先日、東松山で行わた「日本スリーデーマーチ」に
いつもの仲間と一緒に“飛び入り参加”
(要するに登録しないで参加)して、
20キロを歩いてきました。
骨折した足首がちょっと心配でしたが、
何ともありませんでした。
大学のキャンパスは起伏の激しいところで
10分の休憩時間に急こう配の坂を
駆け足で下ったり上ったりしているので、
これが絶好のリハビリになっているのかも知れません。
翌日も翌々日も大した筋肉痛もなく、
体の衰えを感じることもありませんでした。
(ちょっと嬉しい…。)
さて、サッカーの日本代表はワールドカップアジア3次予選で
北朝鮮に0-1で負けてしまいました。
マスゲームのようなスタンドの
異様ともいえる応援風景が印象的でしたね。
ところで今日は、日本代表が前回の試合をした
タジキスタンの首都・ドゥシャンベを話題にします。
日本ではほとんど馴染みのない地名ですが、
私が30年前に取材で訪れた懐かしいまちです。
1980年5月。
モスクワオリンピックを3か月後に控えた時のことです。
社会主義国ソ連が崩壊するずっと前。
世界は東西対立の真っ只中にありました。
米国のカーター大統領は、
ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、
西側諸国にオリンピックボイコットを呼びかけ、
日本スポーツ界は政府の圧力で
やむなくボイコットを決めた後のことです。
モスクワオリンピック組織委員会から
月刊誌「ナンバー」に一つの依頼がありました。
「ソ連のスポーツ事情」について
日本のジャーナリストに取材してほしいというものです。
私は2年前に日本のジャーナリストとして初めて
「オリンピックを迎えるソ連」を取材しています。
当時のソ連は、今の北朝鮮のように
誰もが気軽に取材できる国ではなく
経験のある私に依頼がありました。
1週間ほどの取材日程だったように記憶しています。
取材スケジュールには
グルジア共和国(現グルジア)の「トビリシ」、
タジク共和国(現タジキスタン)の「ドゥシャンベ」といった
聞いたことのない地名が並んでいました。
「ドゥシャンベ」を地図で探してみると
なんと南の国境はアフガニスタンに接しています。
日本を発つ1週間ほど前の新聞には
アフガニスタンに侵攻したソ連軍の負傷兵士が
ドゥシャンベに運び込まれているという記事が出ていました。
そんなところに取材に行ってもいいのだろうか…。
ソ連側が招待しているからには問題はないと思うものの、
従軍記者になるような気分で、とても不安でした。
モスクワに着くとすぐに、
産経新聞モスクワ支局のS支局長に相談することにしました。
同行のカメラマンTさんも私同様、緊張した面持ちで、
こう質問しました。
「もし戦車を見かけたら、どうしたらいいでしょうか」
S支局長の答えはこうでした。
「(取材をアレンジしてくれた)ノーボスチ通信も、
そういう写真は報道用に欲しいはずですから、
その写真をあげれば喜ぶと思いますよ」
当時のソ連では、駅や飛行場、橋などを撮影することが
禁止されていました。
観光客が何気なく撮影したら、警察に拘束されたという
話もよく聞いていました。
今回の場合は、ソ連側が取材許可をしているのだから、
心配することはないというのです。
私たちは「そんなものなのか」と思いながらも、
恐る恐るという感じでドゥシャンベに飛びました。
現地に着いてみると、
街の雰囲気はのどかな印象でした。
青空市場があるというので行ってみると
兵隊をたくさん載せたトラックが到着しました。
何事かと身構えたところ、
トラックから降りてきた兵士たちは三々五々、
買い物を始めたのです。
これがアフガニスタンと国境を接する
ソ連のタジク共和国首都…?
ここがアフガニスタンに侵攻していったソ連軍を
送り出したまち…?
この様子を日本の新聞にニュース記事として送りたいと思ったものの、
日本に電話が通じるのに3日もかかるといわれ諦めました。
この時、私以外に西側の記者はいない状況だったので、
「特ダネ」を送れなかったことを、今でも残念に思っています。
この時の写真が資料の中に埋もれていたので、
この機会に皆さんにお見せします。
(いつまでも、入院中に院長先生が差し入れしてくれた夕食の
写真だけというのも、冴えませんので。)
写真は30年前のドゥシャンベです。
今回のサッカーの試合で取材に行かれた増島みどりさんによれば
「あまり変わっていないのではないですか」ということですが
今はどんな様子なのでしょうか。
●木陰でくつろぐ男たち
●民俗音楽の「青空音楽会」
●青空市場で野菜を買う兵士
●ロバで移動する人も
●牛の乳を搾る女性
===========================
三ッ谷 洋子
株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
法政大学スポーツ健康学部教授
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
いつもの仲間と一緒に“飛び入り参加”
(要するに登録しないで参加)して、
20キロを歩いてきました。
骨折した足首がちょっと心配でしたが、
何ともありませんでした。
大学のキャンパスは起伏の激しいところで
10分の休憩時間に急こう配の坂を
駆け足で下ったり上ったりしているので、
これが絶好のリハビリになっているのかも知れません。
翌日も翌々日も大した筋肉痛もなく、
体の衰えを感じることもありませんでした。
(ちょっと嬉しい…。)
さて、サッカーの日本代表はワールドカップアジア3次予選で
北朝鮮に0-1で負けてしまいました。
マスゲームのようなスタンドの
異様ともいえる応援風景が印象的でしたね。
ところで今日は、日本代表が前回の試合をした
タジキスタンの首都・ドゥシャンベを話題にします。
日本ではほとんど馴染みのない地名ですが、
私が30年前に取材で訪れた懐かしいまちです。
1980年5月。
モスクワオリンピックを3か月後に控えた時のことです。
社会主義国ソ連が崩壊するずっと前。
世界は東西対立の真っ只中にありました。
米国のカーター大統領は、
ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、
西側諸国にオリンピックボイコットを呼びかけ、
日本スポーツ界は政府の圧力で
やむなくボイコットを決めた後のことです。
モスクワオリンピック組織委員会から
月刊誌「ナンバー」に一つの依頼がありました。
「ソ連のスポーツ事情」について
日本のジャーナリストに取材してほしいというものです。
私は2年前に日本のジャーナリストとして初めて
「オリンピックを迎えるソ連」を取材しています。
当時のソ連は、今の北朝鮮のように
誰もが気軽に取材できる国ではなく
経験のある私に依頼がありました。
1週間ほどの取材日程だったように記憶しています。
取材スケジュールには
グルジア共和国(現グルジア)の「トビリシ」、
タジク共和国(現タジキスタン)の「ドゥシャンベ」といった
聞いたことのない地名が並んでいました。
「ドゥシャンベ」を地図で探してみると
なんと南の国境はアフガニスタンに接しています。
日本を発つ1週間ほど前の新聞には
アフガニスタンに侵攻したソ連軍の負傷兵士が
ドゥシャンベに運び込まれているという記事が出ていました。
そんなところに取材に行ってもいいのだろうか…。
ソ連側が招待しているからには問題はないと思うものの、
従軍記者になるような気分で、とても不安でした。
モスクワに着くとすぐに、
産経新聞モスクワ支局のS支局長に相談することにしました。
同行のカメラマンTさんも私同様、緊張した面持ちで、
こう質問しました。
「もし戦車を見かけたら、どうしたらいいでしょうか」
S支局長の答えはこうでした。
「(取材をアレンジしてくれた)ノーボスチ通信も、
そういう写真は報道用に欲しいはずですから、
その写真をあげれば喜ぶと思いますよ」
当時のソ連では、駅や飛行場、橋などを撮影することが
禁止されていました。
観光客が何気なく撮影したら、警察に拘束されたという
話もよく聞いていました。
今回の場合は、ソ連側が取材許可をしているのだから、
心配することはないというのです。
私たちは「そんなものなのか」と思いながらも、
恐る恐るという感じでドゥシャンベに飛びました。
現地に着いてみると、
街の雰囲気はのどかな印象でした。
青空市場があるというので行ってみると
兵隊をたくさん載せたトラックが到着しました。
何事かと身構えたところ、
トラックから降りてきた兵士たちは三々五々、
買い物を始めたのです。
これがアフガニスタンと国境を接する
ソ連のタジク共和国首都…?
ここがアフガニスタンに侵攻していったソ連軍を
送り出したまち…?
この様子を日本の新聞にニュース記事として送りたいと思ったものの、
日本に電話が通じるのに3日もかかるといわれ諦めました。
この時、私以外に西側の記者はいない状況だったので、
「特ダネ」を送れなかったことを、今でも残念に思っています。
この時の写真が資料の中に埋もれていたので、
この機会に皆さんにお見せします。
(いつまでも、入院中に院長先生が差し入れしてくれた夕食の
写真だけというのも、冴えませんので。)
写真は30年前のドゥシャンベです。
今回のサッカーの試合で取材に行かれた増島みどりさんによれば
「あまり変わっていないのではないですか」ということですが
今はどんな様子なのでしょうか。
●木陰でくつろぐ男たち
●民俗音楽の「青空音楽会」
●青空市場で野菜を買う兵士
●ロバで移動する人も
●牛の乳を搾る女性
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三ッ谷 洋子
株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
法政大学スポーツ健康学部教授
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表