三ツ谷洋子のスポーツ21・ブログ

Jリーグ開幕前から理事として17年間かかわったスポーツビジネスコンサルタントの三ッ谷洋子が日々の話題を取り上げます。

「日本サッカーに捧げた両足」

2013年08月23日 | 2013年
木之本興三さん。
Jリーグにかなり関心のある人でも
木之本さんの名を知る人はそれほど多くはないと思います。

その木之本さんが先頃、「日本サッカーに捧げた両足」(ヨシモトブックス刊)
という著書を出版されました。
サッカーは足でボールを蹴るので、「日本サッカーのために頑張った人」と
思われる方がいらっしゃるかも知れません。

Jリーグは今年、開幕20周年を迎え、新たなJリーグのあり方を模索中です。
マスコミでは20年を振り返る企画が目につきます。
しかし、報道されるのはJリーグの一面でしかありません。

木之本さんの著書の副題は「真実のJリーグ創世記」。
Jリーグ設立前から設立後の「真実」について記しています。
それにしても「日本サッカー」に「両足を捧げる」とは?

先月20日、出版記念パーティーが
幕張のホテルニューオータニで開催されました。

木之本さんは日本サッカーが低迷していた30年前から
日本サッカーリーグ(JSL)の事務長・総務主事を務め、
プロ化推進の中心的存在としてJリーグ設立を実現した
最大の功労者といってもいいでしょう。

20代でグッドバスチャー症候群という難病におかされ、
余命5年と告げられました。
肝臓を摘出して週3回の人工透析を続け、
Jリーグ設立後は大看板の川淵三郎チェアマンの片腕として、
リーグ運営を側面から支えました。

私はJリーグ理事として理事会や懇親会の席でお会いし、
お話をする機会もよくありました。
10年ほど前、木之本さんは再び難しい病気(バージャー病)で、
入院を余儀なくされました。

翌年、Jリーグ専務理事を退任。
私が最後に木之本さんにお会いしたのは、
ワールドカップ日韓大会の頃でした。

出版記念パーティーの会場で、
木之本さんは車椅子に座っていました。
両足を膝上から切断するという
過酷な闘病生活を過ごされていたことを
この著書で初めて知りました。

理事会の案件もいくつか取り上げられていて、
今更ながら舞台裏の事情を知ることもありました。

著書は木之本さんの体験と考えが貫かれた内容ですが、
川淵チェアマンとの確執については、
木之本さんの考え方が理にかなっているように思いました。

「壮絶」としかいいようのない闘病生活を送りながらも
日本サッカーのために仕事に取り組まれた木之本さんの姿勢には
ただただ深く頭を垂れるのみです。

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       三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
コメント
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