須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

2020/07/10

2020年07月10日 | 須永博士の歴史を紐解く

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2020年7月10日(金)から


須永博士美術館は臨時休館させていただいております


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昨日は北里第三分団消防団の皆様、夜遅くまで本当にありがとうございました。

















須永博士美術館の上の山から流れてくる小さな川が、建物の下を通って北里川へと流れています。


今回の大雨で、おそらく上の山の中のどこかが土砂崩れを起こしているようで、流れ込んだ大量の雨水と土砂が水の流れを止め、須永博士美術館の土台を削り、危ない状態になっていました。


昨日は近隣の消防団の方々が雨の降る中を一日かけて排水、土砂の撤去、床下の補強をしてくださいました。

本当に、心から感謝いたします。


安全が確保できるまで、須永博士美術館は臨時休館させていただきます。


須永博士美術館ウェブショップも、私がパソコンに向かえるようになるまで、お休みさせていただきます。


再開できるようになりましたら、無事だった詩集や色紙など、ぜひぜひご注文をお待ちしています!


また、報告します。






↑7月8日午後11時過ぎの雨雲レーダー
 





↑須永博士アトリエの横の土手の土砂崩れ


このような箇所や、もっともっと甚大な箇所が町内各地にあります。懸命な作業を、たくさんの方々がしてくださっています。

本当に、本当に、ありがとうございます。


今後も、いつどこで突然、何が起こるか分からないので、皆様もご自分の命、大切な人の命を守るべく準備と行動を心がけてほしいと願います。


私たちも、引き続き気をつけながら過ごします!


あと、常に、スマホの充電、貴重品をまとめる、すぐ避難できるよう着替えやタオルをひとまとめにしておく、


緊急時には、その準備も頭が回らなくなるので、大丈夫な時に準備をしておいたり、必要なものを紙に書いたりしておくことも大切だなと改めて思いました。


割と、娘達は冷静で、サッとリュックに詰めて「いつでもオッケー」って、緊急事態に慣れてきた?って感じでした😌

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7月1日

2020年07月01日 | 須永博士の歴史を紐解く

 

いよいよ7月ですね!

2020年の折り返し地点!後半の6か月間も、新型コロナウィルスとともに、生きてゆく世の中であることになりますが・・・新しい生活様式を実行しながら、心も体も元気でいたいですね。

この半年間、あきらめたことや、できないでいたこと、そして、大切な命が失われてしまったご本人やご家族の哀しみ、苦しみ・・・コロナだけでなく、病や事故などでこの世を去った方々も・・・本当に、これまで経験したことのない日々になりました。

須永博士も「今まで生きてきて、こんなことは初めてだね。」と言っていました。

ただ、この中で新たに生まれた発想だったり、挑戦だったり、「コロナがあったからこそ」ということもありましたね。

「現実を受け止めて、前を向く」

子供たちも、今それをしている姿を見ると、わたしもがんばらなくちゃ!と思います。

 

 

 

 

 

 

 

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礼文島での写真 1974年と2011年

2020年06月28日 | 須永博士の歴史を紐解く

今日は、雨は止む予報ではありましたが・・・

昨日の雨も激しかったので、朝起きて空が晴れていた時にはホッとしました

緑が濃くなってきています。たくさんの雨を吸い込んだ大地・・・植物たちは、成長期ですね。














 

昨日、須永博士が抱いた、「もっと心を込めた詩を書きたい」「心やすらぐ詩を書きたい」との想い・・・

須永博士は、今も丸坊主で、その時の想いを忘れることなく生きています。

昨日紹介したのは、自費出版で作っていた「小さな夢の詩集」ですが、1987年に七賢出版という出版社さんから、それまで発行していたものを10冊に再編集し発売した「小さな夢の詩集」があります。(その後、11~16巻まで発行)

この時にどういう経緯で作られたのかも昨日聞いてみました。

 

すると、当時本を作ってもらっていた名古屋の印刷会社クイックスさんと、出版していたエフエー出版さんがよく展覧会場にも足を運んでいてくださり、展覧会が終わり食事を一緒にする機会もあったそうです。

そんな中で,七賢出版で当時編集長をしていた方が、須永博士がホテルに帰ってくるのを待っていて、「うちで本を出版させてください。」と。須永博士は、あまりその気はなく、いい返事もしなかったけれど、それが何度も続き・・・じゃあ、作りましょうかということで、それまで自費出版で発行し在庫が無くなれば絶版だった「小さな夢の詩集」の1~20集を再編集して10冊にまとめて発行したそうです。

わたしが、今手元にある自費出版の「小さな夢の詩集」と、再編集した七賢出版発行の「小さな夢の詩集」を読み比べていると、中に入っている詩も自費出版で入っていたもの、新しいものが入り混じっていますが、大きな違いは、前書きと、あとがきのメッセージです。

詩集なので、文章的なものがあるのはこの前書きとあとがきのみなのですが、このメッセージがものすごく心をうたれるというか・・・読んでいると涙があふれてくるんですよね・・・

1~20集、いまでは貴重な、幻のような自費出版の小さな夢の詩集の中から今日は、昭和49年(1974年)発行の第4集の前書きとあとがきを紹介します。



なみだがなみだがあふれて、さきほどからとまらないのです。

なんのとりえもないわたしが、たったひとつ旅をすることだけを生きがいに、行きつくところまでこられられるところまで歩いてきたのです。

そして人のあたたかさを知り、自然の大きさを知り、ささやかだけれど自分なりの道を人生を歩いてきたと感じるのです。

いまわたしのひとつの旅が終わりをつげようとしています。

凍りついた北の果て稚内の町におり立ち、まだ陽もあけぬ道を歩くとき、今日までのことが想い出が旅が心をあつくさせ、涙を雪の中へと落とさせるのです。

力を持つことだけが人間ではない、

強く生きることだけが人間ではない、

誰にもかえりみられずとも、自分なりにふさわしい心と求める道を持って生きて行けばいいのではないかと思うのです。

夜が明けたら、船にのり黒い荒海を礼文島に渡ります。北の果ての行きづまりのところで、わたしの人生をひとくぎりつけようと思うのです。

わたしのめぐり逢うあなた、自然、元気でいてください。

ありのままの姿でいて下さい。

必ずふるさとへ帰ります。

心をさいて詩をつくります。

 

須永博士

 

東京下町の片すみで、いま第4集 ”ひとりぼっちの愛の詩”の原稿を書いています。

夜も更け人通りもなくなりました。静かです。

そんな中で、わたしはひとつひとつの詩の中から旅の思い出をめぐり逢った人達のことをおもいめぐらしています。

うそいつわりなく、よく今日まで生きてこられたと思います。旅先で泊まる宿もなく一晩中歩いたこともありました。

あるときは、旅の疲れから汽車の中で意識が遠くなるようなこともありました。

随分とあぶないことに出合いました。

でも、いまこうして生きています。

もしあのとき生命をなくしていたらと思うと、頑張らなければと思うのです。

自分の心に゛これぞ“と思うものがあったら、仕事でも恋愛でも一生懸命やるのがいいのではないかと思います。

頑張ってください。

想い出を沢山作って下さい。

あなた自身の人生を歩いて行くように願っています。

この第4集の詩集を読んでいただきありがとうございました。

須永博士

 

この前書きにも書いてあるように、稚内から船にのり、礼文島へ・・・この時、とっても大変な思いをしたそうです。

それから37年後の2011年、須永博士は講演会で礼文島を訪れました。

 

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神崎小学校さんへ 2011.7.19 - 須永博士美術館スタッフブログ

礼文町立神崎小学校さん講演会の続きですもうすぐ9月に入ってしまいますが、7月の礼文の旅日記は、まだまだ始まったばかり完結まで、不定期ですがお...

神崎小学校さんへ 2011.7.19 - 須永博士美術館スタッフブログ

 

 

あの日、たった場所と同じ場所へ・・・

 1974年2月の礼文島にて

2011年7月23日の礼文島にて

この時、私も一緒に礼文島へ行かせてもらったのですが、この場所に向かう時の須永博士の感動が伝わってきて、37年前にタイムスリップ、そして37年前の須永博士にこの姿を教えることが出来たなら…なんて考えたりもしました。

1974年2月の礼文島、雪で真っ白。
この時は大変な思いをしたそうです。


人間詩集にその詩が載っています。

「北海道 礼文島

厳冬の礼文島です

二月の礼文島です

考えが甘すぎました

いま着いたばかりの

波止場に横たわっています

稚内からの船は

木の葉のように揺れました

慣れた地元の人は

みんな船の中で寝ていました

わたしはデッキで

波しぶきをあびて

手すりにしがみついて

やっとここまで来ました

知らないというのは恐ろしいです

島の人が言うには

天候によって 次はいつ

船がでるかわからないとのことです

バスも宿もほとんど無いと言われました

帰りの船で

もどった方がいいと言われました

わたしはふらつく足で

乗ってきた船にへたり込みました

みんなわたしが悪いのです」

冬の礼文島に、ほぼ下調べなしで船に乗って向かうなんて、無謀なことだったのでしょうが・・・それもまた、今となれば良い経験ですね。

旅の中でいろいろな経験をしながら、その時その時に感じたことを書き留めて、詩集を作ってきた須永博士の人生・・・

また続きを書きます。

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須永博士の歴史を紐解く②

2020年06月27日 | 須永博士の歴史を紐解く

 

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須永博士が坊主にした理由 - 須永博士美術館スタッフブログ

43年前の今日6月11日-須永博士美術館スタッフブログ東京の須永博士自宅に保管されていた資料などを熊本の須永博士美術館に送ってくれています。...

須永博士が坊主にした理由 - 須永博士美術館スタッフブログ

 

 先日、須永博士が坊主にした日(今から43年前)を紹介しましたが、須永博士の資料や昔の詩集(今は絶版)を読んでいると、事実が書かれてありました。

 

 

 

須永博士が昭和47年から発行し続けていた「小さな夢の詩集」第11集(現在販売中の11集とは別のものになります。)昭和57年(1982年)発行です。

その、最初の言葉に書かれてありました。

「今から5年前、仙台にての展覧会の時、12歳の少女が゛10歳の妹が白血病であと2か月でこの世を去ります。妹の痛みがやわらぐ詩を書いてください。”といわれました。わたしはその妹さんの心がわたしの詩でやすらぐことが出来なかったら申し訳ないと、坊主頭にしました。それからも旅をつづけ、もし身体が心が傷つく人に出逢ったら今度こそ、心がやすらぐ詩を作ろうと心に決めていました。」

 

そう、昭和57年の5年前というと、昭和52年 1977年。



1977年6月11日 坊主頭にしたと書いてありました。

もっと心をこめた心あたたまる作品を作るにはそうしなければならなかった・・・という出逢いが、仙台であったんですね。

 

それから、今度こそ、つらい思いをしている人に、心やすらぐ詩を書こう!!と心に誓ったあと、1979年の横山真理さんとの出逢いによって、さらにその想いを強くして、「もう髪の毛は要らない」という決意につながり、その決意が今も続いているんですね。

今は絶版になっている自費出版の「小さな夢の詩集」を読み進めていくと、その中に書かれてある詩は、1集を発行したのは昭和47年 1972年。展覧会は全国各地で30回ほど開催したころでした。それから5年ほどの間に5冊発行しているのですが、当初は愛の詩が多く、展覧会場のかわいいイラストに惹かれて訪れていたのが多くが女子学生だったり、若い女の子だったようです。

恋愛の相談や、お手紙を頂くことが多かったそうで、大好きな人への想いの詩、失恋の詩が載っています。それとともに、「旅人の詩」コーナーがあり、日本各地や世界を放浪した時の詩も載っています。

改めて、頭を丸坊主にして「本気で詩を書くことに命懸けでやろう」と決意した時の、小さな夢の詩集 第11集を読むと、今でも代表作になっている詩がいくつも入ってありました。

10集まで、ひたすら旅をして詩を書き続けてい須永博士であり、

11集からは、またもう1段詩人としての階段を上がり、ひたすらに、がむしゃらに、そして心の底から目の前の人と向き合い、詩を書いてた様子が思い浮かびます。

あとがきの言葉

「今日も自分との戦いを続けています。

二度といくじなしにはなりたくないと思い、自分のやるべきことへの挑戦をしています。

想うあなたにどれだけつくせるのか、自分の求める道をどれだけやりとげることが出来るのか、わたしの素朴な願いです。

一生涯生きても、何もない人もいます。短い人生でも、心を残し、人生をのこし、愛を残した人もいます。

人間、生まれてきてその瞬間、自分の生き方をして、自分にふさわしい言動をして、納得のいける時間をつかめば公開することはないと思います。

あなた、今すべきことに、勇気をもって行動してください。苦しくとも、淋しくとも、前へ進んでください。後ずさりのための苦しみでなく、道を切り開いていくための人生をしてください。

わたしも絶望、無一文からはいあがって来ました。

自分の夢をやりとげてきました。

後悔はありません。

傷ついた数だけ、やりとげた喜びの数が人生にあります。

わたしはまた旅に出ます。

自分のためせるだけの、つくせるだけの力を出して生きてみます。

その中から、〝人生の確かなるもの〟をひとつひとつ見つけて行きます。

あなた、幸せを自分の力でつかんでください。

あなた、道を自分の勇気で切り開いてください。

あなた、自分の弱さに負けないでください。

須永博士

 

 

 

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