須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

6月最終日(^-^)

2012年06月30日 | スタッフより



あっという間に、6月が過ぎたような気持ちがします。

昨日は夕方、梅ちぎりをしました(o^o^o)
(棒で枝を叩いて梅の実を落としている息子)

大量に実った梅を集めて、梅干し、味噌梅、梅ジャム、梅酒、梅酢等々、小国のお母さん方は様々な味覚に作っています(^-^)

私でも作れるのは、梅酒、梅酢(^-^)

青い梅を使いますが、

熟したものを蒸して、ジャムにしても美味しいらしいですよ(^.^)b

手作りが上手な人は、器用に工夫して、いろいろな方法で美味しく加工されるので、尊敬しちゃいます(^-^)

明日から7月ですね!

雨の日が続き、太陽が恋しいです(*^_^*)
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心からの感謝

2012年06月29日 | スタッフより
昨日、レンタルしていた介護用ベットを業者さんにお返ししました

子供達も、前日このベットとも明日でお別れ・・・ということを話していたので、なんだろう・・・さみしいながらも「ありがとう」という気持ちで、このベットにいたおじいちゃんを思いながらいろいろな事をみんなで思いました

義父は、左半身不随で自宅介護、主人の叔母が主にお世話をしてくれていました。

私たちが義父と一緒に生活を・・・と望んでいたのですが、それが実現するには様々なハードルがあり・・・せめて、できることをしたいといろいろと努力をしてきました。

自宅にベットがありましたので、普通は一人に1台なので、レンタルは難しいところを、ケアマネージャーさんの心配りで、我が家にもう1台のベットをレンタルさせてくれました。

なので、たまに遊びに来たり泊まりにきたりと、安心しておじいちゃんを連れて来ることができていました。

相談できる人がいるということは、わたしたちにとって、と~~っても心強かったです。

ケアマネージャーさんには、さまざまな「例外」なことを受け入れてくださり、本当にありがたかったです。

仕事・・・枠にはまったことをするのは当然ですが、その人の力量で、それ以上のことをしてくださる人がいます。

「なんでも言ってね。」

「いつでも言ってね。」

その言葉が、大きな支えとなりました。

人との出逢い、関わり方で人生が変わるということも実感しています。

だからこそ、自分も人と関わらせていただく中で、「真心」をもって関わりたい、接したいと思わせてもらいます。

小さな夢の詩集 2集より

          

「あなたに 与えられた

心のあたたかさが

人のやさしさが

いまもわたし

忘れられない

いまも わたしの

生きがいになっています」


この詩を読むと、いろいろな人のお顔が浮かびます

いまこの瞬間も、お礼を言いたいです。

もうひとつ

           

「人の幸せ

ねがって

つくしたことが

いつの日か

必ず

むくわれることが

あります」


          

「優しいあなたに

出逢いました

明るいあなたに

であいました

夢をもつあなたに

出逢いました

すてきな あなたに

であったことに

心から 感謝です」




この詩を、お礼に代えて、あなたに贈ります・・・
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経験

2012年06月29日 | スタッフより
経験は、自分を成長させてくれる

そう思うと、どんな出来事もすべてに意味があり、がんばろうと思える



「すべてに感謝する

つらいときも

苦しいときも

これが 自分を

大きくさせる試練と思えば

これほど 強い心の

ささえはありません」

人は、ひとりじゃない。たくさんの出逢いがあり、たくさんの支えがあり、生きていますね。

それに気付くと、なにも恐れる事はない。

だいじょうぶだよ、ひとりじゃないから。


さぁ、今日も元気に動きます
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しあわせに生きるために(^^)

2012年06月28日 | スタッフより
生きていると、いろいろなことがありますね。

だれでも、いつでも、「しあわせ」になりたいと思うのが普通で、いやな事やつらい事があれば、なるべく早く、そこから抜け出したい・・・。

でも、そう簡単にいかないこともあります。

そんな時、どうやって切り抜けて行けばいいんだろうか、

どうやって乗り越えてゆけばいいんだろうか・・・

悩んで悩んで、考えて考えて・・・

それでも出ない答えや結論もある。

例えばですが、そんな時、「流れにまかせる」のも、ひとつの方法ですし、

「思いっ切り方向転換をする」のも、いいかもしれない。。

その判断は、最後は自分でするしかない。





こんな詩に、励まされたり、背中を押されたりしながら、

やっぱり生きている限り、あきらめることなく「自分の人生」、満足いくように進んでいきたいですね。

先週、主人の父が75年の人生を終え、旅立ちましたが、なんだか不思議と、以前よりも近くに感じます。

昨年11月に、宮城県石巻へ行ったあと、宮原敬助君とのご縁で「ハート to ハート 市民公開講座」へ行き、移植医療のことや、臓器提供のこと・・・

知らなかったことを、たくさん知ることができました。

その時のブログ

移植医療の素晴らしさや課題・・・いろいろな事をお聞きする中で、心に強く残っていた
救急医療現場で働く医師のお話しです。

そのことを書いた部分をもう一度紹介します。長いですが、良かったら読んで下さい。

「救急医療の現場で働く鹿野先生は、緊急搬送される患者さんを毎日毎日助ける努力をされていて……

救命救急に全力をそそぎながら、今は人工心臓で身体を動かす医療機器も性能も良くなり、延命はできる

でも、残されたわずかな時間

「看取る」

という医療がされていないとうったえていました。

日本人による、日本人のための、

「人を看取る」という医療……


って何なのでしょうか…

「脳死は、人の死ですか?」

様々な要因で、救急搬送されてくる現場で働く鹿野先生の話しは、本当に現実味があり、心にどんどん入ってきます。

脳死……

アンケートでは、脳死は人の死と思うという人は、1999年の調査で国民の73パーセントだったそうです。

ですが、実際にその場面に立つ人は、そうは思っていないんだと。

鹿野先生も、今も病院でたくさんのスタッフと、救命救急に全力を注ぎながら、なんとか命を助けようと、人工心肺蘇生法で生命を維持させる努力をしている。


でも、どんなにがんばっても、どんなに医学が発展しても、救えない命がある…

そうなった時

これからの限られた時間

医師は家族に、

「亡くなってしまうということの告知」

をしなければならない。

ここから大切なのが、
「看取りの医療」です。

鹿野先生の働く救急病院では、とても重要性を持って取り組んでいることを教えて下さいました。

例えば、

髪の毛を綺麗に洗ったり、髪を切ったり、

お化粧をしてあげたり、

ベッドごと外に出て、陽なたぼっこを家族としたり、

野球が好きだったお父さんに、野球のユニフォームを着せてあげたり…

ご家族に、残されたわずかな時間を、カメラに収めたりビデオを撮ったり、

お子さまの場合には、好きだったオモチャや、絵本を持ってきて、絵本を読んであげたり…

そのご家族の方々の了承を得た上での実際の写真には、もう胸がいっぱいで、涙がぼろぼろこぼれました。

ですが、写真のご家族は、笑顔なんです。

あと数日、あと数時間しか生きられない、今は呼吸器と人工心肺蘇生装置で生きているが、医師はあとどのくらいという事は経験からわかっている。

だからこそ、その時間を大切に過ごすこと
できる限りのことを、何ができるのかを、この病院の先生方やスタッフのみなさんは日々考え、実践されているのでした…。」

そう、この時に聞いたことが、私の心にあり、主人の父がもうわずかな時間しか残されていないと分かった時、「後悔したくない、主人にも子供達にも後悔させたくない」という気持ちが強く働き、そして過ごした一日がありました。

お別れの瞬間まで、一緒に時間を過ごそう。ここまでがんばってきた義父に、感謝の気持ちを伝えよう、しっかり手を握り続けよう。話し続けよう。

笑顔で話しかけよう。

そう意識することができ、子供達もおじいちゃんとの別れのあと、「じいちゃん、ほんとうによくがんばったね。」と7歳の娘がお姉ちゃん、お兄ちゃんに言いました。

その言葉が出たことが、私は嬉しかった・・・。

今思うことは、「生きているこの瞬間瞬間を一生懸命、そして無理なく生きる事」が大切だなぁ・・・と、

後ろを振り返るよりも、前を向いて歩いてゆきたい。

だれかを悪く思うよりも、その人の良いところをみて接したい。


・・・また、長々とすみません。読んでくださってありがとうございます。

















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風貌

2012年06月27日 | スタッフより
先週月曜日、男性のお客様が

「やっと来られた♪♪」

と、喜んで上がってくださいました(^-^)

ゆっくり見ていると、この「風貌」の色紙が欲しいと、

以前、この詩に出逢い、それから須永博士の世界を好きでいてくださると話してくださいました。

風貌

久しぶりにゆっくりと読み返してみました。

「でしゃばらず

えらぶらず

あせらず

あわてず

さわやかに

おちつきはらって」


今、自分に必要な心構えです(o^o^o)

私も、この詩を先週から意識して、日々過ごしています。

周りの方々への感謝の気持ちがあふれ、

やるべき事がたくさんある中でも、充実した気持ちで過ごせる日々、

本当にありがたいです。

でしゃばることも、

えらぶることも、

なんにもあせることも無い。

ただ、動くことは止めません。

前に、前に……o(^-^)o
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おはようございます\(^O^) /

2012年06月25日 | スタッフより
写真は、先週6月20日の夕方、主人の実家からの眺めです(^O^)

毎日雨、雨…

じめじめしますが、今朝は霧雨。子供達を見送る時、「わあ、マイナスイオンだ♪♪」って思いました(*^_^*)

熊本も、各地で大雨による土砂崩れなども起きています。十分注意しながらこの梅雨時期を過ごしてゆきましょうねo(^-^)o

たまに晴れ間があると、すごくホッとしますね。

梅雨明けが待ち遠しいなあ。
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想い

2012年06月24日 | スタッフより
昨日は、個人的なことで、書かせていただきありがとうございます。

私たち、須永博士という詩人のスタッフとして働かせていただき、一緒に旅に着いていく中で、たくさんの方々との出逢いをさせていただいています。

須永博士が対人恐怖症を乗り越えて「詩人・絵描きになる」と旅をはじめ、今も

「あの人にはどんな言葉が元気になるだろうか」

「もっと幸せになるために詩を書いてあげたい」

「一日一日を、なんとかふんばりながらがんばっている人の支えになるような詩を書きたい」

と、休むことなく書き続けています。

病気と闘っている人、大切な家族を失った人、夢に挑んでいる人、毎日を一生懸命に生きている人、一歩をふみ出す勇気が欲しいと願っている人・・・

多くの方の人生に出逢うたびに、須永博士は教わり、そして詩が生まれます。

心の中にある感情が、「詩」となることで、「そうか」「そうだ」と、「自分の気持ちにぴったり」という言葉に出逢い、それが自分の力となる・・・。

そのような場面にたくさん出逢わせていただいてきた私達です。

須永博士も、そして私達スタッフも皆さんと同じ「人間」です。

嬉しいことも、悲しいことも、挫折も悔しさも、喜びも苦しみもあります。

いっぱい泣きます。いっぱい笑います。

悲しいことがあった時、苦しいことがあった時、私は、みなさんのお顔が浮かびます。

「あぁ、こんな時、あの人も同じ思いをしていたんだな。」

「こんな時は、あの人はどんなふうにして乗り越えたんだろう。」

そして、「負けてはいられない、落ち込むのはここまでにしておこう。前に進もう。」

と思えるんです。

そして、誰かのために書いた須永博士の詩が、頭に浮かび、自分にあてはめるとまた、立ち上がれます。

それに、斉藤広将くんとご家族との出逢い、

重光孝政先生と、ご家族、同級生の皆様との出逢い、

宮原敬助くんとの出逢い、

しょうこさんとの出逢い


このブログを読み続けてくださっている方々、須永博士美術館にお越しくださる皆様との出逢い、

須永博士の旅で出逢わせていただいた方々との出逢い、

すべてが私達の生きる力となっています。

そうそう、詩集「奇跡への第一歩」に載せさせていただいた沖縄の恵輔くんは、昨年恵輔くんの挑戦で書いたように沖縄の大学で教壇に立ちました。

そして5月30日からは、「沖縄タイムス」という新聞に毎週水曜日「闘病記」が連載されています。すごいですね!

恵輔くんの挑戦も続いています。

いつも思います。みなさんに恥じない生き方をしなくちゃって。

がんばっているみなさんに教わることばかりです。

私たちも、これからも皆様との出逢いに感謝しながら、さらにがんばっていきますので、どうぞ、これからもよろしくお願い致します。














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応化(おうげ)

2012年06月23日 | スタッフより
応化(おうげ)という言葉をご存知ですか?

6月19日に主人の父が他界し、いただいた戒名の中に「応」の字が入っています。
葬儀が終わり、お寺にお礼参りにいった21日、和尚さんからお聞きしたことです。

「この「応」の字は、「応化」という仏語からとりました。

応化(おうげ)とは、仏様、菩薩様が人々を救うために姿を変えてこの世に現れ、助けを行うことを言います。

お父さんは、「左手と左足は動かなかったけれど、動く右手でいろいろなことを教えてくれた」とお孫さんがお別れの言葉を言ったように、持っている力であの手この手を使って皆さんの幸せを願っていたのでは無いでしょうか。

そしてもしかしたらあなた方ご家族が、応化となっておじいちゃんにして来たことがおじいちゃんの心に少しづつ変化をもたらし、変わっていったのかもしれないですね。」

と、ありがたいお話しをして下さいました。

お話しを聞かせていただきながら、全ての言葉がすぅ~っと胸の中に入り、納得ができました。
そうだなぁ。そうだなぁ・・・と。

温かい気持ちになり、これまで私が感じてきた様々なことが、この「応化」という言葉によって、すべてつながる感じがしました。

自分のしてることが、「させてもらっている」というような感覚さえすることが多々あったり、出逢う人に助けてもらったこと、教えてもらったこと、導いてもらったこと・・・

「応化」という言葉をインターネットで検索してみたら、

「《「おうけ」とも》仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が世の人を救うために、相手の性質・力量に応じて姿を変えて現れること。応現。応作(おうさ)。」

とありました。

「この出逢いは偶然じゃない」と思えるような出逢いや、すべての出来事・・・

「不思議だなぁ」と思ってきたことが、自分の中で納得がいく気持ちです。

これからも、生きていく上でいろいろなことがあるでしょう。起きるでしょう。
でもそれも、真っ直ぐに生きていれば、すぐに結果が出なくとも、必ず「これでいい、これでよかったんだ。」と思える日がくると、いつも思っています。

「応化(おうげ)」

おじいちゃんとのお別れの時に、すてきな言葉との出逢いをさせてもらいました。




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おじいちゃん

2012年06月23日 | スタッフより
数日間、ブログをお休みさせていただきました。

また、今日から書かせて頂きます

6月19日に、主人の父が75年の生涯を終え、旅立ちました。


ちょうど60歳になったばかりの1997年8月に脳内出血で倒れ、命は助かったものの、左半身不随になってしまい、それからの15年間は身体が自由に動かない中でも、不満ひとつ言わずに一生懸命がんばって生きてきました。

昨年4月に胃がんがみつかり、もしかしたらあと3ヵ月・・・もって1年・・・と病院で言われた中、ここまで本当にがんばりました。(本人には伝えないまま。)

私が主人と結婚したのは1998年7月。熊本の病院と湯布院の病院に入院後、ちょうど自宅に帰る頃でした。

主人の母は、主人が4歳の頃、母が33歳の時に事故で亡くなってしまいました。

それから、お父さんと2人・・・言葉にはできない苦労を重ねてきています。

そんな主人と出逢い、「これからは私も手伝うから、幸せになろう」と、私も決意の上での結婚でした。

主人は、当時中津江というところでログハウスを作る仕事をしていました。のちに須永博士美術館で私と2人、一緒に仕事をしています。

今は、本当に幸せです。どんな苦労だって、ひとりじゃないんだから。なんでも乗り越えられます。

お父さんが須永博士美術館に来ることもよくありましたので、玄関やトイレに手すりをつけました。これも、他のお客様にも喜んでいただけました。

子供達も、おじいちゃんが大好きで、じいちゃんの片腕となり、いろいろなお世話を手伝ってくれました。

一緒にトランプをしたり、じゃんけんをしたり、動く右手でいっぱい遊んでくれました。

昔は釣りや、うなぎを捕まえたりしていたそうで、その話しをしてくれたり、ニワトリも飼っていたそうで、そのニワトリをさばいて食していたとか・・・そのさばき方を教えてくれたり・・・(実際にはしていないですけどね。)

思い出がたくさんあります。

じいちゃんとの別れの日、私たち家族全員が、ずっとじいちゃんのそばにいることができました。

また、この時のこと、お話ししたいと思います。本当にすごい最期でした。

無事に、お別れもでき、今は心から「おじいちゃん、ありがとうございました。長い人生、おつかれさまでした。」という気持ちです。

主人は、もう一人じゃない。大切な家族もいる。父は、やっと天国の母に会えているでしょう。今は自由になった身体で・・・。

本当に穏やかで、優しくて、みんなのことを想ってくれるおじいちゃんでした。
ありがとう。ゆっくりと、天国でみんなの成長を見守っていてください・・・。

私たちも、これからもさらにがんばっていきます

今年4月15日、一緒に桜を見ることができました。その時の写真です。
よかったら、見て下さい。








須永博士美術館前の桜。主人とおじいちゃんと・・・。



写真を撮ろうって言ったら、敬礼をしたので、私たちも真似して・・・。



もうひとつ、皆様にお話ししたいことがありますので、続きます・・・。
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スター☆ドラフト会議

2012年06月18日 | スタッフより
スター☆ドラフト会議

明日、午後9時から2時間スペシャルで、黄帝心仙人さんが出演します。

覚えていますか・・・?

昨年3月19日、鹿児島県指宿市で行われた、山川ツマベニ少年太鼓の皆さんの15周年記念コンサートで、友情出演されたダンサーさんです。

こちらの記事

こちらの記事に登場されています

ぜひ、ご覧ください















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昨日は父の日

2012年06月18日 | 作品紹介
昨日6月17日は、「父の日」でしたね。

お父さんへ、いつもの感謝の気持ちを伝えましたか?

我が家は、夜になって娘達が

「あぁ~~~~~!!今日は父の日だったぁ~~~~!!

わすれてたぁ~~~!!」と叫んで、思い出したかのように

「お父さん、いつもありがとう」の言葉をプレゼントしていました。

7歳の娘は、「今日も一緒に寝てあげるからね。」との優しいことばを

昨日は早朝から、北里柴三郎記念館のお掃除と、北里大水害の慰霊祭があり、一日中外にいた主人と子供達です。

夕方には子供達もクタクタになっていたので、忘れていてもしかたない。

そういう自分も、自分の父親になぁんにもしてませんから

でも、それじゃいけませんね、明日にでも手紙でも書こうかな。

・・・んん~~、なにを書いたらいいか分からないから、このハガキでも送ろうかな。



「たったひとりの 

わたしのお父さんです

男だから

人にはいえない苦しさや

さみしさがあるでしょうけれど

自分のやりたいように

生きてほしいのです

自分の

ねがいをかなえてほしいのです

自分の明日をつくってほしいのです

たったひとりの

わたしのお父さんです

身体を大切にしてください」

よし、きっと喜んでくれる・・・


そして今、主人のお父さんは病気と闘いながら、一生懸命に生きています。

義父さんの願い、やりたいこと、それをできることなら叶えてあげたいな。




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石巻にて、講演会の感想(飛翔閣様にて)

2012年06月17日 | 石巻にて
2012年6月6日、石巻市の「飛翔閣」さんにて、須永博士講演会が開催されました。



前回3月10日にあとりえDaDaさんにて行われました講演会に、飛翔閣の伏見さんがお越し下さったのがきっかけで、今回も実現しました。

伏見さんとの出逢いは、昨年11月18日に石巻へ行った際に、昼食へ連れて行っていただいた時からです。

伏見さんとの出逢い

いつかここへ、須永博士を連れてきたい、伏見さんと須永博士が出逢ったら、どんなことになるのだろう・・・なんて思っていたら、やっぱりすごかったです。



パワーとパワー、笑顔と笑顔、元気と元気のぶつかり合いで、おもしろいほどでした

「前世では兄弟だったんではないか・・・もしかしたら双子の・・・」と思えてしまうほど、思考が同じだったり、目指すもの、人のしあわせ観など共通することがたくさんありました。

3月10日に書いた詩

「苦しむのは

ここまで…

哀しむのは

ここまで…

つらい心は

ここまで…

いまから わたし

“復活”です

“人生の決戦”です

2012年3月10日」

この詩を、「うん、うん、そうだ。」と、とても共感してくださったのも伏見さんです。

「うん、うん、

そうだ

もうそろそろ、いいじゃないか。

今日をくぎりに、前へ行こう!

今まで我慢してきた。

自粛してきた。

だけど、もうそろそろ、

がんばろう!元気だそう!」

この言葉の中に、どれだけの苦労があったのでしょうか・・・私たちには計り知れませんが、でも、そんな思いを重ねてきた震災を経験した方々が希望を持って前に進もうとがんばっている姿を知ることができました。

「震災により、肉親を失いました。落ち着きを取り戻しながら、さみしさがかえって倍増しています。今日の講演を聞き、出逢った全ての人に寄り添い、力を与えてくださる方がいらっしゃると感動しました。」

「くじけそうな気持ちをふるいたたせてくれました。」

「友人を亡くしました。震災時は無我夢中で友人を探しました。泥にまみれ、冷たい水に入りました。その時はそれだけで精一杯でしたが、今1年になり、かえって友人の事がすごく傷となり、心が痛み、何を見ても涙が出ます。人間って生きていて幸せなのか、共に亡くなった方がよかったのか、分からなくなる時があります。

・・・・・こんな辛い経験は、いったいどんな意味があったのか?でも、自分で先を切り開いて行かなければ何も進まないことを、今回の講演で感じさせられました。」

3月に皆様からいただいた講演会の感想文です。

そして、今回の講演が、飛翔閣さんの多大なご協力により実現し、前回来てくださった方との再会もあり、今回が初めてという方も多くいらっしゃいました。

ほんの数ヶ月ですが、またこうして会えたことに、胸が熱くなりました。

「須永先生、石巻に来て下さってありがとうございました。

『信じる心 強い気持ち』

震災で揺らぎそうになったけど、人間の芯って、簡単には崩れないと

学ぶことができました。

先生の詩は、後押ししてくれます。

これからもお体を大切に、楽しいお話しを聞かせて下さい。」

「生きていくことは とてもたいへんなことだと

初めて思いました。

つらく かなしいことが たくさんあるのだと

知りました。

でも 生きていかなければいけません。

今日、心が洗われたように思います。

少し 強くなったように思います。

ありがとうございました。」

と、今回いただいた感想に書いて下さっていました。

・・・続きます。




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移植医療

2012年06月15日 | スタッフより
先ほどの記事で、今日のニュースで取り上げられていた、6歳未満 初の脳死判定 のことについて書かせて頂きました。

昨年まで、自分の知識として知りたかったことが、今年に入り、自分のきょうだいの身に起きた大きな病によって、家族の出来事になりました。

この4ヶ月間で、知らなかったことばかりが現実となり、家族一致団結で、姉を支える日々が続いています。

と言っても、東京にいる姉(長女)・・・私(三女)には何にもできず、もどかしいです。

今年2月に急性リンパ性白血病と診断され、と~~っても元気だった姉が、即入院、即輸血と抗がん剤治療という、大変な治療が続いていました。

入院直後、「骨髄移植が必要です。」とお医者さんにいわれ、姉以外の私たちきょうだい4人(次女、私、弟、妹)みんな思いは同じ「自分ができることならば、もちろん骨髄提供します!!」と、強い気持ちでした。でも、知識は何にもありません。

HLA検査というものをして、結果を待ち、そして、なんともう一人の姉(次女)と、弟が全一致!
検査で、6種類の型が分かるのですが、4種類まで合えば、移植は可能・・・というところ、姉と弟は6種類全てが合致しました。

年齢的にも体力的にも、弟が選ばれ、弟も、「俺で良かった。」と喜び、私達も、「弟、よろしくね!!」と思うと同時に、弟の身体も気遣っていました。

そして、5月28日に弟が「造血管細胞」というものを採取し、6月13日に姉に点滴で移植されました。

移植と言っても、40分ほどで終わったと言うので、驚きました。

今日で移植後2日目・・・

ここからが本当のスタートで、「がんばれ、おねえちゃん!!」と、私は祈るしかできませんが、姉の精神力は強いです。

2月の入院直後から、今の治療、体調、気持ちをストレートに教えてくれて、その中で

「今日、そう、今日一日を大切に過ごすんだよ、

ずっと遠い日のことなんて考えていると、いやになっちゃうから、今日、そして明日でいいんだよ、

言いたいことがあったら、すぐ相手に伝えるとか、

行きたい場所があったら、悩んでないで行ってみるとか、

今、今日やれることをやるんだよ。」

と、私に言ってくれました。

その言葉で、先月の友達の結婚式に行く決断もできました。

母の日ウェディング

北千住 「笑力」にて

姉は、幸い骨髄提供者がすぐにみつかりましたが、今もたくさんの方が、待っています。

骨髄バンクから、適合者を探すのにも時間がかかるそうです。その間、患者さんはきつい治療を一生懸命続けて、待っています。

同じように、臓器提供しか助かる術がない、多くの方もいます。

莫大な費用で、海外での移植をするしかない人もいます。

それも、個人のお金ではとても無理。募金などをする方法を選ばなければなりません・・・。

きっと、このブログを読んでくださっている方も、様々なことを抱えて生きていらっしゃると思います。

簡単なことはかけませんが、姉が真正面から病気と向き合って、闘っていること、そして、その姿はとても強くて・・・みんなに支えられている感謝の気持ちを持っていること・・・それが、伝わったらありがたいです。

この道を、立ち止まることなく進んでいる姉の手


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大きな悲しみと、大きな希望

2012年06月15日 | スタッフより
今日の新聞記事より、ぜひ皆さんにお伝えしたく、紹介させてください。

「富山大学附属病院で治療を受けていた6歳未満の男の子が、14日、脳死と判定されました。
判定の基準がより厳しい6歳未満で脳死と判定されたのは初めてで、臓器の移植に向けた準備が進められています。

日本臓器移植ネットワークによりますと、脳死と判定されたのは富山大学附属病院で治療を受けていた6歳未満の男の子で、検査で脳死の疑いがあることが分かりました。
家族が臓器移植ネットワークのコーディネーターから説明を受け、脳死段階での臓器の提供を承諾しました。
このため病院では、脳波を測定したり、自力で呼吸できるかを調べたりする脳死判定を行いました。
幼い子どもの脳は回復力が強いとされているため、判定は、6歳以上の4倍に当たる24時間以上の間隔を空け、2回実施されました。
その結果、男の子は、14日午後2時11分、脳死と判定され、死亡が確認されました。
現在、臓器移植ネットワークが関係機関と連絡を取り、脳死からの臓器移植の実施に向けた準備を進めています。
おととし7月に施行された改正臓器移植法に基づいて、15歳未満の子どもが脳死と判定されたのは2例目ですが、判定の基準がより厳しい6歳未満では今回が初めてです。 」

今日の新聞でも大きく取り上げられていました。そして、見出しに

「誰かの中で 長く生きて」

との言葉に目が止まりました。

脳死判定、そして臓器提供へ・・・

「よくわからないなぁ。」と、数年前の私だったら、他人事のように思っていたでしょう。

「臓器移植」に感心をもったきっかけは、熊本の宮原敬助くんとの出逢いでした。

最初にこのブログで書いた時も、「なんでこんなに気になるんだろう・・・。」と自分でも不思議に思ったくらい、何にも知らないことばかりでした。

2009年2月1日の記事

それから、ご縁があり・・・

少しづつ、「移植医療」というものを知る機会ができ、昨年11月には、群馬県で開催されたハートtoハート・ジャパン
主催の臓器移植 公開市民講座に参加させていただきました。

2011.11.20のブログで、その日聞いたことを書きました。

まず、基本的な「臓器移植」ということについて、ハートtoハート・ジャパン
ホームページより転載します。

「臓器移植は臓器の機能が低下し、移植でしか治らない人と死後に臓器を提供してもいいという人とを結ぶ医療です。

日本で臓器の提供を待っている人はおよそ1万2千人。臓器の提供が少なく、数多くの人が移植を希望しながら亡くなられています。

日本で事故や病気で亡くなる人は毎年およそ90万人。

その1%弱、約7千人が脳死になって亡くなっていると言われています。

自分が脳死となって最期を迎えたとき、誰かの命を救うことができます。」

そう、自分も誰かの為に、自分の身体で誰かの命を救うことができる・・・。

それが、家族だったら・・・。考え、そして意思表示、多くの方にしてほしいと思います。


6歳の男の子が、脳死という判定を受け、そしてわが子の臓器を提供するという決断をされたご家族の思い。

新聞記事にも、様々な意見や、さまざまな観点からの注意すべき点が書かれてありました。

「治療は尽くされたか。説明は適切だったか。」

医療の側と、

「息子が誰かの身体の一部となって、長く生きてくれるのではないかと・・・。」

家族の思い。

そして、その臓器によって、助かるいのち。

いつ、自分や自分の家族がこの立場になるのかは、誰にも分かりません。

当事者になって、初めて分かる気持ち、感情、知識もあるでしょう。

でも、感心を寄せることはすぐにでも出来ますね。

そんな思いをこめて、紹介させていただきました。

読んでいただいて、ありがとうございました。
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飛翔閣さんでの出逢い・・・須永博士の詩集

2012年06月14日 | 石巻にて






2012年6月6日、石巻の「飛翔閣」さんにて、須永博士の講演会を行いました。

会場で、集中しながら詩を書いていると、その様子を見ていた女性が、詩を書き終えてから話しかけてこられました。
バックから取り出し、須永博士に渡したのは詩集「ひとりぼっちの愛の詩」の15集でした。





「娘にプレゼントしてもらった詩集なんです。流されたんですけど、瓦礫の中から見つけました。他にもあったのですが、見つかったのはこの1冊だけです・・・。」と。





「濡れてしまったからね・・乾かしたんだけど、開けないページもあるんです。

でも、大切な詩集で、この1年もこの中の詩で、ほんとうに助けられてきたんです。」

大切な詩集を見せて頂きました。



1983年8月29日と書かれてあります。29年前!!娘さんのくみさんからのプレゼントで、今くみさんは、看護師さんとして働いているのだそうです。
今回、たまたま須永博士が石巻に来ることを知り、とっても楽しみにしてくださっていたそうでした。ありがたいです。







そして、たった1冊みつかった須永博士の詩集。くっついてしまって、ページが写ってしまったりしていますが、でもその中の詩は、生きていました。




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