須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

あきらめるな

2016年07月10日 | 重光孝政先生
展覧会場に作った、熊本紹介コーナー








〇熊本県の位置、小国の位置を説明しやすいように

〇大きな地震が起きたけれどみんながんばってます

〇九州は素敵なところです

などなどを伝えたいと思って作りましたが、中には

「学校の先生が熊本出身なんだって」

「親が熊本出身です」

「熊本に旅行に行ったことがあります」

「熊本で6年間働いてました」

など、熊本に御縁がある方々もいて、この地図を見ながら話をしています😁✨

そんな中、詩集を求めてくださった70代くらいの男性が

「私、大分出身で、熊本で働いていたこともあり月に何度も熊本から大分まで通ってました」

とおっしゃるので、九州の地図を見ながら「大分のどの辺りですか」
とお聞きすると「玖珠というところです(^-^)」と!

玖珠は、小国のお隣りです!

須永博士美術館はここにありますよo(*^▽^*)o

とお話ししながら、玖珠の森高校さんのホッケー部と野球部の監督さんとのつながりで森高校とご縁がありますが、野球部の重光先生は大分県大会の帰り道の事故で2011年に他界されてしまったことをお話しすると、その男性は森高校ご出身とのこと!!

「そうなんですか!今は森高校は玖珠高校と統合して玖珠美山高校になってます」

などなど、玖珠の話で盛り上がりました😊

もう20年近く玖珠には帰っていないとのことですが、

「なんだか故郷を思い出して嬉しいなぁ✨✨✨」
「また帰ってみようかな」

と、故郷に想いを寄せて、ニコニコして帰られました。

そしてその後、思い出しました!

昨日7月9日は、森高校の野球部監督だった重光先生の命日でした。
今月末、須永博士が展覧会を行う大分県国東市は重光先生の故郷です。

その故郷の同級生の皆様と重光先生の追悼本「あきらめるな」を作りました。





東京にいた昨日、玖珠ご出身の男性との出逢いから重光先生を思い出したのは、もしかしたらムーブ町屋まで重光先生来てくだってたのかも😌✨
と今思っています😊
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あきらめるな

2016年04月30日 | 重光孝政先生
おはようございます!

今日は、空からも息子さんのお誕生日をお祝いしているだろうな。

2011年7月に大会の帰り道に突然の事故で44歳という若さでこの世を去った重光孝政先生の長男のお誕生日です。

2012年の今日、重光先生の大切な仲間たちで完成させた追悼本を、重光先生の生まれ故郷大分県国東へお届けしたことを思い出します。

あきらめるなホームページ

星希くん、6年生になったんだなぁ。大きくなっただろうなぁ。

重光先生、この青空を飛びまわりながら、きっと今も熊本や大分の皆さんに「あきらめるな!」と励ましてくれているように思います。

ゆかいな仲間たちの皆さん、大丈夫ですか?元気にしてますか?
また、国東に集結してみなさんのワイワイとしている姿をみたいです(*^o^*)

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あきらめるな 重光先生を偲んで・・・

2012年07月09日 | 重光孝政先生
第94回の全国高校野球選手権大会の代表校を決める地方大会が各地で開幕していますね!

現在販売されている、報知高校野球 7月号では、49代表大予想!!などが掲載されています

取材量の多さにも感動



その中の153ページに、「あきらめるな」が、紹介されていました



すごい

昨年、大分大会開会式の帰り道の事故で、44歳という若さで、まだまだやっとこれから・・・という時に本当に本当に残念ですが、この世を去ってしまった重光先生。

今日でちょうど1年です。

1年・・・。重光先生のご家族、重光先生の教え子さん、重光先生の友・・・仲間・・・。

皆様がこの1年間、あっという間に感じながらも、まだ「この世にいない」という現実と向き合いながらも、まだまだ信じられない気持ちを抱えながら過ごしてきたのではないかと、自分の気持ちと重ねて考えています。

昨日も、そして今日も青空が広がっています。





昨日の空↑



今日の空↑

ず~~っと雨の日が続いていたのに、ここ2日間は気持ちを明るくしてくれる、さわやかな天気です。

重光先生の同級生の方からも、

「本当に今日(昨日になりました^^;)はとても良いお天気でしたね^^
「あきらめるな」の表紙を思わせるような・・・
一年経ってしまいましたね。
いまだに信じられない気がします。
でも、きっと私達のそばにいつもいてくれている!それは間違いないと思います。」

と、夜中にメールを下さいました。

私も、「あきらめるな」の本を編集している間も、ずっと重光先生をそばに感じていました。

本制作のきっかけから、重光先生の同級生の方々との出逢い、原稿を寄せて下さった方々の素晴らしいエピソードに何度も涙がこぼれた日々・・・

本という形になった今、あたらめて重光先生の人柄、生き様、姿すべてを尊敬します。

それと・・・こんな話をここでするのはおこがましいですが、先月、重光先生が私の夢に出てきたんです。

このパソコンがある部屋でした。

2人して正座でご挨拶して、私もじ~っと重光先生のお顔をみて、「ほんとうに重光先生だ・・・。」と嬉しくて、山のような、皆さんからの寄稿用紙と、「あきらめるな」の本をみて、

「ありがとうございました。」と、そして、

「自分の知らなかった、書いてくれた人の気持ちがわかったのが嬉しかった。」

と、本の完成を喜んで下さっているようでした。その時、私はハッとしました。

重光先生に読んでもらえたんだ・・・と。これは、きっと本当のことだと思えています。

そして、いろいろ会話した中で一番印象に残っているのが

「たとえば、こことニューヨーク(なぜだか、ニューヨークと言ってました。)に住んでいて、離れていて会いたくてもなかなか会えない、一生会えないという人がいるように、

私も、いるんです。ただ、いる場所がちがうだけで。」

と、夢の中でですが、重光先生がおっしゃったことがものすごくリアルで・・・

そうだ、おんなじ地球に住んでいても、想っていても会えないという人がいるのと同じで、重光先生も、会えないけど、「いる」んだ・・・。

夢から覚めて、本当に目の前に重光先生がいたという感覚が強くあり、国東の「ゆかいな仲間たち」の皆さんにもメールを送ってしまいました。

それから2日後、主人のお父さんが天国へと旅立ったのですが、とても悲しい中でも、この時の重光先生の話した言葉が強く心にあり、

「義父は、もうひとつの世界へと歩んでいったんだ・・・。」という穏やかな気持ちにもなれました。

義父の葬儀に、重光先生の奥さまもお忙しい中をきてくださり、この時の夢の話をさせていただきました。こんな、私の夢の話を聞いてくださり、ありがたいです。

「まだまだ、一周忌とか、そんな気持ちでは無い」と奥様もおっしゃっていましたが、本当にそうだと思います。

この世にいないということも、今の現実も、とらえることがまだまだできない中でも、前を向いている姿を、きっとすぐそばで重光先生も見守っていると、私は信じています。

来月、8月12日に須永博士が国東へいくことが決まっています。



これも、重光先生の同級生の皆様と計画を進め、国東で、一日重光先生を想い、過ごしたいと願っています。

お問合せは、須永博士美術館へどうぞ。

0967-46-5847

090-8915-1562(佐藤 携帯)

メール sunaga-h-b@hello.odn.ne.jp

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明日の夕方

2012年05月09日 | 重光孝政先生
明日5月10日(木)

TV朝日系列「スーパーJチャンネル九州・沖縄」
PM18:19~

4月30日の様子
が放送されます。

宮崎県以外の九州、沖縄で見られるそうですので、よかったらぜひ、ご覧下さい。







5月3日~5日まで、小国の木魂館で講演会&サイン会を開催していた須永博士ですが、6日も会場をお借りして、「一日中重光先生のことを想う一日にしたい。」と、

「熱血教師 重光孝政先生を偲ぶ日」という垂れ幕を作りました。

重光先生のご両親、弟さんご家族、そして「あきらめるな 重光孝政」を一緒にまとめた重光先生の同級生「ゆかいな仲間たち」の皆さんとそのご家族が小国まで来てくださり、須永博士の言葉どおり、重光先生を想い過ごした一日でした。

重光先生を想いながら、今生きている自分を見つめ、重光先生が教えてくださったことをこれからも胸に生きてゆこう・・・と、この空間に一緒にいた皆様がたくさん涙を流し、そして決意し、心の中に優しい光があったような感覚でした。

その日の夕陽はとても美しく、



「生きているんだ」と心の底から感じました。

生きているならば、その瞬間、その出逢い、その出来事をしっかりと受けとめて、一生懸命に生きてゆけばいいんだ・・・。

この夕陽を見つめながら、重光先生が教えてくれているようでした。

あきらめるなホームページ
4月30日の様子や、本のお申込みができます。


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一面ニュースに!?

2012年04月29日 | 重光孝政先生
毎日新聞ニュースより

「あきらめるな」伝えたい

昨年7月、全国高校野球選手権大分大会開会式後、学校へ戻る途中にマイクロバス事故で亡くなった大分県立森高(同県玖珠町)野球部監督だった重光孝政(よしのぶ)さん(当時44歳)の追悼本を同級生らが作った。

『お父さんはこんなに慕われていた』と大人になった時に知ってくれれば」と同級生らは30日、1冊目をこの日が8歳の誕生日の長男(星希ほしき)君に手渡す。

【土本匡孝】

 タイトルは前向きで努力家だった監督の口癖「あきらめるな」。 

重光さんの妻が長年のファンで、孝政さんとも生前交流があり、出版にも携わった詩人、須永博士(ひろし)さん(70)=東京都=が「天国の重光監督が今、みんなに伝えたい言葉に違いない」とつけた。


監督とのエピソードや感謝の気持ちを家族、友人、教え子ら126人が寄稿。中には同級生で福岡ダイエー(現ソフトバンク)ホークス草創期のエース、吉田豊彦さんや、ホークスの内川聖一選手の父で県立情報科学高の内川一寛監督も。

同級生の田口友恵さん(45)=同=は企画した同級生5人の一人。集まった原稿を時に涙を流して校正した。「泣けて書けない、と筆を置いた人もいる。重光君の温かさや教育姿勢が詰まった本で、知らない人が読んでも『生きている時に会いたかった』と言ってもらえると思う」

 重光監督の生い立ちを寄稿した父幸則さん(74)は「誰でもしてもらえることでなく、息子も喜んでいるだろう」と感謝している。

 B6判320ページ。

詳細は追悼本ホームページか熊本県小国町の須永博士美術館0967・46・5847。


昨日の夕刊、そして今日朝刊の毎日新聞さんに掲載されました。

私はまだ、買いに行けていないのですが、北九州版では、一面に、カラーで掲載されていると、同級生の方からご連絡を頂きました!!



すごい!!

明日は、私も国東へ本をお届けに行ってきます。

昨日夜、奥様とお会いして、ちょうど1年前、木魂館でサイン会をしていた須永博士に、ご家族皆さんで来てくださった時の写真をみながら・・・

「もうこの時から1年が経つんですね・・・」と、この1年間を振りかえろうとする時間も無く、ひたすら前へと歩んできた日々・・・。

その日々を、言葉に出すことは出来ないけれど、

重光先生のことを大好きな同級生の方々と、須永博士、そして私達須永博士美術館スタッフの想いが集まって、そして126名の皆様の想いが集まって、1冊の本が出来上がりました。

この本に関して、お問合せ等は須永博士美術館でもお受けしております。

sunaga-h-b@hello.odn.ne.jp

090-8915-1562(スタッフ 佐藤粧子)

また、あきらめるな「ホームページ」より、お問合せもできます。

メールでのお問合せは、

akirameruna44@gmail.com

です。

明日、大分朝日放送「スーパーJチャンネル」でも、制作風景や、今回のいきさつなどを取材していただいた映像が放送される予定です。

この本に込めた皆様の想いが、やっとひとつの形になりました。

また明日、ご報告致します!!





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さぁ、今からです!!

2012年04月10日 | 重光孝政先生
こんなに集中して取り組むのは、大げさでなく今まで生きてきた中で初めてかもしれません

須永博士のカレンダーや、詩集「奇跡への第一歩」「いのちの詩集」の編集、そして栗山美和さんの本、斉藤広将くんの本作りをお手伝いさせてもらうようになってから、「作り上げていく」喜びを感じさせていただいていますが、今回はその大きさに驚きながら、楽しみながらさせてもらっています。



ここ毎日、編集作業をしていて、4月1日に同級生の方々と最終原稿の打合せをし、さぁ、いよいよ本にするための作業にとりかかろう!という時、

先週の土日も皆さんが来て下さいました。





約250ページほどになりそうで、1ページ1ページ、入力間違いがないか、皆様のお名前に間違いがないか、もれている人がいないか・・・。

想像を超える大変な作業で、昨日は夜10時まで須永博士美術館で作業してくださいました。

片道1時間半はかかるところを・・・。

ありがたいです。

思いが形になるまで、本当にあと少し!!

というよりも、いよいよここからが本当の「スタート」という感じです。





「絆」・・・

重光先生が大切にしてきた「人と人」とのつながりを、またたくさん教えていただいています。

「ゆかいな仲間たち」の皆様、ここからがまたスタート!!という気持ちです。
またいろいろ連絡させていただきます!



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今日一日

2012年04月01日 | 重光孝政先生


「わたしの大切な

今日一日です

今日やれることは

今日やっておきます

今日つくせることは

今日つくしておきます

今日言えることは

今日言っておきます

私は 今日を悔いなく生きる を

続けます」


さぁ、今日から4月ですね!

新年度のはじまり

みなさん、きっとお忙しいんだろうなぁ・・・。

移動される人、新しい道を歩み始めた人、挑戦をする人、みなさんそれぞれの今日を過ごされたでしょう・・・。

今年がスタートしてからも、早かったですね。

あんなに寒かった冬も、少しづつ暖かくなってきて、小国の桜もつぼみが膨らんできています。例年よりは遅いような気がしますが・・・

着実に春はきています。

さて、今日は、「あきらめるな」重光先生の本の最終打合せに、重光先生の同級生「ゆかいな仲間たち」の皆さんがお越し下さいました。

昨年10月の終わりごろに同級生のお一人が来られ、「一緒に本を作りましょう!」とお話ししてから、5ヶ月・・・。

先日の記事でも書きましたが、こうして皆さんとお話しを重ねながら、やっと形ができつつあり、あともう少しで、たくさんの重光先生との思い出がつまった一冊になる日が近づいてきていることが、嬉しい気持ちが沸いてきています。

あの日・・・

うそだ、信じられない、信じたくない・・・。と、頭の中が真っ白になったこと

国東の葬儀会場へ向かうまでの苦しい気持ち・・・

数回、そして数年の重光先生との関わりでさえ、こんなに悲しかったのに、参列されていた多くの方々は、どんなにつらいお別れだっただろう・・・。

お寄せいただいた大切な原稿は責任もって編集させて頂きました。


読み進めるうちに、重光先生の偉大さ、優しさ、人間としての素晴らしさを教えていただき、これはものすごい内容のものになると感じています。

重光先生の同級生の方々とのやりとりをさせていただく中でも、さすがだなぁ・・・と思う場面が多々あり、この数ヶ月間で私も「ゆかいな仲間たち」のファンになっています

「同級生」っていいなぁ。友って、いいなぁ。

人と人とのつながりって、いいなぁ。

いろいろなことを気づかせてもらい、学ばせてもらい、本当にこの本作りに携われていることに感謝です。



この表紙に、挿し絵が入りました。





バット、グローブ、ボールのイラストです。

あと背表紙・裏表紙もこれから作ります。

重光先生、もう少しです。もう少しがんばりますので、ぜひ、天国から指示をいろいろと出してくださいね

ゆかいな仲間の皆さんも、今日も遠くからありがとうございました。前回来て下さった日と同じ、雲ひとつない青空の一日でしたね





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不思議な縁・つながり

2012年03月28日 | 重光孝政先生
現在、編集中の本「あきらめるな」



この本を作るにあたり、重光先生と出逢い、重光先生と関わってきた方々の原稿を同級生「愉快な仲間たち」の皆さん中心に集めました。

ご家族のご協力のもと、100名以上の方々が原稿を寄せて下さっています。

今は、その原稿をパソコンに入力しているところです。

その作業も、愉快な仲間の皆さんと私と手分けしてしています。

ついつい、それぞれの皆さんのエピソードに涙腺が緩み、最近毎日そばにティッシュペーパーが必要です

すごいなぁ。本当に全力で駆け抜けてこられた人生だったんだなぁ・・・。

もっとお話ししたかったなぁ。

先日、大分県国東市の重光先生の故郷で、『重光孝政氏追悼親善練成会「絆会」』がおこなわれました

このお話しを聞いたのは確か今年1月ごろ・・・

私もぜひ、見に行きたいと思っていましたが、その後決まった日程でちょうどその時、須永博士と宮城県石巻に行くことになりました。

重光先生から、「国東はみんながいるから、須永先生は石巻へ行ってください。」と言われているような気持ちがしました・・・。

練成会の様子が、あきらめるなホームページ最新情報に紹介されていますので、ぜひご覧下さい。

愉快な仲間たちのブログもあります。

開催日の3月10.11日の天気予報では、雨&雪マークがついていたのに、当日は日焼けしてしまうほどのお天気だったんですね!

さすが重光先生パワー!!

昨年7月に北海道礼文島へ行った時も、須永博士が「重光先生、さあ、一緒に行きましょう。」と、昨年5月に撮った写真と一緒に出発した旅、滞在中とても良いお天気で

スコトン岬でも、「1年に1日か2日」くらいしか無いという無風に近い穏やかなお天気でした。

どう考えても、重光先生が力を貸してくださっているとしか思えないような不思議な感覚のしていた滞在中でした。

さらに、今も不思議だなぁと思うのが、この本の編集作業を私がお手伝いさせてもらっているということです。

重光先生のご家族だけでなく、重光先生の同級生の皆さん、重光先生の教え子さんや、同僚、高校野球でお付き合いのあった方々・・・

それぞれの方は知らなくても、「重光先生」を中心につながっている輪

今、こうしてここから発信しているのも不思議ですが、これも「縁」なんだろうなぁ・・・。

完成日の目標は、もうあと一ヶ月先です。

では、皆さんの思いを形にするまでもう少し、集中してがんばります!

(いろいろとお知らせしたいこと、紹介したいこともありますが、ごめんなさい!)




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来週は②

2012年03月03日 | 重光孝政先生
来週、私たちは石巻へ・・・

おなじ時、3月10日と11日の2日間、大分県国東市では、『重光孝政氏追悼親善練成会「絆会」』が行われます

あきらめるな ホームページでも紹介されています。

案内文より・・・

「去る7月9日、大分県立森高等学校野球部監督(当時)の重光孝政氏が不慮の事故で他界されました。

重光氏は大分県立国東高等学校、亜細亜大学の硬式野球部で選手として活躍され、大学卒業後は指導者として、柳ヶ浦高等学校野球部コーチ、大分県立国東高等学校野球部監督、大分県立森高等学校高校野球部監督としてあまたの優れた実績を残されました。

多くの人材を育て、将来を嘱望されていた若き熱い指導者でした。残された我々には、彼の業績を引き継ぐ責任と使命が託されているものだと考えています。

そこで、大分県高等学校野球連盟41年会を中心として、彼の最後の教え子にあたる大分県立森高等学校野球部を加え、大分県立杵築高等学校・大分県立宇佐高等学校・大分県立大分東高等学校・大分県立森高等学校・大分県立国東高等学校の5校で、下記の日程で練成会を実施したいと考えております。

つきましては、各関係各位のご賛同、ご協力お願いいたします。」

この開催のお話しを聞いた時、「ぜひ私も観戦に行きたい 息子さん 星希くんの始球式をカメラに収めたい」と思っておりましたが、その時私たちは石巻へ行くことが決まり、その時「国東はみんながいるから、須永さん達は東北の子供達に会いに行ってください。」と重光先生に言ってもらっているような気持ちになりました。

この記事を紹介しようと思っていたところ、今日は国東から、重光先生のご両親が須永博士美術館に来て下さいました。

ご両親のお気持ちにふれ、



「あきらめるな」の編集をしている今、完成まで気をぬかずにしっかりがんばろうと思いました

関連記事①

関連記事②

関連記事③
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愉快な仲間のブログ スタート

2012年02月19日 | 重光孝政先生
重光孝政先生の同級生の皆様がたちあげた「あきらめるな」ホームページに

愉快な仲間のブログ

が加わりました!

私も楽しみにさせていただきます

愉快な仲間のみなさん~~よろしくお願いします

私も編集がんばります

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あきらめるな

2012年02月10日 | 重光孝政先生
今年に入ってから、いろいろなことを進めている中で、今も常に心の中にあり、進行しているものが、重光孝政先生の本作りです。

重光先生のカテゴリー

原稿を集めていて、一次締め切りを1月末にしましたが、まだまだ今も寄せられている最中です。

重光先生の同級生の皆さんが立ち上げている「寄稿ページ」で、

事務局便りが新たに加わりました。

その言葉を紹介します。

近況報告

 追悼本『「あきらめるな」重光孝政』ホームページをご覧の皆さまに事務局からの

近況報告です。

 こちらの寄稿ページと須永博士美術館スタッフブログへ、全国各地から重光くんとの心温まるエピソードが届いています。

 皆さんが大切にしている重光くんとの思い出を読ませていただく度に、その情景が目に浮かび、彼の声が聞こえる気がします。

 皆さんの思い出の中に、重光くんの魂が宿っているのを感じます。

 

 同級生、先輩後輩、教え子、同僚、指導者仲間、恩師・・・彼が関わってきた方々と繋いだ「絆」を、これからも追悼本を通じて繋いで行きたいと思います。

 寄稿をしていただくため、早急に立ち上げたホームページですが、今後は追悼本の進捗状況やいろいろな話題を更新していきたいと思っています。

 「お問合せ」は、あきらめるな事務局へどうぞ。


重光先生の故郷、大分県国東で、重光先生と共に成長してこられた大切な仲間の皆さんが中心になり、この本の完成目指してがんばっています

私は、重光先生のほんの一片を知るだけですが、寄せられる原稿の数々を読ませていただきながら、重光先生の素晴らしい生き方、人との関わり方、言葉の優しさ、強さに感動し、本当に皆さんの中に重光先生の魂は今も生きていると感じます。

まだ編集最中なので、表紙のデザインは変わる可能性大ですが、今現在、こんな感じです。



爽やかで、そして力強い重光先生をイメージしながら・・・先日、奥様とお話しした後にデザインしてみたものです。

なぜ、重光先生はこんなにも多くの人に慕われたのか・・・なぜ、ここまで全力疾走で人生を生きてきたのか・・・

なぜ、あんなに忙しい中を、教師として、野球部の監督として、そして夫として父親として、真っ直ぐに生きてこられたのか・・・

そして、どうして、こんなに早く・・・天国へと行ってしまったのか・・・

重光先生を知る多くの皆さんが、突然の別れに悲しみは深く・・・でも、皆さんの原稿は、どれも最後に、重光先生が心に生き続けていて、励ましてくれていることが伝わります。

「今を生きる」ことが、どれだけ大切な事なのかを皆様が重光先生との出逢いと別れから教わっているんだなということが伝わります。

先生は、わたしたちに何を今、伝えたいのかな・・・ということもいつも思いながら、

届けていただいた原稿は、本当に大切に、編集させていただきます。

そうそう、

という記事で書いた、重光監督の教え子、藤本翔太郎さんが第61回別府大分毎日マラソン大会で完走したというニュースが掲載されていました。

毎日新聞

では、また仕事に取り掛かります

「今やれることは、今やってゆきます!!」


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2012年01月31日 | 重光孝政先生
※携帯からは見れないかもしれませんが……

毎日新聞より

Go・For・別大:駆ける2.5懸ける/1 重光監督の教え子、藤本翔太郎さん /大分

との記事をみつけたと、重光先生の同級生から教えていただきました。

西日本新聞より

礼節の教え 消さない 玖珠中野球部コーチ 日隈翼さん 森高元監督 重光さん悼み

こんな記事も、昨年掲載されていました。

多方面で、今も重光先生の魂が生きています。

原稿をありがとうございます。

こちらに送っていただいていたり、国東の同級生の方々にお渡しいただいている原稿を、これから集めて編集をはじめます。

まだ間に合いますので、

寄稿ページ

または、須永博士美術館までご連絡下さい。

ありがとうございます。

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原稿をありがとうございます。

2012年01月28日 | 重光孝政先生
全力疾走!!重光先生と重光先生の仲間達の思いでも書きました本、



「あきらめるな」の寄稿を集めています。

同級生の皆様で立ち上げたあきらめるな 寄稿サイトからも寄稿していただいています。

原稿が届くたびに、重光先生のすごさを改めて教わり、今もみなさんのそばで重光先生が生きているんだと感じます。

お電話で、送信いただいた方に連絡をとると皆さん、「書きたいことはたくさんあるけれど自分だけたくさん書いてもいかんから・・・」と、同じようなことをおっしゃいます。
そのお気持ちがすごく分かります。

「書きたいだけ書くから、自由に添削してください。」と言う方も・・・。

できるだけ、想いはそのままにしたいと思いますので、少し長くても大丈夫です

皆様、本当にありがとうございます。
大切に編集させていただきます。

そして、この本を、関係者の方々だけでなく、重光先生の教えてくれる「人間として」の多くのことを、たくさんの方にぜひ読んでいただきたいという想いもわいてきます。


ひとつだけ、エピソードを紹介させてください

重光先生と直接同じ学校ではなかった、ある高校の野球部コーチさんからです。

「人間って、生モノだからよく見ていないとね。」「今日は良くても明日はどうなっているか」

重光先生は自身もコーチをされた経験から「コーチとは監督の影武者(黒子)に徹しないといけない」といつも言われていました。試合中でも「いいチームになってきたじゃん」「選手に伝わっているなー」「監督の為にがんばれよ、そして選手の為にも」といつも励ましの声をかけていただきました。

・・・そして、入籍することを重光先生に伝えると、

「大好きな野球を腹いっぱいするためには、家族を大切にすることだよ」と言われ、多くの手解きをいただきました。
籍を入れたその日の朝10時に先生から「おめでとう。家族を大切に。」とお電話をいただきました。


ひとりひとりとの出逢いを本当に大切にしていた重光先生らしいエピソードであり、

重光先生を知っている人は、その声、姿がきっと目に浮かぶことだと思います。

今、この重光先生の言葉をお借りすると、原稿を寄せてくださっている皆様の影武者(黒子)が私で、皆様の大切な想いを形にすることに徹したいと誓っています。
(同級生の方も、同じ思いでいることをお電話でお聞きしました。)

また、進行状況など、ここでも紹介してゆきます
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全力疾走!! 重光先生と重光先生の仲間たちの思い

2012年01月06日 | 重光孝政先生
突然ですが、本日夕方の大分朝日放送のニュースで、重光孝政先生の同級生の方が出演予定です

残念ながらここでは見ることができませんが、これをご覧の大分県民の方々に、ぜひご覧いただきたく、紹介いたします。

それで・・・、なんの放送かと言いますと、今、重光先生の故郷、大分県国東の重光先生の同級生の方々を中心に、本作りをはじめています。

昨年7月9日、全国高校野球選手権大分大会の開会式の帰り道に事故に遭い、44歳という若さで天国へ旅立たれた大分県立森高校野球部の監督、重光先生。

須永博士は重光先生の人生、生き様、家族へのメッセージ、そして野球部のみんながこれからの人生を重光先生の言葉と一緒に生きていって欲しい・・・という思いをこめて「本」を作ろうと決めていました。

そのことをご家族にお伝えに昨年9月3日に玖珠町の重光先生のご自宅へ行きました。



もうその時にはすでに須永博士は本のタイトルも決めていました。
そのタイトルがこちらです。



「あきらめるな」

須永博士は、7月18日からの北海道の旅に、重光先生と昨年5月5日にお会いした時の写真をリュックに入れて「重光先生、行きましょう!」と一緒に旅をし、稚内宗谷岬でも、「しょうこ、一緒に写真を撮って欲しい」と、写真を撮りました。



それから7月23日までの礼文島での滞在中も、すぐそばにいる感覚があり、すべてのことがうまくいったのも、そばで助けてくれているような不思議な気持ちがしていました。

須永博士は、重光先生と心で会話をしていたそうで、「重光先生、一番何をみんなに言いたいのかな・・・。」と、重光先生のお写真を見つめた時に聞こえてきた言葉が、このタイトルの

「あきらめるな」



だったそうです。

常に全力で、常に優しくもあり厳しくもあり、なにより人間の絆を大切にして生きてきた重光先生。

わたしもぜひ、協力したいと思っていました。

9月19日、森高校の野球部の皆さんにも会いにゆき、約束しました。

その時の記事









「みんなのためにも、本を作るからね!!」と。




それから・・・

10月の中旬に国東(重光先生の故郷)の同級生の萱島さんが須永博士美術館にお越し下さいました。

なぜだか初めてお会いしたと思えないほど、重光先生の事を話したり涙したり・・・
話し尽きない中で、須永博士が本を作りたいと考えていることを話すと、

同級生の皆さんも、とても重光先生の存在は大きく、そして今も重光先生が大好きで、なにか形に残したい・・・と思っていることをお聞きし、

「一緒に作りましょう!!」という事になりました。

同級生の方々がこの本作りに協力してくだされば、きっとすごいものが出来ると私も思い、須永博士にもこの事を伝えると、喜んでくれました。

昨年11月27日、須永博士が小国に来ていたとき、来ている事は知らないのに、重光先生の同級生の皆さんと奥様が時間を合わせてきて下さいました。

これも不思議でした・・・。

須永博士も、同級生の皆さんも、「この日」しかなかったのです。

同級生の皆さんも、須永博士本人に会えるとは思わず、ビックリされていましたが、これもきっと・・・重光先生が出逢わせてくださったんだろうな・・・とみんなが思いました。

そして本格的にスタートした本作り、

今、皆さんからの原稿を集めている最中です。

そんな中、昨日同級生の方からお電話があり、大分朝日放送さんから「取材させて欲しい」と連絡があったのだそうです。

どこからか、この本作りのことをお聞きしたそうで・・・

そして、急ですが本日夕方6:30~のスーパーJチャンネルで放送される予定です。

今、萱島さんが取材を受けているはず・・・

また放送の様子をお聞きしたら、紹介しますね。

本当にまだ始まったばかりで、詳細はこれからですが、原稿にご協力して下さる方は、1月末をまず締め切りで募集中ですので、ご連絡下さい。


原稿寄稿先

sunega-h-b@hello.odn.ne.jp (須永博士美術館)

郵送の場合

〒869-2505
熊本県阿蘇郡小国町北里460
須永博士美術館

必要事項

①お名前(よろしかったらご住所も)
②重光先生と一緒に過ごした時期
③連絡先(確認などで連絡させていただく場合がございます。携帯電話番号・メールアドレスを教えて下さい。)

④タイトル(ご自由にどうぞ)

⑤重光先生との出逢いや、思い出などを教えて下さい。
(文字数は特に指定していませんが、だいたいお一人1ページ~2ページ分くらいを考えています。)


発行は、自費出版で制作いたします。
詳しい事や進行状況もここでお伝えしてゆきます。

お問合せは私までどうぞ

090-8915-1562 (須永博士美術館 スタッフ 佐藤粧子)


重光先生と須永博士の出逢い・重光先生の事について書いた記事です。

2010年10月30日 くすまちメルサンホール

2010年7月10日

今日の空に向かって・・・

全力疾走!!

暑さと涼しさ

本気で!!

心から拍手を

お盆

明日から

昨日の虹を眺めながら

チーム重光!!

伝えたいことがありすぎて・・・
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