさんへ、次回は行ってみたいな・・・)
美味しいお料理をいただきながら、久しぶりの再会をした岸部さんと須永博士の楽しい会話を聞き、
絵描きになろう 詩人になろう
と努力していた30歳代の須永博士を温かい目で、大きな心で見守り支えてくださっていた岸部さんから、私たちスタッフに伝言がありました。
「この詩人の周りで仕事として支えていくことは、きっと大変だと思うけれど、
この自由さ、大胆さ、それと“目の前の人に無償の想いで詩を書いてあげたい”という須永博士の生きかたを生涯続けさせてほしい。
多くの事の中で、成功も失敗もあるだろうけれど、
人は、とにかく何でも経験することだ。
とりあえず全て受け止め、吸収して
そのあとに自分に必要のないものは取り払えばいいのだから。
須永さんは、そうして今の須永さんに成長してきている。」
というようなことを話して下さいました。
きっと、函館に来るたびに岸部さんにこうして人生を教わってきたんだろうな・・・
これ以外にも、うまく文章にできませんが、たくさんたくさん素敵なことを教えて下さいました。
間違いなく、須永博士が詩人として今があるのは、この方がいたからだ、と思いました。
・・・続く・・・
小学生のころ
中学生のころ
高校生のころ
高校卒業→就職
20歳のころ
誰も助けてくれない
行けるところまで
大きな壁
絵の基礎を学ぶ日々
東京写真専門学校へ
夢実現へ
「夢実現へ」のタイトルで書いたころです。
銀座三愛さんで、定期的に展覧会を開催し、新宿の三愛さんでは常設展示になったり、上野のABABさんでも、展覧会を開催したり常設で販売コーナーを設けて下さっていたりして、
全国の三愛さんグループの店舗店長さんが集まる展示会があり、その時に須永博士が展覧会も開催して、それを見た全国の三愛さんから「来ていただけますか?」と声をかけていただき、九州や川崎、金沢、神戸などへ行くことができたそうです。
32歳の時、函館の棒二森屋さんというデパートの中にある三愛さんのお店の前で展覧会をすることになり、この時に出逢ったのが、ボーニストアさんで当時部長さんをしていた岸部さんだそうです。
上野発の夜行列車に乗り・・・
青森駅から青函連絡船にのり、4時間かけて着いた場所、そこが函館でした。
港に着いた時、北海道に誰ひとりとして知っている人は無く、自分を試すかのような想いで向かった展覧会場となるデパート
展覧会は、とてもにぎやかでたくさんのお客様が来て下さったそうです。
展覧会の様子を見ていた岸部さんが
「これからあなたを応援します。」と声をかけてくださり、そして連れていってくれた場所が大森浜でした。
ここで、
「石川啄木は生涯2冊の詩集をこの世に残した。
須永さんは、3冊作ってくれ。応援する。」
と言ってくださったそうです。
5月14日にお会いした時、この話を2人でしていました。
「確かに岸部さんはそう言ってくれましたよね。」と須永博士。
「うん。ずっと覚えてくれているね。」と岸部さん。
今では60冊以上となった須永博士の詩集。総発行部数は50万冊を越えています。
その原点、パワーの源になっていたのは、岸部さんとの約束だったんですね。
それから20年近く、一年に2度3度と呼んでくださり、詩人として育てていってくれた函館の地、函館の人々、
「ちゃんと食べたか?」
「大丈夫か?」
と、須永博士を心配し、宿泊費を出してくださり、北海道各地(札幌、釧路など)のダイエーさんやボーニストアさんでサイン会をしたり、北海道を旅する旅費をくださったそうです。
岸部さんのその心にあるのは、「詩人」になる為の人生経験の旅をして、また函館に来る時、ひとつ成長した須永博士に会うことを楽しみにしていることでした。
「須永さんは、来るたびに必ずテーマを持ってきてくれたんだよ。定期的に函館へ来る中で、クリスマス、バレンタイン、母の日・・・とね。
成長していく詩人だからね、須永さんは。」
と教えてくれました。そう思ってくださるからこそ長年北海道へ呼んで下さり、ここまで力を貸してくださったんだ・・・と、スタッフとしても、感謝してもしきれないほどの思いでした。
岸部さんのセッティングで、三味線日本一の人の前で詩を書くという事もしたそうです。
今年3月19日に、鹿児島指宿で、山川ツマベニ少年太鼓の皆さんの演奏の前で詩を書いたことを話すと、それも「ほぉ~~」と喜んでくださいました。
今回の講演会も、最後まで聴いていただき、
これまでの須永博士が真っ直ぐに詩人の道を歩んで来たこと
69歳になってもなお、旅を続け、詩を書き、人のために生きている姿を、
須永博士という詩人を育てて下さった人に見届けてもらえた感動がありました。
講演後、「今、息子が店をしているから、良かったらここへおいで」といただいた名刺に書いてあったお店へ行き、そこでお会いして楽しい時間を過ごさせていただきました。
有限会社GAT'S
2店舗あり、須永博士の好みで和風のお店備後屋さんへ行きました。
(洋風のお店、Sleekさんへ、次回は行ってみたいな・・・)
美味しいお料理をいただきながら、久しぶりの再会をした岸部さんと須永博士の楽しい会話を聞き、
絵描きになろう 詩人になろう
と努力していた30歳代の須永博士を温かい目で、大きな心で見守り支えてくださっていた岸部さんから、私たちスタッフに伝言がありました。
「この詩人の周りで仕事として支えていくことは、きっと大変だと思うけれど、
この自由さ、大胆さ、それと“目の前の人に無償の想いで詩を書いてあげたい”という須永博士の生きかたを生涯続けさせてほしい。
多くの事の中で、成功も失敗もあるだろうけれど、
人は、とにかく何でも経験することだ。
とりあえず全て受け止め、吸収して
そのあとに自分に必要のないものは取り払えばいいのだから。
須永さんは、そうして今の須永さんに成長してきている。」
というようなことを話して下さいました。
きっと、函館に来るたびに岸部さんにこうして人生を教わってきたんだろうな・・・
これ以外にも、うまく文章にできませんが、たくさんたくさん素敵なことを教えて下さいました。
間違いなく、須永博士が詩人として今があるのは、この方がいたからだ、と思いました。
・・・続く・・・