三ツ谷洋子のスポーツ21・ブログ

Jリーグ開幕前から理事として17年間かかわったスポーツビジネスコンサルタントの三ッ谷洋子が日々の話題を取り上げます。

スポーツ21・マーケティング研究会 第201回例会

2012年10月29日 | 2012年
本日は、少しばかりPRです。

当社主催の「マーケティング研究会 第201回例会」を11月5日に開催します。
テーマは、日本がようやく参加を決めたWBCを取り上げます。

来年3月の大会では、過去2回優勝した「侍ジャパン」の活躍が期待されますが、
日本プロ野球選手会は一時、不参加を宣言し、
紆余曲折を経ての参加表明となりました。

そもそもWBCはどのような目的で開催されているのか―
選手会が指摘した「日本にとって不利な条件」とはどのような内容なのか―
その条件はどうクリアされたのか―

こんな内容で、日本側の交渉窓口であるNPB事務局法規部長の伊藤修久さんに
交渉の経過や日本野球界の課題などについてご講演いただきます。

概要は以下の通りです。ご興味のある方は是非、ご参加ください。

<スポーツ21・マーケティング研究会 第201回例会>

■講師■ NPB(日本野球機構)事務局法規部長 伊藤修久氏

<略歴>1986年、関西学院大学を卒業。90年6月に日本人として
初めて米国オハイオ大学大学院スポーツ経営コースに入学し91年3月に卒業。
マイナーリーグ球団のインターンを経て、ハワイ・ウインターリーグ社長補佐として
日本向けビジネスのコンサルティング業務に携わる。同年11月に帰国しNPBに就職。
その後、20年間に渡り国際担当として日米間の選手契約、WBCの交渉・運営など
MLBとの全ての折衝に当たる。また、法規部部長として選手会との労使交渉、
野球協約の作成、オーナー会議運営実務などを担当。1963年、大阪府生まれ。

■日時■11月5日(月)午後6時半~9時 
     講演 6:30~7:30 質疑応答・懇親会 7:30~9:00

■会場■法政大学市ヶ谷キャンパス ボアソナードタワー1101教室
    千代田区富士見町2-17-1

■参加費■(資料代・懇親会代含む)
    一般10,000円  院生3,000円  学生2,000円

   
■締め切り■11月1日(木)までにmail@sports-21.comにご連絡ください。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
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マナーが崩れた社会

2012年09月22日 | 2012年
先日、東京プリンスホテルで行われた
日本レスリング協会の「オリンピック・メダル獲得祝勝会」にいってきました。
オープニングは「メダリストたちの軌跡」と題したVTRの上映。

続いて監督・コーチ・選手が壇上に上がって順番に紹介。
福田会長の挨拶の後は、文部科学省副大臣、内閣官房副長官、
スポンサー企業社長の祝辞…と、続いていくのですが、
その様子を静かに見守っているのは
前列にいるほんの一握りの人たちだけ。

会場は約1000人の来場者でごった返していましたが、
メダリストと指導者が特別表彰の場面に移っても拍手はまばらです。
「祝勝会」は、皆でお祝いをするために開催しているはずですが、
大半の参加者は仲間うちのおしゃべりに終始しています。

日本のパーティーはこのような光景が当たり前になっていますが、
よく考えてみると、これっておかしいですよね。
私も初めてこのような場に出席した時には
延々と続く来賓の挨拶にも黙って耳を傾けたものです。

それがいつしか朱に交わって(?)
挨拶をしたり雑談をするようになってしまいました。
「どうせ誰も聞いていないんだから」というのが
暗黙の了解のようになっています。

口元に人差し指を当てて
「おしゃべりはやめましょうよ」と目配せしてくれたのは
長くアメリカで仕事をしているTさんでした。
もう20年以上も前のことです。

ニューヨークで開催されたスポーツ・ビジネス会議の
初日のウエルカムパーティーの時でした。
日本側からは私と3人の男性が出席していました。

公の場で誰かが話をしている時は
黙って話を聞くのは、当たり前のことです。
それがいつのころからかすっかり乱れてしまいました。

この日はさらに驚いたことがあります。
私の後ろにいた男性がお寿司の屋台から
何皿ものお寿司を仲間のところに運んで食べ始めたのです。

呆れて向き直ると2人の男性が
テーブルに並んだご馳走をお皿にとり、
お箸を動かしているのです。

開会から50分ほどが経過し、
檀上ではJOCの竹田会長が乾杯の音頭を取っています。
乾杯が終わってからお料理をいただくというマナーも
ここでは全く関係ありませんでした。

これが金メダリストを輩出した日本のスポーツ団体なのかと
あまりに情けない光景に愕然としました。

嘆いているばかりでは何の解決にもならないので、
福田会長にお会いしたときに、私の考えを伝えようと思います。

誰かが言わなければ、
誰かが危機感を持って直そうとしなければ、
日本社会のマナーが完全に崩壊してしまうのは明らかです。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
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 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
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サボり過ぎ

2012年09月02日 | 2012年
またまた長らくのご無沙汰をしてしまいました。

今日は朝から雨雲が立ちこめ、
急に雨が降ったり雷が鳴ったりしていますが、
少し涼しくなりました。

たまにはブログも「手入れ」が必要かと思って開けてみると、
ブログのテンプレートが全く変わっていて焦りました。

2ヵ月以上、更新しないとこういう“お仕置き”があるようです。
せっかくアクセスしてくださった方には
読みづらくて申し訳ありませんでした。
今日、更新することで、以前の見え方に戻るはずです。

ブログをサボっている間にオリンピックが終わり、
パラリンピックが始まりました。

3年前に工事中のオリンピックパークを見学した私としては、
完成した施設も見たかったのですが、
高騰したホテルの宿泊代をどうしようかと迷っている間に、
タイミングを逸してしまいました。

それにしても今回のオリンピックを振り返って痛感するのは、
報道の異常な加熱ぶりです。
新聞の全国紙が「スポーツ紙」に、
テレビやラジオのニュースが「スポーツニュース」になってしまいました。

オリンピックは今や他に類を見ない地球規模の巨大イベントとなり
関連ビジネスも世界市場で強烈な存在感を見せています。
とはいえ、世界はスポーツだけで成り立っているわけではないはずで、
「正しい報道」のあり方とはどうあるべきかと、
何度も考えさせられました。

試合の実況中継では、冷静に伝えなければならないアナウンサーと解説者が
日本選手(チーム)の応援団と化しています。
同じ日本人として気持ちは分かりますが、
試合を客観的に伝えることが、本来の仕事なのではないでしょうか。

試合結果を「優勝、2位、3位」でなく
「金メダル」「銀メダル」「銅メダル」と表現するのも気になります。
かつて「メダル」は二義的表現として使っていました。

最近は、オリンピックだけでなく、
世界選手権やワールドカップなどの世界大会の結果も
メダルの色で伝えるようになっています。

間違いではないのですが、私にはどうしてもスッキリしません。
自分が体験した昔のこととつい比較してモノを言ってしまうのですが、
これを「年寄のタワゴト」―というのかも知れませんね。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
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いつかきっと・・・

2012年05月02日 | 2012年
前のブログから、はや2ヵ月が経とうとしています。
すっかりサボりの常習犯となってしまいました。

以前は毎日こまめにブログを書いていたので
「また、どこかで転んで入院か?」などと
心配されている方もいらっしゃるかも知れませんね。

大丈夫です。元気です。
駅の階段やバスを降りるときは、
しっかり手すりにつかまっていますし、
寒く長かった今年の冬も、
風邪ひとつひかずに過ごしました。

ところで昔は大学の先生といえば、
マイペースで授業や研究をされていて
とてもノンビリしているように見えましたよね。

でも、実際に自分がなってみると、
とにかく仕事が多いのにビックリです。

私は、先生のキャリアもまだまだ浅いというのに、
昨年度から学部主任という役割が回ってきて
最近では「文部行政の問題」について
偉そうにいっぱしの意見も言うようになりました。

さて、ゴールデンウイーク。
昨日からお天気は崩れていますが、
東京のまちは、去年の節電もすっかり忘れて
繁華街は無駄な照明が復活しています。

一方、被災地はまだまだ復興と呼べない状況のようです。
日本人として絶対に忘れてはならない現実があります。

そこで、前のブログで触れた学生のレポートのうち、
心に残ったものをいくつか選んで、
皆さんにご紹介します。


課題は「自分のまちをスポーツで元気にし、
その活動を被災地支援につなげる」というものです。
(要点のみ抜粋)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<1年生:Aさん>

地元のスポーツ団体で有志を募り
被災地へ派遣しスポーツイベントを開催する。
適度の運動は心をリフレッシュさせストレスを解消する。
避難所で生活している人も参加できるようなものであればなおよい。

私が主張したいのは、遠くからの支援でなく、
近くで支援するべきだということである。
お金を寄付しても、それが実際に被災地の元へ届くのか、
被災者にとって有益に使われるのか、不透明な部分がある。

それならば実際に被災地へ赴いて
自分たちで支援の手を差し伸べたいと考えた。

今だからできることがあると思う。
そのことを、今「普通」に生活している我々が考え、
実行に移すことが、被災地を元気に、
さらには日本を元気にする力になると主張したい。

<1年生Mさん>
スポーツを通して自分のまちを活性化するために、
将来、私は地元でスポーツカフェ・バーを経営したいと考えている。
その店でフットサル大会を主催し、
それをチャリティーマッチとして行う。

私が店を出す頃、震災の復興がどれほど進んでいるかわからないが、
復興が完了していないのであれば、
少しでも寄付金で復興の力になりたい。

また、その大会では被災した県から参加者を募り、
県対抗で試合を行うというのも面白いと思う。
私のまちは福島県と隣接しており、
東北地方の人々も足を運びやすいと思う。

地域コミュニティーのつながりが希薄化し
問題視されている現代において、
スポーツが地域の交流を深め盛り上げていく力は、
非常に大きいと思う。

その力と、自分がそれに貢献できることを信じて、
まちが盛り上がるよう努めたい。

<1年生Aくん>
私は、スポーツやレクリエーションの情報、
住民が参加してみたいという活動のニーズを
地域の人々から集める拠点のような場所、
もしくは仕組みをつくりたい。

私は去年5月、宮城県にボランティアで活動をした。
避難所で生活する高齢の方を対象に、
簡単な指の運動を行ったところ、
とてもにぎわったことを覚えている。

その運動を通して、現地の高齢者とボランティア学生の
距離が縮まることを感じた。

スポーツを行うのが難しい環境だからこそ、
コミュニケーションや健康、何よりも楽しみのために
スポーツが担う役割は大きい。

たとえば大人から子どもまで参加することができる
「小さな運動会」をやってみたい。

そこでは、高齢者は多くのコミュニケーションをとり、
大人はまた明日から頑張ろうという気持ちになり、
子どもはまたさらに元気になることができれば、
まちの盛り上がりに役立てるかもしれない。

<3年Hくん>
私のまちでは、毎年12月の第1週目の土曜日に
市内ロードレースが行われている。

小学生の部からシニアの部まで男女の部が設定されており、
市内の多くの人が集まり、大変盛り上がるイベントである。

現在は無料であるが、ここで参加費を徴収して
被災地への義援金として集められないだろうか。

コース沿いではいたるところで家族が応援にきている。
レース観戦者はとても寒い思いをするので、
たとえば豚汁、ホッカイロ、応援グッズなどを
有料(安価)で販売し、それも義援金とする。

このように、もともと人の集まるイベントを利用して
募金を集めることを思いついた。

法政大学のスポーツ健康学部には3つのコースがあるが、
他のコースの授業も受講することができる。

東日本大震災復興に協力する視点からスポーツを見たとき、
一つの目線に限定するのではなく、
このように多角的に物事を見ることによって思いつくことのほうが、
必要なのではないだろうか。

私たち法政のスポーツ健康学部生にはその可能性がある。

それぞれができることを、
それぞれが得意な形で、
それぞれのやり方で支援していこうという人々の間に
私たちが立つことで、
協力し合う人たちの潤滑油として活躍できるだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いずれ学生たちが社会に出て
何かの機会に「そういえば」と思い出し、
さらに「やってみようか」と一歩を踏み出してくれれば
私の授業も少しは社会的な意義を持つというものです。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
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まちづくりには女性と若者の意見を!

2012年03月11日 | 2012年
あの日から1年。
この日に向けて新聞やテレビで、震災関連の特集が溢れています。

いったい被災地で何があったのか―。
どうしても知りたくてテレビのチャンネルを合わせてしまいます。
被災された方の言葉を読むにつけ、聞くにつけ、涙が滲んできます。

一方、復興に向けた政府や地域の会議の様子をテレビで見ると、
いつもやりきれない気持ちになります。
一人の女性の姿も見当たらないからです。

どこもコミュニティーを支えているのは女性です。
地域活動の場面に足を運べば、
素晴らしい働きをしている多くの女性たちを目にするはずです。
男性ばかりで本当に血の通った計画が作れるとは思えません。

そしてさらに耳を傾けて欲しいのは、
「震災後」の新しい社会を創っていく若い世代の声です。

私が大学で担当している授業の一つが「スポーツとまちづくり」です。
期末試験の代わりにレポートを書かせています。
今年のテーマは、「スポーツ活動を通した被災地支援」でした。

「自分のまちのスポーツ活動を通して被災地支援をする」企画を考え、
さらに「自分がそこでどのような役割を果たすのか」についても
記述するというものです。

そして提出された約130人分のレポート。
採点しながら何度も手が止まり、
彼らの記した文面に目が釘付けになりました。

学生たちは単にスポーツによるまちづくりの企画を書いたのではなく、
新たな社会を創る世代の一人として
復興に取り組んでいこうという覚悟を記していたからです。

学生のレポートを採点しながら、
彼らの言葉に感動するという体験は
考えてもみなかったことでした。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
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新聞連載「人間・松平康隆」から

2012年02月06日 | 2012年
みなしごハッチさんのコメントから思い出して、
昔のスクラップブックを引っ張りだしてみました。

1972年10月18日から1ヵ月にわたって
サンケイスポーツで私が担当した連載記事です。

ミュンヘンオリンピックから1ヵ月後。
連載の第1回の前文にこう書いています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 男子バレーボールに悲願の金メダルをもたらし、
 8年間の大任を果たした全日本の松平康隆監督は、
 10月16日すべてを後任に譲りその座を去った。

 かつては“バレー界のお荷物”とまで酷評された男子バレーを、
 世界一に仕立てた男である。

 その独特な理論、行動力、実行力 ―
 ミュンヘンでは“東洋のナポレオン”と
 外国チームから恐れられた。

 そんな男の生い立ちをふりかえってみた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちょうどチェコスロバキアの動乱直前の
脱出劇について書いた記事を映像でご紹介します。

それにしても40年も前の新聞記事です。
すっかりセピア色になっています・・・。

●記事を2度クリックすると拡大して読むことが出来ます。






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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
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「負けてたまるか」

2012年01月24日 | 2012年
年末に“バレーの松平さん”が亡くなりました。
ブログで何度か松平さんのことを取り上げたことがありますが、
私が最も影響を受けたスポーツ界の先輩でした。

大学を卒業して産経新聞に入り、
社会部からサンケイスポーツ運動部に配属された私は、
バレーボール担当となりました。

当時、松平さんは全日本男子チームの監督で、
2年後のミュンヘンオリンピックを目指していました。

初めて記者会見を取材した後、「私も慶応出身です」と自己紹介をすると、
「そう後輩だね、頑張って」と、笑顔で励まされたことを覚えています。

男子バレーは1964年の東京オリンピックで銅メダル、
次の1968年のメキシコオリンピックで銀メダルを獲得し、
「残るは金メダル」と勢いに乗っている時でした。

とはいえ、東京オリンピックで優勝した“東洋の魔女”の人気のせいで
男子バレーへの注目率は今一つでした。

バレーの日本リーグには、各新聞社が様々な個人賞を出していて、
毎年、各社のバレー担当記者がくじ引きをします。

私が引いたのは男子スパイク賞でした。
会社に戻ってデスクに報告すると
「なんで女子の賞じゃないんだ」と叱られました。

そんな風潮の中で、松平さんは男子バレーの人気を高めるために
テレビ局とタイアップして「ミュンヘンへの道」という番組を作ったり
若手選手を売り出すために隠れたエピソードを披露して
記者たちにネタを提供しました。

オリンピック前には強豪国との試合を組み
日本ファンの期待を煽りました。
国交のなかった東ドイツを招待しようと奔走し
クラブチームを呼んで期待に応えました。

大会直前に出した著書のタイトルは「負けてたまるか」。
金メダルを取ると公言し、見事に実現させました。
男子バレー人気は急上昇し、
練習会場にもファンが殺到するようになりました。

私は新聞で松平さんの半生を連載記事としてまとめ
部長賞をもらいました。

松平さんはお話が上手なので
話されるままを書いただけなのです。

そのお話の中では、スポーツと政治が深く関わっていることを
気付かせてくれました。

私の母が松平さんのファンで一度お会いしたいというので、
ご自宅に一緒にうかがったことがあります。
色紙にサインをお願いすると、
添えられた座右の銘は「負けてたまるか」。

念願の金メダルを取ってもなおこの言葉なのかと、
意外に思ったものです。

1980年のモスクワオリンピックでは
日本のスポーツ界は政府の圧力に負けて大会ボイコットを決めましたが
最後までボイコットに反対した一人が松平さんでした。

「日本のスポーツ界は理論武装しなければだめだ」というコメントが
今でも強く印象に残っています。

この年の10月、私が企画した第1回国際女性スポーツ会議で
松平さんにシンポジウムのコーディネーターをお願いしました。

体操のチャスラフスカ(チェコ)や陸上のアシュフォード(米国)など
世界の女性トップ(元)選手を集めた会議です。

「なんで僕が女性スポーツなの」と最初は驚かれましたが
快く引き受けていただきました。
(当時は女性の適任者がいなかったのです。)

その後もいろいろな場面でお願いすることも多く、
最近では松平さんが主催される
「ミュンヘンオリンピック当時のマスコミ人の会」に
毎回、呼んでいただきました。

2年前だったと思います。
開始時間を間違えて欠席してしまいました。
「三ッ谷さん、どうしたの」と電話をもらいました。

その後、何度か電話でお話しすることはありましたが
お会いしていませんでした。
あの日、時間を間違えていなかったらと、
今でも悔やまれます。

そうそう、私の座右の銘も「負けてたまるか」です。
折に触れて自らに言い聞かせる言葉となっています。

松平さん、たいへん長いことお世話になりました。
ありがとうございました。

合掌

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 三ッ谷 洋子
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