スポーツで食べていく
2005年は社会に出て35年目、会社を設立して25年目を迎えます。
私は新聞記者として仕事をスタートし、
フリーランスのスポーツジャーナリストとなり、
現在はスポーツビジネスのコンサルティングを業務とする
「スポーツ21」を経営しています。
新聞社を退社した後も私がスポーツに拘ったのは、
ほとんどライバルがいない分野だったからです。
当時、「スポーツライター」はいませんでした。
新聞社を辞めて執筆業をしていても、肩書きは皆「フリーライター」。
スポーツのテーマだけでは食べられなかったからです。
スポーツ総合誌ナンバーも出ていない頃のことです。
当時もスポーツ雑誌は出版されていました。
しかし、記事は新聞社の記者がアルバイトで書くのが一般的で、
原稿料もそれ相応のアルバイト料金でした。
これでは食べていけません。
私はペンだけで何とか食べていくために
「人がやらないこと」を目指しました。
当時、ソ連、東ドイツといった社会主義国が健在でした。
折りしも1980年のモスクワオリンピック前ということで、
オリンピックのたびに大量のメダリストを輩出する
社会主義国のスポーツ制度に注目しました。
それらの国にとって、スポーツは社会主義の宣伝手段です。
トップ選手は国の広告塔。
今の選手がスポンサー企業にとっての広告塔ですから、
それの国家版と考えれば分かりやすいでしょう。
ソ連と東ドイツにはモスクワオリンピックを含めて5~6回、行きました。
そして、私は社会主義国のスポーツについて
日本で最も詳しいジャーナリストになりました。
しかし、モスクワオリンピックでは、日本はアメリカに同調して
参加を見送ったこともあり、
社会主義国のスポーツという話題へのニーズは、
そう長くは続きませんでした。
仕事のテーマをスポーツビジネスに絞り込んだのは
こんな経験があったからです。
「スポーツと企業のかかわりは、21世紀には一層、緊密になるはずだ」
これが私の考えでした。
キーワードは「21世紀のスポーツビジネス」。
会社を作った25年前、21世紀は遠い先のことであり、
「スポーツビジネス」という言葉は日本では使われていませんでした。
会社として目指したのは、
スポーツ界とスポーツに関心を持つ企業の橋渡しをする役割です。
他の誰もがやっていないことでした。
近年、スポーツマーケティングや
スポーツマネジメントを専業とする企業が次々と誕生しています。
昨年は、早稲田大学にスポーツビジネス学科ができました。
「スポーツビジネス」という言葉が一般に定着した今、
「スポーツでどのように食べていくのか」は、
相変わらず私にとって大きな課題です。
株式会社スポーツ21エンタープライズ 代表取締役 三ッ谷洋子
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツプロデューサー
http://www.sports-21.com mitsuya@sports-21.com
Copyright © 2004 Sports 21 Enterprise, All Rights Reserved.
2005年は社会に出て35年目、会社を設立して25年目を迎えます。
私は新聞記者として仕事をスタートし、
フリーランスのスポーツジャーナリストとなり、
現在はスポーツビジネスのコンサルティングを業務とする
「スポーツ21」を経営しています。
新聞社を退社した後も私がスポーツに拘ったのは、
ほとんどライバルがいない分野だったからです。
当時、「スポーツライター」はいませんでした。
新聞社を辞めて執筆業をしていても、肩書きは皆「フリーライター」。
スポーツのテーマだけでは食べられなかったからです。
スポーツ総合誌ナンバーも出ていない頃のことです。
当時もスポーツ雑誌は出版されていました。
しかし、記事は新聞社の記者がアルバイトで書くのが一般的で、
原稿料もそれ相応のアルバイト料金でした。
これでは食べていけません。
私はペンだけで何とか食べていくために
「人がやらないこと」を目指しました。
当時、ソ連、東ドイツといった社会主義国が健在でした。
折りしも1980年のモスクワオリンピック前ということで、
オリンピックのたびに大量のメダリストを輩出する
社会主義国のスポーツ制度に注目しました。
それらの国にとって、スポーツは社会主義の宣伝手段です。
トップ選手は国の広告塔。
今の選手がスポンサー企業にとっての広告塔ですから、
それの国家版と考えれば分かりやすいでしょう。
ソ連と東ドイツにはモスクワオリンピックを含めて5~6回、行きました。
そして、私は社会主義国のスポーツについて
日本で最も詳しいジャーナリストになりました。
しかし、モスクワオリンピックでは、日本はアメリカに同調して
参加を見送ったこともあり、
社会主義国のスポーツという話題へのニーズは、
そう長くは続きませんでした。
仕事のテーマをスポーツビジネスに絞り込んだのは
こんな経験があったからです。
「スポーツと企業のかかわりは、21世紀には一層、緊密になるはずだ」
これが私の考えでした。
キーワードは「21世紀のスポーツビジネス」。
会社を作った25年前、21世紀は遠い先のことであり、
「スポーツビジネス」という言葉は日本では使われていませんでした。
会社として目指したのは、
スポーツ界とスポーツに関心を持つ企業の橋渡しをする役割です。
他の誰もがやっていないことでした。
近年、スポーツマーケティングや
スポーツマネジメントを専業とする企業が次々と誕生しています。
昨年は、早稲田大学にスポーツビジネス学科ができました。
「スポーツビジネス」という言葉が一般に定着した今、
「スポーツでどのように食べていくのか」は、
相変わらず私にとって大きな課題です。
株式会社スポーツ21エンタープライズ 代表取締役 三ッ谷洋子
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツプロデューサー
http://www.sports-21.com mitsuya@sports-21.com
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