須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

須永博士の詩人としての人生の始まり

2017年03月19日 | 須永博士の人生
お墓参りに帰省されている方も多いでしょうか。

三連休ですね!

須永博士も、浅草にある父親のお墓参りに行ってきたでしょうか。

行ってないかなぁ。

というのも、須永博士にとっては、父親は良い存在では無かったそうです。

須永博士美術館においてある直筆のスクラップブックの中に、その人生が書かれてあります。
今日は特別に、アップします。

「誰か助けてくれ」と苦しんでいた青春時代、その苦しみは、まだまだここに書ききれないものがありますが、良かったらお読みください。

最後の方には、そのような人生を経験した須永博士が皆様に伝えたいことも書いてあります。























ぜひ、須永博士美術館へ来られた際には実際にこのスクラップブックをご自分でめくりながら読んでいただきたいです。

こうして写真でアップしましたが、須永博士が直筆で書いて自分で作ったものなので、実際の迫力というか伝わるものが違います😊💖
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須永博士とは・・・

2016年01月01日 | 須永博士の人生
須永博士 現在 74歳。
日本各地、世界各地を旅をしながら、出逢った人に詩を書き、勇気や希望、生きる力を与えています。
須永自身、生きる希望の持てない時期がありました。
それまで、「自分はダメだ」「何の役にもたたない人間だ」と思いながらも、なまぬるい中で、本気で生きることもせず、ただ惰性で生きていました。
高校卒業後、就職した会社で、生きてきた中で初めて、友達以外の人に会いました。みんな一生懸命に働いている。一生懸命に生きている。
それまで、あたたかい温泉にでも入っていたかの人生から、氷水を頭からかけられたような衝撃があるほどだった。
人生経験も足りず、仕事も上手くいかず、周りからも「お前はだめだなぁ」と言われ続ける日々。
ひとりっこだったので、相談する兄弟もいない。つらい、さみしい、ひとりぼっちの状態が続き、
これからどうしようと悩んでも、なにかを求めても、だれも助言をくれない。だれも助けてくれない。
絵を描くことは好きだったけど、「お前、そんなので世の中生きていかれるか」と親、親戚からも言われ・・・
生きていても意味がない。何もできない。と、絶望のどん底で、いのちを絶とうと、雨の鎌倉へいき、鏡に映るびしょぬれの醜い自分の姿をみて、
「俺の人生、何にもなかったな。だれも助けてくれなかったな・・・。」
とつぶやいた瞬間、心の底から湧き出てきた言葉があった。

「誰も助けてくれないぞ 助けてくれるとしたら、“自分自身”だ」

そうか、今まで、誰かに頼って生きてきた、だれか助けてくれないかな、誰かがなんとかしてくれないかな・・と。
よし、今から自分の手で、この弱い自分を、絶対 強い人間にしてみせる
そこから、自分への挑戦 人生の挑戦への旅が始まりました。
夢ができました。「日本一の絵描きになろう」「日本一の詩人になろう」と心に決めました。
自分のように、ひとりぼっちでさみしい思いをしているひとに、優しい気持ちで接していこう。絶対に、「なりたい自分」になる。と、旅をはじめました。
旅をすると、たくさんの人と出逢い、自分よりももっともっと苦しい状況の中で歯をくいしばりがんばって生きている人に数多く出逢いました。
旅の経験や、すばらしい出逢いが作品の源となり、須永自身の生きる力にもなっています。
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高知県の旅

2015年12月06日 | 須永博士の人生
午後9時半、小国町に帰ってきました。

昨日は、高知市内から約60キロの、仁淀川町立仁淀中学校さんで講演会を行いました。講演会は、須永博士もものすごく力を込めた、いい講演会になったと思います(*^^*)
59名の全校生徒の皆さんが講演後感想文を書いてくださり、その事も含めて、また紹介したいと思います。





須永博士も、講演会中ステージの上から皆さんのお顔がよく見えて、皆さんの真剣に聞いてくださる瞳に、だんだんと熱が入ってきたそうです(*^-^*)

片付けが終わり、昨日は約2時間かかって、桂浜に着きました。坂本龍馬記念館のすぐ横にある、国民宿舎 桂浜荘に宿泊しました。

昨日の到着時刻は真っ暗で窓の向こうは見えなかったですが、明るくなって来ると、海と高知市内の町並みが見えてきて、感動!





出発前に、桂浜に行って、写真を撮ってきました。



まだまだたくさんの写真を撮ったので、また紹介しますね(*^O^*)
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生きるって・・・

2014年12月02日 | 須永博士の人生

今朝の須永博士との電話での会話です。

「生きるってなんなんだろうね。」

この歳になって、これまでたくさんの人と出逢って詩を書かせてもらってきたけれど、多くの悩む人から聞いた言葉が「大切な人に心配かけちゃいけない」と、自分の心に抱えている悩みや苦しみを誰にも話せずにいる人がいる。

通りすがりに出逢った須永博士に心の内を話し、心の叫びが「詩」という目に見える文字となって現れることで、本当の自分の心に気付き、勇気をだして一歩が出せた人もいる。

今この瞬間も、誰にも言えない事と闘い、がんばっている人がいて、でも、もうがんばれないという人もいて・・・

“「生きる」ってことの意味は、その人にしか分からないものがあるんだよね。

つらいことや、挫折や、失敗があった時、どうそれをバネにしてゆけるか、明るいことや元気が出ることや、自分の好きなことに出逢って気持ちを切り替えてもう一度挑戦しようと思えるか

目の前が真っ暗闇のトンネルに入ってしまったような気持ちになる時もあるけれど、その先に晴れ渡った外の世界があると思って、ゆっくりでもいいから前に進めるか

まわりに、1人でもいいから、心から話せる人がいるといい

自分はひとりじゃないと思えてくれたらいい”

そんなことを話していました。須永博士自身も、21歳の時に自ら命を終わりにしようとした経験があり、「自分はひとりぼっちだ」と、誰も自分を分かってくれる人がいないと絶望したその時に気付いたことが

「助けてくれるのは“自分”

自分の事を分かってくれるのも“自分”

“自分の力で、この弱い自分を絶対に強い人間に作ってみせる”」

ということだそうです。

このことが無ければ、今の須永博士は存在していなかったかもしれない。

それから、72歳になった現在も、自分に言い聞かせ、励まし、挑んでいることが

「自分でやれ」

という事だそうです。もちろん、自分ひとりでは生きてゆけないことも分かった上で、その中で決断するのは自分、実行するのも自分、という自分との闘いを続けているという意味です。

先日お伺いした大阪の西成高校の皆さんに書いた詩にも、青春の今を生きる皆さんに、須永博士が魂込めて詩を書きました。

「やれないことを

やるためには

努力もいる

我慢もいる

辛抱もいる

それをやりながら

少しずつ少しずつ

自分の夢に

願望に近づいてゆく

やりとげてゆく

西成高校のあなた

ゆっくりでいい

一歩一歩でいい

やれなくてもいい

しかし自分を幸せにするために

生きている今を

そしていのちを大切にして

人生に挑戦して下さい

あなたなら

やれます

須永博士 旅の詩人

2014年11月20日

大阪府立西成高等学校生徒のあなたへ」

そしてもう一枚

「挫折せよ

失敗せよ

絶望せよ

人間そこから這いあがってゆけ

最強の人間になれ」


先日の、西成高校さんでの講演会の様子を、少しづつ文章を足しています。

大阪府立西成高校さんでの講演会

皆様の人生が、すばらしいものになりますよう、この場所から応援しています。
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須永博士の人生

2014年05月21日 | 須永博士の人生
小学生の頃の須永博士

中学生の須永博士

高校生の須永博士

高校卒業から就職へ

20歳の須永博士

誰も助けてくれない

行けるところまで

大きな壁

絵の基礎を学ぶ日々

東京写真専門学校へ

夢実現へ


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須永博士からのfax

2014年04月11日 | 須永博士の人生
先日、ふと須永博士に聞いてみました。

「“詩”の魅力とは・・・って聞かれたら、何でしょうか・・・。」と。

須永博士自身、これまで書き綴ってきた詩というものは、出逢う人の人生や挑戦を、目に見えない心・魂の声を「文字」にしたもの
が「詩」という目に見える形に表したものなんだろうな・・・と私なりに分析をしてみました。

その、誰かの人生を詩に表したものが、同じような想いを持っている人の心・魂が共感をして、感動したり、元気をもらえたり、「頑張ろう」と思えたり…

実際に、須永博士はどのような思いで、これまで「詩人の人生」を歩いてきたのだろうか・・・。

電話で聞いてみたら、「ちょっと待っててね!」と、それからすぐにfaxが流れてきました。

「詩とは

心からこみあげてくる“喜怒哀楽”の

感情を文章でかいてゆくことです」

「詩の魅力とは

言葉の中に

生命力の

感情を入れることで

“生きる力”を

与えることができます」


そして、須永博士が詩を書くときに一番大切にしていることは、

「その詩を読んだ人に

生きる力

生きる支え

生きる感動

を与えられることを心がけて作っている」



との答えが返ってきました。

須永博士自身も、行けるところまで←こちらの記事で書かせてもらいましたように、人生の中で一番つらい時に涙がこぼれ、心が震え、生きる力を与えてもらった石川啄木さんや高村光太郎さんという詩人の詩との出逢いがあったように、自分の書いた詩で、誰かに生きる力を与えることができるならば・・・と今も思い続け、この人生を続けています。

「この道しかなかった」と言いますが、この道があったから、弱かった自分をここまで生きてこさせてもらった、生かされてきた・・・。それが、須永博士です。

私も、須永博士のスタッフとして、1996年4月6日に小国に来ました。それからもう18年、須永博士のそばでたくさんの方々との出逢いを一緒にさせていただき、その中で、まだまだここでも紹介出来ていない感動の出逢い、詩があります。

ひとつひとつが勉強で、今も須永博士からも、出逢う方々からも教わることばかりです。

うまく言葉にできない感情を、須永博士の詩の中で「そうそう、今、こんな気持ちなんだ!」と自分の想いに近い詩を見つけて涙したり笑ったり、「うん!そうだよね、がんばろう!」と励まされたりする毎日です。

「ひとつの言葉で 人は強く生きられる」

女子ソフトボール ピッチャー 上野由岐子さんが須永博士の詩を支えにしていると言っていただいた時にも

「たくさんの詩があるけれど、私はこの詩があればいい」とおっしゃっていました。

人との出逢い、詩との出逢い、その人それぞれの「出逢い」を大切に、生きている今、この瞬間瞬間を輝かせて生きていってほしいと心の底から願っている須永博士です。





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詩人 須永博士

2013年09月29日 | 須永博士の人生
来月からの講演、展覧会に向けて須永博士も体のメンテナンスや原稿の準備、いろいろと東京でしています。

そんな中、先日健康診断に近くの病院へ行ってきたそうです。

須永博士は、常に「誰かを想い」生きていて、こういう状況の時にはどんな言葉を書いてあげたらいいだろうか。こんな時にはどういう言葉が元気づけられるだろうか・・・を24時間体制で考えているといつも言っています。

ふと、言葉が浮かぶことが多く、その時にあふれ出てきたものを書き留めるための紙とペンはいつも持ち歩くようにしています。

こんな出逢いの話を聞いたので、紹介します。



この日も、スケッチブックとペンを持って病院に行ったそうです。

待っている間、“病院へ来る時の気持ち”“病気になった時の気持ち”“元気になりたい気持ち”・・・スケッチブックに書いていると、

「何を書いているんですか?」と隣にいた女性が声をかけてきました。

「私は詩を書いている人間で、こうして頭に浮かんできた言葉を書いているんですよ。」と、そのスケッチブックをみせました。

すると、涙を流されて、「この紙、いただけませんか?」と1編の詩をさしたそうです。

その詩は

「どんなに

つらい人生でも

今日を

“夢をめざして生きる”

“楽しく生きる”

“やるべきことを

やって生きる”

それが

わたしの人生です」

という詩でした。

「どうぞ、いいですよ。」と、スケッチブックから切り離して渡すと、

女性の横に、その方のお母さんが座っていて、驚かれました。

「娘は、心の病で、この2年間自分から誰かに話しかけるなんてことをしたことが無かったんです。」

と。

その女性も

「なんで今、声が出たのか、私も分かりません。」

とおっしゃったそうです。

なんだか分からないけど、声が出た。話しかけた。というような感じだったそうですが、私もこの話を聞いて、「良かったなぁ。」と、その一言を思いました。

須永博士が詩人として生きてきた道というのは、こういう出逢いのためなんだろうと。

一瞬の、たった一日の、たったひとつの出逢いで、ほんの少しでも前に進むことができることがあるんですよね。

須永博士もこの日の健診と、この出逢いで「もう一度本気で詩人の道を生きる」と誓ったそうです。

また、出逢いに感謝です。

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2月11日(^^)

2013年02月11日 | 須永博士の人生
今日は、建国記念日、そして、須永博士の71歳の誕生日でもあります

今年もまた、元気で、皆様に出逢えますように、

私たちもサポートしてゆきたいと思います





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須永博士24歳のノート

2012年08月23日 | 須永博士の人生
ここ数日、来年のカレンダー制作に没頭しています。

毎年、取り掛かり始めるのは5月ごろからで・・・いよいよ本格的に集中しはじめるのは今頃です。

夏休みも終わりに近づき、「さぁ、気持ちをきりかえよう!」と自分でも意識を変えて、須永博士から届いている原稿を思い切りひろげて・・・

1月から12月まで、たった12枚を選ぶのですが、ここからが悩むところ・・・。

同じような、似たような表現の詩が重ならないように、強い詩ばかりでなく、優しい詩ばかりでなく・・・

1年間を通して、気持ちが元気な時もあれば、ちょっとゆっくりしたい時もあるだろう。

さぁ、いまここががんばり時と気合いを入れたい時もあるだろう。

だれでも、去年とも今年とも違う「来年」を過ごしていることを想像しながら、皆さんが使って、「良かった」と思ってもらえるように・・・と、

頭をフル回転させながら、これまで出逢ってきた方々や、このカレンダーを使ってくださる方々のことを想いながら編集作業をしています。

須永博士から届く原稿は「素材」と言えば軽くなりますが、その素材を完成品にする重大な任務(大げさ)を、楽しみながらもがんばります

そんな中で、息抜きも必要

今日は、棚に目を向けると、須永博士から預かっているノートがありました。
以前も紹介したことが何度もありますね。

2010年

2009年

2008年

年に一度は、紹介していたみたい・・・。

で、今日も午前中にお客様からお電話があり、その方の人生をお聞きしたあとに開いたこのノート、「ぜひお見せしたいなぁ」と思うようなことがいっぱい書かれてありました。

わたしの気になった部分を紹介しますね。



「人生は 片道切符

そのとき そのとき

どのようなことが あろうとも

それは 人生のいち課程

それは 人生のおもいで」

「あるがまま なるがままうけいれるということも

たいせつではないのでしょうか」

 思いついた言葉をかいてあるページが多い中、日記のようなページがありました。

「今日は朝から秋晴れの良い天気であった。10月1日。

もう今年も3ヶ月である。今年1年こそ、何かを残さねばと思いながらも早終わり近く。

人間とはこのように、やらねば、やらねばと思いながら終わってしまうものかもしれない。

でも今の自分には、たとえはてるとも、何かをのこしてからでなくてはならない。

それには強い忍耐と努力がいるようだ。

自分の目的がはっきりしないから、いつまでもまよっている事になるのだ。

まず やってみることだと思う。」

そしてそのあと、箇条書きが続いています。

○たとえどんな人でも 自分の道をまっとうして生きている人は偉く美しい

○友をうらぎってはならぬ

○目的を持ってそれをなしとげるために努力する。そうすれば結果は出る。

○苦しむ事は 人間の進歩への道

○自分に欠点があると、欠点のある人に思いやりの気持ちが出てくるのではないでしょうか。

○人間いつも上手に行っているとはかぎりません。
あるときは嵐のときもあります。あるときはなぎのときもあります。
自分で上手につかんでのる事だと思います。

○豊かな心と 思いやりのある心

○物事には波というものがあります。
調子のよいときも 調子の悪いときもあります。
もし ここぞと思うとき、チャンスと思うとき、自分の全力をだせるように
準備し、努力しておく。

筆跡が変わったりしているので、同じ日に書いたものではなく、思いついたときに思いついたことを書いたような感じです。

次の日付けは、11月27日です。

○まず自分ができるだけのことをやってみること

○自分に自信を何かもつこと

○いつも冷静であること

○自分にはこれが出来るんだという何かをもつこと、そしてその中から自分の個性とか・・・をもつこと

○いつも冷静であれ

どんなときにも自分をみうしなうことなく、自分を大切にすること


このノートの言葉、もっと紹介したいけれど、今日はこのあたりで・・・。

このノートの最後に走り書きされている言葉で、またいつかの続きにします。

「自分にすなおに生きる事

むやみやたらに自分の事をひとに話さないこと

もし言うときは要点だけを・・・

心よりでるすなおな誠意

なすべきときなし

他は努力し 準備する

冷静に かつ 冷静に

自分に精いっぱい生きよう

若いときは二度とない

思うまま

悔いのないように・・・

無理をせず

自然に 自然に・・・」





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須永博士70歳まであと1ヶ月

2012年01月11日 | 須永博士の人生


「これが わたしの道ならば

人生ならば

逃げることはない

大きな心で

大きな力で

大きな愛で

生きてゆきます

一日一日を大切に

一瞬一瞬を大切に

生きてゆきます」


2012年カレンダー1月の詩です

今日は1月11日、1が並んでるなぁとカレンダーをみて、「あ、そうそう、あと1ヶ月で須永博士の誕生日だ・・・。70歳になるのかぁ・・・」と思いながら、

70歳ってお祝いがあるんじゃなかったような・・・とインターネットで調べてみたら

「70歳は古稀祝」とありました

何かお祝いしなくちゃって、読み進めると、

「数えの70歳」と

え、じゃぁ、69歳が古稀祝だったんだ・・・

昨年の2月11日は・・・

カメリヤ企画様主催の講演会をしていました。

講演の様子を書いた記事←を見て思い出しました

そうそう、大きなバースディケーキを準備して下さっていて、みなさんにお祝いしてもらいました。

あらためまして、カメリヤ企画の皆様、ありがとうございました

あれからもうすぐ1年・・・

この1年、いろいろありましたね。

2月11日の69歳誕生日からちょうど1ヵ月後に東日本を襲った大地震と巨大津波

まだまだ爪あとは大きく、穏やかな生活を取り戻すために一生懸命がんばっている方々に自分達が何が出来るのだろう・・・と考える毎日です。

須永博士も、詩人としてできること・・・と、今もたくさんたくさん詩を書いているそうです。

春出版を目指して、「負けやしない わたしは 生きる」の制作にも取り掛かっています。

まだまだ元気な須永博士をこれからお楽しみに・・・。
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追記(^-^)

2011年12月12日 | 須永博士の人生
そうそう、もうひとつ言ってました(^o^;

これは、全ての人に通じるとかじゃなくて、須永博士が今まで生きてきた人生で学んだことです(^-^)


「生きていると

つらいことや、納得できないことが起きる

その時こそ、得るものが大きい」

これは、須永博士自身が思った経験談です。


決して、穏やかななだらかな、安定した人生ではない須永博士が今まで生きてこられたのは、やっぱり「人のために」生きてきたからなのだろう……

近くで見てきたわたしは思います(^-^)


明日も、皆様にとって、すばらしい1日になりますように……p(^^)q
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須永博士外国の旅

2011年10月09日 | 須永博士の人生
10月4日の人間のこころの記事のなかで、なかむらえりさんから

「須永先生は、色んな外国を旅していると本に載ってますが、その当時どんな目的があって外国に行かれたのでしょうか」

との質問メールがあり、翌日私も聞いてみたくて須永博士に質問FAXをしました。

それから半日・・・
返答FAXが届きました



FAX7枚にもわたって・・・。

書かれてあったことを紹介します。

「27歳で銀座で個展をして、成功して、すぐ上野アブアブ(ABAB)へ行って、2階の柱まわり1本に作品を飾って、

テーブルはダンボールの箱を足でおさえて絵をかいていると

たくさんの人が集まって、そして係の人が「いつでもやってください」といわれるとオートバイで行って展覧会をして・・・」

わかりやすく説明いたします

初めての銀座での展覧会は、須永博士の人生カテゴリーの夢実現へに書かれてあります。

詩人・絵描きを目指し始めたころ、銀座三愛みゆき店というデパートで、須永自身が「ここで展覧会をさせてください」と交渉して実現した展覧会です。

そのあと、この展覧会が大成功に終わり、担当の前田さんの紹介で全国にある三愛さんのお店を作品を持ってまわりました。
新宿、川崎、函館、札幌、北九州、神戸、金沢・・・。そして自分に自信がつき、池袋パルコ、上野ABABなど、自分から交渉に行き、開催してきました。

そのころは、ただひたすらがむしゃらに全国で展覧会を開催していました。

そして本題、外国へ行くきっかけです。

「30才か31才のとき、上野ABABの4階に旅行会社があって、パンフレットを見たら、その時“フリータイム7日間、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ディズニーランドの旅」というのがあって、

ひらめいて

よし!!ディズニーランドに行こう

と決めて、すぐ予約して行きました。

サンフランシスコ空港についた瞬間の喜びは今も忘れません。

そしてディズニーランドで「ディズニーさんは、昔貧乏で、いつも家にねずみがいて、それでミッキーマウスの絵をつくった」という話をきいて感動して

「よーし
まだまだやるぞ~~~」と感じて日本に帰り、池袋パルコ、新宿三愛などで個展をして、また旅費をつくって1年後くらいにパリのモンマルトルの丘、画家がたくさんいるとのパンフレットをみて行きました。

それからも、
「オランダの風車を見る」

「イタリアはナポリの港を見る」

「スペインはフラメンコを見る」

「メキシコは遺跡を見る」

「スイスはモンブランの山にのぼる」

「カナダはバンクーバーの秋の街を見る」

「ドイツはハイデルベルクの美しい景色を見る」

と、その国へ行く目的を決めて行きました。」

と書かれてありました。

読んでいて、なんとなく私が思っていた通り、きっかけは単純なこと、直感的なことでした。

「行きたい!」

「知りたい!」と思ったら、それをずっと考えているよりも動いてみた方が早いんだなぁ・・・と

その先の結果や得るものは、自分で感じるものですからね・・・。

須永博士は、こうしていろいろな国へ自分の判断・決断で行き、経験を積み重ねた答えが

「やっぱり日本が一番

人・風土・生きかた・団結力・誇り

やっぱり日本がいいです。」

とありました。

そのFAXの中に、「日本の景色、たべもの、ビールが一番いいとわかった」とありました。

須永博士のエネルギー源のビールも、やっぱりドイツよりも日本の方が良いんでしょうか・・・。

どこが違うんだろう・・・?

なんて思っていたら、今日、長崎からよく来ていただいているお客様がつい最近ドイツ・スイスへ行ってこられたそうです。

ちょうど、ビール祭りの真っ最中だったそうです。

「ビール祭り

なんだか、話を聞いているとものすごいお祭りのようで、「写真でもいいから見てみたいです~~」と言うと、iphoneで撮った動画を見せて下さって・・・

すごい!!
仮設テントというけれど、規模がすごい!人も多いっっ

民族衣装をきた店員さんも、お客さんもなんだかいい雰囲気で楽しそう~~!

しかも、ビールジョッキは1リットルのものしかないそうです

ドイツ ビール祭りで検索してみたら、画像もたくさんあり、

オクトーバーフェスト日本オフィシャルサイトなんていうページを発見しました

本場ドイツのこのお祭りが日本国内でも開催されているなんて初めて知りました

すごいなぁ・・・世界はやっぱり広いわぁ。

知らないことも、たくさんたくさんある・・・。

人が興味を持つ事も、学びたいと思うことも、やっぱり人それぞれで、動機はほんの小さなことでも良いから、

「行ってみたい」

「見てみたい」

「知りたい」

「挑戦してみたい」

と思ったらまず動いてみることが大切に思いました。

長崎のお客様は、いつもいろんなところを旅行されていて、いろんな国のお話しを聞かせてくれます。

日本国内も小さな島まで本当にたくさん行っていて、いろんなことをご自身の生きる糧にされています。

ふと、「福岡のお客様で、福祉のお仕事をされているんですが、スウェーデンに行きたいと思っているそうなんですよ。」
と言うと、

「あぁ、スウェーデンは福祉や介護の先進国だもんね。
きっと行ってみたら、“行かなきゃ良かった”という気持ちには絶対にならないと思うよ。

また行ってみたい。もっと知りたい。って思うだろうな。

得るものは必ずあるよね。」

との返事が返ってきました。さすが

やっぱり、やったことのある人に話を聞いた方がいいっ
と実感したのでした。

人生の先輩方に学ぶことはたくさんたくさんありますね・・・

私も、この記事を書きながら・・・

いろいろな経験をして、子どもたちに教えてあげられる人になりたいと思いました。

地図や、本を見ていても感じることのできない空気・風・見るものすべての感動を味わうのも自分の気持ち次第ですね。
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心の父

2011年06月16日 | 須永博士の人生
須永博士の人生については、カテゴリーの須永博士の人生でいろいろと紹介しています。

小学生のころ

中学生のころ

高校生のころ

高校卒業→就職

20歳のころ

誰も助けてくれない

行けるところまで

大きな壁

絵の基礎を学ぶ日々

東京写真専門学校へ

夢実現へ

「夢実現へ」のタイトルで書いたころです。

銀座三愛さんで、定期的に展覧会を開催し、新宿の三愛さんでは常設展示になったり、上野のABABさんでも、展覧会を開催したり常設で販売コーナーを設けて下さっていたりして、

全国の三愛さんグループの店舗店長さんが集まる展示会があり、その時に須永博士が展覧会も開催して、それを見た全国の三愛さんから「来ていただけますか?」と声をかけていただき、九州や川崎、金沢、神戸などへ行くことができたそうです。

32歳の時、函館の棒二森屋さんというデパートの中にある三愛さんのお店の前で展覧会をすることになり、この時に出逢ったのが、ボーニストアさんで当時部長さんをしていた岸部さんだそうです。

上野発の夜行列車に乗り・・・

青森駅から青函連絡船にのり、4時間かけて着いた場所、そこが函館でした。

港に着いた時、北海道に誰ひとりとして知っている人は無く、自分を試すかのような想いで向かった展覧会場となるデパート

展覧会は、とてもにぎやかでたくさんのお客様が来て下さったそうです。

展覧会の様子を見ていた岸部さんが

「これからあなたを応援します。」と声をかけてくださり、そして連れていってくれた場所が大森浜でした。

ここで、

「石川啄木は生涯2冊の詩集をこの世に残した。

須永さんは、3冊作ってくれ。応援する。」

と言ってくださったそうです。

5月14日にお会いした時、この話を2人でしていました。

「確かに岸部さんはそう言ってくれましたよね。」と須永博士。

「うん。ずっと覚えてくれているね。」と岸部さん。

今では60冊以上となった須永博士の詩集。総発行部数は50万冊を越えています。

その原点、パワーの源になっていたのは、岸部さんとの約束だったんですね。

それから20年近く、一年に2度3度と呼んでくださり、詩人として育てていってくれた函館の地、函館の人々、

「ちゃんと食べたか?」

「大丈夫か?」

と、須永博士を心配し、宿泊費を出してくださり、北海道各地(札幌、釧路など)のダイエーさんやボーニストアさんでサイン会をしたり、北海道を旅する旅費をくださったそうです。

岸部さんのその心にあるのは、「詩人」になる為の人生経験の旅をして、また函館に来る時、ひとつ成長した須永博士に会うことを楽しみにしていることでした。

「須永さんは、来るたびに必ずテーマを持ってきてくれたんだよ。定期的に函館へ来る中で、クリスマス、バレンタイン、母の日・・・とね。

成長していく詩人だからね、須永さんは。」

と教えてくれました。そう思ってくださるからこそ長年北海道へ呼んで下さり、ここまで力を貸してくださったんだ・・・と、スタッフとしても、感謝してもしきれないほどの思いでした。

岸部さんのセッティングで、三味線日本一の人の前で詩を書くという事もしたそうです。

今年3月19日に、鹿児島指宿で、山川ツマベニ少年太鼓の皆さんの演奏の前で詩を書いたことを話すと、それも「ほぉ~~」と喜んでくださいました。

今回の講演会も、最後まで聴いていただき、

これまでの須永博士が真っ直ぐに詩人の道を歩んで来たこと

69歳になってもなお、旅を続け、詩を書き、人のために生きている姿を、

須永博士という詩人を育てて下さった人に見届けてもらえた感動がありました。

講演後、「今、息子が店をしているから、良かったらここへおいで」といただいた名刺に書いてあったお店へ行き、そこでお会いして楽しい時間を過ごさせていただきました。

有限会社GAT'S

2店舗あり、須永博士の好みで和風のお店備後屋さんへ行きました。

(洋風のお店、Sleekさんへ、次回は行ってみたいな・・・)


美味しいお料理をいただきながら、久しぶりの再会をした岸部さんと須永博士の楽しい会話を聞き、

絵描きになろう 詩人になろう

と努力していた30歳代の須永博士を温かい目で、大きな心で見守り支えてくださっていた岸部さんから、私たちスタッフに伝言がありました。

「この詩人の周りで仕事として支えていくことは、きっと大変だと思うけれど、

この自由さ、大胆さ、それと“目の前の人に無償の想いで詩を書いてあげたい”という須永博士の生きかたを生涯続けさせてほしい。

多くの事の中で、成功も失敗もあるだろうけれど、

人は、とにかく何でも経験することだ。

とりあえず全て受け止め、吸収して

そのあとに自分に必要のないものは取り払えばいいのだから。

須永さんは、そうして今の須永さんに成長してきている。」

というようなことを話して下さいました。

きっと、函館に来るたびに岸部さんにこうして人生を教わってきたんだろうな・・・

これ以外にも、うまく文章にできませんが、たくさんたくさん素敵なことを教えて下さいました。

間違いなく、須永博士が詩人として今があるのは、この方がいたからだ、と思いました。


・・・続く・・・
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須永博士の父

2011年06月16日 | 須永博士の人生
須永博士の本当の父親・・・

須永博士が20歳の時に、50歳で亡くなっています。

その父は、今自分の息子が、このような詩人になっている事は天国から見守っていると思いますが・・・

須永博士は話します。

「父とは、笑って会話をしたことは一度もない。

写真屋をしていたが、私生活では家にいるような父では無かった。

お酒を飲んで大声だしたり、母に怒鳴ったりしている姿が、とても嫌だった。」


20歳の時、一瞬で倒れ、お別れをした父に対する思いは・・・

「これで、憎まなくていいんだ。」



これを聞いた時、私は胸がはちきれそうでした

自分の父親に対して、このような感情を持たなければならなかったんだ・・・と。


ひとりっこだったから、家でけんかしたり遊んだりする兄弟姉妹もなく、母と二人の生活

学校でのことを話す時間もほとんど無かったそうです。

そんな須永博士が、社会に出て、挫折を味わい、絶望を感じ、

そのなかで自分自身で見つけた夢

「絵描きになる

詩人になる」



それから今日まで、この道ひとすじ

ひたすら旅を続け、出逢う人に元気が出るような詩を書き、

自分自身も出逢う人にたくさんのことを教えてもらい、

強い自分、負けない自分になろうと努力し続けています。

私が須永博士のアシスタント、スタッフとして旅につかせてもらうようになったのは、1996年4月からです。

知っている詩人・須永博士は、常に前向きで、展覧会では次々と詩があふれ出すように書き、講演会でも自信を持ってステージに立ち、旅の話を多くの方に語っていました。

それから15年。

「詩人」をめざしていた頃の須永博士の原点とも言える方に、北海道函館でお会いすることができました


以前、湯布院で偶然出逢った福岡のNさんのことを書いたときにもイニシャルで登場した方です



2010年3月10日の記事

↑で書いた「北のKさん、南のNさん」

の、北のKさん、岸部さんです

須永博士が初めて北海道の地へ足を踏み入れ、そして展覧会をしたのが函館駅前の棒ニ森屋さんというデパートです。

そこで部長さんをされていたのが、岸部さんでした。

この方がいたからこそ、今の詩人・須永博士が存在するんだと、今回はっきりわかりました。





講演当日、須永博士は会えるとは思っておりませんでしたが、ステージの上で書いていた言葉の中には、しっかりと想いが込められていました。
以前も紹介しましたが、もう一度紹介させてください。

「2011年5月14日(土曜日)

北海道看護協会 道南南支部様主催、

須永博士 旅の詩人の講演会

演題「優しいこころ」を

いまからはじめさせて頂きます。


絶望、対人恐怖症

ひとりぼっちの青春から

ひとり、

“詩人”と“絵描き”の

人生をめざして 旅をはじめました。

北の旅でたどりついたところが

「函館」でした。

青森から

青函連絡船で4時間、

函館山がありました。

美しい夜景がありました。

優しい人達が生きていました。

助けてもらいました。

泊めてもらいました。

旅の旅費を頂きました。

いま“詩人”をめざして47年目、

この世に生きて69年目、

なつかしい

心のふるさと

「函館」へもどってきました。

帰ってきました。

いまから

旅で出逢った

感動、涙、笑いのはなしを

語りつくします。


はじめます。」


“助けてもらいました。

泊めてもらいました。

旅の旅費を頂きました。”


その人が、岸部さんだったのです。


講演直前、会場に来てくださった岸部さんと、須永博士が会う瞬間を見ることができました。

それは、成長した息子に会いにきた父と、父に「こんなに大きくなりました」と、誇らしげに胸を張る息子の姿のようでした。

「岸部部長、まず講演会場を見て!  こんなステージになっちゃったよ!」

子どものように嬉しそうに、話すよりも何よりも会場へ案内していました。

それをニコニコ微笑みながら歩く岸部さん。

「おお!!」

と一言いい、「じゃ、また講演が終わってからな。」と、席に着かれました。

・・・続く・・・。
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須永博士より 新年のご挨拶(^^)♪

2011年01月11日 | 須永博士の人生


先ほど、須永博士東京ギャラリー(東京都江東区)から写真が送られてきました

昨日、須永博士が、ホームページ、このブログをご覧の全国の皆様へのメッセージを持って来たそうです

「2011年 迎春

さあ 新しい 一年の始まりです

旅立ちです

今まで 人生

色々な出会い

挑戦 挫折がありましたが

さあ またいまから

“心機一転”

本気で

本格的始動のときです

一年です


大切なファンのあなたへ

いつもありがとうございます。

心から感謝です。

須永博士 旅の詩人

2011年1月10日

東京ギャラリーにて」



とても元気そうな須永博士ですね!!

良かった・・・

ちょうど1ヶ月後の2月11日に六十九歳の誕生日を迎えます。


今年も、各地から様々なご依頼をいただいております。
かわらず、全力で旅を続けていけそうですね


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