須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

進行中!!

2011年11月30日 | スタッフより
毎日、わくわくすることが、本当にたくさんあって・・・

そりゃあ、私も悩みがない訳では無く、いろいろ苦労もあるような・・・ないような・・・

でも、苦労以上に、やりがいのあることが目の前にたっくさんあって、立ち止まっている時間はありません・・・

ただひたすら、前に進むのみ!!です

今日の出逢いを久美子さんのブログ「笑顔のむこうに」で書いて下さっています。

先日の、宮原敬助さんとの出逢いを、お母さんが書いて下さっています。

敬助さんのブログ

敬助さんのブログ

なんの力も無い私でも、須永博士の詩や、今までの経験を生かして何かができるならば・・・

心をこめて、お手伝いしてゆきたいと思っています。



「心をこめて

人にあう

優しさこめて

人にあう

愛をこめて

人にあう

出逢いを いつも

大切に・・・

自分を いつも

大切に・・・」

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松島~石巻へ 4 菅原眼科さんにて 2011.11.18

2011年11月30日 | スタッフより
やっと、11月18日の石巻訪問の続きを書きます
日にちが経つのは早いですね

でも、あれからの毎日も充実していて、出逢う方や、ご近所さんにも仙台、石巻の現状を話させてもらったりもしています。

先日も温泉の中で、いつもお会いしている方に、「被災地に行かれたんですね~ブログを最近見つけたんです」と話しかけていただいて、見てきたこと、知れたことを話しました。

皆さん言われるのが、「まだまだなんですね! もうだいぶ片付いて、大丈夫なのかと思っていた・・・」と。

私も、実際に行かなかったら分からなかったです。毎日毎日、みなさんあんなにがんばっている。だけど、範囲があまりにも広すぎる、被害が大きすぎる・・・。

まだまだ、ずっとずっと支援できることを続けてゆかなければ・・・

それと、「忘れないこと」

石巻で案内してくださった津田さんも、海沿いへはなかなか行けないでいたそうです。
今回、一緒にまわって、改めて自分たちもできることをしてゆかなければ・・・と思われたそうです。

実際にそこにいる方々は、本当に自分のことで大変だから、他の方々にまで何かをするなんてたいへんなのに、それでも何かをしようと助け合っています。

津田さんは、車を運転できないので自転車で海沿いの町へ先日も行ってきたそうです。
お店があった場所を直している方とお話ししたり、自分の目で見て、情報を得て、そして動こうとされています。

仙台の高平さんも、私達と会ったあと、実家のある大船渡へ帰ってきたそうです。

公園があった場所には仮設住宅が立ち並び、子供達の遊ぶ場所もない現状、

まだまだ復興には遠いけれど、一歩一歩を精一杯歩いている方々がいること・・・

それを、どうにか知る機会をこれからもこのブログを通して伝えてゆきたいと思っています

仙台・石巻で出逢った素敵な笑顔(^-^)


さてさて・・・前置きが長くなりましたが、11月18日、東松島の成瀬第一中学校さんへ訪問した後、野蒜駅周辺を通り、石巻へ・・・。

いよいよ、2年ぶりの石巻へ到着しました。

石巻駅


駅は残ってる!!あの日のままだ!!

石巻の町は、一見何事も無かったような交通量の多さとまわりの風景です・・・。

でも、よく見ると道路は補修されたあとがあちこちに



この道路も、震災と津波のあとは道路も波打っていて、走れる状態では無かったそうです。



まだ、実感がわかない・・という中で、菅原眼科さんへ到着!!



到着してびっくり!!

皆さんが、待っていてくださいました!!

持ってきた来年のカレンダーやポストカードをお渡しすると、皆さんとっても喜んでくださいました



菅原先生と、従業員の皆さんを囲んで・・・


皆さんも被災された方々です。

「やっと先日、7ヶ月ぶりに1階に住めるようになったんですよ
それまでずっと、2階での生活でしたが、1階に住めるってこんなに幸せなんですね

と笑顔で話してくださいましたが、本当にこのあたりは、全壊はまぬがれたけれど1階部分が波が来て、現在も修復中の家がまだまだたくさんありました。

近くの商店街も



こんな感じでした。

そんな中でも、みなさんで助け合い、支えあい、励ましあいながら一生懸命に生きています。

待ち合い室には、自由に持ち帰ってもらえるようにこんなコーナーが。


私達もわずかながらに送らせていただいていましたが、いつも、「こんなものを送ってもいいのかな・・・かえって迷惑にならないかな・・・。」と心配の気持ちの方が大きかったのですが、実際に置かれてある場所をみることができて、またイメージがわいてきました。

前から石森さんからお聞きしていた、

「電車も車も無く、交通手段がないので皆さん歩きかバスで来られます。
ちょっとバックに入れて持って帰れるようなものがいいかもしれません。」と。

そして、いつも必ず

「無理されないで下さいね・・・。」と、こちらを気遣う言葉を付け加えて下さっていました。

無理だなんて・・・皆さんのことを思ったら、無理な事なんて無い!!と私達もいつも思っています。







カレンダーや、須永博士美術館便りも貼って下さっていました。

嬉しかったです!!

少しの時間の滞在でしたが、本当に皆さんにお会いできて良かったです

名残惜しいけれど、菅原眼科の皆様にごあいさつして、次の場所へ・・・。という時、津田さんが宅急便のドライバーさんと驚きながら話されていて・・・

「お知り合いかな?」と思ったら、津田さんの同級生の旦那様でした

震災後、友達や、2009年7月17日の石巻での講演会へ来て下さった方々が、どうされているのかとても心配だけど、なかなか連絡をとることができないんです・・・。と、津田さんが前からおっしゃっていました。

この同級生の方も、今回被害の大きかった場所に家があるので、その安否をとっても心配していたそうです。

旦那様とこんな場所で会えるなんて・・・
ご家族の皆さん、無事でいることも確認できて、感動の出逢いでした


 津田さんから、カレンダーのプレゼントをしていただき、ドライバーさんもとても喜んで下さり・・・

感動の場面を一緒に見ていた石森さんも、

「地震後、ヤマトさんが一番に配達に動いて下さったんです。本当に感謝しているんですよ。」

と教えて下さいました。

たまたま、今日はいつものドライバーさんで無かったそうで・・・

ここでの出逢いのためだったのかな・・・なんて、みんなで感動でした

2011年11月18日③

2011年11月18日②

2011年11月18日①

2011年11月17日⑫

2011年11月17日⑪

2011年11月17日⑩

須永博士より

2011年11月17日⑨

2011年11月17日⑧








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今も生きています(^^)

2011年11月29日 | スタッフより
昨日は、福岡の玄界灘のすぐ近くにある玄海ロイヤルホテルさんに行ってきました。

6年前、61歳の生涯を、ひたすら人のために生きた白石克己さんの七回忌法要にお呼びいただきました。

白石さんとの事を書いた記事です

須永博士の大切な友

昨日は、100名近くの方が集まられていました。
お経を唱えてくださったお坊さんも、その多さに驚いていたほどでした。

お坊さんが、「白石様は、生きている間にたくさんの功徳を積まれたのでしょう・・・。

白石様は、今もこんなにたくさんの人の心の中で生き続けておられる・・・。」とおっしゃっていて、その言葉に皆さんうなずいていました。

友人代表で挨拶をさせていただいた須永博士も、「白石理事長さんには、本当に多くのことを教わったし、多くの思い出があります。
人の事を想い、人に尽くして生きた人です。
今もきっと天国で、皆さんの事をいつも応援していると思います。」

と言っていました。



本当に、いつもすぐそばにいてくれているような気がします。

須永博士美術館で毎日焚いているアロマオイルも、白石理事長さんが教えて下さいました。
だから、忘れる日はありません・・・。

白石さんのご家族は今も福岡県宗像市で、K&Yさんという美容室をされています。

Kは、克己(かつみ)さんのK、Yは、奥様洋子さんのY

2人で創めた美容室、今は店舗以外にも白石さんの想いでありました、移動福祉美容車re-barthが福岡県内各地を毎日走っています。



移動福祉美容車のことを書いた記事

福岡県美容生活衛生同業組合の理事長を長年勤められていて、組合が経営している福岡美容専門学校さんには、生徒さんへの講演会に1998年から毎年お呼びいただいておりました。

福岡校と北九州校の2校があり、北九州校の卒業生には、
IKKOさんが、
そして福岡校の卒業生には
EXILEのTAKAHIROさんがいます

現理事長さんのご挨拶でも、「白石理事長が思い描いていたものが、今しっかりと形になって来ています。」と報告されていましたが、今年はもう募集を締め切られたほど、人気のある専門学校として存在していることを改めて教えていただきました。

下記に、白石さんと関連したことを書いた記事を紹介します

2008年10月12日、宗像での講演会

2009年4月3日

2009年4月3日続き

2010年9月指宿へ

2010年TAOさんとの再会

読みおこしてみると、本当に懐かしい・・・
良かったら、読んでください・・・


白石さんの素敵なご家族の皆さんと・・・

また、宗像へ皆さんにお会いしに行きますね
これからも、ずっとよろしくお願いします




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【TAO】東海テレビ特番放送決定!

2011年11月28日 | スタッフより
東海テレビにて、TAO特番が放送されます!

■番組名:
【TAO LIVE 2011】

■放送局:
東海テレビ放送
(放送エリア:愛知・岐阜・三重)

■放送時間:
11月29日(火)
深夜1:30~(30分)
※W杯放送のため最大延長55分の可能性あり

■番組内容:
先日、11月4日(金)愛知県芸術劇場で行われた、「TAO 2011 浮世夢幻打楽~参の絵巻~」の模様をご紹介。
1993年 地元愛知県で結成された最新のエンターテイメントTAOが、世界各地で活躍する理由を紐解く。
メンバーのインタビューもお楽しみに。


須永博士も大好きな、そして、今日七回忌法要を行った、白石さんが大好きだった和太鼓TAOさんです。

白石さんと須永博士…

今も、「心の友」であり、この世にいなくても姿を感じています。

TAOの中心で活躍されている西亜里沙さんとも、長いおつきあいで、会えなくてもずっとずっと応援しています!!

東海地方の方々、ぜひご覧ください(o^o^o)


※良かったら、録画して送ってほしいなあ………(^^ゞ
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伝えたいことがありすぎて…

2011年11月27日 | スタッフより
今日は、午前10時の開館直後から閉館時間まで…

きっとすべてが必然だったのだろうというタイミングでの出逢いが続きました(^-^)

お客様も、今日1日、須永博士がいるとは知らず(^O^)

皆さんビックリでしたが、

今日会うこと、会えることは偶然では無いんだろうな…

と、私は思っていました(^-^)

この写真の中に写っている方々も…(^-^)

このブログに紹介したことのある、三組の方がいます。

同じ日に、同じ時間に同じ場所で、須永博士と出逢うなんて想像もしていませんでしたが、皆さんが、

「今日来ようと思っていました(^-^)」

とおっしゃるんです。


今月のカレンダーの詩、

「人間には

必ず

生きている中で

すばらしいチャンスが

ある

くる」


その詩の通り…

皆さんのチャンスが、今日という日だったのかな…

と、ドキドキ、ワクワクの1日でした(^-^)

朝一番に来られた北九州の高校の先生の中で、野球部の指導もされているという穏やかそうな先生は、6月と9月に東北にボランティアに行かれたそうで、南三陸町と、東松島の野蒜に行ってきたんだと教えて下さいました。

行くチャンスがあり、実際に現地に行くことができたからこその想いを、一緒に話すことができました。

見たこと、聞いたこと、感じたこと…

報道などで知ることがなかなか出来ない現状、「本当のこと」を、現地の中だけでなく、広く知ってもらう機会を作らなくちゃ…

まずは、「知る」ということ

そこから、何かが始まることができる気がします(^-^)


もう1つ、今回知ることができた、

「臓器移植」について

熊本の宮原敬助さんが、11月19日に群馬県前橋市で開催された市民公開講座で体験を発表され、私も行くことができました。

心臓移植しか、命が助かる方法は無い

もし家族や自分がその立場になったらどうするだろう

逆に、家族や自分が脳死状態になった時、死を受け入れて臓器提供ができるのだろうか


と、考える機会も無かったかもしれないことを、すごくすごく、知るきっかけになりましたp(^^)q

あれから帰ってきて、須永博士や、私の家族にも聞いたこと、学んだことを話したりしています。

本当に、知らないことが多いです。

日本ではまだまだ移植医療が進んでいない…

助かるいのちを 助けられる国に…

って、公開講座のテーマをものすごく考えさせられました。

敬助さんと須永博士が、いつの日か出逢う日が来たらいいな…と夢に描いていましたが、それが今日実現しました(^O^)

同じ時間、玉名の斉藤広将くんのご両親も来られ、

導かれるかのように、大分県立森高校の野球部監督で、今年7月に天国に旅立たれた重光先生の同級生の皆さんや奥様も来られ…

涙、涙の1日でした。

今日は、何なのだろうかと思えるような、見えない力をものすごく感じた1日でした。

生きていれば、必ず明るい日が来る

生かされている今、必ず意味がある

1日1日を大切に生きてゆけばいいんだ…

皆様との出逢いに、心から感謝します。

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今日の須永博士(^O^)

2011年11月26日 | スタッフより
須永博士美術館に須永博士が(^O^)

自ら、館内を飾りなおしています(^-^)

実は……

明後日、11月28日にとても大切な方の七回忌法要が福岡であり、友人代表で須永博士が挨拶を依頼されていますので、こちらに来ています(^-^)


「今年は、もうこれで小国には来ないだろうから…」
と、自分で納得いくように飾りなおしたかったそうです(^-^)

「悔いなく生きる」

最近の須永博士を見ていて思いますp(^^)q

今できることは、今やる!
わたしたちも常に心がけたいです(^-^)


今回の短い滞在でも、奇跡的な出逢いが続いています(*^_^*)
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人間の持っている力(o^o^o)

2011年11月25日 | スタッフより
須永博士が、詩を書き続ける理由……

それは、

あなたがしあわせであるように……

ただひたすら、その想いです。

“あなた”は、

その詩を目にした全ての人……

その須永博士のスタッフである私も、やっぱり、


“あなたがしあわせでありますように……”

と、常に思っています。

須永博士美術館を訪れてくださる方


お電話で注文くださる方


メールで注文くださる方


FAXで注文くださる方


皆さんが、しあわせでありますように…

今、つらくてつらくて、悲しくて起き上がれない

そんな状況でも、


時間がかかってもいいから、

起きてみようか

立ち上がってみようか

前に進んでみようか


そんな、小さなきっかけになってくれたらいいな……

そんな想いでいます。


11月22日に小国に帰ってきてから3日が経ち、この3日間でも多くの出逢いがありました。

仙台、石巻で出逢ったことを話しができる機会もあり、

いただいてきた写真集を須永博士美術館に並べた直後、真剣に見てくださるお客様がたくさんいたり、

被災された方々のためなら!と力を貸してくださるご近所さん……

ブログを見てくださっている方々からの激励メール…

改めて思うんです。


人間は、必ず何か、役目がある!!って……p(^^)q


一人一人、例えば小さいかもしれないけれど。

だって、被災地にボランティアには行けない。大金は募金できない。

なんて思っていても、

今、目の前の家族を大切にすることは出来る(o^o^o)

日々を大切に生きることは出来る。

笑顔をたやさずに、明るく前向きに生きることは出来る。

争いごとをせずに、平和に生きることが出来る


じゃあ、何で争いが起きるのか……

子供達を見ていると、よく分かります(;^_^A

「自分の欲」で物事を見ているから……。


相手を思いやれば出てこない言葉が、自分の欲だけで考えると、どうしても相手を傷つけたり攻撃したりする言葉になってしまいます……


思いやり


大切だなあ。



またまた、たくさん伝えたいのにすみません(;^_^A

また明日……(*^_^*)

「しあわせ運べるように」
石巻の貞山小学校の四年二組の皆さんに歌っていただき、号泣してしまいました(T_T)

良かったら、ぜひこの前のブログを開いてみてくださいね(^-^)
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しあわせ運べるように

2011年11月25日 | スタッフより
しあわせ運べるように

↑ぜひぜひ、聞いてみて下さい

しあわせ運べるように公式サイト

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夫婦の日から勤労感謝の日(^-^)

2011年11月24日 | スタッフより




↑11月22日 熊本空港にて

昨日携帯からブログを更新している途中……


気づいたら眠っていて、あっという間に朝になってました(;^_^A

ぐっすり眠れたみたいです(o^o^o)

11月22日は夫婦の日(o^o^o)

13日の夜の飛行機で東京に行ってから9日ぶりに帰ってきた小国は、ものすごく寒くなっていました。
朝の気温はマイナス2℃だったとか(≧▼≦)

帰ってから家族団らん……といきたかったですが、息子とお父さんは、小国ドームで開催されたプロレス、ドラゴンゲートを見に行き、私は中学校の息子の部活の会合があり…

みんながそろったのは、午後9時過ぎでした。

昨日の勤労感謝の日も、朝から私が健康診断があり、





昼からはご近所で毎年集まってしている火の神様のおまつりがあり、会食をしました(^-^)






須永博士美術館にもお客様が来られるので、合間のわずかな時間ですが、年に数回こうした集まってワイワイ話したりするのも、とっても良いコミュニケーションだし、楽しい時間です(^-^)

仙台と石巻へ行ってきた話しにもなり、

「もうだいぶ片付いていたんじゃない?」

と聞かれましたので、

「いや、まだまだでしたよ!皆さんがんばっておられますけど、私が思っていたよりも、かなり広い範囲だしまだまだこれからでした」

と話すと、やっぱり驚きますよね…

こちらからは、想像がつかなすぎて…

私が行ったのも、ほんの1部分ですし、お会いした方々のまわりの方々、家族、親戚……

どれだけの人が大変な思いをしているのかを思うと…

その現状の一片でも感じさせていただいたからには、まわりに伝えてゆかなくちゃ!と声をかけてみました(o^o^o)

すると、即

「協力します!!」

と、お隣さん、斜め向かいのお家のお母さん方…

お母さん、女性のパワーはこんな時こそ強いですね(^-^)

男性の労働力、そして女性の精神力!

仙台・石巻でもすごく感じた、男女それぞれの持っている力…

日本人の強さ…

本当に、今からが長くもあり、みんなで力を合わせて立ち上がってゆかなくちゃならない大切な1日1日ですね!

わたしたちも、やっと行けた。

遅かったけれど、行けたからには動かなくちゃp(^^)q

想いを寄せて、そしてできることをずっとずっと続けてゆきます(o^o^o)


日々の自分のやるべき事をやりながら…p(^^)q



↑会えなかった9日間で、上下2本の歯が抜けて、前歯5本が抜けている小学校1年生の娘
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熊本に帰ります(^-^)

2011年11月22日 | スタッフより






須永博士東京ギャラリーの安藤に、羽田空港行きのリムジンバス乗り場まで送ってもらい、いよいよ熊本に帰ります(^-^)

スカイツリーも今回は遠くから見ただけでしたが、今日は良いお天気で眺めも良かったです(*^_^*)

バスに乗る時、安藤と

「また、東北に行こうね!」

と約束しましたp(^^)q

皆さんの事を思ったら、何もこわいものは無いです。

強く生きてゆかなくちゃ(^-^)


優しく生きてゆかなくちゃ(^-^)


負けないで、生きてゆかなくちゃ!!

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東松島~石巻へ 3 野蒜(のびる)駅

2011年11月22日 | スタッフより
鳴瀬第一中学校さんを出発し、海岸方向へ車を走らせると・・・

ほんの数分で、信じられない光景に変わりました。

鳴瀬第一中学校さんに間借りしている鳴瀬第二中学校さんは・・・校舎の外観は残っているけれど、・・・

周辺も、校舎内も、ぐちゃぐちゃです・・・。

東松島のボランティアセンターもありました。

民家も、立派なお家がところどころ姿を残しているけれど、中は・・・。

道路も、車は通れますが、標識も何もなく、運転していた石森さんも

「ここはどのあたりだろう・・・」と、知っているはずの道も、変わり果てていてどこを走っているのか考えていました。

そして・・・堤防横の道路を走っていくと、仙石線の野蒜(のびる)駅に着きました。









駅・・・。

ここが駅だったんだ。普通に電車が走って、普通に電車に乗って行き来していた日々があったんだ・・・。

駅の向こうに見える民家も、すべて中は流されています。



2009年7月も、仙台駅から仙石線に乗り、

松島

を通り、野蒜駅を通るとき、「のびるって、食べられる“野蒜”と同じ字だね~~、おもしろい~~」と会話したのがすごく印象的で、震災後の様子をテレビで見たときには、ものすごくショックでした。

駅校内も・・・




ひどいです・・・。

きれいな駅舎だったんですね・・・。





この状況の中でも、力強いメッセージがありました。

「仙石線を現ルートで早急に復旧を!」

「みんなで住もう わが町 のびる」

白い駅舎と、青空がまぶしかったです・・・。


 
駅の隣にあるお店は、多くの人に利用されていた便利なお店だったのでしょう・・・。

こんな姿になってしまうなんて・・・。

またいつの日か、ここを走る電車が、ここに住む人の足となり、笑顔あふれる町に復活しますように・・・

祈ることしかできませんが、この今の野蒜駅周辺の姿をしっかりと目に焼き付けました。


では・・・

まだまだ途中ですが、これから羽田空港へ!熊本に帰ります。

東京は、快晴です!!
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東松島~石巻へ 2 1986年の詩

2011年11月21日 | スタッフより
1986年の詩

以下、2009年7月に掲載した記事です。


「宮城県石巻

小さな町に小さな優しさが生きています

仙台駅から仙石線の電車にのると

終点に石巻という港町があります

駅の改札口をでると

笹かまぼこ屋さんがあります

学割のきくラーメン屋さんがあります

それぞれの人が自然の姿で自然の心で生きています

行きかう人の声が元気です
笑顔がすてきです

魚がおいしいです

そして潮風が町を流れています

心安らぐ町

石巻を

あなたも一度

訪ねてください。」


今から23年前、石巻を訪れた須永博士の心のトキメキを感じます。

今朝、東京から新幹線に乗り、仙台駅につき、そして仙石線に乗り換えて海を眺めながらたどり着いた石巻、今わたし達も、あの日の須永博士と同じようなトキメキを感じています。

わたしも、つい昨日の朝、熊本にいたとは思えない程、地図を見ても信じられないです。

飛行機できてしまえば、あっという間かもしれませんが、日本も広いです。

やっぱり、旅はいいですね。

人間ってすごいですね。

出逢いって、素晴らしいですね!


小さな悩みも苦しみも、じっとしていたら何の解決にもならない。

動けない時があってもいい。

だけど、

動ける時がきたら一気にいく!!


昨日からの須永博士を見ていても改めて思い、教えられ、生きているってすごいことなんだ。と思いました。



↑昨年7月に須永博士の詩を紹介し、自分で書いた文章ですが・・・・・・
その時、抱いた気持ちがよみがえります・・・。

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東松島~石巻へ 1 鳴瀬第一中学校さんへ

2011年11月21日 | スタッフより
11月18日、仙台の宿泊していたホテル前まで、石巻の石森さんが運転する車に津田さんも乗り、お迎えに来てくださりました。

この日のコースも、それまで面識のなかった石森さんと津田さんが、連絡を取り合ってくださり、この日のコースを考えてくださいました。

まず向かったのは、東松島市の鳴瀬第一中学校さん。

2009年に石巻で講演した際に当時石巻の山下中学校さんにいた鈴木先生が、現在鳴瀬第一中学校さんにいらっしゃるとお聞きして、カレンダーをお届けに行くことができました(^-^)

2009年7月17日の様子

鈴木先生も、仙台駅ビルのエスパルさんでの展覧会で須永博士を知り、それから授業で使ったりしていたそうです。

石巻での講演にも来てくださり、翌日のサイン会にも山下中学校ソフトボール部の女の子達を連れてきてくださいました。

2009年7月18日 石巻にて1

石巻にて 2

当時、山下中学校の女子ソフトボール部の顧問をしていた鈴木先生が、7月17日の講演会に来てくださり、ソフトボール部の皆さんに詩を書いて励ましました。



3月11日から、ずっとずっと心配でどうしているのかと思って津田さんに聞いてみたら、東松島の鳴瀬第一中学校さんにいらっしゃることを知り、山下中学校の皆さんもみんなご無事だったとお聞きできました。

鳴瀬第一中学校さんは、鳴瀬川のすぐ横で、校庭には水が来たけれど、かろうじて校舎は無事だったそうです。
ですが、鳴瀬第二中学校さんは学校が使えないそうで、今一緒に使っているそうです。

校長先生、教頭先生、そして鈴木先生とお会いして、須永博士カレンダーを無事渡すことができました。


鳴瀬第一中学校さんの校舎


校長先生も鈴木先生も、

「だいぶ生徒達も落ち着いてきました。

ですが、これからはみんなの心のケアが必要です。

だから、こういう言葉がとてもありがたいです。」

とおっしゃっていただき、感激です。







来年のカレンダー、良かったらぜひお使いください・・・とお渡しすると、校舎が使えなくなった鳴瀬第二中学校さんの全クラス分も足りる分お渡しすることもでき、嬉しかったです

あとで、鳴瀬第二中学校の校舎も見ましたが…

本当にすさまじかったです。

帰り際、校舎内に飾られてあった千羽鶴と、県大会出場の垂れ幕があり、写真を撮らせてもらいました。







みなさん、これからも活躍をお祈りしています!!
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仙台にて 12 女4人で作戦会議・・(^^)

2011年11月21日 | スタッフより
本当に、読んでくださってありがとうございます。

先ほどの記事での恵美子さんにも、今回の宮城行きを連絡すると、ぜひ会いたいと言ってくださいました。

高平さんと、きっと心が通じるはずと私も思い、高平さんが予約してくださったお店で一緒に夜、食事をすることにしました。

本当は、仙台駅前の居酒屋さん復興支援酒場へ行きたかったのですが、予約でいっぱいだったため、系列店のお店を紹介してもらったとの事でした。

今日は、仙台の被災地を見させていただき、本当に衝撃で胸が張り裂けそうだったけれど、明日はもっと大変な状況の石巻へ向かう・・・。

朝、パンを口にいれただけで、そのあとは何にも食べれない状況でしたが、高平さんと恵美子さんとの会食で、またまたものすごいパワーをみんなで充電することができました

宮城のおいしい郷土料理屋さんです





「ここ一軒で宮城県」素敵なフレーズですね!!


箸置きが煮干し!!


超新鮮なさんまのお刺身


一本ねぎ!!甘かった!!


大好きな銀だら


石巻焼きそば

今日見た光景は、胸に大きく衝撃を受け、一瞬「こんなごちそうを食べていいのか・・・」と思いました。

そうだ、この感情が、恵美子さんからいただいたお手紙に書かれてあったものだ・・・

今まで、熊本で普通に生活して、普通に美味しいものを食べれていたじゃないか。

この席をつくってくださったお二人と、貴重なこの時間を共にしよう

と、女4人での、初めての会をしました

高平さんと恵美子さん、そして私たち・・・

私と恵美子さんが、2009年に石巻で会ったくらいで、あとはみんな初対面です。

でも、初対面とは思えない盛り上がりで、「力をあわせよう!!」と、心をしっかりとつなぐことができました

雰囲気の良いお店で、店員さんの了解を得て店内を写真を撮らせてもらいました。





すると、あれ!!

人じゃない!!





急いで席にもどり、

「誰ですか」と聞くと、彼の名は

仙台四郎さん

仙台では知らない人はいないという、実在した人物なんだそうです

詳しくは、仙台四郎ホームページ

ホームページより一部引用↓

「仙臺四郎さんは江戸末期仙台に生まれた実在の人物です。
明治時代、商売繁盛の福の神として商人に大切にされていた
仙台生まれの人で何時もニコニコと四郎様が立ち寄る店は必ず大入り満員、商売繁盛・・・。

明治35年頃47才で死去されたと仙台市歴史民俗資料館(仙台市榴岡公園内)に記録が残されています。

生前、四郎さんが立ち寄る家や人々に福をもたらし、
「四郎さん、四郎さん」といくら招いても見向きもされない家には福が来なかったお話は有名です。

四郎さんは人を見抜く力があり、ずるい人やいじ悪い人間は大嫌いだったのです。
又どう云う訳か熱いお茶も嫌います。」

ふくよかな、穏やかなお顔ですね

素敵な出逢いができました
















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仙台にて 11 恵美子さんからのお手紙から 

2011年11月21日 | スタッフより
今回の仙台、石巻へは、本当に皆さんのご協力で実現した旅です。

震災後から、連絡を取り合ってきた高平さんに、「行きたいんです」と話すと、「コースなどこちらで考えます!!」と、今回のコースをいろいろと計画してくださいました。

仙台空港、名取・閖上地区、荒浜・・・

多くの方が犠牲となり、甚大な被害を受けてしまった地域へと向かうときには、本当に現実とは思えない広大な現場…

山積みにされたがれき・・・

でも、仙台駅周辺は、ビルの外壁を治していたり、道路の補修工事をしていましたが、人の流れは多く、にぎわっています。

被災された方と、大丈夫だった方・・・

どちらも苦しんでいる現状がたくさんあります。

震災後、4月の終わりごろに、仙台在住の恵美子さんからいただいたお手紙には、

「何度か近況報告をと思っていましたが、心の中に葛藤があり、文章にできませんでした。苦しくて誰にも話せなかったです。

時が解決してくれたのか、最近は少しは気持ちが和らいできましたが、気持ちが晴れることはありません。

仙台は、震災の影響でやめてしまったお店がありますが、ほぼ通常と変わらない生活をしています。ですが、ほんの少し海側に行けば、本当にここは地獄なのかと思うほどの光景が目に入ります。

こんなところに船があるはずがないところに船があり、車は田んぼにつきささり、多くのがれきが田んぼに散乱していました。そのがれきは誰かの家だったのです。

いつも飛行機を見に行っていたところは道が無くなり、公園の遊具もあとかたもなくなっていました。

親戚も津波で流された人もいるし、避難所で生活している主人の同級生、そして福島の地は、私の第二の故郷とも言うべき大切な思い出が詰まった地でした・・・。

石巻のことを知った時、津田さんの安否を思っていました。

ブログで無事だったことを知り、本当にうれしかった・・・。

しょうこさん・・・すぐ近くがそんな状況なのに、私は普通の生活をしています。

私には何もないです。人の役に立つことができません。本当に自分は無力です。何もしてあげることができません。

何かをしたいのに「嫁として 妻として」の立場がそれをさせてくれません。何かを探しましたが、結局毎日募金を続けることだけです。

・・・・

最近気持ちが落ち着いてはきましたが、自分をちっぽけだと思う気持ちや無力感からはなかなか抜け出すことができません。

今、すべてに感謝して生きています。私みたいな気持ちを持っている人はたくさんいると思います。

自分が“生かされた意味”をずっと考えています。答えが出る日がくるでしょうか。生かされた命を、有効に活用するのは自分自身しかないと思います。答えが出る日を一日でも早く来ることを願っています。

・・・

すべての人たちに、心から笑える日が来ることを信じています。またいつの日か須永先生、粧子さんにお会いして、気持ちを抱きしめてもらいたいです。それまでどうぞご無理をなさらずにお元気でいてください。」

と、直接被災していない宮城県の人の心が書かれてありました。

私はこのお手紙を、いつもお守りのように持ち歩いていました。
須永博士や、スタッフに読んでもらったりもしました。

5月の函館での講演会、7月の静岡、礼文島、9月の沖縄、鹿児島・・・。いつもバックに入れています。(今も・・・。)

返事を書こうとおもいながらも、連絡もできないでいた10月。メールで連絡しましたら、お返事をいただきました。


「あれから、7ヶ月が過ぎました。
街では、何事もなかったかのような雰囲気ですが、好きだった小さな店が営業しなくなっていたりして、ちょっとさみしいです。

5月末くらいから、ずっと体調を崩してしまい、挙げ句の果てに、7月にはぎっくり腰で1週間寝たきりになっていました。

ずっと、あまり眠れない日が続き、疲れが取れない毎日のなかで、秋に向かって仕事が 忙しくなり、今が一番しんどい時です。

9月には、同じ歳の大学の同級生が急死し、ショックでしたが、最近ようやく落ち着きを取り戻しています。

8月始めに、石巻に行ってきました。
ボランティアとかそういうきちんとしたのではなく、主人が車を走らせ、ずっと見てきたという感じです。
言葉が出なかったです。
主人の実家からすぐ行った場所も、壊滅的な被害を受けましたが、石巻も同じでした。

海沿いは色がなく、灰色といった表現に近いです。
いろんな人の生活、人生をあっという間に奪ったんだ。
涙が止まりませんでした。
そんな中、海沿いの道で、中央分離帯がある道があるのですが、そこに植木があっただろうと言う、少し土がある場所があるのですが、そこに、おじいさんが一人、しゃがみこんで
いました。
何と、花の苗を植えていたのです。
いつの日にか再生する日を願って植えていたのでしょう。
人間って、弱いけど、強いなって思いました。

実際、ホントの被害にあった人よりも、おそらく周りに居る人の方が落ち込んでいる人が
多いと感じます。
落ち込んでられないなと思います。
でも、亡くなった方のことを思うと、そして、なにもかも奪われてしまった人の事を思うと
悲しまずにはいられません。
「忘れる」ということが一番罪なのだと思います。
思い起こして、思い出の地、亡くなった人のこと、残された家族のことを、時々
思い出して、思いを共有することも必要なのでは無いかと思います。
そして、自分になにができるか・・・

当初、ボランティアに行きたかったです。
行ってなにかをしたかった。
苦しがっている人の、なにかの役に立ちたかった。
でも、「うちの事もちゃんとできなくて、ボランティアに行ったって、なにができる
なにも役には立たない」そういう主人の言葉で、断念し、ひたすら募金を送る日々を
送って居ます。
そのなかで、自分なりにできることを探して行けたらとは思っています。

私が辛い気持ちになるもう一つの出来事に、福島原発の避難区域に取り残された
動物たちのことでした。
えさやり、救出活動をしてくれている方のブログを読み、その方たちに、ささやかながら
毎月募金をしています。
福島は、私のもう一つの故郷と言えるところなのです。
放射線におびえる日々、風評被害。。。
福島に居る友人たちの事を思うと、辛くて心がはりさけそうになります。」

このメールを読んで、ぜひブログをとおして皆さんに読んでほしいと思い、引用のお願いメールをしました。そしていただいたお返事です↓

「前回のメールは、とにかくお返事を!とおもって焦って書いたので、表現力も
言葉も今ひとつですが、ブログに載せるのは、全く支障はありません。

むしろ、私もどんどん広めたい。。。(といっても、外からみたら一見して
「震災前と変わらない生活をしている」ため伝えたい情報などはあまり
ありませんが。。。)


かえって、石巻の津田さんやご実家が大船渡の高平さんなどに、申し訳
ないぐらいです。


自分で自分の書いたメールを読み返してみました。
偉そうなことばっかりですよね、「忘れることが罪」って。
実際、新潟の地震のこととか北海道の地震のこと、私忘れてました。
新潟・・・あのときも新潟にある原発が危機迫る状態でしたよね、確か。
やっぱり、離れてると、「対岸の火事」なのです。
北海道での地震では、津波で沿岸地域が今回と同じく壊滅状態でしたよね。
今回の地震で、しばらくしてからの報道で、結構自分でショックでした。
まさしく「わすれていた自分」がありました。
自分が同じ目に遭わないと、忘れてしまうのでしょうか・・・
今回はさすがに規模が大きかったため、日本国中の人々が記憶するでしょうが
もう少し、被災者の心に寄り添うことが必要なんだと実感しました。」

すごいメッセージですよね。

これは、本当に現地の当事者でなければ分からない感情です。

いつか、ぜひ皆さんにも紹介したかった・・・。

読んでくださって、心から感謝します。
ありがとうございます。










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