満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

Tom Middleton   『Lifetracks』

2007-11-09 | 新規投稿
 
タワーレコードに入ると、カゴを持ってCDをどんどん入れていく。アマゾン開けても、これまたカートにどんどん入れていく。20枚くらいになったら「もうこのへんで勘弁しといたろか」と終わりにする。知らないアーティストも衝動買いする事で、いい出会いがある。勿論、失望も多い。試聴をあまりしないという怠慢な性格を直せば、失敗も減るのは確かなのだが。

試聴せずに買ったTom Middletonの『Lifetracks』。 これは期待はずれの失敗。
嘗て当人がやっていたエレクトロニカユニット、Global Communicationでの創造性に及ばない。同じとは言うまい。この<後退>はかつて何度も繰り返されてきた<目的主義的音楽>の例に倣ったものと映る。プログレからニューエイジへ。環境音楽から様式アンビエントへ。サイケデリックからヒーリングミュージックへ。聴いた瞬間に判別できる、これらチープさへの移行が、音楽の目的主義への無批判な信仰によるものである事を私はイメージする。
例えばヒーリングミュージック(癒し)と称されるものの<おしつけがましさ>(以前、『august born』の項でも同じ事を書いた)を私は感じている。癒される音楽とはそのスタイルは当然、人によって違う。そこに普遍性や定型はない。当然ながら。CDショップのヒーリングミュージックのコーナーに置かれた音楽に癒される人はいるだろう。しかしノイズに癒される人もいれば、ブルースに癒される人、森のざわめきに癒される人もいる。自明ながら。

私はニューエイジ、ヒーリングミュージックが含む制作以前の意図的コンセプト、その固定された目的や効用、定められたマーケットや買い手の層を一定の音のムードやスタイル、音象処理、エコロジカルなジャケットワーク等で表出する方法に嫌悪を感じ、その安易さは必然のように音に顕れると思っている。
<これは癒しのための音楽です>という事を制作以前に決め、作り、宣伝し、売るという事が音楽の幅を否応もなく狭めていると感じるのである。先述した<目的主義的音楽>とはそんな事柄を指して私が勝手に作った言葉である。

『Lifetracks』は絶賛されているようだが、私には楽しめなかった。クリーン一辺倒な創意なき音色でゆったりとしたフレーズを紡ぐ。制作コンセプトにはイギリスの<ビッグチル>というチルアウトのイベントが背景にあるという。だから収められたチューンは全て、チルアウト気分を増幅させるアンビエント風味のもの。この<そのまま感覚>がなんともムードミュージック的な浅さを醸し出すのだ。光るメロディの破片でもあれば救われるのに。何か引っかかる仕掛け、効果音での工夫があれば印象が逆転するのに。そんな事を願いながら、印象が変わる事を期待しながら4回聴いた。でも駄目だった。チルアウトする為の音楽とはこうゆうものですよという意図があり、固定化された様式の賛美のような感触がある。だから作り込まれた密度を感じない。ニューエイジやヒーリングと同質のイージーさ、押しつけがましさを感じる。

個人的には、いかようにもとれる解釈、受け止め方を可能にする音楽こそ、深く、一方的な目的をもその効果を可能にすると感じる。70年代ジャーマンエレクトロミュージックが偉大なのは、コンセプトから発した音楽が制作者の意図を離れてゆくスリルがあったからだった。クラウスシュルツが確か「聴き手の自由なイマジネーションの為に50%の余地を残す。」(やや不正確な記憶かもしれないが、大体あっていると思う)とか何とかそんな発言をしていた事を思い出す。

CDのライナーによるとTom MiddletonはGlobal Communicationの後、ディスコ回帰し今はイビサの人気DJであるという。つまり『Lifetracks』の制作はダンスミュージックからの反動、レイブからの反転という出発点を持つ。その拠って立つ場所はいかにも狭く、脆弱に感じるのは私だけだろうか。

2007.11.9
 

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