今朝の産経新聞国際面に
「ハリコフ」の地名を見つけました。
「ウクライナ もう一つの『シベリア抑留』」の見出し。
普段なら読み飛ばしてしまう記事です。
旧ソ連時代、ウクライナ第2の都市ハリコフの中心部に
「第415収容所」があり、
そこには約500人の日本兵が
収容されていたとあります。
30年ほど前、私は「ソ連のスポーツ事情」の取材で、
このハリコフを訪れました。
ソ連側が用意してくれたコースです。
初めて聞く地名で、
観光案内にもその名はありませんでした。
この時は、確か大きなスポーツセンターを
取材したように記憶しています。
新聞の紙面には、2枚の写真が掲載されています。
日本人が収容されていた「第415収容所」は
茶色く古びた2階建ての建物。
もう1枚は、道路の両側に雪が積もった
「ハリコフ―モスクワ街道」。
日本人抑留者が建設に携わった幹線道路の一つだそうです。
もしかするとこの道路を車で通ったかも知れません。
日本とは何の縁もないような街。
そこにこんな歴史があったことを知り、
思わず写真に見入ってしまいました。
===========================
三ッ谷 洋子
株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
法政大学スポーツ健康学部教授
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツビジネスプロデューサー
地域づくりアドバイザー
WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
「ハリコフ」の地名を見つけました。
「ウクライナ もう一つの『シベリア抑留』」の見出し。
普段なら読み飛ばしてしまう記事です。
旧ソ連時代、ウクライナ第2の都市ハリコフの中心部に
「第415収容所」があり、
そこには約500人の日本兵が
収容されていたとあります。
30年ほど前、私は「ソ連のスポーツ事情」の取材で、
このハリコフを訪れました。
ソ連側が用意してくれたコースです。
初めて聞く地名で、
観光案内にもその名はありませんでした。
この時は、確か大きなスポーツセンターを
取材したように記憶しています。
新聞の紙面には、2枚の写真が掲載されています。
日本人が収容されていた「第415収容所」は
茶色く古びた2階建ての建物。
もう1枚は、道路の両側に雪が積もった
「ハリコフ―モスクワ街道」。
日本人抑留者が建設に携わった幹線道路の一つだそうです。
もしかするとこの道路を車で通ったかも知れません。
日本とは何の縁もないような街。
そこにこんな歴史があったことを知り、
思わず写真に見入ってしまいました。
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三ッ谷 洋子
株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
法政大学スポーツ健康学部教授
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツビジネスプロデューサー
地域づくりアドバイザー
WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表