常識について思うこと

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「賢者の石」を使う覚悟

2010年04月05日 | 歌詞&台詞

鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST」に出てきた台詞に、生命を食らわねば生きていけない自分たちのあるべき心構えを感じました。

以下、絶体絶命の場面で、人間の命で生成された「賢者の石」を使うことを躊躇うアルフォンスに放たれた言葉です。

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あぁ知ってる。こいつは人の命でできてるってんだろ?(中略)だったら、お前のためじゃなく、世界を守るために使ってやれ。こんな石ころになってるのに、まだ人の命として認めてるお前だから頼むんだ。(中略)どんな見てくれになったって、大事なものを守るために戦いたいんだよ。こいつらにも戦わせてやってくれ。
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この言葉を聞いてふっ切れたアルフォンスは、「賢者の石」を使うことを決めました。私なりには、このことが私たちの食事のあり方と結びつくような気がするのです。

私たちは、生命の大切さについて語りますし、それを守るために生きています。しかし一方で、他の生命を犠牲にして食べていかなければ、自分の生命を保つことができないという矛盾を抱えています。ただ、その矛盾について、「賢者の石」を使うことを躊躇うアルフォンスのように躊躇するわけにはいきません。通常、私たちは、何か特別なことがない限り、毎日、「いただきます」と言って、そうした生命を口にしなければいけないのです。そして、それが宿命ならば、そうした生命を口にしながら生きながらえる自分の命を、自分のためだけではなく、世界を守るために使うことが求められて当然ではないかと思います。

少々、横道に逸れるかもしれませんが、人類は「霊長類」として分類されます。つまり、全ての霊の長たる存在なのです。その人類が、全ての生命についてきちんと思いを馳せ、他の生命たちのために生きるというのは、とても重要ではないかと思うのです。それと同時に、食事というのは、その人類が他の生命を犠牲にするのですから、それなりの覚悟を持って望むべきは、至極、当然だろうとも考えます。

そのように考えると、毎日の食事に出てくる「終わった生命」が、かたちを変えた「賢者の石」に見えてくるかもしれません。そして、それは大変に重いものであることも理解できるようになるでしょう(「「いただきます」の言い方」)。

そういう意味で、食事というのは、とても神聖なものなのだろうと思いますし、アルフォンスが「賢者の石」を使うときのような覚悟が必要なのではないかと思ったりするのでした。

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