常識について思うこと

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産業界の舵取り

2009年01月15日 | 産業

最近、日本の産業をテーマに意見交換するなかで、現状の問題点について意見を求められました。今後、私が生活をするなかで、そうした話をすることが多くなろうかと思いますが、何度も同じ話をするのも手間なので、ひとまず現時点においては、簡単に以下のようにまとめておきたいと思います。

日本は力があります。しかし、今のままの舵取りではダメです。日本産業の根幹をどこに置くかについては、諸々の議論があるでしょうし、それぞれに可能性が秘められていると思いますので、ここでは、ひとつの例として、製造業を挙げておきたいと思います。

日本の製造業は、間違いなく世界トップクラスです。ある方向性を定めれば、それに向かって、質の高いものを生み出す力は、極めて高いと言えるでしょう。しかし、逆の言い方をすれば、その方向性を誤ってしまったら、せっかくの高い技術力も活かされぬまま、埋没していくことになります。

デジタルカメラを例に挙げます。

私が記憶している限りにおいて、デジタルカメラが市販された当初は、数十万画素レベルでした。この時期のデジタルカメラは、非常に珍しくもあり、面白がって使いはするものの、メモリーやコンピューターの性能の問題もあったため、私自身、ほとんどおもちゃのような使い方しかできませんでした。それがデジタルカメラの技術はもちろん、メモリーやコンピューターを含む諸々の利用環境の発達も相まって、高画素化・高機能化が進みます。こうした流れから、デジタルカメラの普及率は、急速に上がっていきました。

デジタルカメラの市場が拡大していく過程で、日本企業もそれに見合った成長曲線を描けたというのは、デジタルカメラの高画素化・高機能化という方向性が定まっており、それに向かって、ものすごい勢いで質の高いものを生み出す技術力が、日本の製造業には備わっていたということの証左でもあると言えるでしょう。

しかし問題は、その方向性が限界を迎えたときです。ふと気付いてみると、テレビ通販でデジタルカメラのアピールをするのに「こんなに大きく引き伸ばしても、キレイなんです」と、ポスター大の写真を見せるような現象が起きたりするのです。写真を撮ることを職業とするようなプロのカメラマンならいざ知らず、一般の多くの人々にとって、「ポスター大にしてもキレイ」という売り文句が、どれだけの意味があるのかという点について、疑問を感じずにはいられません。このことは即ち、それまでの高画素化という方向性の限界を指し示しているとも言えます。

機能面でも同じことです。現在のデジタルカメラでは、実にいろいろなことができるようになっており、高付加価値製品であることは確かです。しかし例えば、消費者が100人いて、非常に多様なそれらの機能を一体何人の人が使いこなせているのかという議論抜きには、製品の真の価値は量れないと言えるでしょう。せっかくの高い技術力をもって付加した価値であっても、消費者が使わないものであっては、結局、それはないに等しいものになってしまいます。こうした観点からも言えることは、デジタルカメラの高機能化という方向性の限界について、真剣に考えなければいけないということです。

こうした業界の方向性が限界を迎える中で、大多数の消費者にとっては、画素数や機能はそこそこで、より価格の低いものが魅力ある製品になり得ます。そうなると、文字通り価格競争にならざるを得ず、コストを引き上げてしまう高い技術力は、むしろお荷物になってしまい、技術力がある日本には、自ずと不利な競争を強いられることになります。結果として、リストラを含む、コスト削減という方向で、舵取りをせざるを得なくなってしまうのです。こうした対策は、難しい経済状況におけるひとつの解決策ではありますが、付加価値における新しい別の方向性が定まらない限り、それは単なる延命策に過ぎず、本質的な解決策にはならないと考えるべきでしょう(「円安に期待するなかれ」参照)。

今日の日本の製造業のベースは、敗戦後、旺盛なベンチャースピリッツに溢れた創業者たちが作り上げてきたという点について、全面的に否定する方はほとんどいらっしゃらないと思います。ただし、その偉大な創業者たちが、偉大である所以は、現在の大企業群のベースを作り上げたからだけではありません。敗戦直後の混迷の時代にあって、産業の新たなる方向性を指し示し、それに向かって、日本が誇る技術力を含めた産業のリソースを集中させたという点にあると言えるでしょう。

然るに、現在の大企業群のトップであり、日本産業界の舵取りをしていかなければならない地位にある方々は、そうした偉大なる先人たちのDNAをきちんと受け継いでいなければなりません。またそうであれば、この混迷の時代のなか、新たなる産業の方向性を指し示すことこそが、求められる責務でもあるわけです。

万が一、現在の産業界のトップの方々が、今日の深刻な経済不況について、それを景気や政治家のせいにしたりしているとするならば、それはまったくの甘えに過ぎません。彼らに求められているのは、誰にも文句を言わずに、淡々と新しい産業界の方向性を指し示すことであり、そのことこそが、彼らを彼らたらしめている地位のベースを築いてくれた、偉大なる先人たちの遺志に応えていくことになるはずなのです。

しかし残念なことながら、現時点において、少なくとも私の目からは、そのような新しい産業界の方向性を指し示すことができているトップは見当たりません。

上記の例で言えば、デジタルカメラという製品について、日本のみならず、世界産業までをも牽引できるような新しい価値創出の方向性は、ほとんど定まっていないように思えてならないのです。

もちろん、私自身、ないものねだりをするつもりもありません。したがって、そうした新しい方向性を提示できる方がいないのであれば、私自らがそれを指し示し、きちんと社会に対して、かたちとして見せていこうと思っています。それは、過去の歴史に繰り返されてきた「世代交代」という現象なのかもしれません。

いずれにせよ、日本が持っている技術は、本当に素晴らしいのです。その秘めたる力が、次の時代に見合った方向に向いて、きちんと動き出したとき、それは日本だけに留まらず、世界全体を大きく変えていくことになるでしょう。日本の産業界の舵取りという極めてシンプルな仕事ながら、そのシンプルな仕事で、日本を含めた世界全体の産業が大きく変わるというのであれば、それをやらない手はありません。そして、その先には、きっと明るい未来が開けていくのだろうと思うのです。

《おまけ》
「iPhone」の限界については、以前、簡単に触れたことがあります(「「融合」から思うこと」参照)が、これも単なる舵取りの問題だと考えます。日本の携帯電話端末は、非常によくできており、「iPhone」にけっして劣っていません。この現状を鑑みて、今の私から業界トップの方々に対しては、頑張って舵取りをしてくださいとしか言えません。そして、もしその舵取りが、彼らのキャパを超えているというのであれば、その時は潔く世代交代に応じていただくしかないのでしょう。

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