今朝、須永博士からまたFAXが届いていました。
新刊の原稿を書く合間に、人生を振り返り走り書きしてあるFAXに書いてあったことは、
「家庭、学校でおとなしく、大声で笑ったことも無かったけれど、本当の自分は、明るかったのかもしれません。ただ、それを出すときが無かったのかもしれません。母とはいつもけんかをしていたけれど、1人でいるときは絵を描いたり本を読んでいたりすることが楽しかったし、歌を歌うことも踊ることも好きでした。
でも人前では自分の表現方法が分からなかったです。」
と書いてありました。
今日は、内面は、そんな一面もあったけれど、世の中で生きていく力はまだまだ無かった20歳の頃から、会社を辞めるまで・・・です。
⑬タイヤ販売会社での挫折
新宿という町で、営業に出かける毎日。
来る日も来る日も、うまくセールスできない。どこへ行っても断られる。
「あ~、いやだなあ。」「辞めたいなあ・・。」
そんな気持ちでいるから余計に売れるはずが無い。
ある日、新入社員が入ってきた。有名大学を卒業し、英語も話せて、見るからに「頭がいい」人でした。しかも頭がいいだけでなく、人とのコミュニケーションも上手で、会社の壁に張ってあるグラフは彼のはぐんぐん伸び、自分のはちっとも伸びない。
上司に呼ばれ、みんなの前で比べられる。また落ち込む・・。
「あ~あ、もういやだなあ。」
「みんな俺のことをバカにしている。笑っている。」
「がんばったって売れやしない。」
こんなことを頭の中でぐるぐる考えていました。
思い切って、母に「辞めたい」と相談してみたら・・・。
「あんな良い会社、なんで辞めたいなんていうの。」
と、やっぱりか・・・。という返事。
⑭突然の父の死
突然でした。
大酒のみの父は、50歳、脳出血で亡くなりました。
泣きませんでした。
「こんな簡単に、人は死ぬんだ。」
というのがそのときの感想です。
⑮喪失感
父の葬儀が終わり、その後すぐ、会社を辞めました。
いやな上司もいるし、仕事もうまくいかないし、続けていても意味が無い。
母は怒りました。
でも、もういやでした。
それから、家の中に閉じこもる生活が始まりました・・・・。
⑯1年半の空白
父もいなくなり、母と2人っきりの生活が始まりました。
家にいれば、母が食事を部屋まで持ってきてくれる。
仕事もする気にもなれない。
毎日ただ生きている。食べている。寝ている。それだけ。
「あ~あ、生きていてもつまらないなあ。」
「誰も自分の気持ちなんて分かってくれないなあ・・。」
1人でいると、どんどん落ち込んでいくばかりでした。
外に出て人に会うのが怖い。
何をする気にもならない。
でも、部屋で本を読むことと、絵を描くことだけは辞めませんでした。
新刊の原稿を書く合間に、人生を振り返り走り書きしてあるFAXに書いてあったことは、
「家庭、学校でおとなしく、大声で笑ったことも無かったけれど、本当の自分は、明るかったのかもしれません。ただ、それを出すときが無かったのかもしれません。母とはいつもけんかをしていたけれど、1人でいるときは絵を描いたり本を読んでいたりすることが楽しかったし、歌を歌うことも踊ることも好きでした。
でも人前では自分の表現方法が分からなかったです。」
と書いてありました。
今日は、内面は、そんな一面もあったけれど、世の中で生きていく力はまだまだ無かった20歳の頃から、会社を辞めるまで・・・です。
⑬タイヤ販売会社での挫折
新宿という町で、営業に出かける毎日。
来る日も来る日も、うまくセールスできない。どこへ行っても断られる。
「あ~、いやだなあ。」「辞めたいなあ・・。」
そんな気持ちでいるから余計に売れるはずが無い。
ある日、新入社員が入ってきた。有名大学を卒業し、英語も話せて、見るからに「頭がいい」人でした。しかも頭がいいだけでなく、人とのコミュニケーションも上手で、会社の壁に張ってあるグラフは彼のはぐんぐん伸び、自分のはちっとも伸びない。
上司に呼ばれ、みんなの前で比べられる。また落ち込む・・。
「あ~あ、もういやだなあ。」
「みんな俺のことをバカにしている。笑っている。」
「がんばったって売れやしない。」
こんなことを頭の中でぐるぐる考えていました。
思い切って、母に「辞めたい」と相談してみたら・・・。
「あんな良い会社、なんで辞めたいなんていうの。」
と、やっぱりか・・・。という返事。
⑭突然の父の死
突然でした。
大酒のみの父は、50歳、脳出血で亡くなりました。
泣きませんでした。
「こんな簡単に、人は死ぬんだ。」
というのがそのときの感想です。
⑮喪失感
父の葬儀が終わり、その後すぐ、会社を辞めました。
いやな上司もいるし、仕事もうまくいかないし、続けていても意味が無い。
母は怒りました。
でも、もういやでした。
それから、家の中に閉じこもる生活が始まりました・・・・。
⑯1年半の空白
父もいなくなり、母と2人っきりの生活が始まりました。
家にいれば、母が食事を部屋まで持ってきてくれる。
仕事もする気にもなれない。
毎日ただ生きている。食べている。寝ている。それだけ。
「あ~あ、生きていてもつまらないなあ。」
「誰も自分の気持ちなんて分かってくれないなあ・・。」
1人でいると、どんどん落ち込んでいくばかりでした。
外に出て人に会うのが怖い。
何をする気にもならない。
でも、部屋で本を読むことと、絵を描くことだけは辞めませんでした。
冒頭の「家庭、学校でおとなしく、大声で笑ったことも無かったけれど、本当の自分は、明るかったのかもしれません。ただ、それを出すときが無かったのかもしれません。・・・」
というくだり。
私も20代の頃 同じようなことを考えていた時期がありました。
些細なことに一喜一憂し、物事を大げさに考える人たち。
どうしてそんなことまで 人に話せるの?
と思うようなことをズケズケ言う人たち。
若かった私には 到底理解できないことでした。
ですから そういう人たちのことを受け入れることが出来ず 意固地になっていました。
自分の仕事だけを きちんとこなし
周囲の状況に対しては 冷ややかな気持ちで、
ちょっと距離を置いて見ている自分がありました。
「人前では自分の表現方法が分からなかったです。」という須永先生の言葉・・・
まったく同感です。
「自分は この人たちとは違う!
ほんとうの自分は こうなんだ。」
といつも心の中では 思っていました。
でも その ほんとうの自分を素直に出せない。
ただ この人たちとは違うんだ と自分自身に言い聞かせるだけの 内に内に向かう ちっちゃな自分でした。
その人たちは 職場の同僚や先輩です。
今思えば なんと心の狭い考えをしていたことでしょう。
須永先生の人生を知れば知るほど
私の思いと重なる部分が多く
とっても不思議な気持ちです。
人は誰でも 大なれ小なれ いろんな悩みや
苦労を経験して 成長するものなのかも知れませんね。
その試練の大きさや深さもさることながら
その壁に対して いかに考え いかに対処したか!
それで その後の人生が大きく変わるのかもしれませんね。
私のように なんとなくやり過ごしたら
普通の人生です。
須永先生は その試練を 真正面から受け止め
真剣に向き合ったからこそ 現在の姿があるんですね。
「そのとき どう動くか」です。
全くの余談ですが ブログのレイアウトが変わりましたね。
携帯の画面と同じになりました。
個人的には 以前のフォームのほうが
使いやすかったと思いますが・・・