三ツ谷洋子のスポーツ21・ブログ

Jリーグ開幕前から理事として17年間かかわったスポーツビジネスコンサルタントの三ッ谷洋子が日々の話題を取り上げます。

もっと光を

2006年10月31日 | 2006年
昨日、視察した遠州灘海浜公園の球技場には、ナイター照明がありませんでした。
「自然生態観察園」に多くの野鳥が巣を作っているからです。

照明といえば、先日のJリーグの理事会で、
スタジアムの照度についての議題がありました。

そもそものきっかは、犬飼専務理事の野球のナイター観戦です。
緑の芝と選手のユニフォームがよく映えていて、
サッカーより明るいのではないかと気付いたそうです。

そこで、Jリーグ事務局が改めて各スタジアムの照度を調査しました。
1つのスタジアムに対して、ピッチ中央、ゴールの前と左右の計7カ所です。
全ての調査地点で1500ルクスの規準に届かなかったのは、
三ツ沢、西京極、広島ビッグアーチの3スタジアムでした。

プロ野球が使用している13の野球場についても調べています。
バッテリー間の照度が一番明るいのですが、
全ての野球場で最低でも2500ルクスあり、
Jリーグに比べるとかなりの明るいことがわかりました。

Jリーグのスタジアム規準である1500ルクスは、
雑誌のカラーグラビアで写真が掲載された場合を想定して決めたものです。
これより暗くなると、カラー写真が青っぽくなってしまいます。

雑誌の写真も大切ですが、会場に足を運んでくれたファンが
より試合を楽しむことができる条件の検討も大切です。
来シーズンは、これまで暗かったJリーグのホームスタジアムが
明るくなっていることを期待しています。

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  代表取締役 三ッ谷洋子
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静岡県の公園

2006年10月30日 | 2006年
今日は、ちょっと疲れました。
静岡県都市公園懇話会の視察で、
遠州灘海浜公園と浜名湖ガーデンパークにいってきました。

よいお天気で、ピクニック気分。
浜松駅から車で20分ほどのところにあるのが、遠州灘海浜公園。
野鳥を観察したり、芝生の多目的広場ではボール遊びもできます。

サッカーやラグビーができる球技場もありました。
収用人数は芝生席を入れて12,500人。
ちょうど冬芝の新芽が出てきていました。

平日にもかかわらず、木製遊具広場は子供達で賑わっています。
楽しく遊べそうな遊具なのですが、これはスウェーデン製で
修理を必要とする場合はメーカーが対応するため、
3カ月もかかるとのことでした。

メンテナンスを考えると、外国製のものはこうした経費もかかりますね。
今年から指定管理者制度が導入され、造園業者が運営しています。
植栽もよく手入れされていて、気持ちのよい公園でした。

私が気に入ったのは、次に訪れた浜名湖ガーデンパーク。
「浜名湖花博」が開催された会場を整備して、昨年、公園としてオープンしました。
人気のベストスリーは「モネの庭」「百華園」「展望塔」だそうです。

なぜ浜松に「モネの庭」があるのかが分かりませんが、
モネの「睡蓮」の絵の景色を再現した庭は、なかなかよく出来ていました。
外国の花や樹木なども含め、様々な植物が植えられていて、
なかなか見応えがあります。

来園者の8割がリピーターだそうで、50~60代の女性が多いとのこと。
「リンゴなんかは、みんな取られてしまうんです」と担当者。
悪いオバチャンがいるものですね。

いずれの公園も入園料は無料です。
ただで入場して果物を持っていくなんて。
“大阪のオバチャン”に叱ってもらいましょうか。

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環境を考える会

2006年10月29日 | 2006年
午後からマンションの草とりに参加。
2時間ほど雑草と格闘しました。
とはいえ、ここ3年ほど年に2~3回、草とりを繰り返しているので、
雑草が少なくなってかなり楽になりました。

その後は「マンションの環境を考える会」のメンバーが集まって、2時間ほど打ち上げ。
普段は挨拶を交わす程度なので、こんな機会に少しずつ親しくなることができます。
この会では、昨年から騒音対策として樹木を植えようという話がでています。

美観を保つ意味でも、マンションの資産価値を高める上でも、
植栽を整えることは重要です。
建物の外側に設置されたプランターには、ゼラニウムの花を植えています。
赤い花は建物の色とマッチして、なかなかいい雰囲気です。

私は花の手入れ係をしているのですが、
担当のエリアは日当たりが悪く、さらに風の通り道となっているので、
常に花を咲かせておくのに苦労しています。

とはいえ、殺風景な階段に置かれたプランターに花があれば、心が和むものです。
これから冬に向かうと、寒風に耐えられる花を探さねばなりません。
「なかなか大変」といいながら、実は選ぶのも楽しみなのです。
私の趣味の1つはガーデニングですから。

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迷惑メールにも文化が・・・

2006年10月28日 | 2006年
毎朝、パソコンを開いてまずやることは、迷惑メールの掃除。
皆さんも同様かもしれませんが、最近、さらに多くなってきました。
大事なメールが紛れていることもあるので、
送信者名を見てから削除するのですが、これが結構、大変ですね。

送信者名(ご自分の名前)をアルファベットで書いている人は、
日本語にしていただければ助かります。
それも姓だけでなくフルネームで。
仕事の関係であれば社名を入れいただけると、さらに識別しやすくなります。

それからメールにタイトルは、次のようなものは避けましょう。
「失礼します」
「お願い」
「こんにちは」
「ありがとうございました」
「いかがお過ごしですか」
「ご無沙汰しております」

ここ数日で送られてきた迷惑メールのタイトルです。
だれでも、いつでも使えるタイトルです。
できれば互いの接点となっているテーマを書けば
受信者にも分かりやすくなりますね。

それにしても、海外からくる迷惑メールのタイトルは
ストレートな表現が多いですね。
あえて例をあげませんが、
こんなところにも文化の違いが出ているようです。

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ボランティアの心得

2006年10月27日 | 2006年
昨日は、ニュータウンのまちづくりについて勉強してきました。
「第1回ニュータウン人・縁卓会議」と称して、
各地のニュータウンで様々な活動をしている人の事例について聞いたのですが、
なかなか興味深い内容でした。

事例発表があったのは、日本でもっとも古いニュータウンである千里のほか、
名古屋近郊の高蔵寺、関東からは筑波研究都市と多摩です。

人工的に造った町を住みやすくするためには、
人々が触れ合う機会や活動がとても大切になります。
その活動には、ボランティア精神が必要とされます。

高蔵寺ニュータウンで活動している春日井市コミュニティ推進連絡協議会の
吉田会長は、それを「ちょいボラ」と名付けていました。
「ちょっとだけボランティアをする」という感じで
気軽に始めることを期待しています。

私の仕事のテーマの1つは「スポーツとまちづくり」です。
参考になるエピソードが多々ありましたが、
吉田会長は、ボランティアの心得として
「義務感から使命感にまでなることが大切です」といわれました。


ボランティアに「義務感」や「使命感」という重い言葉が
そぐわないように感じました。
もちろん、軽い気持ちで始めて、
義務感や使命感を持つ人もいると思います。
特に運営の責任者ともなればそんな意識は必要でしょう。

しかし、どうなんでしょうか、もう少し肩の力を抜いて
かかわるやり方はないものでしょうか。

自分の生活で考えてみると、私はマンションの草むしりに参加しています。
残念ながら参加者は居住者の4分の1ほどです。
それでも、私がいつも参加するのは、
自分の住まいの周りがきれいになれば、気持ちよいからです。
「参加しなければ」という義務感は全くありません。

地域のボランティア活動に
責任ある立場で取り組まれてきた吉田会長の言葉です。

「ボランティアの心構え」とはどんなものなのか、
もう時間をかけてて考えてみることにしました。

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ミュージカルの思い出

2006年10月26日 | 2006年
「プロデューサーズ」を一緒に見に行ったSさんから、
メールでブログの感想が届きました。

「さすが文章がお上手です」などと、まずはほめてくれたのですが、
これまで私が見たミュージカルの説明について、
舞台なのか映画なのかがわからない、という指摘がありました。

読み直してみると、確かに「ミュージカル」と書いただけなので
どちから分かりませんよね。
今日は、昔を振り返って少し詳しく書きます。

最初にミュージカルを見たのは、
高校生の時に家族で出かけた映画「サウンド・オブ・ミュージック」でした。
トラップ・ファミリーの長女が「もうすぐ17歳」と歌うのですが、
同じ年頃だったこともあり、とても印象に残っています。

初めての舞台のミュージカルは、ロンドンで見た「ヘア」です。
大学の卒業直前にヨーロッパ旅行をした際、
劇場の前でダフ屋からチケットを買いました。

全裸シーンが日本でも話題になっていた作品です。
台詞も歌も全く理解できず、友人と2人して「見えた」「見えない」と、
ただそれだけを話題にした恥ずかしい思い出です。

仕事で海外に行くようになってからは、
ニューヨークで「キャッツ」や「ミー・アンド・マイガール」を見ました。

「オペラ座の怪人」は私が最も好きなミュージカルの1つです。
最初は、兄が海外土産にくれたカセットテープで聞いて、音楽が気に入りました。
その後、劇団四季の公演を見たのですが、
主役の女性の歌唱力にがっかりしました。

やっぱり日本人はダメなのか、と思っていたところ
松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」で、その思い込みは吹き飛びました。
「見果てぬ夢」は心を揺さぶられました。

数年前に新宿の厚生年金会館で、外国人のキャストによる
「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台公演がありました。

いつか息子に見せたいと思っていたので、
高いチケットを2枚、奮発して買いました。

私にとっては、初めて見たミュージカル。
そして元気だった父母のもとで楽しんだ映画。

父母が亡くなって、すでに15年以上がたちます。
次々に流れてくる懐かしい音楽に遠い日を思い出し、
何度か涙が溢れそうになりました。

息子にとっては、何度目かのミュージカルです。
なぜか感想を聞きそびれています。

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サッカー協会のビジネスモデル

2006年10月25日 | 2006年
きょうの朝刊で最も目を引いたスポーツ関連ニュースは
日本サッカー協会が電通と8年間で240億円の契約を結んだという話題。

これまでの契約は、6年間で160億円です。
ワールドカップ・ドイツ大会では、
日本代表はいい結果を残すことが出来ませんでしたが、
ビジネスの世界では、商品としてのサッカーの価値が
確実にあがっているということですね。

景気のいいニュースがある一方で、女子ホッケーの日本代表は、
唯一のスポンサーだった日本マクドナルド社との契約が今月で終了するという、
気の毒な状況が日刊スポーツで大きく取り上げられていました。

9月のワールドカップで史上最高の5位に入り、
オリンピックでのメダルも夢ではないところまで強くなってきました。
しかし、スポンサーが見つからないのだそうです。

かつてサッカーは、マイナースポーツの部類に入っていました。
事務局はホッケーなどと同様、原宿の岸体育会館の一室にありました。
それが今では80億円で購入したビルに事務局を構えるまでに成長しました。

Jリーグがスタートしてから、
日本のスポーツ界は「サッカーの1人勝ち」の様相を呈しています。
その秘訣を知りたいと、この春、日本陸上競技連盟の幹部が
サッカー協会を訪れたと聞きました。

他のスポーツ団体のノウハウを謙虚に学ぶ姿勢に、
日本陸上界の発展の可能性を感じます。


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プロデューサーズ

2006年10月24日 | 2006年
たまには仕事の後に映画もいいかな、と思って
「プロデューサーズ」を見に行きました。ミュージカルコメディです。
2001年に舞台ミュージカルとして
史上最多のトニー賞12部門を受賞した作品を映画化したものです。

仕事に縛られ夢のない日々を暮らす会計士が、
昔あこがれたハリウッドのプロデューサーに出会い、
2人で最大の失敗作といわれるようなミュージカルをプロデュースするという
奇想天外なストーリーです。

道路を走る車のデザインから推測すると、舞台は1950年代。
デスクの上にあるのはダイヤル式の黒電話。
映画の試写会に訪れるカップルの女性は
みな肩を大きく出し、ふんわりとしたフレアスカートの
エレガントなドレス姿です。

テンポのはやい台詞はドイツ訛りあり、アイルランド訛りありで、
英語を母国語とする人には一層楽しめることでしょう。

これまで私が見たミュージカルといえば、
「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエストサイド物語」
最近では「オペラ座の怪人」や「屋根の上のバイオリン弾き」など
正統派(というのでしょか)ばかりです。

それらと比べて大きく異なるのは、下ネタが次々に出てくること。
つい大声で笑ったシーンを振り返ると
「女性がそこで笑うか?」ということもしばしば。

一緒に見ていたのが女性の友達だったので、
見損なわれることも無く、
お互い「今日は面白かったわね」と感想をいいあって映画館を出ました。
新聞の集金の時にもらった招待券で楽しんだ2時間余でした。

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Jリーガーのキャリア支援

2006年10月23日 | 2006年
サッカーJ2の湘南ベルマーレは、
中田英寿氏が2年前にデザイン監修をしたジュニアユースの
代表ユニフォームを発表しました。

引退しても注目率が高い中田元選手ですが、
今は一体どこで何をしているのでしょう。
ちょっと気になりますね。

ところでJリーガーといっても、
彼のように世界の舞台で活躍して注目される選手はほんの一握り。
大半の選手は、ほとんど知られることもなく20代前半でチームを解雇され、
第2の人生に踏み出さねばなりません。

「Jリーガーになりたい」という子供の頃からの夢を実現しても
それは一生つづけられる仕事ではありません。

人生において1つの目標を達成するのも大変なのに、
リセットしてもう一度あらたな目標を目指さなければならないという人生は
想像しただけでも疲れてしまいます。

Jリーグでは、選手のセカンドキャリアを支援するために
キャリアサポートセンターを設置していますが、
最近、それを事業とする会社がでてきました。

11月1日のスポーツ21・マーケティング研究会
第181回実戦ゼミでは、そうした企業の1つ、
パソナスポーツメイトの事業をテーマとして取り上げます。

ゲストスピーカーは同社の八鍬美由紀社長。
パソナの社内ベンチャーコンペで、スポーツ選手の就労支援を提案して
事業化を実現しました。

八鍬さんは筑波大学時代はサッカー選手、
その後、カヌー選手として国体に出場、現在はカヌーポロ競技の
日本代表コーチという、万能スポーツウーマンでもあります。

ゲストコメンテーターには、元Jリーガーの加納秀益さんをお招きします。
加納さんは1994年に浦和レッズに入りますが、
翌年の大量解雇の際に戦力外通告を受け、
NTT西日本(現NTT九州)に移り仕事をしながら選手生活を続け、
地域リーグで活躍した後、ソニー生命に入社しライフプランナーになりました。

一昨年、グローバルコンサルティングジャパンを設立して経営者となり、
フットサル事業と秀才アスリートの育成事業に取り組んでいます。
実は、加納さんはこのブログの愛読者で、
メールをくれたのをキッカケに知り合いました。

ブログの内容から、偉そうな肩書きのオバサンだけれど(?)
元Jリーガーの話にもを傾けてくれるだろうと思ったそうです。

長くJリーグの理事をしていますが、
これまで選手や元選手とじっくり話をしたことはありません。

事務所にこられた加納さんは元選手の立場から
Jリーガーのセカンドキャリア支援のあり方について
3時間にわたって熱く語っていきました。

実戦ゼミでは、八鍬さんのお話に加えて、加納さんの体験談も
うかがいながら、スポーツ選手のキャリア支援について考えてみます。
ご関心のある方は、オブザーバーで是非、ご参加ください。

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中年は自転車に乗って

2006年10月22日 | 2006年
友人のTさんが、この夏にクロアチア800キロのサイクリングツアー参加しました。
新聞社を早期退職して趣味は能だったはずなのにと、聞いてビックリ。
先日は、箱根から帰る途中にウチに寄ってくれてました。
帰宅してからメールが来ました。
「今日の走行距離は110キロでした」。

10年前から自転車で取材に出かけているスポーツジャーナリストの白髭隆幸さんは、
東京オリンピックのマラソンコースだった国立競技場から
折り返し地点の味の素スタジアムまで自転車で走って、
アベベのスピードの速さを実感したそうです。

仕事のミーティングに、ツーリング用自転車に乗ってくるのはSさん。
時々、多摩川べりのサイクリングコースを走っているそうです。
みんな中年の自転車族です。

20年前に買った私のサイクリング用自転車は
マンションの自転車置き場で埃をかぶっています。
駐輪代を毎月300円を払っているだけでは
もったいないと思っていたところなので
「私もまた自転車に乗ってみようか」と、心が動いています。

まずは週末に自転車掃除を、と考えていたのですが、
自転車は埃をかぶったままで週末は終わりました。
来週こそ、と思っています・・・。

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佐倉の「ホテル」

2006年10月21日 | 2006年
またまた1日あいてしまい、失礼しました。

昨夜は千葉県の佐倉(都心から成田空港に向かって少し手前)で泊まり。
今日、日本女子柔道倶楽部主催の「ザバス・キッズじゅうどう」が開催されるため、
「前日に現地入り」したのです。

私は日本女子柔道倶楽部の理事として、このイベント運営を担当しています。
事務局長のNさんと合流し、インターネットで探した
「湯ぱらだいす佐倉」というホテルに向かいました。

天然温泉があり、大衆演劇もやっているのです。
「たまには温泉にでもつかって、大衆演劇なるものを見てみようか」と、
楽しみにしていました。

JR佐倉駅北口から徒歩1分。
すぐ分かるかと思ったのですが、寂しい駅の周辺には見当たらず、
巨大マンションの陰に隠れている建物をようやく探し当てました。

玄関を入ると、靴を脱いでズラリと並んだ靴箱に靴を入れます。
ホテルというより、健康ランド・・・。
妙なところに来てしまったと思いながら、受付へ。

私の前に並んでいたのは、お風呂に来た人です。
Nさんも戸惑いの様子がありあり。
「奈良にもこのようなところに泊まったことがありますけど、
宿泊客とは受付は別だったし、なかなかよかったですよ」

それに比べて、こちらは宿帳への記帳もいい加減、
クレジットカードも使えず焦りました。
タオルと浴場のロッカーの鍵、それに部屋の鍵を渡されました。

宿泊施設は7階のみ。まさにお風呂屋さんに宿泊する感覚です。
いまさら変更もできず、「何だか変なところに来てしまった」と思いながら
とりあえず荷物を部屋に置きにいきます。

エレベーターに乗ると、和服姿の“白塗り美女”のポスター。
大宴会場で午後7時半から始まる大衆演劇のスターのようです。
7階につくと、廊下の両側に部屋が並んでいます。

カーペットの廊下を裸足で歩く心地悪さ。
金属製のごついドアをあけると、かなり広い部屋です。
普通のビジネスホテルの印象。
ところがIT環境は整っていないため、ブログを書くのを諦めました。
(昨日のブログがアップされていない理由です。)

「ホテル」が予想とあまりにもかけ離れていていたため
私たちのショックは大きく、楽しみにしていた大衆演劇を見に行く気にもなれず、
夕食は外にでかけました。

肝心の「ザバス・キッズじゅうどう」には、初心者の小学生81人の参加があり、
山口香さんの指導のもと、元気に柔道の楽しさに触れてもらい、無事に終了しました。

そうそう、温泉には早朝、10分ほどつかりました。

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若者のボランティア活動

2006年10月19日 | 2006年
私が注目している若者のボランティア団体を1つご紹介します。
あがぺ・インターナショナルです。

7~8年前だったでしょうか、代表のケン・ジョセフさんのコラムを新聞で読んで、
彼が取り組む活動を知りました。

宣教師の息子として日本で生まれ、18歳まで日本で育ちました。
海外でトラブルに直面した日本人をサポートするジャパンヘルプラインの
活動に始まり、ワールドヘルプライン、日本緊急援助隊、
ボランティア・ホットライン、そしてエイズ・ホットラインと、
次々にその舞台を広げてきました。

毎月DMが届きます。郵便振替用紙や返信用封筒と一緒に
日本緊急援助隊の被災地での活動や、
援助に出かけた国の人々の様子が書かれています。

今月はこんな内容です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ハリケーン、カタリーナがニューオリンズ周辺を襲ってから、
まだ1年しか経っていません。その被害は惨憺たるものでした。
亡くなった人は2千人。5万人の人々が競技場のドームの中で電気もなく、
エアコンなしで、食糧や生活に必要なものも十分にない状態で暮らしていました。

その最も悲惨な状態の時に、20人の若者がコンチネンタル航空会社が
提供してくれた切符で、救援物資を持って日本から到着しました。
食料や衣料品などを持ってきて、スタジアムの中で生活している人々と
一緒に生活して、食糧の配給などの世話を始めたのです。

1人の青年はギターを弾いて、そこでひどい生活を強いられている人々を慰め、
励まし、多くの人々から感謝されました。
人々は「あなたは私たちを助けるために、わざわざ日本から来てくれたのですか」と
いって、驚いていました。

今も10万人の人々がホームレスとなり、700人が行方不明のままです。
一年経った今も、緊急援助のチームは、現地で支援活動を続けています。

日本緊急援助隊は1987年に創設されて以来、被災地に一番先に到着するだけでなく、
災害の後始末と被災者の後のケアに力を入れてきました。

災害の直後はニュースにも取り上げられ、多くの人々の関心が寄せられ、
支援も行き届きますが、しばらくするとテレビや新聞も取り上げなくなり、
被災者は忘れられています。
けれども、それで彼らの苦しみがなくなるわけではありません。

有珠山でも、奥尻でも、神戸でも、新潟でも、そのほかほとんど全ての被災地で、
同じ現象が起こりました。本当の困難は、災害から一年が過ぎて、
人々から忘れられる頃から始まる、といってもいいほどです。

私たちのチームの働きをどうかご支援ください。
今だに10万人の人々が臨時の避難所で生活しているのです。
今まで以上に彼らは助けを必要としています。
私たちは彼らを支援し続けたいのです。

日本は毎年、台風に見舞われれます。ですから、日本人である私たちは、
ハリケーンの被害にあった人々の気持ちがよくわかるのです。
被害者の気持ちを理解した助けが、最も尊い助けです。
「わざわざ日本から私たちを助けにくれたのですか」という声を
何度も耳にしました。

私たちが胸を張って「そうです。私たちは日本から皆さんをお助けするために
来たのです」ということができるよう、私たちをご支援ください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
世界各地で地道な貢献活動を続けている彼らに、時々わずかばかりの寄付を送り
敬意を表しています。

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森喜朗元首相

2006年10月18日 | 2006年
午後3時から、笹川スポーツ財団の理事会。
昨日のJリーグ理事会といい、いずれも昼間の会議ですから、
仕事を中断して出かけなければならないのが、辛いところです。

今日の理事会会場は虎ノ門の日本財団ビル。
地下鉄霞ヶ関駅で降りたのはいいのですが、
出口を間違えて遠回りになってしまい、最後は走りました。

息せき切って会議室に飛び込むと、開始数分前で滑り込みセーフ!
今日の議題は、事業計画、予算などです。

開始時間になっても、ひとつ空席があります。
議長の小野清子会長が口火を切りました。
「森理事が遅れるとのことですので、理事会を始めます」

おーっと、森さんが出席されるのですか。
森さんとは、日本体育協会会長の森喜朗元首相のことです。

席は私の右側、隣の隣です。
到着されたのは、会議を開始して30分ほどたったころ。
以前も何度か遠くからその姿を見かけたことはありますが
間近に接するのは初めてです。

さすが政治家、若々しくエネルギッシュな雰囲気をまとっています。
小野会長が「初めてですので、先生、ひと言お願いします」と水を向けたところ、
「いや、いいですよ」と固辞されたのは意外でした。

会議が終わり、挨拶をしようかと迷っているうちに
森さんは帰られました。
さすがの私も気後れしたのですが、元首相とはいえ同じ立場の理事。
次回は気合をいれて(!)、ご挨拶しようと思います。

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新聞報道の限界

2006年10月17日 | 2006年
ちょっと前の話題です。

先週金曜日(13日)の読売新聞に、特集記事がありました。
昨年8月から1年間にわたって連載した企画「検証・戦争責任」について
企画の意図や反響についてまとめたものです。

歴史の専門家などからも高く評価されたそうです。
なかなかの力作だと、私も思っていました。
特に印象に残っているのが、8月15日付の「最終報告」です。

4ページをつぶして、責任者たちが戦争に対してどのように関与し
その結果がどうなったのかを、詳しく検証しています。

最大の責任者は、東条元首相。
国力を過信して戦争を続行し、人権を抑圧して人命も軽視。
近衛文麿元首相ついても、軍部独走を許し、
国家体制を変質させたと指摘しています。

天皇は、立憲制の枠を順守し、
軍総帥ではあったが、実質的権限はないとの結論です。

軍官僚は誤断、独断そして謀略に走り、政治に介入して国策をゆがめた。
議会は戦争を無批判に追認した。
新聞の責任についても、報道の使命を放棄し、
人命・人権を軽視し、膨大な犠牲を強いて国内外の悲劇を引き起こした――。

その結果、戦没者は310万以上にのぼったとしています。
政治家、軍官僚の責任ある立場の人たちについては
名前、肩書きとともに顔写真がズラリと並んでいます。

私は「こんな顔をした人たちが、日本を戦争に引きずり込んだのか」と、
写真に見入りました。

最近の若者は、日本がアメリカと戦争したことも知らない、と嘆く人がいますが、
還暦ちかい団塊世代の私も、中学、高校で第2次世界大戦について
しっかり勉強した記憶はありません。

歴史の先生は、総括されていない戦争について教える自信はなく、
生徒に「自分で読んでおきなさい」といって逃げていたのかも知れません。

読売新聞のこの企画は、ナベツネ氏が陣頭指揮に当たったそうで、
ちょっと見直したりしました。
しかし、頭の隅には、この記事を全面的に受け入れてよいものかどうか、
迷いもありました。

産経新聞が何らかの記事で取り上げるのではないかと期待していたところ、8月18日に
産経抄が「ケチ」をつけました。

読売新聞を日本有数の新聞に育て上げた正力松太郎の責任について
何も触れていないのが問題だというのです。

正力は戦時中、内閣顧問など政府の要職に就きました。
新聞の見出しで「勝利への大道ひらく本土決戦」などと戦争を後押しし、
戦後はA級戦犯容疑者(不起訴)として一時、巣鴨に収容されました。

読売の記事では、言論界で戦争責任のある人物として、
正力と同様にA級戦犯容疑者(同)とされた徳富蘇峰の言動はとりあげながら、
「正力」の名はありません。

産経抄は「自分のことは棚に上げて、と小欄もたびたび叱責(しっせき)をいただくが、
これも腑(ふ)に落ちない」と書いています。

正力松太郎といえば、読売新聞の部数拡大に成功し、
「読売中興の祖」とも呼ばれているそうです。

その人物を戦争責任者の1人として自分の新聞で
取り上げたくない気持ちは分からないでもありませんが、
これまでどの新聞も取り組まなかった歴史的テーマにおいて、
産経抄が指摘するとおり正力を入れていたら、
資料的にもより説得力のある内容となっていたことでしょう。

それにしても、読売新聞だけの読者でなかったことで
新聞報道の限界を改めて認識することができました。

「新聞を読むなら1紙だけではダメ。2紙以上を読まなければ」というのが、私の持論です。

(いつになく重たいテーマの原稿なので、思い出してまた書くのも大変でした・・・。)

株式会社スポーツ21エンタープライズ】 
  代表取締役 三ッ谷洋子
  スポーツビジネスコンサルタント
  スポーツビジネスプロデューサー
  http://www.sports-21.com
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トラブル発生

2006年10月17日 | 2006年
おはようございます。
このところ連日、ブログをアップしてきました。
昨日は夜中までかかって、かなり長い原稿を書きました。

気になった箇所があるので、今、訂正しようとブログを開いたところ、
16日付でアップしたはずの原稿がありません。
(皆さんもお気づきでしょう。)

原稿はいつもワードで書き、
ブログのページにコピーしていますが、
アップした後は、ワードの原稿は消しています。
眠気と戦いながら書いたあの苦労は何だったのか・・・。
がっかりです。

連日、このブログを読んでくださっている皆さん、
また今夜、書きます。

自分の操作ミスで原稿が消えるというのは
最近ではあまりないのですが、油断をするとダメですね。

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