ブログともすっかりご無沙汰してしまい、
多くの人に心配をかけていたようです。
友人たちは、時々、私のブログ更新を確認して
健康状態をチェックしてくれていたようです。
私は元気にしていますので、今のところご心配なく。
今年の春に退院して以降、自分の生き方を変えるようにしました。
「頑張る私」でなく、「頑張らない私になるために頑張る」ということです。
平日の夜と週末は仕事もメールもやめました。
「小脳出血」という大きな病気なのですが、
心身ともに後遺症が一切なく、外見は以前と全く変わりません。
「ここで頑張ったら、病院に逆戻りして寿命もつきる」と自分に言い聞かせています。
私は昔から尊敬する人がいなかったのですが、
スポーツの仕事を通してバレーボールの松平康隆さんと出会い、
多くの示唆をいただきました。
座右の銘が「負けてたまるか」です。
1972年のミュンヘン五輪の前に同名の単行本を出し、
大会ではタイトルどおり全日本男子チームを率いて、金メダルを取りました。
亡くなった母が松平さんのファンで
「是非、色紙を書いてもらいましょう」というので
渋谷のご自宅に連れて行きました。
母が持参した色紙に「負けてたまるか」の言葉を書かれました。
「世界一になっても、まだこの言葉なのか」と、
私自身は不思議に感じたことを思い出します。
以前、私は歴史家と対談したことがあります。
男はどのように死ねばよいか、というテーマだったように記憶しています。
その方はこんな話をされました。
「日本語には『隠居』という言葉がありますね。
とても便利だと思うんですよ」と言われました。
私は『隠居』なんて考えたこともなかったのですが、
それ以来、「人間は生き方も大事だけれど、死に方も同じくらいに大事だ」と
考えるようになりました。
自分の人生を振り返ってみると「負けてたまるか」は
50歳代までで十分だったように思います。
「勝負」というのは、競う相手があってのことなのです。
今では、人間は60歳を過ぎたら「人と比べないこと」が重要だと思うのです。
走らない、急がない。
私は私。マイペースを大切にする。
以前の私は走って急行電車に乗っていたのですが、
今は急いで急行に乗るようなことはしないようにしました。
以前のように大学の仕事を持ち帰ったり、その他の仕事が遅れても
「死ぬわけでないし」と割り切るようにしています。
極力ITに流されないよう、仕事のペースを抑えています。
どうしてもさばききれない状況なのですが
「命と時間、どちらが大切か」と自問自答します。
私は10歳の頃から、自分の死期について考えていました。
人生のゴールは死です。
これを哲学の先生に話したら
「私の代わりに哲学の授業ができますよ」と言われました。
授業はともかく、すでに鬼籍に入っている同僚も
珍しくない年齢となったことを自覚しつつ、
(誰も知らない)残された時間を意識して
出来ることに取り組む日々です。
===========================
三ッ谷 洋子
株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
法政大学スポーツ健康学部教授
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表
多くの人に心配をかけていたようです。
友人たちは、時々、私のブログ更新を確認して
健康状態をチェックしてくれていたようです。
私は元気にしていますので、今のところご心配なく。
今年の春に退院して以降、自分の生き方を変えるようにしました。
「頑張る私」でなく、「頑張らない私になるために頑張る」ということです。
平日の夜と週末は仕事もメールもやめました。
「小脳出血」という大きな病気なのですが、
心身ともに後遺症が一切なく、外見は以前と全く変わりません。
「ここで頑張ったら、病院に逆戻りして寿命もつきる」と自分に言い聞かせています。
私は昔から尊敬する人がいなかったのですが、
スポーツの仕事を通してバレーボールの松平康隆さんと出会い、
多くの示唆をいただきました。
座右の銘が「負けてたまるか」です。
1972年のミュンヘン五輪の前に同名の単行本を出し、
大会ではタイトルどおり全日本男子チームを率いて、金メダルを取りました。
亡くなった母が松平さんのファンで
「是非、色紙を書いてもらいましょう」というので
渋谷のご自宅に連れて行きました。
母が持参した色紙に「負けてたまるか」の言葉を書かれました。
「世界一になっても、まだこの言葉なのか」と、
私自身は不思議に感じたことを思い出します。
以前、私は歴史家と対談したことがあります。
男はどのように死ねばよいか、というテーマだったように記憶しています。
その方はこんな話をされました。
「日本語には『隠居』という言葉がありますね。
とても便利だと思うんですよ」と言われました。
私は『隠居』なんて考えたこともなかったのですが、
それ以来、「人間は生き方も大事だけれど、死に方も同じくらいに大事だ」と
考えるようになりました。
自分の人生を振り返ってみると「負けてたまるか」は
50歳代までで十分だったように思います。
「勝負」というのは、競う相手があってのことなのです。
今では、人間は60歳を過ぎたら「人と比べないこと」が重要だと思うのです。
走らない、急がない。
私は私。マイペースを大切にする。
以前の私は走って急行電車に乗っていたのですが、
今は急いで急行に乗るようなことはしないようにしました。
以前のように大学の仕事を持ち帰ったり、その他の仕事が遅れても
「死ぬわけでないし」と割り切るようにしています。
極力ITに流されないよう、仕事のペースを抑えています。
どうしてもさばききれない状況なのですが
「命と時間、どちらが大切か」と自問自答します。
私は10歳の頃から、自分の死期について考えていました。
人生のゴールは死です。
これを哲学の先生に話したら
「私の代わりに哲学の授業ができますよ」と言われました。
授業はともかく、すでに鬼籍に入っている同僚も
珍しくない年齢となったことを自覚しつつ、
(誰も知らない)残された時間を意識して
出来ることに取り組む日々です。
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三ッ谷 洋子
株式会社スポーツ21エンタープライズ代表取締役
法政大学スポーツ健康学部教授
スポーツビジネスコンサルタント
スポーツビジネスプロデューサー
「スポーツとまちづくり」アドバイザー
WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)代表