須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

【須永博士 運転免許証返納前と後の気持ち】

2021年02月07日 | 須永博士の人生

2月5日、流れてきたファックスを読んで驚きました。

「運転免許証を返納してきた」とのこと。

おととし、高齢者講習を受けて、免許更新をしていました。

運転するのは、小国に来た時、町内か遠くて隣の玖珠町に画材などの買い物に行くのと温泉に入りに行くくらいで、展覧会や講演会の時には私か主人が運転して須永博士は助手席に乗って移動していました。

おととしまでは、年に3~4回小国に来ていましたし、滞在期間も長いこともあって、普通に運転していたのですが昨年は、2019年12月に東京に帰ってから1度も来ることが出来ず、東京では車の運転はしません。

昨年11月に小国に2週間ほど来た時も、ほぼ1年運転していない中で、ハンドルを持つのは危険すぎるから、買い物がある時や車で移動したい場所へ行く時には私が運転することを約束していました。

本人は、「大丈夫だろう」という気持ちもあったと思います。でも、その「大丈夫」が、一生の後悔に絶対にしてはいけないという気持ちもあり、

その約束を2週間、守りました。

それから3カ月。

5日にきたファックス

潔さを感じるのとともに、聞いてみたいことが出てきて、ファックスしてみました。

①2月11日に79歳の誕生日を迎える1週間前、免許証を返納しようと思った気持ちは?

②須永博士が最初に免許証を取得して、それから最初に自分の車を買ったのはいつ?

③その車で最初に行った場所は覚えていますか?

④いろんな思い出があると思いますが、車に乗って自分で旅をしている時の思い出は・・・?

 

そして、昨日2月6日朝、ファックスが届いていました。

 

スパっと、自分で決断して、「終わり」と、車の運転から卒業した須永博士。

須永博士らしいなぁ。だからこそ、また「はじまり」があるのも、また須永博士の生き方から学びます。

 

ファックスの中に、「50歳で糖尿病」とありますが、30代から50代、展覧会で1年中日本各地を飛び回り、走り抜け、

展覧会の期間中(だいたい1ヶ所の展覧会で1週間から2週間ほど)は朝食後、会場へ行き、一人一人の人と向き合い詩を書き、昼も夜も食事をとらずに、夜8時過ぎに展覧会を終えて大好きなビールを飲みながらお腹いっぱい大好きなお刺身や焼き魚、ラーメンを食べる。それが明日への活力!!

そんな日常がず~~っとず~~っと続いていたようです。

さらに、講演会の時は、講演前には食事を摂らない須永博士。全身全霊で、自分の生きてきた人生や出逢いを語るには、お腹の中に食べものを入れたくない。なので、講演が続いていた時も、食事は本当に不規則で偏ったものになっていました。

ちょうど50歳の時、小国にアトリエを作り、それまでほとんど受けたことのなかった健康診断を受け、思いっきり「糖尿病」であることが判明!

一緒に旅を始めていた私から見たら「そりゃぁ、そうでしょう」という食生活でした。

それからは、なるべく3食バランスよく食べるように、そしてビールも控えめに・・・が理想ですけれど・・・

いやぁ、難しかったですね。

糖尿病講習を受けるように勧められましたが、「しょうこ、行ってきて」と。

その講習通りに食事を作ったって、それで足りるはずもなく、さらに甘いものが大好き。ビールだってやめられるはずもない。

それが20年続きましたね。

その須永博士が、今から8年前、70歳の時にパタッとビールを飲むのをやめました。

「卒酒」です。

この時も、60歳ごろからだんだんと、それまでの身体との変化を感じ始めて、気持ちは元気なのに、身体が、それまで1日で取れていた疲れが3日、1週間、10日間かかる・・・

そういう事も感じ始め、「もう、講演会も展覧会も無理かな…」とつぶやくことが増えてきました。

きっと、出逢ってきた方々には、そんなことを感じることは無かったかと思います。

パワフルで、明るくて、元気な詩人。

でも、私生活に戻ると、体力の衰えを感じていて、弱気にもなってしまう。

詩を書くことはできる。まだまだ気力もある。でも体力が…

その自分の中での葛藤の中で出した答え、「ビールはもういい!」と、70歳の時に自分で出して、それからは本当に1滴も飲んでいないです。

「命あるかぎり、詩人としての人生を全うしたい」

そう自分で決めて、70歳からは食事にも気を使い、大好きだったビールを卒業した須永博士は、自分でも驚くくらい、朝の目覚めが良く、それまでビールを飲んだら元気になると思っていたけれど、翌日だるかった・・・それが、飲まなくなってから、1日を過ごすのがとても楽になってきて・・・

そんなこともあったんです。

今、79歳になって、以前のように日本全国を飛び回ることはできませんが、もう一度初心に帰って「詩人」としての集大成を作りたいと話している須永博士です。

それと、先日、これから作りたいという詩集のタイトルが届きました。

 




「生きている」

シンプルな言葉。

シンプルな言葉の中に込められた須永博士の想いを、これからいっぱい聞いてゆきながら、編集してゆきます!

 

「生きている今」だからこそできること

須永博士の心の底にあるものを、さっき電話がかかってきて話していました。

「私が詩を書く原点は、

生きることを、正当に、誠実にを主体にしている。

でもその、正しいってことが人それぞれある。

時に、周りから見たらそれは違うよ、やめたほうがいいよ

と言われることもあるだろう

周りに迷惑はかけたくないけれど、自分の思いや信念を、良いものは良い、悪いものは悪い

おもしろいものはおもしろい、おもしろくないものはおもしろくないと言いたい。」

 

と。

その話を聞きながら、いろんなことを思い浮かべたりしました。

「生きている」詩集製作の進行状況もまた、紹介してゆきますね。

 

 

 

 

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【須永博士 運転免許証返納の日】

2021年02月05日 | 須永博士の人生

2021年2月5日、15時過ぎにファックスが届きました。


須永博士が、自分の運転免許証を返納してきたとのことです。

車の運転が大好きで、若い時には「タクシーの運転手」になりたいという夢も持っていた須永博士。

詩人の道を歩んできましたが、全国各地へ自分の作品を車に積んで自分で展覧会場を作り、また片付けて次の町へ・・・

なんか、こう書いていたら、またまた須永博士に質問したくなったのでいくつか聞いてみます。

昨年5月に皆様に「須永博士が描いていた将来の夢」クイズの答えファックス

 

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須永博士クイズ - 須永博士美術館スタッフブログ

今日は、須永博士クイズです😊この絵は、須永博士が24歳の時に描いたものです。この絵を描く前、須永博士が高校を卒業し...

須永博士クイズ - 須永博士美術館スタッフブログ

 

 

 

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クイズの答え発表! - 須永博士美術館スタッフブログ

クイズにお付き合いくださってありがとうございます須永博士が高校を卒業したころの将来なりたかった職業とは・・・難しかったですかね答えは&nbs...

クイズの答え発表! - 須永博士美術館スタッフブログ

 

 

 



須永博士のハイエースの、何代目になるのかな?

絵をドアにプリントした車の最後の車とのお別れ(2008年2月)です。

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一緒の旅をありがとう - 須永博士美術館スタッフブログ

今朝、須永博士が小国を発ちました。天気予報では晴れでしたが、アトリエの前は雪がさらさらと降っていました。いよいよ東京に帰ったら、新しい詩集の...

一緒の旅をありがとう - 須永博士美術館スタッフブログ

 

 

この後は、私か主人が運転して全国を回っていましたので、須永博士が運転するのは小国に来た時、小国町内を動くときくらいでした。

 

では、また質問の返信がきましたら続きを書きます。

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須永博士のノート

2020年07月21日 | 須永博士の人生

片づけをする日々が続いています。

今日は、お店の中にある資料を置いてある部屋に雨水が入ってしまい、床が相当濡れてしまった場所を片付けていました。

床に置いてあった段ボールの中のもので処分しなくてはならないものもありますが、この場所は大半が無事でした。

床を乾燥させるには、棚ごと移動させなければならなくて・・・搬出に苦労しましたが、やっっっと半分くらい片付きました。

原稿、資料、データ、約20年分のものや、須永博士が東京から送ってきていた40~50年前の資料もあります。

今後も大切に、そして安全な場所で保管しておこうと思います。

 

 

昨日、須永博士から電話があり、

 

「誰もわかってくれない」という気持ちを持っていた時のことを話してくれました。

先日のブログ、

 

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表の笑顔の裏に - 須永博士美術館スタッフブログ

昨日須永博士から電話があり、この前の「須永博士が18歳~19歳のころに将来なりたかった職業」のことをクイズにした話から…東京の...

表の笑顔の裏に - 須永博士美術館スタッフブログ

 

 

にも書きましたが、

20歳のころの須永博士は

 

 

「顔は笑っていても心で泣いている時がある

 

つらいことがあれば、たまってゆく。

 

でも、表には出さないで生きていた。

 

だから、だれもそんなこと知らないよね。

 

死のうとまで思ったことも・・・

 

本人の人生と、周りが見ている自分の人生とは違うからね。

 

表を見てるのと、中身を知っているのと違うように。」

 

と、その時は聞きましたが、昨日の電話では、そのころ思っていたことを教えてくれました。

「あの頃の自分は、❝ 生きること ❞ を知りたかったんだ。

生きるって何なんだろう、

本当の生きることってどういうことなんだろう

それを誰かに教えてもらいたかった。

だけど、そういう人が誰もいなかった。

苦しかった。

でも、それは表には出さずに生きていた。

幼いころからの友達に会うこともあったが、その時には普通に明るい自分だったしね。

友達同士の話はしていたけれど・・・

 

きっと、今の若い人や子供たちも 真剣にどうやって生きていったらいいんだろうと考える時があると思う。

自分の生きて行くことを知りたいと悩むこともあるだろう。

そんな時に、想いを受け入れてくれる人、的確に指示してくれる人が近くにいてくれたらいいよね・・・」

と、自分自身に置き換えて話していました。

その話を聞いた翌日の今日

片付けていた中から、須永博士24歳のころのノートがありました。
















 

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須永博士の歴史を紐解く①

2020年06月26日 | 須永博士の人生

もう6月も終わりますね・・・

2020年の半分が過ぎようとしています。

今年に入ってから、新型コロナウィルス感染症が全世界に広まり、これまで当たり前のようにできていたことからガラッと生活が変わり・・・須永博士美術館も4月10日から5月31日まで臨時休館しておりました。

4~5月、娘たちの通う高校は週に1日の登校日のみで、ほかの日は家庭学習。部活も無い日々が続いていました。

6月1日から学校が再開し、お弁当も始まり、部活もスタート!

高校でもホッケーする!と楽しみにしていた今年入学した娘も、3年生の姉と一緒にできる残りわずかな部活動に汗を流しています。

須永博士美術館も、館内の見学をお休みしていた間は

http://sunagahiroshi.cart.fc2.com/

↑須永博士美術館WEBショップ


からのご注文受付のみでしたが、館内の見学&お買い物も再開しています。

ですが、今日現在も平日はとってもゆっくりと静かです。

時間がたっぷりあるので、今、須永博士の資料を集めたり直接須永博士に質問してこれまでの人生を聞き直したりして、「須永博士の歴史」をまとめているところです。

これまで知っていたようで知らなかったこと、驚くようなこと、感動することがあり、できれば書籍にできるといいなぁとも思っています。

 

今のうちに、聞きたいことは聞いてこうと思いますので、皆様もご質問、聞いてみたいことがありましたら須永博士美術館へご連絡ください。

sunaga-h-b★hello.odn.ne.jp

 

「須永博士の人生」のブログ記事一覧-須永博士美術館スタッフブログ

↑こちらに、須永博士の人生も書いています。

昭和17年 (1942年)2月11日に生まれた須永博士、両親の元、一人っ子で育ちました。

「絵描きになりたい」「詩人になりたい」とこの道をめざし始めたのは21歳の時。

20歳の時に父親が脳出血で目の前で他界してから1年後のことでした。

「人って、こんな簡単に死んでしまうんだ」と、父親の死で感じたこと

18歳の時に就職した会社で、なんのとりえもない須永博士は会社で「お前は駄目だ」「役に立たない」と言われ続け、人に会うのも外に出るのもだんだんと怖くなり

 

「対人恐怖症」になってしまった。

 

逆境をはねかえす力も無かった須永博士は、1年半家に閉じこもり、することは絵を描くことと、本を読むこと。

その読んでいた本の中に、「詩集」があった。

その本のタイトルは「わが愛する詩人の伝記」

室生犀星(むろおそうせい)という詩人の著書なのですが、

「各詩人の人がらから潜って往って、詩を解くより外に私に方針はなかった。私はそのようにして書き、これに間違いないことを知った」。藤村、光太郎、暮鳥、白秋、朔太郎から釈迢空、千家元麿、百田宗治、堀辰雄、津村信夫、立原道造まで。親交のあった十一名の詩人の生身の姿と、その言葉に託した詩魂を優しく照射し、いまなお深く胸を打つ、毎日出版文化賞受賞の名作。」

と本の紹介にあるように、私でも名前を知っている詩人の方々が実際に生きていた時代のことで、室生犀星さんが訪ねて行ったり、出逢いの中から感じたことなども書かれてあって・・・

わたしもものすごく感動しました。

20~21歳のころの須永博士の心に、この本との出逢いはものすごく大きく響いたんですね。

「涙があふれてきて、生きる力が込み上げてきた」と言っていました。

こんなメッセージがあります。

このメッセージに書かれてある、

「人間の優しさ」を与えてもらったのは、絵描きと詩人をめざして旅をしていた須永博士の生きる力になりました。

 

http://sunagahiroshi.cart.fc2.com/ca2/15/p-r2-s/

「風に吹かれて」に、そのことも書かれています。

自分さがし、自分を強くしたい、その想いで旅に出た須永博士でしたが、旅の中で出逢う人に何度も助けられたことがありました。

また、続きを書きます。

須永博士の人生の中で一番つらかった時、それは18歳から22歳の時

その時のつらさ、絶望感、人間不信の想いをしたことが、今も心の中で詩を書くエネルギーになっていることは確かです。

 

 

 

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表の笑顔の裏に

2020年06月01日 | 須永博士の人生

昨日須永博士から電話があり、この前の「須永博士が18歳~19歳のころに将来なりたかった職業」のことをクイズにした話から…

東京の須永博士の資料室からいろいろと出してみて、自分の当時のことを振り返ったりする時間があったそうです。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

タクシーの運転手になりたいと思っていたころの自分…

対人恐怖症になってしまったのは、そのあとのことで、当時の自分ってどんなだったかなぁと思うと、本当の自分の性格は明るかったんだろうな。

だから、過去の友達は、自分が社会に出てつらいことがあって苦しんでいたとは想像もつかないだろう。

 

だけど、顔は笑っていても心で泣いている時がある

 

つらいことがあれば、たまってゆく。

 

でも、表には出さないで生きていた。

 

だから、だれもそんなこと知らないよね。

 

死のうとまで思ったことも・・・

 

本人の人生と、周りが見ている自分の人生とは違うからね。

 

表を見てるのと、中身を知っているのと違うように。

 

「詩人、絵描きで生きていく」と決めてからは、「自分の絵が世の中に認められるかな」と不安もあったけれど、近所の喫茶店に、勇気を出して「絵を飾らせてください。」とお願いして3枚の絵を飾らせてもらったんだ。

 

そうしたら、喫茶店のお客さんに「おもしろい絵だなぁ」と言ってもらえた。

 

うれしかったなぁ~~

 

そのあと、父の手伝いをしていた家業の写真屋の配達でカメラの修理で銀座ミノルタカメラへ行った帰り道、銀座三愛みゆき店の前を通るとポスターがあって水森亜土さんとやなせたかしさんの絵の展覧会をしていた。

水森亜土さんは終わっていて、その時はやなせたかしさんの絵が飾られてあった。

かわいい絵や詩がいっぱい飾ってあって、それをみて「僕もやりたいなぁ」と思った。

今でも、その時、26歳の須永博士の行動は生涯忘れられません。

 

売り場のカウンターへ行って、2~3人いた女性にドキドキする心臓から言葉を絞り出して・・・

 

「このやなせたかしさんの展覧会の場所は、どうしたらお貸りできるのですか?」

 

と。今思っても、このことが、今の自分の第一歩です。

 

女性が、「この場所にふさわしい、かわいい作品ならばお貸しします。担当者がいますので、電話をしてください。」と電話番号をもらいました。

 

家に帰り、担当者さんに電話をすると、「ぜひ作品を持ってきてください。」と言われ、1週間から10日後にそれまでに描いていた絵を持っていき、見せました。

 

「これはおもしろい、三愛のお店にふさわしい。

7月1日から10日まで、あのプペギャラリーをお貸ししましょう。」

 

当時3月で、そのあとのスケジュールが埋まっていたので空いている7月1日からの10日間というお返事をもらいました。

夢のような話です。

色紙に絵を描き(全部手書き)紙粘土でお面を作り、前の年に結婚した妻が、自分の絵をぬいぐるみにしてくれて、それを持って6月30日の夜、飾りに行きました。

担当の方が言いました。

 

「プライスカードをつけます。」と

 

え!自分の絵に値段が付くのか!?

 

「うちは営業でしていますから、1枚350円のプライスカードを付けます。」と。

 

自分の絵が売れるなんて思ってもなく、値段をつけてもらえることも信じられない思いでした。

 

翌日7月1日、展覧会スタート。その日も絵を描いていて、後から持っていこうと思っているとお昼頃 三愛さんから電話があり、

 

「作品が売れています。追加を持ってきてください。」と。

自分でも驚くほど、色紙を求めてくださる人がいて、ものすごい驚きと感動でした。

 

・・・・・・・・・・

 

須永博士からの電話とファックスで、当時のことを文面にしてみました。

 

やはり、最初の「顔で笑っていても 心で泣いている」

 

そのことが、今も須永博士の心の中には大きな大きなことであり、旅をしてきた中でも、苦しんでいる人にそっと言葉をかけてあげたい、詩を書いて、少しでも心が軽くなってくれたら、という思いがずっとあるんですね。

 

須永博士の20代のころの写真があります。

 

この笑顔の裏の心は・・・

また、この続きも書きます。

 

さぁ、今日は6月1日!

 

いよいよ須永博士美術館の館内見学も再開いたします。

午前10時に開館します。

感染拡大防止策をできる限りしながらの開館再開になりますが、お待ちしています!

 

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クイズの答え発表!

2020年05月25日 | 須永博士の人生

クイズにお付き合いくださってありがとうございます

須永博士が高校を卒業したころの将来なりたかった職業とは・・・難しかったですかね

答えは

 

「② タクシーの運転手」

 

でした!

 

須永博士から今朝届いたファックスから、その想いが伝わります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解者の方には(3名様が見事正解!!)後ほどご住所の確認連絡をさせていただきます。

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須永博士からのヒント

2020年05月25日 | 須永博士の人生

あと1時間半で正解を発表します😊✨ まだ、解答受け付けています😊


須永博士からのヒントが届きました😉 ○○(文字数は関係無し)に入る、須永博士の好きなものが答えです。


以下、5月23日にアップした須永博士クイズです😊


須永博士が高校を卒業した頃の18歳の、なりたかった職業は何でしょうか


①歌手→大サービス  歌手ではありません②〜⑤からお選びください。


②タクシーの運転手


③カメラマン


④酪農家


⑤陸上選手


答えは5月25日(月)

午前11時に

に発表します😊


須永博士美術館フェイスブック、インスタのメッセージから答えを募集します😊


正解の方には、今日アップした絵(5月23日にアップした絵)のポストカード、オリジナルボールペンをプレゼントします💓


発表前までの受付とさせていただきます😊


sunaga-h-b@hello.odn.ne.jp


または、須永博士美術館ファックス

0967-46-5847


でも受け付けます😊


#須永博士

#夢

#好きなことで生きてゆく





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須永博士クイズ

2020年05月24日 | 須永博士の人生

今日は、須永博士クイズです😊


この絵は、須永博士が24歳の時に描いたものです。







この絵を描く前、須永博士が高校を卒業した頃の18歳の、なりたかった職業は何でしょうか


①歌手→フェイスブックとインスタにも載せたところほとんどの方が①を選ばれたのですが、歌手ではありません😅

②〜⑤の中からお答えください😊


②タクシーの運転手


③カメラマン


④酪農家


⑤陸上選手


答えは5月25日(月)

午前11時に

発表します😊


須永博士美術館フェイスブック、インスタのメッセージから答えを募集します😊


正解の方には、今日アップした絵のポストカード、オリジナルボールペンをプレゼントします💓


発表前までの受付とさせていただきます😊


sunaga-h-b@hello.odn.ne.jp


または、須永博士美術館ファックス

0967-46-5847


でも受け付けます😊


正解の方には、プレゼント発送先のご住所を後ほど確認させていただきます😉

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須永博士の詩人としての人生の始まり

2017年03月19日 | 須永博士の人生
お墓参りに帰省されている方も多いでしょうか。

三連休ですね!

須永博士も、浅草にある父親のお墓参りに行ってきたでしょうか。

行ってないかなぁ。

というのも、須永博士にとっては、父親は良い存在では無かったそうです。

須永博士美術館においてある直筆のスクラップブックの中に、その人生が書かれてあります。
今日は特別に、アップします。

「誰か助けてくれ」と苦しんでいた青春時代、その苦しみは、まだまだここに書ききれないものがありますが、良かったらお読みください。

最後の方には、そのような人生を経験した須永博士が皆様に伝えたいことも書いてあります。























ぜひ、須永博士美術館へ来られた際には実際にこのスクラップブックをご自分でめくりながら読んでいただきたいです。

こうして写真でアップしましたが、須永博士が直筆で書いて自分で作ったものなので、実際の迫力というか伝わるものが違います😊💖
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須永博士とは・・・

2016年01月01日 | 須永博士の人生
須永博士 現在 74歳。
日本各地、世界各地を旅をしながら、出逢った人に詩を書き、勇気や希望、生きる力を与えています。
須永自身、生きる希望の持てない時期がありました。
それまで、「自分はダメだ」「何の役にもたたない人間だ」と思いながらも、なまぬるい中で、本気で生きることもせず、ただ惰性で生きていました。
高校卒業後、就職した会社で、生きてきた中で初めて、友達以外の人に会いました。みんな一生懸命に働いている。一生懸命に生きている。
それまで、あたたかい温泉にでも入っていたかの人生から、氷水を頭からかけられたような衝撃があるほどだった。
人生経験も足りず、仕事も上手くいかず、周りからも「お前はだめだなぁ」と言われ続ける日々。
ひとりっこだったので、相談する兄弟もいない。つらい、さみしい、ひとりぼっちの状態が続き、
これからどうしようと悩んでも、なにかを求めても、だれも助言をくれない。だれも助けてくれない。
絵を描くことは好きだったけど、「お前、そんなので世の中生きていかれるか」と親、親戚からも言われ・・・
生きていても意味がない。何もできない。と、絶望のどん底で、いのちを絶とうと、雨の鎌倉へいき、鏡に映るびしょぬれの醜い自分の姿をみて、
「俺の人生、何にもなかったな。だれも助けてくれなかったな・・・。」
とつぶやいた瞬間、心の底から湧き出てきた言葉があった。

「誰も助けてくれないぞ 助けてくれるとしたら、“自分自身”だ」

そうか、今まで、誰かに頼って生きてきた、だれか助けてくれないかな、誰かがなんとかしてくれないかな・・と。
よし、今から自分の手で、この弱い自分を、絶対 強い人間にしてみせる
そこから、自分への挑戦 人生の挑戦への旅が始まりました。
夢ができました。「日本一の絵描きになろう」「日本一の詩人になろう」と心に決めました。
自分のように、ひとりぼっちでさみしい思いをしているひとに、優しい気持ちで接していこう。絶対に、「なりたい自分」になる。と、旅をはじめました。
旅をすると、たくさんの人と出逢い、自分よりももっともっと苦しい状況の中で歯をくいしばりがんばって生きている人に数多く出逢いました。
旅の経験や、すばらしい出逢いが作品の源となり、須永自身の生きる力にもなっています。
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高知県の旅

2015年12月06日 | 須永博士の人生
午後9時半、小国町に帰ってきました。

昨日は、高知市内から約60キロの、仁淀川町立仁淀中学校さんで講演会を行いました。講演会は、須永博士もものすごく力を込めた、いい講演会になったと思います(*^^*)
59名の全校生徒の皆さんが講演後感想文を書いてくださり、その事も含めて、また紹介したいと思います。





須永博士も、講演会中ステージの上から皆さんのお顔がよく見えて、皆さんの真剣に聞いてくださる瞳に、だんだんと熱が入ってきたそうです(*^-^*)

片付けが終わり、昨日は約2時間かかって、桂浜に着きました。坂本龍馬記念館のすぐ横にある、国民宿舎 桂浜荘に宿泊しました。

昨日の到着時刻は真っ暗で窓の向こうは見えなかったですが、明るくなって来ると、海と高知市内の町並みが見えてきて、感動!





出発前に、桂浜に行って、写真を撮ってきました。



まだまだたくさんの写真を撮ったので、また紹介しますね(*^O^*)
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生きるって・・・

2014年12月02日 | 須永博士の人生

今朝の須永博士との電話での会話です。

「生きるってなんなんだろうね。」

この歳になって、これまでたくさんの人と出逢って詩を書かせてもらってきたけれど、多くの悩む人から聞いた言葉が「大切な人に心配かけちゃいけない」と、自分の心に抱えている悩みや苦しみを誰にも話せずにいる人がいる。

通りすがりに出逢った須永博士に心の内を話し、心の叫びが「詩」という目に見える文字となって現れることで、本当の自分の心に気付き、勇気をだして一歩が出せた人もいる。

今この瞬間も、誰にも言えない事と闘い、がんばっている人がいて、でも、もうがんばれないという人もいて・・・

“「生きる」ってことの意味は、その人にしか分からないものがあるんだよね。

つらいことや、挫折や、失敗があった時、どうそれをバネにしてゆけるか、明るいことや元気が出ることや、自分の好きなことに出逢って気持ちを切り替えてもう一度挑戦しようと思えるか

目の前が真っ暗闇のトンネルに入ってしまったような気持ちになる時もあるけれど、その先に晴れ渡った外の世界があると思って、ゆっくりでもいいから前に進めるか

まわりに、1人でもいいから、心から話せる人がいるといい

自分はひとりじゃないと思えてくれたらいい”

そんなことを話していました。須永博士自身も、21歳の時に自ら命を終わりにしようとした経験があり、「自分はひとりぼっちだ」と、誰も自分を分かってくれる人がいないと絶望したその時に気付いたことが

「助けてくれるのは“自分”

自分の事を分かってくれるのも“自分”

“自分の力で、この弱い自分を絶対に強い人間に作ってみせる”」

ということだそうです。

このことが無ければ、今の須永博士は存在していなかったかもしれない。

それから、72歳になった現在も、自分に言い聞かせ、励まし、挑んでいることが

「自分でやれ」

という事だそうです。もちろん、自分ひとりでは生きてゆけないことも分かった上で、その中で決断するのは自分、実行するのも自分、という自分との闘いを続けているという意味です。

先日お伺いした大阪の西成高校の皆さんに書いた詩にも、青春の今を生きる皆さんに、須永博士が魂込めて詩を書きました。

「やれないことを

やるためには

努力もいる

我慢もいる

辛抱もいる

それをやりながら

少しずつ少しずつ

自分の夢に

願望に近づいてゆく

やりとげてゆく

西成高校のあなた

ゆっくりでいい

一歩一歩でいい

やれなくてもいい

しかし自分を幸せにするために

生きている今を

そしていのちを大切にして

人生に挑戦して下さい

あなたなら

やれます

須永博士 旅の詩人

2014年11月20日

大阪府立西成高等学校生徒のあなたへ」

そしてもう一枚

「挫折せよ

失敗せよ

絶望せよ

人間そこから這いあがってゆけ

最強の人間になれ」


先日の、西成高校さんでの講演会の様子を、少しづつ文章を足しています。

大阪府立西成高校さんでの講演会

皆様の人生が、すばらしいものになりますよう、この場所から応援しています。
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須永博士の人生

2014年05月21日 | 須永博士の人生
小学生の頃の須永博士

中学生の須永博士

高校生の須永博士

高校卒業から就職へ

20歳の須永博士

誰も助けてくれない

行けるところまで

大きな壁

絵の基礎を学ぶ日々

東京写真専門学校へ

夢実現へ


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須永博士からのfax

2014年04月11日 | 須永博士の人生
先日、ふと須永博士に聞いてみました。

「“詩”の魅力とは・・・って聞かれたら、何でしょうか・・・。」と。

須永博士自身、これまで書き綴ってきた詩というものは、出逢う人の人生や挑戦を、目に見えない心・魂の声を「文字」にしたもの
が「詩」という目に見える形に表したものなんだろうな・・・と私なりに分析をしてみました。

その、誰かの人生を詩に表したものが、同じような想いを持っている人の心・魂が共感をして、感動したり、元気をもらえたり、「頑張ろう」と思えたり…

実際に、須永博士はどのような思いで、これまで「詩人の人生」を歩いてきたのだろうか・・・。

電話で聞いてみたら、「ちょっと待っててね!」と、それからすぐにfaxが流れてきました。

「詩とは

心からこみあげてくる“喜怒哀楽”の

感情を文章でかいてゆくことです」

「詩の魅力とは

言葉の中に

生命力の

感情を入れることで

“生きる力”を

与えることができます」


そして、須永博士が詩を書くときに一番大切にしていることは、

「その詩を読んだ人に

生きる力

生きる支え

生きる感動

を与えられることを心がけて作っている」



との答えが返ってきました。

須永博士自身も、行けるところまで←こちらの記事で書かせてもらいましたように、人生の中で一番つらい時に涙がこぼれ、心が震え、生きる力を与えてもらった石川啄木さんや高村光太郎さんという詩人の詩との出逢いがあったように、自分の書いた詩で、誰かに生きる力を与えることができるならば・・・と今も思い続け、この人生を続けています。

「この道しかなかった」と言いますが、この道があったから、弱かった自分をここまで生きてこさせてもらった、生かされてきた・・・。それが、須永博士です。

私も、須永博士のスタッフとして、1996年4月6日に小国に来ました。それからもう18年、須永博士のそばでたくさんの方々との出逢いを一緒にさせていただき、その中で、まだまだここでも紹介出来ていない感動の出逢い、詩があります。

ひとつひとつが勉強で、今も須永博士からも、出逢う方々からも教わることばかりです。

うまく言葉にできない感情を、須永博士の詩の中で「そうそう、今、こんな気持ちなんだ!」と自分の想いに近い詩を見つけて涙したり笑ったり、「うん!そうだよね、がんばろう!」と励まされたりする毎日です。

「ひとつの言葉で 人は強く生きられる」

女子ソフトボール ピッチャー 上野由岐子さんが須永博士の詩を支えにしていると言っていただいた時にも

「たくさんの詩があるけれど、私はこの詩があればいい」とおっしゃっていました。

人との出逢い、詩との出逢い、その人それぞれの「出逢い」を大切に、生きている今、この瞬間瞬間を輝かせて生きていってほしいと心の底から願っている須永博士です。





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詩人 須永博士

2013年09月29日 | 須永博士の人生
来月からの講演、展覧会に向けて須永博士も体のメンテナンスや原稿の準備、いろいろと東京でしています。

そんな中、先日健康診断に近くの病院へ行ってきたそうです。

須永博士は、常に「誰かを想い」生きていて、こういう状況の時にはどんな言葉を書いてあげたらいいだろうか。こんな時にはどういう言葉が元気づけられるだろうか・・・を24時間体制で考えているといつも言っています。

ふと、言葉が浮かぶことが多く、その時にあふれ出てきたものを書き留めるための紙とペンはいつも持ち歩くようにしています。

こんな出逢いの話を聞いたので、紹介します。



この日も、スケッチブックとペンを持って病院に行ったそうです。

待っている間、“病院へ来る時の気持ち”“病気になった時の気持ち”“元気になりたい気持ち”・・・スケッチブックに書いていると、

「何を書いているんですか?」と隣にいた女性が声をかけてきました。

「私は詩を書いている人間で、こうして頭に浮かんできた言葉を書いているんですよ。」と、そのスケッチブックをみせました。

すると、涙を流されて、「この紙、いただけませんか?」と1編の詩をさしたそうです。

その詩は

「どんなに

つらい人生でも

今日を

“夢をめざして生きる”

“楽しく生きる”

“やるべきことを

やって生きる”

それが

わたしの人生です」

という詩でした。

「どうぞ、いいですよ。」と、スケッチブックから切り離して渡すと、

女性の横に、その方のお母さんが座っていて、驚かれました。

「娘は、心の病で、この2年間自分から誰かに話しかけるなんてことをしたことが無かったんです。」

と。

その女性も

「なんで今、声が出たのか、私も分かりません。」

とおっしゃったそうです。

なんだか分からないけど、声が出た。話しかけた。というような感じだったそうですが、私もこの話を聞いて、「良かったなぁ。」と、その一言を思いました。

須永博士が詩人として生きてきた道というのは、こういう出逢いのためなんだろうと。

一瞬の、たった一日の、たったひとつの出逢いで、ほんの少しでも前に進むことができることがあるんですよね。

須永博士もこの日の健診と、この出逢いで「もう一度本気で詩人の道を生きる」と誓ったそうです。

また、出逢いに感謝です。

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