常識について思うこと

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タブーを見過ごす罪

2009年01月12日 | 社会

全ての嘘が悪いとは言いません。時には、嘘が必要なことがあるでしょうし、その嘘によって、全体が救われるということもあるだろうと思います。しかし、嘘は万能ではなく、少なくともある一定の時点まで、隠しておかなければ機能しません。そして、その一定期間、嘘を隠し通すためには、さらに別の嘘を重ねていかなければならず、それは次第に大きな塊となっていきます。社会におけるこうした嘘が、とてつもなく大きな塊になってくると、それはいわゆる「タブー」と呼ばれ、触れてはいけない類の話になってきます。

元来、嘘が生まれた要因が、この世界を成立させるための必然として存在したとするならば、それから派生するであろうタブーを暴くという行為は、あまり良いことではないのかもしれません。そういう意味で、私自身、タブーについて無理やり暴露するような言い方はしないように気をつけたいと考えています。

しかし一方で、タブーに対して何も知ろうとしない、あるいは知って知らぬふりをするというのも問題です。何故ならば、タブーが存在するということは、それを守ろうとする人々にも、非常に大きな負担を負わせてしまっているからです。

タブーが大きくなるということは、嘘の量が多くなるということであり、それらは、以下の2つのことを意味します。

①タブーを隠し通すことの困難化
  -枝葉末節に至る嘘までをも隠し通す必要性

②タブーを隠す人々の権力肥大
  -情報漏洩阻止のための統制強化と権力集中化

これらは、タブーを隠し通す目的で展開される行為が過激化し、さらに暴走する可能性を示しているとも言えます。それはタブーを隠し通すのが難しくなる一方で、あくまでもタブーを隠さなければならない人たちが強大化し、彼らがその反対勢力を潰しにかかるという構図です。

このこと自体、致し方ないことかもしれません。そもそも嘘をついたり、タブーの原因を作ったりした人々が、その秘密を守るというのは、至極当然という気もします。

問題は、それらの嘘や秘密を生まれながらにして、守らざるを得ない立場にいる人々もいるであろうということです。それだけでなく、本人が意図するしないに関わらず、そうした枠組みに取り込まれ、やむを得ずタブーを守る側の人間にならざるを得なくなった人々の存在も否定し得ません。そうした人々からすれば、嘘や秘密を隠すこと自体に、大きな意味を見出せない可能性がありますし、むしろそうした嘘をひた隠しにしたり、嘘の上塗りの片棒を担がされて生きていかなければならないことに、とてつもない苦痛を感じているかもしれません。さらにその構図は、ますます大きくなっている可能性もあるのです。

ここでのポイントは、長い歴史の中で、多くの営みを重ねてきた人類は、過去についてしまった嘘によって、ただそれを上塗りしていくことを宿命として背負っている可能性があるということです。それは今日において、たとえタブーの秘密を守る立場にある人々であっても、その源となる過去の嘘に縛られることを望んでおらず、致し方なくタブーを守っている可能性があるということでもあります。

嘘で固めた生活を続けるということは、極めて息苦しいものでしょうし、それが直接的に自分の成した行為によるものでないとするならば、それはとてつもない苦痛であることは、容易に想像できます。

私たちのように一般の人々が、タブーに対して無知であることは、元来、それを知らぬことが許されているという意味で、問題ないことだと言えるでしょう。しかし一方で、そのことによって、苦しみ続ける人々がいるであろう可能性についても、きちんと認識しておくことが大切です。

そうした中で、タブーを知ってはいけない人間、秘密を隠されている側の人間としてできることは、タブーの中身についてきちんと学ぼうとし、その歴史の重さと先人たちの思いをきちんと受け止めようとすることです。そして、タブーによって暴かれた本来の歴史や、それに加担してきた人々を許し、タブーが暴かれても、現在を生きる関係者が、きちんと暮らしていける社会を築いていくことが、これからの新しい時代においては、非常に重要なのではないかと思います。

《おまけ》 
天皇家については、多くのタブーがあるようです。本文でも触れたように、私自身、それを暴くようなものの言い方をしないように気をつけたいと思っています。しかし、タブーの真相や可能性について、気付いているにも関わらず、それを知って知らぬふりをすることで、その関係者が苦しむとしたら、知らないふりを決め込む側にも罪があるのではないかと考えます。

時折、マスコミ等で徳仁親王・雅子さんご夫妻についての報道がなされたりしますが、あの方々が背負われているものには、長い歴史のなかで積み上げられてきた「負の遺産」が含まれていると考えるべきでしょう。徳仁親王・雅子さんご夫妻が向き合っているのは、単なる現天皇家ではなく、脈々と受け継がれてきた長い天皇家の歴史そのものではないかと思えてなりません。

一人の日本国民として、あの方々ばかりに、歴史の闇を押し付けるのは、けっしてフェアではないと思うのです。そういう意味でも、徳仁親王・雅子さんご夫妻には、力強く生きていただきたいと心から願うばかりです。

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