三ツ谷洋子のスポーツ21・ブログ

Jリーグ開幕前から理事として17年間かかわったスポーツビジネスコンサルタントの三ッ谷洋子が日々の話題を取り上げます。

3冊の本

2006年05月31日 | 2006年
ここ1~2日、次々と郵便で書籍が届きました。
1冊目。「スポーツクラブのマネジメント」。
副題には「戦略策定から実行まで」とあります。
著者は武藤泰明さん。早稲田大学教授でありJリーグの理事です。

武藤さんは2年前からJリーグの理事を務めていますが、
それ以前からJリーグ経営諮問委員長として、Jリーグにかかわっています。
三菱総合研究所の主席研究員として、これまで経営関係の著作を何冊も出され、
この4月からは早稲田に移りました。

帯にはこんな説明があります。
「Jリーグ GM講座のテキスト、待望の書籍化」【実務者必携の書】
Jリーグでは各クラブのGM(ゼネラルマネジャー)を対象にした講座を
毎年開催しており、そのエッセンスをまとめたものです。

目次は次のような大項目が並んでいます。
「法人格とガバナンス」「財務」「選手・移籍・代理人」
「クラブチームの組織と人事」「マーケティング」「無体財産のマネジメント」

馴染みの無い言葉もありますが、内容はJリーグの具体例で説明されているので
とても分かりやすく、Jリーグばかりか他のスポーツクラブ経営にも参考になりそうです。

2冊目。「空間づくりにアートを活かす」。副題は「ともにつくるプラスアートの試み」。
帯にはこうあります。
「建築やまちづくりをサポートし、人々に豊かさを提供する。プラスアートの実現手法」

著者は池村明生さん。
企画の株式会社環境計画研究所の竹内義雄さんが送ってくれたものです。
「プラスアート」という言葉は初耳です。

それもそのはずで、この本で提唱している概念です。
「建築やランドスケープが目指す空拳づくりをサポートする」という意味だそうです。
建築や造園、まちづくりにかかわる人を対象にまとめられたとの説明があります。

私のテーマである「スポーツとまちづくり」において、
アートについて考えることがあります。
「参考書」として再度、手にとることがありそうです。

3冊目。「スポーツの危機」下。副題「どこが間違っているか」。
著者はジェームズ・A・ミッチェナー。ピュリッツァー賞受賞作家。
知人に貸して戻ってきたものです。

30年前の出版ですが、これは私の「バイブル」です。
下巻の目次は次のような項目が並んでいます。

運動部中心主義の弊害――大学体育の汚染源
栄光と悲劇の間で――競技者たちの人生像
中年以降のスポーツーー生涯スポーツのすすめ
ふり回されるスポーツ界――マスコミの功罪

商品としてのスポーツ――プロスポーツの機能と問題
混乱からの脱出――スポーツの政治的課題
競争と暴力――スポーツと後輩を促すもの

ミッチェナーは、スポーツの歴史や社会的側面かが
スポーツの諸問題にアプローチし、自論を展開しています
30年たっても、その内容に古さを感じることはありません。
私に様々な示唆を与えてくれる大切な本です。

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  代表取締役 三ッ谷洋子
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HALL OF FAME

2006年05月27日 | 2006年
「日本サッカー殿堂」掲額式典が、先日、JFAハウス内の
日本サッカーミュージアムで行なわれました。
功労者として認められ、写真が掲げられ栄誉を与えられる人を祝う式典です。

招待状が届いたので出席してみました。
(百聞は一見にしかず――ですから、何でも見ておくことが大切です。)
会場は1階のヴァーチャルスタジアム。
通常は大型映像装置(メガビジョン)が設置され、迫力ある映像を楽しめるエリアです。

この日はセレモニー仕様となっており、ステージに向かって並んだ100席ほどが
掲額者の家族、JFA関係者、マスコミなどで埋まっていました。
司会は「ダイヤモンドサッカー」で有名な金子勝彦さん。

第1回の昨年は20人が掲額者に選ばれました。
初代の今村次吉会長から岡野俊一郎前会長まで9人の会長のほか、
“日本サッカーの父”ドイツのデトマール・クラマー、
メキシコオリンピックで3位の原動力となった釜本邦茂、杉山隆一などです。

今回の掲額者10人は故人でした。
私が面識のある人はいませんでしたが、ただ1人名前を聞いたことがある人物を見つけました。
資料にはこのような経歴が書かれていました。

竹内悌三。1908年11月6日、東京都生まれ。

東京府立第五中学校(現都立小石川高校)でサッカーをはじめ
浦和高等学校、東京帝国大学でプレー。
帝大では竹腰重丸氏の後継者としてセンターハーフで活躍し、帝大の黄金時代を築いた。

1936年第11回オリンピック競技大会(ベルリン)では主将。
また、3FB制という新技術に対する優れた理解力と実行力で
優勝候補のスウェーデンを破る快挙に大きく貢献した。

オリンピック後は、単身ヨーロッパ各地を訪ね、現地のサッカー事情をJFAへ報告、
世界の最新事情を提供することで、日本サッカーの技術向上に貢献した。
1946年(昭和21年)4月12日、シベリア抑留中に病没。

年齢を数えてみると、37歳という若さで亡くなっています。
海外の情報を入手する困難さは、今では想像できないものだと思います。
そんな時代にサッカーのために尽力していたことが想像されます。

この「竹内さん」のことを聞いたのは、10年以上前のこと。
新たにJリーグの理事となる照明デザイナーの石井幹子さんを前に、
「石井さんのお父さんは竹内さんといって、日本サッカーの草創期に活躍されたんですよ」と
川淵さんが紹介してくれたのです。

石井さんは3年前に理事は退任しましたが、
この日は遺族として父のレリーフの額を壇上で受け取りました。

「スポーツの殿堂」は、英語では「HALL OF FAME」と呼ばれ
米国ではよく目にしますが、日本のスポーツ界ではほとんど聞きません。

「井戸を掘った人を忘れない」で顕彰する――。
とても大切なことだと思います。



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ウルトラスのFREE PAPER

2006年05月24日 | 2006年
ちょっと前の話です。
サッカーの日本対スコットランド戦の試合があった13日、
会場の埼玉スタジアムに出かけた時のことです。

埼玉高速鉄道の終点、浦和美園駅はスタジアムに向かう人々でごった返していました。
人ごみの中で若い女性が「FREE PAPER」(無料紙)と書いた
青い表紙の冊子を配っていました。

「URTRAS」という白い文字が見えました。
日本代表のサポーター、ウルトラスニッポンが
こんな立派な無料冊子を配布していることに、ちょっと驚きました。

ウルトラスといえば、国内はおろかフランスのワールドカップやアテネオリンピック、
昨年はドイツのコンフェデレーションズカップでも、
現地のスタジアムで日本代表を熱心に応援する姿を見ました。

私が特に印象に残っているのは、アテネオリンピックの直前に
女子の日本代表が駒沢で試合をした時のことです。

男子とは異なり観客席には空席が目立ちました。
しかし、スタンドにはウルトラスの旗があり
男子の試合に勝るとも劣らない応援をしていました。

女子を応援するウルトラスを初めて見て、
とても嬉しくなったのを覚えています。

「FREE PAPER」は表紙を入れて28ページ立てのオールカラー。
雑誌スタイルの装丁なので、「PAPER」というより「MAGAZINE」と
呼んだようがいいようです。

ウルトラスの歴史のほか、ワールドカップ予選で日本が対戦する
3チームの戦力紹介、中山雅史のインタビュー記事。

さらにネットショッピングやXBOXなどの広告もしっかり入っていることに、
ウルトラス代表、植田朝日さんのビジネスセンスを見ました。

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中田選手のプロ根性

2006年05月22日 | 2006年
青山通りを歩いていると、黒を基調に白い矢尻のような形をした柱が
何本も突き出ている奇抜なデザインの建物が目につきました。
かつて高級スーパーの紀伊国屋があった場所です。

看板はなく、左手に入口があります。
店の前には、小さなレストランが出すような緑色のボード。
coffee 350   cafe latte 400 ・・・。

喫茶店かと思ったら、ナカタ・ネット・カフェでした。
「サッカーの中田選手のカフェ」で、
4年前の日韓ワールドカップの際は日比谷に設置されていました。

少しドキドキしながら中に入ってみました。
高い天井。前方の巨大画面にサッカーの試合が映し出されていました。
丸いテーブルがいくつか並び、手前はスタジアムのスタンドのように
階段状になっています。

8割ほどの入り。
ワールドカップが始まれば、試合が放映され応援で盛り上がることでしょう。

1997年の11月。
日本代表はワールドカップ予選をイランと戦い、フランス大会への切符を手にしました。
私はJリーグの役員として、ジョホールバルのラーキンスタジアムで応援していました。

中田選手の活躍は翌日の現地の新聞に、大きな写真とともに紹介されました。
仕事でよく会う中田選手の親戚という女性に、私はその新聞をお土産として渡しました。
(本人の手に渡ったかどうかは分かりません。)
「世界の中田」になる前のことです。

その後、彼は日本サッカー界のカリスマのような存在になりました。
現在、日本代表は福島のJヴィレジで合宿をしています。
19日付の日刊スポーツには、記者と中田選手とのやりとりが
次のように書かれています。

  練習後、日本人記者に英語で初日の感想を聞かれると
  「You know it’s the first day (練習初日だからね)」と英語でひと言、話した。

記者が英語で質問したのは、所属するボルトンでの記者会見で
日本人記者とのやりとりが全て英語だからでしょうか。
イタリアにいたときは全てイタリア語だったようです。

それにしても合宿地は日本の福島。
日本人記者が日本人の中田選手に英語で話しかけるというのも不自然です。

中田選手は信頼できる記者としか話をしないと聞いたことがあります。
新聞記者にひどい目に遭わされた経験があるのだと思いますが、
テレビのインタビューでは落ちついた日本語で立派に話す彼が
新聞記者とはいつまでも日本語で話さないという姿勢が、私には理解できません。

川淵さんは、「いずれ彼にはサッカー協会の仕事をして欲しい」とコメントしています。
大勢いる記者の中にはバカ者と呼びたい人もいるでしょう。
しかし、記者はファン代表という立場で仕事をしているのです。

記者へのコメントは、つまりファンへのコメントです。
一流のプロとは、ビジネスを手広く展開するだけでなく
マスコミへも相応の対応をすることが必要です。
たとえば三浦知良選手のように。

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スポーツ新聞講座

2006年05月19日 | 2006年
午前11時から90分間、ピンチヒッターの先生として授業をしてきました。
東京工学院専門学校スポーツサイエンス学科
サッカーエキスパートコースの授業です。

工学系の専門学校でスポーツサイエンス学科というのはちょっと意外でした。
しかし考えてみると、大学でも様々な学科が出来ているのですから、
専門学校の学科が同様に多様化していても不思議ではありません。

「サッカーエキスパートコース」では、
サッカーにかかわる仕事を希望する若者が勉強しています。
募集パンフレットには、将来の仕事として「公認指導者」「選手マネジメント」
「サッカー施設運営」「スポーツライター」などが紹介されています。

さて、私が担当したのは「スポーツ新聞講座」という枠の授業です。
だいぶ前に学芸大学でスポーツジャーナリズムについて話をしたことがあります。
仕事ではスポーツビジネスやスポーツとまちづくりについて講演をしますが、
「スポーツ新聞」というテーマとなると、
スポーツ記者だった30年以上も前の話になります。

新聞記者を目指したキッカケや、就職活動で感じた女性差別、
スポーツの取材で経験したことなどを話しました。
途中、眠気覚ましに(?)、ベルリンの壁が壊される前に存在していた
スポーツ大国のソ連と東ドイツの写真も見てもらいました。

最後は、今朝のスポーツ新聞(日刊スポーツとサンケイスポーツ)2紙と
全国紙3紙(朝日、産経、日経)を並べて、
それぞれの新聞の特徴や違いについて説明しました。

最近の学生は授業中もおしゃべりをしていると聞いていますが、
寝ている学生はいても、おしゃべりを続ける学生がいなくてホッとしました。

インターネットの普及で、新聞を読まない人が増えました。
特に若い人は全くといっていいほとんど読んでいないようです。
それでも最後に学生たちの何人かが「これからは新聞を読みます」と答えてくれました。

毎日続けることで、社会の見方が変わってくるはずです。
有言実行を願っています。 先生より。

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音楽によるまちづくり

2006年05月17日 | 2006年
サッカー・ワールドカップの日本代表選手が発表されました。
テレビの大騒ぎぶりは、ちょっと白けます。
新聞では全国紙までが1面でこのニュースを伝えていました。

予想外で代表入りしたFWの巻選手は、一夜にしてアイドル状態です。
日本でも、今やワールドカップは国民的行事として定着したといえるでしょう。

ワールドカップに関連して、最近、気になっていたのが
連休の時に東京国際フォーラムで開催されていた
“ラ・フォル・ジュルネ”(「熱狂の夏」の意味)というイベントです。

昨年から始まったクラシックのコンサートなのですが、
ただのクラシックコンサートとは全く趣を異にしています。
演奏するのは世界各国から集まった1,500人を超える一流音楽家。

4日間に渡って朝から晩まで次々に演奏会をします。
昨年はベートーベン、今年はモーツアルトがテーマでした。
1日中、ベートーベン漬け、モーツアルト漬けです。

1つのコンサートは45分程度で、チケット代は1,500円ほど。
通常のコンサートに比べると時間は半分の以下。
チケット代は2分の1から3分の1程度という安さもあって
期間中の人出は30万人を超えます。

サッカーの話がなぜ、クラシック音楽の話になったのか。
その理由はこのイベントが誕生したのが、フランス北部のまちナントだからです。

1998年のフランスワールドカップ予選の第2戦で、
日本がクロアチアと対戦したのが、ナントのボジョワール競技場でした。

「サッカーまちナント」は1995年、まちの活性化のために、
この大掛かりな音楽祭を開催して大成功を収めました。
昨年、初めて東京で開催された時にこのことを初めて知りました。

会場は出店があったりと、テーマパークのような賑やかな雰囲気で、
今年は40%がリピーターでした。

まちにとって、ワールドカップの開催地という機会は大会時だけのもの。
一方、この音楽祭は、毎年テーマを変えながら開催することができます。
「スポーツによるまちづくり」を考えるとき、
このような「音楽によるまちづくり」があることを知っておくことも
必要だと思います。

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役立つ人脈

2006年05月16日 | 2006年
スポーツ界で仕事をする上で重要なのが人脈です。
もちろん他の分野でも人脈は物をいいますが、
スポーツは特に縦社会の意識が強く残っている世界なのです。

私がスポーツの世界で曲がりなりにも仕事を続けてこられたのも
地道に作ってきた人脈のお陰といっていいでしょう。

新聞記者時代にも、担当していたバレーボールやテニスなどでは
全国の統括組織である日本協会の幹部や監督とは面識がありましたが、
現在、仕事で活用している人脈は、会社を設立してから
時間と労力をかけて築いてきたものです。

その1つに、日本スポーツマンクラブという組織があります。
1964年の東京オリンピック後に作られたスポーツ人の親睦団体で、
元オリンピック選手やスポーツ団体の役員、マスコミ関係者、
企業関係者などが会員になっています。
現在、会員数は個人会員、グループ会員を合わせて574人。

会長は古橋廣之進さん。かつて「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた水泳の名選手で
現在は日本水泳連盟名誉会長です。
副会長の長沼健さんは、東京オリンピックの時にサッカー日本代表の監督を務め、
現在は日本サッカー協会の最高顧問。

この他、理事にはこんな方がいます。
小野清子さん。東京オリンピックの体操の銅メダリストで、現在は参議院議員。
櫻井孝次さん。三段跳びでオリンピック選手として活躍し、
現在は日本陸上競技連盟副会長。
木村興治さん。卓球の世界チャンピオンで、現在、日本卓球協会専務理事。

このように選手として輝かしい実績を持つお歴々に交じって、
私もマスコミ出身者として理事会のメンバーに名前を連ねています。
理事に推薦された10年ほど前、「還暦でも小僧扱いされる組織なんですよ」と
ぼやいていた理事がいました。

それほど平均年齢の高い組織なのですが、
各スポーツ団体のキーマンのような人たちの集まりですから、
講師を依頼する時などに「スポーツマンクラブでお世話になっています」の一言を
加えることで、会話がスムースに運びます。

大手新聞の記者でもなく、一般には聞いたことも無い会社の社長である私には
こんな老人サロンのような団体の人脈も、大いに役に立っています。

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民活で変身した区立体育館

2006年05月15日 | 2006年
「銀座deフットサル」という施設をご存知でしょうか。
銀座のど真ん中、プランタン銀座の屋上にあるフットサルコートです。
この施設の運営者、堀場雅彦さんは大学時代の部の後輩です。

OB会で会う度に、フットサルのブームについて話していました。
テニス教室で使っていたコートの空き時間を、
フットサル向けに開放したことろ
予想以上の利用者があり、その後、都内のあちこちに
フットサルコートを開設するようになりました。

「新しい施設のオープン予告を年末にホームページに掲載したんですが、
正月明けにパソコンを開いたら、すでに予約がどっと入っていて驚きましたよ」
3年前にそんな話を聞いて、当社の「実戦ゼミ」でフットサル事業の将来性について
話をしてもらったこともあります。

その後は、会合で会うたびに、私は挨拶代わりに「フットサルはどう?」と聞くと、
堀場さんは「まだまだ人気が続いていますよ」と同様の返事がかえってきます。
単なる一時的なブームではないようです。

堀場さんのフットサル施設経営のポイントは、
ビルの屋上や駐車場、自動車教習所など既存施設を利用することで、
初期の設備投資を極力抑えることです。

そして先ごろ、都内「10番目」の施設をオープンさせました。
JR山手線大崎駅から徒歩3分。
旧品川区立総合体育館を借り受けて内装をリニューアルし
「品川スポーツヒルズ」と名称も変えました。

「大崎スタジアム」と呼ぶフットサルコートはインドア4面、
アウトドア1面があり、都内では最大級の規模。
利用時間は夜の11時半までと、利用者にとってはありがたい開館時間です。

フットサルの他、バスケットボールやテニスなども楽しめる施設で、
改装にはかなりの経費がかかったそうです。
「他の施設で儲かっていなければ、
これだけの改装はできませんでしたよ」と堀場さん。

正面入口を入ったところには、洒落たイタリアンレストランもあり、
スポーツで汗をかいた後に美味しい食事を仲間と楽しむこともできます。

公共スポーツ施設が民間企業によって生まれ変わった事例が、
ここにも誕生しました。

今後、利用者にどのように活用されていくのか、
3年後、5年後と見ていくつもりです。
(後輩の仕事ですから、気になるのも確かですが。)

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都民の憩いの場

2006年05月13日 | 2006年
遅い帰宅が続き2日もあいてしまい、失礼しました。
昨日(金曜日)のお話です。

昼は当社のマーケティング研究会「第176回実戦ゼミ」。
「東京都のPFI事業とは―高尾の森わくわくビレッジを例に」というテーマで
京王ユース・プラザ代表取締役社長の佐原拓爾さんを
ゲストスピーカーにお招きしました。

PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)とは、
公共施設の設計や維持管理に民間の資金やノウハウを活用する方法で、
日本では6~7年前から注目されていました。

東京都がPFIを導入したスポーツ施設はもう1つあります。
江東区にある旧夢の島体育館で、現在は「東京スポーツ文化会館」と
なっています。
ただ、こちらは最終的には競争入札にはならなかったとのことです。

「高尾の森わくわくビレッジ」と呼ばれる施設は
都立八王子高陵高校の施設をリニューアルしたものです。
都の予定価格73.8億円のところを、京王電鉄グループが64.5億円で落札しました。

設立してわずか15年で廃校になった高校ということもあり、
施設は壊さずに活用するという条件でした。
また、高尾の森という自然を活かすことも求められています。

スポーツ活動のほか文化活動も可能で、200人収容の宿泊施設もあります。
昨年4月にオープンして1年。
収支は当初の目標値をクリアしたそうです。

佐原さんにとって予想外だったのは
学生の利用が少なく、逆に中高年の利用者が多いこと。
インターネットで情報を入手するなど、
なかなか積極的な姿勢が見られるそうです。

リピーターは50%ということで、経営は順調と見ます。
利用料金は一般の民間施設より安く、
また年間250万人が訪れる高尾山がそばに控えていることもあり、
都民の憩いの場として新たな人気を集めそうです。

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電車の中の静かな子供たち

2006年05月10日 | 2006年
昼過ぎに都心から郊外に向かう小田急線に乗っていると、
ある駅でお揃いの赤い帽子をかぶった子供が30人ほど乗ってきました。
小学3~4年生くらいでしょうか。
私の車両の前方は赤い帽子で埋まりました。

座席はほとんど埋まっており、
子供たちはドアのあたりにかたまって立っています。
本を読んでいた私は「あ~、うるさくなりそう」と覚悟を決めました。
ところが一向に子供の声が聞こえてきません。

よく見ると誰一人として話をせず、
静かに電車に揺られています。
一体、どんな先生が引率をしているのかと探してみると、
黒い野球帽にリュックを背負った長身の男性が、
そばのつり革につかまっていました。

子供たちもリュック姿です。
遠足というよりは、近くの公園にでも出かけたような様子でした。
そして、とにかくシーンと静かです。

都心の地下鉄などで、
遠足の小学生の集団と一緒になることは珍しくありません。
彼等はいつも周りの人にお構いなく、
声高におしゃべりしたり笑ったりします。

ところがこの小学生たちの様子は全く違うのです。
一体、この子たちの指導をしているのはどんな先生なのでしょうか。
面長で短髪、年齢は30代半ばに見えます。

3つ目の駅で降りると子供たちを2列に並ばせ、
人数を確認したあと「○○君」と1人の男の子の名前を呼びました。
先生はその子の手をとり、先頭に立って改札口に向かっていきました。

同じ駅で降りて5メートルほど離れていた私は、
この間もずっと子供の声を聞くことはありませんでした。
先生が大声で指示していたわけでもありません。

学校から外に出たら静かに行動すること。
たったこれだけのことなのですが、これを子供たちに守らせるには、
日頃の指導あってこそです。

手をつないで歩いていた子には、何か障害があるのでしょうか。
この若い先生の一挙手一投足を見ていたら、
「素晴らしい!」と、思わず声をかけたくなりました。

教育に真剣に取り組む1人の若い先生と
先生の教えを守って静かに電車に乗っていた子供たちの姿に
感動した午後でした。


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ラスティ・カノコギ

2006年05月09日 | 2006年
中華のランチメニューにお箸を運びながらの話題は、
1980年の第1回世界女子柔道選手権から、
この週末に熊本で開催される世界女性スポーツ会議まで。

今日はラスティと、ご主人の鹿子木(かのこぎ)量平さんを囲んでの
昼食会を持ちました。
二人はニューヨークのブルックリンで「九州」という名の道場を持ち、
子供達の指導をしています。
今回はラスティが世界女性スポーツ会議に招待され、
ご主人とは久しぶりの来日です。

私は初めて彼女のことを知ったのは、
米国のWomen’s Sportsという雑誌の記事でした。
彼女は女子の柔道大会がない頃、男子の大会に出場して優勝しました。
ところが、大会を公認したAAU(全米体育協会)は、
後に彼女が女性だと知って、メダルを剥奪してしまいました。

そんな体験から、ラスティはご主人ほか数人の協力を得て、
1980年に初の国際大会である世界女子柔道選手権を
ニューヨークのマディソン・スクエアガーデンで開催してしまいます。

大会開催を足がかりに、IJF(国際柔道連盟)や
IOC(国際オリンピック委員会)を相手に
女子柔道をオリンピックの正式種目にするための運動に取り組みます。

私はWSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)の機関紙(1983年夏号)に、
彼女の記事を翻訳して掲載しました。

この年、WSF(米国女性スポーツ財団)の初めての総会がワシントンDCであり、
私はWSFジャパン代表として会員とともに出席し、開会式で紹介されました。
そこで「私の記事を日本のニュースに載せてくれたのはあなたなのね」と
声をかけてくれたのが、ラスティとの交流の始まりです。

彼女が世界各国の女子柔道選手の署名を集める活動をした時には、
日本での署名集めを手伝いました。
と、ここまでの話はこれまであちこちに書いてきたことです。

最近のラスティとの話題の1つは、ジャクソン・ポロック。
1940~1950年に、アクションペインティングと呼ばれる
独特の画法で注目された米国の画家です。

ラスティはポロックの姪で、著作権の管理をしています。
「3年前にポロックの映画が作られたんだけれど、
ポロックの所作は全て私がアドバイスしたの。とても大変だった」

ポロックの妻、リー・クラスナーも画家で、
Moma(ニューヨークの近代美術館)では作品が同じフロアに展示されています。
「最近は急にクラスナーの人気が出てきて、値段が上がってきた」そうです。

「ビリー・ジーン・キング(かつてのテニスチャンピオンで米国WSFの創立者)が
彼女の作品をとても気に入っている」と、これは新しい情報。

「あなたも叔父様の著作権の管理をしているんですって」と聞かれて
持参した小説をご主人にプレゼントしました。
久生十蘭の「平賀源内捕物帳」と、世界短編コンクールで一等になった「母子像」が
収録されている講談社の「戦後短編小説発見」の2冊です。

ちなみにポロックは十蘭より10歳年下で、ほとんど同じ頃に亡くなっています。
ご主人は米国人の彼女に、どんな訳をして伝えてくれるのでしょうか。


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アサノ知事の責任は?

2006年05月08日 | 2006年
日中の待ち合わせの時間を間違えて30分ほど時間があったので
駅前の小さな本屋さんに寄ってみました。
ビジネス本のコーナーで目に入った1冊がありました。

「疾走12年 アサノ知事の改革白書」(岩波書店)
アサノ知事といえば、そう宮城県の浅野史郎知事です。
帯には「これにて知事を卒業します」。

1993年に初当選し3期目を終えて知事を辞めるのだそうです。
いろいろ話題を提供してこられた知事ですが、
2002年のワールドカップ用に建設された「宮城スタジアム」の責任は
どうするのでしょう。

目次に目を通すと、「楽天」や「ベガルタ仙台」については
実績としてしっかり書かれていましたが、
「宮城スタジアム」という文字は見当たりません。
(自分に都合の悪いことを敢えて書く人もいませんが。)

5万人収用のこのスタジアムは、270億円をかけて建設されました。
最寄の利府駅から徒歩で50分もかかるというアクセスの悪さから
ワールドカップ後はほとんど使われていないようです。

以前もこのブログで書きましたが、
維持し続けるより壊したほうが経費がかからないというので
解体が決まったと聞いています。

スタジアムのような巨大スポーツ施設を黒字で経営することは至難の業です。
調布の東京スタジアムが味の素に「ネーミングライツ」を売って成功してから、
各地のスタジアムが次々に企業に名称を売るようになりました。

サッカーのスタジアムでいえば、横浜国際総合競技場は「日産スタジアム」、
千葉市蘇我球技場は「フクダ電子アリーナ」、「ジュビロ磐田スタジアム」が
「ヤマハスタジアム」となっています。

とはいえ、ネーミングライツにより契約期間中は定期収入が確保されても、
それだけで施設の維持管理費がカバーできるわけではありません。
自治体の首長にとっては施設建設は自身の在任実績を示す魅力的な記念碑となりますが、
住民にとって十分に活用されない施設であれば、
大きな負担だけ残して退任した知事の苦い思い出の証にしかなりません。

巨額の建設費を思うにつけ、施設の行く末を見届け、
責任の所在を明らかにすることは非常に重要です。

株式会社スポーツ21エンタープライズ】 
  代表取締役 三ッ谷洋子
  スポーツビジネスコンサルタント
  スポーツプロデューサー
http://www.sports-21.com 

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芝生の庭がある家

2006年05月06日 | 2006年
好天に誘われて、久しぶりに伊豆高原にある実家にいってきました。
伊豆高原がリゾートブームで注目される少し前、
両親は都内から気候のいいこの地に移り住みました。

この地域は建売住宅で成長した企業が開発したもので
緑の芝生に建つ家は白い壁にチャコールグレーの屋根。
デザインは全て異なっているものの、色は統一されています。

開放的な景観とするために各戸の境界には塀がなく、
駐車スペースに屋根を架けることも禁止されていました。
一口に表現すれば「外国のような景観」といえば想像できるでしょうか。

数年ぶりに出かけた印象は、エリア内の木々がとても大きくなっていること。
開発の際に元の樹木をかなり残しているのですが、
かつては道路からよく見えた家々が、緑の中に半分、埋もれています。

人気の無かった家の庭が様変わりして沢山の花が植えられていたり、
白かった壁がブルーやグリーンに塗られ、
ほとんどの家の駐車場に屋根がつき、隣家との境界線は生垣で区切られていました。

両親が住んでいた頃は、首都圏などに住む老夫婦が自宅を売って定住する
ケースもかなりあって、隣近所もそれなりに交流がありましたが、
今は「隣の人は何する人ぞ」となっています。

我家の管理で最も大変なのが、成長する木々との戦いです。
庭の中央に生えている落葉樹(名称不明)が2階の屋根より大きくなりました。
樹木が育つに従って芝生の成長は勢いを失い、苔が庭を覆い始めています。

芝生が元気に育つようにと、息子に手伝わせて
周りの木々も含めて枝の伐採に取り組みました。
日頃ベランダで育てている小さな鉢植えを思い出すと、
若葉に覆われた大きな枝を切る手が一瞬、止まります。

よく考えてみると、その地域で元々ある植物が元気よく育つのは自然なことです。
「芝生の庭がある家」がこの地でどんな意味があるのか。
いつも芝の手入れに奮闘している兄の努力が空しく思えます。

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  代表取締役 三ッ谷洋子
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サッカー界のCM王

2006年05月03日 | 2006年
山手線に乗って何気なく広告に目をやると、
スーツ姿で大きく脚を広げているのは、Jリーグ・ガンバ大阪の宮本選手です。
つい先日、新聞広告でも本を読んでいる宮本選手を見ました。
今や「サッカー界のCMキング」とも呼ばれているようです。

ちょっと古い話ですが、2002年の日韓ワールドカップで鼻を負傷して
黒い「マスク」姿で試合に出ていましたね。
私は行きつけの美容院で、よくサッカーをネタにおしゃべりをします。

私が指名する美容師のYさんはいつも
「サッカーはルールがよくわからないし、
やっばり野球の方が面白いですよ」といっていました。

それがワールドカップが開幕して
日本代表の活躍が連日マスコミで取り上げられるようになると
Yさんもお店の人も、すっかり“日本チームサポーター”に変身。
「この前の試合の時はお客さんが誰もこないので
お店の皆でテレビを見てましたよ」。

さらに「宮本って、マスクをとったらいい男じゃないの」と嬉しそう。
Yさんは娘1人を持つ40代半ばの女性ですが、
関心もなかったサッカーの面白さに気付き、
ついでに男前の選手も見つけました。

日本のサッカーや選手のことを褒められると、
私もなんだか鼻が高くなったような気分になります。

かつて、コマーシャルで起用されるスポーツ選手といえば
プロ野球が多かったのですが、
今ではサッカーに取って代わられました。

英国の高級紳士服ブランド「ダンヒル」は、
日本代表にスーツを提供しています。
上着の内ポケットには日本サッカー協会のシンボル、
三本足の「やたガラス」のエンブレムがしっかり縫い付けてあります。

この公式スーツが近々、全国発売されるそうです。
グレーのウール地で価格は20万4千750円と結構なお値段。
あなたも宮本選手のように装ってみますか?

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  代表取締役 三ッ谷洋子
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ドラゴンズを説得?

2006年05月01日 | 2006年
朝日、読売、日経、報知、東京中日、サンスポ、スポニチ。
1972年のミュンヘンオリンピック当時、
各社でバレーボールを担当していた記者が
渋谷の中華レストランに集まりました。

全日本男子チームの監督だった松平康隆さんご夫妻を囲んでの昼食会です。
サンスポでバレー担当だった私も、久しぶりに顔を出しました。
テレビのアナウンサーやディレクターも含めて25人ほどが、
男子バレー華やかな頃の話題で盛り上がりました。

お世話になった各社のお兄様方も、
今は定年退職して悠悠自適の毎日を送っている人や
別の会社に所属している人などいろいろです。
中でも皆の注目の的は、プロ野球・中日ドラゴンズ社長となった西川順之助さんです。

私がバレーを担当した時は、すでに中日スポーツ(当時)のベテラン記者でした。
たまたま席が隣だったので、プロ野球経営について聞いてみました。
第一声は「なかなか難しいよ」。

私のプロ野球経営の考え方は「Jリーグのクラブのように
独立採算として地域密着路線で活性化すべき」というものです。
それを提案すると「新潟(アルビレックス)というところは凄いらしいね。
自治体の協力がかなりあるっていうじゃない」と西川さん。

「そのために地域名をチーム名に入れているんです。
ヤクルトが今シーズンからチーム名に『東京』とつけたことで、
入場者数が1試合平均で2500人も増えているそうですね。
中日もそうされてはどうですか」。

西川さんはそう簡単には同意しません。
「プロ野球では球団が赤字になった場合、
親会社の補填分に税法上の特例措置があって
税金がかからないことになっている。この優遇措置が大きいのでね」

バレーの席で、プロ野球人にJリーグの仕組みを説明するというチグハグさのためか、
私の説明も舌足らずで、中日の姿勢を確認するだけで終わってしまいました。
(説得しようと思う方に無理があったのかも・・・。)

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  代表取締役 三ッ谷洋子
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