常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

死んだ神より生きた神

2009年12月04日 | 産業

神MAD、神回、神OP、神演奏、神アニメ・・・。

インターネットを眺めていると、優れた作品については、こんな用語が使われたりしていることを目にします。私は、こういう言葉が、それなりに作り手の方々に対して敬意を表しているのではないかと考えます。

そして、新しいインターネットにおいては、認証や課金システムを前提として、簡単にお金をやり取りできる仕組みを用意することで、そこに存在する優秀な作り手の方々、即ち「生きた神様」たちに、お金を払えるシステムを整えようと思います。つまり、インターネットに上がっている各作品のゲートに、神社の「お賽銭箱」のような気軽に小銭を入れられる仕組みを設けることで、そこにひとつのマーケットを生み出すわけです(「お賽銭モデルの提唱」参照)。

ちょっと、神社の神様について考えてみます。

神社に祀られている神様は、過去において存在はしたかもしれませんが、少なくとも、現存しないという意味では、「死んだ神様」です。少々、不謹慎な言い方かもしれませんが、神社の神様が、現在を生きている私たちに対して、直接的に何かをしてくれるということは、残念ながらありません。しかし、それにも関わらず、神社というのは、そうした「死んだ神様」に投げ入れられるお賽銭によって成り立っていると言えるわけです。

こう考えたとき、私は「死んだ神様」にできて、「生きた神様」にそれができないとは思いません(「生者は死者よりも強い」参照)。

優れた「神作品」を作ってくれた人は、「神様」であり、それはほとんどのケースにおいて、現世において存在する「生きた神様」です。そして、それが及ぼす作用は極めて可視的です。これは「死んだ神様」よりも、ずっと直接的な影響力を持っていると言えるでしょう。その効用を享受する人々からすれば、その有難みは、非常に分かりやすいのではないかと思います。

今のインターネットの問題は、そんな「生きた神様」に対して、手軽に小銭を投げ入れる「お賽銭箱」のような仕組みがないことです。逆に言えば、これが出来上がったとき、きっとたくさんの「生きた神様」が、その仕組みの上で、生計を立てることができるようになり、インターネットは新しいメディアとして、きちんと機能していくことになるのでしょう(「携帯電話システムの強み」参照)。また、こうした仕組みが整備されれば、一部のクリエイターばかりに富が集中するような、格差問題の是正にも繋がってくるのではないかと思います(「次時代コンテンツの評価」参照)。

今のインターネットは、まだまだおもちゃのような仕組みです(「まだ遊びのインターネット」参照)。しかし、こうした社会インフラとしての要件は、今後、きっと整えられていくのだろうと考えます。

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