Jヴィレッジに行ってきました。
現地の様子をどう伝えたらよいのか。
「筆舌に尽くしがたい」「想像を絶する」などの言葉を考えたものの、
そんな月並みな表現では太刀打ちできない状況が広がっていました。
それでは映像で見ていただこうと、
新しいパソコンにデジタルカメラのドライバーをインストールしたところ
なんと操作ミスで映像データが全て消失!
同行した3人のゼミ生が撮影していたので
それを使わせてもらうこともできるのですがショック…。
時間の経過と共に現地視察とデータ消失の二重ショックから立ち直り
視察の様子をお伝えすることにしました。
私たちをJヴィレッジに案内してくださったのは、
NPO法人ハッピーロードネット理事長の西本恵美子さん。
最初にお会いしたのは福島県「スポーツの里」づくり事業の委員会です。
私は外部事務局の責任者、西本さんは地元委員という立場でした。
西本さんについては改めて詳しくご紹介しますが、
現在は「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」を立ち上げ、
2万本の桜を植えて「30年後の故郷に贈ろう」と活動されています。
前置きが長くなりました。
さて当日、西本さんが乗用車でいわき駅から
Jヴィレッジまでの往復の足を引き受けてくれました。
私が初めてJヴィレジを視察したのは竣工年の1997年、
当社の「マーケティング研究会」でした。
その後、山口県スポーツ振興プラン策定協議会のトータルアドバイザーとして、
委員の方々を「先進施設」として紹介するためお連れしたこともあります。
「スポーツの里」づくり事業でも何度か訪問しました。
いわき駅からは車で40分ほど。
8年ぶりの訪問で懐かしさが先立つのですが、
「原発事故の除染作業の拠点」という、
想像さえしたこともない変貌ぶりに言葉が浮かびません。
無農薬で育てられていた自慢の天然芝ピッチは巨大駐車場に、
海側のピッチの芝は枯れてヘリポートに。
400mトラック付人工芝ピッチの上には分厚い鉄板が敷かれ
巨大な白いテントが張られています。
20キロ先にある福島第一原発の除染作業から帰ったバスは
放射能に汚染されているため、このテント内で除染作業が行われます。
宿泊棟にある160人収容のコンベンションホールは、
作業員への説明会で毎日、使用されているそうです。
プールの水は抜かれて板が張られ、
除染関連会社の合同事務所になっています。
宿泊棟をはさんで反対側にある屋根付き雨天練習場には
コンテナとブルーの大袋が積み上げられています。
中は全て使用済み防護服です。
手前には放射線残量を検査する機器が設置され
(シャワーで流す)除染所となっています。
東京電力は1月1日から東北本社をここに置いています。
代表の石崎芳行さんと、Jヴィレッジ副社長の田豊治さんに
ご挨拶することができました。
これまでの私の人生で見たことも、聞いたこともない光景の連続に
「大変ですね…」などと場違いな?言葉しか発することができませんでした。
西本さんによれば、震災直後は迷彩服の自衛隊員が行き交い、
戦車や装甲車が並んでいたそうです。
「震災前は子どもたちが元気にボールを蹴って、
お母さんたちが楽しそうに見守っていた場所だったので、
現実に起こっていることとは思えなかった」といいます。
「2年たってようやく現実として受け入れることができるようになった」と西本さん。
帰りに、立ち入り禁止区域の境界線までいってみました。
周辺は無人となった地域が広がっています。
グシャッとつぶれた消防車。
1階が津波に流されて空洞になった2階建ての家。
枯れたセイタカアワダチソウをかき分けると家の土台だけが残っています。
無傷のように見える家の玄関前に車が止まっていました。
2階のガラス窓にレースの白いカーテンが見えます。
どこでも見かけるような家。
でも、誰も住んでいないのです。
隣の家も、その隣の家も、さらにその先の家も、見えるところは全部…。
同行していた学生たちに西本さんが声をかけました。
「あなた達、しっかり見ていってね」。
日本人として絶対に忘れてはならない重い現実がここにありました。
===========================
三ッ谷 洋子
株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
法政大学スポーツ健康学部教授
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
現地の様子をどう伝えたらよいのか。
「筆舌に尽くしがたい」「想像を絶する」などの言葉を考えたものの、
そんな月並みな表現では太刀打ちできない状況が広がっていました。
それでは映像で見ていただこうと、
新しいパソコンにデジタルカメラのドライバーをインストールしたところ
なんと操作ミスで映像データが全て消失!
同行した3人のゼミ生が撮影していたので
それを使わせてもらうこともできるのですがショック…。
時間の経過と共に現地視察とデータ消失の二重ショックから立ち直り
視察の様子をお伝えすることにしました。
私たちをJヴィレッジに案内してくださったのは、
NPO法人ハッピーロードネット理事長の西本恵美子さん。
最初にお会いしたのは福島県「スポーツの里」づくり事業の委員会です。
私は外部事務局の責任者、西本さんは地元委員という立場でした。
西本さんについては改めて詳しくご紹介しますが、
現在は「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」を立ち上げ、
2万本の桜を植えて「30年後の故郷に贈ろう」と活動されています。
前置きが長くなりました。
さて当日、西本さんが乗用車でいわき駅から
Jヴィレッジまでの往復の足を引き受けてくれました。
私が初めてJヴィレジを視察したのは竣工年の1997年、
当社の「マーケティング研究会」でした。
その後、山口県スポーツ振興プラン策定協議会のトータルアドバイザーとして、
委員の方々を「先進施設」として紹介するためお連れしたこともあります。
「スポーツの里」づくり事業でも何度か訪問しました。
いわき駅からは車で40分ほど。
8年ぶりの訪問で懐かしさが先立つのですが、
「原発事故の除染作業の拠点」という、
想像さえしたこともない変貌ぶりに言葉が浮かびません。
無農薬で育てられていた自慢の天然芝ピッチは巨大駐車場に、
海側のピッチの芝は枯れてヘリポートに。
400mトラック付人工芝ピッチの上には分厚い鉄板が敷かれ
巨大な白いテントが張られています。
20キロ先にある福島第一原発の除染作業から帰ったバスは
放射能に汚染されているため、このテント内で除染作業が行われます。
宿泊棟にある160人収容のコンベンションホールは、
作業員への説明会で毎日、使用されているそうです。
プールの水は抜かれて板が張られ、
除染関連会社の合同事務所になっています。
宿泊棟をはさんで反対側にある屋根付き雨天練習場には
コンテナとブルーの大袋が積み上げられています。
中は全て使用済み防護服です。
手前には放射線残量を検査する機器が設置され
(シャワーで流す)除染所となっています。
東京電力は1月1日から東北本社をここに置いています。
代表の石崎芳行さんと、Jヴィレッジ副社長の田豊治さんに
ご挨拶することができました。
これまでの私の人生で見たことも、聞いたこともない光景の連続に
「大変ですね…」などと場違いな?言葉しか発することができませんでした。
西本さんによれば、震災直後は迷彩服の自衛隊員が行き交い、
戦車や装甲車が並んでいたそうです。
「震災前は子どもたちが元気にボールを蹴って、
お母さんたちが楽しそうに見守っていた場所だったので、
現実に起こっていることとは思えなかった」といいます。
「2年たってようやく現実として受け入れることができるようになった」と西本さん。
帰りに、立ち入り禁止区域の境界線までいってみました。
周辺は無人となった地域が広がっています。
グシャッとつぶれた消防車。
1階が津波に流されて空洞になった2階建ての家。
枯れたセイタカアワダチソウをかき分けると家の土台だけが残っています。
無傷のように見える家の玄関前に車が止まっていました。
2階のガラス窓にレースの白いカーテンが見えます。
どこでも見かけるような家。
でも、誰も住んでいないのです。
隣の家も、その隣の家も、さらにその先の家も、見えるところは全部…。
同行していた学生たちに西本さんが声をかけました。
「あなた達、しっかり見ていってね」。
日本人として絶対に忘れてはならない重い現実がここにありました。
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三ッ谷 洋子
株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
法政大学スポーツ健康学部教授
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表