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産業から始める理由

2009年01月18日 | 政治

国作りは、政治家の仕事だと思っている方も多いかもしれません。たしかにそれは、一面において事実ではありますが、けっして全てではありません。

政治家、そのなかでも国会議員というのは、選挙によって選ばれ、その方々が国民の代表として、国作りに関わっていくわけですが、制度には必ず限界があります。端的に、国政選挙の制度的限界を指摘するならば、その頻度とタイムラグです。

現在、麻生政権の支持率低迷が話題になったりしています。たしかに、一国の総理大臣の支持率が20%を切るというのは、極めて異常であると言えるでしょう。またそんな総理大臣に、この大変な時期の国政を任さなければいけないというのは、国民にとって非常に辛いことであると言えるかもしれません。

しかし、このことをもってして、麻生氏を責めるのは筋が違うのではないかとも思います。

先日、麻生氏がテレビに出演し、いくつかのコメントをされており、そのなかで、最近の支持率低下を指摘されたのに対して、制度・手続きに則っているので全く問題ないという旨の回答をされていました。私は、その通りだと思います。

前回の衆議院の総選挙は、2005年9月でした。それから3年以上が経過し、それまで小泉内閣、安倍内閣、福田内閣を経て、現在の麻生内閣に至っており、この間、国民の信を問う選挙が行われていません。単純に、これだけを見れば、現在の麻生政権が、国民に政権を任されているとは言い難く、その問題が顕著に支持率に反映されていると言えるでしょう。

しかし、当然のことながら、政治システムがそのように設計されている以上、その問題を論って騒ぎ立てるのは、何の解決にも繋がりません。もう少し、正確を期すならば、そうした議論は、将来に向けた制度設計や問題意識を育てるという意味では重要ですが、今日の目の前の問題解決にはなり得ないということです。

見極めなければいけないポイントは、3年以上も前の国民の意志に基づいて築かれた政治体制によって、今日のような政治を巡る問題が引き起こされるということが、あくまでも与件であるということです。これが冒頭で指摘した国政選挙の限界とも言える、その頻度とタイムラグです。

一方で、タイムリーに国民の意思を反映させ、真に国民の支持を取り付けることができ、きちんとそれを自らの力に変えることができる世界があれば、そこを始点として、国作りに関われると言えることができるでしょう。私は、それこそが、市場経済のルールで成立しているビジネスや産業の世界であると考えます。

もちろん、現在の経済を成り立たせている資本主義や市場のルールに、大きな欠陥があることは否めません。これらの経済システムに何の疑いもなく、ドップリとはまってしまうことは、非常に危険であると考えなければならないでしょう(「社会ルールの欠陥」、「道具の目的化の危険性」参照)。しかし、その限界を知った上で、それらの経済システムを有効に活用すれば、きちんと国民のニーズに合った新しいビジネスや産業を興すことは可能です。そして、それは少なくとも、数ヶ月や数年という時間が最小単位にならざるを得ない政治の世界に比べて、遥かにリアルタイム性が高い動きができると言えるでしょう。

私が、今の日本の現状について、安易に政治家の責任にするのではなく、日々の経済活動をされている人々の責任を重要視するべきだと考えるのは、こうした根拠によります(「産業界の舵取り」参照)。とくに産業界において、広く一般消費者のための製品やサービスを生み出すことをせずして、今日の不況が、誰か別の人のせいであるかのような言い方をするのは、絶対に認められるべきではありません。本当に産業を引っ張っていこうと考えているのであれば、広く一般消費者(国民)に認められる製品やサービスを生み出していかなければならず、それこそが経済活動に携わっている人々の責務のはずです。

地位と責任は、比例関係にあって然るべきです。したがって、上記のような産業を生み出していく責任は、必ずしも等しく考える必要はないでしょう。端的に言えば、こうした問題について、最も重大な責任を負っているのは、産業界のトップの地位にいる人々にあることは間違いありません。しかし同時に、そのことは、その他の人々の責任を免除しているものでもありません。たとえ企業に籍を置く一介の社員であっても、一社員としての責任から免れることはできません。その一社員としての仕事が、真に国民のための仕事ではないと知っていたり、あるいはそんなことを考えずにやっているとするならば、そこには本来、悩むべき葛藤があると考えるべきでしょう。

営業成績が不振に陥ったり、会社の経営状況が悪くなったり、業界全体が萎縮していったり、国家経済の先行きが不透明になったり・・・。これらの傾向は、内閣支持率の低迷をはじめとした政治問題以上に、一人一人の経済活動に問題があるということの示唆でもあるということです。

今日の政治は、内閣の人事が3年以上も前の国民による投票行動に基づいて決定されるということを、痛切に教えてくれています。我々としては、この問題を甘んじて受け入れ、日常の経済活動の世界で、それよりも遥かに短期で、きちんと国民(広く一般消費者)に支持される製品やサービスを生み出していく努力が求められているということに気付かなければいけません。

このように現状の問題について、きちんと思慮を巡らし、これからの自らの経済活動を考え直す機会にしていくことは、極めて大切なことです。これまでは、単純に自分のためだけ、部署のためだけ、会社のためだけ、業界のためだけだった仕事について、それ以上の目的を持つとはどういうことなのかを考えなければいけない時代でもあります。今一度、各自がそうした自問自答を繰り返してみることで、新しい産業のあり方が変わってくるでしょう。その結果、政治の姿も変わるはずです(「癒着と連携の違い」参照)。

そして少なくとも、私自身は、その新しい時代の進み方を示していきたいと思います。

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