元女子プロレスラー チャパリータASARI
実は、私(佐藤粧子)の幼稚園からの同級生です。
実は、私(佐藤粧子)の幼稚園からの同級生です。
小学校低学年までは同じクラスになったことがなくて家も少し離れていたので遊んだことはなかったのですが、4年生の時に同じクラスになって、5年生からはサッカークラブで一緒で鍛えました。
なかなか東京に帰ってもお互いい時間が取れなくて会えなかったけど、今回は会えました!そして、1992年のデビュー当時に須永博士が書いた詩を持ってきてくれました。
いままで、この詩に何度も何度も支えられてきたそうです。
ややこしくなるのでここで言いますが、須永博士は私の父親です。
だけど、小学校のころ、父の仕事を友達に話すなんて、しないですよね。
チャパリータASARIこと、まさみちゃんにも、私から話したことは無いのですが、たまたま通っていた同じ小学校のとある教室に須永博士の詩が飾ってあって「あの詩、いいね~」とまさみちゃんが友達に言ったら、「あれ、しょうこちゃんのお父さんが書いたんだよ」と教えてくれたそうでした。
それで、まさみちゃんとその会話になって、家に遊びにきてもらって父と話したのが最初でした。
まだその頃は、教室で掃除の時間、机を下げた後にプロレスごっこをして技のかけあいっこをしたりして、まさみちゃんがプロレスラーになるなんて思ってもいませんでした。
でも、小学校6年生のころには、「プロレスラーになる!」と言っていて、当時はやっていた「サイン帳」に、「女子プロレスラーになったらチケットあげるから見にきてね」と書いていました。
それから、中学、高校は別々だったけど、ちょこちょこ連絡は取っていて、オーディションを受けるごとにも連絡をもらい、3回落ちて、4回目で合格しました。
今回、改めて当時の話をゆっくりと聞けました。それは、次の本に載せたいと思います。
そして、もうひとつの思いがけない出逢いのことも、次に書きます。