須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

心の父

2011年06月16日 | 須永博士の人生
須永博士の人生については、カテゴリーの須永博士の人生でいろいろと紹介しています。

小学生のころ

中学生のころ

高校生のころ

高校卒業→就職

20歳のころ

誰も助けてくれない

行けるところまで

大きな壁

絵の基礎を学ぶ日々

東京写真専門学校へ

夢実現へ

「夢実現へ」のタイトルで書いたころです。

銀座三愛さんで、定期的に展覧会を開催し、新宿の三愛さんでは常設展示になったり、上野のABABさんでも、展覧会を開催したり常設で販売コーナーを設けて下さっていたりして、

全国の三愛さんグループの店舗店長さんが集まる展示会があり、その時に須永博士が展覧会も開催して、それを見た全国の三愛さんから「来ていただけますか?」と声をかけていただき、九州や川崎、金沢、神戸などへ行くことができたそうです。

32歳の時、函館の棒二森屋さんというデパートの中にある三愛さんのお店の前で展覧会をすることになり、この時に出逢ったのが、ボーニストアさんで当時部長さんをしていた岸部さんだそうです。

上野発の夜行列車に乗り・・・

青森駅から青函連絡船にのり、4時間かけて着いた場所、そこが函館でした。

港に着いた時、北海道に誰ひとりとして知っている人は無く、自分を試すかのような想いで向かった展覧会場となるデパート

展覧会は、とてもにぎやかでたくさんのお客様が来て下さったそうです。

展覧会の様子を見ていた岸部さんが

「これからあなたを応援します。」と声をかけてくださり、そして連れていってくれた場所が大森浜でした。

ここで、

「石川啄木は生涯2冊の詩集をこの世に残した。

須永さんは、3冊作ってくれ。応援する。」

と言ってくださったそうです。

5月14日にお会いした時、この話を2人でしていました。

「確かに岸部さんはそう言ってくれましたよね。」と須永博士。

「うん。ずっと覚えてくれているね。」と岸部さん。

今では60冊以上となった須永博士の詩集。総発行部数は50万冊を越えています。

その原点、パワーの源になっていたのは、岸部さんとの約束だったんですね。

それから20年近く、一年に2度3度と呼んでくださり、詩人として育てていってくれた函館の地、函館の人々、

「ちゃんと食べたか?」

「大丈夫か?」

と、須永博士を心配し、宿泊費を出してくださり、北海道各地(札幌、釧路など)のダイエーさんやボーニストアさんでサイン会をしたり、北海道を旅する旅費をくださったそうです。

岸部さんのその心にあるのは、「詩人」になる為の人生経験の旅をして、また函館に来る時、ひとつ成長した須永博士に会うことを楽しみにしていることでした。

「須永さんは、来るたびに必ずテーマを持ってきてくれたんだよ。定期的に函館へ来る中で、クリスマス、バレンタイン、母の日・・・とね。

成長していく詩人だからね、須永さんは。」

と教えてくれました。そう思ってくださるからこそ長年北海道へ呼んで下さり、ここまで力を貸してくださったんだ・・・と、スタッフとしても、感謝してもしきれないほどの思いでした。

岸部さんのセッティングで、三味線日本一の人の前で詩を書くという事もしたそうです。

今年3月19日に、鹿児島指宿で、山川ツマベニ少年太鼓の皆さんの演奏の前で詩を書いたことを話すと、それも「ほぉ~~」と喜んでくださいました。

今回の講演会も、最後まで聴いていただき、

これまでの須永博士が真っ直ぐに詩人の道を歩んで来たこと

69歳になってもなお、旅を続け、詩を書き、人のために生きている姿を、

須永博士という詩人を育てて下さった人に見届けてもらえた感動がありました。

講演後、「今、息子が店をしているから、良かったらここへおいで」といただいた名刺に書いてあったお店へ行き、そこでお会いして楽しい時間を過ごさせていただきました。

有限会社GAT'S

2店舗あり、須永博士の好みで和風のお店備後屋さんへ行きました。

(洋風のお店、Sleekさんへ、次回は行ってみたいな・・・)


美味しいお料理をいただきながら、久しぶりの再会をした岸部さんと須永博士の楽しい会話を聞き、

絵描きになろう 詩人になろう

と努力していた30歳代の須永博士を温かい目で、大きな心で見守り支えてくださっていた岸部さんから、私たちスタッフに伝言がありました。

「この詩人の周りで仕事として支えていくことは、きっと大変だと思うけれど、

この自由さ、大胆さ、それと“目の前の人に無償の想いで詩を書いてあげたい”という須永博士の生きかたを生涯続けさせてほしい。

多くの事の中で、成功も失敗もあるだろうけれど、

人は、とにかく何でも経験することだ。

とりあえず全て受け止め、吸収して

そのあとに自分に必要のないものは取り払えばいいのだから。

須永さんは、そうして今の須永さんに成長してきている。」

というようなことを話して下さいました。

きっと、函館に来るたびに岸部さんにこうして人生を教わってきたんだろうな・・・

これ以外にも、うまく文章にできませんが、たくさんたくさん素敵なことを教えて下さいました。

間違いなく、須永博士が詩人として今があるのは、この方がいたからだ、と思いました。


・・・続く・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須永博士の父

2011年06月16日 | 須永博士の人生
須永博士の本当の父親・・・

須永博士が20歳の時に、50歳で亡くなっています。

その父は、今自分の息子が、このような詩人になっている事は天国から見守っていると思いますが・・・

須永博士は話します。

「父とは、笑って会話をしたことは一度もない。

写真屋をしていたが、私生活では家にいるような父では無かった。

お酒を飲んで大声だしたり、母に怒鳴ったりしている姿が、とても嫌だった。」


20歳の時、一瞬で倒れ、お別れをした父に対する思いは・・・

「これで、憎まなくていいんだ。」



これを聞いた時、私は胸がはちきれそうでした

自分の父親に対して、このような感情を持たなければならなかったんだ・・・と。


ひとりっこだったから、家でけんかしたり遊んだりする兄弟姉妹もなく、母と二人の生活

学校でのことを話す時間もほとんど無かったそうです。

そんな須永博士が、社会に出て、挫折を味わい、絶望を感じ、

そのなかで自分自身で見つけた夢

「絵描きになる

詩人になる」



それから今日まで、この道ひとすじ

ひたすら旅を続け、出逢う人に元気が出るような詩を書き、

自分自身も出逢う人にたくさんのことを教えてもらい、

強い自分、負けない自分になろうと努力し続けています。

私が須永博士のアシスタント、スタッフとして旅につかせてもらうようになったのは、1996年4月からです。

知っている詩人・須永博士は、常に前向きで、展覧会では次々と詩があふれ出すように書き、講演会でも自信を持ってステージに立ち、旅の話を多くの方に語っていました。

それから15年。

「詩人」をめざしていた頃の須永博士の原点とも言える方に、北海道函館でお会いすることができました


以前、湯布院で偶然出逢った福岡のNさんのことを書いたときにもイニシャルで登場した方です



2010年3月10日の記事

↑で書いた「北のKさん、南のNさん」

の、北のKさん、岸部さんです

須永博士が初めて北海道の地へ足を踏み入れ、そして展覧会をしたのが函館駅前の棒ニ森屋さんというデパートです。

そこで部長さんをされていたのが、岸部さんでした。

この方がいたからこそ、今の詩人・須永博士が存在するんだと、今回はっきりわかりました。





講演当日、須永博士は会えるとは思っておりませんでしたが、ステージの上で書いていた言葉の中には、しっかりと想いが込められていました。
以前も紹介しましたが、もう一度紹介させてください。

「2011年5月14日(土曜日)

北海道看護協会 道南南支部様主催、

須永博士 旅の詩人の講演会

演題「優しいこころ」を

いまからはじめさせて頂きます。


絶望、対人恐怖症

ひとりぼっちの青春から

ひとり、

“詩人”と“絵描き”の

人生をめざして 旅をはじめました。

北の旅でたどりついたところが

「函館」でした。

青森から

青函連絡船で4時間、

函館山がありました。

美しい夜景がありました。

優しい人達が生きていました。

助けてもらいました。

泊めてもらいました。

旅の旅費を頂きました。

いま“詩人”をめざして47年目、

この世に生きて69年目、

なつかしい

心のふるさと

「函館」へもどってきました。

帰ってきました。

いまから

旅で出逢った

感動、涙、笑いのはなしを

語りつくします。


はじめます。」


“助けてもらいました。

泊めてもらいました。

旅の旅費を頂きました。”


その人が、岸部さんだったのです。


講演直前、会場に来てくださった岸部さんと、須永博士が会う瞬間を見ることができました。

それは、成長した息子に会いにきた父と、父に「こんなに大きくなりました」と、誇らしげに胸を張る息子の姿のようでした。

「岸部部長、まず講演会場を見て!  こんなステージになっちゃったよ!」

子どものように嬉しそうに、話すよりも何よりも会場へ案内していました。

それをニコニコ微笑みながら歩く岸部さん。

「おお!!」

と一言いい、「じゃ、また講演が終わってからな。」と、席に着かれました。

・・・続く・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする