三ツ谷洋子のスポーツ21・ブログ

Jリーグ開幕前から理事として17年間かかわったスポーツビジネスコンサルタントの三ッ谷洋子が日々の話題を取り上げます。

「争うは本意ならねど」

2011年12月26日 | 2011年
本のタイトルです。
サブタイトルにこうあります。
「ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と
彼を支えた人々の美(ちゅ)らゴール」

先日、木村元彦さん(「オシムの言葉」の著者)から送られてきました。
私の名前も出てきます。

私は当時、Jリーグの理事として
Jリーグの対応に納得がいかず反対意見を述べたのですが、
理事会では私に賛同する意見はなく孤立状態でした。

その頃、我那覇選手が所属したフロンターレや各クラブのドクター、
サポーター、彼の出身地である沖縄の人々などが
我那覇選手を支えるために様々な活動をしたことを知り、
心強く思いました。

様々なやりとりの中で、両組織や当該委員会関係者の回答に
何度か「耳を疑う」シーンが紹介されていますが、
読みながら私は「目を疑い」、言葉もありませんでした。

読了後に痛感したのは、日本サッカー協会とJリーグの
最高責任者の判断ミスと対応のまずさです。

私は、その後の理事選任の際に理事の任を解かれ
“在任最長不倒”の16年7か月が終わりました。

スポーツ新聞の「誤報」から始まった些細な事が
FIFA(国際サッカー連盟)、WADA(世界ドーピング機構)、
CAS(スポーツ裁定裁判所)までを巻き込む大騒動になった顛末について
ご関心のある方は、是非、本書を手に取ってみてください。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
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色あせる「おいでませ!山口」

2011年12月09日 | 2011年
大学の講義で、時々、外部のゲスト講師をお招きしています。
山崎泰広さんの講義では
「今まで大学で受けた授業の中で、
もっとも心に響くものだった」というコメントが
少なくありません。

山崎さんは米国留学していた高校時代に
寄宿舎の3階から転落して脊髄を損傷し、
以来、車椅子生活を余儀なくされています。

小さい頃から「スポーツ大好き少年」で、
車椅子生活になってからも積極的にスポーツを楽しみ、
バルセロナパラリンピックでは水泳で6位入賞しました。

現在も記録を保持する現役選手で、
「できればロンドンオリンピックに出たい」と
笑顔で話されています。

山崎さんの素晴らしいところは、
「障害者」は「納税者」になるべきだ、と
社会的な自立を目標にされているところです。
ご自身も障害者用機器の輸入販売会社を経営されています。

後期も講義をしていただきましたが、
紹介されたエピソードの1つは、
日本社会の障害者に対する理解の低さを
痛感させられるものでした。

山口国体の後に行われた「障害者スポーツ大会」で
京都代表となった車椅子の女性選手が
宿泊予定のホテルに電話で
バリアフリー設備について問い合わせたところ
こんな答えが返ってきたそうです。

「ウチはバリアフリーではありません。
移動の際には、県の選手団が手伝われるのではないですか」

日本のホテルでは、洗面所の床の部分の仕切りがあり
またいで入る構造になっています。
車椅子で入るのは不可能で、
誰かに担いでもらわなければなりません。

しかし、トイレを使うたびに、バスに入るたびに
他人の手を借りなければならないのでは
誰だって宿泊する気にはなれません。

その女性は大会出場を辞退することにして
県協会連絡したところ、
バリアフリーの宿泊施設があるセミナーハウスを探してくれ、
予定どおり大会に出場できたそうです。
(この施設はバリアフリーの部屋が2つだけ。)

山崎さんによれば
「山口県にバリアフリーのホテルは1軒もない」とか。
我が耳を疑いました。

バリアフリーでないホテルでは
這ってトイレやバスに行かなければなりません。

1992年にパラリンピックを開催したバルセロナは
大会開催のために町をバリアフリー化して
「バリアフリーのまち」を実現しました。

1988年に冬季パラリンピックを開催した長野は
大会開催中だけ仮設のバリアフリー設備で対応し
大会後は元の「バリアフルなまち」に戻しました。

国体はオリンピックを真似て
国体に続けて障害者スポーツ大会を同じ県で開催しています。
しかし、大会のホストたる県が
未だにバリアフリーの正しい意識も持っていないとは
情けない限りです。

松葉杖生活を送っていた
昨年の不便な生活を思い出しました。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
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30年前の特ダネ

2011年11月17日 | 2011年
先日、東松山で行わた「日本スリーデーマーチ」に
いつもの仲間と一緒に“飛び入り参加”
(要するに登録しないで参加)して、
20キロを歩いてきました。

骨折した足首がちょっと心配でしたが、
何ともありませんでした。

大学のキャンパスは起伏の激しいところで
10分の休憩時間に急こう配の坂を
駆け足で下ったり上ったりしているので、
これが絶好のリハビリになっているのかも知れません。

翌日も翌々日も大した筋肉痛もなく、
体の衰えを感じることもありませんでした。
(ちょっと嬉しい…。)

さて、サッカーの日本代表はワールドカップアジア3次予選で
北朝鮮に0-1で負けてしまいました。
マスゲームのようなスタンドの
異様ともいえる応援風景が印象的でしたね。

ところで今日は、日本代表が前回の試合をした
タジキスタンの首都・ドゥシャンベを話題にします。

日本ではほとんど馴染みのない地名ですが、
私が30年前に取材で訪れた懐かしいまちです。

1980年5月。
モスクワオリンピックを3か月後に控えた時のことです。

社会主義国ソ連が崩壊するずっと前。
世界は東西対立の真っ只中にありました。

米国のカーター大統領は、
ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、
西側諸国にオリンピックボイコットを呼びかけ、
日本スポーツ界は政府の圧力で
やむなくボイコットを決めた後のことです。

モスクワオリンピック組織委員会から
月刊誌「ナンバー」に一つの依頼がありました。
「ソ連のスポーツ事情」について
日本のジャーナリストに取材してほしいというものです。

私は2年前に日本のジャーナリストとして初めて
「オリンピックを迎えるソ連」を取材しています。

当時のソ連は、今の北朝鮮のように
誰もが気軽に取材できる国ではなく
経験のある私に依頼がありました。

1週間ほどの取材日程だったように記憶しています。
取材スケジュールには
グルジア共和国(現グルジア)の「トビリシ」、
タジク共和国(現タジキスタン)の「ドゥシャンベ」といった
聞いたことのない地名が並んでいました。

「ドゥシャンベ」を地図で探してみると
なんと南の国境はアフガニスタンに接しています。

日本を発つ1週間ほど前の新聞には
アフガニスタンに侵攻したソ連軍の負傷兵士が
ドゥシャンベに運び込まれているという記事が出ていました。

そんなところに取材に行ってもいいのだろうか…。
ソ連側が招待しているからには問題はないと思うものの、
従軍記者になるような気分で、とても不安でした。

モスクワに着くとすぐに、
産経新聞モスクワ支局のS支局長に相談することにしました。

同行のカメラマンTさんも私同様、緊張した面持ちで、
こう質問しました。
「もし戦車を見かけたら、どうしたらいいでしょうか」

S支局長の答えはこうでした。
「(取材をアレンジしてくれた)ノーボスチ通信も、
そういう写真は報道用に欲しいはずですから、
その写真をあげれば喜ぶと思いますよ」

当時のソ連では、駅や飛行場、橋などを撮影することが
禁止されていました。
観光客が何気なく撮影したら、警察に拘束されたという
話もよく聞いていました。

今回の場合は、ソ連側が取材許可をしているのだから、
心配することはないというのです。

私たちは「そんなものなのか」と思いながらも、
恐る恐るという感じでドゥシャンベに飛びました。

現地に着いてみると、
街の雰囲気はのどかな印象でした。
青空市場があるというので行ってみると
兵隊をたくさん載せたトラックが到着しました。

何事かと身構えたところ、
トラックから降りてきた兵士たちは三々五々、
買い物を始めたのです。

これがアフガニスタンと国境を接する
ソ連のタジク共和国首都…?

ここがアフガニスタンに侵攻していったソ連軍を
送り出したまち…?

この様子を日本の新聞にニュース記事として送りたいと思ったものの、
日本に電話が通じるのに3日もかかるといわれ諦めました。
この時、私以外に西側の記者はいない状況だったので、
「特ダネ」を送れなかったことを、今でも残念に思っています。

この時の写真が資料の中に埋もれていたので、
この機会に皆さんにお見せします。

(いつまでも、入院中に院長先生が差し入れしてくれた夕食の
写真だけというのも、冴えませんので。)

写真は30年前のドゥシャンベです。
今回のサッカーの試合で取材に行かれた増島みどりさんによれば
「あまり変わっていないのではないですか」ということですが
今はどんな様子なのでしょうか。

●木陰でくつろぐ男たち


●民俗音楽の「青空音楽会」


●青空市場で野菜を買う兵士


●ロバで移動する人も


●牛の乳を搾る女性


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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表


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カネメのモノは身につけておく

2011年10月31日 | 2011年
久しぶりに会う人に、
「足の具合はどうですか?」と聞かれます。
今は痛みを感じることはほとんどありません。

骨をつないでいるボルト2本と
くるぶしを補強しているプレートを取り出さなければならないのですが、
また手術をして皮膚のトラブルをおこす可能性があると思うと
どうしても気が向きません。

私より2年ほど前に自転車で転んで
同様に足首を複雑骨折した小野清子さんは
「カネメのモノは身に着けておくの」といってボルトを入れたままなので、
私もしばらくは“先輩”に倣っています。

「小野清子さん」とは、東京オリンピックで活躍された体操選手。
現役を引退後、慶応大学などで体育を教えていましたが、
その後、参議院議員となり国土交通大臣などを務められて政界を引退。

とはいえスポーツ界では肩書も多く、
最近までtotoの“胴元”である日本スポーツ振興センター理事長、
現在は笹川スポーツ財団理事長などをされています。

私が雑誌のインタビューで初めてお会いしたのは30年ほど前。
しばらくして米国WSF(女性スポーツ財団)の年次総会が
ワシントンで開催されるというので、
私がお誘いしたのがお付き合いのキッカケです。

以前は時々お食事をしたりしましたが、
議員になられた後はその機会がありません。

小野さんは、私が評議員や理事を務める団体の理事長や会長であることが多く、
会議の席でご挨拶する程度なのですが、
去年から挨拶代りの話題はもっぱら「足の骨折」です。

果たしてボルトを体内に入れたままにして良いものか-。
気にはなっているのですが、特に支障はないので
「身に着けておく」ことで意見が一致しています。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表



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おいでませ!山口国体

2011年10月11日 | 2011年
山口県で国体が開催されています。
「へえ~、知らなかった」と答える人の方が多いかも知れませんね。
10月1日から始まっています。
この土曜日に1泊でいってきました。

私の目的は競技観戦というより、国体用施設の視察です。
20年ほど前から10年間、
私は山口県阿知須(あじす)干拓地の活用計画から、
県のスポーツ振興計画策定までアドバイザーとしてかかわり、
その後、国体用の陸上競技場コンペの審査員をしました。

そんな縁が続いた山口での国体です。
東京生まれで「田舎」を持たない私にとって
山口は第二の故郷のようなものかも知れません。

これまでの仕事では、
いつも県庁の担当者が空港まで出迎えてくれていたのですが、
今は県の肩書がないので出迎えはありません。

一人で空港からバスに乗り維新百年記念公園の「競技場前」で下車。
コンペの時に目にした「完成予想図」を思い出し、
ドキドキしながら陸上競技場へ。

スタジアム正面の入口上に掲げられた
「おいでませ! 山口国体」の文字が目に飛び込みました。
競技場だけでなく周りに設置されたテントエリアも
賑わっています。

いざ、競技場の中へ。
フィールドの鮮やかな芝の緑が目に沁みます。
9レーンのトラックでは「少年女子800メートル準決勝」が
行われていました。

地元山口県の選手は残念ながら決勝進出はなりませんでしたが、
スタンドからは温かい拍手が送られていました。
私が座ったスタンドの前方は「車椅子エリア」。
年配の女性が家族と共に観戦していました。

メインスタンド上には三日月型の屋根がついています。
日本のスタジアムでよく見かけるデザインですが、
両端の細くなった部分の下の座席が
雨にぬれるのではないかと心配です。

この競技場が建設された公園は
もともとテニスコートなどがあり賑わっていました。
大会後の活用も心配ないのではないかと見ています。

翌日はJR宇部線の阿知須駅で下車して
徒歩約20分の「山口きらら博記念公園多目的ドーム」へ。
ホッケーの試合会場となっているはずですが、
2両編成の電車から降りたのは
私の他、たったの2人。

1人は大会を取材にきたカメラマン。
駅横の案内所で「会場で弁当を売っていますか」と質問しています。
もう1人は自治体の人のようです。
来年の国体開催県の担当者かもしれません。

駅前の真正面から向こうに延びる道路の前方に
ドームの白い屋根が見えます。
念のため道順を聞くと
「この道をまっすぐ行くと道の駅がありますから、その先です」

国体の幟の立つ駅前や
まちの様子をデジカメで写しながら歩いていくと
フェンスの向こうにドームが見えるのに、
行けども行けどもドームに近づくことができません。

ガラ空きの駐車場やサッカー場を越えて、
ようやく目指す多目的ドームに到着しました。
大会パンフレットの地図には徒歩「約20分」とありますが本当でしょうか。
私の時計で50分ほどかかりました。

ドームの中ではホッケーの「成年女子」準決勝が行われていました。
スタンドに近いところが練習場になっていて、
試合コートはその向こうにあります。
なぜ、スタンド側に試合コートを設置しなかったのでしょう。

グラウンドの中央に設置された仮設の客席まで行って試合を見ました。
客席の中央部分が周囲より高くなっていて(VIP席?)
コートの角の部分がその陰に隠れて、プレーが見えません。

入場無料なので文句はいいませんが、
有料だったらお客は怒りますよ。

そろそろランチの時間。
ドームの外に「うどん」の幟を立てたバンが停車しています。
発泡スチロールのドンブリが風で飛んでいるところを見ると
食事というよりオヤツ程度のうどんのようです。

駅に戻れば周辺にお店があるかも知れません。
駐車場のボランティアの人に道を尋ねると、
私が来た道で間違いないといいます。

山口の「約20分」は私の時計で50分と諦めて
炎天下、汗をかきかき阿知須駅に戻りました。
駅長さんに確認したところ、
往復とも道を間違えていることが分かりました。

「道の表示がなくて、係員の説明も分かりにくいということですね、
23日に反省会があるので報告しておきます」とのこと。
(ヨロシクお願いします。)

山口といえば、萩や秋吉台などの名所がありますが、
会議で訪れる度にあちこち案内してくれたので
ほとんどの名所はこれまでに行っています。

そこで今回は残りの時間を利用して常盤(ときわ)駅で下車して
常盤公園、石炭記念館を見学しました。
あちこちで道順を聞いたりしたのですが、
皆、とても親切で改めて人の温かさを実感しました。

今、思い出してみても
バス停で隣に座っていたオトウサン、
和食レストランの受付のオバサン、
生涯センターの事務所のオジサン、
無人駅の待合室にいたオニイサン、
自転車で通りがかった野球チームの少年たち、
私の質問にみな優しく丁寧に答えてくれてくれました。

「まちづくり」で大切なのは、
そのまちに住む人々のホスピタリティーです。

今回の国体の名称は「おいでませ!山口国体」ですが、
改めて「おいでませ!」(ようこそ、いらっしゃいました)と
キャッチフレーズに付けなくても
山口は、もともとそんな「まち」のようです。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
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ワインを泣かせるワイナリー

2011年09月15日 | 2011年
ゼミ合宿で河口湖に行ってきました。
バーベキューや花火を楽しんだ翌日、
皆で宿の近くの「ワインセラー」に行くことになりました。

学生たちも、いずれ社会に出てワインを飲む機会があるでしょう。
社会人になるためのそれなりの“意義”もあると考えました。
とはいえ「入館無料」「試飲できます」という
パンフレットの文言につられたのが、最大の理由です。

ヨーロッパの田舎を思わせる平屋建ての建物の入口には
ワイン樽が積み上げられ、ワイナリーの雰囲気を醸しています。
中に入ると穴倉のような部屋に
熟成を待つ樽が並んでいました。

私は以前、友人が主宰する「ワインを楽しむ会」に
参加していたことがあります。

下町の小さなフランス料理レストランで
オーナーシェフの奥さんが「ワインの先生」。
毎回、ご主人のお料理と、それに合う1本千円~2千円台の
比較的安い3種類くらいのワインをいただきます。

手作りの地図なども準備して丁寧な説明をしてくれました。
私はウンチクを傾けるより、
安くて美味しいワインが飲めればそれで十分というタイプですが、
一応のワインの知識はそこで学びました。

さて、ワイナリーの先には、
土産物がずらりと並んだエリア。
その一角に「試飲コーナー」がありました。

担当の女性が山梨県の「勝沼ワイン」の赤を
ほんの少しだけついでくれます。

「先生は辛口、甘口どちらが好きですか?」
イタリアンレストランでアルバイトをしている学生が聞いてきます。
「辛口が好き」
「やっぱりそうですよね」
「でも、一緒に食べるお料理にもよるけれど、ね」

などと話している間に最初の赤ワインの一口はなくなりました。
説明の女性は「次は白をお試しになってください」というなり
赤ワインが入っていたグラスに白をつぎ足しました。

ロゼワインでいいんですか?
学生にはいい勉強となりましたが、
勝沼ワインが泣くワイナリーでした。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
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違和感のある化粧

2011年09月04日 | 2011年
9月に入り夏休み気分も冷めてきた頃でしょう。
ところが大学は9月半ばまで夏休みが続いています。
こんなに休みが長くていいのかと心配になりますが、
「昔はもっと長かった」とベテランの先生。

私は会社もやっているので大学が休みでも仕事があり、
夏休みは世間並みにお盆の週の数日間でした。

東北の被災地で行われるスポーツ大会の運営を
お手伝いに行く予定にしていたのですが、
その地域の方々が仮設住宅に移動されるというので
残念ながら大会は中止になってしまいました。

ところで、このところ国際大会が目白押しですね。
比較的時間があるのでいつもよりは頻繁にテレビ観戦をしています。
世界陸上にサッカー。

日本選手たちを応援しながら見ているのですが、
試合以外にどうしても気になることがあります。
女子選手の付けまつ毛。

確か1980年代前半にも流行っていました。
初めて女子プロボウリングを取材にいった時のこと。
(須田開代子、中山律子、並木恵美子が「花のトリオ」などと
呼ばれて活躍していた頃です。)

大会が行われているボウリング場に行くと
テレビのライトに照らしだされた女子選手たちが
付けまつ毛に厚化粧でボールを投げていました。

お化粧をしてやるスポーツがあることに驚きました。
その後、付けまつ毛の流行は鳴りを潜めていましたが、
最近、復活してきました。

今度は、陸上競技やサッカー選手にまで広がっているようです。
そうそう昨年、入院していた時に
たまたま傷口を見てくれた皮膚科の女医さんが
付けまつ毛をしていました

「お医者さんが付けまつ毛をしていて何か問題があるか」と問われれば
特に反論はできないのですが、違和感がありませんか。
眉をそる男性と同じように「?」と感じてしまいます。

東海林さだおが著書で
「高校野球の選手が眉を剃っているのがとても気になって
結局、見ていた試合の勝敗が分からなかった」という感覚と
共通するものがあります。

できればこの2つの流行は
早く下火になってくれないかと思う初秋のこのごろです。

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 三ッ谷 洋子
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最近、読んだ本から

2011年08月23日 | 2011年
先週の雨から、東京は涼しい日が続いています。
夏休みということで、読書に精を出すのもいいかもしれませんね。

今日は、ここ数か月で私が読んだ本(仕事以外の本)を
順番にご紹介します。

東海林さだお『おにぎりの丸かじり』
山崎豊子『沈まぬ太陽』(一)
東海林さだお『そうだ、ローカル線、ソースかつ丼』

山崎豊子『沈まぬ太陽』(二)
佐々木紀彦『米国製エリートは本当にすごいのか?』
東海林さだお『おでんの丸かじり』

山崎豊子『沈まぬ太陽』(三)
今泉耕介『帰ってきた「はやぶさ」』
ジャレド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』(上)

私の乱読ぶりを知る友人は
「いったいどういう嗜好の人なんだ」と呆れています。

山崎豊子は社会派の作品を書く小説家であることは知っていましたが、
読むのは初めてです。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
『沈まぬ太陽』の主人公は、日本航空の社員がモデル。
舞台となっているのは「殿様体質」の日航です。

今から10年以上前に書かれた小説ですが、
現在の経営破綻が予見できる体質が、
そのまま書かれています。

山崎豊子は毎日新聞の学芸部記者として、
上司で後に作家となる井上靖にしごかれたそうです。

先日、読み終わった第三部は
ジャンボ機墜落事故がテーマでした。

墜落現場でバラバラになって散在していた遺体の惨状や、
遺族が遺体に面会する光景が緻密な取材をもとに記され、
当時の報道からはうかがい知ることのできなかった
多くのことを伝えています。

ノンフィクションでは伝えきれないものを伝えられるのが
フィクションだと改めて思いました。

ここでいう「フィクション」とは単なる「創作」ではなく、
事実をつなぎ合わせ、
それを「より真実に近づけるために創作した作品」という意味です。
今更ながら山崎豊子という小説家の力量に感心しながら読んでいます。

電車で読み始めると、よく乗り越してしまいます。
近くの本屋さんで品切れの第四部、第五部も楽しみです。

上記の本の全てコメントすると長くなりますので
もうひとつだけお勧め。
東海林さだおデス!

親戚の病気見舞いに買ったのですが、
その前に読んでみたら、これが傑作。
東海林さだおはもともと漫画家なのですが、
漫画より数倍も面白いのがエッセイです。

発想の意外さ、大胆さ。
奇想天外とは彼のことか--。
とにかく、「そんな見方があったのか」と驚くばかり。

頭が固い人、視野が狭い人には、是非、お勧めします。
もちろん「普通」だと自認している人にも。
(最近、会う人ごとに勧めています。)

面白すぎて、つい笑ってしまうので、
電車の中で読むときは注意した方がいいかも知れません。

もし、面白くない1日だったら、
寝る前に東海林さだおを読むと楽しい気分で寝られます。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
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「スポーツとまちづくり」ゼミ

2011年08月01日 | 2011年
8月というのに、東京は梅雨のようなはっきりしないお天気で
気温もあがらず涼しい日が続いています。

さて、法政大学のホームページでは各学部のゼミを紹介するコーナーがあり
今日から私のゼミが取り上げられています。
8月半ばくらいまでなら、フロントページの写真をクリックすると
文章を読むことができます。

学生に囲まれて真ん中で座っているのが私です。
ゼミが始まったばかりの時間で、まだ気合が入っていないせいか
大人しそうにしています??

しばらくお会いしていない人は
「ちょっと白髪が増えたんじゃない?」という感想を
持たれるかも知れません。

いつも通っている美容院の美容師さんによると、
「抗生物質」を摂取すると一気に白髪が増えるのだそうです。
去年の骨折の時と、炎症を起こした時に、
連日、使っていましたから仕方ないですね。
(ちなみに私は髪を染めるのが好きではありません。)

ところで、ゼミのテーマは「スポーツとまちづくり」です。
内容はサイトを読んでいただくとして、
学生は現在、3年生が9人、2年生が17人います。

本来なら4年生もいなくてはならないのですが、
我がスポーツ健康学部は3年前にできたため
最高学年が3年生となっています。

相談できる上級生がいないのが、ちょっとかわいそうです。
昨年、ゼミを始めるに当たって最初に思い出したのは
私自身の大学時代のゼミでした。

「マスコミ論」の生田正輝先生のゼミです。
とても人気があり、同じクラスの男子も受けたのですが、
残念ながら入れませんでした。

「生田ゼミは、女子なら誰でも入れるんだ」とふてくされていた様子が
今でも忘れられません。

「女子なら誰でも」という言葉が引っ掛かりましたが、
それ以上に、マスコミの勉強をしたいという意欲を持った彼が
ゼミを落ちて意欲を失ったことが
何とも気の毒に思えました。

そんな昔のことを思い出して、
私のゼミを希望する学生は全員入れてあげたいというのが、
正直な気持ちです。

かといって学生が多すぎると、きちんと指導することができません。
私には助手もいないので、全て一人で対応しなければならないからです。

そこで3年生が2年生の指導をするようにしているのですが、
経験のない3年生は自分たちのテーマに取り組むのが精一杯で
下級生の指導まで手が回っていないのが現状です。

人に言われてやるのではなく
自分でテーマを見つけて研究させる――。

これが先生の役割だそうですが、
この役割を果たせているかどうか、自問しています。

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 三ッ谷 洋子
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「なでしこ」に必要なこと

2011年07月24日 | 2011年
サッカーのなでしこジャパン世界一から1週間。
選手や監督が各地で大歓迎されている様子が
テレビや新聞で連日、取り上げられています。

私も決勝戦は目覚まし時計をかけて早起きし、
テレビの前で応援しながら試合の行方を見守りました。

開始からしばらくは米国の優勢が明らかでした。
次々に日本ゴールに浴びせられるシュートを見て
これで勝つのは無理ではないかと思いました。

米国選手にしても、まさか自分たちが負けるとは
露ほども考えていなかったことでしょう。

身長も実力も上回る米国選手。
それでも諦めずに執拗に向かっていく小柄な日本選手たち。

“世界一”の米国は自信の裏に慢心があったようです。
そこをつかれた米国選手は
最後には気持ちが折れてしまったのではないかと思います。

2006年11月6日。
なでしこリーグの表彰式。
私は「1部フェアプレー賞」のプレゼンターを務めました。

会場はJFAハウスにあるサッカーミュージアムの
バーチャルスタジアムでした。
「スタジアム」といっても、
屋内の体育館のようなスペースです。

Jリーグは毎年、大勢のサポーターやゲストを招待し、
横浜アリーナで豪華にJリーグの表彰式(Jリーグ・アウォーズ)を
開催しています。

まるでアカデミー賞授賞式のようなセレモニー。
それに比べて何と質素で小規模なのかと
悲しくなったのを覚えています。

その後、毎月発行していたニュースもなくなり、
お金のかからないホームページだけになりました。
そんなことを思い出しながら
テレビ画面の向こうで頑張る選手たちの頑張りに
涙が出ました。

男子に先駆けての世界一。
注目されるあまり、ついに選手にまつわる些細なことが
大きなニュースとなってしまいました。

熊谷選手がプライベートで出席した「合コン」の会話が
ツイッターで“実況中継”され、
日本サッカー協会が注意をしたそうです。

これに対して熊谷選手は気の毒なことに報道陣に
「そういう場にはもう行きません」と答え、
佐々木監督も「私の指導不足です」と語っています。

報道から知る限り、問題とすべき発言や行動が
あったわけではないようです。
したがって、熊谷選手が謝罪する必要もないし、
監督が指導するべき事柄でもありません。

「なでしこ」となると何でも大げさなニュースに仕立てあげるのが今のマスコミ。
協会やスポンサーは、今回の快挙にボーナスを出すそうです。

身銭を切ってサッカーを続けてきた選手たちには朗報ですが、
本当に必要なことは、一時的な注目や手当ではなく、
女子サッカーの普及と振興を長期的な視点に立って
本格的に取り組む姿勢を明確にすることです。

どうか一時的な“ブーム”で終わりませんように。

===========================
 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表



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スポーツ21マーケティング研究会

2011年07月03日 | 2011年
2ヵ月半ぶりにブログにアクセスしようとしたら
IDとパスワードをすっかり忘れていました。

ずっと更新していないにもかかわらず、
今日も100人以上の方がアクセスしてくださり
申し訳ない気持ちです。

長く更新していないため、
また、怪我でもして入院でもしているのではないかと
心配してくださる方もいらっしゃるようですが、
ずっと元気にしています。

「それなら、たまにはブログでも書いてよ」と
いわれそうですね。

ブログを毎日更新している時は、
睡眠時間を削らねばならず
正直かなりキツイ日々でした。

ブログをサボってみても徹夜に近いこともあり、
やっぱり忙しすぎかな、と自戒したりしています。

でも、せっかくブログを開いたので近況を。

先日(6月28日)
久しぶりの「スポーツ21・マーケティング研究会」
第198回例会を開催しました。

講師はJリーグ・アルビレックス新潟の池田弘会長です。
アルビレックスがJ2入りして初めて池田さんにお会いした時
「ようやくJリーグにも本物の経営者が誕生した」と
思ったものです。(以前も書いたようですが。)
この「研究会」では2000年7月に一度、お呼びしています。

その後、池田さんはバスケットボールのbjリーグや
野球独立リーグのBCリーグ立ち上げのキーマンとなられる一方、
クラブはバスケットボール、野球をはじめ
ランニングやモーターレースなど7つのスポーツにひろがる
「総合スポーツクラブ」に成長しました。

「本物の経営者」という私の勘は間違っていませんでした。
池田さんは現在、関東ニュービジネス協議会の会長として
ニュービジネスの企業家も育てられています。

「研究会」は前回同様、法大市ヶ谷キャンパスを会場に
学生も参加して熱気溢れる講演会となりました。

懇親会は一般の社会人と学生が意見交換する場ともなり、
「さび付いた頭には若い人の話が刺激になります」と
古くからの会員にもとても好評です。

「スポーツ21・マーケティング研究会」は
1984年、ロサンゼルスオリンピックの年にスタートしました。
当時の日本には、まだ「スポーツマーケティング」という言葉がなく
「スポーツメディア研究会」という名称でした。

それから2009年3月までの25年間で
「例会」「実戦ゼミ」を合わせると計400回を行いました。

長く続く不況で企業の関心は「今日、儲かりそうなもの」だけに集中する中、
明日や明後日の話題を取り上げても反応は鈍くなりがちでした。

それでも学生を参加させたことで、
「研究会」が再生したように思います。

学生にはスポーツの世界で仕事をする大人たちに接して、
様々なものを吸収して欲しいと願っています。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表





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ご支援をお願いします!

2011年04月16日 | 2011年
福島第一発電所の事故は終息するどころか
全く先が見えない状況です。
避難された住民の方も気をもまれていることでしょう。

広野町から東京の息子さんのアパートに避難されている
西本さんの“その後”が気になって電話してみました。

「“やること”がないので
連日、サッカー協会に集まる支援物資の整理に
御茶ノ水に通っているんですよ」と、いつもの元気な声。

Jヴィレッジがある双葉町は、
西本さんの住む広野町の隣です。

西本さんは、広野町、双葉町など8町村の双葉郡を中心に
地域振興の活動をされてきましたが、
その活動を通じて日本サッカー協会の幹部とも顔見知りになり、
現在、日本サッカー協会のある御茶ノ水のJFAハウスを
支援物資の集荷・発送の拠点にしているそうです。

どんなものが必要かを聞いてみると
「子どもたちのためのオモチャや文房具、
それに大人も含めて下着が足りません。

女性は化粧水や乳液がないので、
あればとても喜んでいただける」とのことです。

今はインターネットを通じて、
以前には考えられなかったほど瞬時に広く情報が伝わり、
物資が殺到してしまう懸念もあります。

多すぎて困ることにはならないかと念を押すと
「送る先は沢山ありますから、
全く心配はありません。
多いほど助かります」とのことでした。

もし読者の皆さんの中で
上記のような品物を支援してくださる方がいらしたら、
次の住所に送っていただければ幸いです。

〒113-0033東京都文京区本郷3-10-15 JFAハウス 
(財)日本サッカー協会気付
特定非営利活動法人ハッピーロードネット
理事長 西本由美子様

中古の品物の場合は受け取る方に失礼にならないよう
清潔できれいなものをお願いします。

心をこめて送ってくだされば、
被災地の方々に温かい気持ちも届くはずです。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
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正しい情報がない

2011年04月14日 | 2011年
大震災から1ヵ月。
東京でも余震だけではなく、
様々な方面で影響が出ています。

大学の新学期スタートの時期は、
各学部長によるカンカンガクガクの議論の後、
古い建物に被害があった市ヶ谷キャンパスは1ヵ月遅れ、
特に被害のなかった多摩キャンパスは
予定通りにスタートしました。

不自由な状況でしっかり勉強をすることも
教育の一環であるという理由です。
真っ先に一ヵ月遅れを発表した早稲田大学の記事を読み、
もしかしたらと「期待」(?)していた私にとって
少々あせり気味の新学期です。

相変わらず大震災の関連記事ばかり読んでいますが、
特に気になっているのが「原発」についてです。

原発は安全で安いといわれてきました。
今や「安全」などとは誰も思いませんが、
「安い」という表現はよく使われています。

しかし、本当に「安い」のでしょうか。
福島県に限らず原発のある地域には
地元対策費として国庫から毎年、補助金が出ています。

たとえば第一原発のある双葉町。
3月末に避難先のさいたまスーパーアリーナで
臨時町議会を開催しました。

承認された新年度一般会計予算約49億円の歳入のうち
固定資産税 や国庫補助金のほとんどが原発関連だそうです。

主要産業のない地域では、原発が基幹産業になっているのです。
米軍基地を持つ自治体と同様の状況といえるでしょう。

あるコンサルタントが新聞で
「原発は国が関与せずに、民間企業に任せるべきだ」と述べていました。
「原発の経済性を考えたら割りにあわないから、
民間企業ならやらない」といいます。

もし、それが正しいとするなら、
原発は「安全」でもなく「安く」もない。
それなのに、なぜ日本に原発が導入されたのでしょうか。

ある政治評論家が「政治的な判断」と説明していました。
だとするなら、今こそ将来の日本のために
政治判断で原発を止めるべきだと思います。

これまたあるアンケートの結果ですが、
「今後も原発推進に賛成」と答えた人が
過半数を超えているのに驚きました。

どのような情報を根拠にして賛成しているのか、
是非とも知りたいものです。

原発事故の数値だけでなく、
原発という発電にかかわる情報も
国がしっかり公表すべきでしょう。

双葉郡の「スポーツの里ふたば」プロジェクトに関連して
全国の原発所在地の地図を経済産業省に
依頼したことがあります。

しぶしぶ資料をくれた担当者から
「これは公表しないでください」と
念を押され事を思い出しました。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
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双葉郡のまちづくり

2011年04月06日 | 2011年
大震災・大津波から3週間以上がたちました。

前のブログでご紹介した西本さんは、
福島県の第1号原発に近い広野町から
早大に通っている東京の息子さんの下宿に
ご主人と、もう1人の息子さんと一緒に
身を寄せているとのことでした。

お食事をしながら3時間ほど話をしました。
その間、携帯電話に頻繁に電話がかかってきました。

「生きてますか~。どこにいるんですか」と、
お友達や知人の方との安否と所在の確認でした。

西本さんは、
常磐道を中心に女性たちでまちづくりに取り組んだり、
東北6県の高校生を集めて
「未来のまちづくり みちづくり」と題して
昨年は「ハイスクールサミット in 東北」というイベントの
代表者として活動されていました。

そんな「まち」が未曾有の災難に見舞われ、
「ハードウエア」や「ソフトウエア」だけでなく、
一番重要な「ヒューマンウエア」も姿を消しています。

これらまちづくりの「3要素」を再構築し、
未来に向けた計画の立案が必要です。

「是非、三ッ谷さんのような人に、
スポーツによるまちづくりにまた関わって欲しいです。
お願いします」

「スポーツの里ふたば」構想で描いたのは
スポーツで地域の人たちも楽しく幸せに暮らせる
まちづくりでした。

それが文字どおり「絵に描いた餅」になってしまった現在、
今いちど、ゼロから取り組まねばなりません。

「それにしても」と西本さんはため息をつきます。
「私たちは40年間、東京電力から原発は安全だといわれ続け
すっかり信じきっていました。
信じた私たちが馬鹿なんでしょうか…」

返す言葉が見つかりません。

原発の近くに、電力館という「啓蒙施設」があります。
原子力発電はいかに安全か、ということをPRする施設です。
地域住民は小さい頃からここで「原発は安全だ」と教えられます。
(私も以前、仕事をした際に見学しました。)

2週間ほど前だったでしょうか、
NHK第1放送の朝の番組「ビジネス展望」で
経済評論家の内橋克人さんがこんな話をされていました。

内橋さんは、国民の立場から産業界に対し
様々な批判、提言などをしています。

25年前に「原発への警鐘」という著書も出されています。
原発は政府と電力会社が推進してきたものです。
そこで国民の理解を得るために
次のような取り組みをしてきたそうです。

朝食の準備をしながら聞いていたので
メモも取りませんでした。
内橋さんの実際の言い回しとは異なるので、
大まかな意味として読んでください。

○「安全な原発」に対して批判的な記事を掲載した新聞や雑誌に対し、
徹底的に抗議する。

○小学校から中学・高校まで、社会・理科・総合学習などの科目を通して、
原発の安全教育をする。

○テレビによく出るキャスターなど多くの著名文化人を起用し、
「安全な原発」についての対談を全国紙の1面を使って掲載し
積極的なパブリシティーを展開する。

まるで幼児期から国民を洗脳して国を統治している
北朝鮮を思い起こさせます。

西本さんだけでなく、私たち日本人はこんな風にして
「原発の安全神話」を無条件に信じ込んでしまったようです。

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 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
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双葉郡の皆さん、どうか頑張ってください!

2011年03月15日 | 2011年
ずっとブログをサボっていました。
仕事に追われていたのを理由にしていましたが、
その間に未曾有の大災害。
大地震、大津波だけでなく原発の事故も。

ブログを読んで下さっている皆さん、
ご家族、ご友人などご無事でしょうか?

ラジオをつけっ放しにして仕事をしています。
重要なニュースが流れるたびにテレビをつけます。

交通機関が半分マヒ状態のため
今週、予定されていた大学の会議は全て延期になりました。

予想以上に被害が大きいということで、
目下、学生の安否を確認しているところです。

爆発事故が心配な福島県第一原発、第二原発のある双葉郡。
私にとって懐かしい地域です。
5年ほど前、「スポーツの里ふたば」というテーマで
8町村が取り組む「スポーツによるまちづくり」プランをまとめました。

2年間に渡って何度も通いました。
8町村の自治体関係者や商工会、青年会議所、
婦人会、観光協会の人たちと、
自然豊かなまちの魅力を生かした様々なプランについて
検討しました。

双葉の皆さん、ご無事でしょうか。
当時、いただいた名刺の中から、
携帯のメールアドレスが書かれた方にメールを送りました。

そのひとり「常磐道を応援する女性の会」代表の
西本由美子さんからご返事がきました。

退避命令が出ている広野町在住の活動的な女性です。
西本さんに許可はとっていませんが、
西本さんがご無事なこと、
そして現地の状況を皆さんにお知らせしたく、
メールをコピーします。

「ご心配かけてすみません。
なんとか生きてます。
家の中はメチャクチャですけど頑張っています。
原発緊急避難命令がでて避難しています。

電波の状態が悪くなかなか連絡出来ないです。
思い出して下さり嬉しいです。
大変ですが頑張ります。
現状は想像以上悪く
私の仲間たちの安否も分からない状態です」

「スポーツの里ふたば」の中核施設はJヴィレッジです。
日本初のサッカー・ナショナル・トレーニングセンターです。

副社長の高田豊治さん初めスタッフの方々の安否も心配なので
Jヴィレッジのサイトで確認したところ、皆さん、ご無事だそうです。
今は退避命令が出ているため、
避難所にいらっしゃるのではないかと思います。

東北地方の三陸海岸は大津波の被害が甚大で
「1000人以上の遺体発見」など、
まるで戦時のような報道に胸が痛み、
涙が溢れます。

しかし、被災しなかった私たちこそ
しっかり食事をし健康な心身を維持して
やるべき仕事をしていかねばと思います。

===========================
 三ッ谷 洋子
 株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
 法政大学スポーツ健康学部教授
 スポーツビジネスコンサルタント
 スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
 WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表


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