今回の沖縄行きは、今年の春にご連絡いただいていました。
普天間基地に隣接する普天間第二小学校さんの創立50周年記念に、ぜひ講演会をしてほしいとのご依頼でした。
とにかく「学校に来てほしい」という、強い想いが伝わり、須永博士も使命感を持って向かいました。
普天間第二小学校の校庭に、米軍ヘリの窓枠が落下する事故から、今日でちょうど1年。
2017年12月13日、その時体育の授業中で校庭には子供たちがいました。大変なことがあった普天間第二小学校さんですが・・・
私からは須永博士に詳細は伝えず、現地に行ってから普天間第二小学校に足を運び、その場で感じること、思うことを伝えてほしいという想いを持って沖縄へと出発しました。
普天間第二小学校のある場所は、米軍普天間基地のすぐ隣。隣と言っても、「こんな近く!?」と驚く、フェンス1枚の向こうはアメリカ。ヘリや飛行機が1日に何度も何度も離発着する場所にありました。
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↑屋上から。校庭の奥は、米軍基地
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↑教頭先生から、事故当時のことを聞いています。
真上を、轟音・爆音を上げながら飛び立ったり、戻ってきたり・・・そのたびに私たちはドキッとしますが、これが日常・・・。
いや、日常ということで済まされていていいのか?
須永博士も、小学校の屋上に登らせていただき、間近に見る、校庭と基地の敷地の近さに唖然としました。
教頭先生も、この宜野湾で生活をしています。
2004年8月13日に
沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落した事故の時も、その翌年沖縄で講演があった時に大学の前まで連れていってもらい、その恐ろしさを教わりました。
このような事故が後を絶たない危険な中で生活をしている沖縄の皆さん、その声が沖縄以外の日本では想像することも難しいということを、また熊本に帰って来てから考えています。
ちょうど、沖縄から帰る日、11月13日の新聞ではこんなニュースが新聞の1面に出ていましたが知っていましたか?
新知事のデニー玉城氏がニューヨークに行き、ニューヨーク大学で講演し、沖縄県民の想いや現状を話したことも、こちらでは報道を見ることもありません。
もちろん、その地元の事が記事になるのは当然だし、関心を寄せるには情報が無さすぎますが・・・
なんだか、本当に切り離されているような感覚になります。
思えば、2006年・・・嘉手納基地のすぐ近くにある屋良小学校での講演会の時に、それまで思い描いていた「沖縄」と、実際に足を運び沖縄で生まれ育ってきている方々から直接お話を聞かせてもらったり、自分の目で見て感じるものだったり、まだまだ言葉にできない想いをたくさんたくさん抱えながら生きている沖縄の皆様への想いを須永博士もたくさん詩にしてきました。
続きます。
普天間第二小学校さんでの講演会 2018年11月8日